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2025年 宇城道塾 秋季合同合宿が開催されました

  • chiba
  • 3 日前
  • 読了時間: 44分

更新日:2 日前


2025年9月27日、28日の2日間、静岡県修善寺にて宇城道塾合同合宿が行なわれました。

全国各地から道塾で学ぶ仲間が集いました。


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「なぜ、私たちは進展しながら自滅に向かっているのか」で始まる本合宿のテーマが、宇城塾長により板書されました。


宇城塾長が各塾やセミナーで実証している「子どもにできて、大人にできない」。

この実践から導き出される様々な課題・問題はすべて、現在の教育や“常識”でつくり出された対立や競争にあること、それを払拭するには調和・融合のあり方に向かうしかないことを、塾長は講義と実践で示していきました。


植物が太陽の陽(エネルギー)を浴びて伸び伸びと育つように、

私たち人間は、愛や思いやりというエネルギーを受けてこそ進歩・成長し、活躍できる。


まさしく本合宿は、塾長(師)という太陽のエネルギーを受けて、大人が自ら蓋をして閉じ込めてしまっている潜在力を発揮する場でした。


細胞に働きかける宇城塾長の気のエネルギー。

塾長に入れていただいたそのエネルギーにより調和に変化した身体を感じること。

さらには自分自身でエネルギーを湧かせ、それを持続させること。


これらを、2日間という途切れない時間の中で思う存分体験できることは、合宿ならではの貴重な学びとなりました。


合宿の様子を写真と参加者の感想文で紹介します。




●気の通った身体の強さを体験する


女性の四肢を大勢が押さえ込む。

当然、女性は身動きもできないが、気を通されたとたんに、全員を弾き飛ばす。


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同様の実践を、全員が行なう。

数グループに分かれて1人を押さえ込む。


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塾長の気により、一瞬にして全員を弾き飛ばす

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●気のエネルギーは人数や量を超える


参加者全員が1人を押さえ込む。

身動きどころか、呼吸すら難しくなる。


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塾長が気を通すと・・・・

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押さえ込まれた1人が動き始め・・・・

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全員が動かされていく

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●エネルギーを注入する


気による「痛み」もまた、エネルギーの源となる。

痛みは危険を察知する大切な感覚であり、身を守ることにつながる。

まして、気によりつままれるなどして痛みを感じると、信じられないような力を発揮する。


1人を全員が掴む

その人の指先を、塾長がつまむと・・・・

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悲鳴とともに全員を巻き込んで倒れ込む

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●調和の身体をつくる


2日間で度々1列を押す検証が行なわれました。

塾長から指導いただく押すための方法は様々で、その都度、それぞれが自分の課題と向き合いました。


押す時に相手(1列)と調和した時の感覚、1列側にいて押す人に調和された時の感覚は、道塾の学びを日常に落とし込むための指針となるものでした。


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2025年 宇城道塾秋季合同合宿 記念写真
2025年 宇城道塾秋季合同合宿 記念写真

参加者の感想


●山形 教員 60代 男性 MI


宇城先生、この度の合同合宿での熱心なご指導、誠にありがとうございました。

今回も、先生の圧倒的なご指導によって、大量のエネルギーを注いでいただきました。二日目の午後の、大人数で連なって大蛇のように激しく大きくうねって動きまわる中で、自分は必死に前の人の腰にしがみついていましたが、一緒に動いている他の塾生に強く足を踏まれたり、肘打ちを受けたりして瞬間的にはかなりの痛みを感じることがありました。しかし、すぐに回復しました。エネルギーが注入された身体は本当に強いのだと改めて感じさせられました。他の塾生の方たちも、激しくぶつかり合ったり相当強く床に身体を打ち付けたりしてもそのあとケロッとしているのを見ていて、「エネルギーが入った身体は怪我をしない」という先生の言葉通りだなと改めて思いました。単に怪我をしないだけではなく、他の人を簡単に投げることができる身体に変化しています。


 今回の合同合宿では、この「エネルギー」について、自分の身体や他の人の身体を通して「実証」する場面がとても多かったように思います。いつも以上に、塾生たちの身体・細胞に先生のエネルギーを入れていただきました。

 宇城先生が「人間の体にはとてつもないエネルギーがある」「人間の身体の持つ可能性は、途方もないものだ」と言われる際、その決め手となるのは「細胞」であって、その細胞が活性化すると、身体のエネルギーが高まって、「勝手にそうなる」ということをたくさん実証していただきました。


