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東京実践塾 2018年6月〜2018年8月

■ 東京 会社員KS



 今年の夏は異常なほど気温も高く猛暑の中、宇城先生にはいつも以上に熱心にご指導をいただきました。心より感謝いたしております。


 本来武道の学び・伝承というのは師から盗むということが根本にあると思います。それは道での先生と宮大工の小川棟梁との対談の中にもあります。また先生からも日頃よくそのお言葉をお聞きします。先生が座波先生、川崎先生から生き様を通じて空手・居合いを学んできたというお言葉はまさにそのことを指し表しているのかと思います。


 しかし先生の稽古では、なかなか進歩がないことから理論や論理を用いて様々な角度から実証を繰り返し行っていただいています。塾生に気付きを与えてくださっています。さらに気の指導で実際に身体を通じて体験させていただいています。ありがたい限りです。


 先生の稽古方法はどこからそのような発想が生まれてくるのかと毎回驚きの連続です。回を重ねるごとに1日の稽古があっという間に終わるように感じます。


 毎回集中力が増してきている感覚はありますが同時に慣れというのは怖いなと感じる時もあります。実践塾や道塾にて先生から特別な指導方法で毎回ご指導いただけることが当たり前ではない。時間は無限にあるわけではない。またいつまでもあまえは許されない。そのように感じながら稽古をさせていただきました。


 8月の稽古で四つん這いの状態から帯を持ち上げられ、一度相手に合わせると再度持ち上げられる際には身体が重くなり持ち上がらなくなるという稽古がありました。まさに組手や力比べにおいて相手と調和するということを身体で体験させていただきました。また実生活においても同じことが適用できると感じました。


 2、3か月前から会社で直属の上長と衝突まではいきませんが空気が合わないというよりスピードが合わない感覚がすごくありました。今の会社に転職してから一緒に二人三脚で7年間結果を出してきた上長との間でしたが。しかしながら稽古の翌日に一気に解消いたしました。特に気にしたというより自然と私から歩み寄れたと思います。すべては自分と先生にはいつも稽古で仰っていただいています。何気ない日常にも多大な影響を与えるのが先生の指導です。


 最初に動いた人が一番重くなるという実証を拝見しました。困っている人を素通りすると身体は弱く軽い。しかし気にかけて寄り添うと強く重くなる。しかも相手の重さまで変わる。先生は講義で質量は同じだがエネルギーが変換すると重さが変わると仰っています。


 日本中がそのような周りの人との関わりを大切にするという方向に向かえば自然と国全体が重くなりエネルギーに満ち溢れると感じました。ものすごく大きな希望を垣間見た気がします。人の間が強くなること。まさに人間の本質ではないことと感じました。自分自身に置き換えてみると日常で見て見ぬふりをしているところがたくさんあるなと反省した瞬間でした。


 重力は空間のゆがみを作り物体を引き寄せている。布製のものとボールを使い説明してくださりました。ものすごく理解しやすく同時に様々な気付きにつながりました。重さが増せば組手でも相手が良く見えてくる。気を通していただけるとすごくよく見えます。


 また日常でも重さが増すといい出来事や人との関係性が良くなると思います。重くなれば主体性が増す。先生の指導直後はそのようなことを数多く体験します。根本はその重さがどこから来るのか。これは師を通じて学んでいくしかないと感じました。欲が出てくれば軽くなり、優しさが増せば重くなる。心の在り方次第ということは稽古を通じて身体で学ばせていただいています。


 また演武ではなく本当の型から圧倒的な重さが出てくると確信しました。私にはまだほど遠いですが一人稽古を繰り返して身に着けていきたいと思います。

 日々精進に励みます。ご指導ありがとうございました。




■ 東京 会社員HO


 宇城先生


 いつも素晴らしいご指導をいただき。誠にありがとうございます。宇城先生のご指導はこの世界で唯一無二のものです。常識では不可能なことが、他者であるはずの宇城先生の力により身体が変化し可能となる体験は、普通に生きていれば決して触れることができなかった世界だったと思います。


 日本社会は益々混迷を極めてきております。政治は腐り切り、ありえない事件が頻発し、マスコミは何かを隠そうとするかのように次から次へとスポーツ界や官公庁、企業の不祥事を暴露しています。


 以前であれば、そのひとつひとつに激しい怒りを燃やしておりましたが、今は少し高い次元から俯瞰できるようになりました。この世界の構造が少し見えてくると申しますか、我々の目に見える世界はプロレスのようなもので、国民という観客の前でレスラーがストーリーを演じているだけの、まさに「虚」であり、それをいくら変えよう良くしようとしても、そのストーリーと舞台を作り上げた「何者か」の手の上で踊っているだけなのだと感じています。


