2026年 第3回関西教師塾開催レポート
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2026年8月9日(日)、ハートピア京都にて第3回関西宇城教師塾が開催され、関西を中心に20名の中学、高校の教員が参加し、「全体という捉え方」<エネルギーを生む>をテーマに2時間にわたり宇城塾長よりご指導いただいた。
冒頭、1時間にわたる講義のなかで、私たち教員や学校という組織が抱える問題点、課題点についてお話いただいた。そのなかで、教員による不祥事が多いのは教員のエネルギーが低下していることや、子どものエネルギーを奪う相対評価の学校の仕組みは変わらない、このような中で知識がAIにより簡単に得ることができる今、「教育における使命はもともとある子どもの人間性を引き出すことだ」とご指導いただいた。そのためにも、教員が変わること。教員が「部分」(知識)ではなく「全体」(本質)として物事を捉えることができるように変化することを教えていただいた。
また、実証では、宇城塾長の気により瞬時に変わる自らの身体を通して、知識や頭が人間の本来持つ可能性に蓋をしていることに気づかせていただいた。
教師塾に参加した塾生は、午後からの実践講演会にも参加し、年齢が上がるにつれスクラムを押すことが出来なくなる子どもたちを見て、「進展しながら自滅にむかう」日本の教育システムを身体で学ぶことができた。そして、変わらない組織、教育システムののなかで、自らが変わり、自分と向き合う中で前に進むことの重要性を示していただいた。
宇城塾長からのご指導を真剣な眼差しで聞く塾生
〇検証(1)先をとる①(身体のスピードは頭よりも速く、強い)
意識で起き上がることは出来るが、宇城塾長に気を通されると
意識では起き上がることができない。

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さらに、気が通ったほうの身体は強くなり投げ飛ばすことができる。

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気が通った人からのエネルギーは連鎖し、さらに踏まれても痛くなく、人が乗ることができる。

〇検証(2)先をとる②(身体のスピードは頭よりも速く、強い)
宇城塾長の気により、みんなで持った机が動き、その動く机を意識では止めることができない。頭ではなく、身体(細胞)はエネルギーを瞬時に感じていることに検証を通して気づかせていただいた。また、机を持つ人数が多ければ多いほどエネルギーの影響を受けやすくなった。

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〇検証(3)スポーツでは、勝ち負けにこだわると身体は浮き、弱くなる。
常識では、同じ人数で帯を引っ張り合えば力はほぼ均等になり、人数が多い方が勝つ。

スポーツの世界でよく見る柔軟運動やガッツポーズをすると身体は浮き、弱くなり帯を引っ張られてしまう。今のスポーツがいかに部分体になっているを実証を通して学ぶことができた。

一般常識では、多い人数の方は力が強い。

宇城塾長に気を通していただくと、身体が強くなり少ない人数の方が勝つという事実。これは、「気」というエネルギーには筋力ではない強さ(エネルギー)があることを身体を通して学ぶことができた。また気が通った方は引っ張られる感じがなく、逆に人数が多い反対側は力が入らない状態になる。

〇検証(4)全体と調和
ふつうに押すと列はまったく動かないが

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前から2人目の人が前後の足をいれかえると、列が弱くなりエネルギーが切れる。

前から4人目の人が、みんなと違う方向を向いても列が弱くなる。教師として、全体を捉え、日常を通して何を未来ある子どもたちに伝えるべきか。単なるテクニックではなく、気持ちをひとつにするなど「心のあり方」の大切さを学ぶことができた。

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また、列を押すには困った人に寄り添うことで、エネルギーが生まれ列と一体となり押すことができた。相手を倒すという筋力は対立、衝突を生む。しかし、「寄り添う」という行動は相手との調和・融合という本来人間が持ち合わせているエネルギーを生み出すことに気づくことができた。

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2時間の予定で始まった第3回関西宇城教師塾であったが、宇城塾長の講義、実践は予定の2時間を遥かに超える中での深い学びの時間となった。参加した教員たちは、宇城塾長の教育への思い、途轍もないエネルギーに触れ、教師としての職責の重さを感じ取る時間となった。「部分から全体へ」、「対立から調和へ」、まずは自らが変化する一歩を踏み出す貴重な時間となった。そして、すべては自分次第であるということを再認識する教師塾となった。
参加者の感想
【奈良 中学校 男性 30代】
本日は、お忙しい時間を私たちのためにいただきありがとうございました。いつも宇城先生にエネルギーと愛情をいただきあたたかい身体と心になっております。
宇城先生の講義を聞かせていただいているときは、自分は身体が冷えているような感覚がありました。それは、空調のせいではなく自分自身が冷たい浅い人間であることの証でした。お話の中に人は0.5秒までに危険予測してブレーキを踏み、0.5間際に身体でブレーキを入れることを聴き、私の生活の中で瞬時に人との関わりにブレーキを入れているからあたたかみを感じられないことを気づかせていただきました。実証体験の中で宇城先生から気を通していただき、身体が熱を浴びたような体温を上がる感覚になりました。その後は、おんぶした男性ごと身体を捻る運動をすると重さを感じはしても、男性とブレることなく一体となって動くことができたり、気を切られると途端に重たくなったりと調和の重要性を教えていただきました。
魚は水と調和し、鳥は気流と調和し生きている。私たち人間は、「気」と調和し生かせてもらうことをしないければ、自分は冷たい人間に逆戻りなのだと知りました。
人間は、無意識に怯え、不安を感じ痛みにマインドコントロールされています。このことは、私たち教育者が子どもたちに対しても不安を感じさせ怯えを与える要因になります。子どもたちの心に寄り添い、対立ではなく調和・融合する姿勢と態度を体得して子どもたちに関わりたいです。その一歩に宇城先生にエネルギーをもらい還元していきます。
人と触れ合う中で人間は成長し変化することの大切さを教師塾で実感させていただいております。次回の教師塾、どう塾にも積極的に参加し子どもたちに愛情を注ぎ続ける人間になります。
宇城先生、ご多忙の中私たちのために愛情とエネルギー、先をとる大切さをご教授いただき感謝申し上げます。今後もご指導よろしくお願いいたします。
【奈良 中学校 男性 30代】
本日はお忙しい中、第2回教師塾並びに京都実践講演会にてご指導いただき誠に有難うございました。宇城先生に包んでいただいている空気感とスポーツの試合の現場で包まれている空気感は全く違います。「全体」と「部分」。全体は境界線がなく力みもない。後ろから羽交い絞めにされた際に先生に気をかけていただいた時に自分の中心にブラックホールのようなものがあり、そこに引き込まれていくような・・・スッと溶けていくような感覚がありました。一方、部分は力と力で衝突、分断されます。その違いをはっきりと身体を通して示していただき、方向性(希望)を持たせていただいていました。
宇城先生に学ばせていただき、いつも希望の光と同時に底があるのかどうかもわからない深さを感じます。宇城先生が机に気をかけ、動かしておられる姿が私は教師と生徒に見えました。教師にエネルギーがあり、生徒を信じ、安心させられる空気感があれば、子どもの潜在能力は開かれ、自ら進んでいく。
4月から本日までの様々な事を振り返り、自分自身の力のなさ・エネルギーのなさ・自己満足・きれいごと・覚悟のなさ・浅さを反省していました。しかし、熊本では震災があり多くの方が命の危険に直面しておられる・・・・そのような視点は私にはありませんでした。いかに自分自身が部分で分断されており、自分自身で考えて生きていないのか・・・寄り添うということを教えていただいているはずなのに、全体が健康で部分は病気だと示していただいているのに・・・・自分の人間性はきれいごとでしかないのだと気づかされました。
私自身が信じ切れていませんでした。私は人を幸せにする道を歩みたい。とにかく進み続けます。これからもご指導よろしくお願い致します。
【奈良 中学校 女性 30代】
お忙しい中、私たちのためにご指導ありがとうございました。
先生のお話を聞きながら、今の自分の生き方は怯えてしまっているなと感じました。うまくできなかったらどうしよう、ちゃんとしないといけない、など頭で考えて、何も行動していない状態でした。行動したと思っていても、自分の範囲の中だけで、変化していこうという心はなかったように思います。
