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2025年 第1回 関西教師塾が開催されました

1月26日(日)、ハートピア京都にて午後からの京都実践講演会に先立ち、午前の部では近畿地方を中心に28名の教員及び教育関係者が集まり、第1回の関西宇城教師塾が開催された。


冒頭、政治、スポーツなど様々な例を挙げながら人間が潜在能力に蓋をされ、劣化している現状、しかしながらAIの発達により、このままでは人間の能力をAIが追い越す可能性があること、しかしながら人間にしか出来ないことがあるということをご指導いただいた。





スポーツにおける走り方の指導から実践は始まった。足を前に出すという既存の指導では足は上がらず、身体も軽くなるが、宇城式の指導では足は上がり、身体も重くなるという変化を体験することが出来た。参加者はその体感の違いに驚き、喜びを隠せなかったが、宇城塾長から「現在の教育の問題がここにある」という問いかけと共に、すぐに子どもたちに見せたがるという教員の癖を指摘いただく戒めとともに、その実践を自身で深めていくことの大切さに気づかせていただいた。



従来の指導では足は持ち上がらず、身体は部分体となり軽い



宇城式指導では足が持ち上がり、身体は統一体となり重くなる




その後は、宇城先生の常識を超えた気の実証を体験させていただいた。常識、知識に囚われない自分が未来を変えるということを身体を通じ気づかせていただいた。



宇城先生が気を通すと、箱が堅くなり固定され、箱を動かしたくても動かすことが出来ない。




大人数になればなるほど、その実証は明らかになることから、大人数=力が強いという一般的な構図は立ちゆかなくなる。




宇城先生が物体に気を通すと、そのエネルギーが周囲に伝播する。




筋力では押さえられた手を持ち上げることは出来ない。宇城塾長の著書をタブレットに写し、そこに手を当てると押さえられた手を持ち上げることができる。自身にエネルギーがあれば、形を変えても伝播することを学んだ。





2時間という短い時間ではあったが、宇城塾長から教育の根幹に気づく、立ち戻る時間となった。受講生の一人は、日々の教育現場では保護者からの苦情に悩んでいたが、宇城塾長のご指導を受け、心が温まる思いになりやる気を再び起こすことが出来たと述べる受講生もいた。

講義の節目では、人間本来の持つ能力の素晴らしさであったり、「立場で指導する」という教員の過ち、「生きるを考える生徒」、「深さを求める生徒」など私たちの行動の指針となるお言葉をいただいた。

午前の部では自らが体験し学び、午後からの実践講演会では生徒への実践を見て学ぶという充実の一日を過ごさせていただき、それぞれがエネルギーをいただき各学校、教育現場へと戻った。





 

参加者の感想

 

【奈良 中学校 男性 30代】

 

本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございました。教育とは、「育み、教えられるもの」と教師塾で教えていただきました。日々子どもたちと向き合っているとその言葉の重みを痛感させられます。自信がない、集中が続かない、言い訳する、茶化す、誤魔化す、真剣さが足りない・・・・そのような子どもの姿を見たとき、笑えませんでした。教師として、自分は何を伝えられているか・・・自分が変われば周囲が変わる・・・子供は大人の鏡


 「生」と「死」についてお話いただきました。生きるという事は、死ぬという前提のもの。「死」を怖れ、おびえていてはいけない。目を背けてはいけない、タブー視してはいけないとおもいました。教育者として、そのことを子どもに伝えていかなければなりません。人生の目的は「死ぬ」ことだと感じています。明日死ぬかもしれない、人生は2度ない、それが本当に分かったときに自分の命は輝きだすのだと感じました。意識では心臓を動かすことができない「生かされている」。その生かされている命をかけて「生きる」。明日死ぬかもしれない、死ぬときを人生最高の状態で迎えるように「生ききる」。最近、小児がんのため6歳で亡くなった子どもの本を読みました。その子は抗がん剤治療や病気の進行に苦しみながらも、日々の当たり前に喜び、死ぬ間際まで宿題に取り組んでいました。その姿に涙が止まりませんでした。宇城先生は私たちに「命をかけて教育しないとアカン」と教えてくださりました。いつもそうですが、宇城先生は大きな愛情で我々を包んでくださり、厳しさを持って心に火を灯してくださいます。そのお姿を自分の中に写し、まさに命をかけて子供たちと向き合い、心に火を灯していきたいと感じました。本日、宇城先生に「気づかせて、変えようとしてるんや。落ち込むことはない。楽しいやろ。」とお言葉をいただきました。そのお言葉を励みに自らにエネルギーを充満させ、太陽となれるよう、明日からいい顔してがんばっていきます。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

【岐阜 高等学校 男性 40代】

 

今年最初の教師塾でのご指導ありがとうございました。2025年は変革の年という言葉に緊張するとともに、身が引き締まる思いが致します。教師塾では私たちの置かれている状況を的確に踏まえながらのご指導となり、まさに日常に生きる宇城先生からのご指導を受けることができます。


 「学校の荒れ」。今年度は高校2年生を担当しています。彼らは中学校入学時に全国的な休校を経験し、その後中学3年間学校行事や部活動だけでなく、社会的な活動や人間関係をも制限されてきた学年です。多感でありながら、感性が豊かであり、人との交わりの中で喜びや葛藤など多くのことを学ぶ重要な3年間を、人と距離をとりなさいと言われながら過ごした世代です。


 そのせいかどうか、高校入学時より本当に問題の多い学年でした。宇城先生のおっしゃった、「学校の崩壊」状態でした。飲酒や喫煙や暴力行為などの明らかな問題行動だけでなく、ちょっとした人間関係のもつれやいざこざがあっという間にとんでもない大きな問題となってしまい、そこにモンスターペアレントとよばれるような保護者が怒鳴り込んできて…。このようなことが何度あったかわかりません。当然教室や廊下はゴミだらけ、誰かがいじめられたり、心無いふるまいをうけたりして泣いている、自転車や教科書などがしょっちゅう紛失する(盗まれる)…そんなことは日常茶飯事でした。私は学年主任という立場でしたので、あらゆる問題が私のところに持ち込まれ、その都度対応に追われました。


 こんななかで2年を過ごし、このところなんとかようやく落ち着きが見られるようになってきました。まだ終わったわけではありませんが、この2年をなんとかやってこられたのは、間違いなく宇城先生の教えのおかげです。保護者が怒鳴り込んでくるたびに、いつも教師塾や道塾で私の体に刻んでいただいている「気」を通していただいた自分の身体を思い出し、それをもって保護者との面談の席に臨みました。その時私には、今回先生がおっしゃった「怯え」がいつも心にありましたし、逃げてしまいたいと思ったことも度々でしたが、おかげで不思議と毎回どの保護者も最後には「ありがとうございます。よろしくお願いします」と言っていただけて問題が解決にむかっていくということがほとんどでした。これらの結果は、もちろん私一人の力ではなく、同僚や管理職の助けがあったことが大きいのですが、それでもなお、その助けすらも宇城先生のご指導を受けていなければ得られなかったと思っています。今回のご指導で、改めて元気と勇気と、前に進んでいくエネルギーをいただきました。今の担当する学年の卒業まではあと一年ですが、彼らが少しでも元気に、明るく、そして生きていくエネルギーを得て卒業していけるようにがんばろうと決意を新たにしています。


 宇城先生が以前よりおっしゃっていたことがどんどん現実のものとなっています。私が経験している学校の荒れだけでなく、立て続けにおこる通り魔事件やテレビ業界のスキャンダル、政治のとどまるところを知らない腐敗などの負の現実、それだけでなく震災直後から東北からどんどん立派な人間が出てくるとおっしゃっていたポジティブな現実も次々とその通りになっています。私にとっては、「今」から「未来」が見えるようになることも大切ですが、それ以上に私の日常において「今(一瞬)」を大切にし、そのレベルや次元をほんの少しでもいいから高めていかなければいけないのだということが実感しています。


個人的なことになりますが、昨年秋ごろより妻が妊娠していました。妻の年齢も40歳を超えていましたが、もう一度子育てができると、夫婦ともどもひそかに喜んでおりました。しかし年末の健診のエコー検査で異常がみつかり、検査したところ21トリソミーのダウン症であることがわかりました。しかも胎児の状態から「無事に生まれてくるかどうかもわからない。生まれてきてもどれだけ生きられるかわからない」との診断で、結局年明け早々の検査で胎内での死産がわかり、つい先日火葬を終えたところです。恥ずかしながら、まさかこんなことが自分の身に降りかかるとは思っておらず動揺しました。こうなるに至るまでの私の振る舞いを顧みることになりました。どんどん過ぎていくこれまでの日常の中で、今この一瞬を本当に大切にしてきたのか、自分の都合や欲で周囲に迷惑をかけてこなかったと言えるか、何より私自身が真剣に生きているのか…。

 「初心に戻る」。もう一度どころか、これから何度でも初心を忘れず、初心に戻り、謙虚に学び続けたいと思います。今年もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

 

【京都 中学校 男性 40代】

 

今年は大きく時代が変わる転換期。何度も先生が仰っていたように時代が変わる。だからこそ先生の教えである人ではなく、人間。間や繋がり、目には見えないものが大切になることを今回先生の検証で見せて頂き感じさせて頂きました。昼からの講習会では学ぶ姿勢がない生徒たちの姿がありました。真剣さそして信頼から得られる素直さがいかに大切か、そうしてしまったのは我々大人、親、教師と言っても過言ではありません。素直な自分なくして宇城先生がいかに素晴らしい教えや実践をしてくださってもそれはただの現象でしかありません。凄いと感動できる素直な心。頭で理解する理解ではなく、心ありでしか成長や変化はないのだと学びました。まさに愛そしてそこから生まれる信頼です。だからこそ生徒の前に立つ教師は勉強に勉強を知識としても、そして学ぶ姿、姿勢も含めてやっていかないと、ますます心なんてどうでもいい。インスタント、ハウツーの横着な人を大量生産してしまいます。しかし、それもただ悩んだり手をこまねいているのではなく、本物に触れる。学ぶ、そして日々の日常の中で学びを実践し、自らの学びを深化していくこと、深化するためには凄いことができるという体験。そしてそのことをできるにすること。俺は凄いで教えるのでなく、できるということを教える。どう学んだか、どう教えたかでその子の未来が決まってしまう。目の前のことに対して恐れるのか怯えるのか、そういった心を作っているのは間違いなく教育です。目の前にいる大人の伝え方、対応、空気。ただ教員免許証の資格で教えるのか、それとも心ありきで教育をするのか、マニュアルの1は1でしかない。先生が仰るように老人を大切にという標語ではダメですが、老人を大切にする心を育てた時には、1ではなく、その1から様々な行動や変化が生まれます。