 ではどうすれば良いのか。人の存在目的は幸福の追求だと思います。しかし、大きな事ばかり考えても妄想になってしまうので、まずは経済基盤を確立し行動可能な力を持つこと、正しい師に学び虚構に惑わされない中心を創ること、そして自分自身を変化させ、その変化を周囲にも拡げることなのだと思います。特に、狭い価値観に囚われた狭義の幸福追求は争いを生むことから、価値観を広く平らに持つことが大切だと感じます。


 本来こういった啓蒙は宗教や哲学の役割だと思いますが、それを武道で行うことができるというのは、日本文化のレベルの高さと、宇城先生の力なのだと思います。宗教や哲学は言葉であり実践がありませんが、宇城先生は全て実践で示されます。こんな素晴らしい師に学んでいるのに変化できない自分を歯痒く思います。


 宇城先生に気を通され出来る自分と、通常の出来ない自分。その両面を体験していればこそ、出来ない自分を謙虚に認めなければならないと思います。正直、出来ないことに落胆することもあります。しかし、暗くなることは自身のエネルギーの低下だと思いますので、気を通され出来たという身体記憶を希望として、明るく、そして真剣に今を生きていきたいと思います。


 これからもよろしくお願いいたします。




■ 東京 会社員HS


 宇城先生、日々ご指導頂き有難うございます。


 現在私の会社は改変期となり色々な事がうまくいかない状況にあり、私もその中で日々もがいております。なぜ仕事の内容がこうもうまくいかないのでしょしょうか? やはりそれはみんなに対して自我が現れていて、それぞれの相手に対し受け入れる心ができていないからでしょうか?


 先日の実践塾でも、困っている人に手を差し伸べた人は早く何もしない人よりもちろん強く、また助けられた側よりも強くその時間が働いています。子供の頃は私自身も困っている人がいたら何も思わずとも手を差し伸べる力があったように感ます。しかしいつの日からか困った人に手を差し伸べることに躊躇しその手を差し伸べる事自体が時間の無駄ではないか?ともどこかで思っている自分がありました。「無関心は罪である」との言葉とは、逆に何も関わらなければ悪くならないと言う様な考えがいつしか出てきているような気がしています。


 自分自身では相手の事を考えて動いていると思いながらの行動ではありますがそれ自体が自己満足になっているのかもしれません。常日頃先生は「席を譲ろかな?ではなく、既に譲っている自分」がそこにいなくてはいけなくて自分自身の行動を振り返り、まだまだ自分の甘さに浸っているのだと思います。


 はじめ私は先生の空手に憧れてその門を叩いたのですが、今は先生のご指導を仰ぐたびに、空手が単純に強い…といことではなく、それ以上人間としてまた人としてどう生きるかなど生き様と人間の本来持っているであろうその凄まじい力を見せて頂いいますがなぜ私には出来ないのか? それはやはり日々の自分の生活の中で実践できていないのにほかなりません。


 自我が強ければ先生の気も入ってこないという事もあります。先生は変わらず私たちに接してくださっているのにその電波をキャッチできなくしているのは紛れも無い、閉じている自分自身にほかなりません。先生の稽古に参加すれば疲れていながらも、やはりそのパワーを頂き次の週からは元気が湧いてきます。自分は相手を思いやっている気でもそれは自己満足で甘いという事に尽きるから仕事に対しても様々な軋轢が生まれてきているのだ思います。


 全ての行動に「心あり」が生まれてこない限りこの様な負の連鎖は打開出来なだと確信し、全ての事に心がある人間にならなければと思っています。


 まだまだ足りないばかりの私ですが今後ともご指導宜 しくお願い致します。




■ 東京 会社員TK


 宇城先生、いろいろご指導ありがとうございます。


 先生から私達のレベルでも理解できる様に型を教えていただき、その中でいろいろんなことを、自分たちに気づかせてくれます。


 一人稽古での型を稽古する時と広い体育館でみんな揃って型を行うだけでも、型を行う意識、心持が全然違ってきます。先生の型を映しながら、体育館の中が一つになる調和がとれた感覚が体に感じ気持ちが落ち着くことでだんだん無意識に体が動かせる感覚になります。


 型から教えてもらう意味は繰り返すごとにその難しさ、深さを実感し分解組手においてどのような状況、攻撃においても技がかけられることは、もちろんですが、型を通して日常でもその姿を見せることで、社会人として立派な人格を作ることが型から教えられると思えます。


