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東京実践塾 感想文 2023年10月~ 2023年12月

■ K.Y 会社員 東京

 

宇城先生、本年も1年間ご指導くださり、ありがとうございました。


 今年最後となる12月の稽古では、やるか、やらないかの二進法から、来年はやるの一進法にしていく。というお言葉をいただきました。


 政治の腐敗、それを引き起こす私たち庶民の劣化からは、ますます厳しさを増す時代になっていくのではないかと思います。そのような時代において、自分にできることは、まず自分自身が変化することだと思っております。その為には、先生が常々おっしゃる、今の延長に未来があり、今、この瞬間を変えなければ変わらないということを常に心に留めていることがとても重要と感じております。


 どんなに小さな事でも、日常の選択の連続の中において、一進法でいく事。どうしようかな、という迷いを消していくこと。それが日常のスピードを上げることにつながるのだと思います。まさに、電車の中で席を譲っていた自分になれていること。実際に先生に気を通していただいた時は、頭の思考は入らず、ただ、できる雰囲気があるだけ。そこにはやろうとする意識も無く、ただ、できるがあるのみ。このできる自分にする為にも、この間の稽古でご指導いただいたことを実践していきます。


 また、この間の稽古では、基本の突きが全くできていないことを改めて痛感いたしました。まず、力が抜けていないこと。そして、後ろから肩を持っていただき、先生のように肩を全く動かずに突こうとすると、右肩が前に出ている事が分かりました。それはしゃくりであり、突こうという意識があるからではないかと感じました。


 肩を動かさないように突きをすると、以前に比べて力の抜け方の違いを感じました。実際に、そのように突くと相手に腕を持たれても、衝突がなく腕が下がりました。ただ、まだまだ途中から自分の意識や倒そうとする我が出てきて、衝突が起きてしまいます。相手がいても自分の意識が変わらないようにすること。そして、衝突が起きない身体の感覚を身体に染み込ませられるよう、ひたすら練習していきます。


 この稽古からも、宇城空手は本当に繊細であり、いかに普段雑にやっているかを実感致しました。そして、先生が常々おっしゃる仕事もその程度。宇城空手の繊細さは、日常の自分の行動に直結しており、雑な仕事や行動をしていたら、当然空手で繊細な動きなどできるはずもありません。空手での繊細な動きや緻密さを身体を通して気づき、感じ、そのような身体に変えていくことで日常もそのような見方や行動に変わっていくと感じます。


 実践塾の稽古時の繊細さや迫力、スピード感などの雰囲気を持ち、実際に仕事の場で行動すると、自分の仕事の荒さや遅さなど、今まで見えなかったこと、気づいていなかったことに気づくようになっていると実感致します。


 まだ「稽古」にはなっていない。まずは「練習」の段階。その次に「稽古」。そして「修行」になると先生がおっしゃるように、やはりまずは徹底して基本から練習することだと痛感しております。基本である突きから、改めて繰り返し練習していきます。


 本年も1年間ご指導賜り、誠にありがとうございました。そして、来年は少しでも今の自分から脱却し、変化していくことができるよう行動していきます。


来年もご指導のほど、何卒よろしくお願い致します。



 


■ T.K 自営業 神奈川

 

宇城先生、本年も海外や各地での講習会が増える中、東京での稽古、合宿を今までと変わりなく開催して頂きありがとうございました。また、12月は審査も受審させて頂き重ねてお礼申し上げます。

 

 審査後に先輩方が仰られたように大変緊張した時間で自分でも驚くばかりのまま時間が過ぎていった感じでした。その後の稽古にて体育館の丸で囲われたテープ内のみ場を変えるという実践をして頂きましたが、審査場のテープに囲まれた空間のみ場が違うような感覚でもありました。

 

 自分の不甲斐なさに悶々としておりましたが、審査前からの先生の言葉を思い出すと、「内面と外面の一致を見ている」ということに行きつきます。自分の内面に良く見せようという欲があり、それが審査場に入った途端に外面に出てきたのだと思います。先生が度々仰る「素直」であることの課題と大切さを強く感じております。