今回の教師塾に参加にあたって、ずっと不安や地に足ついていない感じがしていました。今思うと、それは自分がきちんと向き合えていないということを無意識のうちにわかっていたからだと思います。エネルギーがないから、きっと飽和してしまうとわかっていたから、漠然とした不安があったのだと思います。身体は正直です。実際先生にお会いすると、大きな愛情で包んでくださり、もう一度、情熱を持って頑張ろうという気持ちが溢れてきました。本当にありがとうございます。
日々の生活の中で、どこかで自分に言い訳をしながら過ごしていました。自分が大切にしていることではなく、無難にこなすことを選んでしまっていました。心から動いていく、愛情を持って行動する、こんな当たり前のことが抜け落ちていて、頭で考えて動いていました。きっと頭で考えてしまう癖はなかなか直らないかもしれませんが、少しでも統一体に近づけるよう、寄り添っていきたいです。
子どもたちは、安心していれる人や場所を求めています。特に最近、寄り添いを必要としている子が多いように思います。私が先生に暖かなエネルギーをいただいたように、私の接する子どもたちに、暖かな気持ちを持ってもらえるよう、進んでいきたいと思います。
日々修行と思い、一つひとつに情熱を持って取り組んでいきたいです。ありがとうございました。
【大阪 大学 男性 60代】
今回の宇城教師塾で示された「全体という捉え方――エネルギーを与える」というテーマは、単なる身体論や「気」の話にとどまらず、これからの教育そのものをどう捉え直すのかという非常に深い問いであったと感じます。板書には、科学は「電気」「記憶」「姿勢」など、物事を部分に分けて捉えることが主流であり、部分をいくら集めても、それだけでは「全体」にはならないことが示されていた。全体とは、部分の総和ではなく、それらがつながり、調和し、互いに生かし合うことで初めて現れるものなのだと思います。それを実証の中では「寄り添うと強くなる」ということが誰が行っても明確になりました。そして寄り添われた人も寄り添った人と同じようにエネルギーが高まるのがはっきりと分かりました。学校現場でもこういった環境をつくることが教育のあり方だと改めて気づきました。
宇城先生が言われる「気」は、まさに『日本は気の国』であり、この「全体」という捉え方につながっていると感じます。気は単なる精神論や抽象的な言葉ではなく、全体を捉え、実証するための方法を持っています。
一方で、科学は理論や仮説が先行し、それを実証していくという流れが基本となります。しかし宇城先生は、まず言葉で説明するのではなく、身体を通して瞬時に現象を起こし、「これがどういうことなのか」を私たち自身に体験させていただいています。そこには、すでに答えがあります。そして知識として「分かる」ことと、実際に「分かる」こと(身体で)の決定的な大きな違いがあります。
毎回の教師塾で目の前に示される、常識では「あり得ない」と思ってしまう現象は、私たちの固定された認識そのものを揺さぶっているのだと改めて思います。固定観念、常識、捉われ、奴隷・・・こういった事に凝り固まっているうちは全体を捉えることはできません。
特に今回、心に残ったのが「メモリ」の話である。同じ現象を見ても、メモリが荒ければ大きな変化しか捉えられず、きめ細かなメモリを持てば、わずかな変化、微細な違い、その奥にあるものまで感じ取ることができる。そのためには自身がまずは素直、謙虚になること。子どもと大人との違いはそこにあることを今回も様々な実証で示していただきました。
これは教育において極めて重要なこと(教師のあり方)ではないかと思います。子どもの表情、声、姿勢、動き、心の変化をいち早く教師がどれだけ細かく感じ取れることができるか。だから日頃から教師自身が勉強していないとそこに目が向かない、心が寄り添えないと感じます。教師が感度が悪いと子どもたちもどんどん自分中心になり兼ねませんし、殻に閉じこもる子どもが増えていくように感じます。
また教師自身のメモリが粗ければ、「できる・できない」「良い・悪い」「問題がある・ない」といった二元的な判断しかできなくなる。しかし、きめ細かなメモリを持つ教師であれば、その子どもの変化の前兆や、本来持っている可能性まで感じ取り、そして常々先生が仰る「教える」ではなく「引き出す」に繋げていくことができます。
だからこそ宇城先生は、教師に対して厳しい目を向けられているのだと思いますし、教師が知識を持っているだけでは、もう十分ではない。AIが膨大な知識を瞬時に処理する時代において、人間である教師にしかできないことは何なのか。それは、目の前の人間を「部分」ではなく「全体」として捉え、感じ、働きかけ、その人の内にあるエネルギーを引き出すことではないかと感じます。
「教える」から「気づく・気づかせる」ことへ、「知識を与える」ことから「生きる力、エネルギーを与える」ことへ、教育そのものが変わらなければならない。この教師塾はそういったことを学ぶ場であり、学ぶとは知識ではなく、自身の身体を通して気づかせていただける(横着な自分、逃げている自分からの脱却)からこそ自分に落とし込むことができます。あとは学んで終わり、ではなく現場で一人革命を起こしていく実践を通しての覚悟が必要だと今回の教師塾を通して改めて感じましたし、止まっている時間、休んでいる時間はありません。
そして、そのためには教師自身が変わらなければならない。自分は本当に人を見ているのか、自分の知識や経験、常識というフィルターを通して見ているだけではないのか。素直な心で自身に矢印を向けているか。宇城先生が教師塾で実証される「気」は、私たち教師に対して、まさにそのことを問いかけているように感じる。
教師塾は、知識を学ぶ場所ではなく、教師自身の「捉え方」を変える場でもあります。一般的なセミナーのように講義を聞いて理解したつもりになるのではなく、実践し、実証し、自分自身の身体と感覚で確かめる。その積み重ねによって初めて、部分から全体へ、対立から調和へ、知識から実践へと進むことができるのです。
宇城先生が教師塾に期待されているのは、まさにそのような「自らが変わり、その変化によって子どもを生かせる教師」を育てることではないかと感じます。
今回の教師塾ではまさに実践を通して、教育の未来を変えるには、制度やカリキュラムを変えるだけでは足りないということをお伝えいただきました。
まず教師自身が「全体を捉える人間」になり、「エネルギーを与えられる人間」になること。その教師の愛情、存在そのものが、子どもにとっての教育となります。
毎回この教師塾において、宇城先生は、言葉だけではなく、「気」の実証を通して、そのことを私たちに瞬時に伝えてくださっているのだと改めて感じ、自身の進んでいく方向性が更に明確になりました。
【山口 中学校 男性 40代】
植物、球根の完成形は土の中に埋め、太陽の光があることで花開く。魚→水、鳥→気流、人間は気の中に入る。何度接しても、宇城先生のモノの見方、捉え方からは大きな衝撃をいただきます。物事を部分ではなく、全体で見ると言っても、そのスケールは計り知れず、まさに宇宙のスケールです。先生が学校現場に立たれていたなら、どのような御指導を生徒へされただろうか、されるだろうかと想像致しますが、私の狭く浅い見方、捉え方では全く見当もつきません。しかし、先生が私達に貴重な御指導をしてくださる意味を常に考えなければと思っています。私達がどのように変わらないといけないのか。先生のお話をお聞きし、まずは当たり前だと思っていたことが、本質といかに乖離していたかと認識することだと思いました。準備体操、がんばるぞー!など精神論、筋トレ、競争・対立を助長するスポーツや受験勉強、都合の良い人間を作ることになっている現代の学校教育の現状。教育の本質とは、その人の持っている潜在力や能力を伸ばすこと、引き出すことである。現場でもそのように言われているところもありますが、実体が伴わず、理想論に終始しています。しかし、宇城先生が示してくださる「気」のエネルギーは、即変化を生み、人間の潜在力を発揮してくださいます。まさに、現代教育・常識の呪縛から私達を解放してくださいます。
「『気』は全体という捉え方ができる最善の方法である」気による事象を体験したり、目にしたりすることで、人間本来の姿が見えてきます。二人が仰向けに寝て、片方に気をかけて起き上がらなくさせる検証がございました。気を掛けると、起き上がろうとする意識はあるのに身体が動かなくなりました。しかし、その状態で足を持たれると、足を持った人を投げることができ、その連鎖は続きました。さらに身体が強くもなり、先生が太腿に乗られても痛みを感じませんでした。しかし、気を取ると、その強さはなくなって痛みを感じたり、投げることができなくなったりしました。本来あるべき姿と現在の私達の姿を体験させていただきました。また、もう片方には気を通していないが、足を持った人にわざと投げられるよう指示を出され、同じ検証をされました。結果はもちろん、太腿に乗られそうになるとビビりますし、実際に乗られると痛みを感じました。ここには現代社会の問題点や私達が常に不安や恐れを感じている理由がはっきりと示されていました。本質からはずれ、実力がない。だから、地位や肩書、欲、権力を使うし、それに負けてしまう。戦えない。忖度をする。本質に根差した実力をつけること。本質とは何か。それは人間性である。人間性とはどのようなものか、それを教えてくれるのが「気」である。そのことを目の前で示してくださっているのが、私達の師、宇城先生です。
