令和5年度 福岡実践塾審査会、稽古会
8月26日、27日の2日間、令和5年度 福岡実践塾審査会、稽古会が行われた。初日の午前中に審査会を行い,その後は宇城館長の厳しくも心温まる,エネルギーに満ちた指導があり、福岡実践塾生一同,明日へ繋がる 大きな気づきを得た2日間となった。
初受審者のサンチンの型
ナイファンチンの型
分解組手
感想文
■N.F 自営業 福岡
貴重な二日間を本当にありがとうございました。
そして受審者メンバーの昇級・昇段を賜り誠にありがとうございました。とくに昇段者においてはそれに恥じない稽古・精進がまだまだ必要なこと、そしてそれ以上に私たち黒帯メンバーがどうあるべきかを自身に問いただしていかなければ中途半端になってしまうことに危機感を感じました。
危機感とはっきり言えるのは自分自身を根本から立て直せるのは先生の空手しかないことをこの2日間だけでも十分に感じたからです。今更ながらですが先生の空手は本当に凄い!こんな幼稚な表現しかできないのが歯がゆいのですが日常がそれで変わっていくことを私みたいな凡人でもリアルに想像がつく、だから感謝しかありません。日々稽古しかない、「やらなきゃ」でなく「やるしかない」となってきた自分を感じていたので、今回先生から「勢いがなくなっている、下手になっている」とのご指摘を受けた時は「えっ?」とショックもありましたが、何よりご指摘を受けたことが有難たかったので翌朝起きて勢いだけを意識して木刀を思いきり振り、いつもの型をやってみて、勢いを無くしていたことがわかりました。こんな感じでやらなくなってたな、と。子供のようなしなやかさがないことに捉われていたり、分解組手の検証をメンバーとしている中でこうかな?こうかな?と修正しながらの形でかかりやすくなることを求め、自主稽古でよりいい形(自分の勝手な基準)ばかりを追ってしまう稽古に偏ってしまっていた、かかるかどうかに捉われていた自分が愚かに思えました。「目・姿勢・瞬発」ありきであることは命を守れる先生の空手であることを思ったら当然のことなのに。勝手な自分の「欲」でした。褒められたくて100点を取ろうとする子供と同じです。この気付きが正しかったのかどうかわかりませんが感じたままを書きました。感じたままに先ずは取り組んでいきます。
二日目の稽古で感動したのは最後にやっていただいた先生のエネルギーが伝搬していく先に「思う」だけで思った相手がそうなることを先生ご自身が「思う」のでなくても先生のエネルギーが利いていることで可能になる事実です。驚きは勿論ですが希望が湧き鳥肌が立ちました。私も体験させてもらい確信したのは「自分を信じる力」になる!そんなすごいエネルギーを一瞬で頂いているような感じです。Yさんが横になっていて「相手が見えてなくても観える」と興奮されていたのが隣に居てよくわかり、その表情は歓喜に満ちていてこちらまで嬉しくなりました。奇跡的なのは一瞬(先生は触れてないので一触もされていない)で多大な希望が宿る現実、信じられません。本当に感動的な体験でした。この体験を決して無駄にできないと思い、いまも興奮冷めやらぬ感じです。
過去・現在・未来は同時に存在している、という先生のお言葉があり、それがまだピンと来ないところがあります。稽古を正しく進めていくとまだ見ぬ可能性が広がっていくことに確信が持てます。私も先生のように周囲の人を幸せにしたい、そのためにはまず私自身が変わらなければなりません。稽古あるのみ。そして行動します。
また来年も先生に福岡に来ていただけるよう皆で頑張っていきます。
■Y.N 会社員 福岡
二日に渡り審査会と稽古会に貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。
今回、自分が何も分かっていなかったことを痛感するばかりでした。空手も居合も型を覚えて表面的な動作を真似ていたつもりのなんの深さもないことを思い知らされました。先生が仰る「知識には深さはなく身体には無限の深さがある」ことを数々の実践検証であらためて実感しました。少しは分かっていたつもりが我欲によるものと明白に認識できたことが個人的には一番の収穫でした。課題は無限にありますが希望もそれに劣らずあると思える本当に濃い2日間でした。
「人間というものは高尚な輝かしい目的に向かって進んで行かなければならない」というチェーホフの言葉は宇城先生の生き方そのものです。その先生に直に学べる幸せを決して無駄にせず、人にエネルギーを与えられる人間でありたいと切に思います。日々の一瞬一瞬を無駄にせず初心に帰り精進してまいります。
