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2024年度 第2回教師塾が開催されました

4月24日(水)奈良県奈良高校にて、2024年度第2回教師塾が開催され、30名の教師が参加しました。 


なぜ江戸時代が260年もの長きにわたり続いたのか。ロシア、ウクライナ、イスラエル、イランなど戦争という最大の不幸が現代で繰り広げられている現状から教師である私たちに何が出来るのか。何をしなければならないのかを宇城塾長より指導いただきました。


 その後、今の常識ではあり得ない実践を通して、正しく挨拶をすること、ゴミを拾うことから自然と力が出ることを実感し、いかに今の常識に洗脳されているのか、教師である大人が学ばなければいけないと宇城先生から愛のあるメッセージが送られました。

 

人間は、空気、水、太陽がなければ生きていないように、それと同様に「師」という存在が必要であると。講義と実践を交えての指導が進むにつれ、参加者の真剣な表情や眼差しで会場は熱気に溢れました。




 

感想文

 

■男性 30代 奈良 中学校


本日はお忙しい中であるにも関わらず、第2回教師塾にてご指導いただきありがとうございました。塾開始前、武道場周辺で作業をしていたバスケットボール部マネージャーの生徒さんに手洗いの場所を訪ねたところ、「ご案内いたします」と丁寧に寄り添っていただきました。とても清々しく温かい気持ちになりました。

 私は今年度中学校1年生の担任を任せていただいております。昨年に引き続き、「学級開き」の学級活動の時間に『菌糸のネットワーク』を生徒たちに視聴してもらい、森の木々達は互いに菌糸でつながり支え合っていること、私たち人間は何をもって互いをつなげていけばよいか?を生徒たちと共に考えました。以下に生徒の感想を掲載させていただきます。

~生徒の感想~

〇友達との間にプラスチックの壁を作らないようにしようと思いました

〇植物が支え合って生きているということを知って、人間は植物のように支え合っているかと言われたら完璧には支えあえていないと思います。そのことからまずは今だけにしかない学級を植物のようにみんなで支え合って生きていきたいです。これからの学校生活楽しんでいきたいです。

〇人間もこんな風にともに生きていたらいいなと思った。(共生)人間は「心」でつながる

〇木は菌糸というものでつながっていて、それは人間でいうコミュニケーションと同じだと思う。人間もコミュニケーションを大切にして、助け合えばいいと思う

〇誰とでも仲良くコミュニケーションをとることが大切。社会で生きていくためにどうすればいいのかを深く考えることができた。自分一人ではなく全員と生きていくことが大切

〇植物が助け合って暮らしているように私も周りの人に目を向けて助けてもらったり助けたりして生きていきたい。私も生まれたときから1人じゃないしお母さんとか育ててくれないと生きていけないからそういうことが当たりまえと思わず植物のように助け合っていけたらいいなと思いました

〇人間はコミュニケーションや絆でつながっていると思う

〇木と木が菌糸でつながっているように人と人をつなぐ菌糸のような人間になりたいと思いました。菌糸みたいな人はどんなことができる人なのかなと思いました

 

 「教育」とは「育み、教えられるもの」と教えていただきました。生徒一人一人の感想を読ませていただき、一人一人の感性の豊かさや温かさ、素直さから教師として何を大切にしなければならないのかを教えていただきました。森の木々達は互いに菌糸のネットワークでつながれている。どんなに立派な木でも1本では枯れる。互いにつながり、支え合う。絆。学級・学年・部活動・学校を1本1本の寄せ集めではなく、「森」にしていく。そして、生徒の前に立つ自分自身は「太陽」となれるよう深化していきます。私たち大人からの電波を生徒は敏感に察知します。私は学級担任としてできることを続けます。1日の終わりに黒板をキレイに清掃する。生徒の机をキレイに並べる。整頓が終わった誰もいない教室で生徒一人一人の姿を写しながら点呼をする。生徒の靴箱に入った上靴を並べる。学年やグラウンドのトイレを磨く。日々生徒や保護者、同僚の先生方と共有したい内容を学級通信にまとめるなど。教師塾で自分の身体に注いでいただいたエネルギーを電波として生徒達に届けられるよう、精進します。教師塾でご指導いただく以前の自分では考えられない変化が起きています。この場につないでいただいた方々へのご恩を忘れることなく、これからも宇城先生に学び続けさせていただきたいと考えます。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