「生きている」(自己中心的)と先生は書かれました。自分の意志で生きているようで、人間の本質に気付けなければ、それはただ物として生きているのと変わらないと感じました。そこで得られるものは本来の次元から見れば、虚構かと思います。目には見えない「気」というエネルギーによって起こる変化や生み出される5次元時空、本当は私達の目の前に存在しているのに、それを見えなくしているものがある。早く多くの人がこの事実に気付いてくれることを願わずにはいられません。「気」というものがあり、それは人間にとって欠かすことができない。先生が「魚は水の中にいることに気付いていない。水から出されたときにそれに気づく」と仰られたとき、まさに人間もそうだと思いました。魚は水から出されれば、死んでしまいます。まさに人間も気の時空にいない人がどんどん増えている、むしろ誤った教育をされ、自ら気の時空から出てしまい、自滅へと向かっている、だから有り得ないことがどんどん起きているのではと思えてなりません。「生きている」が自己中心的なのは、自分の狭い狭い世界、宇宙から見たら点にも満たないスケールのなかで出てきた、自分の意志、思いを優先して生きている生き方だからだと思います。「気」の存在を体感することで、それが宇宙と繋がっていることを知ることで、理屈ぬきに自分が、宇宙、地球、すべてと繋がっていると感じざるを得ません。先生が仰っている最も次元が高かった江戸時代は、世の中全体が、そのような心身を育む雰囲気、文化、伝統、躾、教育が存在していたのだと思います。しかし、現代ではいろいろなものが壊されています。私は、教師塾の塾生として、現状を批判するのではなく、今やれることに全力を尽くしつつも、本当に希望へと繋がるあり方へ少しでも近づけるように、自分自身を変化、成長していくことにまい進していきたいと思います。
腕相撲の検証で、私は高校生の方と腕相撲をさせていただきました。箸置きから箸を取る所作を先生が御指導され、彼がそれを行った後に再度腕相撲を行いました。結果は、驚くほど生徒さんには力が入っておらず、それなのにビクともしない強さが出ていて、思わず検証後、感想が言葉となって出てきました。箸置きというものと、それを用いた正しい所作の深淵な意味を体感した感動、そしてそれを示してくださる宇城先生の思考、視点、洞察力などのあまりの深さ、凄さを、その生徒さんと共有した感覚がありました。現代教育では感じられない、本質に根差した学びとはこういうものなのだと思うと同時に、生徒とこのように学びを深めていけたらどれほど、幸せや充実感、成長を感じられるだろうと想像致しました。まずは一歩、一歩、自分自身の中に謙虚に学び続ける姿勢を育てていきたいと改めて思いました。まだまだ、学びと謙虚さの足りない私ではございますが、何度も検証で示してくださった、寄り添う心を、この度の宇城先生からの学びとエネルギーに感謝して、日常において実践していきたいと思います。宇城先生、この度も本当にありがとうございました。これからも何卒ご指導、ご鞭撻の程、賜りますよう心よりお願い申し上げます。本当にありがとうございました。
【岐阜 高等学校 男性 40代】
8月宇城教師塾でのご指導ありがとうございました。
「全体」で捉えるとはどういうことかをテーマに、様々な検証を通して学ばせていただきました。現在の社会を成り立たせている「科学」は、「部分」を取り出し、分析・研究し、それらの「部分」を再び再構築する要素還元主義によって発展してきました。そのことによって私たち現代人は、生活において多くの恩恵を得ているわけですが、一方で環境破壊、貧困、戦争、そして人間性の損失など多くの矛盾が顕在化し、世界中で未来への希望が失われつつあるといいます。特に日本は顕著です。宇城先生がいつもおっしゃるように、堕落した政治とそれを見て見ぬふりをして野放しにする私たち国民。「自分さえ良ければ」がはびこり、ますます悪化の一途を辿っています。この宇宙の産物である私たちが、私たちの知るごく限られた世界を、さらに部分に細分化し、分かったつもりになって謙虚さを失ってしまった結果です。経済、工業、農業、教育など、どの分野においても「部分」の世界(衝突・対立の世界)において、「優秀」とされる人間たちが幅を利かせる今の日本において、教育は最後の砦なのだと思います。
その教育において私たち教師が「部分」にとらわれ、目先の結果に右往左往させられているのが現状です。少なくとも子ども(人間)は、本来とてつもない可能性(エネルギー)を持っており、それを引き出す営みが教育であるはずです。しかし、今の日本を見て分かるとおり、教育はその可能性をむしろ阻害しているどころか、悪化させ人間性そのものを損なっています。もしも現在の教育において「優秀」とされている人間が、本当の意味で「優秀」であるならば、今の日本のような国にはなっていません。今の学校教育が人間性を損なってしまっているのならば、それはもはや教育ではありません。虐待です。その虐待に、何の考えもなく、むしろ善意すらもちながら加担しているのが私たち教師であると言えます。「善意による虐待」。教師の不祥事が多いという話題が今回ありましたが、そうした無自覚の矛盾が私たちの中にあるのだと思いました。だからこそ私たちは謙虚に学び、少しでも全体を捉えながら仕事に取り組まなければならないのだと思います。そもそもこのような視点が宇城先生に学んでいなければ、全体に持ち得なかった視点です。教育を取り巻く議論は、常に「衝突・対立」の議論であり、どのような言論もそこを出ません。
今年度、私の勤務する学校が、文部科学省の「N-EXTスクール構想」の指定校に認定されました。これは2040年の世界を見据えた教育改革を目指すために、その先端的な学校に対して何億もの予算をつけて改革を促すというものです。今年の3月頃に降って湧いたようにこの話が取り沙汰され始め、今年の6月に指定校が認定され、早くも今年度中から予算がおりてくることになっているようです。このことについて、文部科学省の説明を何度か聞きましたが、まさに人間性のかけらもない、理屈先行の政策で、教育界ではありえないほどの大きな予算が使われるとのことで、何か政治的な利権が裏にあるのではないかと勘ぐってしまいます。誰のどんな思惑で決定されたものなのかは定かではありませんが、15年後の2040年を見据え…と謳いながら、目先のことしか見えていない政策です。
そんななかで、私たちにできることは「子どもを守ること」しかないと考えるようになってきました。何かを教え、何かをできるようにさせる、などということではなく、彼らが本来持っている、無限のエネルギー、無限の可能性を信じて、それらを毀損することのないよう守っていく。それらを少しでも引き出すことができるよう支えていく。そのために私たち教師は常に謙虚に学び続けなければいけないのだと思います。私たちが率先して行動する、人間性を高めていく、そして子どもたちを信じて見守っていく、未来の日本の希望である子どもたちを、私たちが守っていかなければならない。それが、私たちが宇城先生に学ぶ本当の意味だと思っています。
N先生の立命館宇治高校の甲子園における有明高校との試合は、単なるスポーツ、単なる勝負ではない、感動的な試合でした。テレビ越しにしか分かりませんが、両チームの健闘を心から応援する雰囲気が球場を包んでいたように思います。両チームの選手のもつ可能性を感じた試合でした。
私はこの4月から異動し、野球部の指導者として復帰しました。8年ほど指導の一線からは遠ざかっていましたが、その分以前とはまた違う視点や、捉え方で選手やチームを見られている感じがします。これまでは目先の勝ち負けや、選手の表面上しか見えていませんでしたが、少しだけ「部分」の幅が広がったように思っています。
しかしそれはあくまで「部分」であって、「全体」とはほど遠いです。宇城先生が私たちと真剣に向き合っていただけるように、私自身も生徒と真剣に向き合い、学び続けていこうと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
【奈良 高等学校 男性 40代】
先日は、第3回関西宇城教師塾にてご指導いただき誠にありがとうございました。
午前の教師塾、午後の実践講演会を通じ自分は何も出来ていないと感じました。日本の教育のシステムやスポーツは子どもの持つ潜在能力に蓋をしてしまうというお話がありました。検証でも、ガッツポーズをすることにより、帯の引っ張り合いに負けてしまうという検証がありました。それを見た私たちは「オ~」という感嘆の声を上げます。しかし、それを続ける学校の教育に何人の教員が危機感を覚えたでしょうか。常識とされる学校の教育により、学校は金太郎あめのような生徒をつくる。先生の言うことを聞くことを一番と考え、テストで求められた答えを出すことを一番と考え、そうではない子どもたちに病名をつけ、他の子どもたちとくらべ劣っていると考える。この危機感を何人の教員が持てた、感じたでしょうか。
