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2023年 秋期 東京実践塾合宿

2023年11月18日、19日の二日間、宇城憲治館長、榎本麻子師範、宇城拓治師範の指導により、【第40回 東京実践塾 秋期合宿】が千葉県で開催された。海外からシアトル支部、ベルリン支部からの参加もあり、総勢120名以上となった。


初日の土曜日、榎本師範の大阪子供クラスの姉妹(小4、中2)による演武では、木剣の動き、三本組手移動は全くブレが無く、2尺4寸の真剣を振っても大人でも難しい振りを見事に振り込んでいた。館長がスクラムを組んだ大人の集団を触れて崩す、触れずに崩す技を見せると、彼女達はそのままそれを写して同じようにスクラムを崩すことが出来た。



木刀を振る姉妹(小4、中2)




大人との三本組手移動




指一本で大人を倒す




宇城空手の神髄である「力の空手」ではなく、「エネルギーの空手」だからこそ、子どもでも大人を倒すことができることの証を見せてもらった。宇城館長は「子供たちが今の常識にない未来の世界を宇城空手で身につけることによって、10年後の日本の未来を担い、未知の世界に踏み出しリードしていくことが出来る」と述べた。


稽古は、各級、段それぞれの班に合わせて、型と分解組手を徹底する中で、特に型はニュートラル状態を、分解組手はゼロ化をつくりだし、「力の空手」から「エネルギーの空手」に向かう稽古となった。また、宇城館長は改めて何のために宇城空手を学ぶのか、塾生の一人一人は何を心がけるべきなのか、不透明性を増す世界の中で何を軸として持つべきなのか、その原点となるものを合宿の指導を通して参加した塾生全員が学ぶことのできた2日間となった。



全体での型稽古
全体での型稽古
集合写真
集合写真


 

感想文

 