 その一つが、二日目の午前中に多く実証された「痛みによる身体の活性化」でした。先生が「身体が目覚めるほどの痛み」を多くの塾生に経験させ、その後二人組になってお互いに痛みを与え合う場面では、自分の身体は何度も「激しい痛み」を感じていました。しかし、それによって「気」つまり「エネルギー」が自分の身体に入って、相手を投げ飛ばすことができました。自分の体を襲う瞬時の強烈な痛さを感じながら、ビックリしながら笑うしかありませんでした。中途半端ではない痛みが来るのですが、大笑いしてしまいました。「強烈な痛みを身体が感じながらも、身体に気が通り、人を動かすことができる身体に変わる」という先生のご指導は、まさに目の前の事実であり、その事実は「人間の身体に秘められた可能性」を実証しているのだと思いました。


 このような実証を前にすると、先生がおっしゃるように「筋トレ」は「本当に百害あって一利なし」だと痛感します。先生のエネルギーが注入された塾生の足のふくらはぎは、触ってみるととても柔らかかったのに、足で蹴飛ばすと蹴とばした方が痛いという事実は、筋肉信仰を打ち砕くものです。このような場面はこれまでも何度も見せていただいたのですが、改めて人間の身体の「神秘」であるようにも感じました。ラジオ体操も全く効果がないどころか、逆に身体に悪いことも先生によって「検証」していただきました。これらのことは、これまでの日本の「体育教育」の根幹をひっくり返すものです。学校教育によって、あるいは一般のメディアによって人間の身体がどんどん劣化していき、破壊されていくこの現状を何とかしなければ…と思います。「ライオンなど野生動物は、狩りの前にストレッチなどの準備運動をしない。」「喧嘩するときに準備体操なんかしない」という、人間の身体にかかわる「当たり前」のことがすっかり失われてしまって、お金儲けにつながる「筋トレ産業」が隆盛しています。スポーツとそれにかかわる「科学」が、「盲信」や「洗脳」によって成り立つものであることが、もはやバレバレなのに、そこから抜け出ようとしない日本や世界のあり様が、先生の実証によって根底から暴かれています。


 また、人間の身体に備わった、とてつもないエネルギー、可能性に関しては、とても感動することがありました。

それは二日目の最後の方で行った「寄り添う」ことです。お腹が痛いとうずくまっている人にやさしく「大丈夫ですか」と声をかけるだけで、列になった人を押すことができるという実証の場面で、きっと二日間ずっと、先生のエネルギーをいただいたおかげで、みんなが極めてスムーズにできるようになっていました。どの人も力ではなく、さらに、単に脇を通り過ぎるだけで、押すことができるというのは、驚きでした。


先生に直接「気」を入れていただいてできるというのとは違って「寄り添う」心と行動が、直接身体に大きなエネルギーを与えて、「力ではない力」で列を動かすことができる。それも、全く触らずにただ脇を通り過ぎるだけで…そのことをみんなができる。これは本当にすごいことだと思います。対立を生み出す筋力ではなく、調和を生み出すエネルギーが、みんなの身体に満ちていた証拠だと思います。

 この実正の前に行われた、「自分のお腹を撫でただけで、自分の体内にエネルギーが生じて相手を下に押せるようになる」という動きの中で、「相手を下に押すためにお腹を撫でたのでは、全く意味がない」ということも、本当に腑に落ちました。あくまで、「やさしく自分の身体をさすっていたわることで、結果として相手を押すことができる」のであって、相手を押すことが目的となってしまったのでは対立しか生まれない。このことは、自分自身自の人生を大切に、真剣に生きることを抜きにして、他の人を何とかしてやろう、幸せに導いてあげようなどということは、本末転倒でちゃんちゃらおかしいことだということです。


二日目の朝一番で、「呼吸」を教えていただいた際に、みんなの様子を見ていて、先生が「みんなの動きががさつだ」と指摘されましたが、このご指摘は全く自分に当てはまることでした。本来持っている自分の身体の可能性やエネルギーを引き出すためには、やはりすべてにおいて、面倒くさがらずにていねいにしなければいけないのだと思います。相変わらず劣化した日常を変えられないでいる自分が本当に問われています。