今日私は左肩の治療もして頂きました。iPadに簡単な人体の絵を描き、左肩の痛みが引きました。手で触られたり何もしていないにも関わらず、改めて人間は宇宙の産物、そして細胞に働きかける気の可能性を感じました。参加した子どもたちは大人以上に感じるものがあったはずです。新年早々まさかという事件や事故が立て続けに起こっています。自分という人間ができることは微力ですが、無力てばないです。それを先生は今日示して下さいました。人ではなく、人間としてまず自分の周りからできることがあります。自分たちが受けてきた小さい世界では先生が仰る変化の時代には間違いなく取り残されます。気を引き締めて、自己のエネルギーを高めていきます。本年度も深化できるよう精進します。今後とも御指導宜しくお願い致します。

 

 

【奈良 中学校 男性 30代】

 

宇城先生、本日はお忙しい中教師塾を開催していただきありがとうございました。教師塾事務局の先生方並びにどう出版の皆様方にも、この場を借りて御礼申し上げます。

今年は変わり目の年である。宇城先生のそのお言葉に前向きな気持ちが湧いてきました。自分にもできることをしっかりやろう。と同時に本当にできるのか。具体的にはどのように。早くもビビっておそれが顔を出します。今の私では机の上に置いた手は激痛確定です。そもそも叩かれる前に引いてしまうでしょう。あの実践を見てそう思いました。まさに現代スポーツのマズさに私は染まっています。そもそもの考え方自体が、気に対する捉え方が、本質ではなく上部のできる自分をいいように見せたいというものであると。パフォーマンス。中心がズレていました。この年始、1月にそこに気づかせていただけたこと感謝です。


そんな自分を変えるために、数々のお話の中にはヒントもありました。私の悪い癖はすぐに結果を欲しがるところ。すぐに現状を変えたいと思うところだと自覚しています。ですが、宇城先生のお話の中で、短期ではなく中期・長期的な変化、目標が大切だというものがありました。即効性を期待するからこそのパフォーマンスになっている。2025年を変わり目・変革の年にするために今の自分にとって大切なことは、大きなことをやろうとすることではなく、独りよがりではない等身大の一人革命を日々続けることだと思います。

本当に充実した時間をありがとうございました。

 

 

【兵庫 高等学校 男性 50代】

 

宇城先生、教師塾そして講演会でのご指導ありがとうございました。

2025年は変革の年である、とのお言葉をいただき、緩んでいた身を引き締めました。世界では、ロシアとウクライナの戦争は泥沼化し、ヨーロッパの主要な国で極右政党が躍進しています。そしてアメリカではアメリカ第一主義を掲げるトランプ大統領が誕生し、就任早々極端な大統領令を連発しています。まさしく、今年は世界が大きく変貌する年であると思います。そんな中、日本は大地震や洪水などの自然災害、さらには台湾有事がいつおこってもおかしくない状況であるはずが、首相は「楽しい日本」を目指すなどという危機感のかけらもないことを言っています。


午後の講習で非常な危機感を感じました。中高生が今までにない多さでしたが、姿勢の悪い生徒がたくさんおり、何より講習の後半になってもその姿勢を正せない生徒が多いことに驚きました。わざとうまくいかないようにしたり、ふざけたりしている生徒も目につきました。宇城先生がきつくおっしゃって、ようやくほとんどの生徒の目が変わりましたが、それでも変わらなかった生徒が何人もいたことも今回の特徴だったと思います。このままでは、災害、少子化、IT・AIの進歩、世界情勢の変化などにさらされ、日本に未来はないと思います。


それでも、今回も希望は見えました。それはやはり子どもです。スクラムを組んだ大人を倒したり、四つん這いの手につかまった複数の大人をこともなげに引きずったり、大人5人がかりで押さえた腕相撲をひっくり返したり。教育に毒されていない子どもたちの調和する力は大いなる希望です。その力を守れるのも、駄目にするのも大人です。責任が最も大きいのが保護者、そして学校・教師です。

生徒に寄り添いながら、叱るところはしっかり叱る。興味・関心を引き出す。教師が得意なパクリで教えるのではなく、教師自らから湧き出てきたもので指導できるようになるにはどれほど勉強しないといけないか、まだ想像もできませんが、教育現場に携わる以上、それを目指して変化していきたいと思います。

 

 

【奈良 中学校 女性 30代】

 

お忙しい中、私たちのために御指導ありがとうございました。

先生がお話してくださったことを思い返すと、日本の未来の暗さにとても苦しくなります。

最近の出来事を考えても、日本の未来はないように思います。そんな世の中を生きていくのが、私たちが今、接している子どもたちです。世界を生きていく中で、今の教育、世の中では、おそらく生き残っていけないだろうと思います。そうならないように、本質を教えていくのことが、私たち教員の仕事だと感じました。だからき教員である大人が、常に学び、勉強をしなければ、なんの力もない人を作ってしまうのだと思います。お話しの中であった、AIの知能は人間の知能を超えているということ、発想力もAIで補えてしまうということを知って、結局、人には心や愛情が大切なのだと改めて思いました。そう思うと、学校で伝えないといけないのは、知識や受験や競争ではなく、人のことを大切にする心や、誰かを助ける心、腹を据えて生きていくことなのだと思いました。今の教育の形式の中で、今日感じたことをしていくことは大変かもしれませんし、少し怖い部分もあります。けれど、私たちには宇城先生がついてくださっていると思うと、怖さがなくなり、進んでいけるように思います。


 お腹が痛い人に声をかけると、声をかけた方も、かけられた方も強くなるという実践を見させて貰いました。自分では、やっていると思っていました。ふと今日考えてみると、やっていたつもりだったと思います。もちろん、お腹が痛い状態の人がいたら、声をかけます。しかし、日々の生活を思い出すと、全く出来ていなかったです。人間ではなく、人として動いていたと思います。知識だけで、行動には出来ていませんでした。放課後に教室の整美をしている時に、他の先生から声をかけてもらっただけで、元気が出たことを思い出し、人に向ける愛情とはこういうことだったんだと思いました。自分だけが良ければではなく、自分から良くなっていくということなのだと思いました。

 宇城先生は、全ての人に愛情を持って接してくださいます。それは、とてつもなく深い愛情なのだと思います。私も含め、人間となるために、明日から進みたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

【奈良 高等学校 男性 40代】

 

このたびは、第1回宇城教師塾ならびに京都実践講演会にてご指導いただき誠にありがとうございました。

 今回の教師塾を振り返り、最初の走り方のご指導がありましたが、あれが全てではないかと今は感じています。

 世間一般に教えられている走り方は、実は頭優先、相対、部分体(衝突)の世界であり、人間の本来の能力に蓋をしている。つまり、それは相手を倒すことを目的としたスポーツ、志望校の合格を目的とした受験勉強と同じだということです。その部分体(衝突)の世界から、上に足を上げる、手を上に振る、それは深さを求める、絶対、自分に矢印を向ける、調和の世界へ私たちが進まなければならない、そこに気づかなければいけない、また宇城教師塾で学ぶ私たちの役目は今、宇城先生から与えられた気づきをそれぞれの職場で繋いでいかなければならないと感じています。


 午後の実践講演会での学生の姿を見て、その思いは一層強く感じています。学校の役割は何なのか。学校ではいわゆる厳しい子どもたちへの指導はもはやタブーとされています。常に保護者からの意見を気にしながら、子どもたちに接していく。何かあれば、すぐに保護者からの苦情めいた連絡があり、謝らなければいけない。子どもたちに腫れ物に触るような扱いで接しなければいけない。そんな教育しか出来ないので、当然教員の採用試験では定員に満たない、教員の志望者が減少する。教員の質は低下し、子どもへの教育の質も低下する。一番被害を受けるのは子どもたちとなり、日本という国がどんどん廃れていく。


 今の常識では、原因、分析はあってもそこに解決はないなかで、教師塾での学びが打開策だと思います。いつ、どんな状況になっても子どもたちの「心」を育てること。部活動や教科指導、生徒指導、どんな時にも子どもたちの「心」を育てるという基本に立ち返ることができるのは宇城先生から、私たちが実践を通じて「心」の在り方を体験させていただいているからだと感じています。だからこそ、宇城先生に学ぶ機会をいただいている私たちはその経験をエネルギーに変えて自分たちの学校で繋いでいかなくてはなりません。また、自分に欲や、力みがなければ、自然と繋がっていくはずです。

 だからこそ、やっぱり自分に矢印を向けるです。相手ではなく、自分がいかに変化、深化、成長するということにつながってきます。この気持ちを日常で生かす、活かす、実践するということです。


 気づけば自分の年齢も職場ではミドルリーダーと呼ばれる年齢より少し高くなりました。奈良県の高校教員の年齢構成は歪で、私の職場で40代の教員はほとんどいなく、50代後半、もしくは30代前後の教員がほとんどです。対生徒はもちろんですが、学校のなかで大人のバランスをとる役割も大きくなってきました。地球が太陽と月の奇跡的なバランスで存在するように、私たちは宇城先生のご指導、生き様でエネルギーを与えていただいています。それを少しでも自分の職場で繋げていけるように自分の余計なものを取り除き自然体を目指します。

 いつもご指導誠にありがとうございます。本年のご指導よろしくお願い致します。

 