 

■女性 40代 京都 中学校・高等学校


宇城先生、昨日は教師塾でのご指導、ありがとうございました。最大の幸福は絆、寄り添うことである。頭では分かっているつもりになっているだけで、人類は最大の不幸である戦争への道を進んでいる。この事実を理解し、受け止められる教員が果たしてどれだけいるのだろうか。そう考えさせられる時間でした。自分たちの教え子が戦争に巻き込まれる事態は何があっても避けなければならない。日本という国を守るために「私」を捨て、「公」の精神を大切にしてきた日本人の魂。国を守るために、国と国の外交で対等な交渉をしてきたことがいかに素晴らしかったのか。今の政治や学校現場のリーダーを見ていると感じますし、自分自身がその立場であれば何ができるのかと考えさせられました。

腕相撲をしている2人の方と4人の男性がそれぞれつながり、一番端の人同士が腕を引き合うという実践は圧巻でした。宇城先生が意識を抜くと、腕相撲に勝てるだけではなく、そのエネルギーはつながっている人たちに伝わっていき、端の人も相手を簡単に引くことができました。頭の中にできない、無理だといったこれまでの経験で植え付けられた意識がとどまっていることで、本来持つべき力を発揮できない身体に変化をしてしまっているということがよくわかりました。

指導をする大人の思考が止まっている状態で、生徒たちに自分が望むような指導を行ってしまうと、生徒たちの思考も同じように停止させてしまうのだとすると、私たちが行なっている教育は一体何のための教育なのかと疑問を抱きます。人間は生まれながらに完成形。宇城先生がおっしゃる通り、子ども達の身体は素直であるはずなのに、最近の中学生は身体が止まってしまっている生徒が本当に増えてきました。まさに大人の学ばなさによる結果です。保護者も学校も、それぞれの役割を果たせずにいることが子ども達の未来を奪ってしまっているということに気づき、変化しなければ、日本の未来に希望はありません。私立は変わらなければならない。先生のお言葉に背中を押していただいていることで、希望を捨てずにいられます。そんな私が今できることは、学校の体制に文句を言うことではなく、意識を捨て、最大幸福に近づくための教育が何かを考え、行動し続けることです。

現在、中学生に幕末の授業をしていますが、学べば学ぶほど、江戸時代を生きた日本人が国をも守るために世界を知り、その時々で正しい判断をしてきたことがわかります。鎖国をやめ、国を開くときでも、国を守ることを最優先に考え行動した日本人。鎖国と言いながらも世界情勢を把握し、不安、怯えから列強の言いなりになっていたわけではなく、国民の安全を守るために欧米列強と交渉してきた経緯は驚くものばかりです。それと同時に、史実は都合の良いように変えられているということも最新の研究結果からわかり出しています。それに対し、今の日本は不安・怯えであふれています。学校現場も同様です。教師が不安だから、生徒も不安になり、前に進めなくなっているのだと感じます。