私自身何も感じない、日常と繋げることが出来ていません。なぜなら行動出来ていないからです。心は何で見えるか。行動だといつも宇城先生からご指導いただいています。野球部の顧問をしています。昨日、練習試合がありました。秋の公式戦が近づいているとうことで、1日に練習試合が2試合ありましたが、野球が上手い生徒を優先して試合に出させ、そうではない生徒の試合に出る回数が極端に少なくなりました。
これがスポーツで今の自分です。どれだけ宇城先生からご指導を受けてもこの程度の行動しか出来ていない自分を恥ずかしく思います。熊本地震でも同じです。自分にどんな行動が出来たでしょうか。まだまだテレビのなかの世界であり、他人事として捉えています。日常のなかに寄り添うという行動が、想いが自然と身についていないと感じました。
教師塾に向かう電車のなかで、『循環無端』を読みました。そのなかで、「競争を否定しているのではなく、競争原理を乗り越えたところに本来の人間力がある」とあります。それが調和の世界だと思いました。どんな検証でも宇城先生の周りには壁がありません。私たちが普段作ってしまう上、下、右、左といった壁がなくすべてを包み込んでいるように感じます。
世間はスポーツの勝ち負けや、偏差値教育が絶対だと考えています。宇城先生のご指導が絶対ですが、それを世間で実践することに正直怯えている自分がいます。どうせ無理だからというあきらめ、勝ちたいという自分の世間的な見栄、その自分と戦っていきたいと思います。そんな私にいつもご指導いただけることに感謝し、忘れず、どんな時も自分に矢印を向け行動できるようになります。今後ともご指導よろしくお願い致します。
【奈良 中学校 男性 30代】
宇城先生、お忙しい中ありがとうございました。また、どう出版の皆様、並びに教師塾事務局の皆様、ご多忙な中、教師塾開催のための尽力いただき、当日のご準備も含めてありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
全体という捉え方のテーマのもとでお話をいただきました。1学期の自分の姿勢を見直す事ができました。ありがたいことに職場の先生方の調和力はとても高く、私自身もいつも気にかけていただき、こちらの呼びかけにも前向きに賛同いただく事ができています。一方で「自分の日々はどうか」と考えると、甘えも多く、自分勝手な一面もありました。今回の教師塾で一番に感じたことは、宇城先生のもとで学ばせてもらっている自分自身が、今の職場の調和を乱しているかもしれないということです。一心にやっているつもりが、乱している。その可能性を素直に見つめて変われるように取り組もうと気づかせていただけた事に感謝いたします。
競争や数字、勝利に追われながら生活をしている今の子どもたちに対して、本質を見つめられるようにどのように何を伝えるのか。明確な答えはわかりませんが、姿勢、気概、愛をもって。部分ではなく全体を捉えて。学校での生活から離れているこの夏休みは、まずは自分にとって一番身近な野球部の生徒達に向けて何かを返し、伝えていけるようにしたいと思います。奈良県では最近、中学生の対教師暴力や傷害事件が増加しています。今までは内に秘めていたものを外部に向けて発散する事が増えているという事です。この事も生徒からの何らかのメッセージではないかと宇城先生のお話を聞きながら感じていました。暴力に暴力、暴言に暴言、背を向けられて背を向け返す。ではなく、愛を持って共に。手を引くのではなく、肩に手を添えて進んでいってくれる教師を、子ども達は求めているのかもしれません。
今回の教師塾でも2学期に向けて活力を蓄えるどころか、自分の器、容量を広げていただけました。他の先生方の頑張りに比べると自分などまだまだだと思いますが、這いつくばってでも着いていけるように精進に努めます。皆さま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
【三重 高等学校 男性 30代】
宇城先生、この度も大変お忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、ご講義いただき誠にありがとうございました。
先生の語られる一言一言は、私にとって桁違いの次元(レベル)にあります。その全てを一度に理解しようとする自分の浅はかさは、まさに私の弱さそのものです。
冒頭の「何を学ぶのか」「何のために学ぶのか」という問いに対し、即座に答えることのできない自分がいました。単に知識を増やすためなのか、自身の現場での実践を深めるためなのか。あるいは、志を同じくする先生方とのつながりを求めるためや、教師としての在り方を磨くためなのか。または、自身の弱さからくる忖度に過ぎないのではないか。この問いを抱えながら、宇城先生のお言葉に耳を傾け、立ち振る舞いや実践を拝見いたしました。特に驚かされたのは、人間の「心」というものが、対人関係にとどまらず、植物や農作物にまで影響を与え、その生命力を高めることができるという事実です。心は、まさに命に力を与える最高のエネルギーなのだと実感いたしました。そして、その尊いエネルギーを打ち消してしまうものこそが「自分さえ良ければいい」という欲なのだと、深く腹に落ちました。
だからこそ、物事の本質を捉える目を養い、ぶれない肚と身体を培い、真の統一体になっていく他ありません。しかし今の私は、あまりにも「我」があり、「欲」があり、「自分さえよければ」という思いが強すぎます。そんな私に、宇城先生がおっしゃった「やはり病をなおさなくてはいけない」というお言葉が深く突き刺さりました。先生は、その真実を自らの「実証」をもって私たちに伝えてくださっています。
教員13年目を迎え、いつの間にか情熱が薄れ、行き詰まりや虚しさを抱えていた私にとって、今回の学びは自分自身が「人間」ではなく「人」へと成り下がっていた事実に気づかされる切実な時間となりました。教員間で寄り添う余裕もなく、ただ日々の業務をこなしていたこと自体が、まさに私の「病」だったのだと実感しています。
師を持たずして「人」は「人間」になれないという教えを心に刻み、まずは私自身がこの病を直さなければなりません。子どもたちの未来のために大人が全力で向き合い、先生から学んだ「寄り添う行動」を日常で実践しながら、本来の「人間」となれるよう日々精進してまいります。
【京都 中高一貫校 男性 40代】
教師塾、京都実践講演会でのご指導ありがとうございました。
今回のテーマである『全体を捉える。エネルギーをうむ』ということをどれだけ自分自身が気づいているのか。部分ばかりになっている日常をいかに全体として捉えて、行動したり思考することはこれまでの癖があるがゆえにそう簡単にできることではありません。言葉では宇城先生よりいただいた『全体を捉える』を頭で理解、わかったつもりになりがちで私自身も聞いたことで満足していました。しかし、それでは全く意味がありません。全体を捉えたり、エネルギーをうむというところの次元にいくためには、自分自身の中にある葛藤や一歩踏み出す勇気が必要です。
学校現場のことでも自分の部署のこと、クラブ、担当教科など、『自分はやっている』そして、できていないことは誰かのせいにしてしまいがちです。自分でも課題には気をつけているのにも関わらず、見て見ぬフリをしていることもあります。その姿勢からはエネルギーなど出るわけもなく、生徒、教員団、学校にその空気が電波してしまい、ダメな形で循環してしまうことになり、それを取り戻すことは相当な覚悟が必要です。
列に並んで1人でもよそ見をしたり、違うことを考えていると簡単に崩れてしまうことを検証でも気づかせていただきました。また机を押さえていてもエネルギーがあれば必ず動く。じっくりと。その動きは止めることが出来ず、勢いはむしろ加速していくことを見せていただきました。そのエネルギーを誰が与えるのか。それが宇城先生のもとで学ばせていただいている教師一人一人です。
球根は土。魚は水。鳥は気流。人間は気。その気が流れる身体にしないとエネルギーは湧き上がらず、周囲にも影響を与えることはありません。『全体を捉える』とは、どういうことなのか。もちろん中期、長期ビジョンの視点から行動することなのかもしれませんが、シンプルに自分の周りに起こりうることを全てをやる。それが結果として全体を捉えていくということかと。どうしても全体から事が起こってる実情を見ると部分ばかりに目がいきがちで結局他のところを捉えることが出来てない。ということがこれまでの私には多く起こっていました。これまで体育会で生きてきた思考の癖です。学校、生徒の雰囲気、授業、クラブ、教員の立ち居振る舞いなどなど、自分のやるべき範囲が広がっているということは、それがある種の全体でもあります。自分は頭ですぐに考えてしまい、損得が働いてしまうタイプです。
だからこそ、無意識の領域である100万分の1秒のスピードで気づいたら動いている自分。誰かに任せるのではなく、言い訳のない覚悟を持って日々実践していきます!