 

【三重 高等学校 男性 30代】

 

自然災害や戦争や内戦から引き起こされる混乱や衰退の中、世界は対立や衝突、孤立の道に向かっています。そんな時代を生きるこれからの子ども達に教員免許という資格を持っているだけの自分に何が出来るのか。力不足の自分はどうあるべきなのか。そのレベルの人間が子ども達に何を伝えることができるのか。未来はどこに進み、どこに行きつくのか。その全ての答えは、宇城教師塾にはあると信じています。宇城先生のお言葉は頭や意識で発する言葉や行動とは次元が違います。目の前で実証していただき、その場で経験させていただけるものです。未来進行形である宇城先生に引っ張っていただき、包んでいただけるのが教師塾です。「調和」や「共生」の心を身につけて統一体に向かって進む。宇城先生から映していただいたものを子どもたちや周囲の方に映したい。希望や元気をいただき、生まれ変われる場がここにはあります。


島根県知事の発言の中で(能登半島地震の断水復旧の遅れについて)「能登のスピードが今後の政府の前例になる。島根県で同じような災害が起きたとき、能登のスピードを前提に政府は対応するだろう。」とありました。能登の課題を小さなスケールで捉えず、自分事としてとらえること、速さの大切さ。一瞬、一瞬の隙間をなくすこと。スピードの速さ、先をとること。宇城先生は「希望は頭ではなく、細胞から出てくるものだ」とおっしゃいました。まさしく能登の大きな問題は人間性、人間力の欠如にあるのかと思います。


また、手を叩く実証を拝見し、「怯え」と「護り」について様々なことを感じさせていただきました。一番は自分の目の前の生徒のことです。コロナ禍を言い訳にしてはいけませんが、それらを経験した子ども達やその保護者は学校を休む、休ませるハードルがとてつもなく低くなっているように感じます。子ども達と毎日、接しているにも関わらず、目に見えない身体や心の変調に怯える子ども達の身体を作ってしまっているのはまさしく自分の指導力不足、力不足です。目に見えない相手と対峙した時、構えたり不安に陥ること自体が既に衝突している証拠であり、怯えている証拠であることに気がつかせていただきました。自信は相対からは生まれないとのお言葉にあるように、人(子ども)を愛する事は自分に自信がないとできません。自分との信頼関係です。他尊自信の心を身体で感じるように、感じていたと思えるように今後も精進いたします。これからも何卒ご指導、ご鞭撻の程を賜りますよう、お願い申し上げます。

 

 

【奈良 工業高校 男性 20代】

 

先日は、ご多忙の中、教師塾並びに京都実践講習会を開催していただき、ありがとうございました。今回は1日を通して、午前はもっとやらなければならない。と希望を感じさせていただき、午後は、中高生へ指導する姿を見させていただき、言葉にはできませんが、厳しくも見捨てず、真正面からご指導される姿を見て、気が引き締まる思いでした。


 無理と思っていることを可能にする体験では、真剣に取り組むことで、次につながり、進歩成長していくと学べました。午後から参加した、中学生が石を割り、真剣に宇城先生の話を聞いていく姿を見て、中学生にとって、本当に人生が変わる瞬間だったと思いました。また、真剣に取り組めない、素直になれない、人間のすごさをわからない生徒たちもたくさんいました。日々の私の指導を振り返ると、素直に頑張れない生徒に対し、「厳しく、見捨てず」ではなく、「甘やかし、見捨てる」指導になっているのではと思いました。その結果、最終的に裏切り、そのような指導をされた生徒も、人を裏切るようになっていくんだと感じました。タブレットに自分の名前を書き、○印をつけると、とても力が出ました。生徒一人一人も、全員○印がつくはずです。性根が腐っている生徒がいれば、教師ができる指導をする。すると目を輝かし、自分の力に気づき、そこから伸びていくのだと、宇城先生を見て感じました。そのためには、まずは私ができることが前提です。謙虚な気持ちを持ち、常に勉強しないと、他人まで犠牲にしてしまいます。


普段から、勉強や、読書をしていますが、教師塾で宇城先生のスピードや勉強量を見させていただくと、自分のスピードは遅すぎるといつも感じます。そのように感じさせていただけるのが、自分にとって、希望になり、謙虚な姿勢になることができます。先生というのは、そのような姿を生徒に見せていくことが大事だと思いました。頭で考えて知識や意識の世界が通用しないことを自分の身体を通して、指導していただいている自分はとても幸せな状況です。私自身、もっと色々な勉強をして、宇城先生に指導していただいている事を身体に写し、その姿を生徒に見せないといけません。まだまだ勉強不足で実力がまったくないですが、教師塾、実践講習会で感じさせていただいたものを宝物にして、日々、自分と生徒に向き合っていきたいです。教師塾という場所がなければ、基準や世界もわからず、間違った指導を押しつける教師になっていたと思います。今の自分は、おかしい指導がされていることにも気づかず、気づいてもそれを打破する力もありません。常に勉強する姿勢を持ち、仕事をしたいと思います。教師塾が終了後の挨拶をするとき、毎回、普段より深い礼に自然になります。普段の学校生活ではなりません。自然に礼が深くなり、感謝の気持ちが芽生えてきます。


普段の生徒を見ていると、礼をしなさいと教えられる(知識)→礼をする。(心がまったく伴っていない)という順序になっています。大人の問題だと気づかさせていただきました。

ご指導、ありがとうございました。引き続き、よろしくお願いいたします。

 

 

【奈良 高等学校 男性 30代】

 

貴重な時間をありがとうございました。

現場での生徒の様子を見ていると、自分が無い(考えない)、嘘をついてごまかそうとする、自分勝手、これが目立ちます。育ってきた家庭環境、怒られることがなくなった教育環境、生活習慣、いろいろな原因が関係していると思います。変えてあげないといけない。それができるのは、親と教員である。預かった3年間で、自分が宇城先生に出会ったことのように、生徒にも自分と出会ったことで、人生のプラスになるようにしないといけないと先生の話を聞かせていただいて改めて思っています。


不安や怯えを抱えて生きている生徒たちに希望を与えなければいけない。今回の実証では、そのためにはどのような姿勢で教壇に立てば良いのかを教えていただいたように思います。今の常識ではありえないことを経験する(=先がしっかり見える)ことで短期・中期とやることが見えてくる。考えることが減っていて考える機会が数少ない教育環境にある生徒たちが「なぜ?」「なぜ?」と前向きに取り組める環境を整え、自信をどんどんつけさせる必要があると思いました。この教師塾で自分が経験しているワクワクや前向きな姿勢を生徒たちに経験させる授業や部活動をしないといけないと身体で感じることが出来ました。授業や部活動での取組方や所作などを見直すいいきっかけになりました。この教師塾で現状の自分にリセットをかけていただき、新たに示していただいたと思っています。


午後の講演会では、子どもたちを中心に今の常識ではありえないことを経験し、子どもたちの顔つき、雰囲気が変化していきました。中には変わらない生徒もいましたが。。。それだけ今まで続けてきた日本の教育や生活環境などが良くないということなのかと感じました。講演のなかで先生がおっしゃっていましたが、スクラムを横から押し倒せるのは数年前は中学2、3年生でもいけたが、今は小学校高学年くらいから出来なくなると。。。大人、教育が邪魔をして、子どもに思い込みや間違ったことをすり込み可能性に蓋をしてしまうというこれが現実なのだと思いました。しかし、寄り添うことで押し倒せるようになったり、所作などを正せばできなかったことができるようになることを経験した子どもたちの顔つきを見ていると、気持ちや明日以降の取組に変化があるのだろうなとこちらも楽しみになりました。我々がなんとか子どもたちのためにと強いエネルギーが沸いてきたように感じ、特に何ができるかとかはまだわかりませんが、明日から生徒の前に立つことが楽しみです。そう思って生徒と関わるだけでも伝わるものが違うかなと思います。


教員はhow toを学ぼうとする癖があって、それはレベルが低い、技術職は10割でもダメ、でも野球は3割、厳しさが足りないということをおっしゃっていました。自分の甘さをしっかりと認識させていただきました。学んだことを活かすも殺すも自分です。目の前の先生の姿が普段我々が教壇で子どもたちに示さないといけない姿であると思います。職場や家庭を言い訳にすることなく覚悟をもって日々時間を無駄にすることなく過ごしていきたいと思います。「地球は引力で引きつけ、磁石は磁力で引きつけ、人は魅力で引きつける」意識では心臓や臓器は動かせない。生かされていることを改めて自覚し、謙虚に過ごしていきたいと思います。1日あっという間でした。本当にありがとうございました。

 

 

【大阪 中学校 男性 60代】

 

宇城先生。先日は、今年度の第1回の教師塾でご指導を賜り、誠に有り難うございました。

午前9時過ぎに私が会場に足を踏み入れたときには、(宇城先生は)既にホワイトボードにご講義の為のポイントを書いていらっしゃり、また、午後からの実践講演会に向けては、“摂津峡”(私は1度だけ、高校生の折りに「地学」の実習で行かせて頂いたことがあり、懐かしく思い出しておりました)へお出掛けになり、河原の石を持参して下さいました。宇城先生の“思い”が伝わって来ます。

さて、冒頭に「今までの常識にはないエネルギーのある体験をする」ことが、まずは“最初の第一歩”であることを語られていましたが、我々は「道塾」や「教師塾」を通して、そのような体験をさせて頂いていることに思いを馳せておりました。


そのようなご講義のあと、実証は「陸上競技」の“足上げ”から始まりました。

なるほど、一般に行われているものと、宇城先生から“気”を入れて頂いたり、ちょっとしたヒント(腕を上に振り上げる)を頂いてから行うものとの歴然とした“差”を体験させて頂きました。

しかし、それにも増して驚いたのが、テーブルの上に置かれた紙製の箱にエネルギーを与え、人が引っ張ろうとするその箱を動かなくしたり、引っ張ろうとする方向の正反対の方へ(それも、手を触れずに)移動させる実証です。


