第45回 東京実践塾 春季合宿
- 2 日前
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2026年4月25-26日の週末にかけて宇城憲治館長、榎本麻子師範、宇城拓治師範の指導により、【第45回 東京実践塾春季合宿】が千葉県で開催された。海外からシアトル支部の参加もあり、総勢120名以上となった。
合宿は宇城館長がホワイトボードにパラレルワールド、進化、破滅、将来との言葉と合わせて図解について説明する所から始まった。なぜ、我々は進展しながら自滅に向かうのか。知識やお金、「自分さえ良ければ」と競い合う仕組みの中に組み込まれている人々を救うのは政治ではなく、互いに寄り添い、繋がる事で生じるエネルギーである。実証と検証を交えた指導から合宿は幕を開けた。


参加者は複数のグループに分かれ、それぞれ榎本師範、拓治師範、指導者の下で各自の課題に合わせた稽古が行われた。宇城館長はいくどとなく、「皆は既にできる身体を持っている。それを自分の頭で止めているだけだ。」、と述べ、宇城空手がどれだけ桁違いの世界を塾生に指し示しているかを指導した。

合宿は日中の稽古だけでなく、寝食を共にする事で志を同じくする者たちが日本全国、そして海外からも集って2日間、宇城空手に触れられる場である。稽古は道場だけでなく、懇親会の場でも続き、参加者の一人一人が館長や師範、指導者や稽古仲間のフィードバックを得ながら己の稽古に集中して向き合える貴重な場となった。

2日間の稽古を終えて、宇城館長の「人間の凄さが分かったか?」、との言葉を参加者全員が噛み締めて、各々の課題を持ち帰る合宿の場となった。

感想文
■Y.W 会社員 千葉
宇城先生
今回も大変貴重で濃厚な学びをありがとうございました。
稽古の中で、先生は「日本はこれからスポーツで勝ちが増えていく」とお話がありました。世界では戦争は未だ治らず他国では自国の発展のために多大な思考をしている中、日本という国は自国のことより「今をどう生きるか」という目先の利益、我欲に支配されているように感じます。
私は学生の頃、スポーツ社会学というものを学びました。先生が度々言葉にされるように、「sports(スポーツ)→スポルト=遊び・休暇」であり、本来は仕事の息抜きとして身体を動かすことでリラックスすることを目的としていました。またそのスポーツをすることで様々な文化や人を協調・調和をすること目的ともしております。オリンピックも本来世界が手を取り合って行う「平和の祭典」とされてきましたが、昨今のオリンピックでは、勝ち負けや経済効果ばかりが注目されています。
そんな目先の利益に囚われてばかりいる日本が、「スポーツには勝つが政治的には劣る」そんなふうに他国から思われても仕方なく、日本人として情けないと思います。そういう事態になってしまったのも学校教育や今の日本人としての在り方にも問題があると思います。
「目先の利益」とはいわゆる手っ取り早く脳が幸福度を得たいということで、裏を返せば今は幸福ではない「慢性的な不幸感」になっています。昨今は『背徳感ブーム』というものもあり、ダメと言われていること行って一時的に快楽を得る(カロリーの高い飲料や食事など)が若者の間では流行しています。chat gptなどのAIに回答を求めることも言わばこの手っ取り早く幸福感を満たされることと同じだと思います。
この慢性的な不幸感を脳科学では「慢性的なセロトニン不足(セロトニン欠乏症)」とも言われています。セロトニンとは脳が安心・幸福・満たされていることを感じると分泌されるホルモンであり、親子の愛情など受けることで分泌されます。本来であれば子供を愛する、親から愛される、人と仲良くする、などで幸せを感じることで満たされるということを実感し、セロトニン不足になることはありませんが、ここに欲が入ることで、一気にそれが不足しているように認識してしまいます。欲があるから不安・怯えがより強くなってしまいます。
