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2023年 秋期 大阪実践塾合宿

2023年10月28日~29日の二日間、秋期大阪実践塾合宿が滋賀県甲賀市で開催された。宇城憲治館長、榎本師範、宇城拓治師範そして大阪実践塾生をはじめ東京、長野、三重、福岡の各支部から総勢50名の塾生が参加した。

二日前にイタリアセミナーから帰国した宇城館長は冒頭の講義で、なぜヨーロッパをはじめ世界各国で今、宇城空手が熱望されているかを述べた。 「世界中で今現在起こっている戦争、テロ、人種差別などはすべて人間の欲が作り出したものです。欲は衝突・対立の原因であり、我欲をなくすことでしか調和融合への転換はありません。対立から調和へ、戦争から平和への具体的な転換方法が宇城空手にはあります。今に未来がある、今が対立なら対立構図の未来があり、今が調和なら調和構図の未来がある。型からの「ニュートラル」、分解組手での「ゼロ化」で調和を身につけること。宇城空手を学ぶことで、明確な調和への道が開け、未来への希望となります。今、混沌とした世界で求められる理由がここにあります。」 稽古では、具体的に欲がどのように調和を阻害するのか、多数が持つ帯を一人で引っ張る事で検証を行った。一人対多数の綱引きをすると、当然、対立となり一人の方は勝つことができない。この対立構図は、帯をゆるめたとしても、変わらない。帯を引っ張っていなくとも、引っ張っている。引っ張りたい、引っ張ろうとする「欲」が「対立構図」を生み出すのである。


一方宇城館長は、瞬時に「ゼロ化」して、いとも簡単に5人が引っ張る帯を引き寄せた。また館長は、この帯での綱引きでは、1人対5人はもちろん、1人対10人、対50人でも、相手の人数に関わらず引っ張ってしまう。

館長が帯を握ると対立がおきないので、何人でも引っ張ることができる
館長が帯を握ると対立がおきないので、何人でも引っ張ることができる。

宇城館長の実践、まさに「戦わずして勝つ」の境地に触れ、未知の世界のエネルギーを体感する指導の後、各班に分かれて、高段者が指導係と指導補佐を務め、型および分解組手の稽古を行った。


また、稽古後の懇親会では、稽古に引き続き宇城館長の生き様、実践の講話により、参加した塾生が稽古の深化につなげる学び気づきの機会となった。人間の持つ可能性を改めて認識すると共に、宇城空手を稽古することで調和融合する心身を得て、勇気と覚悟をもって人生を歩んでいけるエネルギーと希望を参加者全員が実感した合宿であった。


集合写真
集合写真

 

感想文

 

■A.K 会社員 大阪


宇城憲治先生、大阪合宿での大変貴重な御指導をありがとうございました。

今回の大阪合宿で、改めて先生の気、エネルギーが今の世の中においての唯一の光になる、太陽になるということを強く認識しました。

講義の中で先生が再三仰っていた、「いつ日本が戦争に巻き込まれても全く不思議ではない、皆さんの子供や孫が戦争に駆り出されることになるのですよ?皆さんは本当にそれでいいのですか?」という御言葉。

まさに私達塾生が何のために宇城空手を学んでいるのかということを見つめ直す御言葉を先生から合宿の冒頭にいただきました。

私達は先生から空手を学んでいるのではなく、宇城空手を通じて人間としての物の見方や考え方、人間を幸せに導く真理と法則を身体で学ばせていただいているということを強く思いました。


今の世の中の混沌とした原因は全て人間の我や欲が作ったものです。

海外で今現在起こっている戦争、人種差別、日本国内での大人子供関係なくのいじめや引きこもり等は、全て大人の我欲が生み出した、大人のエネルギーの無さから生まれたものであり、人間が作り出したものばかりです。