机の前に男性が立ち、1・2・3の合図で机を動かすという実践からも、不安・怯えでは人は固まってしまい、後ろに下がることしかできないことがよくわかりました。机を持っている私自身も力を緩めると机が下がり始めました。それは依存しているからだという先生のお言葉を聞き、攻める側も、責められる側も、怯えに支配されている現状に非常に危機感を感じました。私たち教員が1番生徒と共に時間を過ごせる授業の場で、不安・怯えを与える授業をしていては絶対にダメですし、希望を与えられるような授業をしていくこと、依存しない強い心を育てられる実践をしていかなければなりません。目に見える部分だけの薄っぺらい学びではなく、無意識、深層意識の部分に気づきを得られるような学びに変えていくためには、自分が進化、成長する以外方法がありません。偏差値教育の弊害をいち早く排除し、生きる力を育むための教育を取り戻していきたいです。先を取るためには個人レベルでの交流が大切だと先生がおっしゃるように、まずは自分自身が周囲の人々と調和し、巻き込める渦の中心のような存在にならなければなりません。立場も人種も価値観も大きく違う人たちとどのようにわかりあうのか。難しいことですが、私には宇城先生という全ての違いを一瞬で無くしてしまう師の存在があります。子ども達の1番そばにいる私たち教員が、姿勢で魅せられる大人になることが何よりも大切であるということを先生はいつも教えてくださいます。人は魅力で人を惹きつける。そのお言葉通り、誰が言うかによって子ども達の行動は大きく変わります。忖度ではなく、真剣に相手と向き合えているのか、横着をしていないかを自分に問い続けながら、本を読み、稽古をし、自分の学びを深められるように、これまで以上に行動していきたいと思います。

人は全てエネルギーで動いている。そのエネルギーをご自身でコントロールされるだけでなく、人にも与えることができる宇城先生の存在は、まさに太陽です。太陽がなければ地球は存在できないのと同じで、宇城先生という太陽が照らしてくださることで、私はエネルギーを得ることができ、逃げない自分でありたいと行動できるようになってきました。まだまだ未熟で弱い自分が出てきます。正しい決断が難しいことも多いです。その度に、先生なら・・・と問うことができる私は幸せです。どのような仕事も、経験も自分にとっての成長の場でしかありません。逃げずに、今、目の前のことと向き合いながらも、先を見て戦争になる前に外交をして戦争にならないようにできる力、それどころか相手と仲良くなりみんなが幸せになれるような力を身につけられるよう、努力していきます。引き続きご指導、よろしくお願い致します。


 

■男性 40代 京都 中学校・高等学校


昨日は、教師塾でのご指導ありがとうございました。この激動の時代。世界中のどこかで戦争が起きており、日本国民がこれほど腑抜け、ボーっとしていることにどれだけの人が気づき、その備えをしているのかと危機感しかありません。その中で学校教育が果たす意味は何なのか。受験戦争の中にこどもたちが巻き込まれ、本当に学ばなくてはいけないこと。経験すべきことが出来ていないことに誰も声をあげない。気づいていたとしても変えることが出来ない。要するに、そこに関わる人たちに力がないということをもっと謙虚に受け止め、もっともっと学ばなくてはいけないという想いが、宇城先生にご指導いた だく度に内面から湧き上がってきます。 そして、その先を常に示してくれる「師」という存在がどれだけ大切なのか。誰しも気づかないうちに ぶれてしまう時があり、エネルギーが不足して悩む時がある。宇城先生の存在がどれだけありがたいのかを感じ、もし先生と出会っていなかったら今頃自分はどのような人生を歩んでいたのかと怖くなります。私は、先生と出会いをいただけたからなんとか軌道修正していただきながら、また目指すべき方向を示し、気づかせていただけることができています。他の人はどうなのかとふと思う瞬間があります。そう思うと宇城先生と道塾や講演会などでつなぐ役割が私たちにあり、そのためにも私たち自身が自力をつけることが必要となってきます。まわりまわって結局は自分自身に戻り、自分がどうあるのかということに尽きるのでしょう。 昨日正座をして、上から押さえる検証で、自分は上から押さえられているから起き上がれないとそう思い込んで身体を起すことができませんでした。まだまだ頭で動いていることに気づかせていただき、 自分の身体のアンテナの感度が鈍さに反省しきりでした。教育とは、意識のレベルでの活動ではいけないことが本当の意味で気づき始めたらからこそ、自分の出来ることを知識はもちろんのこと、それ以外で生徒に示すことが出来るよう努力していきます。今から 100 年後日本の人口は、5000 万人を下回り、近々でいうと各自治体も 2050年までに 80 近くが 消滅していくと言われています。社会環境がなくなっていけば当然人との関わりが希薄となり、信頼関係はおろか、人と人と手を取り合うことが減っていき日本という国のレベルは奈落の底に落ちていくことでしょう。これは、自分の子ども孫の時代にその現実が起きてしまいます。このことを国民一人ひとりが認識をもち、食い止めなければなりません。 宇城先生が進むべき道を示してくださることが世界の平和の道です。どこまでもスケールの大きな愛に甘えることなく、日々鍛錬していきます。「自分を信じる→自信」自分を信じられるように、行動し続けていきます。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。


