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2024年 宇城道塾 春季合同合宿が開催されました

2024年3月9日、10日の2日間、静岡県修善寺にて宇城道塾合同合宿が行なわれました。

北は北海道、南は九州から塾生が集い、塾長との途切れない時間を共有する貴重な学びをいただきました。





本合宿のテーマは、「身体のニュートラル化」と「動作のゼロ化」です。


今日本そして世界は、戦争をはじめとする対立・衝突と、“常識”という嘘やごまかしの中にあります。

その原因は、人間の能力からしたらたった5%にも満たない頭(知識)の思考優先にあり、95%を占める無意識・深層意識に気づき働かせなければならない ―― 冒頭の講義で、塾長は合宿の指針を打ち出してくださいました。


この課題実現のためには、「身体のニュートラル化」「動作のゼロ化」修得が必要であり、またそこに向かうプロセスにおいて一人ひとりが自分自身の課題と向き合うこと。それがひいては周り(社会)を変えることにつながる。


将来に希望を持ち幸せに向かうにはどうすべきか?

そこに向かう道筋を2日間、実践をもって徹底的に身体で感じ、学んでいきました。



以下に実践講義の抜粋と塾生の感想文を紹介します。




●「気」によるニュートラル化・ゼロ化


腕相撲を例に、ニュートラル化・ゼロ化を感じ取る実践が行なわれました。



通常は相手と衝突して腕を返すことができないが、

塾長に気を通されると・・・

簡単に腕を返すことができた



さらに、全員で触れて、通常の状態(衝突)と、

気を通された状態(調和 ニュートラル化・ゼロ化)の状態を感じ取る




●連鎖する気


ニュートラル化・ゼロ化によって身体に気が満ち、相手を制する時、

相手もまた気に満たされています。



塾長の指導のもとある所作をすると・・・・

腕につながる全員を倒すことができた

倒された列の中にいた人は皆、掴んでくる相手を投げることができた 調和力によって投げられた人は、自分もまた次の人を投げることができる





●人間の潜在力


私たちには、通常ではあり得ないほどの潜在力がある。

それをストップさせているのが「頭」―― 知識や理屈などです。


「その脳(知識・理屈)を取るよ」と、塾長は気をかけます。



四つ這いの両腕に30人以上がぶら下がる

身動きすらできないが、塾長が「脳を取る」と・・・・

先頭者は動き出し・・・

30人以上がどんどん引きずられていく






様々な実践を全員が繰り返し行ない、それぞれの課題と向き合う

通常の2時間の講義ではなかなか叶わない貴重な時間である






2024年 宇城道塾 春季合同合宿 記念写真




 

受講感想文

 

●福島 公務員 HO

熱く激しく楽しい合宿をありがとうございました。

今回のテーマはニュートラルとゼロ化でした。


無意識

深層意識


この階層の中で、我々がいかに頭というバーチャルに囚われ、時間を止めているのか、衝突を生み出しているのかということを、検証を通して幾度も幾度も身体に叩き込んでいただきました。

四つん這いになった両腕にそれぞれ20名の人間が連なり、それを引っ張って前進する。

仰向けになった両手両足にそれぞれ10名の人間が連なり、それを一瞬で倒してしまう。

これは普通に見れば「やらせ」か「奇跡」でしかありません。

しかし、これは実際にこの身で体験している、まぎれもない「事実」です。


0.3~5%しか処理していない頭ではできない。

95%を処理している無意識ではできる。

深層意識の怯え・不安を消し去ればできる。

これらの検証は、我々が日常においてもいかに人間の本質である「調和」から乖離し、頭が生み出したバーチャルな価値観に囚われ、我欲に満ちた「衝突」の行動をとって、幸せへの生産性を低下させているかを痛感させられました。