あのとき、私は反対の方から箱を引っ張ろうとする人を手助けするように押させて頂いたのですが、何か見えないエネルギーが箱に充満していて押し返せない感覚を覚えました。実際、箱自体が強くなっていて、横からの力に対しても強くなっていました。

何か見えない“エネルギー”が、確実に存在する…ということが、まぎれもない“事実”であるということが判ります。

そして、タブレットに写し出された書籍の表紙の違いに依って、そのタブレットの上に手を置いた人が、「プラスのエネルギー」を与えらたり、与えられなかったする様子を見せて頂きました。不思議です。

今までにも、宇城先生が執筆された書籍の上に手を置くことで、同じような現象がおこりましたし、そのもの(その場合なら書籍)自体にエネルギーがあるので、磁石と同じようにいくら小さくしていっても(書籍の帯や、その帯を小さく切り取ったものでも)、同じようにエネルギーを与えてくれていました。

しかし、今回のこの検証はタブレット自体は変わらないのに、画面に映し出される画像に依って、結果が変わってきました。


これはタブレットに映し出される、その画像からエネルギーが出ているとしか考えられません。

…とすると、日頃、タブレットやパソコン、またテレビ番組などの映像を

無自覚に見ていますが、特に(うちでは)、テレビ番組などはついついBGMのように流しっぱなしにしていますが、それらが我々に与える影響を気にする必要もあるのではないか…と思いました。

しかし、そのプラスの影響も「受け手」の“心”に依って変わってくるのは(今までの「道塾」や「教師塾」での体験から察するに)明白です。

よく、宇城先生が仰られる「信じる者は救われる」。この言葉は、キリスト者の専売特許だと思っていたのですが、普遍の真理だったのだと思いますし、果たして私があの場面で体験させて頂いたとして、有沢さん達のようにうまくエネルギーを頂けたのかは疑問です。

ついつい“頭”が介在してしまい、「信じている」と、思ってはいるのですが…。

だからこそ、宇城先生に何度も出会わさせて頂き、私の“心身”でその教えを受けとめたいと思っております。引き続きご指導の程、宜しくお願い致します。


さて、最後に一つご報告です。

昨年の「教師塾」で教えて頂いた“寄り添う”(教室での授業が始まる前に、一度生徒達の側に立ってから、教壇に戻って授業を始める)。簡単に実践出来るだろうと思っていたのですが、これが意外に実践出来ておりません。教室に行き、リモートの準備をしていると、授業開始のチャイムが鳴る…という始末。まずは、意識して実践していきたいと思っております。

以上です。

 

 

【兵庫 高等学校 男性 40代】

 

この度の教師塾、実践講演会でのご指導、ありがとうございました。「2025年は変革の1年」というお言葉をいただき、希望をもって進んで行ける思いがします。時代が変化し、指導がしにくい現状というのは事実ですが、言い訳ばかりでは未来はありません。午後からの学生を前にした先生のお姿から、やはり指摘する、正す、導く、見守ることが教員の役割であると改めて教えていただきました。しかし、今の常識でやってしまうと対立を招き、生徒の可能性を潰す方向にしか進みません。様々な実証から、大事なのはエネルギーであることを見せていただきました。目には見えないけれど、身体は感じることができる。そして、希望が湧き、姿が変わる。生徒や保護者と対立するような要素は一つもありません。資格があるから先生なのではなく、実力があるから先生と呼ばれる。先生だから信頼されるのではなく、魅力があるから信頼される。根底に「人間」という関係があることを忘れ、先生と生徒という立場で上からの目線で関わってしまうことが自分にはあります。また、周囲で目にすることも多々あります。怯えや不安がそうさせるのだとはっきりとわかりました。


 自分の勤務校周辺の地域を見てみると、人が集まっているのは進学校、部活動で結果が出ている学校です。学習指導も部活動指導も、本質から離れ、実生活に使えないものになってしまっていますが、目に見えるもので判断する今の常識では当たり前の現象です。この現状の中で、自分の学校はどこへ進んでいくべきか、自分はどうするべきか。不安がある中でも前向きな考えを持てるのは教師塾があるからです。基準を教えていただき、振り返り、修正の機会を与えていただける。無い教員からすると、今の常識から考えてもまったく答えは見えず、大きな不安や怯えがあると思います。これが学校にエネルギーが足りていない原因であることを自分は理解することができます。まずは先生から学ばせていただいている自分の姿が変わらなければいけません。覚悟をもって日々を過ごしていきたいと思います。

 今年もご指導の程、よろしくお願いします。

 

 

【京都 中高一貫校 男性 40代】

 

日曜日ハートピア京都で開催された教師塾、京都実践講演会でのご指導誠にありがとうございました。事務局を担当させていただき、何名かの先生とのメールのやり取りをさせていただく中で、先生方が日本の教育を何とかしなくてはいけないという想いをお持ちだということをすごく感じるようになり刺激をたくさんいただきました。そこに宇城先生によってエネルギーが注がれることで現場が変わっていくことが教師塾のミッションだと思います。そのためにも教師自身が深く学ぶこと、素直になること、行動・実践していかなくてはいけません。教師塾に参加するだけで何も変化しなくては全く意味がありません。宇城先生が2025年は「変革の年」とおっしゃっていました。世界情勢をみても本当に多くのことが動き出す年になることは間違いありません。そこに対して、どれだけの危機感をもち、実践していくのか試さていることを肝に銘じておかなくてはいけません。


 しかし、日本の教育は、目先のことばかりで本質的な改革は一切行われておらず、授業時間が長いものの英語が身についていない。身についていないというよりは、会話ができない。単語や文法の力はないわけではないはずなのに…。要するに実践で使えないという現状。何のための学習なのか。将来こどもたちが社会に出た時にいかすことができるようになるために、学校という場があるはずなのに全くそうはなっていない現実をどれだけの教育関係者が認識しているのか。今一度立ち止まり、考え直さなければ、これからさらにグローバル化が進む社会で日本は生き残っていくことができなくなります。文科省の目指している身に付けさせたい能力というのは、既に「言葉」だけであり、本当に身につけさせる指導ができる教師がいないことが何よりの原因だと言えます。教員という免許を取れば誰でもなれる職業であり、なり手がいない中なので、昔に比べ倍率もかなり下がっていることもあり、どんどん教員自身の資質と能力が低くてもなれてしまうこの現状にも着手しなくてはいけないと感じました。「地球は重力で。磁石は磁力で。人間は魅力で惹きつける。」ここには、人間力はもちろんのこと。教師である以上、教科指導力など多くの要素が含まれています。宇城先生のように、武道、野球、水泳、陸上、音楽、学問どの分野においても全てに合わせることができる。それは、どの分野においても中心が同じであるから。その深さを持っているからこそ誰でも、いつでも調和する。この次元の高さをもっている存在がこうして近くにいていただけることに感謝しかありません。


 それを今後引き継いでいくためにも私たち教師が生徒たちに「今まで見たことのない世界を体験させること。」で今までの常識や生徒自身小さくなっていた殻を破っていくきっかけを創り出していくことが求められています。今の日本の教育システムでは、変革は起きません。生徒自身に多くの実践の場を与え、そこから学ぶことの意義を見出すような流れにしなくては、机の上だけでは何も変化は起きません。そう考えると留学という機会は、これまでの自分にない世界であり、無理を自分で可能にしていかなくてはいけないものです。日本のことわざに「苦労は買ってでもしろ!」があり、決して留学でなくても、「苦労」という自分で乗り越えなくてはいけない経験をいかにするか。そこに学ぶことへの要素があること。その深さを伝えることならどの学校、どの教師にでもできることではないかと思います。今自分自身が置かれた立場で何ができるのか真剣に考え、行動していくことでしか「変革」など起こるはずもありません。行動あるのみです。


 こどもたちは、いつでも素直です。ただ、どんどん生徒たちの身体が劣化していることが今回の講演会でも気づかせていただきました。真剣になる瞬間はあるものの、すぐに気が切れてしまう。それは本校でも同じことが起こっています。この実情をどのようにとらえるのか。保護者と教師が共に手をとり、見守り、時に厳しく指導することが大切さを改めて気づかせていただきました。宇城先生の指導には愛があり、だからこそこどもと衝突しているようには全く感じませんでした。むしろその指導がこどもの身体に入っていくような感覚がありました。言葉ではないエネルギーがあるからこそできる指導です。口先、小手先では今の教育現場ではパワハラになってしまいます。だから、1に勉強。2に勉強。3に勉強。学び続けることで自分自身の身体が変化するように鍛錬していくしかありません。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。

 

 

【山口 中学校 男性 30代】

 

 世界中がすさまじいスピードで変化し、また不安定化している中、私たちに必要なものは何なのか。宇城先生が白板に「過去の延長→今の常識」「今の常識にない実証→エネルギーが創り出す世界→今に存在している未来・メッセージ」と書かれました。

 従来の概念である力(筋力)と宇城先生が実証で示してくださる力(エネルギー)、両者の間には比べるようなこともできない程の次元の差があることを実感いたしました。今の常識における従来の力はまさに衝突、対立であり、やればやるほど疲弊し、時間(人生)も浪費しているように思います。一方、気によるエネルギーは調和・融合、守るです。複数人で一列に並び、先生がメリケンサックで先頭の私の腹を打たれました。普通であれば体がびびり逃げようとします。しかし、私の体は逃げようとはしませんでした。そして列ごと全員が動いたり、先生がフォーカスを合わせた個人や列だけが動くなど、常識では考えられない結果が示されました。塾後、メリケンサックも含めて全てを包むように、先生のエネルギーが守ってくださっていたのだと、検証のときの感覚を思い出しながら改めて感じました。