 

■男性 20代 奈良 高等学校


先日は、第2 回教師塾を開催し、ご指導下さりありがとうございました。冒頭の戦争になったとき、どう対応するか。台湾有事が現実味を帯びてきているなかで、いかに平和ボケして低いレベルで日常を過ごしているか気づかせていただきました。また、教育で、勉強を教え、スポーツを教え、それがまったく人間としてのレベルアップにつながっていないということを気づかせていただきました。実践では、突進してくる机の前に立たせていただき、不安が出ている。と自分でも感じました。宇城先生が横に立ってくださったときは、机がまったく怖くなくなり、逆に自分から机の方にむかっていける!という自信が身体から沸いてきました。不安を感じている人が先生だから生徒に不安が映る。とはまさに、自分のことだなと思いました。前回の教師塾から学んだことを日々学校で実践しているつもりでした。今回の教師塾で時間が経過するたびに、自分が生徒にしていたことは、意識の5%の世界で、無意識の95%、本来の人間の力が出る部分で生徒に接していないのだと気づかせていただきました。宇城先生が横に立って下さったときの安心、できると身体が感じること。これを自分の生徒たちに感じさせれると子どもたちはどんどん伸びていくのだと感じました。宇城先生が「こどもは宝の宝庫」とおっしゃっていて、教師塾の終盤、周りの先生方、全員がキラキラしていて、誰ができているとか、誰が優秀かとかではなく、全員が可能性を秘めているというのを感じました。私が普段、子どもに感じていたのは、私の不安を通して子どもを見ているのだなと思いました。宇城先生が教師なら子どもたち全員の可能性を引き出し、全員が希望に満ちて毎日を過ごせると心から感じました。宇城先生から教えていただいた、「一歩前に出る」「肩をたたきながら声をかける」「同じ方向を向く」「寄り添う」ことを実践していきたいと思います。 また、教師塾が終わった後も時間が許すかぎり、ご指導してくださり、ありがとうございました。左腕をかたくしてもらうと、左腕の中で細かいものが一斉にワーっと震えだ し、ものすごく力が入りました。腕をつかんでいる先生もびっくりして喜んでいて、私も笑顔になり、そのときの衝撃がまだ残っています。今回の教師塾では、数多く実践させて いただき、エネルギーをいただきました。子どもたちに広がっていくよう、毎日を過ごしていきたいです。今回参加させていただいて、次元が違うんだ。と今まで以上に強く感じ ました。覚悟をもって、先生という仕事を続けていきたいと思います。 これからも、ご指導よろしくお願いいたします。


 