私はこのセロトニンが分泌されていることを感じる瞬間があります。それが稽古で先生に気を通された時、投げられた時です。その時は不安や怯えではなく、安心感や満たされる感覚であり、自然と笑顔になります。本来であれば人と仲良くすることで満たされるはずのセロトニンが、先生に気を通していただけなければ不足していることにも気づかず無意識に不安・怯えているのだと思います。
今回の合宿の検証に参加させていただいた際も、1回目はできたけど2回目はできず、自分でも1回目の情報が身体ではなく頭での知識としてインプットされてしまい、意識が邪魔をして視野が狭くなり「やってやろう」という気持ちがでてしまったのだと反省しております。まさに目先の利益に囚われている自分がいたと痛感しました。
私が不安・怯えがあるのも、人間の可能性を100%信じることができていないからだと思います。しかし合宿で先生とご一緒に入浴させていただいた際、先生はたった一言「人間の力ってすごいやろ」と私に告げ、先生の表情とこの言葉で、「先生は我々より遥かに人間の可能性、人間てすごいことを確信している」と思い、自分の可能性を閉ざしているのは自分だと強く感じ、まずは人間のエネルギー、自分の可能性100%信じるべきだと思いました。また、そういった言葉をかけてくれる先生の存在に感謝しています。
今回の合宿でも様々な気づきを与えていただきありがとうございました。今後も今回の反省等を活かし精進してまいります。今後とも宜しくお願いいたします。
■S.H 自営業 千葉
宇城先生
先日は千葉九十九里合宿でのご指導をいただきありがとうございました。たくさんのエネルギーをいただきました。本当にありがとうございます。
合宿でのお話の中で「政治では解決しない、みんなで一致する、繋がる」ことをお聞きしました。身近な話ですが、先月から施行されました自転車の法律ですが、まさに政治の負の部分が目立ちます。先日も法律改正に従い、道路走行していた警官が車に轢かれて重傷を負った事件も起きてしまいました。
混乱、事故も無視できませんが、それ以上に現場の警官と市民側がそれぞれを監視していく方向になり始めています。警官は市民を「違反」がないか監視し、逆に市民はスマホで警官を撮影し「違反」を探し拡散する。まさに対立、分断、そして弱体化です。本来は、お互いが手を組み、事故が起きないために力を合わせるはずなのに。
先日、奈良に行き、初めて東大寺の大仏を見ました。当時、飢饉、疫病が流行り人心も荒れていたそうです。現代もそうですが、古代人にとって大自然、災害はあまりに巨大で祈ることしかできなかったと思います。当時の聖武天皇は大仏という拠り所を作り、祈ることで乗り切ろうとしました。
普通、国家的な大事業を行う際は世界の王族、支配者ですと、強制的に徴税し奴隷労働によって完成させますが、日本の場合、天皇は庶民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、庶民も自分たちでわずかな資材を持ち寄り大仏を完成させました。
大仏や宝殿自体がすごいだけではなく、皆が一致して生まれるエネルギーがすごかったのではないだろうか? と感じました。その日本文化が薄れ、壊れ、今の政治、そして庶民も真逆に向かっているのではと感じます。
合宿の中で、先生から目では見えないけれども確かに存在する巨大なエネルギーを見せていただきました。そのエネルギーはやはり凄まじく、窓の木の柱やテーブルが折れてしまった光景は改めて驚きでした。それほどの勢いにもかかわらず、エネルギーが通っていれば怪我をしない。私たちを守ってくださるエネルギーです。みんなで繋がることができる身体、エネルギー。本来はみなひとりひとりが持っているもの。しかし、できる自分とできない自分の両方がありました。
組手での検証もたくさんやらせていただきましたが、特に投げは「投げにこだわる自分」が出てしまうとぶつかりました。しかし、三本移動組手をやった後の感覚をもった時や先生からエネルギーをいただいたときはそのこだわりが消えてぶつかりませんでした。できた自分とできなかった自分(こだわった自分)の両方が存在していました。
先生からエネルギーをいただき、みんなと繋がり一致した感覚を感じた時に内から湧き上がったのは「この感覚を日常でも活かしたい」「日々の生活の中で周りのみんなとこの感覚でつながりたい」でした。
