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東京実践塾 感想文 2024年1月~ 2024年3月

■ N.S 会社員 千葉

 

宇城先生、いつもご指導ありがとうございます。

 

 1月の稽古より。数名の塾生がもつ机をとめる体験。宇城先生に気を通される

前は、数名がもつ机を前にした時、怯えた気持ちになり、身体も逃げの姿勢にな

りました。この状態がいつもの自分です。

 

 気を通された後は、机をもつ塾生がこちらに向かってきても、全く動じない心

と身体を体験させていただきました。この瞬間、自信と安定を感じました。私の

中にできる自分がいることを知りました。

 

 この時の検証から、真の信頼関係も体験させていただきました。私の知ってい

る信頼関係は、信頼という仮面をつけた裏切りであり常に不安を感じていました。

この時体験させていただいた真の信頼関係はそれとは全く違いました。この体験

の瞬間、心が熱くなるような感動と心の安定を感じました。

 

 2月の稽古より。午後の稽古にて、腕受け投げをひたすら行いました。ひたす

ら稽古することを教えていただきました。

 

 3月の稽古より。腕相撲で何人かの男性を動かす検証より、普通の状態では、

全く出来る気がしないのですが、頭で考えることを宇城先生に抜いていただくと、

自信が湧き、迷わず動かせた自分に感動しました。頭であれこれ考えて、自分で

自分を出来なくしている事に気づきました。そして、私ができた時、私に繋がる

人たちが強くなることに感動をしました。いつかそうなりたいと希望がわきまし

た。

 

 できない自分とできる自分を体験させていただき感謝いたします。宇城空手を

学ぶことで、守る事を身に着けていきたいです。私の人生の中で、守る術が身に

ついていれば避けられた事が沢山ありました。だからこそ、身につけて繋がりが

ある人達を守っていきたいと思います。

 

 これからもご指導宜しくお願いいたします。


 

■ H.S 自営業 沖縄

 

宇城先生、3月のセミナーでの御指導ありがとうございました。

 

 榎本師範のサンチンからのエネルギーが進化していることが分かりました。検

証を通し、これまでの常識では不可能と思うことを先生のアドバイスで自力で修

正し、腕受けで群衆のひとかたまりを押さえ込んでいく様は、師に学ぶことの本

質を見ているようで大きな学びをさせていただきました。

 

 師範のサンチンは女性ならではの愛からの調和のエネルギーで、柔らかさの中

に守る強さがあります。あのようなエネルギーがあることを見せて頂き、感謝し

かありません。

 

 今回の検証はかなり高度な内容を示しておりました。人間は霊性に目覚めた時

に、フリーエネルギーを創り出すことができる身体となる。先生が気のエネルギ

ーを自在にする様はニコラ・テスラもできませんでした。人が生命エネルギーの

覚醒を地球上の全ての命ある生き物達と共に、共鳴し創り出していく未来を予見

させます。

 

 またそのような未来を担う子ども達も多く出てきてはいます。我々大人が地球

に生まれてきた本当の目的は何なのか、無意識下にある深層意識とつながってい

る気のエネルギーの力により、実体験を通し自らの中から感じ始めております。

 

 長テーブルでの突っ込みの検証で前に立った時に、背後からの先生のエネルギ

ーで目の前の空間の場が瞬時に変わり、私の中の恐怖が消えました。波動だと思

いました。先生は私の目の前の三次元空間を恐怖の意識が消える高次元に変えま

した。肉体を持ちながら異次元エネルギーを検証という形で、これまで私達にい

ろいろな手法を通し見せていただいてきたこと、改めて師の凄さに感動します。

感謝申し上げます。

 

 師を映すなどと軽々しく言えなくなりました。武士道を理解するうえで、活人

剣という言葉がありますが、まさに宇城空手が人を活かす空手として高いレベル

まで磨き上げられていることをとても感じております。

 

 日々型の稽古に励みたいと思っています。

 これからも御指導宜しくお願いいたします。


 

■ H.N 教師 神奈川

 

  気のエネルギーの実証として、テーブルに寝かせて置いたペンに気を入れると、テーブルを傾けても転がらないことを見せていただきました。目の前で見ていましたが、普通なら転がってもおかしくない角度でテーブルを傾けているにもかかわらず、全く動くことがありませんでした。先生の気は、目には見えなくてもなんらかの形で物理現象を起こすほどのエネルギーを持っているのだということを見せていただいたのだと思いました。