 人間に備わっている潜在力やそれを引き出す気のエネルギー、実証をとおしてその存在を繰り返し体感、確認させていただいています。元気、勇気、やる気、気持ちと気がつく言葉が多くある事実。この度の御指導をとおして私は、人間が生きていく上でエネルギーというのは欠かすことができないものであると、当然のことなのですが、今認識することができました。筋力や知識、権力、肩書きが生きていく上で必要なのではなく、生きるエネルギーが根本にはいる。その事実が現代社会では忘れ去られるように、隠され、別のものにすり替えられているのではと思えてなりません。実証で体験した感覚はそれぐらい、認識を大きく変えていただける程の衝撃でした。


 私たち教師塾生が行っていかないといけないことは、目に見える体制の改革ではなく、この人間に欠かすことができないエネルギーを、子ども達の中に満たしてあげること、高めてあげることなのだと今思っています。全てを乗り越える力、他者に寄り添う心と行動、勇気、やる気、生きる気力、危険を察知する身体の感覚の鋭さ、その全ての根源が宇城先生が示してくださる気のエネルギーである。だからこそ、子ども達と共にいる私達自身が少しでも自分のエネルギーを高めるために日々研鑽を重ねなければならない。そのために宇城先生から御指導を賜っていることを忘れてはならない。自分や家族、そして周囲を守れるようになるためにひたすら変化、深化していく、その意味の深さに気づかねばならない。

 子どもの自殺率がこの度発表され、過去最悪の結果となりました。IMD世界デジタル競争力ランキングでは、日本には「将来への準備」に課題が集中している。「創造的思考や型破りな考え方といった、起業家精神の基盤を教育の場で養うこと」と記述がございました。子ども達が希望を見出せず、命を絶ってしまう現実を直視する覚悟と行動を自分自身がもつ。そして子供達に、今を、将来を生きるエネルギーを与え、引き出していけるようになるために、先生からご指導いただいたことを実践し、身につけないといけないのは自分自身であることを強く認識すること。自分を変え、範を示すこと。それが今私たちに必要なことです。早く私達大人が目覚めなければなりません。目覚めて変わるしかありません。そう思っております。

 先生がどの子ども達も見離さず、繰り返し心身に体験させ、エネルギーを与え、導いておられる御姿に教育者としての理想像を見させていただき、衝撃が走りました。先生に学ばさせていただいている塾生として、一人革命の実践が私のすべきことであり、そこに明るい未来を創り出す根源があるのだと思いました。

 この度も貴重な御指導を賜り、本当にありがとうございました。宇城先生の下、全国の教師塾の先生方と学ばさせていただけることに心から感謝申し上げます。本当にこの度もありがとうございました。これからも何卒御指導、御鞭撻の程を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

 

 

【奈良 中学校 男性 40代】

 

本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございます。本年も引き続きご指導、宜しくお願い致します。

 午前中は教師塾でのご講義を頂きました。今の日本の現状、教育での間違った教え方を教えて頂き、本当にこのままではいけないなと感じました。走り方一つでも、私自身も足を上げて走りなさいと指導を受けたと思います。負荷がかかれば走れなくなることは全く関係なく、ただ足を上げることだけが教えられて、頭による指導が広まっているんだと感じました。確かに向かい風が吹くと足を上げようとすればするほど、体は力んでしまい、スピードは出なくなることは幼い時から感じていましたが、それに対する考えが至らなく、それが正しいと思い込んでしまっていたのだと思います。人生はもともと不安定で、負荷がかかるものだと思いますが、足を上げると教えてもらった時から私自身の力はどんどん失われてしまったのだと思いました。指導や教育は本当に大事だなと間違ったことを指導してしまうと間違った方向に進んでしまうことは以前からも感じていましたが、再確認させて頂きました。今は、目に見えることばかりが信じられ、目に見えない心の教育がおろそかになっているような気がします。先生の書かれた本に手を当ててみれば、そこにエネルギーがある移して私自身にエネルギーが与えてもらえることこそが教育だと思います。私自身がエネルギーを持って、子どもに当たることが正しい道へと導くことになるんだと思いました。勉強をしていかなければいけないと思いました。今私たちの教育現場は、働き方や合理化といった教育の本質を議論しないままで進んでいます。先生の仰っていた短期、中期、長期といった目標が立てられなくなってきており、先が見えない状況がありました。教育は、愛情をもって正しい道へと導いていけることが大事だと感じました。躾、文化といった教育活動をやっていくことがこれからの時代に必要になってくるような気がしました。


 午後からは実践講演会をして頂き、沢山の生徒が来られ、先生にご指導いただきましたが、生徒に対して愛ある指導をされていることは、今日本の教育の課題だなと思いました。今までも躾は大事だと思い指導してきましたが、今は怒れないことが多く、ちょっと何かあると親が学校に訴えてくることが多く、周りの先生方も苦労をされていますが、だんだんと正しいことが言えないことが多くなっているような気がします。そのことで大事なことが教育されずに、大きくなってしまうことに自分自身、危機感をすごく感じました。先生の言葉も聞かず、指導されているときでも気が付かない様子を見て、本当に残念に感じました。ポーランドでの動画で小学生でも力に頼り、本来の力を失っている子どもを見せて頂きました。このまま大きくなってくれば、感覚もなくなり、怖さも痛みも鈍くなってくるのかと思えば、怖い気がします。私も生徒を連れてきましたが、自分が受け持っている生徒に対して、躾や心の教育を大事に伝えていかないといけないと思いました。人として正しいことをもっと勉強していかないと子どもたちは迷ってしまいます。日本の文化、躾を大事に教育活動をやっていかないといけないなと思いました。

 先生に指導して頂いて、見えなかった先の未来がはっきりと見えた気がします。短期、中期、長期の目標をしっかり持って、教育活動と勉強をしていきたいと思います。将来のために努力していきたいと思います。

 ご指導して頂き、本当に有難うございます。今後とも何卒宜しくお願い致します。

 

 

【石川 高等学校 男性 50代】

 

教師塾には、京都開催時に何度か参加させていただいております。そのたびに宇城先生に教えていただいたことを実践し、丁寧に日々の業務にあたっているつもりではありすが、自分の弱さからいつの間にかそれを忘れ、自分中心の考え方になっているように思われます。年に1,2回の参加ですが、自分の不甲斐なさを痛感し、気持ちを引き締めなおす大変よい機会となっております。今回も「気」や「エネルギー」の存在を体験することができ、貴重な学びとなりました。ありがとうございました。


 宇城先生は始めに常識では説明がつかないことを受け入れる勇気が必要であること、さらに深化の道を歩まねばならないとおっしゃいました。先生は日本の教育を危惧されており、日本の英語教育やスポーツ指導の例をあげ、英語教育が世界一の授業数を実施しながらも会話ができないこと、また両足を抑えられた人が足をあげるには、陸上競技で常識とされている指導ではあげることができないことを示されました。しかし両足を抑えられていても、足を踏んだり、腕を高く振ることで足をあげることができます。これは教育やスポーツの指導が本質をとらえられていない一例であり、私たちは現在常識と考えているものに対して再考する必要があると感じました。その上で、頭ではなく身体で感じていくことが大切なのだと思いました。


 宇城先生は今回のご講演の中で「怯え」ということを多くおっしゃっていたように思います。怯えていると逃げる、いざというときに逃げてしまうということです。それを実証するために、机上に手を置き、それを上からたたくということを見せていただきました。手を置いた方は不安そうな感じで、実際にたたかれた際には痛そうな表情をされていました。ところが、先生が気を通されると、表情から不安が消え、叩かれても痛くならず、さらには叩いた方が痛みを訴えるという結果になりました。もちろん、なぜそうなるのか、どうすればそうなるのかはわかりません。ただ、怯えていてはだめだということはわかりました。


 私どもの学校現場に置き換えてみると、私たちも常に怯えているように思われました。教育活動の成果や部活動大会の結果、日々の生徒や保護者の反応など、失敗を恐れ、常に怯え、それを払拭するために業務を遂行するというように感じます。それについて宇城先生は「腹を据える」とおっしゃっていました。これにはすぐにできることではありませんが、人に寄り添うことや呼吸、所作などご教示いただいていることを大切にし、実践していきたいと感じました。


 以前の講演会では「調和」という言葉が多く使われておりましたが、今回は「エネルギー」という言葉を多く使われておりました。ipad上の書籍の上に手を乗せたり、自分の名前の上に手を乗せたりすることで身体が強くなっていることを実証されました。さらに驚いたのは先生がエネルギーを注いだボールを受け取ると、大人10名ほどが後ろに押されたり、回転をかけたボールの方向に倒されたりしました。目に見えない大きなエネルギーの存在を感じることができました。

 競争は分断をまねき、仲よくして絆を深めることで強くなることを教えていただいておりますので、頭で考えるのではなく、目の前の生徒たちに寄り添い、丁寧に接することを実践していきたいと思いました。

 

 

【大阪 大学 男性 60代】

 

「2025年を変革の年に…」

宇城先生から、これからの日本、日本人のあり方、教育を大切にしていく意味でも「変革」が大事であるというお話がありました。

まさに教育から変えていく必要があるということであるが、それは本来あるべき原点に戻るということでもあるというふうに感じます。その変革とは、自身が変わるということであり、まさに日常を通して教育現場から変えていくという実践にあります。

本来、日本人は伝統を重んじる国民性を持っているはずです。現代人は、新たに変わることをどちらかというと嫌い、変わることが必要ならなるべくこれを緩慢にいきたいと考える。それが今の日本のエネルギーを下げているという現状であり、教育界、スポーツ界、社会全体にもそれが広がっているように感じます。


「守る」「寄り添う」ということがどういうことなのかを、今回も実践、実証を通して改めてお示しいただいた。大切なことは「本質」にあるといえる。社会全体を見ていても新しい取り組みをする企業も増えてきたが、すべて数字化され、機械化され、便利さに頼り、人を減らしていく(リストラ)中で、本来大切にしてきていた「日本人の心」が中心から離れていっているように感じることが多いのも事実です。

急激に変わる事は社会や集団に歪みを起こす。何か新しい事を始めたり、変えようとしている企業もあるが、果たして人材(リーダー)が育っているのかというと、日本全体を見てもそうではないように感じる。

