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誰の中にも、「気」を感知する細胞はある ― 小林信也 道塾見学記 ―

  • 2 日前
  • 読了時間: 12分

〈頑張る人〉より〈寝ていた人〉の方が強い


道塾が始まって、最初にした実践は、『三人対三人の綱引き』だった。

空手着の帯を伸ばし、左右それぞれ三人ずつが向かい合ってこれを引き合う。

同じくらいの体格の男性三人が引き合うと、拮抗してなかなか勝負がつかない。そこで勝負を中断し、宇城先生がそれぞれに指示を与えた。


片方の三人には、万全だと思う準備運動をするように言い、それが終わると三人で声をそろえ、握った拳を振り上げて「頑張るぞ!」と叫ぶ。

他方の三人には、その場に横になるよう指示し、「勝負までゆっくりしとって」と、笑いながら指示した。


常識で考えれば、準備運動をし、気合いを入れた方が勝ちそうに思う。だが、勝負が始まるとその差は歴然。床に寝ていた三人の方が圧倒的に強く、相手を楽々と引っ張り込んだ。



奥の三人は「頑張るぞ!」、手前の三人は「勝負までゆっくり寝ている」 「Go!」の掛け声で手前の三人が奥の三人を引っ張り込む




「みんな騙されているんや」

宇城先生が言った。


準備運動、拳を握りしめての気合の雄叫び。いずれも見た目には力が湧いてきそうだが、内面は浮いて、心技体の一致が生み出す本質的な力が湧き上がる状態にはほど遠い。しかも、「勝ちたい」「勝つぞ」と意識すればするほど、身体は部分化し、心と身体はバラバラになる。

一方、何もせず寝転んでいた三人は、「勝ちたい」「勝とう」という意識もなく、ただ無心に綱を引き、身体の中から自然と湧きあがる次元の違う力に自分自身が驚かされる結果になった。


「奴隷の知識を教え込まれているんや」

宇城先生が鋭く言った。


大衆は、一部の支配層に隷属し、支配されている。社会が「教育」だと信じていたものは、普遍的で慈愛に満ちた人間教育ではなく、支配層にとって都合のよい、大衆を奴隷化するための方策だと理解すると、すっきりとカラクリが見えてくる。


私たちは残念ながら、生まれてからずっと、自分の中に眠る潜在能力を育み開花するための触発を重ねてきたのでなく、むしろ才能を閉ざし、支配者に都合のよい刷り込みを施されてきたにすぎない。

道塾で自分の中に眠る潜在力を実感させてもらうたび、

(なぜこの力は封印されたのか?)

(この力を開花させるような教えも導きも、子どものころからほとんど経験しなかった)

と気づかされる。



スポーツは奴隷を作るのに最適な分野だ……

 

「スポーツは、奴隷工場なんだよ」

道塾の途中で、ふと宇城先生がつぶやいた。


世間では、「スポーツは健全な心身を育てる」と信じられている。だから、子どもたちがスポーツに打ち込むことを大半の大人たちは応援する。

「スポーツなんて、やらない方がいいぞ」

と大きな声で諫める人は少ない。もしいたとしても、周囲から批判を浴びるだろう。それが現代日本の〈常識〉だ。誰もが、スポーツは「いいものだ」と信じている。


私は鈴木大地氏がスポーツ庁の長官だった時、長官室を訪ねてインタビューをした経験がある。東京2020の招致と開催のための法的根拠を整備する必要に迫られ法制化した〈スポーツ基本法〉について、疑問を感じていたので、そのことを質問した。

スポーツ基本法は、いくら読んでも「スポーツは良いものだから、国をあげて推進する」と書かれている。スポーツにはイジメや対立を生む悪しき側面もあることには一切触れられていない。ネガティブな記述はドーピング問題への対応くらいだ。そしてもちろん、スポーツ基本法が想定しているのは、国際的な流行上にある〈スポーツ〉であって、日本の法律でありながら、武術的な価値や意義には言及されていない。