■男性 40代 京都 中学校


教師塾が開催される度に、「寄り添うこと」そこからの「絆」を日々作れているか示せているか、考え答え合わせをさせて頂く時間です。先生が何時もおっしゃる『師』を持つことの大切さ、自分だけでは気付けない、無意識の部分さらに深層意識の部分は決して自分では変えられない。 95%は無意識化にあるという先生の言葉を自分なりに日々『師』という指標を頂けるこの場の大切さ、次元の違う話だからこそ無意識化され、知らず知らずのうちに学べていると感じます。教師塾という場で先生から気付かされていることを子どもたちのように感じればいいが、大人に感じ取る力がないこと。 子どもたちはその感じ取る力があるということを知り。 今日の先生の話、実践で普段感じれない自分達大人も感じ気付かせていただいた。 先生がおっしゃる通り、子どもたちの成長の邪魔を教育はしているその意味を知れました。 目に見えないものを見る力が何倍もある子どもたち、目に見えないものを信じず追求せず諦める大人。0を1にする教育。できないことで済ます。大人にそのエネルギーがないのに 何を子どもたちに与えられるのか。小さい世界しか見えないようにして、子どもたちをコントロールするその程度でしか今の教育はないこと今の教育の意味は・・ 子どもたちに良かれと思ってしていることに真の幸せはあるのか?受験勉強のその先に、スポーツの優勝の先に何があるのか?そんな考え自体自分たちはしたことがなかった。 自分は凄いと思われたい。不安をかき消す、間違った気合で頭をだまして戦うスポーツ。その先に何があるのか。今日の講習の中で先生は最大の不幸は、最大の幸福はということを投げかけてくださいました。最大の不幸は何なのか、学校レベルでいうと、『いじめ』などが挙がるが、先生がおっしゃったように戦争がいざ始まったら、いじめなどでは片づけられない信じられないことが起こる。実際に今もロシア VS ウクライナ、イラン VS イスラエル 日本に近いところで台湾有事、先が見えない目先のことしか見えない我々にはそれが起こったときになすすべはないし、考えない自分たちは、そうなっても仕方ないぐらいで済ませてしまうんではないかと感じました。それとは逆に最大の幸福は『絆』を作ること。戦争に例えたら始まれば終わりです。平和を260年も続けた江戸時代。徳川幕府、その根底にあった『無刀取り』の考え、『戦わずして勝つ』の境地。先をとる。リーダーの考え振る舞いがすべてに広がる。そういう意味で言えば、今の日本人のレベルが低いということも頷ける。個のベルの交流。国レベルの外交。人間にとって大切なのは先生が今日示されたような、頭ではなく理屈ではないモノなんだということを学ばせていただきました。 『絆』を作るための寄り添いとはの前に今日の学びを実践してこそその先にできるが生まれてくると信じて生徒に寄り添える本物の教師を目指します。 4月の始まりにこのような学びの機会をいただいたことに感謝し実践に励みます。 ご指導ありがとうございました。


 

■男性 50代 兵庫 高等学校


宇城先生、ご指導ありがとうございました。

遅れての参加で申し訳ありませんでした。短い時間の参加でしたが、宇城先生はもちろん、教師塾の仲間のエネルギーを受け取ることができました。

今年度は新しい職場に移り、休憩をする間もなく働く毎日です。新しい職場は発展的統合という名の合併を次年度に控えた学校のため、通常よりも業務が多くなっています。目の回りそうな毎日でも自然とやる気が湧いてくるのは、宇城先生の元で学ばせていただいているからだと思います。教頭としては事務的な仕事がほとんどですが、生徒と直接関わらない分、教職員が生き生きと元気に働けるような職場にすることが一番の仕事だと思っています。また、次年度から新しい高校が始まり、違う制服の生徒が同時に同じ校舎で学びます。その2つの学校・生徒たちを一つにつなぐことが自分の最大のミッションです。宇城先生に学ばせていただいている自分がこの学校に転勤してきたことに運命を感じています。

今年度は、まず自分ということですべてのことをやっていこうと思います。特に仕事では、他の教員を変えたいという欲望を捨て、自然と活気のある職場になっていることを理想としていこうと思います。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。


 

■男性 60代 大阪 中学校


宇城先生。先日も、いろいろとお忙しい中、宇城教師塾を開催、そして御指導を賜り、誠に有り難うございました。冒頭の御講義では,“感知”に大きく2つあることを教えて頂きました。1つは、いわゆる「五感」。入ってくる情報を「眼耳鼻舌身」を通して脳やヒフで受信するルート。そして、今一つは、無意識・潜在意識。「目に見えないメッセージ」をその領域で受信するルート(この「潜在意識」の中に“不安“、“怯え”、”依存心”があるというのが、気になりますが…)。この2つの“感知”ですが、日々の生活の中では、日頃からついつい目に見えるものだけに目を奪われがち になります。