そのためにどういう姿勢で日々向き合うのか、そのための稽古をするためにはを改めて見直す合宿にさせていただきたいと感じました。
改めまして、ご指導とエネルギーをいただき、ありがとうございました。
最後に私ごとで大変失礼いたします。先日、仕事の取引先から「若手新人を数人指導してほしい」という依頼を受けました。正直、教えるということは今の私には器ではありませんが、請けることで自分の器を広げる一歩にしたく思いました。先生のご本にありました「給料(報酬)をもらいながら稽古ができる、ありがたいじゃないか」の気持ちです。
エンターティメント、アニメーションの制作現場は100~200人で1つのものをチームワークで作りますが、みんなでうまく嚙み合った時はこれほど幸せを感じることはなく、逆にスタッフ同士の歯車が狂うとこれほど苦しいことはないと胃を痛くした経験を何度もしました。
先生から何度も見せていただいた「ひとつになる」姿や実践し始めた塾生の姿が道標と励みになっています。まだ全く器ではありませんが、私を信用してくれたお客様の期待と信頼に応えられるよう取り組みたいと思います。
ありがとうございました。
■Y.I 会社員 東京
宇城先生、榎本師範、拓治師範、今回の千葉春季合宿に参加させていただき、誠にありがとうございました。今回の合宿でも多くの学びとエネルギーをいただきました。心より感謝申し上げます。特に、先生による「素粒子を動かす」検証を体験できたことは驚愕でした。これらの検証を通じて、合宿そのものが、私たちが自覚しないまま日常が自滅へ向かって進んでいることに気づかせてくれ、さらに発展へ向かうよう直ちに切り替えなさい、という先生のメッセージを改めて認識する重要な時間と場になりました。
宇城先生は、ここ数年で様々なスポーツの世界戦において日本人の選手が次々と勝つようになることをおっしゃっていました。一見するとスポーツ界を分析した上で日本人の運動能力が全体的に向上したかのように思えます。しかし先生は、各種のスポーツ界で日本人が目立つようになることを日本滅亡の序章と分析されていました。
滅亡への序章に関しては、現在の世界情勢と国内経済からでもすでに滅亡の入り口の前に立っていると思います。ウクライナ・ロシアの戦争収束が未だに見えず、イスラエル・米国とイランの戦争、そこからのアラブ諸国の混乱により原油を踏まえ世界各地での物価高騰、止まらない円安ドル高、さらには農業人口の激減と食料自給率の減少に歯止めが効いていません。
先生がおっしゃっていた北京モーターショーにおいても、合宿の後に調べてみたところ注目されていたのは中国のEV技術力である一方で、本田技研工業はEV開発中止の決定で二.五兆円の損失を計上し、モーターショーでは発表会を見送っていました。このように日本の経済力が衰退しているにもかかわらず、国民の関心を大手マスコミの情報操作によりスポーツに向けさせ続けることが、一部の支配層による手段であるという先生の分析には、異論はございませんでした。確かに大手マスメディアは、どこよりも高い給与を社員に支払っています。それは利益還元を装いつつ、一方で服従を促す側面もあるように思われます。その結果、操作された報道があたかも真実であるかのようにメディアを通じて伝えられ
ることもあり得ます。
それらの分析に加えて、合宿初日に先生はホワイトボードに「自滅」と「発展」の曲線を示してくださいました。その図では、横軸が左から右へ進展(時間の経過)を表し、縦軸は上方向が調和・融合、下が対立・衝突を表していました。
仕事やスポーツが競争原理で人間を動かしているため、競争は常に対立や衝突を生みます。自滅の曲線は、対立や衝突が当たり前になった社会で、時間の経過とともに進展すると断続的な対立や衝突にさらされ、より自滅へ向かうことを示しています。これは前述の時事的な事象を反映していると感じました。
一方、発展の曲線は、対立や衝突から調和・融合へ転換できれば、時間の経過とともに進展するほど断続的に調和・融合が生まれ、より発展へ向かうことを示しています。では、継続的に調和・融合がより発展するとどうなるのか?