■K.H 自営業 東京


宇城先生  この度は東京合宿という貴重な機会をいただき誠にありがとうございました。  先生、師範方と稽古のみならず寝食を共にすることは普段の稽古とはまた違う特別な時間だということを改めて感じた次第です。  今回の合宿稽古では拓治師範の直接のご指導を仰ぎ自分に何が足りないことを丁寧に御指導いただきました。武術である以上空手の稽古の先には組手があり、「使える」ということがなければならない。今の自分の稽古は延長上にそれが無いことに気がつきました。  使えるということが即ち理合いを含んでいることかと思います。スポーツであるならばただ汗を流し回数や時間をこなせばなんとかなりますが宇城空手はそんな横着な稽古では絶対に身に付きません。先生、師範方が自分に何を伝えようとしているのかを全身全霊で受け留める真剣さが無くてはなりません。  その気持ちがあればその時は分からずとも帰宅した後ひとり稽古の中であの時先生が仰っていたのはこのことではないかと気付くことがきっとあるのではなかろうかと思います。  今回特別にTさん姉妹がご参加され木刀の振り、検証などを実際に見せていただく機会を得ることができました。  私などは検証で先生から何かやれと言われると、つい先ずどうやればいいかと頭を働かせてしまいます。あるいは無心でいようという「思考」に捉われてしまいます。しかし子どもはたとえそれが初めてやることであろうが何も考えずにスッとやる。木刀の振りならば振り方がどうのなど考えずに全身を使ってただ一心に振っています。  数人を縦一列に並べてそれを人差し指で倒す、あるいは触れずに倒す検証などでもあれこれ考えず「ただやる」。その姿を目の当たりしてこれが大切なのだなぁと実感しました。と同時に宇城空手は人間の持つエネルギーをどこまでも引き出すことのできる世界唯一無二の真の武術でありこうして宇城空手を素直に学ぶ子ども達が増えていけば今の荒んだ世界が少しでも良くなるに違いないと思いました。  そして稽古後の懇親会でマイケルさんが感想を聞かれた時に自分は中々子ども達のように素直にやれない、どうやればいいか分からないという旨のことを言ったとき、先生は「それは自分に学ぶ姿勢ができていないからだ」と仰いました。その言葉がとても心に残りました。  子どもだから、大人だから云々ではなく自分ができないのは宇城空手を学ぶ姿勢の問題で、全ては自分の中にあり、自分は大人だから子どものようにはできないということを言い訳にしているのではないか、そして甘えているのだということに気付きました。  先生のこのひと言でまた一つ自分の中の横着で矮小な姿を自覚し改めて向き合うことができました。こうした先生との会話の中でも気付きのきっかけとなることが合宿の懇親会の意義でもあり創心館の懇親会は宴会ではなく稽古でありいつ何どきでも先生のご指導を受けることができることは本当にありがたいと思うと同時にそうした貴重な機会、瞬間を受け留められるか否かは全て自分の中の準備次第、心がけ次第なのだと改めて思いました。  稽古におきましては検証や御指導でニュートラルであることが大きなエネルギーを生み出す、内面外面に関係なく偏りはエネルギーを小さくすることを実証し事実として体感させていただきました。毎回先生の多岐多様な検証を拝見する度に、先生は常に進化されてそれは留まることがないと感じます。  様々な形で人間の、そして宇城空手の果てしない可能性を体現して我々に見せてくださいます。その一方でどうしても自分の遅さや甘さ、真剣さが足りないことを思わざるおえません。そのことが自分の空手、型にそのまま出ているのでしょう。  人間は生まれ持って身を護る術である「対立を消す」「相手と調和する」ことを身体に身に着けています。しかし親の不勉強や学校教育においてそれらすべてが破壊され人生を通じてずっと対立の道を歩んでいます。そのことに気が付くことすらありません。私も宇城空手と出会うことが無ければこの対立の人生に疑問を持つことは無かったと思います。  大は国家間、小は個人において争いは全て偏った我欲の表れであり負ければ勿論勝ったとしてもエネルギーは消耗され将来的に幸せに繋がるとは到底思えません。戦後教育以来の日本もそして世界も特に先進国と言われる国々は全て自国の利益を追うことに必死で他国他人を蹴落とし出し抜くことが当たり前となり我欲剥き出しの有様です。  人は皆生かされているという謙虚な心を忘れ心なしの世界に陥っている現実世界では時には大切なものを守る為に戦わなければならないこともありましょう。  しかし最上の勝ちは「戦わずして勝つ」ことでありそれを実践出来るのは宇城空手しかないと確信します。そのことを今回の稽古でも検証というかたちで先生は私どもにいくつもの事例で見せてくださいました。  現在ウクライナロシア戦争からイスラエルパレスチナ戦争はじめ世界中の至る所で戦争や内戦、テロ等で多くの犠牲者が出ています。それらの悲しみ心を傷める人が少しでも少なくなるように世界中の人々からこれからも宇城空手は求められ広がるものと確信します。  そうした中で宇城先生は世界の人々にとっても私にとっても特別な存在であり例えば登山家にとっての最高峰であるエベレストよりも遥かな高みにある存在と言えます。  そこに憧れ目指すのはもちろんですがまずは今の自分と向き合い醜い自分を曝け出し自覚することからがスタートであり、学び方を知るとは、あるいは学ぶ姿勢とはどういうことかというところをまず大切にしなければならないと強く感じることができた貴重な今回の合宿でした。  この度経験したことを肚に据えて日々の稽古に精進してまいりますのでこれからも引き続きのご指導をよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。


 