 

 素直であることが内面と外面の一致に繋がり、今年何度も聞いた「ニュートラル」に繋がるのだと思います。だから子供はニュートラルな状態を直ぐに作れます。大人である私たちが子供の素直さを取り戻すのは不自然です。唯一の方法は「謙虚」になることしかありません。先生からはすでに全て答えを頂いているのです。

 

 今年は先生の言葉の深さを今までになく身に染みた一年でした。先生からの学びは、言葉に終始してはいけないのはもちろんですが、言葉ではない言葉と言いますか、先生から聞いた言葉は辞書で調べて出てくる意味とは次元の違うものです。

 

 先生はもちろんのこと、師範や先輩方が仰っていたのは「そういうことだったのだ」という繋がりがあり、嬉しくなる半面自分の学びの浅さを知り、先生の伝えている意味の深さを全然理解していなかったことに気づくということの繰り返しでした。身体から出てきた言葉、文字の深さを痛感しております。

 

 また、このような気づきは私一人では至りません。先生が自らの負荷が増すことを厭わず、実践塾をオープンという形式にて開催し、そこで学び続けていけるからこそです。あらためて感謝を申し上げます。

 

 近代哲学の元となるデカルトの言葉に「我思う故に我あり。」がありますが、数年間各国を旅して学問なり真理なりを追求した上に出てきた言葉とあります。宇城先生の哲学は旅ではなく実践から生まれた哲学です。武術修業はもちろんのこと開発、経営という結果が求められる日々の積み重ねからの真理でもあります。

 

 先生からの学びは日常と直結し、身体での学びの言葉はダイレクトに響きます。そのダイレクトに学べることに甘え、先生の膨大なる勉強の積み重ねの結果であることを忘れ、自分自身で深さを追求する姿勢が足りておりませんでした。分かっていたようで解っていませんでした。

 

 審査という場にて自分の内面が出たことで初めて解ったように思います。すでに答えがあり、そこにはとんでもない深さがある。そのようなことを身体を通して学べている時点で幸せな事ですが、これを子供にも繋げて参ります。今回も大変貴重な学びをさせて頂きありがとうございました。今後に活かして参りたく思っております。

 

 今年の始めの稽古にて「二進法」というテーマを頂きましたが、一年を待たずして「一進法」へと変化しました。学びのスピードが必要であることをひしひしと感じております。

 

 来年のスケジュールも開示して頂き年末から身の引き締まる思いでいられることにも感謝しております。来年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。



 


■ N.S 会社員 神奈川

 

宇城先生

 

 この度も日頃のご指導誠にありがとうございます。

 また本年も一年間の貴重なご指導をありがとうございました。

 

 今回、12月の年内最後の稽古では三段の審査を受けさせて頂きました。当日宇城先生が会場にご到着されるとその場の空気が一変し、一気に緊張感が高まるのを感じました。審査では「日頃の稽古を出すように」と先生からお話があり、先生にはすべてお見通しなのだからこそ、そのことを心掛け審査に臨もうと思いました。

 

 審査後に三段を頂き、あらためて宇城空手の三段の重みと責任を感じました。審査中には力が入り過ぎていることや息がかなり上がってしまうことなどあり自分では分かりませんでしたが審査の内容を先生から良かったと言って頂き、嬉しさと同時に身が引き締まる気持ちとなりました。

 

 「審査は一つの通過点である」とのお言葉も審査後に先生が示してくださった別次元の稽古を通して本当に通過点なんだと認識を新たに致しました。

 

 宇城先生が未知の世界を見せてくださり、榎本師範、拓治師範が先頭になってその姿を映し、実践で示してくださいます。従来の筋力的な力とは全く次元の違う、目には見えないけれども確実に存在し、今の常識が根底からひっくり返るほどのとんでもないエネルギーがあること。先生はそのエネルギーを目に見える形にし、私達が気づけるように常に実証してくださいます。

 