その答えとして、究極の具体例を先生に色々な検証で体験させていただいたのです。多くの検証の中でも、大変強い印象に残ったのが二つあり、物体の素粒子を動かす検証、そして、どう出版が開発した「キーホルダー」の検証です。いずれも驚くべき体験です。
まず、物体の素粒子を動かす検証についてです。先生が椅子・杖・棒に掌や指でそっと触れたり、物体から少し離して空中で掌を上下左右に振ったり回転させたりしました。一見すると物体に変化は見えません。しかし、先生が素粒子を動かしたとされる棒を十名ほどの塾生がしっかりと棒を掴むと、その周囲の約三十名がストッパーとなり、前にいる塾生が動かないよう腰を支えました。物質を掴んだ塾生に変化が起きたのです。
先生が掌や指を動かした軌道どおりに、物質を掴んだ塾生の身体が揺さぶられ、その揺れは次第に大きくなりました。やがて四十名強の塾生全体が一つの塊のようになり、一斉に進み始め、先生の合図がない限り止まらない状態になりました。
八名で棒を握ったとき、私も参加させていただきました。棒の内部で何かが動いていることが体感としてすぐに分かりました。動きが自分の体内に伝わってくると、自分ではどうにもできない状態になり、両手を棒から離すことができなくなりました。そのまま先生が描いた軌道で動き、最後は床に倒れ込んだまま棒を握った状態で固まってしまいました。全く動けず、握っている手まで固まってしまいました。手はかなり強く握っており、自分の意志で力を抜くことができません。先生による解除の合図がない限り、その状態は続きました。棒を握った他の塾生も同様の状態になっていました。
椅子や杖の素粒子を先生が手に合わせて動かすと、それらを掴んだ塾生は何十人いても固まり、その後はひとつの塊となって先生の手の動きどおりにドタドタと動き、最後には小走り以上の状態になる、あるいはひとつの塊で床に倒れ込み動けない状態になりました。先生の合図でそれらの状態が解除されます。これらの検証により、先生が求めている調和・融合の進展が、素粒子を動かせるところへ発展できていることの証明となったのです。
次にキーホルダーの検証です。見た目は神社仏閣で販売しているお守りのようでした。検証方法としては、塾生がテーブルを挟んで腕相撲を行いました。通常のルールでも行いましたが、さらに一人はテーブルに手の甲をつけ、もう一人の塾生が上から押さえるという不利な状態でも腕相撲を始めました。そのキーホルダーを身につけた塾生の変化は瞬時に起こり、不利な状態からでも腕相撲をひっくり返すことができました。キーホルダーを身につけると、身につけていない相手は力を出せなくなるように見えました。
その検証の最中、先生はキーホルダーを身につけた塾生に「力を込めなくていい」と指示されましたがその塾生は、力を込める相手に反射的に反応していたようで、力を込めてしまい衝突を起こしていました。そこで先生はその塾生の視線の先に原因があることを瞬時に把握されたようで、手元ではなく少し先を見るように指示されました。すると力を込めない状態になり、力を出さずに腕相撲に勝つことができました。それが“やらせ”でないことを証明するために、押さえつけていた相手側の人数を増やしたのですが、同様の結果となり、さらには複数の塾生が一つの塊となり、腕ではなく身体ごと返されていました。これらの検証も、先生が求めている調和・融合の進展により、自滅への進展中の私たち塾生を一瞬で転換させてしまう、しかもキーホルダー一つで起こせてしまうという、驚くべき内容でした。
検証は他にも数々ある中で、上述に書せていただいた二つの検証が調和・融合で進展していく究極の具体例となり、さらには体験を伴ったことで私にとって大変強い印象となったのです。さらに調和・融合の曲線が示したとおり、この先も先生は更なるご発展をしていくという確信を持ちました。
グループ稽古では、Sさん・Nさんをリーダーのところに入れさせていただきました。今回は、各自で自覚できない身体のしゃくりを認識すると同時に、認識できたしゃくりを出さないように収集しながらサンチン・ナイファンチン・クーサンクー・パッサイの型、そして中川さんとペアになり各種の分解組手に取り組みました。