■H.N 教師 神奈川 今回も、素晴らしい合宿を開催していただきありがとうございました。  初日の稽古の冒頭に、大阪のTさん姉妹による示範がありました。これまでも先生が映像で見せてくださったり、アーカイブでも見てきていましたが、今回直接この目で見ることができてとてもよかったです。  2人とも木刀の素振りでは余計な力が全く入ることなく、それでいて瞬発の利いた素晴らしい振りでした。さらにすごかったのが、その後先生から真剣を渡されて振って見せてくれましたが、真剣を手にするのが初めてとは思えないほど自然で、振り下ろしたところでピタッと止まるところなど、本当に素晴らしかったです。  その後も空手の基本、三本移動組手などを見せてもらいましたが、どれも柔らかい中にも、非常に瞬発を感じるものでした。大人が何人も組んでいるのを投げる実践では、通常の腕受け投げはあっさりできていました。その次には指先で触れるだけで投げるなど、先生が手本を見せただけで、すぐにできてしまい、子供の身体のもつ感知力の高さ、心も含めた素直さというものを見せつけられた思いがしました。さらには眼を向けただけで、思った方向に動かす、投げるなど、まさに圧巻でした。  姉妹2人に共通しているのが、立ち姿の素晴らしさです。決して力が入っていないのに、非常に真っ直ぐであることを感じさせる立ち姿で、妹さんも素晴らしいのですが、お姉さんはそれに輪をかけてすばらしい立ち姿でした。お姉さんは中学2年生とのことで、娘と同い年ですが、こんなにも素晴らしい中学生がいるのだと、嬉しかったです。東京の子供空手の子どもたちにも、今回の2人の様子などを見せたいと思いました。  榎本師範からは子供空手での指導の際に、「子供は教えたらすぐにできる。クセがあっても教えればすぐに直る」とご指導いただいていますが、それ以上のものを見せていただいたように思います。合宿を終えてから、以前に公開されたアーカイブ・子どもの潜在力を引き出す 宇城空手(2021年5月5日創心館高槻道場)をあらためて見直しました。撮影されてから2年がたち、2年前のTさん姉妹もすでに素晴らしいのですが、今回の合宿でさらに成長した姿を見て、宇城空手を学び続けることでこのように成長していけるのだという希望を感じました。今回の合宿への2人の参加と、それにご賛同いただいたご家族に、そしてこのような機会を作ってくださった先生に感謝したいと思います。  その後はグループに分かれて稽古を行いました。今回私は、Sさんのグループでアシスタントをさせていただきました。型にしても分解にしても、人によって様々な癖を持っているということをあらためて感じました。その癖がどこから来ているのか、どうすれば癖をとることができるのかというところまで見極めることは、今の私にはできていませんが、ただ様々な癖があることを見ることで、癖というものに対する理解が進み、ひいては自分自身の癖をいかにとるかという稽古へのフィードバックにつながることを感じました。  同時に「指導者が一番勉強しなければならない」とは、先生がよくおっしゃる言葉ですが、それを強く感じました。皆さんを指導するというのもおこがましいですが、稽古の進め方として、指導者が手本を見せ、メンバーが実践するという手順を先生からはじめに示されましたが、できるだけ余計なことを考えずに型をする、分解組手をする、ということを心がけました。クーサンクー、パッサイ、セイサンの型、分解を課題とされ、初日はクーサンクーの途中まで、2日目はその続きからはじめてパッサイの途中までしかできませんでした。審査を控えている方もいたので、最後までできなかったのは申し訳なかったです。  また合宿では懇親会の席で、通常の実践塾の時には話せない人ともじっくり話すことができるのがありがたいです。今回も、一緒に稽古した方だけでなく、2次会、3次会でも多くの方といろいろな話をすることができてよかったです。  重ねて合宿でのご指導、ありがとうございました。今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。


 