運営上の数々の不備を反省し、また福岡に来ていただけることを切に願い、全員で精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
■M.Y 会社員 福岡
宇城先生、審査会並びに稽古会をありがとうございました。まず、審査会を通して自分なりに整理をしてみました。初受審のKさんが一番良かった、黒帯が全く良くなかったということ。それは、「型」を稽古している自分の心に奢りと甘えがあったからではないかと思いました。上辺だけの型稽古で、手足の動きに囚われ頭で作った形を追い求めていたのではないだろうか。例えば「真っ直ぐを捉える」は身体で掴むのでは無く、ただ目線で真っ直ぐの線をひいて其処に物理的に体を沿わせていたり、足はこちら向き、腰を落として、勢いをつけて、身体全体の力をぬいて、等など。型から呼び起こされた動きではなく、自分の頭が描いた動き方で型をはめ込んでいたように思います。集中も出来ていないので全てが見苦しい動きだったのでは無いでしょうか。それに対して、Kさんは無垢な心で一心に型を捉えていらっしゃったように思います。ひたすら、先生の動きを自分のこころに映した型でした。私たちは、ほとんど彼女に指導していません。それが良かったのだと思います。私はといえば、「先生、見て下さい」稽古してきましたよ、頑張っていますよ、という自我を身体に映し、先生の前に醜い姿で立っていたことを振り返ると、なんという頭の悪い勘違いの大馬鹿者だったかと恥ずかしいです。鏡の「か我み」と、鏡に映した醜い自分を見るべきだという先生からのお言葉は、正に私の今を表しています。
また、「なぜガラス玉に集まり光らそうとするのか、ダイヤモンドが横にあるのに。ダイヤという石を磨かず、きれいなガラス玉に魅せられるな」というメッセージに込められた意味。上に書いたような稽古を続ける私たちの事を戒めて下さっているのだと当初は思って居りましたが、別の意味もあるのでは、と感じております。そちらの方が重大なことではないかと感じ、稽古会後からずっと、言葉の意味を照らし合わせています。先生の真意がはっきりと分かる自分でありたい、メモリを細かくしたい、稽古をしたいと思いました。
稽古会においては、圧巻で今でも夢のようです。これが、先生の現実か!と驚きました。
木刀の握り方から足の運び方まで細かいご指導と、先生の気の検証。全てを取りこぼしたくないと思いました。Yさんが倒れた列の、離れて見えるはずのない所に立つ人のことを「見えます」と言われたとき、言葉になりませんでした。私は彼の両足を押さえておりましたが、小さな筋肉の動きすら全くありませんでした。しかし離れた列の最後尾の人は投げられ、立ち上がり、また投げられ。Yさんを直接押さえている3名が投げられないようにと思うと、反対の意思を持つYさんが「苦しい」とつぶやく。これは、圧倒的世界です。次元が桁違いです。この先生の世界観に触れる事が出来た喜びが溢れました。そして、この稽古会での全ての検証は審査会を通して私たちの姿をご覧になられた先生からの答えだと思って居ります。ダイヤモンドに気付くよう、歩むべき道を示して下さったのだと思います。先生のご指導が本当にありがたいです。稽古を見直し、上辺ではなく深さに向かうよう真剣に勉強して参ります。
最後に懇親会や昼食会を思い起こし、至らなかった所を痛感しております。これも、すべて自分の日常の稽古不足と、そこから来る大切なものを見極める能力の無さだと分かりました。日常が稽古とさらに勉強になりました。
宇城先生、私共の日々を守って頂き、ありがとうございます。ご指導に感謝です。
■M.M 主婦 福岡
初段の合格をいただきましてありがとうございました。
審査に向けて稽古に取り組んで参りましたが、審査を目標としていたことも誤りであり、稽古したこと自体に満足していた点を反省しています。先生が仰られていたように審査は一つの通過点として、黒帯をいただいたことの重さを感じ、自分の課題に取り組んで参ります。杖を使った検証では、握る人によってこちらに伝わってくる感覚が全く異なっていました。先生が握られると杖がとても柔らかく感じられました。木刀に限らないとは思いますが、木刀を握る時の「手の内を柔らかく」とはこういう感覚なのではないかと思いました。
「鏡の「が(我)」を取って神に近づく、感謝する」そう祈って行った検証は出来ませんでした。自分の我の強さを再認識しました。我を捨てることを意識するところから稽古して参ります。稽古中は自分が閉じているために何も得られていない気がしていました。しかし、帰宅後サンチンをしてみると今までとはまるで違っていて驚きました。頭では分かっていませんでしたが、身体を通して学ばせていただいているのだと改めて実感いたしました。子育てを言い訳に勉強を疎かにしていたことを反省致しました。