宇城先生から、ピアノを演奏する人間の脳波に関して、素人だと脳波の振幅が激しくなるのに対し、プロのピアニストの脳波は動かないというお話があったことを思い出しました。「しゃくり」の発端は、意識を用いて身体を動かすことに起因し、意識を用いて身体を動かすことが脳波の振幅を激しくさせる、すなわち脳への刺激は心の状態が影響を及ぼすという気づきがありました。
今回は特に、身体のしゃくり、そしてそれらのしゃくりがどこから発生するのかを改めて再確認する機会となり、また、いかにしゃくりが出ないよう集中したことからか、合宿の時間はいつもよりも大変短く感じました。合宿の後で気づいたのですが、もしかすると、一人稽古を通し、しゃくりを丹念に取っていくことこそが、先生が描かれた進展の曲線を引用すると「自滅」から「発展」への転換点になるかもしれないと感じています。
以上が合宿での感想となります。先生からいただいたご指導を大切にし、発展への転換が図れるよう日々の稽古と仕事に活かして精進してまいります。今後ともご指導並びにご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
■C.N 自営業 千葉
この度も、先生と寝食を共にさせていただける貴重な合宿を開催いただき、誠にありがとうございました。今回もたくさんのエネルギーをいただきました。日常への実践と変えていきたいと思います。
冒頭からできる自分とできない自分の検証に参加させていただきました。何度も体感させていただいている検証ですが、あらためてどちらも同時に存在している事、そして選択によって人生は全く別のものになっていくことを体感致しました。なぜ先生が根気よく繰り返し繰り返し伝えていただいているのか、その本当に一端でしかありませんが気づけた気がします。
床に寝て気を通してもらうと起き上がれない、しかし、足を掴まれたら投げられるそして投げられた人がまた次の人を投げられる、エネルギーは伝播していき身体の上を人が乗っても痛くない。気が通っていない時は起き上がれる、これは一見自由であり世の中の常識、教育からすればいわゆる正解のように見えます。ここしか知らなければこの世界、次元を歩み続けていくのだと思います。実際自分達がまさにそうであったように。
この次元の延長線上の努力が筋トレだとすれば、仮に掴んだ人を無理矢理投げられるほどの筋肉をつけられたとしても、そのエネルギーが伝達していくことはなく、人に乗られる事もできない。不安や怯えは強くなり孤立していく。今の延長線上では何も変わっていかないという事です。
運良く気づけたとしても、どうしたら良いかわからない。今までの蓄積から成り立つAIには計り知ることのできない世界だと思います。この全くの別次元を歩む道を、先生は常に身体を通して伝えてくださり、宇城空手というメソッドまで用意してくださっています。
その中でどれだけ今まで無意識に身につけてしまったものが、大きな邪魔をしているか、そこに毎回では有りますが大きく気づかせていただく稽古となりました。
先生が稽古の中で「これから日本はスポーツの勝ちが増えていく」と言われた場面がありました。「スポーツが栄える国は衰退する」というお話もありました。少し調べてみると、古代ローマで言われた「パンとサーカス」という考え方がありました。民衆に食糧と娯楽(スポーツや見せ物)を与えると、政治や社会問題への関心が薄れ、結果として国家が衰退化する。というようなロジックです。
しかし、現在はこの話をとっくに通り過ぎた、もっと酷い段階だと感じます。先生のお話の方が何倍も厳しい状況を示していると感じます。長い時間をかけて日本の文化が壊されてきて、政治や社会問題への関心が十分薄れてきているという土台があり、賃金の停滞、企業の衰退など様々な問題が表面化する中で、もう難しい問題に向き合うエネルギー自体がなくなってしまい、楽しいだけに心を奪われてしまう様な状態なのではないかと思います。
スポーツ的な積み重ねは部分的な一方向でしかなく、まして次元を変えていく事には繋がりません。これは検証を通して常に示していただいています。できない自分という次元の中にいることは変わらないため、何か変化が起きていくことはありません。