 今回も多数の塾生ががっちりとスクラムを組み、そこに先生が野球ボールほどの大きさの球を投げるとそのエネルギーが全体に伝わりスクラムが一気に崩れていきました。私達塾生が普通にボールを投げるとキャッチするスクラム側は当然びくともせず動くことなどあり得ません。

 

 しかし、先生がボールを投げるとキャッチしたスクラム側は一気に崩れていきそれを横から支えようと何人もの塾生が加勢しても先生のエネルギーの前にはひとたまりもありません。今の常識では絶対にあり得ないことですが先生は常に実証で私達にエネルギーの存在を明確に伝えてくださいます。

 

 前回、11月の千葉合宿で先生からお聞きした今のAIから10年後にはさらに進んだA G Iが人類英知の総和の10倍になるとされ、その10年後にはA S IというAIが生まれ人類との差が1万倍までに広がるとのお話がありました。

 

 先生が今私達に実証して見せてくださる世界はまさに時代の超最先端の世界なのだとあらためて思いました。なぜなら先生は私達塾生が多数で机を持ち一気に先生に向かって突進して行っても一瞬にして止めることができるからです。

 

 実際の交通事故などで先生が実証してくださるエネルギーがあるか、ないかで命が助かるか、助からないかが現実として変わります。その目に見えないエネルギーや電波をキャッチできる製品がA G IやA S Iの世界なら生まれるかもしれません。その製品を車に搭載すれば交通事故など人命を絶対的に守ることができる世界が訪れる。どんなに最先端な時代が来ても先生の教えは、すべてにコラボレーションができるのだと思いました。

 

 またそのようなご指導を日々受けていることにあらためて感謝でしかありません。そうした時代が進んでいるなかで未だに筋力トレーニングに精を出しているスポーツやそれを鵜呑みにして「筋トレは良い」と洗脳されている私達庶民がいかに時代遅れかをあらためて痛感致しました。

 

 審査中の自由組手でも何もできない自分がいました。懇親会の席で榎本師範から皆自由組手が出来ていなかったと「腕受け突きや連続突きがあるやろ」とのお話を受けハッとしました。いかに自分が止まっているかを感じました。基本の腕受け突きや連続突きがあり、あとから思えばパッサイやセイサンの型もある。何か上手くやろうとして一番駄目なのは止まってしまう自分だということに気づかされました。

 

 また私は自分を作り相手に良く見せようとするところがあります。千葉合宿の時の榎本師範、拓治師範の飾らない自然体の姿がものすごく心に残りました。その時、いかに自分は自分を作っているか、自然体ではないかを痛感致しました。また自分も飾らず、自然体な姿でありたいと強く思いました。

 

 懇親会では、私事のお話を全員が温かく受け入れてくださる雰囲気に宇城先生のファミリーでいられる幸せを心から感じました。師範から先輩方が親身になって相談に乗ってくださり応援してくださいました。そして宇城先生からはものすごくエネルギーをいただきました。先生の稽古を通してエネルギーをいただき、自然と一歩前に踏み出そうと思えました。

 

 先生からは、いつも人生の背中を押して頂いていることにあらためて気づきました。先生のようなエネルギーなくして、良い格好をしていくら綺麗な言葉を言っても本当に悩んでいる人、迷っている人、落ち込んでいる人を元気付け、勇気付けて背中を押してあげることなど出来ないことがわかりました。

 

 先生がエネルギーを与えてくださり、希望を与えてくださるからこそ私達は前に前にと進んでいくことができます。人の背中を押してあげることができるのは言葉ではなく、エネルギーなんだということ。

 

 今の私があるのは間違いなく宇城先生が見捨てないでくださり徹底してご指導頂いているからこそ今があります。今回、宇城空手の三段を頂き、その重さと責任を持ち、先生の空手を通して人に寄り添い、人を守れる人間になれるよう一層稽古に励んで参ります。

 

 宇城先生には何一つお返しすることができないのですが自身の生涯を通して少しでも先生に恩返しできるような生き方ができるように心新たに精進して参りたいと思います。

 

 この度も一年間のご指導誠にありがとうございました。

 来年も宜しくお願い申し上げます。



 


