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2024年8月30日
新刊『宇城空手の極意「型」と気』に寄せて
新刊『宇城空手の極意「型」と気』は、豊富な写真を掲載した空手技術書として書いていますが、書く上での第一の視点は「空手を何のためにするのか」ということです。そしてその事は「人間は何のために生きるのか」に発展させています。「空手」のための「空手(の稽古)」では単なるテクニック的...
2023年10月11日
季刊『道』交流イベントに向けて
11月23日(木・祝)、東京の一ツ橋ホールで季刊『道』の連載者と読者の集いの大イベントがあります。 思い起こせば、20年前、どう出版の前身の合気ニュース社時代、このホールで国内有数の武道の先生方の演武と交流の場として武道祭が盛大に開催されました。...
2023年5月11日
『宇城空手の真髄と継承』の発刊にあたって
希望とは、今の中に未来の道筋が見えること、 そして、それを実現していく行動である。 日常では、大人はそれぞれの仕事があり、 学生は学校という場での学びがある。 そういう現実の中で、 何より優先されなければならないのは、希望である。 希望は、何より私たちのエネルギーとなり、...
2023年5月8日
宇城空手の攻撃の威力 メリケンサックでの検証〈その3〉
実践塾や道塾では、常識ではあり得ない検証をする際も、 最後には、それが誰もができることを示すために、 塾生に気を通して、できなかった全員に、「できる」を体験してもらっています。 ふつうの「やってみる」では、必ず痛い。やってみるものの、必ずその前に躊躇をしています。...
2023年5月4日
宇城空手の攻撃の威力 メリケンサックでの検証〈その2〉
鉄を打つ検証のその2です。 メリケンサックの上に第三者が手を置いているところを突いていきます。 塾生がやると手を置いた人に激痛が走ります。 骨折をしかねない状況です。 しかし、この状況で私が打つと、 第三者に痛みはまったくなく、かつ5人の列は、①の検証時と同じように、...
2023年5月1日
宇城空手の攻撃の威力 メリケンサックでの検証〈その1〉
最近の空手実践塾および道塾では、 鉄製のメリケンサックへの突きの検証を通し、 真の空手の攻撃力とは何かを示しています。 厚さ10ミリの鉄のメリケンサックを腹に当てそれを突いていくのですが、 その人の後ろに4人が列を作って支えているという状況です。...
2022年9月30日
大阪空手実践塾合同稽古 ―― 子供のしなやかな瞬発力
ここに紹介する動画は、大阪空手実践塾の合同稽古風景です。 子供たちは榎本麻子師範の下で週1回稽古をしていますが、この日は、一般の大人との合同稽古でした。 1番前の左端の子供は小学3年生ですが、大人の、しかもスヌケ材の重い木刀を難なく自然体で振っています。...
2022年6月17日
―― 守る・寄り添うの実現に向けて ――「戦わずして勝つ」を目指す宇城空手
今世界情勢はものすごく厳しくなっています。時代に逆行したロシア、ウクライナ戦争では、大量虐殺が行なわれています。銃で撃てば相手が殺され、相手も撃ち返す。つまり互いの殺し合いが起こっています。 アメリカでは銃による乱射事件が立て続けに起こっています。先日も小学校で乱射事件が起...
2022年5月9日
「対岸の火事」では済まされない
ロシアのウクライナ侵略戦争は「対岸の火事」では済まされない。 2018年6月、ドイツベルリンでのヨーロッパ空手セミナーを終えたあと、かねてから地下シェルターがどこでも常設されているという永世中立国・スイスを訪れた。街を歩いて確認すると、全店に核シェルターが備え付けられていた...
2022年1月7日
――人間に秘められた人間力――
土に花の種を植えると、いずれ芽が出て成長し花が咲きます。私たち人間は母胎で一個の受精卵から細胞分裂を繰り返しながら、10ヵ月後、人としての個を成した赤ちゃんとして誕生します。 すでにこの時点から人間力はスタートしていることになります。物にはそれがありません。まさしく宇宙の神...
2021年9月13日
『頭脳から身体脳へ』を読んで思うこと
誰もが感じていることだと思う。今の国政を司っている人間たちの無謀さ、横着さのことである。人間性に乏しく、スケールが小粒で全く誠意が見られない。いつからこんなに劣化したのだろうか。歴史をたどってみても、なかなかその端緒は見当たらない。急によくなるという変化は期待できないだけに...
2021年6月10日
子供の柔らかさ、素直な心
子供の動きは自然体で柔らかい。 柔らかいから瞬発力がある。 自然体で作った動きではないから美しい。 大人の動きは筋力の動き。 力強さはあっても、柔らかさがない。 大人は 頭の知識を増やすが、 頭の柔軟さを失っていく。 子供の柔らかさと自然体の動き、 そして素直な心は、...