あくまで自分の体をいたわるように、やさしくさすっただけで技がかかる。結果として「押すことができる」そこに「力」は不要です。エネルギーがどれだけすごいものか、に改めて気づかせていただきました。


ところで、合宿の一日目の最初に、自分は最初に先生に言われたことができませんでした。列になっている8人の人を押すことが全くできませんでした。しかし、その時に宇城先生が「はじめはできなかったけど、先生のご指導によってできるようになった塾生」を自分の指導に当てていただいて、できるようになりました。その際、「出来ないことが悪いことじゃない。」「できなかった人ができるようになると、その人は、それを他のできない人に伝えることができる」と仰いました。この言葉は本当に真実だなと感じました。そして、これこそ現代の教育の中で失われてしまった「本来の教育のあり方」なんだなと思います。先生から教わったことが「できた」「できない」で教室の中の優劣が決められ、「できない」者をどんどん差別し排除していく日本の教育は、もはやあちらこちらで崩壊しているにもかかわらず、「わかる」生徒ばかりを大事にし「わからない」とこぼす生徒をどんどん落ちこぼしています。できなかったけど、他の生徒に助けられてできるようになった生徒が授業をした方がはるかに良いように思います。人から教わって自分ができるようになることはうれしいことです。そこにはエネルギーが宿るのだと思います。そしてそのエネルギーがどんどん他の人に広がっていく、うれしさも広がっていくのだと思います。


しかし、一方、これだけたくさん長く教えていただきながら「できない」自分がいるということは、自分としては情けないことでもあります。日頃の「精進」が全く足りてないのだと思います。自分たちで検証する時間帯に、「教師は対立しがち」と先生のご指摘を受けましたが、ほとんど職業病だと言ってもいいかもしれません。「寄り添う」とか、「子どもたちや生徒たちの想いをまず受け止める」ということを目的にしていても結果としては「支配」「被支配」の関係から抜け出せていないとすれば、何はともあれ自分が本当に変わらなければ…と強く感じました。

最後に、今回の合宿でも多くの塾生との交わりも得させていただきました。これは本当に貴重な交わりです。皆さんそれぞれにいろんな課題を抱えていて、先生からいただくエネルギーによって、その課題に対してしっかり向き合っていました。ただ、圧倒的に強力な先生の「エネルギー」をいただきながら、それに応えて「成果」「変化」を出せていないことを悔しく思っている方も少なくないようでした。自分もその一人です。

しかし、今回の合同合宿でいただいた途方もないエネルギーを少しでも長く持続させながら、自分を変えていきたいと願っています。

どうぞこれからもご指導をよろしくお願いいたします。

どんなにハードスケジュールでも体調を崩すことなく、計り知れないエネルギーとパワーで多くの塾生をご指導いただく宇城先生に、心から感謝いたします。

宇城先生、この度の合同合宿でのご指導、本当にありがとうございました。



●福島 会社員 60代 男性 MO


宇城先生、合宿でのご指導まことにありがとうございました。

今回の合宿では、エネルギーと細胞と寄り添う心調和の心について、 徹底して検証を深めた合宿内容であったと思います。

実践検証においては、多人数の列を調和で押す検証、2人組で宇城先生の気により通常ではできない事が簡単にできてしまうこと、押さえられた相手を簡単に投げられる事、足上げが宇城先生の指導で軽く通常より高く上がってしまう事、正座して多人数に肩を押さえられた時は、苦しくて何もできないのですが、宇城先生に気をかけられると力がみなぎり、簡単に立ち上がれました。

