第4回 関西教師塾が開催されました
- chiba
- 2025年11月13日
- 読了時間: 48分
更新日:2025年11月17日
2025年11月5日(水)、第4回関西宇城教師塾が立命館宇治高等学校で開催され、近畿地方を中心に遠くは山口、岐阜より20名の教員関係者が集まり、宇城塾長より教師が歩むべき道筋をご指導いただいた。
そして宇城塾長から、ローマのコロシアムから始まる対立の歴史、アウシュビッツが物語る悲惨な歴史、そして現代のロシア・ウクライナやイスラエル・パレスチナの紛争、台湾有事など人間の欲がもたらす対立の歴史についてご指導いただき、その解決の道は全てのもの、ヒトと調和、融合を実現させ、人間の可能性を引き出す宇城式にしかないことを自らの身体を通して気づかせていただいた。
2時間という短い時間ではあったが様々な実践を通じ、私たちは普段頭を使って全体の5%の可能性にしか気づいておらず、残りの95%の潜在能力に気づけていない、また子どもたちの潜在能力を引き出せていないこと。その潜在能力は誰にでもあるものであり、自らの心により引き出すことができること、また教師が子どもの潜在能力を引き出す教育をしなければいけないことをご指導いただいた。
対立・競争から調和・融合へ、筋力的な力から細胞に働きかけるエネルギーへ、宇城塾長からしか学ぶことが出来ない教育の本質、子どもたちや自分の可能性に気づかせていただく貴重な学びの場としていただいた。そして、変わることのない学校教育のなかで、強さを求めるのではなく、深さを求める自分に変わろうとするエネルギーをいただき、塾生たちがそれぞれの場所で教師塾での学びをいかす決意を持つことができた。
実証①
机をつけた状態で片方の机を回そうとすれば、普通は机と机が離れるが、宇城塾長が気を通すと机と机はくっついて回る。目に見えない、エネルギーが確実にあることを経験させていただいた。
実証②
自らの姿勢を正し、エネルギーが出れば、それは伝わっていくことを学んだ。つまり、組織を憂うのではなく自分がどう変わるか、自分に矢印をむけることの大事さを数々の検証を通じ教えていただいた。
宇城塾長が気を送れば列は強くなり、エネルギーに満ちていく。
実証③
自らが姿勢を正せば、エネルギーを放つことができる。

そのエネルギーは相手に伝わり、相手の身体もエネルギーで満たされるため持ち上げることが出来ない。

さらに、塾長が気をかければ、倒された人に手を持った人が引き込まれていく。
実証④
エネルギーは映る、伝わる、また、私たちが持つ可能性に気づかせていただいた。
宇城塾長がサンチンの型をするとそのエネルギーが映り、押さえられた手を挙げることができる。そしてみんなが自然と笑顔になった。
実証⑤
宇城塾長が気を通すと、女性が手を触れなくても押さえられた机を動かすことができ、細胞に働きかけるエネルギーを体験することが出来た。男性=力強いという古典力学にはない、量子の世界を宇城塾長の気を通じ経験させていただいた。
その他にも様々な実践で宇城塾長の気を身体を通じ経験させていただいた。そして、実践の度に目に見える力よりも、細胞に働きかけるエネルギーがあること。そして、それは誰もが持っていることに気づかせていただいた。そして、教師としての使命は子どもの潜在能力に蓋をしないこと、まずは教師自らが自分に矢印を向け、変化することを説いていただいた。
子どもの不登校の増加とともに、教員希望者の減少、現場では心の病で休職する教員も増加しているなか、子どもにも、教師にも希望を感じるご指導に参加した塾生はたくさんのエネルギーをいただいた。講義終了後、塾生たちは更衣をしながら、短い時間ではあるが子どもたちに関わる活発な会話が飛び交い、エネルギーに満ちた空間、身体とさせていただいた。
参加者の感想
【山口 中学校 男性 40代】
先生がホワイトボードに書かれたA、B、C、D、E、Fそれぞれのレベル(深さ)とア、イ、ウという次元のグラフを拝見して、自分の立ち位置はとても低い所にあるなとパッと思いました。変化、成長していくとはレベルを高める(深さを深める)こと。自分が成長したと感じる瞬間とは、スポーツや受験勉強などの次元でできなかったことができた、知らなかったことを知ったなど、これまでの世間の常識内における指標や判断基準を用いて、自分の成長を確認していたのだと気づかせていただきました。そもそもの捉え方がズレていたのだと先生のお話を振り返る中でハッキリと見えてきました。本来の成長、変化とは、自分自身が人間性を取り戻せたのか、人間らしい行動を取れたのか、それに尽きるのだと気づかせていただきました。誠にありがとうございます。
古代ローマの剣闘士、アウシュビッツ、ホロコースト、広島長崎への原爆、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルのガザ地区への攻撃など、繰り返される虐殺や悲惨な戦争。しかし、そもそもは庶民自身が無意識の部分で求めていたからこそ起きたことでもあり、それが正しいか正しくないなどは考える立場によって変わっていく。対立と衝突の次元においては、ただ平行線のままであり何も変わらない。先生の御言葉はズバリでした。そして、大なり小なり私たちの日常でも同じようなことが起きています。寄り添うではなく、自分より弱い者を見つけ、攻撃する。自分の不安やビビりを隠すために虚勢を張る、いきがる。大人の内面が子どもに写っている。学校はとくにそれをよく感じる場でもあります。
2つの机をぶつける勢いで押し、そこに手を入れたり、身を入れることができるか。答えはもちろん私たちにはできません。しかし、先生は手や身体を入れて且つそれを止めることができました。また、くっつくはずがない机同士が引っ付き、片方を動かすとそれにもう片方がついてきました。そして、手を触れなくても机を押さえた集団が動かされる検証もございました。様々な検証をとおして、力や私たちの常識ではありえないことが実際に起きているのを体験させていただきました。そこには明らかに力ではない何か(エネルギー)が作用していることが実証されておりました。
凄まじいスピードで進歩しているAIのお話もございました。塾後、起き上がるロボットで調べてみると、先生のお話にあった(同じ系統と思われる)AIロボットの動画がございました。仮想空間で学習することで、10数年分の学習を4、5時間でできるとありました。人間の頭脳の世界では太刀打ちできない次元であることは明らかでした。私の小学校6年生の娘は最近チャットGPTで難しい算数の問題を尋ねるなど勉強に活用し始めています。それを見ると私たち教員が教えるより遥かにわかりやすく、改めて私たち教員は何を教えたらいいのかと先日考えました。受験勉強のための勉強や知識ではない、また勝つためだけの競技指導ではない、いろいろなことが現行の在り方ではないことは先生の御指導を賜り、明らかです。しかし、それではどうするのか。それがずっと分からず、ああでもない、こうでもないと考えていました。