「スポーツには、身体や心に傷を負う、危険な側面もありますよね。でもスポーツ基本法には『スポーツはいいものだから推進する』としか書かれていません。これで十分な法律だと思われますか? スポーツの課題や問題点を共有することをなぜしないのでしょう?」

私は鈴木長官に問いかけた。

長官室には、長官と私のほかに複数の官僚たちがいて、取材を注視していた。

鈴木長官は、少し考えた後、きっぱりとこう答えた。

「スポーツは『いいもの』なんです」


宇城先生は、こんな風にも言った。

「スポーツの勝利至上主義はビジネスになりやすい。スポーツの勝ち負けにみんな熱中するやろ。問題は、そのスポーツビジネスが〈消費〉に過ぎないことや」



力に頼るスポーツが潜在能力を潰している


三対三の綱引き。寝ていた方が強いという実証は、幼い頃からいつだって「頑張れ」と教えられてきた親、先生、大人たち、仲間たちの叱咤が的外れで、むしろ力を削ぐ逆効果を心身に刻みつけてきたことを知らされる。いまこうして実例を挙げて解説しても、にわかに信じない人の方が多いかもしれない。それほど間違った刷り込みは根深く私たちを蝕んでいる。

寝転んでいた方が強いなんて、「常識では考えられませんよね」と言った時、宇城先生は即座にこちらの言葉をさえぎって、手を左右に振った。

「それは常識と違うで。洗脳された、間違った思い込みやろ。教育は、才能を全部ダメにしているんや」


宇城先生がホワイトボードにグラフを描いた。

横軸は時間(秒)。0から右へ、0.1、0.2、0.3…と続き、0.2から0.5秒に「無意識」、0.5秒から先に「意識」と書き込んだ。

これもすでに過去の道塾で学んでいるが、人間の潜在能力は0から0.5秒の間に集約されている。ところが、現代人の思考や行動は、ほとんど0.5秒以降の〈意識下〉で支配されている。一個人の思考や行動には無意識の領域が息づいているにしても、無意識下の価値観が社会で共有される機会はほとんど無くなっている。

この事実こそ、現代人が「奴隷化されてきた証」であり、潜在能力の開発に教育が一切関与しない事実を示している。そして、意識の領域で生きる悪しき習慣(癖)を叩き込むことで、本来誰もが持って生まれた潜在能力を封印する。


宇城先生が道塾で繰り返し塾生に体感させてくれているのは、無意識領域で自分が行動した時の〈質も次元も違う力〉の発動だ。私たちが常に無意識領域で、細胞に任せて行動すれば、〈できる自分〉で生きることが可能だ。ところが、頭脳の命令で筋力を部分的に動かす意識下での身体習慣を植え付けられて、私たちは奴隷化してしまっている。



日本文化を潰そうとする戦略と仕掛人


「最近は、給食をたべるとき、『いただきます』を言わない学校があるらしいな」

宇城先生が呆れたように言った。

国際化を基準にして、国際基準にない習慣は「価値のないもの」あるいは、「古くて弊害の多いもの」のように主張する勢力が台頭している。根拠のない精神論も厄介だが、本当は深い身体文化と密接につながっている生活習慣まで「悪しき精神論」かのように一掃する動きに注意が必要だと、宇城先生は指摘した。

「英語には『いただきます』に当たる言葉はないらしいな。だからこれからは言う必要がない、じゃないんだよ。『いただきます』『ごちそうさま』は日本の文化や。この習慣を無くそうという動きは結局、日本潰しを画策している勢力があるってことや。スパイがいると思った方がいい。日本人は洗脳されやすい民族やから」



椅子という物質の内部にもエネルギーが宿る


道塾の前に取材で話を伺った中で、

「隣の椅子に、指先を軽く置いてごらん」と言われた。私は、左手の指先を椅子の座面に軽く立てて置いた。

「何もないわな」

宇城先生が確認した。私は「はい」と答えた。椅子の座面の素材感を指先に感じるだけで、それ以上のことはない。

「ところが、こうすると、どうや?」

言いながら、宇城先生が椅子の上方で開いた手のひらを回し、波動を起こすような動作をした。そして、もう一度先生に促され、指先で座面に触れる。すると、感触がまったく違った。