戦争は、資源の奪い合い、世界の大国の介入、国の政権の不安定状態、宗教の違い、民族の違いなどが原因で起こることがほとんどです。

戦争の主因の全てが人間が作り出した我や欲であり、これらは人間が生まれながらに持っているものではありません。全て人間の我や欲は後付けで出来たものばかりです。


先生から私達塾生が身体で学ばせていただいていること、映していただいていることは、宇宙の叡智である気、エネルギーです。

先生の気は戦争や差別、人間関係でのいじめ、引きこもりなどの所詮人間が作った低俗なものとは桁違いの、気品・気位のあるエネルギーです。

だからこそ、全ての我欲を超越し、調和に導く叡智ある心身こそがあらゆる大難に対する唯一の処方箋だと先生は仰るのだと思います。

宇城空手を通じて、この宇宙の叡智である気、エネルギーを身につけている人間の数が多ければ多いほど、発信できる人間が多ければ多いほど世の中が変わる原動力になるのは当たり前であり、その実証と検証を通じて、今回の大阪合宿でも先生から大変貴重な御指導をいただきました。

帯での綱引きでも1対3は勿論のことで、1対5、1対10でも先生は私達を制して難なく引っ張る現象を体験させてくださいます。相手が多ければ多いほど楽だと仰る先生。

まさに「千万人と雖も吾行かん」という孟子の言葉を身体で実証される先生は、孟子以上の存在なのは言うまでもないことです。

孟子はあくまでも物の例えとしての心の在り方と行動の在り方を述べたのだと思いますが、先生は実際にそれを実証してくださいます。まさに世界最高の実践哲学です。

これが未来への道、希望への光と言わずして、他に何と言うのかというほどに、これしか、先生の教えにしか未来への道も希望の光もないと身を引き締める思いになりました。


本来、武術は少人数での稽古が当たり前だと聞いております。

沖縄でも昔は4畳半で、師と弟子の一対一での稽古が主だったと聞いております。

それでは何故先生は多人数での御指導をなさるのかというと、先生は武術の稽古や仕事での弛まぬ努力から、武術の稽古が生み出す身体のエネルギーの尊さを感じられ、この武術のエネルギーは世の中への希望を照らす光になると感じられたのだと思います。

そして、少人数の稽古ではとても世の中への希望の光になるには時間がかかり過ぎる。

それでは今の時代には間に合わないと強く思われ、先生の今の時代に対する止むに止まれぬ思いが、強い公への思いが気を生み出したのだと思います。

先生の気は、先生の魂、心、思いの無形の結晶です。

この気、正のエネルギーを先生は自由自在に使うことができるからこそ、多人数での御指導を可能にされているのだと思います。

先生がどのような思いで気を開発されたのか、その先生の思いや心を感じることなしに先生の気は決して学べません。

以前に先生が「どうしたら気が使えるようになるのですか?という質問ほど横着な質問はない、もしも気の習得への近道があるとすれば、それは自己犠牲だ」と仰ったことを思い出しました。

どこまで先生の思いを感じ、先生の心に寄り添えるのか、弟子としてのあるべき姿の原点はここであり、ここをなくして自分の進歩成長に繋がる気づきには至らないと思います。

未来に対する希望の光を照らせる大人になるためにも、どこまでも先生の心や思いを土台として、軸として学ぶことの大切さを今回の大阪合宿で改めて気づかせていただきました。


今回の合宿ではSさんとHさんの班で指導をいただきましたが、今までの自分に足りてないところや意識が薄いところを指摘していただき、自分の今後の稽古における課題を明確にしていただきました。

班では、クーサンクー、パッサイ、セイサンの型と分解をやりましたが、私はクーサンクーの時には振り返っての腕受けの時に少し左肩が浮いてしまう癖があると指摘していただきました。