気による細胞の活性化とエネルギーだと思います。


合宿最後の検証は、多人数の列を押し動かす時、傍らの体調が悪くかがんだ人に、大丈夫ですかと寄り添うことで、多人数を動かす調和のエネルギーを得る事です。

また、寄り添われた人も同様に列を動かせます。あと、寄り添った人が列の脇を通るだけで列が動いてしまいます。

合宿では様々な検証を大勢でできることが良いです。


できない時、なぜできないか他の人を見てわかる時があります。

宇城先生が最後に言われた事で、検証ができるできないではなく、その過程が大切であること。

それは合宿から帰り日常で実践稽古できる事です。

満員電車でお年寄りに席を譲っている自分、どうしようかなの頭での思考ではなく、考える前に行動している自分になる事が大切です。

道塾合宿で、温かくも時折厳しく指導して下さる宇城先生に感謝します。

ありがとうございました。



●東京 会社員 40代 女性 NS


子供に戻ることを目指すと、合宿の最初に示していただいてから、様々な気が通る検証を体験させていただきました。


周りにはたくさんの仲間がいて、そこには忖度は一切なく、また子供には遠慮等がないということを思い出させていただきました。

どうしても遠慮してしまう、自意識が働いてしまうという悩みは嘘で、自作自演だと、止められないものではなく、やめられるものだと、体験させていただきました。


エネルギーがないから、悩みがあり、我がある。無意識で動けないから、意識と筋力で動いてしまいます。


エネルギーがある状態であるためには、自身を撫でる、そしたら手が水月辺りにくっつく。呼吸法。身体は生命の危険を感じた時に目覚めること等、体験させてくださいました。そして合宿の締めには寄り添うことへと繋げてくださいました。


個人的な気づきとしては、たくさんの人の列に後ろから押さえられているところ、まず腕を振ってから前進すると列ごと動ける実践を体験いたしました。

その際、最初全然動かなく、今までのわたしだったら、その段階で「できない」と諦めていました。しかし、映像や体験会で、子供たちがすぐに列やスクラムが動かなくても、素直に押し続けたら倒れるところを見させていただいていたので、そのことを思い出し、諦めずに動きを止めずやり続けたら、列は動きました。

これまで、インスタントの身体の動かし方が当たり前になってしまったため、ちょっとやっただけでできなかったらそれはできない、という感覚がついてしまっているという気づきがありました。そして本来の人間の可能性を諦めていました。子供たちに教えられました。


また、2日目の最初に呼吸ができているかの検証も行われましたが、その際先生から「普段やっているかどうか。その時だけのインスタントは毒」という言葉を聞いてギクッとしました。呼吸ができていないという自覚はあり課題と感じていましたが、本当に稽古じゃない時も、ちゃんと呼吸をするようにしていたか。そこまで徹底はできていませんでした。見せかけのやる気、やっているつもりはだめで、普段の行いにすべてが出ると思い、反省しました。


呼吸については、先生も行ってくださり、わたしたちが先生と一緒に呼吸するという実践がありましたが、今までの吐くというのが、筋力による押すのと同じで、筋力で吐いていると思いました。先生の呼吸は、押す(吐く)をそこまでもかというくらい我慢して、相当押さない(吐かない)としないとわたしはできませんでした。もっと徹底してやらなければと思いました。


最後に寄り添いの実践で合宿を結んでくださいました。心のないことが当たり前になってきた世の中、寄り添いの場は毎日たくさんあります。

実践の場はたくさんあります。24時間修行です。呼吸ができていない状態でいられる時間は本来ないはずです。準備体操という発想は本末転倒です。

しかし、24時間呼吸ができている状態でいることができておりませんでした。そのことを反省し、こうして感想文を書かせていただいている今も、呼吸ができているか、止めていないか、意識しております。


合宿でどれだけ吸収できるか、できるかできないかではなく、それまでの、先生にお会いした時に、それまでの生き方、やってきたかどうかですべてが決まると思いました。意識と覚悟不足を自身に感じました。日々の在り方がすべてで、嘘のない毎日を生きます。


合宿に参加させていただき、数々の貴重な体験をさせていただき、たくさんの気づきをくださり、誠にありがとうございました。これからもご指導の程、よろしくお願いいたします。




