変わらない者への鋭い刃 ― 小林信也 道塾見学記 ―
更新日:2 時間前
宇城憲治先生の実践を見て、「やらせだ」としか思わない人は多い。ネットに上がる実践動画を見ても同じ。そんな話からこの日の道塾は始まった。宇城先生は、塾生はもう何度も目にしている図を白板にササッと書いた。
横に伸びる直線。左端がゼロ秒、右へ行って0.2秒、0.5秒、さらに先まで線は伸びる。
「大半の人は、ここから先で理解しようとするからや」
宇城先生は冷えた声で言った。「ここから」というのは0.5秒から右の領域。
ゼロ秒から0.2秒は深層無意識、0.2秒から0.5秒は表層無意識。そして0.5秒以降が意識の世界と表現されている。世の中の大半の大人たちは「意識の世界」でモノを考え、判断し行動する。「世間の常識」もそこで作られている。意識の次元は脳が支配する領域。脳に答えはない、答えを持たない脳で答えを出し、その回答に疑問を抱かない愚かな現代社会。
「《気》はここに働きかける」
ゼロ秒から0,2秒の領域を指して、宇城先生が言った。《気》は深層無意識に働きかける。だから、筋力の弱い女性でも子どもでも、宇城先生に《気》を注がれると、涼しい顔で何人もの男性を相手に腕相撲で勝ち、あっさりと投げ飛ばす。
「ここ(無意識領域)に筋力は通用しない。筋力は0.5秒後以降の意識の世界。脳の命令で動くから遅すぎるんや。先に《気》で動きを止めてしまえば、脳はどうにもならない。細胞やからな」
人の行動や判断に直接関わっているのは、脳でも筋力でもなく、細胞。
だが、そんな身体のメカニズムも多くの現代人は知らない。人と人の間で、そのようなやりとりが起こり得ること、筋力がこうもあっさりと封じられる真理も想像すらされていないだろう。だから、「やらせ」と判断する以外に、自分の中で納得する方法がない。
「受け容れる力も無いんや」
と宇城先生は言われる。0.5秒後の世界で生きて来た、とくにエリートたち、脳の世界で優等生として伸し上り、地位や権力を得て来た人間は、自分を支える「常識」の世界を覆すことも受け容れることもできない。
頭がいいと自負している人、学生時代に偏差値が高く、名門と呼ばれる大学を卒業した人ほど、脳の世界つまり意識の領域に執着する傾向が強い。残念ながらいま日本社会の中枢に座り、政財界の権力を握っているほぼすべてがそういう人たちだ。それが現代日本の閉塞・低迷を招き、危険な空気が増長する背景にある。
彼らは、実際に宇城先生が体現する《気》の実践を「やらせ」と決めつけるだけでなく、「日本の本当の危機にも気づかない」、ぽつりと宇城先生が言った。言い捨てるようなその一言が、深刻な日本の未来を直言していることに身体が震えた。いま変えなければ、いま変わらなければ、日本の未来はない。だが、気づかない者たちが危険な舵取りを続け、大半の庶民は彼らを支持し続けている。
「だから、自分のことは自分で守らないとあかん。誰も助けてくれんから」
彼らは誰の利益のために、そのような愚かなスパイラルに嵌り込んでいるのか。愚かさに気づかない者たちが日本の経済そして社会の仕組みづくりを牛耳り続けている。この危険なスパイラルを止め、逆転するのは今しかない。もう遅いが、遅くてもやるしかないと、宇城先生は鋭い警告を発しているのだ。
やらせでない宇城先生の実践を人々にどう表現しどう伝えたら、「無意識の世界にこそ現状打破と未来創造の核心がある」ことに気づかせ、目覚めさせることができるのだろう。 記録写真の撮り方や表現方法にも宇城先生の矛先が向いた。
道塾で実践される風景をそのまま撮影し、誌面やホームページに掲載しても、道塾で伝えている真実は「伝わらない」と宇城先生はきっぱり言った。
「わかりやすい、じゃダメなんだ」
これは、宇城先生に出会った当初から、私自身が突き付けられた命題でもある。
「要するにな」と言い、宇城先生が実践を展開された。
縦に並び、背中に両手を当てた5人の列を正面からひとりが押す。先頭の胸に手を当てて押すのだ。1対5だから、通常はビクともしない。ところが、
「いちばん後ろの人だけ、足の前後を替えてごらん」
宇城先生が指示を出された。それまでは全員が右足を前に出し、左足を少し引いて態勢を整えていた。後ろの人だけ前後を逆にする。たったそれだけで、隊列の調和が乱れ、一人が正面から軽く押すだけで隊列は後方に押された。
5人の一体感が崩れ、力関係が変わる。
「ここがいちばん、パクられるとこ」
宇城先生がつぶやいた。ネットを見ると、道塾で受けた指導に似た理論を展開する人たちが複数いる。形だけを真似して、まるで鬼の首を取ったかのように人間の不思議を語り、自分のレベルの高さを誇示する人たち。
そのことに何ら意味がないことを宇城先生は嗤ったのだ。
「違いが見える? 見えんやろ?」
宇城先生が塾生に問いかけた。最後尾の一人が足の前後を替えた、その瞬間に隊列の一体感に変化が起こったことが「見えた」かどうか、という問いかけた。
大切なのは、押された結果を見て感心することでなく、押すより前に変化を感じたかどうかだ。
「見えない世界の話をしているんや。勝った、負けたなんかどうでもいい。だってな」
と言うと「はい」と右手を開いて、隊列に《気》を入れた。すると今度は、一人が足の前後を替えていようが、隊列は強くなり、押されてもまったく動じない。
「そうやろ」
宇城先生が半ば呆れたように塾生を見た。つまり、《気》が細胞に働きかけ、細胞が変わること、そこにすべてがある。その見えない世界に心を向け、見えない世界をどう高めていくのか。
塾生の多くは、そして私はいつも、宇城先生のように《気》を使えないことを言い訳にする。これに対する答えも実は繰り返し宇城先生は体現してくれている。
体調を崩して道端にうずくまっている人を見て、素通りするか、「大丈夫ですか」と声をかけサポートする行動を起こすか。「大丈夫ですか」と声をかけるだけで強くなる。素通りした人は弱くなる。これがひとつの答えだ。
ゼロ秒から0.5秒の世界で日常を生きることは誰にでもできる。気を遣う。心を注ぐ。宇城先生の《気》のレベルに遥かに及ばなくても、いわゆる気遣いの気だけで自分も周りも変わる。それだけで鮮やかな変化が起こる。私たちは自分の気のレベルを嘆く必要はない。いまも身体に秘めている気を存分に発揮すると、脳でなく細胞とともに生きる日常に転換する。
「新しい脳ができるんや」、この日の道塾で宇城先生は繰り返し言われた。
自転車に乗れるようになると《身体脳》という新しい回路が身体の中にできると表現されていた。さらに進んで、「新しい脳ができる」。
「脳が細胞を動かしているんじゃないからな。細胞が脳につながっている。細胞が先や」
この日の道塾では、いつもと同じ話と実践をされているようで、さらに深く激しい宇城先生の心の叫びが聞こえたように感じられた。
半ば怒りのこもった宇城先生の発信は、僕らが気づくべき、気づいてしまえば簡単なのに転換できない愚かな居着きに向けられた厳しい刃だと感じ、言葉を失い、背筋が伸びた。
小林信也
(2026.9.8受講)
宇城塾長が気をかけると、足の前後がばらばらの列が強くなる



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