またパッサイでも左の顎突きの際に、肘の下に添える右腕の肩が少し浮くとの指摘もいただき、両肩をしっかり落とし切っていないことに気づかせていただきました。

その後にナイファンチンの裏拳突きでも同様に肩が少し浮く癖があり、癖も全ての型で繋がっていることが分かりました。

肩が少し上がることで肘の締めも抜けてしまい、突きの威力も変わってしまう事の検証をしていただきました。

そして、先生からは「型のスピードが遅い、モタっとしている」との御指摘をいただき、今までの自分の稽古の方向性を変えなければならないと強く反省しました。

私のような比較大きな体つきの人間は、型にスピードや勢いがないと余計に鈍臭く見えるとの御指摘もいただきました。

重さがあると返ってそれが原因でスピードが遅くなり、モタっとしてしまう。重さが仇になってしまうと。

重さにスピードが合わさるからこそ、その重さが何倍にも活きてくるという大変貴重な御言葉を先生から頂戴し、一人稽古の稽古方法そのものを変えていく決意をいたしました。

その後、分解の一本攻撃の時にもやはり「スピードが遅い」と先生から御指摘いただき、「もっとスピードを出してもう一回突いてみろ」との先生の御言葉で、今度は肩を落としたままで姿勢を保ち、肚に呼吸を落として突いたところ、「その感じが大事だ!」との御言葉をいただき、今までの自分が大事なことをないがしろにしていたことに気づかせていただきました。

肚に呼吸を絞り落とす感じで突きを出すと、肚の中にエネルギーが漲るような感覚があり、これが大事なのかもしれないとの気づきをいただきました。

型稽古で先生から映していただいている気、エネルギーを育てていく。

型が無形文化だという意味が以前より深く感じられるようになりました。

気育になる稽古を日常で積み重ねなければならない、そういう稽古が強い心、逃げない身体、相手に入っていける身体に繋がるのだと強く心に刻みました。


最近、特に感じることは仕事でも頼まれ事が増えるようになりました。

先生に学ばせていただく前の自分ならまず頼まれないような仕事を頼まれるようになりました。

工場の経営方針や原価低減案、新設備導入案などをグループ会社の会長や社長などの経営陣に代表として、プレゼンし予算を獲得する仕事なども増えて来ました。

私は人前で話をしたり、ましてや目上の人の前でプレゼンをするなどは苦手で、今まではもってのほかだと思っておりましたが、何故かやってみよう、任せてくださいと言えるようになり、これは先生から映していただいている気やエネルギーのお陰でしかないと思っております。

先生から「お前は持って生まれているものを開花させるためにここに来てるんだろ!」と𠮟咤激励をいただいたことは忘れられません。

私は感謝してもしきれないほどの御指導を先生からいただいております。

先生から教えて来て良かったと、そう思っていただけるように今後も精進していきます。


宇城先生、大阪合宿での大変貴重な御指導と気づきをいただき本当にありがとうございました。

今後とも御指導御鞭撻をよろしくお願いいたします。


 

■H.N 歯科衛生士 大阪


二日間にわたり、細やかなご指導を賜りましてありがとうございました。

今回のご指導では無意識の欲がどれほど存在しているかを検証していただきました。複数の人が帯を持ち、片方を一人の人が引っ張ろうとすると、当然力のバランスから引くことはできません。しかし、先生のように欲を捨てれば相手は力が入らなくなり、たわんだ状態であっても帯を引っ張ることができるということでした。常識では絶対にありえない現象です。

人間は本来調和する身体を持っているにもかかわらず、欲が出てしまい、見えない電波となって周囲に伝わっていると教えていただきました。行こうとする前に一度下がってから行くと進むことができたり、常に何かをしよう!とすることが無意識にあるということを知りました。

回し取り投げも、何もしなければ相手は腑抜けになり倒れてしまうが、私の場合は投げようとする欲を消すことができずにぶつかってしまいます。このような検証により、自分がどれほど欲まみれな人間なのかを思い知りました。無意識の中に何かをしよう!という欲がいつもあるということです。そう考えて今の日常を客観的に見てみるだけでも、常に自分本位な考えで行動していると思えてきました。その欲の染みついた身体で空手をしても何の意味もないと気づきました。