「!」、思わず目が見開いた。

「わかるやろ」、先生に言われ、思わずうなずいた。私はこうした感覚が鋭い方ではない。どうしても頭が邪魔をするからだ。しかし、この時ははっきりと感じた。座面の内部で、明らかに回転が起こっている。

(椅子は動いてこそいないが、椅子の中は回っている……)

「本当はもう動いているんや」、宇城先生が言った。「一人やから椅子自体はまだ動かないけど、何人かまとまれば椅子が動き出す」


「僕らには〈固体〉に見えている椅子や机や椅子も、本当は固体と決めつけているだけで、内部にエネルギーがあるってことですか?」

思わず訊いた。おそらく、宇城先生には固体も流体に見えているのではないか。

「だから言ったやろう、常識なんて、洗脳された思い込みにすぎない。教育によって、奴隷化された結果なんや」


我々が常識だと思い込んでいる何もかもが、洗脳と思い込みの産物。学校や社会常識で教え込まれた先入観のすべてを捨て去って、物の見方・感じ方をゼロの状態にリセットしたい……。自分の中で、常識で形成された知識という建物が崩壊する感じがあった。それは心地のよい再生の始まりに感じられた。

「地球は太陽の周りを回っていると言うけどな、いま宇宙のどこを彷徨っているかはわからないんやで。同じ空気には二度と触れてないと思うわ」

宇城先生の言葉にハッとした。それは、静かだが小さくない衝撃だった。

(地球はいま、宇宙のどこを彷徨っているのか、わからない)


宇城先生が言葉を続けた。

「地球と月が太陽の周りを回りながらバランスを保っていることはわかっている。だけど、宇宙の同じ場所に居続けているわけじゃない。太陽を中心に、地球と月は宇宙をさまよい続けている。人間はまるでこの場所にとどまって制止しているように感じているけど、ものすごい勢いでいまも回転し、移動しているんや。人間はさまよい続ける〈地球号〉に乗って旅を続けている」


それを聞いて、ますますこれまでの常識がいかに寝ぼけたものかを痛感した。激しく動き続ける地球号の上で、呼吸も思考も止まった人間は有能な乗組員になれるはずがない。止まった人間は所詮、奴隷として生きる以外に道はないだろう。



エネルギーを持った100人が繋がれば《100人力の巨人》になる


椅子の座面に指を置いて感じた変化を、道塾では数名の塾生によって実証した。

会議用の長テーブルの上に手のひらを置く。ひとりでは何も起こらない。ところが、10数名がそれぞれ手のひらを長テーブルに当て、宇城先生がエネルギーを注ぐと、長テーブルは実際に動き出し、回転し始め、抑えた10数名が全員その動きに巻き込まれ、振り回された。自分の意志でこれに抗うことはできない。そして、振り回されて倒れ込んだ後も、倒れた姿勢のまま自分の意志では動けない。それでいて、誰かがその足を動かそうとすれば、逆にわずかな足の動きで倒されてしまう。

「エネルギーが伝達しているからだ」

これが何を意味するのか?

私は、この日最も知りたかった答えの入口にたどり着いた気がした。


「このままでは日本は沈没する。もう時間がない。急ぐ必要がある」

宇城先生の危機感あふれるメッセージを受けて、私はこの日、取材に伺った。

世間では、憲法改正(改悪)に反対する動きが広がっている。『国会前に3万6千人が集まった』『憲法記念日の集会に5万人が参加した』などと伝えられるが、大半のマスメディアには黙殺され、大衆の声が事態を動かす力になれるかどうかまだわからない。反対を叫ぶだけで、大きなうねりになるだろうか。政治権力という強大な力をくつがえす変革がどうしたら起こせるのか。その手がかりをつかみたかった。

「ひとりの力は限られている。だが、エネルギーを持った100人がまとまれば、それは《100人力の巨人》になる。それがいま必要だ」

メッセージにはそう書かれていた。言葉どおりに想像すると、すごいことが起こりそうな期待がふくらんだ。しかし、取材の会話の中でも、道塾でも、そのためにどうすればいいのか、確たる答えをストレートに聞かされることはなかった。宇城先生のように気を自在に操れるわけじゃない私たちが、どうやったらひとつに繋がって、《100人力の巨人》になれるのか?