生徒、子どもは素直であることは今回の実践講演会からも感じました。そして、宇城先生の指導に引き込まれていく会場の空気、一体感。これを教育現場で私たち教師が体現しなければいけません。後先も大事ではありますが、やはりこの瞬間の今の連続が未来を創るのだと改めて気づかせていただきました。本当に感謝しかありません。
引き続き、ご指導よろしくお願い致します。
【大阪 高等学校 男性 20代】
宇城先生、今回もご指導いただき、本当にありがとうございました。
毎回、改めて大切なことを思い出させていただき、そして自分自身のエネルギーを高めて教壇に立つための、大きな学びの機会となっています。今回学んだことを、自分自身の指導と重ねながら振り返りたいと思います。
まず、強く感じたのは、人を育てること、心を育てることの大切さです。私は高校剣道の指導者をしています。今年、全国大会出場をあと一歩のところで逃しました。技術的には力をつけてきたと感じる一方で、「何かが足りない」という感覚が残りました。今回の学びを通して、その「何か」とは、人としての成長なのではないかと改めて考えました。挨拶をする。ゴミを拾う。人を思いやる。相手に寄り添う。そうした日々の当たり前の行動を、私自身も含め、まだまだ大切にできていなかったのではないかと思います。競技だけを鍛えるのではなく、生活そのものから人を鍛える。部分である「部活動」だけを見るのではなく、全体である「一人の人間」を見る。まさに、部分ではなく全体を大切にするということだと感じました。これからは、より一層、競技力だけではなく、人としての成長、心の成長を大切にした指導を追い求めていきたいと思います。
次に、チーム全体という考え方です。同じ方向を向いている列を押す検証がとても印象に残りました。同じ方向を向いていれば大きな力になりますが、一人でも違う方向を向けば、簡単に崩れてしまう。これは、そのままチームづくりにつながると感じました。一人の力だけを見るのではなく、チーム全体が同じ方向を向いているのか。誰か一人を変えようとするのではなく、全体を整えていく。この考え方を、この夏からのチームづくりの中に、もっと取り入れていきたいと思います。
そして、今回改めて考えさせられたのが、指導者としての在り方です。情熱を持ち続けること。エネルギーに満ちた指導者であること。そして、生徒に「気づかせる」ことのできる指導者になること。宇城先生の言葉で、特に印象に残ったのが、
「言葉はいらない。滲み出る。」
ということです。指導者の姿勢は、言葉にしなくても生徒に映る。自分自身がどう生きているのか、どういう姿勢で毎日を過ごしているのか。そのすべてが生徒に伝わっていくのだと思います。だからこそ、「生徒をどう変えるか」ではなく、まず「自分自身がどうあるべきか」を追い求めなければならない。私自身が情熱を持ち、エネルギーを持って生きる。その姿から、生徒に何かを感じてもらえるような指導者になりたいと思います。
そして、今回最も心に沁みたのが、
「勝ち負けに拘らず、人間的な成長を大切にする。しかし、競技の結果は日々の生活の答え合わせである」
という考えです。まさに「事理一致」なのだと思います。勝った、負けたという結果だけを見るのではなく、その結果を通して、自分たちが日々やってきたことが正しかったのかを答え合わせする。人として成長できていれば、それが競技にも表れる。だからこそ、結果だけを求めるのではなく、取り組みで勝つチームにしなければならないと思いました。心が育ち、気が溢れるチーム。そんなチームになれば、今までとは全く違う次元に進めるのではないかと思います。
私は剣道を指導しています。最後にお話しいただいた「剣」の話も、非常に心に残りました。
「先を取る」。
そのためには、「剣は心なり」という考え方が大切なのだと思います。以前から先生がお話しされている、ベンジャミン博士のブレーキの研究にある「無意識と意識領域」の話ともつながりました。心が育っていれば、無意識のうちに先を取り、相手より先に入ることができるのではないか。それが、技術だけでは到達できない、次元の違う剣につながっていくのだと思います。
私には、教員としての夢があります。卒業した生徒たちが、心豊かで、人として立派な剣道家となり、社会の中で活躍してくれることです。そのためにも、競技だけを教えるのではなく、人としてどう生きるのかを伝えられる指導者になりたい。そして、生徒にとって「師」として映る自分でありたいと思います。
これからも宇城先生の背中を追い求め、自分自身を磨き、精進していきます。師に出会えたことへの感謝を忘れず、私自身が生徒にとって恥ずかしくない生き方をすること。それこそが、今回の学びを自分の人生と指導に落とし込むことだと思っています。
2026年8月9日。
改めて、自分自身の在り方を見つめ直す、大切な一日となりました。
宇城先生、今回も本当にありがとうございました。
【兵庫 高等学校 男性 50代】
宇城先生、教師塾・講演会でのご指導ありがとうございました。
今日のテーマとして「全体という捉え方」と先生がホワイトボードに書かれたとき、ワクワクすると同時に、何と難しいテーマだろうかという思いが起こりました。
これまで、先生の指導を受け、日々の出来事やニュース、もちろん教師としての仕事でも、部分ではなく、全体で捉えようとしていますが、同じことについて先生のおっしゃられることと自分の考えを比べると浅さを感じることが多く、同じ場所を周っているだけではないかと思うことがあります。確信するのは、部分での捉え方から抜け出すには2次元、3次元から上の次元で捉える必要があるのではないか。そして、それは、統一体の身体で初めてできるものではないかということです。
宇城先生は、机を押さえずに触れるだけという指示を聞けず、ずっと押さえている中学生を集中的に指導されました。学校でも指導に困っていることが見て取れる生徒であり、顧問の教師によると、実際に苦労しているという話でした。手間のかかる生徒にどれくらい時間をかけて関わるかということは、教師としての課題の一つであると思います。できるならば、生徒一人ひとりに同じ熱量で関われたらと思いつつ、結局すべての生徒に熱のない関わり方をしてきたのが自分であると思います。先生の熱のこもった指導を拝見させていただき、この目の前の一人の生徒を指導する情熱こそが教師にとって必要なのだと思いました。そして、その一人の生徒に対する指導は、きっとまわりの他の生徒にも伝わるであろうと思いました。
勤務校は知的障害の特別支援学校であるので、生徒に寄り添うという言葉は毎日のように聞きます。しかしながら、ほとんどの教員が考え、やろうとしている「寄り添う」は、宇城先生のおっしゃっている『寄り添う』とは違うものであると感じています。校長として勤めている間に、生徒に『寄り添う』ことのできる教員を一人でも増やしていきたいと思っています。
生まれつき完成形であり、統一体である子供たちがそのままで成長し、考え行動すれば、どんな素晴らしい世界になるだろうかと思わずにはいられません。そのために、自分が統一体となれるように実践していきたいと思います。
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
【京都 中学校 男性 40代】
午前にあった教師塾では全体という捉え方、エネルギーを生むを根底にご指導下さりました。このテーマにされているのも教師がいかに人間を本来全体を感じ見えている子どもたちの可能性を消しているか、間違った物差しで見ているかを示されているんだと感じました。デカルトの考えである要素還元主義、部分をいくら足していっても全体にはならない。今回の道の福岡先生の話にあったように調べれば調べるほど分からなくなるが答えであるが正解だという先生のお話は我々凡人が一生かかっても分からない金言だと思います。部分は対立や分離を加速させ、競争の感覚が芽生えてしまい。できるができないに変化するのだと学ばせていただきました。
全体は調和を生み、調和は周りとのつながり絆を作っていきます。【気】は全体という捉え方ができる最善の方法である。と先生が仰る通り、気は孤立していては意味を成しません。一人で元気でいることも、気配りも、勇気を出すことも、一喜一憂することも全体や周りがあってこその世界です。気は一瞬で変わる。学校を変えるのも、会社を変えるのも、社会を変えるのもマニュアルではなく【気】です。日本航空の再建にもマニュアルではなく一人ひとりの考え方、お客様を思う気配りの指導や、挨拶の指導を何度も何度も行ったという話を聞きました。家族愛、学校愛、社会愛、愛国心すべては繋がっているということを再認識させていただいた学びでした。