しかし、一般的には「日本は強くなった」感動したなどの声が増えていくのかも知れません。それはある種の現実逃避であり、より一層の衰退への道を加速させていく一要因になるのかもしれないと思います。
そのような雰囲気が日本全体を覆っているからこそ、子供達の未来を国としての未来を本気で考えられないのかも知れません。宇城空手に全ての答えが内包されている事が身体を通して伝わります。
空手を稽古している中で、本当に時折なのですが、自分にというか人間として感動することがあります。それは本当に小さな気づきであれ先生が常々仰る「人間の凄さ」を体感する時です。それは誰かと比べる事などとは全く違う性質のもので、自分達の身体に備わる可能性の片鱗を感じた時です。
一人一人が人間の可能性に気づき、自分の内なる感動を大事に行動していけばエネルギーは増大していくのではないかと思います。
同時に学び方の中に、出来ない自分の延長線上の学び方がまだまだ残っています。立ち方、歩き方一つとっても出来ていない、出来なくなっている自分に向き合わされ、いかに普段が自分に集中出来ていないかを反省しました。そのスタンスのままで宇城空手は学べません。何年やっても一緒と仰られる意味が身に染みます。
何一つとして、今までを引きずって学べるような甘い世界ではない、という事を改めて自覚させていただき、日々の一人稽古に望んでいきます。
一回一回の稽古の場を大事に、先生のご指導を身体に落とし込みながら実践をしてまいりますので、今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。
■M.N 会社員 神奈川
宇城先生。
この度も大変素晴らしい稽古合宿に参加させていただき誠にありがとうございました。
合宿において宇城先生よりいただいた学びは、途轍もなく深く、想像もできないほど高い次元の体験ばかりでした。感想文を書かせていただくにあたり、合宿での体験を思い出すたびに、今も新たな気づきを得させていただいております。
おそらく、宇城先生から教えていただいた内容は、長い日本の武術の歴史のなかでも、極意のなかの極意ともいえるものばかりであったと思います。このような武術の極意の多くは、歴史的には、師匠がごく僅かな弟子に伝えるか、術技が高度すぎるゆえに失伝されていってしまったのだと思います。
しかし、宇城先生は、そのような高度な術技につながる検証や体験を、全ての塾生に惜しみなく伝えてくださります。その伝えてくださる方法は、知識ではなく、礼などの「所作」や「意識」の使い方により、誰もが一瞬で身体を変化できるものです。そしてさらにその先の「所作」や「意識」だけでは体現できない、言葉では説明できない無意識領域にある、歴史上の剣聖や達人だけが身に付けたであろう極意さえも、宇城先生の気によって疑似的に体験させていただいております。歴史的にみても、本当にあり得ないことを私たちは体験させていただいているのだと思います。
合宿で得させていただいた様々な経験は、空手においても実生活においても、社会問題をみる視点においても、物事の本質や真理へ向かうための大きな手掛かりとなり、このような学びを受けさせていただくことが、どれだけ有難いことなのかを改めて感じております。
宇城先生に気をかけていただいた、「指が開けない無意識状態」での身体の変化の体験などは、私たちが型の稽古で目指すべき状態を先取りして教えていただいたように思いました。いくら言葉で無意識の状態が大切だと言っても、結局は「知識」「屁理屈」「妄想」「スピリチュアル」などに脱線してしまいます。
宇城先生の言われた、このような顕在意識による「こじつけ」が、日本の高度な文化や技術が失伝してしまった要因の一つであったように感じました。しかし宇城先生に気をかけていただくと、自分の意識が自分の身体に伝わらない「無意識状態」に一瞬で変化しました。そして、その「無意識状態」では簡単に相手を投げたり、動かしたりすることができました。
自分一人の身体で、指を動かせない無意識状態と、相手を投げられるという身体変化を、同時に体験させていただきました。宇城先生より体験させていただいた「無意識状態」から引き出された身体的な強さは、「事実」でしかなく、そこに余計な「こじつけ」が入る余地はありません。