●神奈川 パイロット 60代 男性 TK


初日に、数人の列を押すという実践がありました。

この実践は、もう何度も経験したものです。

しかしながら、いまだに自分達は「できる」「できない」に拘ってしまいます。

そして、無意識のうちに「できる」=〇、「できない」=×、という評価を自分自身に課しています。

これが、まさに学校教育の弊害なのだと感じます。


その中で、力を使っていて、「できない」状態から、先生のご指導により、「できる」状態に変わった塾生がいました。

その後、その人が別の同じような塾生を指導し、その人をできる状態に変化させることができました。

それは、彼自身が自分の変化を感じ取り、それを指針に人を指導したからだと思います。

そして、最初にうまくいかなかったから、他人を指導できるようになったと言い換えることもできると思います。これは、単純な〇×では測れない部分です。


先生のご指導の下、我々は色々な実践を通じて学びの機会をいただいています。

それは、「できる」「できない」という単純なものではなく、もっとその奥に意味があるものだと思います。

その、より深い意味に気づかなければいけないのだと思います。

同じ実践でも、その時々で感じることが変わります。

できたことができなくなったりもします。

では、その差は何なのか、常に一つひとつの実践からフィードバックできるチャンスがあるのに、それを生かし切れていないのではないかと感じています。


ただ何も考えずに、実践(行動)すること。

そこから得られた気づきを、フィードバックに繋げること。

そして、それらを日常に生かすこと。

これが自分自身を見つめ直すチャンスに繋がるのだと感じました。

ありがとうございました。



●兵庫 教員 50代 男性 MS


宇城先生、合宿でのご指導ありがとうございました。

さまざまな実践があり、どの実践も素晴らしかったですが、特に縦に数人連なった列を押す実践から多くのことを学ぶことができました。後ろを向く、横を向く、胸を開くように腕を開くなど、列の前に立っただけで対立になる自分を調和に変える方法を実践しましたが、中でも初めて行った自分の胸をさすることでエネルギーが生まれる方法に驚き、感動しました。また、どの方法でも押せるので、これまで横並びに考えてしまっていましたが、複数の方法を同時にさせていただいて初めてそうではないことに気付かされました。特に「寄り添う」「寄り添われる」ことで生まれるエネルギーの大きさを見誤っていました。日頃、教頭として教員に寄り添うことを念頭に仕事をしながら、こんな認識では、これまで形だけで寄り添うことができていなかったのではないかと思います。


他にも、力で押してしまったり、うまくできなかったりして、自分の見栄や焦り、羞恥心、雑さなど、自分のなくしたい、隠したいことが露わになりました。これまでの日常や仕事、空手の稽古などで克服してきたつもりが、認識が甘かったことに気付かせていただきました。


筋トレ、勝利至上主義の部活動、知識、受験対策偏重の授業など、学校では子供を自滅に向かわせることが多すぎて、何か絶望的な気持ちになることもありますが、宇城先生に道塾・実践塾・講演会などでご指導いただき、エネルギーをいただくことで、前を向いて日常に向かえております。今回教えていただいたこと、気付かせていただいたことを糧に実践していきたいと思います。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。



●神奈川 映像制作 30代 男性 YT


宇城先生、合宿でのご指導ありがとうございました。

この2日間が一瞬に感じるほど濃密でエネルギーに満ち溢れたご指導をいただきありがとうございます。


今回の合宿で特に「対立」と「エネルギー」について改めて学ばせていただきました。


対立と調和の検証をする中で「対立は対立しか生まない」「対立を生んでいるのは自分自身」という先生の実証と話に、自分が普段の日常や仕事のなかで対立した状態になっているか、周囲との対立を生んで自身や組織を崩壊する方向にもっていっているか、エネルギーを消費するだけの状態になっているかを新ためて感じました。


合宿前、会社組織の中で不協和の状態が続いていて、どうしたら良くできるか、解決できるかを悩んでいましたが、結局は自分自身が対立を生み出していること、悩みが頭・理屈で考えていてそれがさらなる対立を生み出していることにつながっているのだということに、先生の話を聞いてハッとさせられました。


一方で、全ては人に備わるエネルギーで解決できると、経験論や理論ではなく常に実証と実践で道を示していただき、改めて人に本来備わっているエネルギーのすごさ・無限の可能性が大きな希望、原動力となっています。


様々な実証の中で特に感じたのは、十数人の列で自分の肩を掴んでいる状態で、先頭の自分が先生の身体に指先で触れ、先生の身体から指が離れた瞬間、自分を含め列全体が動きまわる検証でした。


今までも何度か経験させていただきましたが、これまでは後ろの人が肩を掴んでいる感触や後ろの人たちが引っ張られないように踏ん張っている重さを感じながらグイグイと重いものを引くように自分の身体が動いていく感覚でしたが、今回は最初はそのような感覚があったのですが、時間が経つにつれ自分のお腹の底から何かが溢れ出てきて止められない感覚があり、肩を掴まれている感覚も、引っ張られないように踏ん張っている重さも忘れ、本当に羽が生えたように身体がものすごく軽くなり、気が付いたら十数人の列を引っ張りながら会場中を全力疾走していました。