ニュートラル(自然体)が生み出す必然の奇跡。己のゼロ化(自在)と相手のゼロ化(無力化)により、自分ばかりか、無力化された相手にもエネルギーを与える幸せの法則。

社会生活においては、様々な構造があり、正論を通そうとしても衝突するばかりです。

しかし、それは既存次元での戦い方しか知らないから、自然体という本来の人間のあり方を見失っているからだと感じました。


合宿で行われた様々な検証は、宇城先生という太陽から、我々塾生にエネルギーを惜しみなく注入いただくことで生み出された必然の奇跡です。どうすればあのようなエネルギーが生み出せるのか、人に分け与えられるのか、さっぱりわかりません。しかし、自分には生み出せない、できないということは謙虚に認めざるを得ません。

日常生活に戻り、宇城先生がこの場におられなくても、細胞に刻み込まれた無意識の記憶を活性化し、相手をよく理解し、包み込み、自分も相手も大切にする、エネルギーの浪費ではなく循環させ、変化を生み出せるよう、日々実践してまいります。


宇城先生と多くの仲間たちがいてくださるという希望をエネルギーとし、前を向いて今を大切に明るく生きてまいります。

本当に素晴らしい合宿をありがとうございました。



●東京 会社員 TT

宇城先生、ご指導の程、誠にありがとうございました。

ニュートラルについて、たった数%しかない頭の理解ではありますが、自分の中で少しはっきりとしました。

何故ニュートラルになれないか? 余計な事を考えるから。何故考えるか? 欲があるから。何故欲があるか? それは恐れ怯えているから。

恐れ怯えを除くには、自信を持つ。自信を持つには、普段から自分が信じられるように行動する。普段から二進法で迷わない。

それを一進法に近づけていく。余計な事を考えず、物事に集中する。

頭で理解しているレベルなので、これを無意識にするためには、日々の実践を習慣とする。


改めて考えてみますと、私はいつも余計な事を考えていると思いました。気が散漫していると思いました。

水を飲む時は水を飲む。飯を食う時は飯を食う。先生の話を聞く時は先生の話を聞く。型を稽古する時は型を稽古する。

言葉では簡単に聞こえますが、全然出来ていないと改めて思いました。先ずは、今行っている事に集中する。迷わない。

余計な事は考えない。これを実践していきたいと思います。


余計な事を考えないと考えるだけで駄目なので、ニュートラルになるには、とにかく、日頃の習慣を変えていくしかないと思いました。

いつも色々と気付きの機会を与えて頂き、ありがとうございます。感謝申し上げます。

引き続き、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。



●東京 自営業 KI

道塾合宿に今回で3回目の参加となりました。この充実した2日間は新たな学びと新しい出会いの最高の時間でした。

多くの教えの中で衝突が病気を作る、調和が大切と教えて頂きました。知らぬ間に衝突している癖があり、またその事に気づく事も出来ず、頭で考え衝突を取り除こうとすると何も出来ない自分に気付かせて頂きました。


また、深層意識に潜む不安や怯えが邪魔をすると教えて頂きました。いつの間にか植え付けられた不安や怯えは塾長の気により「安心」に変換され、何に怯え不安を感じているのか再認識されました。

そして知る事が成長の一歩と教えて頂きました。またニュートラル化とゼロ化の検証では、自分の身体が大地と一体化した様になり、夢心地と安心感の中で身体がポカポカと温かくなる経験を体感いたしました。


また番外編で入浴時間に塾長と御一緒させて頂きました。その際に波を立てた際の波動と波を立たせない波動の検証で、私の身体が後ろに流されたり、釣りの浮きの様に浮揚させられたり、普段の道塾では体験できない事も経験させて頂きました。

毎回驚く事ばかりで本当に充実の二日間でございました。どうぞ今後ともご指導宜しくお願いいたします。



●神奈川 会社員 YT

宇城先生、今回もエネルギーに満ち溢れた合宿でのご指導、ありがとうございました。

全ては自分の何かをしようとする欲が、人に備わる素晴らしいエネルギーや未来へ向かうべき時間を止め、対立・衝突を生み出しているか、その欲が取れたとき身体がとてつもない力を発揮するということを改めて学ばせていただきました。


様々な実践での検証を通じて、欲がないニュートラルの状態や相手をゼロ化する感覚を何度も身体に叩き込んでいただき、ご指導いただくたびに眼が飛び出そうになるくらい眼が見開き、視界が大きく変わり、身体に驚きと感動が沸き起こり、エネルギーが満ちていくことを感じました。