検証において、「もう既にできている自分」を体験させていただいた以上、あとは、どうすればそのような状態を自分で再現できるのかを、型の稽古によって徹底的に追及していかなければならないのだと思いました。
合宿でのグループ稽古では、指導の補助をさせていただきましたが、そこでも型の大切さや奥深さを通し「無意識」ということを感じさせていただきました。グループの皆様に指摘させていただいた内容は、今の自分が身に付いていないものや、気づいていないものを指摘させていただくことはできませんので、これまでの経験を通し自分なりに腑に落ちているものを伝えさせていただきました。
そのなかでも、宇城先生よりこれまでに教えていただき、さらにそれを師範稽古などで榎本師範からより重点的に教えていただいた、「中心」「守る」「肘を入れる」「肘を伸ばす」「仙骨」「前後左右上下のバランス」などを中心に指摘させていただきました。
自分ではできていなくとも、外面的な他人のできていないところは客観的に見れる場合があるので、それを指摘させていただきました。しかし、指摘させていただいた後で、「本当に自分もできているのか?」という気持ちになりました。後で、皆様に指摘させていただいた内容を自分自身でも復習すると、一人稽古では気づけなかった、できていると思い込んでいた個所や、雑な動作をしている箇所が複数見つかりました。
グループの方がされていた型は、全体的には皆様きれいな型をされておられ、そこまでおかしいと感じることはありませんでした。しかし、それと同時に感じさせていただいたのは、型はきれいでも漫然とゆっくりと型をしているように見えた点と、型はきれいでも分解組手になると形が崩れている点でした。
今振り返ると、きれいで漫然とした型は、組手を想定していない型であり、分解組手で型の動きになっていないのは、組手に型を使えていないことなのだと思いました。
今回指摘させていただいた「中心」や「守る」などの多くは、一言で言えば型の通りに動くことであり、分解組手は、相手が攻撃してきても型の動きを崩さずに、相手に意識を奪われないための稽古なのだと思いました。
また、今回改めて感じたのが、型通りに相手に入ると、自分の急所を守り、かつ、相手の複数の個所を攻撃できる姿勢に自然となるように型が作られていることでした。特にそれを感じたのが、猫足立ちで相手に入る際に、相手の中心に足を出すように指摘させていただいた時でした。
これは、榎本師範より何度もご指摘をいただいている内容です。師範は足の動きだけで相手を止めてしまいますが、そのような高度な技は私にはできませんので、「とにかく出した足は相手の中心に向かって出してください」と伝えさせていただきました。
その時にフッと、相手の中心に足を出すことで相手の金的を蹴れるが、相手からは蹴られない態勢になるのだと思いました。逆に相手の中心に足を出していない人は、自ら相手に金的を蹴られる態勢になっていました。
今更ながらではありますが、こうした型の一つ一つの動きのなかに、多くの先人が生死を賭けて繋げてくださった知恵や遺産が眠っていることを感じさせていただきました。そのように思うと、伝統の型を遺してくださった先人の皆様に、もっと感謝の心を持って稽古しなければならないことを感じました。
皆様に感じさせていただいた内容は、そのまま自分に当てはまることですが、型ができない、型が組手に使えない主たる原因は、型の深さ、凄さに気づいていないことと、組手において相手を意識していることだと思いました。
特に、相手を「突こう」「投げよう」「受けよう」という「対立・衝突」の意識や動作は、自分の身体や動作を滅茶苦茶にしてしまうことを、他の方の組手を何度も見させていただき改めて強く感じました。反対に、型の深さ、凄さに気づき、型に集中すればするほど、宇城先生の仰る、「大切なのは相手ではなく自分である」ことに徐々に気づき始め、それと同時に、相手への意識も薄まっていくように感じました。
また、普段の自主稽古において、宇城先生の仰る「樽桶の法則」の大切さをいつも感じさせていただいておりますが、今回の合宿でもその大切さを改めて感じました。空手の技は、一つの癖や姿勢を直したらできるようになるものではなく全ての動きが型に嵌り、それらが無意識化されることで初めて一つの技になるのだと感じました。