そういった時代の流れの中、一時のやる気を引き出すのではなく、本来あるべき自分自身の中心を持つことが大切になり、根っこのところを大切にしていく必要がある。一次的な変更では、何も残ることはなく、深めることにも繋がることはない。それは痛みを伴うことはないが、やりがいには繋がらない。そこで大切なことは「変革」である、過去の結果や肩書に捉われることなく、新たに創り上げていく。まさに宇城先生が言われる「一人革命」にあるといえる。

何かに頼るのではなく、自らの意志(自力)で前に進む、どんどん差をつけていく必要がある。だから勉強し続ける必要がある。まさに止まっている時間も、待っている時間もない。それくらいのスピード感をもって自身から動いていく必要があるということが今回の中での気づきでもありました。

そういった真のエネルギーが必要ではあり、子ども以上に大人のエネルギーがどんどん下がっているのが現状であるという指摘がありましたように、社会全体を見てもまさにそこが大きな問題になっています。


『進化とは、変化すること、変化とは深さを知ること、深さを知るとは謙虚になること』、まさに『他尊自信』にあるといえます。そういった中で、責任感のある真のリーダーが育つのだといえます。

現代社会全体、そして教育界(学校現場)においても、「現状維持は退歩である」という宇城先生の言われることがすべてに繋がっているのを感じます。

人任せ、当たり障りなく(無難に)、周りの顔色を伺う、無関心、周りの評価、目先の結果…そういった行き詰まっている大人、親が増えていることが、子どもの乱れ、エネルギーの低下に出ていると感じます。


革命は、社会の根本の構造や仕組みを大きく変えることをいいます。歴史上、様々な革命が起き世の中が変わりました。すべてが良い方向に行くとは限らないのも事実です。維新、「維(これ)新なり」すべてのことが改められて、すっかり新しくなること。改新とは、古いものを改めて新しくすること。変えることにに対して日本語には様々な言い方がある。それだけ日本の歴史、日本語の意味、日本人のあり方には他国にない深さが本来あるはずである。

しかし、現状はどうかというと、本来あるべき良さ、深さがどんどん失われていっているのを感じる。昨年元旦に発生した能登半島地震から1年が経った今を見ても、未だに復興が進んでいない現状があり、それはまさにすべてを「受けて立つ」存在のリーダーが居なくなっているともいえる。人任せ、他人ごとでは決して済まされない。

それが子どもたち、若者たちが「未来の希望」を持てなくなっていることに重なり合う。社会に出て仕事に就いても離職する若者が増え、簡単に転職をする。それが可能になるとそれを繰り返す。次世代を担っていかなければならない人材世代が、そういった地に足がつかない生き方になっている。「真の教育とは?」を改めて考え、知る必要がある。


また「根づく」ことがまったくといっていいほどなくなっている。根づかせるのは自分次第といわれるが、その環境、人のあり方、そして何よりも信じることができる「師の存在」にあるといえます。

そういった意味で、この教師塾は、単なる学ぶ場ではない、自身の現状を知り、すべてをさらけ出して学ぶからこそ、簡単に終わらせない、勉強するとはどういった事なのかを明確に示していただける。それこそが自分自身のあり方、生き方として培われ、根づいていき「中心」になっていく。

まさに「待ったなし」「言い訳なし」の参加者の先生たちの真剣の中での実践が、生き方となり、愛情の深さとなって生徒たちに伝わっていくといえる。


教師・親・大人・指導者のあり方が、これからの教育を変えていくという自覚が必要だと宇城先生は教師塾や道塾を通して、またその中で実践、実証を通して「生き方」として示していただいています。

そして「今の常識」から「今の常識にない実証」を通して変わることがない普遍の真実を見せていただいております。これまでの常識や固定観念に振り回されることなく、事実、真実にきちんと目を向け、人間本来の力を理屈でも暗示でもなく、実際に自分の中に取り戻すことだと言われています。

それが『道』に繋がると言えるのです。「武道を武術道へ」「スポーツをスポーツ道へ」「人生を生き抜くやりがいへ」、そして「教育は人間力向上」へと進化していく意味でも、何事も他人ごととせず、物事をしっかりと受け止め、捉える自分であり続ける中で「深化」していくといえるのです。

今回の実証の中でも、「すごい」という言葉が出ないくらいのスピード感を感じました。そういった実証の中で明確な答えがあります。理論を述べる人は沢山いますが、「実証」できる人は宇城先生しかおられませんし、それも誰にもできない形で私たちの細胞に働きかけ、潜在的なところを引き出していただいております。まさに本来あるべき自分自身に「気づく、気づかせる」がそこにあります。

本来、学校現場は子どもたちに勉強(やり方)をただ教えるだけではなく、心のあり方、潜在的なところを引き出す場でもあります。だからこそ「やってみせる」ことが大事だと宇城先生は言われています。


スポーツ(勝ち敗け)の指導には限界がありますが、教育には限界も終わりもありません。それが子ども達のエネルギーの源になり、「希望の光」になります。

そういった人としての魅力がないと、これからも益々不登校やいじめ、命を落とす若者が増え続けるように感じます。そして本体あるべき日本(日本人)の善さがどんどん失われていくように感じます。

エネルギーとは未来への希望であり、まさに勉強し続ける中で深める必要があります。20年後~30年後の日本を考えたときに、今を生きる、生かされている自分がいることを分かっておかないといけない。

改めて、実践、実証を通して自分の「今」を感じる機会をいただきました。

宇城先生は、エレクトロニクス分野の技術者であり経営者としても実績を残されておられた中で、武道を通しての生き様と武術の究極の「気」を通して気づかせる人間の潜在能力は、多くの人の希望となっていることは間違いありませんし、学校という教育現場にいる我々の役割は非常に大きなものであると言えるのです。

教師一人ひとりのエネルギーは、個々の生き方として、明るい波動となって子どもたちの細胞に働きかけ、伝わっていきます。


教育とは、ノウハウを伝えるのではなく、その真剣さが波動となって伝わり、子どもは瞬時に変わっていきます。あり得ないと思っていることが目の前で起こる。理屈ではなく信じるしかないという世界が細胞に働きかけ、エネルギーとなり流水の如く深いところに伝わっていく。まさに「深化」することこそが、自身のエネルギーの更なる活性化に繋がると感じます。それが自分を信じる「自信」に変わっていくといえます。だからこそ、生ぬるいことを言っている時間はありません。日常を通してポジティブなエネルギーを出し続けることができるよう、日々精進していく必要があります。

この教師塾のあり方も含め、一人でも多くの先生方が参加され、宇城先生の生き方に触れ、塾生の輪が広がることで日本の教育界に変革をもたらすべく、真剣さを以て「一人革命」を貫いていく必要があります。

それこそが、2025年の『変革』に繋がるといえます。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。

 

 

【島根 教育委員会 男性 40代】

 

今回もお忙しい中、ご指導頂きありがとうございました。今の世の中の流れを改めて振り返ると、様々な問題が渦巻いている状況であり、今までの経験値が全くもって役に立たない、意味をなさない世の中であるように感じます。周りからの意見に揺さぶられ、過剰なほどに反応する。自己中心の物の捉え方で、多くの幸せや平和が覆される。正解など存在しない世の中であるからこそ、自力(自信)をつける他ないのだと感じます。


 頭で捉える自信は、今まで数えきれないほど身につけようとしてきています。今となってはそれは、「自分を信じる」というよりか「自分を騙す」ものでしかないと感じています。今回宇城教師塾の実践において、怯えは身体を弱くし、いかなる頭からのアプローチも意味がなく、むしろより弱くなるという実践をしていただきました。自分が生きていく中で、普段から何を大切にし、どのように行動にうつすのか。その方向が間違っていなければ、自ずと状況は変化するのだと感じます。その変化は個に留まらず、周りにも波及するものであり、多くの人と関わる身であるからこそ、自らが成長し続けなければならないと感じました。

 宇城先生から学ばせて頂くと自分の至らなさに気づかせて頂きます。ただ、その状況が落ち込むどころか前に進もうとするエネルギーを頂いています。


 宇城先生からのお言葉にもありましたが、今年は変革の年であり、世界における日本を考えても真価が問われるタイミングに来ています。小手先の誤魔化しではなく、清濁併せ呑む覚悟と変化し続けるエネルギーが必要だと感じます。また、私自身も置かれる状況が変化する年であり、勇往邁進すべく、自分から家族へ、関わる子どもへ、そしてその地域へと波及させて行ければと感じています。

 初心忘るべからず(是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。)常に謙虚であること、未熟であるからこそ学び続けること、つねに変化し続けること。生きているうち全知することがないからこそ、進む。その進むべき方向を照らして頂いているのが、宇城先生であり、それをどう進むのかは自分次第だと感じています。

 改めてご指導いただきありがとうございました。

 

 

【奈良 中学校 男性 20代】

 

2025年度第1回教師塾誠にありがとうございました。家に帰ってから島根県知事のコメントを見直しました。丸山知事の「よそで起きていることではない」という強い言葉はまさしく能登での災害を「自分ごと」として捉え、そこに心を寄せているからこそ出てきた言葉だと思いました。日本のどれほどの人がこの感覚を持っているのか、自分の生徒はその感覚を持てるようになっているのか。不安や怯えから「よそはよそ」になっているようにも思います。その原因は私自身です。私自身が変わり、そして生徒を変えていけるよう精進します。

午後からの実践講演会ではこどもたちの様子を見て衝撃を受けました。

午前中の宇城先生の言葉がすぐに蘇ってきました。本当に今、危機に直面しているんだなと改めて危機感を感じました。きちんとできない生徒、集中力が無い生徒、痛みがわからない生徒、本来の力や感度が著しく落ちているのように感じました。自分の痛みに気づけないようでは、人の痛みにも気づけません。そんなことでは人にやさしくしたり助けたりもできません。この状況をどうしていけば良いのか、もう一度日本人の力を取り戻すためにはどうすればいいのか。自分にできることは様々なアンテナを持ち、勉強をし続けることです。人を引きつけられる魅力ある人間になり、生徒の手本となれるような姿を見せることです。