この度御指導を賜り、塾後湧き上がってきたのは、生徒が自分と時間を共にする中で元気になってくれる、それが一番ではないかなということです。ただ、表面上での楽しいや居心地の良さではなく、先生が私たちにいつもしてくださるように相手を元気にすることができたら、生きようというエネルギー、これをやってみようと行動に移すエネルギーを引き出したり、与えたりできたら、自分がこの仕事をより誇りをもって行うことができるのではないか、教員ではなく、教師として仕事に取り組めるのではないか。その過程の中で、先生が仰った「深さへ向かう勉強」を、自分自身が深さを求めて学ぶ姿から子供達に「この世界にはすごい世界が広がっていること」「それに向かって学んでいく、勉強していく喜び」を感じさせていけたら良いのではないか。AIには頭に訴えかける共感性はありますが、それは一時の満足感を与えるものであり、エネルギーではありません。無から有を生み出すこともできません。それこそ、人間にしかできないことであり、先生が私達に体験させてくださっている貴重な体験であり実証です。「人間にはもともと桁違いのエネルギー、能力があり、次元が遥かに高いはずなのに、教育やスポーツなどの後天的な影響で閉じ込められ、次元を下げられている」旨のお話を先生がされた時、自分の中でストンと話が落ちてきました。ポーランドでの空手指導では、同じ子どもでも日本の子どもの方がエネルギーがないと言う御言葉には危機感を抱きました。子どもだけの問題ではなく、これは今の社会を作っている私たち大人の問題です。私たち自身がエネルギーを取り戻さないといけない。そう思いました。また、子どもが持っているエネルギーを閉じ込められると、そのエネルギーをどこに放したらいいかわからなくなるというお話をお聞きした時、大人の都合によって蓋をされることで、それが様々な問題行動となって表れているのではないかとも思いました。全てはエネルギーという観点で捉えれば、これまで手の打ちようがないと思っていたことでも道筋が見えてくるのではないか。
「制度や体制は変わらなくても、それも包み込む遥か高い次元を示していけば自然と変わっていく」という先生の御言葉には、大きな希望を賜りました。現代は確かにまだまだ立ち遅れていますし、おかしいと感じることも多々ございます。この身体に「先を取ること」「透明になること」を体験し、身体に繰り返し覚えさせていただきましたこと、これも本当に大きな希望であり、自分の内面が安心感とエネルギーに満たされ、次に進もうという気持ちが湧き上がります。
宇城先生、この度も大変貴重な御指導を賜り、誠にありがとうございました。変化、成長するためにはまず行動すること。今自分にできることを模索しながら、少しずつでも前に進んでいきたく思います。今年も教師塾においてたくさんの御指導を賜り、それが日々の子ども達との生活において多くの変化を体験させていただいております。いつも見守ってくださり、本当にありがとうございます。また、教師塾の先生方との繋がりも本当に有り難く、心の支えになっております。本当にありがとうございます。これからも何卒御指導、御鞭撻の程を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。本当にありがとうございました。
【奈良 中学校 男性 30代】
本日の講義は、人間の深さレベルについてお話しいただきました。プロ野球やサッカーの選手は、筋トレをするがいったいなんのためにするのかということ。野生の動物は一切筋トレをしないことをお話しいただきました。
筋トレをすると筋肉を固めるだけでいざ体を動かす時に伸びる要素が無くなり断裂してしまうこと。このことに私自身も腑におちるところがありました。
筋力トレーニングでは、意味がないつまり、力との対立は無意味であることをお話しいただきました。
実戦の中で、長机を片側で3人で押さえ、反対側を私が押します。もちろん動きません。ですが、宇城先生に背中をポンと押してくれると、瞬間に私の身体に変化があり、身体の芯がスッと地に足ついたような、地面と一体化したような地球と一つになったような気がするのです。机を押してみると少しずつ少しずつ3人の押さえていた机を押すことができました。
私たちが目にしている力というものは、衝突、対立、戦争と同じ要素を持っており、それだけでは本来の力を全く発揮できていないことに気付かされます。では、何が必要か。それは、相手への寄り添い、融合、調和ということです。言葉では処理しきれませんが、宇城先生はいろいろな手法を用いて教えてくださります。ポーランドの子どもたちにできて大人にできないことを動画で見せていただきました。スクラムをガッチリ組んだ大人たちに大人が中央から押してもびくともしません。ポーランドの子どもが中央から押すといとも簡単に崩すことができてます。大人は頭で考え物事を見据えますが、子どものエネルギーは私たちをはるかに越えるものを持っていることの証でした。
この後に「やってみたい人?」と声をかけるとポーランドの子たちは手をどんどんあげます。ですが日本でやってみると子どもたちのではあがりません。私たちが子どもたちに希望とエネルギーを与えて続ける存在になるべきだとも感じさせていただきました。
本日の講義から私自身も宇城先生からエネルギーをもらい、登校してくる子どもたちにエネルギーを与えられるようになっていきます。
ご指導いただきありがとうございました。また、宇城先生に会いに学びにこさせていただきます。
【京都 中高一貫 男性 40代】
昨日は教師塾でのご指導ありがとうございました。教師が学ばなければ教育は変わらない。頭でわかっているが変わらない。要するに教師・大人が学んでいないということです。ホワイトボードに図を書いていただいたようにAとBの人が、懸命に学ぶことや実践していくことでCからD。DからEに変化していかなくてはいけません。変化していかなくてはずっと自分の小さな世界のみで生きていくことになってしまうからです。変化していない人からは、当然エネルギー溢れる空気出てきません。昨日多くの検証をしていただきましたが、見るだけで倒される。場が変わるということを先生が見せていただき、またこれは自分たちにもできるということをご指導いただきました。机を3人で抑えて、触れずとも手で向こう側に動かすだけで机が動き、後ろから抑えている人も動いていく。その間に机を、人を動かす何かがある。という事実を見せていただき、私は検証に参加させていただいていたので、その空気を実際に感じることができ、確かに「ある」ということを身体で感じました。自分自身ではどうしようも出来ませんでした。
このエネルギーが誰にも存在しているという希望を先生が見せてくださり、自分自身の今の小さな枠組み、今ある知識から飛び出し、新たな世界を知り、感じて、その深さをどんどん追及していくことへのきっかけをいただいています。希望ある世界をみせていただいても自分自身が学ばなければ何も変化しません。宇城先生のご指導を受けたら、勝手に変化するわけではなく、そんなに甘いものではありません。自分の学ぶ努力と実践力を身に着けていく過程にも意味があり、そこがあるからこそC地点に立てた人はどんどん加速して成長、ジャンプアップしていくのだと思います。先生から「変わろうとしているエネルギーが大切」とおっしゃっていただき、参加いただいている教師塾のみなさん、もちろん私自身がここからどれだけ変化できるかです。教師塾に参加しているだけの会では意味がありませんし、それぞれが実践して、また集まるというサイクルにしなければならないと強く思いました。
ローマから、アウシュビッツ、ロシア・ウクライナ戦争…残念ながら歴史は繰り返されています。それは庶民、民衆が学ばないからであり、対立、競争、衝突、戦争の流れは止めることはこれまでできこなかった中において、宇城先生の教えは調和融合であり、寄り添うエネルギーがその歴史に終止符を打てるものです。これしかない。日本は、また私たちは悲惨な現実を突きつけられていないから他人事で、何もしない。気づいた時にはどうしようもない現実を目の当たりにするのです。「先を取る。事の起こりを抑える」その身体をつくっていくための稽古を引き続きして参ります。
【奈良 中学校 男性 40代】