何の為に空手をし、先生に学ばせていただくのか再確認させていただく機会となりました。深さに向かう稽古へ切り替えて精進して参ります。ご指導ありがとうございました。
■A.S 中学生 佐賀
宇城先生、お忙しい中、福岡にわざわざお越しいただきありがとうございました。また、審査を受けさせて頂いたこと、一級をくださって、ありがとうございました。今回の稽古を受けて、全体稽古も大事だけど、一人稽古の方が大事だと言うことが分かりました。次に先生とお会いする時までに木刀の位置と、スピード、持ち方を直せるように稽古を頑張ります。木刀はただ振るだけではなく、残心を残すこと、中心を守ること、前足で進むのではなく、後ろ足で進むことなどが分かりました。一番印象に残っているお話が神社のお話です。神社は自分の「が」を捨てる場所だということが分かりました。
検証で一番すごいと思ったことは、木刀と気です。木刀は五人が一列になって、先生が木刀で並んでる人の手や足を「スッパッ」とされた後、「スッパッ」っとされた人は痛そうでした。でも、こけたりした時の痛さとは別な気がして、先生に「スッパッ」とされた人の顔には笑みがありました。きっとエネルギーが沢山あるんだと思いました。
大谷翔平が所属するエンゼルス対他のチームの試合の観客席には、あまりお客さんはいないということを聞いて、帰ってから、エンゼルスが戦っている試合を見ました。すると、先生がおっしゃっていた通りよく見ると、お客さんがあまりいませんでした。でもテレビのカメラマンは、まるでお客さんが沢山いるように上手く撮影していました。日本人は、だまされやすいと先生はおっしゃっていましたが、少なくとも私は、その中の一人だと思います。
話は変わりますが、私は、榎本まなさんに憧れて海外留学に行きました。ある日の自由時間で、私を含めて三人の日本人で行動していました。すると、知らない人から声をかけられました。でも、とんでもない速さで、断ることができました。英語があまり喋れない私が断ることができたのは宇城空手のおかげだと思います。でも、もっと稽古をしていれば、声をかけられることもなっかたと思います。だから、今までの稽古よりももっと練習しようと思います。
最後になりますが、福岡にわざわざお越しいただきありがとうございました。そして、一級をくださってありがとうございました。
■■Y.S 会社員 福岡
福岡までお越し頂き審査会、稽古会と二日間の御指導を賜りありがとうございました。
審査会では、Kさんと組手をさせて頂きました。
遠方から通われ自主稽古を中心に一心に稽古に取り組まれてきた彼女の思いが当日迷いなど消されて堂々とされていた姿に感動しました。
そして自分の稽古不足と甘さを痛感しました。検証で先生からサンチンが間違っているから出来ないとのご指摘を受けました。木刀の袈裟斬りの型でも中心がずれること木刀を振る速さが無いことなど課題で山盛りでした。
鏡の中の我が消せるように自分を見つめ直していきます。
これから更に福岡のメンバーと切磋琢磨していき先生に稽古会にまた来て頂けるように取り組んで行きます。
どうかこれからも宜しくお願い致します。
■Y.Y 会社員 福岡 大変お忙しい中、ご指導くださり、ありがとうございました。 この度の審査会及び稽古会にて、黒帯のレベル低下のご指摘をいただき、日ごろの稽古が、全く進歩成長へと繋がることのない間違った稽古をしていた事を大変強く感じております。先生のお話にありました受験勉強と同じようなことだなと思いました。 日ごろの木刀基本稽古では、振り下ろしがブレてばかりで、なぜそのようになるのか解らないままずっと稽古して参りましたが、今回、手の内や振り下ろした時の木刀の位置が低いことや型の一つ一つの所作などをご指導いただき、いかに頭ばかりを使った我流の稽古をしていたか、身体で感じることができました。 そして全く稽古が足りないことを痛感しております。 99%の努力よりも1%のインスピレーションの方が大切であることをご教示くださいました。エネルギーを取り込めるような型稽古ができるよう、我を捨て自分と向き合いながら、この1%を見逃さぬよう、日々精進して参ります。 2日間ご指導くださり、本当にありがとうございました。 今後とも、どうかご指導の程よろしくお願い申し上げます。
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