■T.T 自営業 福島 この度も二日間に渡る合宿でのご指導を賜りまして、誠にありがとうございました。合宿では宇城先生、両師範のご指導の下、海外や他支部の塾生も一堂に会し、いつもの実践塾にも増して、大きなエネルギーを与えて頂いたと感じています。  宇城先生がそこにいるだけでその場の空気が変わり、その空気の中で二日間に渡って過ごせることが、とても貴重なことなのだと感じています。鉄などの磁性を持つ物質は、磁力が働く磁場に置くことで自らも磁場を発生させるようになりますが、自分たちもまた、先生のエネルギーの中で過ごすことで、たくさんのエネルギーを与えて頂いているのだと思いました。  合宿の冒頭でAIについてのお話がありました。それも従来のAIではなく、それを遥かに超える次世代のAIというAGIについてのお話でした。帰宅後に調べてみると、ある特定のタスクに特化した従来のAIと違いAGIは複数のタスクに対応できる汎用性があり、また、膨大なデータを予めプログラムされた従来のAIと違って、データや経験から自ら学習し、新たな情報や知識も踏まえて状況に応じた判断ができるということで、人類叡智の総和の10倍になるものだと知りました。既に将棋やチェスなどでAIが人間を負かすようになっていますが、AGIの時代には、あらゆる分野でAIが人間を超える状況になってしまうということでした。  そういった時代が今後10年以内に訪れると言われていますが、更にその10年後にはASIという人類叡智の総和の1万倍のAIが登場すると言われているそうです。あるホームページには「金魚のニューロンは人間の約1万分の1。今後20年で人類の知能は金魚と変わらないくらいAIと差ができる」と書かれていました。  AIの台頭によって特定の職業は不要になると言われて久しいですが、既に仕事が無くなるといった次元の話ではなく、社会の在り方、人間の在り方が根本から変わらなければならない時代が来ているのだと思いました。そして、そのような状況の中で、人間に求められているものは何なのか、人間のあるべき姿がどこにあるのか、そういった答えを示して下さっているのが宇城空手なのだと感じました。  今回、大阪からTさん姉妹が参加されて、宇城空手の世界をそのまま体現されている技の数々を見せて頂きました。自分はお姉ちゃんと三本移動組手をさせて頂きましたが、一つ一つの動きが切れ目なく繋がっており、ブレが無く、そして子供の腕受けとは思えない程、重さを感じました。そして、澄んだ眼が大変印象的でした。  そして、スクラムを組んだ大人たちを遠隔で動かすのを見せて頂き、人間が生まれながらにして本来持っている潜在能力の高さ、そして、それを引き出す宇城先生のご指導を拝見し、これが本当の教え育む教育なのだと感じました。このような身体を身に付けた子供たちが人生を歩んでいく中で、そうじゃない子供たちと雲泥の差がつくのは必然だと思いました。  子供たちは、先生が遠隔で動かすのを見れば、すぐにそれをうつしてしまいます。ちょうど鉄などの磁性体が磁場に置いておくと自らが磁石になるように、私たちを照らしてくれる先生という太陽のエネルギーをそのまま受け取っているのだと思います。対して、自分たち大人には、例えて言うならプラスチックのように、磁場に置かれていても磁石になれず、先生のエネルギーを自分の中に残すことができないのだと感じました。  それは、成長する過程において、自分を閉ざすものをたくさん身に付けてしまったからではないかと思います。受験勉強やスポーツ部活動においては人に勝つことが正義であって、優先すべきは他人のことより自分のこと、自分にとって損することは避けて、できる限り効率的に、他人より抜き出ることを目指す、そうしてどんどんと自分の我を通すことを無意識に覚えてしまったのだと思います。  今回、稽古の初めに黒帯を使った1対複数の綱引きを見せて頂きました。その際、私たちは帯に触れただけで対立してしまうこと、そして調和する為には一旦同じ目線に立って、それから戻ると引っ張れることを教えて頂きました。とても端的な検証を通して極意をご指導頂き、宇城空手の持つエネルギーは人としての在り方、つまり人間性の中から生まれてくるものだと思いました。そして、これこそがAIの時代の中で人間を人間たらしめるものであって、私たちに求められているものだと感じました。  もしかすると近い将来、人間より先にAIが争うことの愚かさ、寄り添うことの大切さを理解する日が来るかも知れません。戦争を起こす人間の愚かさをAIが嘆く日が来るかもしれません。ですが、身体と心の一致を目指し、そこから来るエネルギーを持って現実の日々を生き、そして新しい社会を作ることは、やはり人間にしかできないのではないかと思います。その道が宇城空手にあると思います。  世界では戦争が続き、政治も経済も落ち込み続け、足元の生活も不安定、それに呼応するように自然災害も増えて、ますます混迷の時代になっていくと思いますが、このような中で、常に行く先を照らし、目指すべき道をご指導下さりまして、心より感謝申し上げます。  この度も二日間に渡るご指導、誠にありがとうございました。  今後ともご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


 

