『頭脳から身体脳へ』を読んで思うこと


 誰もが感じていることだと思う。今の国政を司っている人間たちの無謀さ、横着さのことである。人間性に乏しく、スケールが小粒で全く誠意が見られない。いつからこんなに劣化したのだろうか。歴史をたどってみても、なかなかその端緒は見当たらない。急によくなるという変化は期待できないだけに、これから先の明かりが全く見えてこない。批判や泣き言を言っても始まらない。ましてや無関心はなおさらだ。


 それでも大自然の太陽は毎日、我々に明かりを照らすために出てきてくれる。そうでなければならないと思っている。


 世の中には際立った人がたくさんいて、希望の明かりを照らしてくれている。それはオリンピックの金メダリストの明かりとは比べられないほど際立った明かりである。そういう明かりを照らす人間の輪が広がっていくといい。それは何も現在だけの話ではない。歴史上に存在した人の明かりが今にも生きている。


 照らす明かりは、多いほど強くなる。



 今から17年前の2004年に発行した拙著『頭脳から身体脳へ』を読み返した。まさにその当時の自分の考え方、そして生き様がそこにある。

 「おわりに」に、次のように書いた。


「今の世の中のように、頭や理屈が先行し実体が伴わないような状況では、いずれ国家の破綻を招くことになると言えましょう。身体を通して身体で感じ、身体を通して考え、言葉にすることこそが大事だと思います。平和な世の中にあるからこそ、身体を通して心を鍛えることが大事であると思います」



 これは私なりの信条でありますが、


「心」とは裏切らないこと、

「愛」とは信頼すること。



 アメリカの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春」に次の一節がある。


「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」



 まさに今こそ、情熱の火を灯す時だと思う。


2021.9.13 宇城憲治 




『頭脳から身体脳へ』(初版)