人間としてのレベルが一番高かったのが江戸時代という話を先生からお聞きして、その時代は少し前に話題になっていたSDGsが当たり前にされていて、マニュアルではなく自然体でできていたということでした。今のSDGsはそれぞれが部分化されていますが、融合はやはりできない。しかし江戸時代はそれが一つでした。それを融合させていた接着剤が心であり、気であった。日本人はそのDNAを持っている。そして、ここでの学び、宇城先生からの学びはその時代の空気などの目に見えないものを見える世界で示してくださっている言葉や理屈ではでも・・・で終わりますが、実証、検証は頭でなく身体です。頭は知らずとも身体は賢い。分かっているということがまず大切だと感じました。
邪魔をしているのは今の時代皮肉ですが頭なのだと気づくことができました。
昼からの全体の講習会では、学生が50名ほど来ている中で、午前中に知識や体験を通して学んできたことを検証するような形で行われました。
先生が何故超一流の方を指導できるのか。その中でも先生がおっしゃっていたのは、力を使わないという今の常識ではあり得ない方法です。
列を押す検証では、列に一人でも別の考え方をするひとがいたり、違うことをする人がいたら、集団は弱くなる。
更に押す側は、丁寧に心を込めて寄り添うこと、そうすればエネルギーが生まれ力を発揮できる。しかし、押してやろうという対立、負けないぞという気合が力を失わさせる。
更に所作の大切さを先生は示してくださいました。箸置きをちゃんと使い、作法をしっかりすることで、大きな力が人間は出せることを学びました。
今回の講演会で私自身が気づかせてもらったことは、生徒との信頼関係を丁寧に作っていくということです。先生は一番できる生徒でなく、一番できない生徒に本気で叱り本気で粘り強く接して指導されていました。それを見て自分は胸が熱くなりました。自分はそこに目がいっていない。そこまでチームを本気で見れていない証だと感じました。
列全員を無理やり前に向かせる指導は指導ではないと感じました。無理やり前に向かせる指導は、結局無理やり列を押す指導と同じです。
そうではなく前を向きたく全員がなる指導、そのためには一人ひとりを大切にすることが改めて大切だと感じました。
一人ひとりが力を出すのも力みでなく、人に寄り添うことや相手を思い合うことに秘訣があると感じました。競争や排他的な考えではなく、全体と調和できる空気、環境を作る。
今講習会も様々な気づきがあり生徒とともに反省や、これからの希望やすべきことが見つかりました。生徒と共に足元を見つめて、謙虚にそして全体を考え、寄り添い、寄り添われるチーム作り、人づくりを大切に実践していきます。
今後ともご指導よろしくお願いいたします
【大阪 中高一貫校 男性 40代】
今回、初めて教師塾に参加させていただきました。 私が現場でここ数年感じていた「子供の潜在能力を引き出せていない」という葛藤の原因は私自身にあり、いかに物事を部分的に捉え、理屈(理論)で生徒に押しつけた指導を行っていたかに気づかされました。 そのような指導の先には競争や対立が生じてしまい、子供たちは「やっているフリ」をしだし、そのような環境の中では人間の本来の能力は発揮されないことを知り、まさに自分の指導のあり方がどれだけ愚かであったかと思い知らされました。
物事を全体として捉える教育や調和の大切さを学ぶ中で、今回私が最も心に残ったのが「気のエネルギーの源は寄り添う心にある」という宇城先生のお言葉です。 まだまだ教師塾に参加させていただいたばかりの私ですが、まずはこの「寄り添う心」を持って子供たちと接し、教育活動に当たることが第一歩だと感じております。 これらをやり抜くことは容易ではないと思いますが、「人を残す」という尊い教師の道を歩んでいる以上、未来ある子供たちの能力を最大限に引き伸ばせるよう、私自身が人間力を高めて、情熱を持って生徒たちと接していきたいです。
今回参加させていただいただけでも、物事を全体として捉える見方で、調和・融合による教育を実践するということは、そう簡単なものではないと痛感しておりますが、自分自身を変える覚悟を持って、今後も深く学んでいきたいと思います。そして常に「進歩・成長とは変化すること、変化することは深さを知るということ、深さを知るということは謙虚になること」という宇城先生のお言葉を心に留め、人間力を高められるよう、日々努力していきたいと強く思いました。今回教師塾に参加させていただき、このような機会をいただき、感謝致します。ありがとうございました。
【奈良 中学校 男性 20代】
この度は第3回の教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。今回、全体という捉え方というテーマでお話いただき、自分自身見落としていることが本当にたくさんあったと深く感じました。全体で捉えよう思っていても、いつのまにか部分を追いかけていたり部分のみを捉えて全体を捉えた気になっていたことがありました。この1学期ごろから夏休みにかけて、授業や部活動の指導の場面などで感じていた、良いと思っていたのにふと冷静になったときに「あれ、何か違うな」となるこの違和感は何なのか。自分自身、モヤモヤしながら考えていました。今回の先生のお話を聞き、自分の実力の無さから全体を捉えられていない又は全体を捉えた気になっているだけだったと気づかせていただきました。
実践を通して、改めて身体で感じることがいかに大事かを感じることができました。「頭ではわからないけどこの身体の感覚」恥ずかしながら言語化をすることが難しいのですが、何か内からエネルギーが湧いてくる感覚です。自分はまだまだいろんなことができる、本来のエネルギーをもってさらに成長したい。そう自然と思うことができました。この感覚を生徒にも感じてほしい。私が実力をつけて、宇城先生から学ばせていただいていることを子どもたちに伝えていけるように精進します。また、今回のような実践講演会に私が顧問をしている野球部の生徒もぜひ参加させたいと思いました。子どもたちに自分自身の素晴らしさを気づかせて、向かうべき方向性を指すことができる指南者になれるよう精進します。そのために、自分の感度を高め、全体を捉えられるよう日々の生活を見つめ直します。
私事ですが、この4月から勤務校とは違う野球部の顧問として活動をさせていただいております。部員が少なく2年が1人で1年生が3人の計4人です。チームは7校の合同チーム。様々な場面で難しく感じることも多いですが、同じ野球を志して集まった者同士、エネルギーを出して共に歩んでいきたいと思っております。
今回もたくさんの気づきや学びをありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
【京都 中高一貫校 男性 40代】
今回の教師塾は『全体という捉え方』がテーマでした。そのお話の中で,部分を合わせても全体にならない,融合しない,完成形にはならないということを教えていただきました。それらを踏まえて今の現場を振り返ると,働き方改革が進み,仕事が仕事となり,個々のタスクに分けられ,その個々のタスクに対してお互いに心を寄せることもなく,完全に分断されているなと改めて思いました。また,部分の思考が正義となると,子どもたちにもそれが正解だと教えてしまうような流れも生み出してしまう,すでに生まれているのではないかなと思いました。そう考えると,先生が常日頃からおっしゃっている,「大人が子どもをダメにしている」,「教師が子どもをダメにしている」という言葉にたどり着きました。また,細分化されていけばいくほど,散らかり,何が本質なのかが見えにくくなり,細分化されたものを整理する者,細分化された一部を追求していく者,細分化されたものを比較する者が現れ,衝突し,疲弊しているのが今の現場なのかもしれないと思いました。それに気づいたところで,その流れを変えるのには大きなマインドセットの転換,改革が必要で,それをし始めようとしたときには,正義感のずれから,さらに細分化を正当化するよう方向へ加速していく。ここでも,先生がおっしゃっている,「気が付いた時には遅い,止められない,むしろ強まる,加速する」という言葉にたどり着きました。それでも,自分が勤務している学校は比較的多くの理解者や同志がいる,それをしやすい土壌があると思います。まずは一人革命,一校革命をすることで,大きな革命へとつなげていきたいと思いました。