もう20年程前になりますが、宇城先生も対談された芸能人の美輪明宏さんがテレビの番組で、「見えるものを見るのではなく、見えないものを見よ」と、仰っておられたのが、非常に印象に残っています。「はて?」…目には見えないものとは?…と、ずっと疑問に思っていたのですが、6年前に美輪さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談本を読んだところ、その中に、その見えないもののことが記されていました。それは「心」だと。

宇城先生に学ばせて頂く機会を得て、「“心あり”と“心なし”の違い」や「“心”は目には見えないが、“行動”を通して見えるし、“行動”が“心”をつくる」や「寄り添う“心”が、相手にも自分にもエネルギーを与える」ということを気づかせて頂きました(最近、諺の「情けは人の為ならず」の本当の意味は、このこと~“寄り添う行動”は、相手にも自分にもエネルギーを与える~も含まれているのではないか…と、思ったりもします(笑))。

そして、「見えないもの」とは、美輪さんが仰る「心」だけではなく、「人が発する“電波”」や「音楽の波動」、そして「(気)エネルギー」などが確実に存在し、それらが瞬時に周りに影響を与えることが出来ることを示して頂けた2時間だったと思います。

私は、「宇城道塾」でも学ばせて頂いていますが、ついつい頭が働いてしまい、せっかくの“気”を遮断してしまうことが多々あります。そして、そのときの私は「出来る」「出来ない」にフォーカスしてしまいます。

しかし、今回の御講義の最後に宇城先生は、「“出来る” “出来ない”ではない」と仰いました。そう言って頂けるだけで、今はダメな自分だけど、先行きの“希望”を感じることが出来ます。そして、そんな自分でも、実際に「心あり」でゴミを手につけて取ろうとすると、床に手がつき、他人に背中を押さえられても、起き上がれるエネルギーが出てきました。また、生徒を励ますのに、一歩前に出て肩をポンポンポンと叩く…という行動も相手にエネルギーを送ることが出来るということを教えて頂けました。毎日の学校での生活の中で、今回学ばせて頂けたこれらのことを行動に移していきたいと思います。以上で受講感想文を終わります。これからも御指導の程、何卒宜しく御願い申し上げます。有り難うございました。


 

■男性 30代 奈良 中学校


宇城先生、昨日はお忙しい中、教師塾でのご指導ありがとうございました。また、教師塾の開催や運営をしてくださった教師塾、宇城塾の先生方にもこの場を借りて御礼申し上げます。

新年度が始まり、三年生の担任として4月がスタートしました。教師塾を終えて感じたのは、最高学年の担当ということもあり、学年生徒の生活態度や修学旅行に向かう活動の中で、生徒の姿にいつも以上に目を光らせ、気が張っている状態で生活していた自分がいたということです。実は教師塾を迎えるまでの2日間ほどで、自分のクラスの生徒がこれまでの緊張が切れたかのように180度行動を変える出来事が起きていました。なんでなのだろう。何が原因なのだろうと教師塾に向かう道中で考えながら車を走らせていました。宇城先生のお話では、ただでさえ日本の学校現場は、受験競争と勝利至上主義の部活動で生徒たちに「不安と怯え」を植え付けているとのお話をいただきました。そうか、昨日までの私は、自分の心の不安や怯えを生徒に写すような心構えで生活していた。この2日ほどの生徒の糸が切れたような姿にも納得しました。誰のせいでもなく自分の姿が生徒に写っていたのです。

世界ではなく日本のために。塾の中での宇城先生のこの言葉に痺れました。日本を変える。教育で。未来を担う子どもたちを。私自身も目の前で起きる事象に改めて感動し、体が、心が、熱くなりました。時間にして2時間半ほどで教師塾に到着するまでの気の重さや張り詰めた感じは吹き飛びました。やはりまだまだ部分体で教師という仕事に向き合っている。だから疲れ、いつのまにか日本の教育の悪弊に呑まれる。その事実を学ばせていただきました。幸い私には宇城先生という師があり、共に学ばせていただいている教師塾の先生方という師がいます。本当に感謝です。木は一本では育たない。周りの木が根っこのレベルで土を通して菌糸レベルでつながり、支え合い、助け合い、やがて森になる。教師塾という森で、私は昨日、周りの木に助けていただきました。いつかは自分もそんな森の一部として生徒という木を、同僚の先生方という木を菌糸レベルで支えてあげられるようになりたい。一歩前に出て。