同時に、普段の日常がいかに頭で考えた潜在意識の欲の行動ばかりで、それが自分自身や周囲との対立や孤立を生み悪影響を与えるかということ、欲をとろうとする意識もまた欲であり悪循環を生むことも学ばせたいただきました。


自分の我を捨て欲をなくし、いかに未来へと向かうエネルギーを生み出せるか、今の自分の習慣や行動、癖を日常のなかでどれだけ変えれるか。

改めてまずは自分自身が変わらなければ何も変わらないということを感じました。

今回学んだことや感覚を日常で活かすこと、そして日常の気づきを型に活かし、型の気づきを日常に活かす、ということを積み重ね、すべてが1つになって未来に向かっていけるように精進いたします。



●愛知 教員 TU

合宿初日に、宇城先生からあった「教育は信頼」という言葉に、正直、胸にぐさりと突き刺さりました。それは、現在、学校現場がこの真逆の状況にあり、そのことが子どもたちの負の行動に表れているのです。

その証しの事件としては、昨年2023年12月には、愛知県半田市の中学校で、2年生の男子生徒(13)が、同じクラスの女子生徒(14)に刃物で首を切りつけられたとみられる事件があり、女子生徒は殺人未遂の疑いで現行犯逮捕されております。

また、2024年2月には、名古屋市立の高校で2月、男子生徒が女子生徒の足をはさみで刺したとして、傷害の疑いで逮捕されています。

ここ僅か数か月以内の間に、校内で絶対に起こってはいけない重大事件が2件も発生しておりました。


さらに合宿2日目、先生が仰った「信頼は安心へつながる」という言葉を、私なりに「学校という教育の場は、安心・安全なところ」でないといけないと捉えさせて頂きましたが、全てがその逆で、いつトラブルが起こってもおかしくない状況で、校内での不安と怯えを助長するという場の空気が前述の事件に結びついていくものだと強く思いました。


つい先日、名古屋市の校長推薦名簿とともに金品を贈るという以前からの常態化が報道されており、まさに先生から教えて頂いた、善悪の判断ができずに、出世が遅れる、出世をさせるとう我欲と不安からくる「深層の意識」であると感じました。そして、そのマイナスの空気が、弱い立場の人間、生徒へのしわ寄せが実際にきております。


人の心(無意識下)を尊重せず、顕在意識5%以下のほんの僅か目に入る情報のみの知識で教育をし、生徒を評価することをし続けたことが結果であります。

しかし、宇城先生からはこの合宿において、先生の内からくる「気」と「言霊」と「身体中心から波動」を全身で止めることができ、将来の教育、子どもたちへの指導法となる「答え」を実証という形で教えて頂きました。

そして2日間にわたる数々の「我欲をなくそうと考えることさえもなくし、何もない」……ニュートラルな身心での相手の無力化、自分の自在(自由無碍)という実証で、寝ていた細胞を呼び起こして頂きました。