 また、その立派な人格を作るにも、まず行動がすべてと先生が我々に伝えようとしています。型の通りの動きは当然技も掛かるようになりますが、それ以上に、自分の姿や姿勢や考え方が変わり、型を通り行うことが素直な気持ちを作り、姿勢が人に対しても素直に意見を聞き入れ、仕事に対しても取り組む姿勢がいろいろ変わってくる感じがし、それを実感した時、先生の教えやお言葉を思い出し、また、さらに深さを実感いたします。


 最近の稽古では自分で研究することが多くなり、その中でいろいろ疑問を持ち研究することは、非常に重要と考えます。先生の様に技術の世界では人と同じことをしても意味がなく、まず、人がまだ気づかないこと考えてないことを工夫研究し、それが今後どのようなロードマップとして構想していくのか、それを実現するために、今、何が必要か、先生は稽古でも講話でもその内容を指し示しておられ、そのやり方、考え方は非常に心に残ります。


 先生に教えて頂いたことを基本に、自分のするべきことに自信を持って行きたいと思います。


 これからもご指導よろしくお願いいたします。




■ 千葉 自営業CN


 この度も貴重な稽古に参加させていただきまして真にありがとうございます。


 6月の稽古では、気に満たされて生きるということをお伝えいただきました。毎回のように先生がお話くださる世の中の現状と未来、いつもその先を見通されている事が現実になっていく様相をみていると、宇宙的観点からの物の見方に驚愕すると同時に、事の重大さに気づけていなかった自分の甘さを痛感いたします。


 先生が何気なく笑い話にして言われた「80ぐらいになったら技をストップさせる事が出来なくなるかも知れんから、その頃までには皆も上達しておかなあかんぞ」とお話された時に、先生は一生かけて伝えてくださるんだ、とその優しさに涙が出ました。それと同時に、その時の自分は絶対に幸せで人生を上達していなければとおもいましたし、先生に教えをいただくに相応しい人間でなければならないと覚悟して進みたいと思います。


 7月の稽古では午前中からの猛烈な暑さに、恥ずかしながら座って立つ度に立ちくらみがおきるような状況でした。しかし、そんな中先生が一番動いているにも関わらず、全員の中でダントツで一番元気であり、そのお姿に圧倒されてしまいました。


 まるで暑さをエネルギーに変えて、いつも以上にエネルギーが増幅しているようにさえ想え、いつも毎回毎回何年も思うのですが、あらためて本当に人間の凄さというのをいかなる時にも実践され、美しく強く厳しく優しいと心から感じました。


 稽古中のサンチンの検証の際に先生から直接ご指導をいただき、サンチンで両側から腕受けの腕を押されその次に自由に動けるか、という検証の際に上半身と下半身がバラバラになっていて変な力も入っているとご指導をいただきました。そして先生に直していただいた際に体が繋がる感じをはっきりと感じ、その週に日常で感じていた違和感を思い出しました。


 最近仕事での作業動作姿勢が変わり、上半身に意識が行き過ぎてしまい仕事中に地に足がつかず浮いている感覚があり、これは気をつけなければいけないと思ったのですが自分では直せませんでした。先生はいつでも必ず見守ってくれていて一瞬で見透かされてしまいます。


 この直後から体はスーッと何かが通ったようになり楽になり、その後の稽古でも立ちくらみやクラクラすることなく、特に午後の稽古では何事もなかったように動くことができました。


 自分達は健常者の病気をもっているため、普通に調子が良い時や物事が上手く行っている時は勘違いをしたり調子に乗ったりしがちです。だからこそ体調が悪い時や辛い事、大変な事が重なっている時程、先生を信じきれているか自分に問う事が出来る時だと思っています。お会いした時だけでなく、逆にお会いしていない時間にどれだけ先生と繋がっていられるかが本当に大事であると感じております。


 昔は何か問題が起きた時ほど視野が狭くなり自分の中にシュッと縮こまるというか、今までのやり方で対処しようとしてしまう時がありましたが、ある時からそんな時ほど自然と先生が出てきて、先生ならどうするんだろうと想ったりすると不思議と解決していくような事が多いです。


 普段一人稽古をするときも、部分を気にしだすとばらばらになっていく感じはわかります。しかし、先生の姿を思い出しながらというのか、なぞるつもりで心に映すような感じで型をやると締まってきて頭で考える部分が減っていくように変化を感じます。


 今年も残すところ4ヶ月となりましたが、気を抜く事無く変化に繋げていきます。いつも次元の違う大変貴重な時間をありがとうございます。


 今後ともご指導の程宜しくお願い致します。

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