宇城先生、ありがとうございました。まだ弱々しい木ですが、少しでも幹を大きくできるよう、まずは根っこを大切に生活していきます。

教師塾の先生方にも改めて御礼申し上げます。私を支え、助けていただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


 

■男性 40代 三重 高等学校


宇城先生をはじめ、共に学ばせていただいた先生方ありがとうございました。

第1回に引き続き参加させていただきましたが、今回の内容も目の前で起きることが驚きと興奮の連続で、貴重な経験を積ませていただきました。また、頭(脳)以上に体(細胞)で体感して学ぶことの重要性を知ることができました。

様々な体験とお話を通して、今回は「恐怖」や「怯え」に対してどう向き合うかということを深く考えさせていただけました。日本教育の特性上、どうしても人は「評価」を気にしてしまい、「失敗」することを恐れ、「挑戦」することをやめて「現状維持」に落ち着く傾向があります。そのため、進化することができず、エネルギーが年を重ねるごとに失われてしまい、本来持っているエネルギーを発揮することができないのだと気づくことができました。また、それと同時に、この現状課題を解決していくために必要なのが「調和」であり「絆(寄り添い)」であることを学ばせていただきました。

今回も講義後のワクワク感と興奮を抑えることができず、早速、授業内のアイスブレイクで「調和」と「無意識」がどのようなエネルギーを生み出すのかということを体験の内容を真似して生徒に体感してもらいました。前回の授業で目に見えないエネルギーの凄さを体感した生徒も数名いたため、体験前から目をキラキラと輝かせて興味津々の様子でした。特に前屈(ゴミ拾いのイメージ)の実証では、柔軟性が極端に変化した生徒がおり、周りもそうですが、本人も「なぜそこまで変化するのか」ということに対して不思議そうにしておりました。この体験を通して自分の秘めた力(エネルギー)を生徒に認識させることができたので、彼らの今後の成長がより楽しみになりました。

皆さまと共に学ばせていただけることに感謝いたします。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。


 

■男性 30代 三重 高等学校


この度も貴重なご指導をいただき誠にありがとうございました。この教師塾で学ばせていただけることが私にとってとてつもない希望です。宇城先生に目の前で示していただく一つひとつの事がいつも自分の胸に刺さります。自分の力ではどうにもならない事。悩んでも解決しない事。自分が変わらなければいけない事を示していただけます。衝突を繰り返す懲りない自分の横着な身体は病気である事に気づかせていただけます。第一回が終わってから四月の今日までの間、たくさんのものと衝突を繰り返してきました。そんな自分を認めれば認めるほど嫌になります。そしてこの思考自体がズレている事もです。何も身体で分かっていないのに分かったふりをする自分の姿勢が情けない。変わりたい。変えないといけません。

宇城先生は私達に「怯え」と「不安」についてお話くださいました。人は不安や怯えがあると逃げ、守られると強くなる。逃げずに守ること、「真剣」であることが大切であるとおっしゃいました。染みついた不安や怯えは教師塾という場で宇城先生という、とてつもなく大きな存在によって心の安らぎに変えていただけます。ですが、いざ学校にいくと何もできない自分と相対します。よい自信と悪い自信。自信のなさからくる怯え、言い訳や誤魔化しが自信のない身体を作っています。だからこそ、ゴミを拾う、弱っている人、困っている人、すべての人に寄り添うことで相手はもちろん自分のエネルギーも高まること。これらを意識で行う上っ面だけの薄いものではなく、無意識からくる本物の行動にしていく。それが小さな進歩成長に繋がっていくのだと思います。行動して実践していくことで先を取ることができるようになる。教師塾で学ばせていただく瞬間、瞬間に希望が生じます。生き方を教えていただいています。これが本物の「教育」「指導」なのだと思います。エネルギーは、毎日の実践、積み重ねの結果大きくなっていく。これが先生のおっしゃっている「心あり」なのだと思います。相手の肩を叩くこと、調和すること、相手を思いやること、寄り添うこと。