先生の唯一無二のお教えおかげ様で、力(対立、筋力)に頼らない調和の実証ができたということに感謝をし、自信を持って今後も素直な気持ちで精進して参ります。



●神奈川 自営業 RK

合宿開催をありがとうございました。

先生から学んでいるからこそお会いできる塾生の皆さんとの時間は貴重で楽しくて、語り合う事に深さを感じられて、合宿の大切さを体験いたしました。

気で足を開くことで、腰も軽くなり背中を押して頂いて深い呼吸も実感させて頂きました。


自分だと思っている自分が5%以下で思考はさらに0.3%しかなく、その思考に振り回されていると感じました。

身体でしか受け取れない気の作用を頭がストップしてその深層には不安、怯えがあるということも様々な実証を通して感じさせていただきました。


自分を変えていくにはエネルギーが大切だという事を実体験させて頂きました。

号令をかける人が変わると技もかからない。師匠の存在無くては先が見えないという事も分かりました。

なぜ先生から学ぶかは一言で言えば「幸せになりたいから」で「幸せは自分の自信と回り(未来)を守っていく勇気(力、方法)」を持てる事だと思います。


身体で学んでいる事を頭が止めてしまっている事が分かりました。

帰宅してからサンチンをして感じたことは日頃より中心を感じました。

いつもは外側でやっていた型が内側とつながった感じを持てたという事です。

どこまでも深さがあるのは全く分かりませんが目の前のことに丁寧に真剣に向いあうことを大切にしていきます。

ありがとうございました。



●静岡 自営業 DM

2日間の貴重なご指導を頂き有難うございました。

私は静岡のため偶然か必然か合宿が中伊豆で開催される事はとても幸運に恵まれており、遠方で中々合宿に参加出来ない塾生もいる中、合宿に参加できる事は当たり前ではなく、とても有り難い事だと肝に命じております。多くの遠方から来られる塾生のエネルギーに負けないようにしなければいけないと毎回実感しております。


合宿は普段の道塾よりも時間が長く、宇城先生の今の常識では考えられない実証の数々をより多く実体験させて頂き人間の潜在能力を実感させて頂きました。

身体を通しての体験は、疑いようのない真のエネルギーであり、未来に希望と信念をもち進む道だと確信しております。


私は子供が2人おり、「見て、触れて、体験して」この体験こそ子供に伝え教え、調和力で子供の潜在能力のエネルギーを引き出す事が親の役割だと実感致しました。

また、全国の塾生と会話することで宇城道塾に対する自分の厳しさ、修行の足りなさを痛感致しました。

今から更に稽古をし、一生修行、死ぬまで修行を実践していきます。

今回の合宿も多くの事を学ばせて頂き感謝しております。

今後とも謙虚に学ばせて頂きたいと思いますのでご指導のほどよろしくお願い致します。



●宮城 医師 TU

今回の合宿は心身のニュートラル化がテーマで開催されました。

最初に身体のニュートラル化がどういう状態であるのかを説明していただき実践が行われました。

ニュートラル化を妨げているのは意識・思考にあり、「我」をなくすことがポイントだとご指導いただきました。


実践検証の中で少しずつ身体のニュートラル化がどういうものかが朧気ながらわかり始めました。

姿勢を正し、力でを入れずにゆったりと構え、ニュートラル化された状態から一瞬の瞬発力を出すご指導をいただき、ニュートラル化された身体になれると気づいた時は、気持ちが落ち着き安心感で満たされ、身体に力・ネルギーがあふれ、周囲と調和することができることを体験できました。

ニュートラル化された身体はただ「我欲」がない状態ではないとの気付きは大きな驚きでした。

細胞に力・エネルギーがみなぎりできる自分になることだと身体で理解できたと感じられた瞬間でした。

数人の列を手のひらを合わせて動かすことができたり、数人の列を一瞬に投げたりすることができた自分に感動しました。

こういうできる自分、できた自分の積み重ねが無意識領域に刻まれ、深層意識の核になっていくのだと思いました。


ニュートラル化を妨げる「我」なくす方法として祈り・坐禅・瞑想などが一般的に行われていますが、先生は前々からその限界問題点を指摘されておりました。そのことを私は未だに理解できずにいたのですが、今回の合宿で、坐禅瞑想では我をなくすというとらわれた状態にあり気エネルギーがない身体でしかないとはっきりとわかりました。

これでは無意識領域の気の世界を自在化するニュートラル化された身体になれないことを学ぶ事ができました。


今回の合宿の先生のご指導で、進歩する・深化することがどういうことか、またその重要性を改めて学ばせていただきました。

日頃の日常の中で、呼吸法やサンチンを稽古してニュートラル化された身体を少しでも実現し進歩深化して行きたいと肝に銘じました。

先生を始め合宿を企画していただいた方々に多大なる感謝をいたします。

そして寝食酒をともにして一緒に学ばせていただいた塾生の皆さん、ありがとうございました。


●東京 会社員 HO

今回の合宿でもご指導ありがとうございました。

二日間、他では得られないエネルギーを惜しみなくいただきました。

(いただいてばかりで申し訳ありません)