本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございます。今日はお話を聞かせて頂いて、自分はA以下だなと思いました。先生に今までたくさんのお話を頂いているのにもかかわらず、矢印が自分に向いていないことに気付かせて頂きました。子どもたちのためにと行動をしてきたつもりでした。でも、悪い癖である頭で考える、頭で捉える、理解することが抜けきれず、無心になって受け止めることをしてきましたが、結局身体を通して理解することが出来ていなかったのだなと感じました。年齢を重ねるごとに社会のことが分かってきて、仕組みの複雑さや違いが理解できるようになりましたが、理想と現実の間で止まってしまい、現状維持をしてしまっているのだと思います。
先生が仰っていたように、現状維持は退化です。そうすると、頭ばかりが大きくなって、分析したり、理論的になったりとしてしまいます。それだけならいいのですが、評価をしてしまったり、批評をしてしまったりと考えてしまうので、身体を通して、実践を通して考えないといけないなと思いました。先生が今攻められたらどうするという問いに、困惑してしまいました。普段から先生の教えを実践していけば、答えられる問いだったのだと思います。「先を取る」ことが普段から実践できれば、答えられるでしょうし、それを答えとして行動ができるのだと思いました。教育は何を教えるのかと仰られていましたが、答えは分かっています。細胞にエネルギーを与えてあげることができればいいのです。でも、私自身が深さを求めて、勉強を続け、実践を続けなれば、その答えは頭での理解でしかないと思います。私自身の実力がなければ、子どもたちを困らせてしまいます。結局は私自身だなと感じてしまいました。仕組みを超えるほどの実力をつければ、今の悩みや迷いはなくなるのだろうと思います。
型はニュートラルと仰っていましたが、今回の実践で先生から気を与えてくださると、呼吸が止まらない、身体が柔らかく使えるようになることを感じました。心に迷いもなく、焦りもなく、素直に自然になっていくような感覚でした。筋トレが駄目になるのはその反対の動きになってしまうんだろうなと感じました。細胞に働きかけるためには、調和・融合・思いやりの実践が必要だなと思いました。コロッセオでのことやアウシュビッツでの出来事、現在起こっている戦争を防ぐためには、外交、交流と教えて頂きました。上記に書いた教育は何を教えるのかという問いは、思いやりを持ち、未来に向けてエネルギーを与えることを勉強や教育活動の中でやっていくことだなと思いました。私が指導させていただいている野球というスポーツも同じです。野球をしてエネルギーが高まるような活動にしていきたいと思います。
先生にいつも分かりやすく、説明していただいているのにも関わらず、自分の力になっていないことに恥ずかしく感じます。分かったは出来たわけではないので、しっかりと毎日の生活の中で思いやりを持った行動を取っていきたいと思います。私自身、子どもたちにも、周りの人たちにもエネルギーを与える存在になっていきたいと思います。
今年度は教師塾が最後になります。本当にありがとうございました。先生の教えは私にとって希望の光です。奢らず、謙虚に勉強をし、思いやりを持った行動を実践していきたいと思います。今後とも引き継ぎ、ご指導のほど宜しくお願い致します。
【奈良 高等学校 男性 30代】
貴重な時間をありがとうございました。
今回は「変化」すること、「深さ=レベル」の大切さを伝えていただきました。コロセアムからアウシュビッツ、広島・長崎への原爆投下を経て、現在はロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナ、台湾有事と歴史を振り返り、過ちを繰り返さないために学習しても、現在も戦争が行われているという現実から、では「教育は何を教えるのか」という問いかけがホワイトボードに書かれました。対立・競争・衝突ではなく、調和・融合・寄り添うこと。そうなるためには「変化」と「深さ」が必要であるということが確認できました。
深さ=レベルによって、先が見えるか見えないかの差がある。飛行機と自転車に乗っていたら交わる(出会う)ことがない。どんどんA~Eへと差が開いていくと例えてらっしゃいました。学校での生徒や保護者対応などで考えたときには、こちらのアプローチが大きく今後に作用します。子どもを守りたい一心で無理難題を押しつけてくる保護者の方もいますが、こちらに余裕があれば、対立することなく、包み込み寄り添う中でできることできないことを伝えることができるのだと思います。こちらのレベルが低いと対立して関係が厳しくなる、そういった先生も現場にはいます。自分自身も宇城先生から学ぶようになってから、確実に生徒や保護者への対応の変化は感じています。より深いレベルにいけるように引き続き謙虚に過ごしていきます。
手を繋いで並び、繋いだ腕を上から押さえられると崩されてしまいますが、宇城先生が気を入れると崩されず、最後尾の人が別の人に腕を捕まれても投げ飛ばすことができる実証がありました。途中で真ん中の人が別のことを考えると気が切れてしまうという実証もありました。これで絆が切れる、チームワークがバラバラ、というような話があり、学校現場はこのようなことが特に多いのではないかと思いながら話を聞いていました。教員が同じ方向を向いている人が何人いるか、クラスの生徒もルールをきちんと守ることができる数が過半数以上いるかどうか、一般企業であれば5年以内に倒産に向かうという話もあったので、学校は本当に厳しいと感じます。あの実証を目の当たりにすれば、気づいて取組も変化が出てくると思います。が、そういうわけにはいかないので、自分が姿勢で他の先生に広げていけたらと思います。厳しい学校現場ですが、先生が著書や言葉としても良くおっしゃる「今が変わらないと未来は変わらない」ということを肝に銘じて日々変化し深さを追求して生活していきます。
また、全ての実証について、できる力は全て自分の中にあるということ、全てやる前に空気や雰囲気でできるかできないがわかり、その変化を身体が感じます。最後には「寄り添うことでエネルギーが湧き出てくる。」をおっしゃいました。生徒に寄り添い、保護者に寄り添い、学校という職場や環境にも寄り添い、自分自身変化を続けながら、今はAゾーンかもしれませんが、Cゾーンから先にいけるように自分を見つめながら謙虚に過ごしていきたいと思います。貴重な2時間でした。ご指導ありがとうございました。
【岐阜 高等学校 男性 40代】
第4回教師塾でのご指導ありがとうございます。
今回印象的だったのは、宇城先生が検証を通して人間の持っているエネルギーのすごさを私たちに見せていただけるたびに、「みなさんのなかにも、この力があるんです」と繰り返しおっしゃっていたことです。私たちは、これまでに何度も宇城先生の検証を通して今の常識では考えられないことの数々を目の当たりにし、身体を通して経験させていただいています。その「すごさ」があまりに桁違いすぎて、自分には到底不可能で、宇城先生がただただすごくて、それを見て体験して感動して終わりになっていなかったかということだと思っています。
今回の検証も「すごい」です。一瞬で身体が変わる、触れていないのにスクラムが動く、一触で何人もの大人が吹っ飛ぶ。宇城先生はご自身ができるだけでなく、誰であっても一瞬で「できる」に変えてしまう。しかもその「できる」のレベルが常識からあまりに桁外れに違いすぎて、私たちは圧倒されます。しかし、私たち教師塾はただ感動で終わっていいのか、ということです。「努力をしない人間は“すごいなあ”で終わる」。私たちは、子どもたちの未来と日本の未来を担っています。宇城先生がそうであるように、前に立つ人間がどういう人間かによって、空気も変わる、エネルギーも変わる、「今」が変わる…。何よりもそこに「希望」が生まれてきます。「希望」は言葉で説明できるものではなく、身体で、細胞で感じるもだと思います。私たちが一人革命で自分を変えていくことで、生徒たちに「希望」を感じさせることができる。まさにそんな「希望」を感じた時間でした。