宇城先生がおっしゃる「自分の中でわくわくする。希望がある。この連続が死ぬ時が最高につながっていく。」一人革命の意味、深さ。この幸せな教員人生。日々精進してまいります。いつもご指導いただき誠にありがとうございます。


 

■男性 30代 奈良 県教育委員会教育研究所


先日は教師塾においてご指導いただき、誠にありがとうございました。

私事ですが、4月から事務局へ異動となり、職種や環境が大きく変わる中での参加でした。職場で生徒と接することがなくなって、改めて今まで生徒や周りの先生からエネルギーをもらって支えられていたことに気づかされている次第です。現在の仕事は自分たちの守備範囲が明確で、同じ係や部であっても隣の人が何をしているかよく分からないぐらい、繋がりがなかなか感じられない環境です。4週間経ちましたが、分からないことばかりで、不安で怯えているのが今の私です。迫り来る机に怯えると、早くから逃げようとする。私と重なりました。今は全てが後手に回っています。私の身にもこれから大きな何かが迫り来ることはあるはずで、それに対処しなければならない立場であるのに、今のままでは壊れてしまうという切迫感を覚えました。

力のない者が力を合わせてぶつけにいっても、エネルギーをもった者に先を取られると止められる。そればかりでなく、力を抜くとじわじわと後退する。先を取る者が身にまとうエネルギーの凄まじさに驚かされました。自信がないと先は取れないのだと思います。自信をつけるためには、分からないことは素直に分からないと認めながら、ただひたすらに力をつける必要があるのだと思います。先入観や意識が自分の潜在能力を弱めていることにも気づかせていただきました。できないことを悲観せず、できないことを一つずつできるようにしていこうと思いました。

今の仕事になかなか前向きになれていませんでしたが、宇城先生にご指導いただいて、頑張ろうと思えました。最後に、笑うとエネルギーが湧いてくるというお話を伺って、最近笑えていないことに気づきました。時には笑えるところで笑いながら、前進して参りたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございます。


 

■女性 30代 奈良 中学校


お忙しい中、ご指導ありがとうございました。

新年度になり、新しい環境の中で「調和する」ということをよく考えます。子どもたちの空気をよくしようと思うと、子どもだけでなく、大人も仲良くすることが大切だとつくづく思います。宇城先生に教えていただいたことを思いながら、動いてみるのですが、動いてみると考えている時点で、意識で動いてしまっているので、調和できていないと思います。

今回、実践で、木刀の前の手を守りながら、木刀の向こうの相手を倒すというのをなさっていました。うまく言えないのですが、人を守り、強くできる人間が、本当に強いんだなと思いました。

時間をかけて、考える先に、何かが見つかるとお聞きして、今まで学ばせてもらったことを振り返ってみました。大変お恥ずかしく、失礼な話なのですが、私は今まで、先生にご指導していただくとき、うまくできるかなという思いがありました。やる前から失敗を避けて、きっとうまくいかないかもしれないと思っていました。うまくいくいかない(この表現が合っているのかわかりませんが)ではなく、素直に先生を映して、やっていく。できない時は自分の中の感性が乏しいだけで、感じ取れるように日々修行をしていく。そういったくり返しが宇城先生に学ばせていただくことなのだと思いました。

宇城先生は、どんな私たちでも、いつでもあたたかな愛情で導いてくださいます。その愛情を消費するだけでなく、自分も作り出していけるよう、精進していきます。

自分の「意識」を抜いていただいたら、みなさん強くなっていたように、私も「我」を捨て、受け取ったままに感じていくよう、自分自身と仲良くしたいと思います。今まで生きてきて凝り固まってしまった意識を変えることは難しいとは思いますが、これからもご指導よろしくお願いします。



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