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これでいいはない


 

 私は技術者時代、メーカーからの要望に対し事故想定の独自のプログラムを組んで、過剰ではないかと言われるくらいの検証をしてきました。


 商品開発における技術では、100%完成と思ってもまだ十分ではありません。それはこれまでの技術開発の経験から数多く体験してきたことでもあります。100%完成と思っても、不良はやはり出てしまう。それだけ不良というのは予測がつかないものであるのです。だからこそ、これでもかこれでもかというくらい、いろいろな仮説を立て、あらゆる事故を想定し、技術を完成させていくわけです。


 たとえば、製品の保障のための検査の一つに、落下試験というのがあり、規定では80cmからのテストをクリアすればいいところ、私は規定より上の1m、1.2mの落下試験を行ないました。それは、ひとつには、規定落下の製品の余裕度がどれくらいなのかを知るためです。もうひとつは、最も弱い所を知って、その部位をコストアップにならない範囲で強化できれば、その分落下に対して強くなるからです。


 つまり、ただ80cmからの落下試験をしましたというデータに裏付けられた製品と、その先の高さからの落下試験対策を行なった製品とでは、本質的に意味合いが違ってくるし、技術者としても、その製品に対する自信がまったく違ったものになるからです。


 このような厳しい事故想定を自らに設けたのは、不良が出たらすでにその時は手遅れで、損害と信頼を失うことにつながるという思いがあるからです。だからこそ、時間的な制限があるなか、規格100%の完成を目指しただけでなく、事故想定を考慮した開発にあたっていました。そういう思いは武術、武道の技の中にも反映されています。 


 ましてや何十万人を一瞬にして殺戮してしまう原子爆弾と同じ核を使う原子力発電は、100%の設計はおろか200%でも「完成」はあり得ないのです。なぜならば、未だに原発の一番最終がどうなるのかが開発者には見えていないからです。だからこそ、「これでいい」ということは決してないのです。だから生と死に立っての覚悟をもって関わるべきだと思います。


 武術における術技の完成度がまさにそうです。製品と違ってその安全率は例え100%でも話になりません。常に日々の進歩しかなく、その度合いは数字にはできません。野球では「3割打者」は高打者で素晴らしいとされ、競技武道では優勝することが頂点で、あたかも完成であるかのようなところがありますが、生と死が関わっているようなところでは、すなわち相対的な完成ではなく、絶対完成でなければなりません。


 だからこそ、一に勉強、二に勉強、三に勉強、四に勉強……というように、自分に厳しく常に怠りなく進歩・成長していく姿勢が大切だと思います。



  「進歩・成長とは変化することである。

     変化するとは深さを知ることである。

       深さを知ると謙虚になることである。」

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