■ C.N 会社員 千葉

 

宇城先生、今年も一年ご指導、誠にありがとうございました。

 

 この一年も先生のおかげで家族ともに元気で、仕事も人間関係も充実した年として過ごす事ができました。反省は多々ありますが、今後の課題としていきたいと思います。

 

 そしてこの度は審査の機会を与えていただきありがとうございました。3段という大変に重い段をいたただきまして、段に恥じる事なく、見合った人間になれるように精進していきたいと思います。

 

 11月も審査を見させていただきました。子供達の素直な姿を大変勉強させていただきました。先生が日頃から常々仰る「子供達に見せたい」という事がどういう事に繋がっていくのかを、あらためて見させていただきました。

 

 理屈ではなく、子どもたちの姿を見て「自分はどうするんだ」という投げかけを自分に問うような気持ちです。普段の稽古を見せる、という事がどれだけの意味を持っているのかということがやっと理解できてきたように思います。

 

 子供達は本当に普段の稽古を審査という場でも自然体でやっているように見えました。審査だからという作りが無いというのでしょうか。作らないということは、日常と繋がっているという事だと思います。普段の稽古をそのままやるということは、普段が無ければ作るしか無いのだから、その大きな違いを恥ずかしながらやっと気づいたように思います。

 

 今回3段の審査を受けさせていただき今まで以上に強く思ったことは、「宇城空手をやりたい」「宇城空手をとにかく続けたい」という気持ちです。審査という場も、こんなにも緊張感のあることは、日々の中で味わうことはありません。そして先生に自分達のことを観ていただく機会があることの有り難みも、現在、本当にわかってきました。

 

 型の中でもいかに自分が浮いてしまうか、目、姿勢、勢い、どれも言葉の解釈はなんとなくすることが出来てしまいますが、体現するのは至難の技です。だからこそ空手で身体で一致させていく、それが本当の自信に繋がっていく、その実践の場は日常の中であるということ、先生の空手を通して様々な事に気づいていきたいと思います。

 

 先生の仰っている事を、自分勝手に他の何かにこじつけて理解をした気になってしまいそうな時に、ただしてくれるのは空手です。なぜなら、出来ないという自分を知るからです。なんとなく分かりやすく、わかった気になれるものを頼りにしてしまうと、全く違った方向に行ってしまう可能性を、空手は徹底的に修正してくれます。

 

 だからこそ、先生の空手から全てに気づいていく事が大事なのだと感じます。いただいた段に相応しい実力と人間になります。空手が楽しいとまで言えるほどの実力ではありませんが、空手をやり続けていきたいです、

 

 今後ともご指導を宜しくお願い致します。

 先生もお身体をご自愛いただき、来年も宜しくお願い致します。



 


■ M.N 会社員 神奈川

 

宇城先生。

 

 いつも大変素晴らしい実践塾の稽古に参加させていただき誠にありがとうございます。今年も残すところあと僅かとなり、改めてこの一年を振返ってみると、自分の人生の中で最も心が安定し、充実した一年となりました。稽古においても、実生活においても、日々新しい気付きと発見がありました。

 

 世の中の社会情勢を見れば、海外では未だに戦争や紛争が絶えず、対立の世界が続いております。日本においては、政治、経済、教育、環境問題など、あらゆる分野で腐敗が進んでおり、目も当てられない状態です。自分の周りをみても、漠然とした不安や恐怖を感じている方が多く、知識偏重の二項対立が増えているように感じています。

 

 自分の空手においては、型も組手も課題だらけであり、仕事や実生活においても全てが上手くいっているわけではありません。そのような中で、なぜ充実した日常を送れてきたのかを考えてみると、全ては、宇城先生から学ばせていただいていることを日常で活かし、その恩恵を身を持って実感させていただいているからなのだと思いました。「武術をベースにすれば全てに通じ、すべてが解ける」という宇城先生のお言葉のとおりです。

 