■K.F 自営業 神奈川  宇城先生、榎本師範、拓治師範、合宿でのご指導をありがとうございました。  初めて参加させて頂いた今回の実践塾の合宿でしたが、「宇城空手」という一つの方向性を持った人たちが、同じ方向を向いて励むという点に合宿の意義深さを感じました。  今回の合宿で最も取り組みたいと思ったことは、「ニュートラル」ということでした。「ニュートラル」とは欲を捨てる、ということ。そして、それを「型」によって得て行く、ということ。  「ニュートラル」の検証として「間」があり、「間」は組手の稽古によって技がかかるように練って行く、ということ。それらが出来て来るとエネルギーが出るようになる、ということ。今まで全く取り組んで来ずに、苦手意識がとても強い組手ですが、少しずつ覚えて行きたいと思います。  また、榎本師範は、取り組みの姿勢として「真っ直ぐ」ということを強調しておられました。これも、日常で意識して実践して行きたいと思います。  これらのことを、稽古の場で子どもたちがお手本で見せてくれました。子どもたちの真っ直ぐでひた向きな目、速さ、エネルギーの凄さ。事あるごとに思い返して、立ち戻るよすがにしたいと思いますが、この「ニュートラル」を身に付けるためには、かなり真剣に取り組まないと到達できないことを、帯を引っ張る検証で示して頂きました。  自分たちは知らず知らずのうちに「やってやろう」と思ってしまいます。そしてその欲は、やはり知らず知らずのうちに、相手にも伝わっているものなのだ、ということも分かりました。こうしてその人の周りに「空気」が出来て、その「空気」が周囲の人にも伝わる。本人が気付かないだけに怖いことだと思います。そしてその空気が「間」につながって行くのかな、とふと思いました。  なかなか厳しい道のりですが、「ただひたすらにやって行くうちに、ストンと力が抜けてジャンプが起こることがある。そしてこの進歩は後退しない」という先生のお話を頼りに励みたいと思います。  先ずはとにかく、自分「が」変わる、ということを肝に銘じます。  今後とも、ご指導を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


 

■T.K 自営業 神奈川

宇城先生、この度も合宿の開催をしていただきありがとうございました。  合宿の初日に大阪の子供クラスの姉妹の腕受けにて大人のグループを崩してしまう検証に参加させて頂いておりました。崩されながらハッとしたことが、自分は宇城先生が伝えようとしていることをまだまだ自分の物差しで感じ、納得しようとしていたのではないか?ということでした。その時間以降は先生の言葉の一つ一つが聞いたことはあるのに今までと違う深さを感じ、午前中は稽古についていけなくなっていました。  姉妹の腕受けや、同じように指を回すだけでなんの引っ掛かりもなく崩れて行きました。力ずくで崩されたなら、なにくそという思いも出てくるのでしょうが、調和の技で崩されているので当然そのような思いは微塵も浮かばず、逆に前述しましたように自分の理解の浅さに気付けるという次への段階があり時間が止まりません。教育の面でも理想的なことだと思い、一体先生の教えの一つ一つにはどれほどのことが内包されているのだろうかと。やはり自分の学びの浅さを実感致しました。  姉妹の動きはアーカイブでも拝見しておりましたが、やはり身体を通して感じることとは雲泥の差があります。短い時間の検証でしたが、私達より学びの年数が短くとも先生、師範の教えをそのままに体現すればできているということ。受け取り方の違い等等、うまく表現が出来ませんが自分の中では様々なことに思いを張り巡らせるという不思議な時間でもありました。大阪から招待をして頂いたことに深く感謝を申し上げます。  そのような体験の後のグループにおいても榎本師範のご指導でしたので、言葉の一つ一つが重く響きました。何か一つ指導いただいたことを持ち帰ろうという何か初心に返ったような思いで稽古に参加することが出来ました。その一つでも持ち帰れたならばいろいろなことに応用が利くような感覚を今まで以上に感じ、やはり今までお伝えいただいていた言葉はまだまだ深い意味なり繋がりがあるのだなと思いました。   合宿中は先生から「戦わずして勝つ」という言葉を度々お聞きしました。何度か先生の身体に触れさせて頂く機会がありましたが、今まで以上に実感しましたのは、本当に私が先生を掴むなりした時点で勝負は決していると言うことです。先生が技をかける前にもう無力化しているのです。今までも感じ、解っていたつもりでしたが、その速さが桁違いと言うことを今まで以上に感じました。  これもどこかで自分の物差しの速さで理解していたように思います。技はもちろん大切ではありますが、技のみで終始することはそれ以上の世界に蓋をしていることであり、人間の可能性にも蓋をしていることになります。そのような次元の高いことを身をもって示し、教育をして下さるところはありません。なぜなら現時代においては有り得ないことだからです。  今回の合宿がなければ自分の物差しで蓋を作ってしまうところでした。長く学ばせて頂いてもまだまだ浅いこと、根本的なことを見つめ直せたこと、しっかり持ち帰れば計り知れないことに繋がるという大変有意義な合宿となりました。  この度も参加をさせて頂けたことに感謝をいたします。今年も残り一回の稽古となりますがご指導の程よろしくお願い申し上げます。




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