すべてが濃厚なのでどれが一番ということはないのですが、特に自分の中でふわっと広がりを感じた場面があります。

先生が塾生の頭から何かを抜き去る動作をする検証と、竹刀で喝をいれる検証です。

ある仏教指導のお話を思い出しました。


昔の偉いお坊さんが修行僧たちにとあるお題を出します。

それに対し修行僧たちは「わかりました!これはこういうことですね!」と熱心に語るのですが、住職は大声で「喝!!」とだけ叫ぶ。

修行僧たちはただただびっくりしハテナが浮かぶ一方、住職は「それが答えだ」と言います。

いきなり叫ばれて驚き思考できなくなる状態、その一瞬ですが無になる感覚を導き、それを忘れるなと。

ただやはりその「喝」指導法も、何度かやれば効果はなくなるそうです(笑)

先生がよくおっしゃるエクササイズ化でしょうか。

ちょっと似ているなと繋がった気がしたのですが、先生は何度やっても変わらないので、やっぱり不思議だし、エネルギーの大きさが違うなと思いました。


もう一つは、「調子にのる」「こだわって止まる」癖が本当に抜けないなと、毎度のことながら思わされた検証です。

縦に組んだ3~4人を体を回しながら倒す検証で、一度は成功したのですが、その後「よしできた! あーだこーだ考えず倒せている“先”に瞬時に移動できたからだ」と言葉で分析してしまったのです。

そうしたら次に順番が回ってきたとき、倒せませんでした。

調子に乗った上に、また頭に切り替え、身体の感覚を忘れてしまったのだと思います。


身体は正直ですね。そのつもりはまったくなかったのが恐ろしいです。

ああやったらいいのか?こうやったらいいのか?でもアレはアレでコレはコレで…などと気づけば頭の中を這っています。

自信のなさや不安が根をはって、動けずにいる身体。

不安ゆえに自分を正当化し繕い、周りの空間と線引きをする。

そういった癖が日常でも大きな障害となり、疲弊していることを感じます。


“つもり”になっていた謙虚さを改めて呼び戻さないといけないなと痛感しました。

月を映す池のような、波たたずニュートラルな状態にはほど遠いなと落ち込みますが、そうではなく、まずは素直に受け止めます。

先生が見せてくださった不思議な現象と、自分が「できていない」「滞っている」という状況をもう一度ただ包むように認め、落ち込んで止まるのではなく二進法に落とし込みたいと思います。



●山形 教員 MI

宇城先生、合同合宿でのご指導、大変、ありがとうございました。

やっぱり「合宿」は本等に「有難い」機会です。夕食や朝食・昼食や懇親会、そしてお風呂の時間さえも、ご一緒いただき、なんと幸せなことかと思いました。

合同合宿に参加させていただいた時はいつもそうなんですが、今回も何か自分の身体(細胞)、神経、そして心が息を吹き返したような思いです。頭の中の(脳内の)くもりも晴れた感じです。この度の合宿では「ニュートラル化」「ゼロ化」がテーマとして取り上げられましたが、「ニュートラル化」によって相手と調和し、不可能が可能になる自分や塾生の姿(=潜在可能性)にホントに驚きました。


また、講義・実践の中で、先生に「気」をかけていただいた瞬間、自分の体から思いもかけないエネルギーと力が出てきて、想像すらできないことが可能になりました。「気」をかけていただいたその瞬間という「今」の中に「きっとできる」と「未来」を身体の細胞が確信している感覚でした。「今」の中に「未来」が実現するとはこのことかと、改めて確認できました。

そして、その時の「気」の働きは時空を変えてしまうので、「人数が多くて無理」ということはなく「むしろ人数が多ければ多いほど、大きな力が出る」という先生の言葉通りでした。先生の「気」が一瞬にして身体(細胞)を変え、その身体の変化が心を変え、瞬時に希望が生じる。これが本来の「教育」「指導」なのだと思いました。