先生に止めていただいてようやく身体が止まりましたが、止めていただかなければ会場中をまだまだずっと走り回っている、そんな感覚があり、止まったあと後ろの人たちをみたら息も絶え絶えになっているなかで、自分は疲労感もなく、この不思議な感覚にずっとワクワクしてる状態で、改めて人に備わっているエネルギーの凄さや無限の可能性の一端を全身で感じました。


いまでも思い出すだけで身体が勝手に動き出しますが、改めて先生にこのようなご指導をいただけることに感謝いたします。

常に未来を見据えて実践・実証でご指導いただき、言い訳も妥協も通用しない厳しさのなかで先生みたいになりたい・できるようになりたいと大きな希望・進むべき確かな道を示していただいているおかげで前に進めております。


今の自分にできる先生への唯一の恩返しは、今の自分を変え成長することだと思います。

先生にご指導いただけること、寄り添っていただいることを当たり前に思わず、合宿の時のように1日1日を出し切れるように日常に活かしてまいります。

改めまして2日間に渡る合宿でのご指導、本当にありがとうございました。



●東京 会社員 50代 男性 TT


宇城先生、ご指導の程、誠にありがとうございました。

ここのところ、仕事が忙しく、また親の介護の問題もあり、今回の道塾合宿参加はどうしようかと迷った事もありましたが、参加して良かったと思いました。

エネルギーを沢山頂きました。ありがとうございました。

忙しくて時間がない時は気持ちも焦り、合宿を休めばそれだけ時間を別に使えるとの誘惑が芽生えることもありますが、それでも何とか時間を作って参加すれば、結果元気になりますし、ずっと継続しているという自信にもなります。

講義の中でも、継続する事が大事とのお話がございましたが、こうして忙しくても続けて参加する事で、自分の中に揺るぎない信念が形成されていくように思います。


中学3年の時に親の転勤で、京都から千葉へ転校する事となり、その時に担任の先生に頂いた色紙に「継続は力なり」とあって、元々不器用で努力型の人間でしたので、それ以来自分の座右の銘としてきました。

しかし、幼い頃より武道が好きで、10才から始めた競技武道を37才で宇城先生に出会うまで続けておりましたので、27年間、間違った努力をしていた事になります。

頭では間違っていることを理解出来ても身体の癖はなかなか抜けず、間違った努力継続は何もやってこなかったよりもタチが悪いと実感しております。

宇城先生から、いつも何が間違っていて、何が正しいのか、色々とご指導頂いております。

長年かけた継続によってついてしまった癖ですが、その癖をとり、正しい心身を作るのも継続しかないと思います。

そして癖の除去を加速させていくためには、道塾や実践塾に参加した時だけでは全く時間が足りませんので、毎日24時間修行ととらまえて、正しい事を継続していくしかないと思いました。


また、困っている人に寄り添うことで、エネルギーが生まれる検証は今までも何度も行っておりましたが、今回、寄り添ったあとにいつものように押すのではなく、その横を通るだけで、エネルギーが伝播し、列が動く検証を行いました。

とても希望が湧きました。大きな組織におりますと、1人が何かやっても組織は変わらないと思ってしまいがちですが、エネルギーを持って動けば、周りに良い影響は与えているのだと改めて思いました。