一方で、それは常に自分自身との勝負であり、たいへん厳しい道のりであることも感じます。宇城先生によって「できる」自分、「できる」身体に気づくことができる一方、日常の「できない」自分との差は何なのか、真剣に自分自身と向き合う必要があります。そして日常のささやかな営みのなかで、自分を高めていく、勝負し続けていく、そうならなければ教師塾に学ぶ意味はないと思います。
思えば、今までは私は「すごい」で終わっていまい、「どうせ自分には無理だ」とあきらめ、できない自分から目を背けていたのかもしれません。「すごい」という感動は、その時はいいですが自力ではないので決して持続しません。あくまで問題は自分自身なのだといことを今回のご指導を通して考えました。あいさつ、姿勢から始まり、生徒への声掛け、寄り添いから、クラス運営や部活動指導に至るまで、私たちの日常のなかには、いくつもの「勝負」の場面があります。私自身が宇城先生に教わってきたことを、身体を通じて感じてきたことを、実践する場面がいくつもあります。「努力」そして「あきらめない」。平易で当たり前のことかもしれませんが、今の私に欠けていることだと思いました。
それにしても、教師塾は道塾とはことなり、教師という仲間、同志の学びであることがとても意義深いと感じています。宇城先生はよく、検証でみせていだくエネルギーのすごさについて、笑いながら「こんなことを言葉で説明しても世の中の誰も信じない」とおっしゃいます。それくらい今の常識では考えられないすごいことです。それを私たち教師が少なくとも身体として感じさせていただける、そしてそれぞれが葛藤しながら学びを続けている。このことは、まさにこれからの日本の希望となれる可能性があるのではないかと思います。このような世の中だからこそ、子どもたちの前に立つ私たちが宇城先生に学ぶ意義は計り知れないと思います。
今回は本当にありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いします。
【奈良 高等学校 男性 30代】
宇城先生、第4回教師塾においてご指導いただき、誠にありがとうございました。
前回参加させていただいた教師塾から半年の期間が空いてしまい、この間にさまざまな環境の変化や状況の変化が起こりました。現状を変えていくものは、「誰か」でも「環境」でもなく、自分自身の中に備わっているエネルギーであることに改めて気づかせていただきました。転勤や異動の少ない、閉鎖された学校空間の中でどのように立ち回ることが、「現状を打破することにつながるのか」を考えながら、自分なりに前を向いて進んできたつもりではありますが、どこか頭の中でいつも「なぜあの人は動いてくれないのか。なぜこの仕事内容を自分だけがやっているのか。」と、どこかもやもやする感情を抱くことが増えてきていました。以前お話しいただいた、我が強くなり自分の実力不足であることを頭のどこかでは分かっているつもりではありながら、まだまだ身体から気づくことができていない状態であり、引っ掛かりが出てきたのだと思います。
そのような中は、AやBの段階では気づくこともできず、Cの段階であればDやEへと、先に向かって変わっていくことができる。という図を説明していただきました。その図を見た時に、先を見ようとしている自分はいるが、「本当の先」を見ることができているのか。誤った方向へ舵を切りかけているのではないだろうか。今自分はどの段階にいるのか。Aの段階におり、気付くことすらできていないのではないかと、ふと不安を覚えました。このような不安を覚えているような人間が、どのようにして生徒たちの前に立つことができるのか。教師として学校現場で勤める限り、ブレない自分を構築すべく、より学び、より変化していかなければならないと、自分自身への戒めも込めて、そう考えることにしました。
私が現在勤めている学校の多くの教員が、「年々子どもたちのエネルギーがなくなってきていて心配だ。」「スマホばかり見ていて心配だ。」「最近の生徒たちは何を考えているか分からない」などと嘆く機会と多く遭遇します。子どもは大人を映す鏡であり、子どもたちに対して感じていることは、今の教員たち自身が、エネルギーがなくなり、スマホばかり気にし、日々の仕事に忙殺され、暗いとされている未来に辟易し、何も考えることができていないのだと感じます。まずは自分が変わり、自分が変われば周囲の教員が変わり、教員が変われば子どもたちが変わる。この正の循環に持ち込めるよう、「この学校を変えることができたら、社会を変えられると信じている」と周囲の教員に口に出して伝えるようにしています。その雰囲気が少しずつ浸透しているのではないかと実感する機会も出てきました。まずは身近な周囲を巻き込み、エネルギーをもった教師の力で、日本の教育を変えていき、将来を担う子どもたちの太陽のような存在に近づけるよう、よりよく進んでいこうと思います。
今回の実践の中でも、多くの気づきを得ることができました。大きく感じたのはやはり、自分自身にも多くのエネルギーが備わっており、宇城先生に気を通していただいた際には、後ろから締め付けられた腕をいとも簡単にほどくことができ、何より自分自身に力を得たのではなく、むしろエネルギーによって相手を無力化することができたように感じた事です。まさに、戦わずして勝つとはこのことだと体感することができました。しかしながら、そのような空間に身を置きながら、宇城先生の気が切れるとたちまち元通りになってしまう自分がいます。まだまだ「自分でやって見せる」ことのできる段階までは遠い道のりです。これからも自分自身を変えるべく、行動、実践を繰り返し、日々精進していきたいと思います。
この度も教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。
【京都 中学校 男性 40代】
先生が仰った教育は何を与えるのか。今の教育の先に何があるのか。そしてその解決策を持っているのが宇城空手であるというお言葉、今日のお話、様々な実践を通じてそれは、宇城先生の世界だということを痛感した学びでした。今の教育は対立、競争を良しとし、様々な言葉のすり替えで成り立っていてあたかもこの二つがあるから人は成長していくという立場から物事を見ている。何故そうなったかフリーメイソン、ロスチャイルドなど一部の人が支配しやすい世界を作るためその中で人間がお金や利権で奴隷化する仕組みが出来上がっている。人本来の幸せではなく、見えないところで操作されて今がある。その仕組みに日本の教育はどっぷり浸かり受験、スポーツを通じて考えない人間を育てる仕組みが江戸時代以降広まっていって今に至る。元々日本人ほど優秀な民族はいないとアインシュタインが言ったほど優秀な民族だったのに、いつのまにか骨抜きにされてしまった。その中で先生が何度も仰っていた。子どもにできて大人にできない、エネルギーのない大人に成り下がってしまっている。今日のお話にあったように、Aのレベルの人にEの話は通じない。日本の教育のあり方はAB(深さがない人間、考えない人間)を量産し、深さがなく、様々な事象の本質が見えない、自分さえ良ければという世界に自ら向かっている。その世界にはエネルギーや希望がないということは今の社会が物語っている。今日の教師塾の中で我々にわかりやすく伝えて下さった。