 毎日の生活の中で、予想外のことや上手くいかないことは数多く起こりますが宇城先生から学ばせていただいている武術的視点に立ち、我を引っ込めると、物事がスムーズに流れ始め、必ず良い結果が得られます。また、宇城空手の素晴らしさは、直面している問題の解き方を教えていただけるだけでなく、問題解決と同時に次の課題もいただけることです。

 

 前々回の稽古では、宇城先生より「瞬発力が全くない」「考えている」というご指摘をいただきました。宇城先生からご指摘いただいたことは、空手だけではなく仕事においても自分ができていないことでした。

 

 稽古において大切な「第一に眼、第二に姿勢、第三に瞬発力」のうち、眼と姿勢については、稽古を重ねるたびにその重要性と奥の深さを感じております。しかし、瞬発力については、未だに何も分かっていない状態が続いています。空手における瞬発力は、言葉や知識で身に付けられるようなものではないと改めて感じています。むしろ、どうやったら瞬発力が生まれるのか、と考えていること自体が問題のように思います。

 

 そのことを感じたのが、前回の稽古で宇城先生が榎本師範にご指導をされた時でした。宇城先生は「ニュートラルに入った瞬間に技をかけないといけない。一瞬でも間があったり、考えたらできない」と仰りました。ニュートラルの状態さえ作れない私は、宇城先生のお言葉を遥かに高い次元に感じました。その高い次元は、私のように理屈で考えたり、モタモタしている人間が絶対に入れない領域なのだと思いました。

 

 頭で考える理屈や言い訳の世界ではなく、まさに身体で実践するゼロの世界です。 宇城先生が仰られた「全ての行動を一進法にする」というお言葉は、癖や雑念をゼロにし、身体から瞬発力を生み出すための稽古方法を教えていただいているのだと思いました。

 

 そして、全ての行動でそれを実践するとは、稽古の時だけでなく、生活の全てにおいて身体と思考をゼロにする稽古をしなければ、瞬発力は決して出てこないのだと思いました。

 

 ご指摘いただいた「考えている」というお言葉についても、最近の型稽古においてとても実感することがありました。それは、頭の考えによる筋力の力で、自分の身体を動かしていることを感じ始めたことでした。自分の身体の動かし方は何かがおかしい、と徐々に思うようになりました。そして、実践塾において多くの手掛かりをいただき、武術は心と魂で身体を動かさなければならないのだと思うようになりました。

 

 自分にとって一番しっくりきたのがハグをした時でした。ハグをすると、今まで物理的に衝突していた自分が嘘のように、相手と繋がることができます。そして、心に余裕が生まれ、眼が強くなり、スピードが速くなります。宇城先生から気を通していただいた時と同じように、自分で身体を動かしている感覚はなく、身体が自然に動きます。自分の型稽古において感じる、自分で自分の身体を動かしている感覚とは正反対の感覚です。

 

 ハグの気持ちである、人を受け入れる心、人を愛する心に言葉も理屈もいりません。しかし自分の型は、言葉と理屈で稽古をしています。ビールを飲んで「おいしい」と思う気持ちも同じです。頭でビールの美味しさを考えるような稽古を自分はしているのだと思いました。ビールを飲むのと「おいしい」は同時であり時間的な間隔はゼロです。理屈で考えてから「おいしい」と言うのでは時間が遅すぎます。

 

 子供が宇城先生の技をすぐに映してしまうのは、大人は頭で生きているが、子供は心で生きているからなのだと思いました。宇城先生が仰るとおり、大人は子供のように技を映すことが出来ないので、始めはあるていど理屈で入らないと学べないと思います。しかし、最終的には頭と理屈で覚えたことを、心でできるように自分で工夫しなければ何にもならないのだと思いました。「全てを心にのせる」というお言葉の通りです。

 

 武術の技の起点は全てが心であり、私たちが学ばせていただいている場が「創心館」である意味を深く感じさせていただきました。

 

 本年も、言葉ではとうてい言い表せない程のご指導をいただき誠にありがとうございました。宇城先生よりいただいた多くの課題が、そのまま大きな希望となり、新しい年を迎えることができます。

 

 来る年の宇城先生の益々のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。

 



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