周りに流される事なく、人間性を失う事もなく、調和して困っている人に寄り添い、エネルギーの生まれる行動を実践していきたいと思います。

胸を撫でることでエネルギーが生まれる検証も行いましたが、これは自分自身に寄り添っているように感じました。

自分自身に寄り添うのは、自己中心や自分勝手とは少し違うように思います。

道塾合宿の最後の締めの検証として寄り添いがございましたが、他人にも自分自身にも寄り添う事が大事だと改めて感じました。

色々と気付かせるご指導を頂き、ありがとうございます。

また、気付くか気付かないかは、自分自身の日々の行動によると思いますので、日常を修行の場ととらまえて精進してまいります。

引き続き、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。



●千葉 自営業 30代 男性 YT


宇城先生、道塾合宿は大変学びのある講義を頂きまして誠にありがとうございました。

また、全国の道塾生も学び合える事、感謝申し上げます。

初日のみの参加がとても悔やまれますがそれでも普段の道塾とは、またレベルの違う濃い時間を過ごす事ができたと感じております。


今回のテーマである子供に戻ると言う身体の強さを初めから体験でき、大変貴重なお時間をいただけたと思います。

そして今回、実践を通して学ぶと言う事は?と言うことを、細胞を通して身体に刻むことができたように思います。


列になり、1番先頭の人がその列を押していくという検証の中で正面に立った状態では押せない。

意識を後ろ側に向けて衝突をなくして押すと列は動く。

それでも、目の前の衝突が消せずできない人がいると言う事、それ以外にも横を向いて、後ろを向いて、そして手を広げ、ハグをするようにするといとも簡単にできると言う事を検証させて頂き、初めは意識だけで行っていましたができない人が現れる度に検証の仕方を変えご指導くださり全員がで『出来る』という事を当たり前に指導してくださる先生に感銘を頂きました。

できないことに気を落とすわけではなく、そこからどうすればできるのかと言う模索をする力をつけていかなければいけないと感じました。できない人ができた時、同じようにできない方を指導もできるようになる。

これは頭ではなく、身体に刻まれた事だから自分だけでなく、他人にも指導できることが本当の指導方法だと思いました。


列を押すと言うのは、ただの検証でありそれが直接日常の中で何かに役に立つと言う事は無いのかもしれませんが、フィードバックを得て次に活かすと言う事は日常に活かせるものだと思います。

しかし、頭脳優位で検証していると、ただ押せた押せないと言うものだけにこだわるようになってしまいます。


それではインスタントの検証であり、レベルが低いまま何も自分の中で変化できない。

しかし、先生は一人一人に合わせた的確なアドバイスをして、できないをできるに変化させて頂けました。

押す事ができる成功体験でも質の違いを身体で感じ、それを塾生同士で共有する事ができる唯一無二の場でありました。

自分ができない事、できた事どちらも学びがなくてはいけない、創意工夫をしていく実践的な学びを得た内容でした。


先生から教わる事を日常で実践すると言うことがなかなか難しく感じていましたが、なぜそれができないかと言うことを考えた時に、先生から習っているということに満足をしているだけだと最近気づきました。

言い換えると先生から学び自分ができないという事にに酔っているだけかもしれません。

学ぶ事が目的ではなく、学んだ先に何を創造していくか、それを日常に生かした時に何が生まれたかを先生にご報告できるようにならなければこの先いかないと感じました。


また今回、地球は太陽に照らされている。塾生は、師匠から照らされていると言うお言葉を大変胸に突き刺さるお言葉でした。師匠とは自分を殺してでも生き様を真似したい存在だと思います。

自分(我)があると言う事は師を移すことができず、どうすればそのままの姿を移せるかと言うことを考えさせられたお言葉を頂けましたので我を捨て、常に先生ならどう考え、行動するかを突き詰めていきたいと思います。

宇城先生の事を師として言う覚悟がまだまだ足りていないように感じております。

自分を通して先生を見られた時にどう相手に感じさせてしまうかも自分次第ですので先生の顔に泥を塗らない様に精進してまいります。


今回の合宿は宇城先生の弟子としての認識を改め、先生からの教えを日常の変化に活かせていけるようにと強く思える秋の合宿でした。

日々精進してまいりますのでこれからもご指導の程よろしくお願い申し上げます。



●福岡 会社員 30代 男性 SM


この度の宇城道塾合同合宿もありがとうございました。

2日間、全国の塾生とともに素晴らしい時間を過ごす事ができました。感謝申し上げます。


冒頭、「なぜ、私たちは進展しながら自滅に向かうのか」と板書され、自滅のさらに先には破滅が待っていることを示されました。

子どもから大人に向かう(本来進展すべき)プロセスに課題があり、そこに変化をもたらす事が重要であること、その変化とは、大人であり続けながら、もう一度子どもに戻っていくような営みだとお話しされました。

私たちが子どもから大人になる中で身につけてしまった癖、特に、心よりも頭・意識の働きを優先させてしまい、調和ではなく対立の構造を作り出していることを多くの実技検証により気づかせていただきました。


向かい合って列を押そうとするとき、目の前の押す箇所にばかり意識が行ってしまい、全体が全く見えていないということがありました。

そこで、1番後ろの人にフォーカスすると空気が変わり、列を押すことができました。

また、別のやり方では、「どうぞ」という気持ちで両手を広げ、列全体を包み込むようにすると、これも列を押すことが出来ました。

また、列と正面に向かい合うのではなく横を向いて対立を解く、列と同じ方向を向く、あるいは、自分の身体を大事に撫でる、困っている人に「大丈夫ですか?」とお声掛けをしてから、などさまざまなやり方で、身体でその違いを感じる機会をたくさん作っていただきました。