これは、どこまでも深い世界を追求し、極めたからこそ見える世界(空手、剣術、エンジニアら会社経営)で我々一教員は先生から見たら真剣さに欠け、エネルギーがないように映っていると思います。過去の失敗、コロッセオによる殺し合い、アウシュビッツや戦争という人を心なしにしてしまった歴史、これだけ平和で、科学や生活が豊かになったように思われた今もロシアとウクライナは戦争している。
何故こうなるのか。過去の失敗が何故起きたか、これは全て対立と競争の教育の結果です。それらを乗り越えるのが、戦わずして勝つ。調和、融合の世界。それこそが宇城先生が実践されてきた『先をとる』『境界線をなくす』=『相手を無力化』するという世界です。我々教員の最大の仕事は教え子たちを笑顔にすること。『幸せにすること』に他なりません。しかし、対立・競争という手法を用いて自分と向き合うことをしない『強さ』を求めるあまり人間本来の自分と向き合う『深さ』に向かうことが軽視され結果様々な問題が生まれています。学校が対立・競争の消費の世界ではなく、調和・融合から生まれるエネルギーの世界にパラダイムシフトしていく事こそが教育を変える目の前の子どもを救う一丁目一番地だと気付かされました。そのためには自分にエネルギーがなくてはなりません。エネルギーがあるからこそ、真に生徒一人一人を見守り成長を促すことができる。受験、スポーツによる競争のシステムを変えることはできません。
しかし、それを凌駕した世界を作ればそこに居着くことはなくなります。今日のお話の中で先生からたくさんの言葉のエネルギー、気のエネルギーを注入して頂きました。このエネルギーを自分さえで止めるのではなく、循環していけるような日々を送ります。今の混沌とした社会。希望が持てない大人ではなく、先生のように死ぬ時が最高という生き方に向かい、どこにいても人を幸せにできるという師を目指し信じて、日常の中で自分もそうなれるよう、信用と信頼を作っていき安心できる空間を広げるために自分と向き合い。深さに向かう人間、教師になります。本日は貴重な御指導ありがとうございました。
【三重 高等学校 男性 30代】
この度は教師塾で貴重な時間を過ごさせていただき、誠にありがとうございました。私たちは豊かになることで心に余裕や暇が生まれ、「自分の人生の意味」や「自分にとって何が大切か」といった、自分中心の思考に傾いてしまうのではないかと思います。こうした「我」や「欲」の意識が、結果として人口問題の一因にもなっているのではないか。次世代を育み育てることよりも個人の幸福や幸せを優先すること、そして、人口が減り続けることで経済成長は鈍化し、「国の政策が悪い」と批判し衝突や対立する。この悪循環が現状なのかと思います。問題の本質は、日本の民主主義が「敵・悪」であることではなく、むしろ民主主義の結果として達成してしまった「豊かさ」や「幸福」そのものにもあるように思います。もちろん、その豊かさ自体を短絡的に「敵・悪」と捉えることもまた、横着なことだと思います。
現代社会が抱える課題は、私たちが頭で考える論理や常識だけでは捉えきれない深さがあります。だからこそ宇城先生が証明してくださった「気」の世界が唯一の希望です。先生が気を通された方を介して、1列に並んだ大人を動かし、遠く離れた人々をも動かすという、科学では到底説明できない現象が、目の前で起き、それを体験させていただいたという事実に触れ、物事の表面的な理解だけに絶対に留まってはならないと今回もまた痛感しました。
宇城先生は、誰か一人が変われば、その場にいる人たちだけでなく、その場全体の空気をも変えることができるという希望を、「一人革命」として証明してくださいました。自分が変わることで今いる場所を少しでも良くしていける、そんな自分になりたいと心から強く思います。
しかしながら、自分自身の現状を顧みると、理想とは程遠いひどい姿があります。「型」をもって生徒を導くどころか、私自身に型がないため、ただ生徒に合わせた指導を「寄り添い」と勘違いをして行っています。 それは、本来子どもが持つエネルギーに蓋をし、可能性をどんどん奪ってしまっていることに他なりません。私たち大人は、まずこの事実に気づかなければならないと痛感しています。
導く立場の人間が見ている世界を大きく持ち、まずは私自身が「一人革命」の実践者となれるよう、これまで以上に自分と向き合い続けていきたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
【大阪 男性 60代】
この度は、『第4回・教師塾』でのご指導をいただき誠にありがとうございました。
【強さとは深さにある】、宇城先生からのこの言葉がすべてに繋がると感じます。
強さとは何か?それは力ではなくエネルギーにある。細胞に働きかけるスピードが子どもは断然早い。そして迷いがない、迷っていること自体がレベルの低さでありエネルギーの低さだと実証をいただいた。
今回レベルのお話がありましたが、ABCDEと段階を示していただき、プロ野球はレベル3段階の中では低い位置にあり、大リーグで活躍する大谷翔平選手や山本由伸投手の例を通してお話をいただきましたが、筋トレをしないという二人を宇城先生が指導されたら、これまでとは違った更なる異次元にいくだろうという感じがしました。
筋肉を鍛えることが強さという現代スポーツ界では細胞レベルには到達しないばかりか、筋トレが逆に身体を硬くし、ケガや故障者を増やしている。またケガ防止と言いながら、それを防ぐために更に筋トレの強度を高めるといった逆方向に向かっているという現実があります。現実、プロ野球選手になっても若くして戦力外になる選手が年々増え続けている。ドラフト会議で多くの選手を指名する一方で、数年で戦力外となるケースが多く、その後の人生も路頭に迷う若者が増えている。セカンドキャリアにもなかなか就けず、プロ野球選手であったというプライド、思い上がり、自惚れが邪魔をしてのも現実だと言える。まさに「捨てる」ことが自身の道を拓くのだと感じますが、大半はそういったところには気づかない。
人間は、能力の5%しか使っておらず、95%の可能性にすら気づいていない。それを宇城先生は「自分にもこういった能力がある」ということを実証を通して引き出していただいている。
「できる・できない」ではなく、宇城先生に気を通していただくと「できない」という選択肢が消え「できる自分」だけがそこにいます。
それは一時的ではなく大きなエネルギーとして自身の身体の変化としても感じますし、あり得ない世界を目の当たりにすると参加者の先生方の表情もどんどん変わっていくのを感じました。
また気を通された身体は倒されると起き上がることができませんが、倒れた状態でもエネルギーが入っているために簡単に人を投げることができます。これは倒された方が負けではなく、エネルギーが通った身体は強くなるという実証を通して、如何に日常が対立の中にあるのか、対立、競争、衝突が人と人との間を歪めている現実を感じずにはいられません。
そして対立、衝突からは何も生まれることはないということであり、宇城先生の指導には一切の対立はなく、調和・融合の世界を見せていただく中で、日常に置き換えてみると、やはり対立、衝突、忖度、自己中心がまだまだ多い。教師という立場にありながら、子どもたちの弱みに付け込む犯罪もここ数年増え続けている。子ども達に寄り添い、希望の光を与えるべき立場の教師の質がどんどん下がってきている。