私には今のこの状況を劇的に変える力はありませんが、少しでも状況を良くしていけるように、変化し、進化、深化していき、生徒に影響を与えていきたいと思います。今回もたくさんの気づきをありがとうございました。これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

 

【奈良 教育研究所 男性 30代】

 

先日の教師塾、実践講演会でご指導賜り、誠にありがとうございました。今回は自分の思い違いをまざまざと気づかせていただく場面がありました。

 今年度が始まってからというもの、新たな職場環境でなかなか前向きになれない時期が長くあったのですが、新年を迎え、ようやく肚が決まり、迷いなく過ごせていたつもりでした。ところが、実証の中で手首を抑える場面で、常に同じ力で抑えられなかったり、抑える位置が微妙に変わっていったりしてしまいました。身体が怯えを現していました。頭先行で素直でなかったことを身体が現していました。

 今まで以上に素直になれなかった自分がいました。頭で考えて動いてしまう癖が強く表出したことに情けなくなると同時に、気づかせていただいたことに感謝しています。


 石割りやメリケンサックの実証は、不可能だと思うことを可能にしたわけですが、不可能だと思う思考そのものが成長を妨げるということにも改めて気付かされました。身体は素直です。素直な身体であり続けるために、固定観念や常識にとらわれず、行動していくことが必要です。

 英語教育に携わる者として、今回お話いただいた、授業時間数は世界一なのに、生徒は英語を話せないという現実は、真摯に向き合わなければならない課題です。教育制度そのものや取り巻く環境にも原因があると思いますが、英語教員の意識にも大きな原因があると感じています。今年度、若い先生と接する機会が多かったのですが、自分が知識を教え込まなければと思っている先生が多いことに驚いていた次第です。「自分が」ではなく「生徒が」話す機会を充実させ、その中で気付かせ、自信をもたせるような、まさに宇城先生が実証してくださってるような授業を作らなければならないと感じています。若い先生にそれに気付いてもらうように、私の役割を全うしたいと感じました。


 今回も新たな多くの気付きとエネルギーをいただきました。気を通していただくだけで身体が変わるあの感覚は他では感じることができません。次に指導いただくときにはさらに成長していられるよう日々精進していく所存です。今後ともご指導賜りますようお願いいたします。

 

 

【京都 中高一貫校 男性 40代】

 

先生の野球教室に初めて参加させてもらってから17年が経ちました。教員1年目の年度末からこれまで、先生からたくさんのことを学んできました。まさに、今の教員生活があるのは先生のおかげだと思っています。今回の教師塾では、先を見る、未来を見るということを学びました。その先を見る、感じる力はすでに自分の中にあることを教えていただき、再確認することができました。そして、その自分の感覚を信じることができるのかが大事だと思っています。その自分の感覚を信じること、自分を信じることを強めていくということにおいて、教員人生を振り返ると、先生のおかげだなと思うことが何度もありました。今でも、教育現場でさまざまなことを先に感じとった時、それを信じ、「できる」と思って行動に移すことができています。そして結果的に、「できた」になることで、自信を積み重ねていくことができていると思っています。またその先を見る感覚の調整という観点で見た時に、その感覚のコンパスを先生に会いにいくこと、お話を聞きにいくことで、調整できている、調整されていたと思っています。今回お話にあったように、まだ中期、長期で先を見るという感覚はまだ自分で感じることができていません。中期、長期での視点においては、これまでは先生から教わり、自分で咀嚼しながら気づいていくということが多く、今回のお話にあったように、信じるものをつくるということが大事なのだと改めて思いました。

 午後の講演会では、コーチとともに参加することができました。コーチは、10年前に生徒として参加し、今回は2度目の講演会でした。そのコーチと会話をする中で、多くの気づき、学びを得ることができました。そして、先生と繋げること、先生をベースに議論することが大事だと思いました。教師塾においては、今後本校で行われることがあるので、それらも絶好のチャンスだと思うので、同僚たちと参加させてもらい、1人でも多く、先生と繋がるようにしていきたいと思いました。午後の講演会では、多くの中学生や親子での参加者もいました。やはり小学生までの子どものすごさというものを再確認することができましたが、休憩中、ある女の子がホワイトボードの前に立ち、先生の板書をしばらく見ていました。私にとっても難しいなと思うところもあるのに、板書の内容をよく見て、その子なりに考えていたように見えました。先生の検証やお話しによって、気づき、スイッチが入り、自然と、もっと知りたいという行動が起きていたのだと思います。まさに、その子の中で、進化と深化が起きているのかなと思いました。私も教育者として、1人でも多くの子どもたちに、先生のように支援していきたいと思いが大きくなりました。また、子どもたちを先生に繋ぐということも自分にできる行動だと再確認することができました。


 先生は、世界の未来、国の未来を中期、長期的に考えた上で、私たちを導いてくださっています。17年前よりも、教育現場、自分の学校においても、危機感が大きくなってきています。まずは、中長期、世界国といった大きな視点を持ちながら、自分の学校、学年、クラブという目の前のことにおいてできる限りのことをしていきたいと思いました。先生から学びに加えて、自分なりに学ぶこと、先生と繋ぎ、繋がった同僚や子どもたちと議論し、行動していくことを強化していきたいと思います。

 

 

【奈良 高等学校 女性 30代】

 

常識ではできないと思っていることができると分かったときに、変わるチャンスがやってきます。脳で理解しようとするのか、すでに分かっている身体(細胞)があることに気づくのか、受け入れないかで大きな分かれ道になると思います。それが「今に未来がある」ということなのではないかと思います。宇城先生が島根県の丸山知事の定例記者会見の映像を見せてくださいました。昨年元日に起こった能登半島地震の復旧の遅れについて丸山知事は「日本の国として恥ずかしいこと」「次に他の地域で起こったときに能登のスピードを前提に政府は対応してくることは、耐えがたいこと」と強い危機感を示しました。教師塾の数日前の保健授業がちょうど災害の範囲で、地歴公民の先生と能登半島の復興の遅さについて話していました。スピード感がないことは分かるけれど、その先の危惧すべきことに気づけていない自分がいました。上辺だけをすくって、問題があることだけ認識し、その先がない。先を考える深さがない。山が高くなると裾野が広がるように次元が高くなると見える範囲が広くなる。とても低い次元にいるなと痛感しました。


丸山知事の言葉から「こういう考え方の子どもを育てないといけない」と宇城先生は言います。目前の課題解決はもちろん、次の事象や次の世代に積み残さない解決策を見つける力が必要です。日本には避難用シェルターを設置する概念がありません。他国との設置率をみると桁違いに低いです。以前の教師塾でも米国で銃乱射事件が起こった際に宇城先生がその話に触れておられました。設置率が低い理由として、日本は地震が多い点や国土の広さの問題、周囲が海で紛争が起きないなどの理由が挙げられていますが、要するに「平和ボケ」だと思います。30年の節目を迎えた阪神淡路大震災から様々な分野で法律や規準、対策が見直されましたが「避難所の現状」に進歩は見られせん。プライバシーは守られず、衛生環境の悪化、性被害や盗難が起こっています。建物や道路が新しくなり、そのノウハウを次ぎの地震が起きたときに活用し、経験を活かして復興を成し遂げたように見えるけれど、メディアに流されていない大事な部分があります。ただ、こう感じている私自身も実際に被災地に行ったことはありませんので、部分的に得た情報だけです。詰めの甘さがありますが、危機感や問題視する部分、もっと知りたいと思う熱量は教師塾で学びました。学校現場でも、もっと真剣に考えて欲しい。もっと先のことまで考えて欲しい。もっと広い範囲への影響を考えて欲しい。と感じることが多くあります。それは反転して自分に足りないことだとも感じます。


今回も多くの実証を目の当たりにしました。帰ってから何気に「量子もつれ」を調べると「離れていても互いに強く影響し合うこと」とありました。宇城先生の実証の多くはまさにその通りです。宇城先生を見ているとできる。できた人を見ているとできる。常識ではできないと思っていることができるし、見えるのです。宇城先生にご指導いただいた日は、素直な感情が次から次へと湧いてきます。このように湧き出る何かを感じながら、生活することを子どもたちに伝えたいと感じます。

宇城先生、この度もありがとうございました。今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

                                                                                           

 

【京都 中高一貫校 男性 50代】

 

 2025年のスタートも宇城先生にご指導を賜り、また、同じ教育現場で日々奮闘される先生方と共に学ばせていただける事に、まずは感謝申し上げます。個人的な述懐となりますが、私が初めて宇城先生のご指導に触れさせていただいたのが、ちょうど10年前の大阪実践塾(初級)でした。10年経っても変わらぬ情熱と、ますます高い次元に到達される師の姿を仰ぎつつ、この10年間、自分はどれだけ成長できたのか。改めて我が身を振り返る機会をいただきました。その結果は…


 日々の仕事の中で、その場しのぎになっている事が多く、なかなか自分革命(一人革命)が出来ていません。自分のレベルを引き上げなければと、宇城先生にお会いする度に身の引き締まる思いでいるのが現状です。ただ、宇城先生の「映す」ご指導を賜る中で、その都度、「気づきのレベル」と「自分の行動を即改めようとする心の柔軟さ」が、明らかに養われてきたという感覚があります。特に、11月の立命館宇治中・高キャンパスでの教師塾でいただいた気づき(その際の感想文にも書かせていただいた、中学生に対する自分の指導の拙さ)についても、その翌日から自分の発想とスタイルを変革させる事ができ、明らかに授業や生徒とのコミュニケーションが円滑に進むようになりました。この11月の教師塾では、教壇に立って上から見下ろすように生徒を見るのではなく、生徒の見えている景色を共有するつもりで生徒の側に立つことの意味、そしてその大切さに気づかされました。この事は、10年前からずっと言われ続けてきた筈ですが、年齢と共にをキャリアを重ね、生徒との歳が離れていく中で、自分の頭が固くなり、謙虚さを失っていました。そのような事からも、自分自身、まだまだ一人立ちするには未熟なようです。