いや、宇城先生は目の前ではっきりと、その答えを提示してくださったのではないか?

ふと気がついた。ひとりでは椅子は回らない。だが大勢が手を添えたら、椅子どころか会議用の長テーブルが実際に回りだすのだ。ここに大きな手がかりがある。



手も触れず瞬時に集団を倒す。集団が倒される。

 

道塾の最後に一人対大勢の腕相撲を実践した。これまでにも何度も実践し、目にしている光景だ。今回はその“破壊力”が並外れていた。まずは塾生のひとりが大勢を相手に腕相撲をする。手を握る相手は大勢の中心にいる人物だが、その人の腕や肩を二重三重に後ろから押さえて加勢する。たったひとりでこの大群に腕相撲で勝つのは自力では無理だ。いや自力とは言うまい、「できない自分の状態では」と言うべきだろうか。


パラレルワールドでは、常に「できる自分」と「できない自分」が同時に存在する。奴隷的な教育を施されてきた私たちは、どうしても「できない自分」で日常のほとんどを過ごしている。これを宇城先生のエネルギーで「できる自分」に変換すると、たった一人で、大勢を身体ごと倒すことが容易になる。

さらに、これを宇城先生が実践した。しかも、集団の中央にいる相手の手に自分の手を合わせることもせず、少し離れた場所から、腕相撲の仕草で右手のひらをクルッと裏返す。その瞬間、十人以上の大群が「オーッ」と声を上げて大きく崩れた。


「もう一度」と言って、もっと素早く手のひらを返すと、やはり瞬時に集団は一斉に左方向へ倒れ込んだ。エネルギーの発動と伝播に塾生たち全員が目を見張る。

(宇城先生のエネルギーは凄まじい。前回よりさらに強大化している……)

目の当たりにした誰もが、そう感じただろう。


だが、待てよ、私は〈忘れてはならないもうひとつの真実〉に気づかされた。

どうしても宇城先生の存在に目を奪われ、つい見落としがちだが、宇城先生は自分のエネルギーがいかに強大かを知らしめたくて、これを実践されたのだろうか?

宇城先生が、手も触れず集団を倒した。

集団もまた、手も触れてないのに、宇城先生のエネルギーを感知して、抗うこともできず倒れ込んだ。そして、倒れたまま動けない。動けないのに、誰かが足を持とうとすれば、わずかな動きでこの人を投げ飛ばすことができる。意識的に言えば、自分が宇城先生のエネルギーを瞬時に受け取ったことも、自分がそれで強くなったことも、まったく自覚できていない。しかし、明らかに無意識領域でエネルギーを感知し、倒れ、細胞はエネルギーを受け取って身体の内部から力が湧き上がっている。

人間には、そういう潜在能力がいまも備わっている。そのことの偉大さ、それをまるで倉庫の不良在庫のようにしてしまっている愚かさに気づくべき時だ。

誰の中にも、感知する細胞は息づき、潜在力は瞬時にして発揮される。この細胞の秘める無限の能力に任せる生き方こそ、いま私たちにできる〈ひとり革命〉だと宇城先生はずっと発信し続けておられるのではないだろうか。改めて、そう気づかされた道塾となった。


小林信也 


(2026.5.12受講)



大勢を相手の“腕相撲”

宇城先生が手のひらを反すと、がっちりと構えた塾生はなすすべなく崩れていく



仰向けの二人が足を掴んでくる相手を投げようとするができない 宇城先生に気を通されると瞬時に「投げられる自分」に変化する

投げられた人はまた、掴んでくる相手を投げることができる

「できる自分」は連鎖する

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