今回も勉強不足、エネルギー不足を指摘いただいた。教員免許に対する深さ、重みを持ち合わせていない教師が今後どんどん増えていく危機感を感じます。教育とは、決められたマニュアル通り授業を行うだけでは務まらないことをしっかりと身体で受け止める必要があります。だからこそ、これ以上犠牲になる子どもたちが増えないように教師塾の輪を広げていく必要があります。
今回、二つの机を使っての実証では、まさに対立構造の指摘だと受け止めました。実際に机を押していくと空気の変化を感じ、気を通すと実際に机がどんどん離れていきます。意識して押さえようとすればするほど逆に離れていきます。教育現場でもこういった対立の現状が起こっており、その間を取り持つ教師がどういったエネルギーを持ち合わせているかということを感じ取るべき実証であったといえます。
机と机の間に体や手を入れることはできませんが、気を通されると押そうとした瞬間押し戻されるような感覚があった。見えているだけでは分からないが、実際にその場で体験すると押す前に空気が変わるのを感じ、全員で机を押さえた前で三名の女性の先生が机に触れていないのに圧倒的に人数の多い男性が後ろに下がっていく。女性の先生と机の間に波のような空気感を感じました。まさに力で押そうとしていない。
それは対立ではなく、調和・融合が大事であり、ぶつかり合う間に何があるのか、お互いが寄り添うことで争い、対立はなくなる。言葉ではない深さを宇城先生から実証というご指導をいただくからこそ感じることができます。すでに手遅れということで片づけられない、人間とは人と人の間と書きますが、まさに「間」にその深さがあるのを今回様々な実証を通じて感じました。
私利私欲を捨て去り、素直な自分に立ち返る。まさに宇城先生のご指導は「本来あるべき自分」を引き出していただいています。
教育現場に立つ教師一人ひとりは、子どもたちに真の愛情を以て接しているだろうか、教師塾の根幹には「真剣に日本の教育を変えていく」「自分自身を変える」という決心・覚悟、実践が必要であるということを今回の講義の中に詰まっていました。
先生は、どんどん先に進んでおられます。先生の勉強の量、質、スピードはケタ違いですし、まさに深さが更なる深さ(深み)に繋がっているように感じます。
今回も冒頭にもありましたように、すべてに歴史があり、根源で繋がっていく。だからこそ勉強が大事だという事をお話しいただき、そして実証で掘り下げていただき、自身に気づきを与えていただいています。
それはまだまだ教師自身が浅いところで教育に携わっている、寄り添うと頭で分かっていても実際にできてこそだという事を示していただいておりました。
実証の中で先生は「欲が出れば出るほど簡単になる」「人数が何人になっても関係ない」「多ければ多いほど簡単」ということもよく言われ、それだけ大人は我欲の塊であるといえます。そして押されて動くということではなく、押される前(触れずして)に既に動かされている。まさに「先を取る」というエネルギーを実証の中で感じさせていただきました。
日本の歴史を辿っていくと、今の現実が見えてきます。スポーツの世界では、対立が対立を生み出しており年々加速しているように感じます。そこに真の深さへの感動はまったくありません。
「打って勝つは下の勝ちなり・勝って打つは中の勝ちなり・戦わずして勝つは上の勝ちなり」という「戦わずして勝つ」という歴史が日本にはあるはずです。
それを実際にエネルギー、細胞レベルで示していただいています。
改めて、のんびりと構えている時間などない、自らが動き、行動で示す。止まっている時間はエネルギーを下げることに繋がっているということを様々な実証を通して感じさせていただきました。引き続き、ご指導よろしくお願い申し上げます。
【大阪 中学校 男性 60代】
冒頭に、グラフを使って説明をして頂きました。横軸には「段階」と記され、左から順にAからEまでの5つの段階があり、そのそれぞれを縦軸の「レベル(深さ)」で見て取ると、Aが一番低く(浅く)、B,C,D,Eとなるにつれて高く(深く)なっています。そして、ア,イ,ウという3つのレベルを考えたときに、各段階との関係から低いレベルの段階の人には高い段階の人は見えず(理解が出来ず)、高い段階の人からは低い段階の人が見えるということが分かります。
そのことについてのお話しの中で印象に残ったのが、「“自転車に乗っている人”と“飛行機に乗っている人”とは永久に交わらない」というお話しとAやBの段階の人はなかなかCの段階へ移行しないと仰られたことです。何か、そら恐ろしく感じました。
今の私は低いレベルに居るのは明らかですが、幸い、「道塾」や「教師塾」のような機会を得て、宇城先生に導かれ、日頃は“自転車に乗って”いる自分が、“飛行機に乗”る、そのような世界があることを、一瞬体験させて頂き、本当なら永久に交わらないはずなのに、そのような世界があることを、まずは知ることが出来ます。
最初の頃は、宇城先生の示される今の常識では考えられないような実践を見せて頂いても「スゴい!!」だけで終わっていたように思います。しかし、最近は、そのような実践はまぎれもない事実であり、本来なら誰もが当たり前に示すことが出来ことなのだ…と思うようになって来ました。また、そのような世界(段階)があることを知っているからこそ、まだ、自分はAの段階に居るとしても、BやCの段階に変容していきたいという思いが出てくるのだと思います。
そして、メジャーリーガーの大谷選手や山本選手、さらに宇城先生が指導されてきたプロのスポーツ選手や監督が、どのレベルに居るのかも示して頂けました(大谷選手や山本選手が、俗に言われる“筋トレ”をやっていないということを、初めて知り、今までの常識と思われてきたトレーニング内容からの脱却を図られていることを知り、驚きました)。今、思い返してみますと、「何故、宇城先生にはそういったこと(各個人の現段階でのレベル)がお分かりになられるのか?」という疑問もあったのですが、これこそが、高いレベルの人から低いレベルの人が見える、…ということだと思いました。
様々な実証を体験する中で、そのような「潜在力」を発揮するには(宇城先生が仰るように)、“筋肉”から“細胞”への「パラダイムシフト」が必要であるし、その次には“細胞”から“エネルギー”への「パラダイムシフト」が必要なのだろうと思います。
そして、それは(宇城先生が仰るように)「対立/競争/?(この箇所に記されたことは覚えておりません。すみません)」ではなく、「調和/融合/寄り添う」が大切であるのだと思いました。
あと、印象に残った宇城先生のお言葉が「“透明”になる」です。ふと…。時折、宇城先生が口にされる「“境界”がなくなる」と近しい感覚なのかな?…と思いました。このことは、最後の方で私が体験させて頂いた実証で、座っている私を他の方々がつかんで動かないようにされているのを、宇城先生の“気”で周りの皆さんを崩したときのことです。何か清々しい感じがあったのです。
また、以下のように仰られたことも、印象に残っています。
それは…。
「“集中せよ”という言葉掛けではダメ。例えば熟練されたピアニストは(脳波を測定してみて分かるのは)、演奏時には何も考えていない。初心の人程、頭で考えて弾いている」と仰られたことです。
私は今までに、何度、生徒に対して、この言葉(「集中!」)を使って来たことでしょうか。これではダメだったのですね。出来ていないからこそ、そのようなスローガンを掲げてしまい、ただ、スローガンを掲げているだけでは、何も変わらないということなのですね。
最後に…。
常日頃、宇城先生が仰るように、このような人間の“潜在力”を目にした子ども達は目を輝かせ、変容に至るのは、その通りなのだろうと思います。