大切なことは日常生活で人の喜んでくれることをすること、落ちているごみを無意識に拾えるようになること、困っている人を見たら声をかける、お手伝いをする、何度もご指導いただいていますが、そのような日常でなければ人としての成長、空手の上達はありえないと再認識しました。


世界中の塾生が宇城空手に魅了されるのは、今までになかった、すべてが驚きと希望の世界だからだと思います。空手と居合と気が融合した宇城空手の世界に、私たち塾生は未来を見出しています。その希望ある未来を現実のものにし、子供たちが生きていけるように、今、自分自身が変化しなければならないと強く思いました。


合宿ではグループに分かれて細かくご指導いただき、無意識に気を緩めてしまっている個所や、きちんと相手の真ん中に突きを出せていなかったこと、拳が緩んでいたこと、力みがあってぶれてしまうことなど、数え上げればきりがないほど、きちんと型にはまっていないことをご指摘いただき大変勉強になりました。身体全体を使って動いていないと思いました。素晴らしい身体を持っているのに、自分でだめにしていると思います。言い訳をせず、もっと稽古に集中していきます。

貴重なご指導をありがとうございました。

深さに向かう稽古を目指してまいります。

今後ともよろしくお願いいたします。


 

■N.F 会社役員 福岡


日常でいかに調和に向かうかは、今の自分がいかに衝突の身体になっているかを知ることの先にしかないのかと、それに気付かずに生きてきた愚かさにこの合宿の間だけでもハッとさせられるばかりでした。緩んだ帯をただ持つだけでも私たちの場合は無意識に引こうとしている、回し取りの分解でも回す前にもう行こうとしている、この事実を検証で目の当たりにしてもそこですぐには変われない、そう認識できただけではどうしようもないことがわかると宇城空手の中にしか未来への希望がないことがはっきりしてきます。

どう言葉にしていいかわからないほどの凄い真実を知らされているのだと思い、間違えた型や形のまま稽古を重ねることは日常の衝突を無意識に生み出してしまうリスクもあるのだと感じました。ただただ稽古をすればいい方向に行くはず、という傲りがないか、何のために稽古しているのかを自身に問い、稽古している先の未来が変わっていくと自信をもって言えるような稽古にしていかないといけないと思いました。できてないことを謙虚に受け止め正していく、その繰り返ししかないのだろうと。


今回の合宿でこの上なく有難かったのは握りの甘さを先生に何度もご指摘いただき、その流れでサンチンの型での握りを正していただいたときに数人の列に入っていける感覚を感じられたことです。人生の軌道修正をしていただいたような瞬間でした。「正していく」ことに終わりはない、そして終わりがないと気付かせてもらえる師に出会えたことの感謝を自分が変わり未来に繋げていくことで示していけたらと思います。

ありがとうございました。


 

■K.A 会社員 大阪


宇城先生、合宿のご指導ありがとうございました。


今回の合宿のご指導で特に印象に残った言葉が、「欲」です。


先生の帯を使っての検証は、初日そして二日目に更に発展させられたものを見せていただき、私の中で、この力では絶対に有り得ない事象は、ずっと鮮明に残り続けています。


初日の帯を使った先生対複数名の綱引きは、1-2-3の掛け声と同時に帯を一斉に引いた瞬間、先生側に複数名の大人が引き寄せられる、それもほとんど握ってない状態で。

これだけでも有り得ないことですが、次に行われた帯を緩めた状態から複数名を引き寄せられる事象を間近で見た時は、余りにも凄過ぎて先生のされた事象を素直に感じるしかありませんでした。頭で理解するようなものではありませんし、頭で考えるのは意味がないことでした。人間の神秘的な力の可能性を感じ、感動と希望を抱かせてもらいました。