頸椎を手術された塾生の方の治療などの際に先生がされている治療は、「気」によって細胞に働きかけ細胞を変え、その細胞の変化が神経を変え、それが脳を変え、「きっと回復する」という心を生じさせ、まさに絶望を希望に変えていくという、今の医学では全くありえないものです。順番が完全に逆です。そこに希望があるのだとわかりました。医者が手をつけない病気やケガも、「気」によって通常の医学とは逆の順序をたどることで、あり得ない回復が実現するというのは「理にかなった」ことだと思います。「気」による治療はリモートによっても可能であり、波動として時空を超えて働く「気」のパワーは底が知れず、その可能性は無限大なのだと思います。


宇城先生の「気」による治療は薬を使わないのでいわゆる「副作用」が全くありません。薬という毒を消す薬も飲む必要が全くないので、そこに不安はなく希望しかありません。お金と利権とウソにまみれた製薬会社・厚生労働省・医師会の提供する「医療」と全く異なる宇城先生の「気」による治療は、こうして私たちが先生からさまざまに「気」をかけてご指導いただいている時点ですでに「免疫力アップによる予防」なのだと感じました。


宇城先生のご指導をいただくたびに思うのは、今、日本の学校では「指導」という名で、生徒の成長の「邪魔」ばかりをしていて、教員や保護者、そして生徒本人も全くそのことに気づいていないということです。また、部活動でも「指導」という名のもとにどれだけ多くの「虐待」や「成長阻害」をしてきたかと思います。知らなかったでは済まされないのですが、それが実情です。

体育の授業や運動部でも、年齢による限界が必ず訪れる「筋力」「筋肉」への信仰を疑いもせず、「筋力アップ=パワーアップ=勝利への近道」として、部分を鍛えることしかできていない「筋トレ」が「故障やケガ」の原因となっている可能性に全く気付こうともしません。私たちが宇城先生からご指導いただいている「気」は、勉強や部活動の際に生徒に対して「何かに使える」レベルものではなく、一生かかって必死に学んで、どれだけ自分を変えていっても届かないレベルのものだと思います。にもかかわらず、見た目で、安易に自分本位で「使えるか使えないか」で判断しようとする教員や指導者のなんと傲慢なことかと思います。自分が良かれと思ってやっている指導が「生徒たちの細胞の活性化を妨げていて、彼らの成長を邪魔しているかもしれない」などとは考えられないのです。あまりに不勉強なのです。自分も含めてそう思います。


今、世の中的には、小・中・高と「探究学習」なるものが大流行ですが、実際の教育現場では、生徒の探求の広さ・深さが担当教員によって限定されてしまっていて、教員による当たり外れが大きいのが実情です。いろんな生徒たちのさまざまな探求に応じるためには、教員が無限に勉強をしないといけません。もし、生徒たちの探求が宇城先生の「気による指導」を取り上げようとしたら、その意味と価値をわかる人は一般の教育現場には一人もいないでしょう。したがって、「そんなのやめとけ」ってなるのです。こうやって、生徒の潜在可能性が教員によってつぶされます。

そんなことにならないためには、教員はますます勉強しなければいけないのですが、「働き方改革」というの「サボタージュ」「自分甘やかし」ゆえに、教員は不勉強なままです。宇城先生が「製品開発」に取り組まれていた時代の半端ない仕事量に比べてホントに乏しい「教材研究」が、「自分の時間が欲しい」教員によってどれほどさらに削られていることでしょうか。「生徒が勉強したい、探究したい」ってなったら、教員がまさに先をとる形で、先回りして勉強を深めていけばいいだけなのですが、そんな熱量と自覚と能力に欠ける教員がとても多いのが実際です。生徒たちの後追いばかりしていて、これで本当にできる子やる気のある子が育つわけがありません。学校の教員は本当に罪深いと思いました。

また、現場では探究学習という「調べ学習」の名のもとに、「教員による一斉授業よりは生徒たちが主体的に学習を進めていける」と自主学習やグループ学習が推奨されていますが、実態は悲惨です。生徒たちによる出来・不出来があまりにも顕著に表れるからです。できる子はできます。自分でやれる子は大丈夫です。しかし、できない子はさっぱりです。学力も意欲もどこかに置いてきてしまった生徒というのも少なくありません。しかし、だからこそ、教員は子供の潜在可能性を信じて子供たちにうんとかかわるべきだと思いました。