 

 腕受け投げの稽古の中で、正面で向かい合った時点では衝突が起きているので、斜めの角度で腕受けをしてから投げると技がかかりました。また、相手と同じ方向を向くことで無力化できること、ハグをすることで調和して衝突が起きないことなどを実践しました。

 

 ですが、何回かやっているうちに技が効かなくなってしまいました。エクササイズになってしまっているとのご指摘でした。そうやって技をかけるのは、結局たんなる小手先のテクニックでしかなく、一時的にはよくても、身に付いたことにはならないということがよく分かりました。そして、この小手先でやっている

ことは、たんに技をかけたいなどの自分の欲の上に成り立っていることでしかないということに気づかされました。

 

 弱っている人に寄り添うことで、相手も自分もエネルギーが高まることを教えていただいています。その他にもハグ、ゴミを拾う、さらには型などの空手の実践もそうですが、これらを日々実践することで、本当の意味で身に付けていかなければ意味が無いと思いました。冒頭に書いた、先生のすさまじいまでの気のエネルギーは、そのような実践の日々の果てしない積み重ねの結果であり、その根源には先生がいつもおっしゃっている「心あり」があるのだと思いました。

 

 今年は、元日に能登半島地震が起き、また気候の不安定も続いています。そんな中でも、「創心館」の名に恥じぬよう、自分を見失うことなく日常をすごし、

調和のエネルギーを高めていけるよう精進して参りたいと思います。本年もご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。


 

■ Y.I 会社員 東京

 

宇城先生、東京実践塾に参加させていただき、ありがとうございました。素晴らしいご指導を受ける機会をいただき、本当に感謝申し上げます。衝突を起こす身体をニュートラルにできないこと、そして、そのできない理由の根源が我欲から来る思考であることを認識したのと同時に、我欲が自分では消せずにいることから、日頃欲まみれになっていることにも気づきました。一方、先生と榎本師範がニュートラルの身体の変化とその影響を私たちの目の前で見せていただいたことで、一隅の光となっています。そのような中での感想文となります。

 

 最も強い印象を受けたことの一つは、先生が塾生の脳(思考)を取り出すことで、取り出す前にできなかった投げが一瞬でできるようになったことです。身体と比べると頭脳が劣っているという先生からのご説明があり、生徒が先生の指示に従い片手を別の生徒が握ると力と力の衝突が起きてしまい、指示したことができませんでした。しかし、先生が実際にその生徒の頭の位置から何かをつまみ取り除くと、できなかった塾生は、力むこともなく、投げることができました。先生は、「脳が身体に比べると悪いから取り除いた」ということで、私たちは常に思考に身体を縛られて、元々備わっている「統一体」を自らの思考により「部分体」にしてダメにしていたことがよくわかりました。

 

 コーチングを学んだ際、思考の癖があると仮説を立て、具現化するというワークを思い出しました。人間は新しい行動を踏み出そうとする際、癖が顕著に現れるのですが、具現化することで時間を促し、関わりながら修復していくプロセスを踏みます。このプロセスは数か月かかるのですが、先生の場合、こういった癖を一瞬で取り除けているのだと思います。宇城空手の身体からの一触には手も足も出ません。

 

 また、先生の身体へ棒先を押し込むのに先生は何ともないという事象に対し、畏敬の念を持たざるを得ません。先生が壁と密着し、あらゆる部位に棒の先端を当てさせた上で、Sさんが棒を握り思い切り起こし込みました。具体的な部位は、手の平・指・肘の内側・二の腕・脇腹・鳩尾です。棒の先端と壁の間に挟まれるとその痛さは想像を絶するのは明らかで、精神力等で我慢できるものではありません。しかし、Sさんが思い切り棒の先端を上述の部位に押し込むものの、先生の表情はときおり笑顔を見せていました。むしろ力を入れている下澤さんの表情がゆがんでいました。この後、世界チャンピオンだったFさんが先生と交代したのですが、それらの結果は明らかでした。これらは、統一体、無力化、気のエネルギーの複合によりなしえるのかもしれませんが、本当に驚きです。

 