次に先生の言葉の中で,今回心の中に特に残っている言葉が『生かされている』です。一般的にもよく使われる言葉で,先生からも何度も受け取ってきた言葉ではありますが,これまで批判的に考える余地もないほど大切な言葉として,当たり前のように受け止めていました。ただ,「先生がこれだけ何度も伝えてくださっているほどの深さで,実感をもって自分は『生かされている』と思って生きているのだろうか」と考えると,まったくそうではないと気づきました。正直な感想を言うと,今は,『生かされている』という感謝の気持ちを本気で毎日もって生きる,過ごす自信はありません。『生かされている』と心の底から思うことができるような心境,状況,環境,機会を得ることができるほどの実践,行動ができていないからだと思います。また,自分なりには日々必死に仕事をしているつもりですが,そもそも,それが細分化された状況,環境,次元の中であるのならば,その先に,深さの追求はないのだと思いました。
自分がどれだけ学校,教育,日本を変えられるのかはわかりません。ただ,無力ではないとも思っています。微力でも継続,共鳴,調和の先に融合があると思います。どこを見るべきなのか,どこにエネルギーを注ぐべきなのか。しっかりと身体で感じながら,日々を大切にしていきたい,今を大切にしていきたいと思いました。今回もありがとうございました。
【大阪 中学校 男性 60代】
宇城先生。先日もいろいろとお忙しい中、教師塾でのご指導を賜り、誠に有り難うございました。
最初にホワイトボードに「全体という捉え方」というテーマを記されました。
現在の科学は“要素還元・主義”で、部分で捉えることは得意であるが、部分が統合されて全体にはならないこと。「全体」は調和を生み、融合が起こり、それに対して「部分」は対立を生み、対立が起こること。そして、“気”は、全体という捉え方をする為の最善の方法であること。
それらのことを、いろいろな実証を通じて「見たり」、「感じたり」させて頂きました。
しかし、実証を見せて頂いていても、受け取る側によって、その受け取り方を間違えてしまうこともあるのだ…ということを、今回気づかせて頂きました。
それは…。
帯を使った“綱引き”のときのことです。帯の両端を同じくらいの“力”の二つのチームに別れて引き合います。最初に何も無しで引き合うと、互角で勝敗はつきません。次に一方のチームは仰向けに寝て休み、もう一方のチームは屈伸や伸脚などの準備体操を行い、最後に「頑張るぞ~」と拳を振り上げて“気合い”を入れます。すると、何もせず仰向けに寝ていたチームの圧勝となりました。
私は以前にも別の機会で、この実証を見せて頂いたことがあります。そのとき、私は「(一方のチームは)何もせずに仰向けに寝てリラックスしていたから、勝てたのだな」…と思っておりました。しかし、今回、この検証のあとに宇城先生が漏らされた「(一方のチームが)何もせずに、寝ていたから勝てたのではないんだよな」というような意味合いのことを仰った一言で、「私は誤解していたのだ」ということに気づかせて頂きました。ここでは、もう一方のチームが準備体操をしたり、気合いを入れることで、部分体となり、負けてしまっていたのですね。同じことを見ていても、これこそ、受け取る側のものさし(スケール)の“目盛り”の違いが大きく影響しているのだと思いました。
あと、素直さが大切なことも感じました。
縦一列に並んだ列を押すのに、押そうとする人が体調が悪そうにうずくまっている人に両手で「大丈夫ですか?」と寄り添うと“調和のエネルギー”を頂け、寄り添った人も寄り添われた人も列を押すことが出来ます。この検証は今までも何度も拝見させて頂きました。「人に寄り添う」という“心ある”行動が“調和のエネルギー”を生むことは紛れもない事実です。そして、今回、その検証の折りに、人に寄り添ったあとの高野先生が列を押すのではなく、宇城先生の「列の横を歩いてごらん」と仰られたことに促されて歩くと、列がその方向に動いたことです。やはり、素直に受け取る「心」をお持ちだからこそ、起こったことだと思いました。私は昨年の宇城道塾の秋季合同合宿で、この検証に参加させて頂きましたが、全然出来ませんでした。自分では寄り添っていると思っているのですが、しかし、検証してみると、本当はそうではないことがわかり、愕然としました。
まだまだ、そんな自分ですが、引き続き御指導の程、宜しく御願い申し上げます。
【奈良 中学校 男性 40代】
本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございます。
前回、公務で参加できなかったため、楽しみにしておりました。午前中、教師塾にて「全体としての捉え方」というテーマでお話を頂きました。全体と部分の捉え方の違いを教えて頂きましたが、何度も宇宙や自然の話を教えて頂いてきましたが、それが自分の生き方につながり、実践していかないといけないなと思いました。ミトコンドリアと細胞の関係のお話では、ミトコンドリアに重力がかかると免疫細胞が活性化するというお話でしたが、もし宇城先生から今までお話を頂けていなかったら、まったくと言って理解ができなかったと思いますが、気の存在によって、質量が変わることが分かっている状態で聞かせていただくと、すっと内容が入ってきました。今日体調が悪かったのですが、先生にお会いすると、そんなこともなかったかのように体調が戻りました。気をかけて頂いたおかげだと思っています。
日本は気にまつわる言葉が多いですが、言葉や歴史を学ぶことで宇宙や地球、社会の本質に触れることができます。周りに気に遣うことができる人が人間性に表れます。地球は時速1700kmで自転していますが、地球に守られているため、飛ばされずに生きていくことができます。これこそが「生かされている」ことにつながるのでしょう。地球のことを考えるのであれば、宇宙のことも必然に考える必要があります。ミトコンドリアと細胞のお話は、すごく腑に落ちた感覚でした。科学が後追いをしていることが分かります。生かされていることに気づくことが自分にも、周りの人にも広がっていくことだと感じます。教員として、指導者として全体を捉えるときに、和を乱す人がいたら、組織が弱くなることを一列を押す実証で教えて頂きました。一列に並んでいる人が一人でも同じ方向を見なくなったり、足並みをそろえなくなると、列が弱くなりました。一番後ろの人が足を入れ替えても同じようになります。指導者としてこれが見抜けないとダメだと思いました。全体を見るか、部分で見るかの違いを感じました。私はこの夏から7つの中学校で合同チームを組むことになりました。今までも合同チームの経験はありますが、7つの学校が合わさって行うことは今までないことで初めて全員揃って練習をしたのですが、それぞれ始まったばかりなので、意欲はあるのですが、仲間、チームとしてはバラバラでした。これからどうやっていけばいいのか、何から取り組んでいけばよいのか、悩むことが多かったのですが、足並みを揃えること、野球を使って人間性を育むようにやっていきたいと思いました。今までからも人間性の大切さを伝えてきましたが、自分のチームが広がって、全体に良い空気が広がっていくように伝えていけばよいのだと教えて頂きました。教育の本質は、気づく、気づかせることであり、その中で生かされていることを育てていけばよいのだと感じました。まず、私から情熱を失わずにその姿勢をもって、子どもたちにあたっていきたいと思います。
午後からは私の中学校で野球を指導している生徒3人が来てくれました。前回の1月にも来て、2回目でしたが、本当に落ち着いて話を聞いていたように思います。お箸の持ち方の所作で身体が強くなる実証をして頂きました。以前も箸置きを使うことやお箸を使うと姿勢が崩れないことを教えて頂いたことがありました。様々な所作がありますが、毎日使うお箸は本当に大事に使わないといけないなと感じました。このような所作も私自身が勉強しないといけないですし、伝えていかないとなくなってしまうものだなと感じました。また、スクラムを押す実証では、人に寄り添ってから押すとスクラムを崩すことができました。寄り添えば強くなる。寄り添うことは心です。心から思いやりを持って、接することが自分を守ることにもつながりますし、周りを守ることにもつながります。すべては自分の中に答えがあるんだなと思いました。