二重課題干渉という理論でも指摘されていますが、人は二つ以上の動作を同時に意識して行えないと一般的に言われています。私も型に関する複数のご指摘を同時にいただいた時には、頭が混乱してしまい、結局一つもできなくなることがあります。
何か一つの癖や姿勢を直して技ができる場合は、それ以外の個所が正しい動きをしていて、最後の樽桶の板が外れている場所がそこの個所だったということなのではないかと思いました。
そのためにも、宇城先生や師範よりいただいている型のご指摘を一つ一つしっかりと直し、かつ、無意識にその形になるまで稽古を繰り返さなければ、分解組手で型が使えるようになることはなく、型の稽古をしている意味もないのだと感じました。
また、樽桶の法則でも感じたのが、「対立・衝突」が諸悪の根源だということでした。自分も同じですが、敵対意識や攻撃意識が強い状態の時ほど、中心から外れ、守るが無くなり、肘が開いたりするなど、せっかく型で身に付けた動きが全て壊れてしまいます。まさに樽桶のタガが外れ、全てが滅茶苦茶になってしまうのが、「対立・衝突」なのだと思いました。
綱引きの検証では、空手だけではなく、世の中全体の仕組みが「対立・衝突」になっていることと、その弊害を大変に分かりやすく教えていただきました。宇城先生より、様ざまな綱引きの勝敗のケースを拝見させていただき、私たちが小さい頃から教わってきた「知識教育」「筋トレ」「気合い」など、私たちが成長するために行なってきた「努力」や「根性」が完全に間違っていたことを改めて痛感しました。
私たちが一生懸命に行ってきたこれらの行動は、成長するどころか、生まれながらに完成形である、人間の「人間性」「人間力」を使えなくする効果しかないのだと思いました。宇城先生が「寝てる方がましや」と言われましたが、現実の検証でも本当にその通りの結果となりました。
「寝てる方がまし」なほど今の世の中は全てが狂っているのだと思いました。 今の知識偏重の社会や、顕在意識と部分体強化のスポーツにどっぷりと浸かっている私たち現代人が、宇城先生の仰られる「人間性」「人間力」を引き出し、それを身に付けることなどできるはずもありません。そのような人間が本来持っている力に気づかれ、それを開発する方法論を構築されている方は宇城先生しかおられません。
おそらく、宇城先生がされている、「人間性」「人間力」を引き出し、復活させるメソッドは、AIでも永久に開発できないと思います。少なくとも、身体のない、知識の集合体でしかない今のAIには不可能です。万万が一、そのような回答をAIが情報を「こじつけて」答えたとしても、受け手の人間側の方がAIの回答を理解できません。そして、宇城先生のように「できない」を「できる」に一瞬で変えることは永久に不可能です。
「AIに負ける」という言葉を多く耳にするようになりましたが、そのような「勝つか負けるか」という発想自体が、「対立・衝突」の意識が今の世の中に蔓延している証のように感じます。「人間性」「人間力」という言葉のとおり、今の人間に求められているのは、AIなどを寧ろそのきっかけとし、人間にしかできないことに気づき、それを磨いていくことだと思いました。そして「人間性」と「人間力」を磨き成長するためには、師匠の存在が絶対です。
宇城先生のお言葉やご著書に書かれている内容は、聞かせていただくたび、読ませていただくたびに、いかに自分が何も分かっていなかったのかを、何度も気づかせてくださいます。
宇城先生は、一人ひとりの塾生の成長を見定め、塾生の成長に繋がるための教えや検証を日々考案され、私たちの変化を促してくださいます。過去、現在の自分が分かっていなかったことに気づくことこそが人間の成長であり、全てを分かった気にさせるAIに人間を成長させることなどできません。師匠の深い愛情と師匠に信じ付いていく弟子との絆だけが、人間を成長させるのだと思いました。
宇城先生よりいただいた唯一無二の学びから、改めて人間の無限の可能性と、大きな希望を強く感じさせていただきました。
この度の合宿での素晴らしい教えの数々誠にありがとうございました。


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