さらに「子供はほめて育てる。しかし、大人は褒めたらダメになる。厳しく当たってもそれを乗り越えてくるようでないと成長しない」という宇城先生の言葉にハッとさせられました。私の職場には「生徒の良い所を見つけてほめようとせずに、何か生徒に問題があると一方的にしかりつける教員」と、その逆に、「生徒に対してしっかり向かえない、ダメなことはダメと言えない、友だち感覚で接していてケジメがない教員」がいます。「人として大丈夫か」と思える教員もいます。年配の教員が若手の教員の「見本」や「手本」になれていない状況です。「今まで、20年30年何をしてきたんだ、何をどう学んできたんだ」と言いたくなるような教員もいます。「労働組合があって教員という身分が保証されても、中身がこれでは…」とがっかりさせられることがしばしばです。そういう教員を指導するのが自分の仕事ですが全く不十分でした。しかし、振り返って我が身を見れば、宇城先生から見たら「鼻たれ小僧」でしかない自分に気が付かされます。これからさらに自分が変わって成長していくことで、周囲にどのようにしてその波動を伝えていけるかが問われていると思いました。


合同合宿の行き帰りの電車の中で『人間と宇宙と気』を改めて読んでいました。簡単に読み進めることのできない、本当に深い内容です。と同時に。QRコードから入って見ることのできる「実証動画」に、「一瞬で消え一瞬で現れる先生の身体」「年齢を重ねられるほどにますますパワーアップし技のキレも増す宇城先生の武術」に、大きな希望を感じました。「やっぱりこれだ。全くあり得ないことばかりだけど、真実だ。」合同合宿のご指導を再確認しつつ、そう感じました。この真実から目と身体を離さずに行けば自分は変われるとも強く思いました。

宇城先生、本当にありがとうございました。これからもご指導、よろしくお願いします。



●神奈川 パイロット TK

人間の意識、無意識、深層意識について、いくつかの理解を得ることができました。

何かの行動を起こすとき、必ず意識が働きます。

それは本当に瞬時に起こるので、自分で制御できない状態になります。

常に先生からは「意識」ではなく、「身体」で学ぶことの大切さをご指導いただいておりますが、そこに至らない現状がよく観察できました。


意識を使う癖、力(パワー)を使う癖が、本当に身に付いてしまっているのだと感じます。

「ニュートラル」という状態は、意識を使わない状態なので、自分自身ではそこに到達することが出来ないという事が分かりました。

合宿の中で、首を絞めるという実践がありました。

最初はどうすることもできない状況に陥りましたが、気を通していただくと首が絞まることがなく、相手を投げることができました。

そして、その後気を通さない状態でも、最初の時よりは余裕のある状態で、相手を押しのけることができました。


また、その後立ち上がって、相手の腕を下に押し込む実践においては、首を絞められた感覚を呼び起こした時、相手を倒すことが出来ました。

この時、これが大きなヒントになると感じました。

首を絞められた状態では、命に係わるため、意識が働く余裕がなく、身体で対応していたのだと思います。

これが、身体を通して学ぶという事であり、真剣に学ぶということなのだと感じました。

逆から考えると、残念ながら自分は真剣に学んでいなかったということになります。

バーチャルな真剣さでは、何も学ぶことが出来ないという事が理解できました。

首を絞められた感覚は残っているので、そこを手掛かりに「真剣に学ぶ」、「身体で学ぶ」ということを実践していかなければいけないのだと感じました。

ありがとうございました。



●奈良 主婦 KM

今回の合同合宿では我が強い自分、できない自分に向き合わさせていただく時間になりました。

できるようになるも、できないままでいるも、できないも全ては自分なんだと感じました。

頭優先で人にどう思われるとか間違っていたらとかそういうことがまだまだ先にくる自分がいるのだなととても思いました。そこからくるものは心無い、虚の部分に当てはまるのだと思いました。