一日と長い時間にたくさんのことを教えて頂き、本当にありがとうございました。あっという間に過ぎた気がします。私自身も年齢を重ねると、素直になれないことや迷うことが多くなります。でもそれは頭での行動であって、心での行動ではないのだなと感じました。午後から生徒を連れてこさせてもらって、終わった後の顔は迷いのないエネルギーに満ちた表情をしていました。私自身もこれからも変化していないといけないと感じております。まだまだ学び、実践を繰り返しながら進んでいきたいと思っています。
今後とも何卒宜しくお願い致します。
【京都 中高一貫校 女性 40代】
宇城先生、教師塾、また京都実践講演会ではご指導いただきありがとうございました。
教師塾の冒頭に「全体という捉え方 / エネルギーを生む」というテーマを与えていただきました。部分で捉えるのではなく、全体で捉える教育をしなければ、人間が本来持つべき力を引き出すことはできず、子ども達が自らエネルギーを発することはできないということをさまざまな検証を通して、改めて実証していただいた1日となりました。
今の学校教育はまさに部分で物事を捉え、目の前で起きる問題、課題にどう対処するのかしか見えていないままさまざまな指導・改革を行なっています。講座の中で宇城先生が日本人のパスポート所持率が18%と低いことに対し、政府の対応は申請費用の値下げという方法を取ったというお話をしてくださいましたが、全体を捉えられていない中で対策を考えても問題の本質に辿り着くのではなく、また新たな問題を生み出すことにしかならないということを、今の学校現場も繰り返しています。全体を捉えることが、退化してしまった本来あるべき能力を目覚めさせ、その能力を一人一人が発揮することにつながる。そのことを宇城先生は理屈や言葉ではなく、実証を通じて私たちに教えてくださっています。
私自身も検証の中で、寄り添うと寄り添う側だけでなく寄り添った側も強くなるという体験をさせていただきました。寄り添ってもらう側での体験でしたが、寄り添われた後、多人数が縦に並んでいる列の横を歩くだけで列が倒れていきました。また、それだけでなく、前々日よりお腹の調子が良くなかったのですが、実際に寄り添ってもらったことで自分自身の腹痛も回復していくのを感じました。その後、3人が手を重ねたところを思い切り打つという実証の際には、打たれる側、打つ側の両方を体験させていただきましたが、宇城先生に気を通していただくと打たれる側の体験では全く痛くなく、打つ側の体験では痺れるような痛さがありました。自分で打つのとは全く違う痛さを体感し、気によって細胞の密度が変わるということを実際に感じることができました。また、気を通していただくことで、自分の内側から熱くなるのを感じ、それ以降、腹痛は一切なくなりました。まさに細胞が活性化したことを身体で感じることができました。
日本は「気」の国だと先生はよくおっしゃいますが、実際に「病は気から」「気配り」「気心が知れる」など、日本人は昔から目に見えない他人の気持ちや空気を察し、調和を重んじる文化を大切にしていました。それはスピリチュアルではなく、事実として気によって身体が変化をすることを昔の日本人は知っていたということです。芝生は黄色くなってからでは遅いというお話からもわかるように、少しの変化でも察知できる能力が日本人のDNAには組み込まれているのだと改めて感じました。戦わずして勝つが上の勝ちにもあるように、相手が自分よりも格上であると感じられる力、そして何よりも戦わずして相手に参りましたと言わせられる実力を備えているというこの両方の次元の高さが日本にはあったということ。そういった実力をつけるためにも、小さな変化にも気づけるだけのメモリを育むことが教育の場では必要なことであり、対立、競争の中ではそのメモリを粗くすることはあっても、細かくすることはできないのだということを先生には教えていただきました。
午後の実践講演会でも、寄り添えば強くなる。その事実が目の前にあっても、なぜ?どうゆうこと?と子ども達が素直に受け入れられなくなってしまっているのは、頭で考えること、部分で捉えることを教えてきた私たちの責任です。そして何より、教育者である自分自身のメモリが粗く、部分でしか捉えられていないことがそういった教育しかできない根源です。今の日本は全てが部分になってきています。役割分担。言葉にすると聞こえは良いのかもしれませんが、これはただの責任の押し付け合いです。誰も全体を捉えられていないから誰も責任を取らない。最後は逃げる。
政治家や国を批判するのは簡単ですが、自分はどうなのか。自分も結局は責任転嫁をしているだけで、うまくいかないことを誰かの責任にすり替えているだけです。できない理由はいくらでも言えますが、それでは目の前の子ども達の未来は守れません。怯えと危険の感知は全く違う。怯えは思考停止、危険の感知は行動に移ると考えると、今の自分も危険を察知しているとは言えず、ただ怯えて立ち止まっている状態なのだと気づきました。何に怯えているのか。自分の無意識領域で周りからの目やこれまでの常識に縛られているのだと思います。
宇城先生に気を通していただくとできる自分がいる。すでに自分には全て備わっているにも関わらず、できなくさせているのも自分。そのことから目を背けず、目指す先をしっかりと見据え、そこに向かって走ることしか一人革命の実現はあり得ないということを先生から教えていただきました。目指す先がない、情熱のない人間が教育に関わると、今、目の前のことだけで判断をし、保身や我欲に走り、子どもの可能性を奪ってしまう。なぜ学校現場の不祥事が多いのか。それは不祥事を働く教員の責任ではなく、教育界の空気感そのものが原因です。そこには自分も関わっている。悪いのはそういった教員であり自分とは別、関係ないと無関心になっている自分がいるのだということ。そのことから目を背けてはいけないと改めて感じました。そういった教育界への危機感から宇城先生は教師塾を実施していただいているのだということを改めて感じました。
土が良ければ花は咲く。その土台をどう作っていくのか。学校の役割は本当に大きいです。子どもの可能性を奪わないためにも、私たち学校は保護者を巻き込み、生徒が自分自身の力で安心して花を咲かせられるような良い土壌作りを進めていかなければならない。そのためには今逃げてはダメなのだと、宇城先生が子ども達と関わる姿から教えていただきました。私たち教師が、目の前の子ども達に対し、さまざまな事象に対して人任せにしてはいけないし、自分ごととして真剣に受け止め、内側から火をつけ、エネルギーを引き出すことに集中すべき時が今なのだと思います。
どれだけいい仕組みがあったとしても、それを扱う人間性が育っていなければAIで良い時代が来ています。目の前の子ども達に背中を見せられるように、まずは自分の人間性を育てること、そして自らが変化しエネルギーを生み出せるようになることで、関わる子ども達にもエネルギーを与えられるようになる。指導者がもっと真剣に自分の「生」と向き合い、生きるではなく生かされているという生き様を示していくことが大切なのだと気づかせていただきました。指導者次第で子ども達は良くも悪くも変化をしていきます。子ども達の未来を奪わないためにも、自分自身が頭ではなく身体を通じて学ぶことで、今ある常識を疑い、自分の能力に蓋をしているものを捨てる勇気を持ち、前に進んでいきたいと思います。「躾」とは身に美しいと書く。「躾」や「型」にこそ、その答えがあるということを今回の実践講演会では実証を通じて示してくださいました。人間の可能性を、自分の可能性を信じ、ただひたすらにそこに向かって自分が進んでいくことに集中していきます。
宇城先生、教師が変わることがこの国も未来につながるということ、逆を言えば教師が学びを止め、止まった時点でこの国の未来は終わるということを教えてくださりありがとうございます。宇城先生が私に対してさまざまな気づきを与えてくださるように、教える・与えるではなく、気づき・気づかせる教育ができれば自然と中からエネルギーが湧いてくるということは明確です。捨てる勇気、変わる勇気を持って、全体を捉えた上で今を捉えられるように、精進してまいります。答え合わせは目の前の子ども達が教えてくれる。そのことを忘れずに、日々実践を行なっていきます。今後ともご指導お願いいたします。


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