 そして今回の教師塾では、「信じるものを心の中に持つことのパワー」の大切さを知りました。宇城先生のお導きで、腕相撲を通した実践(検証)の場を得る事が叶いましたが、お相手の先生が、親に付けてもらった自分の名前から普通では(常識では…この私たちの次元の低い常識が判断基準になってはいけない訳ですが)考えられない力を授けられるのを目の当たりにし、目から鱗どころではない衝撃を受けました。

 私たちには、まだ

まだ気づけていない世界があります。そう考えますと、人間の成長を最も阻害するのは、「分かっているつもり」、「できているつもり」という傲慢さなのだと、少しだけ物事の本質が分かったような気がいたします。とはいえ、まだまだ気づけていない事が多々ありますので、これからも宇城先生の下での人間修行に打ち込む覚悟でおります。未熟者ではございますが、今後もご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 

 

【奈良 高等学校 男性 30代】

 

宇城先生、大変なご多忙の中、第1回教師塾においてご教授いただきありがとうございました。

今回は、気付きの場の必要性を再認識させていただく機会となりました。

近頃目にするニュースでは、嘘や責任逃れがどんどん増えており、それだけで辟易してしまいそうですが、そんな時代だからこそ、先生がおっしゃった、今年が一番の山場であるという言葉に、正直不安を覚えました。しかしながら、将来を担う生徒の前でそのような不安な姿を見せることは、教壇に立つ資格がありません。今年が一番の山場。その言葉の重さを受け止め、これまで以上のエネルギーで生徒と向き合っていけるように取り組んでいきたいと思います。


また午後の実践講習会では、1年ぶりに生徒たちを参加させていただきました。多くの方が参加している中での教え子たちの怯えや思考停止に陥った姿を目の当たりにし、これからの指導の仕方を考え直さなければならないと気付くことになりました。普段から関わっている中で、どこかで見て見ぬふりをしていた所、自分の仕事の遅さによって全力で向き合いきることができなかった所、自分のことを棚に上げ職場の同僚について愚痴を言っていた所が、あのような生徒の姿に現れたのだと思います。多くの方々が本気で学びに来られている中で、大切な時間の中で、実践の機会や時間を奪ってしまう形になってしまい、申し訳ありませんでした。


もう一度生徒たちと本気で向き合い、多くのことを学び、教師塾で学んでいる立場としての他との違いを生み出し、自分が変われば周囲も変わる。変わらないのは自分の責任であるということを肝に銘じて、学校自体をよりよい空間にできるよう取り組んでいきたいと思います。まだまだ至らぬ所が多々ありますが、今後ともご指導の程、どうかよろしくお願いいたします。

 

 

【京都 中高一貫校 女性 40代】

 

教師塾でのご指導、ありがとうございました。今は過去の延長であり、未来は今で決まる。今の常識にはない新たな価値を生み出せる人間に自分が変化しなければ、未来は変えられないと改めて感じる時間でした。やり方ではなくあり方を深める。宇城先生が常に学び、結果も出しながら進んで来られたこれまでの積み重ねが、今の宇城先生につながっているのだと思うと、自分は狭い世界で、浅い場所でしか生きられていないと痛感しています。それでも宇城先生は私たち教師を見捨てず、教育が変わらなければ日本に未来はないと教えてくださっていることがいかにありがたいことなのか。そう感じています。


国会議員、官僚は日本を、日本人を守ってくれない。そう感じることが増えてきました。総理大臣が公約は守らなくても良いと発言をしても、国民が怒りをぶつけることもない国になってしまっているのは、国民の無関心が原因です。国のリーダーを選ぶ私たち国民の責任はとても大きいと感じています。フジテレビの問題もそうですが、何か問題が起きると責任転嫁をする癖が今の日本人には根付いてきているように感じてなりません。私たち教師も同じで、うまくいかないのは文科が悪い、生徒がダメだ、学校の体制が良くないからだ、保護者の理解がない・・・など、誰かの責任にして逃げているだけなのだと痛感しました。子ども達が自分ごとにする力に欠けるのは私たち大人がそうだからです。島根県知事の、「能登への対策は前例を作りたいだけだ」という島根県を守るための発言は自分ごととして捉えられているからこそ出てきた発言です。結局は自分には関係ないと無意識で思っている自分がいたのだと気づかせていただきました。


同じように、午後の部で感じた、集中力がない、姿勢が悪い、話を聞けない、すぐに相手を茶化す、真剣にできない・・・そのような子どもにしてしまったのは私たち学校の責任です。保護者が怖いは言い訳になりません。相手を納得させられない。自分がやっていることに自信を持てないから怯えが出てきてしまい腹が座らない。その結果、競争という次元が低い比較の中でしか頑張れない生徒を育てているのだと思いました。

他尊自信。

競争では自信は生まれない。怯えが生まれるだけだという宇城先生の言葉が胸に刺さりました。宇城先生は自分の身体を通してできる自分と出会わせてくださいます。その結果、自分だけではなく人間という生物の可能性、自然や宇宙といった神秘的な世界にあふれるエネルギーを信じられるようになってきました。常に自分と向き合う中でしか進化・深化はないという宇城先生の教えが、逃げそうになった時に自分にブレーキをかけてくれます。こんなにありがたいことはありません。私も教育に携わる責任ある人間として、そのような気づき、内面から出てくる学びへの意欲を掻き立てられる存在であらなければならないのだと、教師塾を重ねるたびに感じています。宇城先生の本に手を置いたときは、身体の細胞が大丈夫だと感じているのがわかるのに対し、宇城先生以外の本に手を置くと、身体の細胞が怯えているのがわかりました。メリケンサックで先生に何度突かれても痛みは感じず、むしろ身体にエネルギーが流れていくのを感じました。この細胞を突き動かすエネルギーはどこから生まれるのか。このことと向き合い、自分の今のあり方を変える以外に、変化を起こせる方法がないのだということがよくわかります。


今回の実践講演会の午後の実践で、子どもにはできることが大人になるにつれてできなくなっていくという事実を何度も見ました。子どもの可能性を奪っているのは自分だという申し訳ない気持ちと共に、自分が変わればその可能性をさらに開花させることができるという希望を同時に感じました。また、子ども以上に妊婦は強いということを目の当たりにし、守るべきものがある時に湧いてくる人間のエネルギーはとてつもないものであるということを痛感しました。そう考えると、結局は自分の狭い世界でしか物事を捉えられておらず、守るべきものに対する真剣さが足りないのだということがよくわかりました。宇城先生は日本の未来を守るために真剣に目の前の子ども達と向き合ってくださいました。私にその真剣さがあるのか。真剣に子ども達の未来を守る覚悟があるのか。そう問われているように感じました。


寄り添うと強くなる。寄り添われた方も強くなる。この実践からもわかるように、間違いなくエネルギーはその空間に広がり、その空間にいる人たちを変化させています。地球上で生きる私たち人間が、自我ばかりを主張するのではなく、寄り添う気持ちを持ち、日々の行動を変えていくことで、今世界で起きている自然災害や紛争は無くなっていく。宇城先生の実践を見ているとそう思えてなりません。それとは逆に、地球にマイナスのエネルギーばかりを送り続ける人間が増えていけば、地球から人類は存在できなくなっていくのだと感じます。

他尊自信。

私たち大人が、もっと自分自身の可能性を信じ、謙虚になり、学び続ける中で深さを求めて生きていくこと。他者を想う心を磨いていくことが、学校という場のエネルギーを高めることにつながっていきます。今本当に必要な教育は何か。教師塾で集う私たちが真剣に考え、それぞれの場所で変革を起こしていくことが2025年はこれまで以上に求められていると思います。保護者と教師が一体となり、子ども達の未来の希望を育てていかなければ、日本に未来はありません。

2025年は変革の年。自分が実力をつけ、周りの流れに巻き込まれない自分にならなければ、変化を起こすことはできません。短期的な結果を求める自己満足な教育ではなく、中長期の視点を持ち、短期のずれを修正できる教育に変えていくことが、私たち塾生の使命です。宇城先生が生き様で私たちに伝えてくださっていることを真剣に受け止め、子ども達の未来のために、スピードを上げて進んでいきます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

 

 

【USA 高等学校 男性 60代】

 

宇城先生の教えから、「見せて教える」を心がけています。自分から積極的に生徒や職員にあいさつをしています。ごみも自然と拾えるようになりました。体が考える前に反応し拾えるようになってきました。私の教室の前の廊下からトイレまではいつもゴミがないきれいな廊下になっています。警備のジョーさんとも連携し、ごみやペーパータオルが落ちてない廊下とトイレになってきています。私自身の人間関係も好転し摩擦や対立がなくなりいい環境を作れていっていると思います。自分が変われが周りが変わるという宇城先生の教えそのものです。


挨拶と正しい姿勢から生徒もいきいきとしてきてエネルギーに満ちています。何人かの生徒と昼休みに感謝の型とサンチンの型を一緒に練習しています。先生のDVDを観て練習しています。生徒はみるみる上達して私が気付かないような気付きを示してくれます。DVDの宇城先生の演武から私が見えてないエネルギーを感じているようです。全然力が入ってないのに柔らかく力強い型です。以前は軽く持ち上がっていた生徒も今ではびくともしません。それ以上に授業にも積極的になり、引っ込み思案でおとなしかった性格が明るく自身に満ち溢れたエネルギーのある生徒へと成長しています。うらやましいぐらいです。まさに宇城空手の実践の正しさとすごさだと宇城先生に感謝しかありません。


今年の目標は「受けて立つ」だと伺いました。困難にぶつかっても、とりあえずやってみるでいこうと思っています。教室に宇城先生の写真や書物を揃えました。生徒もエネルギーを感じているようです。生徒たちに負けないよう、自分がますます成長し、学校や職員そして生徒にいいエネルギーをもたらせるように頑張っていこいうと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 




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