 逆に先生が気のエネルギーが入った状態で棒を持つと、非常に怖かったのです。場の雰囲気もガラッと変わり足がすくむと同時に圧倒されました。先生が棒を持ち、棒を回転させるだけでも圧倒的な迫力があるのに、そこに気が入ると棒は恐ろしさも桁違いなものでした。

 

 四方斬りの型にある「束当て」に対して実際の木刀の束を上から叩くという所作があり、束を当てた時にでる音について、先生と生徒では全く違うものでした。先生の場合、統一体なので細胞の密度の高さと関係するのではないかと思いました。生徒の場合、身体に空洞のようなものを通して音が反響し、それが外に広がってしまうのかもしれません。ここでも、統一体と部分体の差を認識できました。先生の束当ての場合、短い音で反響はないまま消えました。さらに束を叩かれた生徒は、身体が固まってしまい一歩も動けなくなりました。一方、生徒が束を当てる音はカーンという反響が空間に広がっていました。そして、叩かれた方は特に変化はありませんでした。

 

 集団で床に胡坐をかいた塾生たちの一人に先生が触れると、密着している塾生全員が、上下・前後・左右に動かされます。塊の中にいると個は身動きすらできなくなるので、先生のなすがままにはなってしまう一方で、その塊は守られています。守られているというのは、個々で抱く不安や怯え等から来る思考から身体が解放されている状態になっているように思えています。床に胡坐をかいた塾生たちが密着している状態で、その中にいる数人が踏ん張ったとして何の影響も及ぼしていませんし、胡坐では密着した状態だととなりの人にも対し力を入れたとしても力が伝わりません。しかし、気のエネルギーにより個々が一つの状態になっていました。気のエネルギーでは、個々を一つの塊にするのと同時に、塊になれば先生にとって容易に動かせ制することができるのだと思っています。

 

 身体への影響が無意識と比べて、意識は数パーセントにも関わらず、わたし達が、いかに意識(頭)がバーチャルに囚われ、時間を止めて衝突を生み出しているのかということを教えていただきました。このことを検証する方法として、ストッパーを解除したキャスター付きの長テーブルを五名の塾生が手をかけつつ、号令と同時に立っている人に向かって、押しながら長テーブルで突進していくというものがありました。

 

 塾生の場合は、突進を避ける反応が出るので、後ろに下がるか、せいぜい横に交わすしかできません。しかし、先生は号令と同時に、気のエネルギーを発することで、先生は一歩も動かずに、逆に長テーブルで突進しようとしていた塾生を固めてしまったのです。体育館の床でキャスターの滑りがいいはずです。しかし、塾生は少しでも先生の方へ進めようと踏ん張るのですが、全く動けませんでした。

 

 先生は、押している五名の塾生に力を抜くよう指示を出したところ、先生の立ち位置と反対の方向へ移動していきました。長テーブルそのものがバックしていくように見え、五名の意識ではバックするテーブルに抵抗するすべもなく、従わざるを得ませんでした。

 

 私たち日本人の行動は、自分の意識でほぼ全てことは何とかできてきたし、今もそうだと思い込んでいる日本人が大半と思います。しかし、身体を意識でコントロールできる部分は数パーセントしかありません。さらに深層意識に怯え・不安が入ると余計に身体の持つ力を出せないということも理解しました。この数パーセントの中に意識にも関わらず、処理できると思い上がっているところに、人間の我欲があるのだと思います。ゆえに、行動というのは、意識で行っているうちは表面上だけであり、無意識のところまで影響を与える行動を起こしていかない限りは、先生がおっしゃっている進歩成長というのは身体に起きないのだと思いました。

 

 先生が水の入ったペットボトルを通して、塾生に技をかけられていたことも大変強い印象として残っています。ペットボトルに力が加われば変形し、少なくても凹みます。しかし先生は、ペットボトルを塾生に掴ませ投げる、そして、塾生の胴体に当ててと倒すなどを見せていただきました。いずれもペットボトルには凹みすら起きていないように見えました。変形は確実になかったです。さらに一列に並んだ四人の塾生にたいし、一番前の人を先生がペットボトルで突くと四人全員が同時に後方へ倒れていきました。

 

 また、そのペットボトルを手に持った状態で、基本の受けを見せていただきました。さらに基本の受けから、Mさんに技をかけられており、その時にペットボトルに凹みがなかったです。受けも含め、このペットボトルを用いた先生の技術には、ただただ感動をしました。基本もここまで深さがあるのかと思うと、稽古不足を痛感しました。