2021年6月9日
宇城空手の向かうところ
〈 以下、6月の東京空手実践塾での宇城塾長の実践講義より 〉 空手の稽古をして、試合をして、勝った負けたに終始する。 この空手は、まったく人生の役に立ちません。 そのツケは子供、孫にまで影響を与えます。 そうならないために今、手を打たなくてはなりません。...
2021年6月4日
幸せに向かう一歩が成長となる
〈以下は、宇城憲治塾長の著書『気でよみがえる人間力』(2012年刊)からの言葉です。 コロナ禍で多くの人が不安をかかえる今、大切なメッセージとしてコラムにしてお伝えします〉 武道にある成長へのゆるぎないプロセス 武道というのは本来無宗教の宗教として存在すべきものと思って...
2021年5月28日
「できるかできないか」これが継承の本質であり、厳しさです。
以下は、14年前、SNSがまだ盛んでない頃、日々の宇城塾長のメッセージや活動を伝えるには、本や季刊『道』の発行だけではタイミングを逃してしまうと発行されたUK実践塾の広報誌『心豊かなれば技冴ゆる』(2007年5月~2008年7月まで発行)からの言葉です。...
2021年5月25日
心を豊かにする
以下は、14年前、SNSがまだ盛んでない頃、日々の宇城塾長のメッセージや活動を伝えるには、本や季刊『道』の発行だけではタイミングを逃してしまうと発行されたUK実践塾の広報誌『心豊かなれば技冴ゆる』(2007年5月~2008年7月まで発行)からの言葉です。...
2021年5月20日
私(個)から公へ 命を懸ける
以下は、14年前、SNSがまだ盛んでない頃、日々の宇城塾長のメッセージや活動を伝えるには、本や季刊『道』の発行だけではタイミングを逃してしまうと発行されたUK実践塾の広報誌『心豊かなれば技冴ゆる』(2007年5月~2008年7月まで発行)からの言葉です。...
2021年5月12日
変化することが大事。横着しているといつまでも変わりません
以下は、14年前、SNSがまだ盛んでない頃、日々の宇城塾長のメッセージや活動を伝えるには、本や季刊『道』の発行だけではタイミングを逃してしまうと発行されたUK実践塾の広報誌『心豊かなれば技冴ゆる』(2007年5月~2008年7月まで発行)からの言葉です。...
2020年6月1日
空手書決定版2冊の発刊にあたって
この度、私が約20年前に書いた空手書『武道の原点』『武術空手の知と実践』『武術空手への道』の3冊を、新たに編集し、「決定版」として1冊にまとめたいとの依頼が、どう出版からあり、追加、推敲の上、これら3冊のそれぞれの要点を重ね合わせ、さらなる深さへの追求をしたものとして『武術...
2020年3月23日
『宇城憲治が自在にする「気」とは何か』発刊に寄せて
新型コロナウイルスによる感染が中国の武漢から始まって今や全世界に流行し、WHOは遂にパンデミック宣言をしました。新型コロナウイルスは感染による死亡も伴っています。それだけではなく感染防止のために国の往来を禁止、あるいは自粛を促しました。そのことは一方で物流のストップや消費の...
2019年5月16日
これでいいはない
私は技術者時代、メーカーからの要望に対し事故想定の独自のプログラムを組んで、過剰ではないかと言われるくらいの検証をしてきました。 商品開発における技術では、100%完成と思ってもまだ十分ではありません。それはこれまでの技術開発の経験から数多く体験してきたことでもあります。1...
2019年4月24日
どの視点でものを見るか
たとえば、「水は(1)から(2)に流れる」という問いがあったとします。たいていの人は(1)(2)の答えに「(上)から(下)に流れる」と書きます。しかしこれは本当でしょうか。 次の絵を見てもらえればわかりますが、上から下といっても、自分がどこにいるかによって、その表現は異なり...
2019年4月12日
時代背景に見る人間の生きざまと言葉の重み ―「負けは死を意味する」―
先日あるフィギュアスケートのオリンピックメダリストが、試合に負けた際の感想として「負けは死も同然」といったコメントをして話題になりましたが、「負けは死を意味する」という言葉は、本来は生死をかけた実践が要求された時代に生み出された言葉です。...
2019年4月12日
時代背景に見る人間の生きざまと言葉の重み ―「負けは死を意味する」―
先日あるフィギュアスケートのオリンピックメダリストが、試合に負けた際の感想として「負けは死も同然」といったコメントをして話題になりましたが、「負けは死を意味する」という言葉は、本来は生死をかけた実践が要求された時代に生み出された言葉です。...
2019年4月2日
民 信なくば立たず
「民信なくば立たず」という言葉があります。これは中国の言葉(論語)で、政治や社会というのは民衆の信頼がなければ成り立たないという意味で使われています。今、日本では国のトップが盛んにこの言葉を引用していますが、言っていることとやっていることがあまりに異なっているのではないかと...
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