この後、先生が塾生に同じように帯を持たせて、帯を緩めて引っ張らないように指示されましたが、反対側の複数人に確認すると引っ張っているとのことでした。先生が引っ張ろうとする“欲”が働いているからとのことでした。やり直しをされましたが結果は、同じでした。この“欲”を消さなければ、できないと。この後の合宿の稽古中、それ以外の時間もすべて、この帯の検証の“欲”のキーワードが、ことある毎に脳裏を掠めました。


型の稽古では、無意識に型を自分独自の勝手な認識で力を緩めていたり、身体ではなく頭で考え過ぎていたりと自分では思ってなくても良く見せようなどの“欲”が働いていました。

もっと顕著に現れるのが、対人で行う分解組手です。相手に突かれると当ててやろうとの“欲”が無意識で出てきます。そうすると目線も攻撃箇所に行き、姿勢も前傾となり腹も凹みます。先生から教えていただいた「ニュートラル」から外れてしまいます。「目・姿勢・瞬発」の教えも守られていません。

先生がよく言われている身体は天から与えられたものなので出来ていると。頭が悪さしていると。学業の偏差値・スポーツの勝ち負けなどの教育や環境で、知らない内に頭が調和ではなく対立になっています。対立こそ“欲”に繋がり、調和とはかけ離れてしまいます。

その状態で地球・宇宙のエネルギーを取り込める筈もなく、力を使わない先生の空手ができる筈がなかったと気づかされます。気づいても身に付いていないので、同じことを繰り返してしまいます。

自分の中に発生する無意識の“欲”を自分の内面の感度を高めて、少しでも欲が掠めたら、それを素通りせずに自分に落とし込み修正するように心掛けたいと思います。


今回の合宿でもそうですが、できる先生や師範から自分が気づかない自分の無意識の“欲”を気づき・気づかせてもらわないことには、更なる成長はできないと改めて思いました。師匠の有難さを気づかせていただきました。


これからも厳しいご指導をよろしくお願い申し上げます。


 

■N.Y 自営業 三重


合宿での貴重な稽古ご指導賜り、誠に有難うございました。

いつも斬新な検証、次から次へと我々が理解できるようされることに無から有を作る、創意工夫をする、その先を見据えたプロデュースの如くどんどん進んでいかれます。ニュートラルの状態、型をしてニュートラルになる、他人に寄り添うことによりエネルギーが増幅することで常識ではありえない実証を体験いたしました。身体に問いかけるご指導にいつも驚きと感動を得てエネルギーを与えて頂いています。自らエネルギーを高めるためには空手の稽古だけに限らず日常日々の中からでも深さを求め、探求する勉強や寄り添う行動、感謝して日々生きる。人として当たり前の行動に還ることになります。自分の横着や欲、我が邪魔していることが検証や、型、分解組手をすることで感じることに導いて下さります。

班で分かれて型、分解組手のご指導を受け、癖、姿勢、身体の締めの甘さ等様々の事を気付かせて頂きました。応対して下さった相手いることで、お互いの認識を改めあい、他人を見て自分を知ることが出来気付いたことが多くありました。それらを糧にして一人稽古、稽古の方向が定められることとなり、型、分解もまた奥が深いと感じ増々稽古に励まなければいけないと感じました。内面である心の作用であり理合いが出来なければ実践に繋げられません。実践に繋げる分解組手をしなければ意味がないとおっしゃられた事を実感します。「心豊かなれば技冴える」 目指す次元は非常に高いところにあります。心の修行その空手に出会い、稽古させて頂いていることに感謝が募ります。

人間性、社会性、経済性等すべてに次元を高め、我々の成長世代を超えて未来を見据えてのご指導、一番先生が寄り添って下さり、愛情深いご指導を受けていることに改めて奥の深い貴重な体験、導いて頂いている事に胸が熱くなります。

合宿はより塾生同士心が開き、勉強になる事が沢山あります。先生を中心に集まることで大きなエネルギーの中にいると実感し居心地の良い時間を共有しました。

そして元気をもらいました。

これからも合宿をはじめ、稽古ご指導をよろしくお願いいたします。




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