また、宇城先生のように他者にエネルギーを与えることが出来れば、その人は元気になっていくことと思います。
しかし、大変失礼だとは思うのですが、正直に申し上げますと、「それは宇城先生だから出来ることであって、私には出来ない。私はどうすればよいのか…」と思ってしまう自分も居るのです。
でも、そこにとどまっているだけでは、何も変わらないことは分かり切っています。では、まだまだ低いレベルの私が何が出来るのか?…そのヒントになるのが、「寄り添う」だと思います。ただし、バーチャルな“寄り添い”ではダメなことは重々分かっています(今年の「道塾秋季合同合宿」でも、自分が如実に“寄り添えていない”ことを目の当たりにさせて頂きました)。
引き続き、御指導の程、お願い申し上げます。
【奈良 中学校 女性 30代】
お忙しい中、私たちのためにご指導ありがとうございました。
私の学校では、教員が自分のことでいっぱいとなり、なかなか子どもたちに寄り添えていない現状があります。そのため、子どもたちは不安や必要以上の甘えを抱えています。子どもの心を見ず、起こったことをそれとなくなだめて日々進んでいっているように思います。それでは、子どもたちの心に熱は灯らないなと思います。先生に学ばせていただいている一人として、責任と誇りをもって関わっていかなけれないけないと感じています。先生が私たちに送ってくださるエネルギーは、いつも暖かく元気が満ちます。そんな太陽のような存在に私たち教師一人ひとりがなっていかなければならないのだと思います。
しかし、私はどうしても頭で考えてしまい、なかなか素直な身体に気付けていないです。なので、先生から気を通していただいても、変化したことには気づいてもうまく理解できていないです。そもそも理解するというのがおこがましいのかもしれませんが。けれど、今日、先生が見えないものを見せてくださり、こんな風になっていたんだと思いました。先生が気を通すと、空間が変化し、重みが出たように見えました。この重みが、暖かさであったり、守られているという安心感なのかなと思います。みなさんはきっとそんなことは感じていらっしゃったのだと思います。私も、そのレベルになっていきたいと思います。そのために、自分に言い訳せず、行動していきたいです。実践を学びながらも、実際の学校現場で、先生から教えていただいた実践を出来ていません。制度が、仕組みがという言い訳をせず、変化していきたいと思います。CからD、Eへと変化、深さを持てるよう、挑戦してきます。よろしくお願いいたします。
【兵庫 高等学校 男性 50代】
講習を受けていて、いよいよ宇城先生の教えが必要な時代が到来してきたことを強く感じました。
AIに仕事を奪われる話は10年前からされていましたが、ほんの3年ほど前まではその活用は部分的で、まだもう少しあとの話かと思っていました。ところが、ここ1,2年の生成AIを始めとするAIの進歩は加速的に速く、社会での活用の場面が当初の予測以上に広範囲になっています。適当な指示や材料さえ与えれば、ほんの数秒で文章ができ、それは下手な人間が書くよりはるかに整っていますし、絵を描かせれば、こちらも短い時間で本業のイラストレーターが描いたようなものができます。企業でもさまざまな場面で使われ、創造的な分野も人間しかできないものではありません。圧倒的に短時間で効率のよいAIを使う方が人件費も節約できるとあれば、人間の活躍の場はどこにあるのかと思います。話し相手でさえ、AIの方が気兼ねなくできて、いいという人もたくさんいるようです。
それでは、人間の活躍する場はどこにあるのか、人間の価値はどこにあるのか。AIにないものは何か。それは、宇城先生のおっしゃっている人間性であると思います。そして、教育に必要なものは、宇城空手の教育のメソッドであると思います。生まれながらに完成形である子供たちをそのままの形で、社会で活躍する人間に成長させる。それは、まず、「心・技・体」の「技・体」が先に来て、後に「心」が出来上がっていくものです。
先生のお話の中で、AIを使った学習する犬型のロボットの話が出ていました。その番組でAIの身体性の話が出ていました。「知性」というところでは、膨大な学習が可能なAIにはとても勝つことはできません。AIが身体的な学習ができるようになれば、さらに人間が優位なところはなくなってきます。それでも残るのが、宇城先生のおっしゃっている、子供にできて大人にできない調和の能力であり、人に寄り添う人間性であると思います。そして、先生が毎回私たちに体験させてくれるようなことはAIには絶対にできないことです。
学校教育は、世の中の流れに全く反応できていませんし、変えることは難しいと思うことばかりです。それでも、一条の光を宇城先生が示してくれています。一足飛びにいろいろなことを変えたくなりますが、まずは自分が変化し、レベルが上がらないことには、その一端も担えません。宇城先生にいただいた教えとエネルギーを胸に実践していきたいと思います。
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
【京都 中高一貫 男性 40代】
7ヶ月ぶりに宇城先生のお話を聞いて、まさに心も身体もニュートラルになったような感覚になりました。今,感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
数ヶ月の間、教員集団、同僚、保護者と、大人に関して自分の中でいろいろと悩んでいたり、考えていたり、時にはイライラしていたりしていましたが、それはとても小さな次元での衝突、感情であったと気づくことができました。また、イライラしてしまっている時点で、自分のレベル、次元の低さを露呈していると言うことにも気づくことができました。自分が高い段階にいたり、圧倒するような力があったりすれば、そんなことにはならないと改めて知ることができました。
自分の中では、この数ヶ月間、これではいけない、自分が何とかしなくてはと、様々な雰囲気や空気感、流れに抗おうとしていました。その結果、抗い疲れも感じているようになっていました。またそれにより心は荒み、投げやりになってしまいそうになっていた時もありました。悪い方向へいきそうなことを感じ、それを何とかしようとしても後手になっているということはこれまで何度も学んできましたが、頭で考え、そうは言っても何とかしなければという気持ちから抗っていたように思います。今回の検証を通して、再確認をさせてもらい、争う、抗う、衝突するのではなく、先生のように先を歩く、先を示すべきだと思いました。
自分のステージはまだAですが、先生のおかげで、すごいと思っていた大谷選手や山本選手よりももっと先の次元があるということを教えていただきました。それにより、小さい視野にフォーカスを当てていて暗くなっていた視野が広がり、明るくなったような感覚がありました。また視野が広くなったことで、重心も落ちたような感覚になりました。もう一度日々の中で、その感覚を大切にしながら、頑張っていきたいと思いました。ありがとうございました。
【奈良 高等学校 男性 40代】
先日は、第4回関西宇城教師塾においてご指導いただき、誠にありがとうございました。また、遅れての参加となり大変申し訳ありませんでした。
10月より、前任者の体調不良により本校硬式野球部の監督となりました。これまでは、野球部の顧問として名前は入っていましたが、前監督のサポートに徹し選手のケアや事務的な役割を担っていました。
実際に監督となり、チームを任されるようになるとスポーツという対立・衝突の世界に自分自身が無意識に引きづりこまれているということが、今回の教師塾でも気づくことができ、宇城先生のご指導を受けながら自分の心が洗われるような感覚になりました。