 

 今の日本人は、思考というものに優先順位を高く置きすぎており、その結果として我欲を満たすことで思考を占めてしまっていると思います。統一体という能力が備わっているにも関わらず、それらの思考と引き換えに、わたしも含めて自らが手放している状況にいます。また、我欲を満たそうとする思考により身体をバラバラにしてしまい、結果衝突が起こす身体が主となっています。衝突だけは認識しており、それらの衝突を治める方法も、我欲からくる思考では、権威・金にしがみつくことになり、しがみつく結果として、恐れ・怯えの隣で、人生を過ごさないとならなくなると思います。真の幸せは、調和の中からしか出てこないのだと思います。

 

 毎回の実践塾で感動を覚えるのですが、2024年においては三月の実践塾はわたしとって一番感動が沢山ありました。意識からの行動は人間の持つ力の数パーセントしか出せておらず、そこから考えると、もっと、使えていない未知の部分に目を向け、行動を増やし、行動の中の一つ一つの所作を丁寧に取り組むことが非常に大切だと思いました。それらから、無意識の領域の能力解放につながり、結果として、我欲が減り、ニュートラルの身体が構築していけるのだと覆います。

 

 以上色々と書きましたが参加させていただいた感想となります。四月の実践塾それから春季合宿への参加を楽しみにしています。それまで日々の一人稽古のほうを精進してまいります。宇城先生、引き続き指導並びにご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。


 

■ T.K 会社員 東京

 

宇城先生、毎回いろいろご指導の時間を頂きありがとうございます。

 

 先生の講話では、宇城空手を量子力学を用いて「気」のあり方など色々な側面から見て分かりやすく説明して頂きます。この様な内容について自分でも量子力学の説明内容を読んでみるのですが理解に苦しみます。ただ、先生の場合、実際に検証する内容で例えて、頭で理解するのでは無く、実際に体がどの様に変化するか見て、感じて立証していく事に理解しやすく、その後、量子の説明を再度調べてみると先生が私たちに何を伝えたいのか理解できます。

 

 説明での中でも量子は「粒子と波の両方の性質を持ち、波の性質を持つと言うことは重ね合わせのの原理より電子の状態を重ね合わせて表現できる」との事で実際机を使い数人で机を持ち、重さを変えたり、先生が指示をすると勝手に回り始めたり、常に電子の磁界が存在し、その物自体目に見ることは出来ないが実際目に見える様に再現させることがとても凄いと感じます。おそらく、大学教授でも色々な専門の先生方でも宇城先生の様にどんなレベルの人でも納得させることは出来ないと思います。

 

 また速さ(スピード)についても量子の速さを調べてみると、通常のコンピュータでの計算速度より量子コンピュータの速さはありえない程のスピードを持っているとの事で、普通のコンピュータでは数百桁の計算で10年、1万桁以上だと1000億年必要との事、対する量子コンピュータでは200桁の因数分解で数分、1万桁以上でも数時間から数日で処理できる速さを知り、先生の「気」の速さもまさに量子に匹敵するものと思いました。

 

 「気」については、目視できるものではありませんが昔から「気」に関する言葉はいろいろありますので、存在は認識されたものと思います。先生の考えでは「量子」を観測する事で形を変えることは、観測という主観的な行為には「我」や「欲」の意識が働いているのではと仰っていました。

 

 我々も見えないもの、知らない物について説明するのに、相手に分かるように勝手な解釈や見方をして、形を変えて納得させ、自分でも理解してる様に感じています。しかし、空手の稽古にしても会社の中においても、必ず忖度をする癖が当たり前の様に身についてしまい、それで、自分自身の不安や、怯えを解消してくれるものと感じてしまっていると思います。

 

 先生は「気」使うことで誰も出来ない事をいとも簡単にやって、当たり前の様に見せてくれます。「量子」の説明にも「普通に考えて矛盾するような事でも、量子レベルの世界では当たり前のこと」と記載されているのを見て、まさに同じことを実感いたします。

 

 まだ私たちのレベルでは理解できないことも多々ありますが、先生はそのレベルにまで合わせて頂き、いろいろ勉強をされて、色んな入り口を見せて頂きてますのでそれに答えられる様、精進していていきたいと思います。

 

 今後ともご指導の程宜しくお願い致します。




 

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