自分の大きな課題なのだと思いました。


実践の中で身体に気を流して頂いたことを思い出すと、日常もその自分の凝り固まったところが溶けて気が流れだしたら気持ちがいいだろうなと思います。

その塊を溶かしていないのも自分なわけで、こうして人間にはエネルギーがあることを宇城先生は体験実践させてくださっているのですから本当に自分の学ぶ姿勢に問題があることを強く感じました。

できない自分を体感させてもらい、心から動いているのではなく頭で動いているのかとこれ程に自分は酷い状態なのだといつも思います。

ここから脱出しないと周りも幸せにできないのだと感じます。

頭から抜き取って身体に集中できる力をつけていかないと同じところにずっといて変化がないのだと思います。


無意識のところで先生がいらっしゃるところへ自然と導かれる身体、先生にくっついていく自分の身体を皆が腕を組んで回る実践で感じさせていただきました。

細胞レベルで動いているとはこういうことなのかと

何も考えずに先生に引き寄せられる

気が流れている身体はこういうものなのかと

このように頭を取ったありのままの姿、素直心とはこういうことをいうのかなとその一瞬感じました。

それが本来だとずっと続くのに私はすぐに自分で閉じてしまうのだなということも同時に深刻な課題であると思いました。

ここを乗り越える力をつけていかないと変わらないと思いました。

あの瞬間のときのように宇城先生に自然にくっついていく自分になりたいなと思いました。


ここが変わらないと前に進めない、深くいけないと強く思いました。

人を前にすると対立が出る自分。

これもまさに自分の課題であり問題点でもあると思います。

日常の自分の姿なのだと思います。

だから調和していなかったり、ずれていたり、自分がなかったり、不安怯えがいつまでもあったり。

色々なことを取り除いていかないとこの調和の世界には入っていけないことを大変強く思います。

大きな自分の課題であり、そこを変えていけるよう身体と向き合っていくことを大切にしたいと思います。


「ニュートラル化」にならない自分、気を流していただいたらできる自分。

普段の自分がいかに頭優先で身体でできることをできなくしているか

そして人を前にすると無意識に対立しようとする姿勢であることを考えさせられました。

ずっとこれは自分の大きな課題です。

実践の中で学ばせていただきながら、宇城先生がお話くださることや宇城先生のご著者を読み返して、自分の学ぶ姿勢の在り方や自分の捉え方がまた違っていること、自分よがりの考えになってること、学んだことをどう振り返っていくかなど、自分の世界での間違った解釈や捉え方に気づかせていただきます。


自分でできる力をつけていかないと、 現状維持(後退)のままで何も変わらない、自分も守れない次世代の子どもたちも守れないことに繋がることを改めて感じています。

ご指導の中で身体で感じさせていただく

そこでの気づきを自分の姿勢に入れて日常の中で実践してみる 

宇城先生のご著書を読み返し、自分なりの解釈であったことに気づいたり、またヒントをいただく

こうした学びの循環の中で成長させてもらっているのではないかと感じます。


先に入るの実践

一人でやっていてできても相手がいたらできない

無意識のなかで人に相手に対立しているということ

ではこれが自分の日常の姿であることを示してくれている

そこを心して自分を正していきたいと思います。


床に寝て気を流して頂いた後、胸がすっとする

皆で腕を組み気を流して頂き回転したあとなんだか心がクリアになる

気が流れることで身体で感じさせて頂いたこの感覚を

思い出しながら今日からの学びに繋げていきたいと思います。


そしてやはりこの合同合宿では全国からの塾生の方々の学ぶ姿勢やお話を聞かせていただき、自分の浅はかさや足りないところを気づかせていただいています。

自分が身についていないこと、変わっていないこと、自分が自分で見えていないこと、本当にたくさんの気づきや学びをさせてもらう場です。

このような場に来させていただき共に学ばせていただけることに改めて深く感謝申し上げます。


言葉ではない。自分が変わった姿にならないと。と強く思います。

そこにはどれ程の真剣さがあるのかということが問われているのではないか。

自分の大きな問題点課題を教えていただいたように感じております。

言葉ではなくて自分の姿勢、行動で変化がある方向に向かっていけるよう、日々宇城先生の教えを心に置いて自分に向き合っていきます。



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