教師塾で宇城先生のお話を拝聴しながら、また宇城先生の気を体験させていただきながら、自分自身が部活動でも、またそれ以外の場でも自分が子どもたちに語り掛けていることが「寄り添う」という心ではなく、勝つためとか、成績をあげるためなど成果を求める声掛けになってしまっていることを痛感致しました。
講義の途中、宇城先生から幾度となく「自分」というお言葉をいただきました。組織は変わらない。自分次第だと。教育、スポーツという組織、また広い視野に立てば地球、世の中という組織に私たちは属しています。日々の活動のなかで、様々な事や様々な人間との関わりがあるなか、「自分自身がいかにあるべきか」、「自分自身がどう変わるべきか」ということを数々の実践を通して改めて自覚することができ、とにかく自分自身が出来ることをひたすらやり続ける、宇城先生からいただいた調和の世界の心をどんな事があろうとも持ち続けて、子どもたちと接していきたいと強く感じました。
自分自身は「軽い」、「浅い」、「優柔不断」です。仕事で、また宇城教師塾の事務局をさせていただいたりするなかでそう思うことがあります。ただし、宇城先生から学ぶ前、また宇城空手に出会う前には自分がそんな人間、そんな自分だと気づくこともありませんでした。宇城先生からのご指導があり、また宇城空手を学ばせていただいているなかで無意識下のことに気づかせていただきました。だからこそ相手が保護者であろうと、生徒であろうと物事がうまく運ばない時には自分自身に矢印を向け、自分が変わろうと思うことが出来ます。
「戦わずして勝つ」、「先を取る」、今回の教師塾で学んだことを日常で活かし自分自身が変化し、懐を広げていくことに集中していきます。また、その大切さを生徒たちの活動といっしょに生徒とともに学び続けます。
この度のご指導誠にありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願い致します。
【奈良 教育研究所 男性 30代】
このたびは、教師塾にてご指導いただき、誠にありがとうございました。遅れての参加となり、大変失礼いたしました。
今回特に印象に残ったのは、「透明になる」というお言葉でした。「ニュートラルに」「力まない」といった表現と通じる部分もありますが、今の自分には特に強く響きました。
仕事の中で、自分の言葉や行動が色が付いたものとして伝わってしまったり、そう見られたりしていると感じることがあります。寄り添えていない、素直に受け入れてもらえていないと感じる場面も少なくありません。
だからこそ、「いかに色のない透明な状態に近づくか」が、親身に寄り添い、心から受け入れてもらうための鍵なのだと気づかされました。
そのためには、まず自らの力を磨き、自信のなさや恐れの状態から抜け出す必要があると再認識しました。
宇城先生に気を通していただいた際、自分でも信じられないほどの力を発揮できたことに、いつも以上に深い感動を覚えました。これこそが本来自分の中にある力なのだと実感しました。
日々の学びを通して力を蓄えながら、その力を素直に発揮できる身体と心をつくっていきたいと思います。そして、仕事や家庭をうまく回すために、この姿勢を追求していく決意を新たにしました。
今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。
【京都 中高一貫 女性 40代】
宇城先生、この度も教師塾でのご指導ありがとうございました。
今回も「なぜ私たちは進展しながら自滅に向かうのか」という問いに対して、そもそも私たちの中には生まれながらに素晴らしい力があるということを実証を通じて教えていただきました。
先生に気を通していただくと手を触れなくても大人数の男性が押さえている机を動かすことができました。気を通していただく前と後で自分自身では大きな変化を感じることができないにも関わらず、実際にできる事実がそこにはありました。いかに日頃頭でしか生きていないのか。知の入り口を身体にするということを常に先生からはお話しいただいていますが、全くその次元に自分がいないということを身体を通じて教えていただきました。子どもにできて大人にできないということも、本来は皆が生まれながらに持っている素晴らしい力が人間にはあるのに、歳を重ねるにつれて邪魔をするものを多く身につけてきたことに気づき、いらないものを削ぎ落としていかなければならないということを先生は教えてくださっています。
できる自分もできない自分も同じ自分。では何が邪魔をし、不安や怯えがなぜ生まれるのか。そう考えていくと、これまで学校が続けてきた表面だけの詰め込み教育、競争、評価、分断、忖度、部分、こういったそもそもの教育のあり方に課題があることに気付かされます。親も子もみんな幸せになりたいと思い生きているものの、何を大切に生きなければならないのか、そのことに気づかせてくれ、信じられるものとの出会いがないから、より大きな不安が日本社会全体を包み込んでいるのだと感じています。
そんな中、私は希望の光とも言える宇城先生と出会い、人が大切にすべき軸は人間性であるということを身体を通じて教えていただいています。これまで自分が理解していた「人間性」と、宇城先生に気づかせていただいている「人間性」では次元が違います。自分の次元がいかに低いのか。そのことに気づかせていただき、今の自分から変わりたいと思えていることがいかに幸せなことか。だからこそ、宇城先生から学ばせていただいている自分が変化し、少しでも今自分がいる場所を守れる強さを身につけ、実証できるようになっていかなければという思いは、先生と出会った時よりもはるかに大きくなっています。
そのためには深さを求める生き方をしなければなりません。Aの次元からEの次元は見えないからこそ、自らが必死になって次元を上げる努力を重ねなければ守れる強さは身につきません。言葉や上部ではなく、真剣に目の前の子どもたちと向き合い生きていくこと。自分の命と身体と真剣に向き合い、身につけてきたいらないものを削ぎ落としていくこと。その入り口は身体にしかありません。自分のできない身体を受け止め、できる自分になれるよう身体を常に意識しながら内面も磨いていきます。
宇城先生にはできる自分にも気づかせていただきますが、できない自分にも気づかせていただいています。できない自分に気づけるからこそ、変わろうと思える。変わらなければと思える。そんなふうに日常を生きられているのは先生のおかげです。私がそう気づかせていただけたように、目の前の子どもたちや保護者の方にも、自分には素晴らしい力があるということに気づき、そんな自分の力を発揮したいと思える人が増えるようになるためには、教師である自分が変わることが必須なのだと思います。不安を抱えている人たちが少しでも安心して生きられるように。そして多くの人たちが自分の使命に気づき、より良い世界を築いていける社会の一員として主体的に生きていくことができれば、調和の力により世界は平和になっていけると信じています。
自分ごととして物事を捉えられず、我欲を優先してしまう人間の弱さにより繰り返されてきた負の歴史をもう2度と繰り返さないためには、日本人の調和の力を取り戻さなければならないのだと宇城先生からは身体を通じて気づかせていただいています。宇城先生、この度も貴重な学びの機会をありがとうございました。先生から学べることを当たり前だと思わずに、自らに矢印をむけ、できる自分に少しでも変化していけるよう、精進いたします。今後も引き続きご指導よろしくお願いいたします。





