言葉ではなく身体の感覚を通してその差を感じ取る。

それを自らにフィードバックするという気づきの在り方を学ばせていただきました。

今回の合宿の中で特に心に残りましたのは、「できない」こと自体が悪いのではないということです。

そこに留まることが好ましくないのだと思いました。

先生がお話されたラーメンの茹で時間の例えで、1分間だと麺が硬い、6分間だと柔らかすぎる。

では適切な時間はその間にある、と分かります。そこからさらに、2分間ではどうか?

5分間ではどうか?と追究していき、3分間が適正ではないか、とたどり着くことができます。最初から3分間と分かるというよりも、検証を繰り返した結果、ひとつの最適解に収束していく、という気づきの在り方です。

実技の中でも、最初うまく列を押せなかった方がいたところ、先生のご指示で別の塾生が指導をされました。

もう少し腕の力を抜いて、困っている人に寄り添った気持ちを切らずにそのまま、などアドバイスをされると、次はスムーズに押せるようになるなど変化がありました。そして、次にはその方が別の方を指導するという場面もありました。

最初上手くできなかったことで、かえって、できることとできないことの差が身をもってわかり、できない人を導くことができるということも気づきでした。

「できる=良い」、「できない=悪い」という二元論で、できない自分に落ち込むのではなく、うまくできないという結果をフィードバックして、前回とは異なる工夫を行ない、変化を自分の中に生み出していくことが大事だと感じています。

先生のご著書で引用されていたアインシュタインの言葉「同じことをしながら、違う結果を求めるのは狂気である」にも思いを致しました。

ご指導の中で、先生が紐を垂らすだけで列を押すという実技がありました。

塾生が同じように紐を持っても全く何も変化は生じません。

その違いについては、列を押せる押せないという結果の部分は認識できても、押す前に両者が本質的にどう異なるかはまだまだ自分は分かりませんでした。

先生と塾生だと前に立った時の雰囲気が違うな、という程度でしか感知することができません。境地が深まっていくことで、明確に違いがわかり自身の身体で当然に表現できるという状態がすなわち、できるということではないかと感じました。


宇城先生は、塾生一人ひとりをパッと見て、できない原因を瞬時に見抜き、かつ、具体的にどこを直せばよいか分かった上で本人に気づかせる形でご指導をくださいます。世の中の指導者と呼ばれる方々は言葉や概念で指導をする人がほとんどだと思います。やって見せる、そして、塾生に「できる」状態を先取りで体験させて気づかせるというご指導をくださる方は他に居ないと思います。できる姿を常に先に示し、できないからできる身体へ瞬時に導いてくださる師の存在のありがたさを、自分自身がどこまで本質的に理解し、謙虚に学ぶことができるか。変化の鍵は自分自身の中にあることを忘れず、エネルギーを持って、家庭、職場で過ごして行きたいと思います。

懇親会でも貴重なご指導をいただき、感謝申し上げます。

調子に乗らない、これを肝に銘じていきます。

ありがとうございました。



●神奈川 主婦 70代 女性 RS


宇城先生、御指導をどうもありがとうございました。


2日目午後の実技で、8人のガッチリつながっている皆さんを押すというのがありました。

うずくまっている人に、「大丈夫ですか?」と声をかけ、そのあと押すと後ろに押されていきました。

声をかけられた人になって押しても、列を押すことができました。

でも、最後の、うずくまっている人に声をかけた後、列の横を歩いて行って、その列が押されたわけでもないのに後ろに下がって行くというのができませんでした。

列の先頭のOさんが、少しは感じられるけど動くほどの、、、、と言ってくださいました。

1日目、2日目と実技の課題を今までよりできていたと感じていたので、つい、どうしてだろうと考えてしまいました。

宇城先生のおかげで、会場の塾生の皆さんのおかげで、この心地良い空間で動かせていただいているのを、自分もできると、自分、自分と思っていたからではないかと反省しております。


ホテルからの帰りのバスの中で、Sさんにできなかったと話したら、「どこまで歩いた?」と聞いてくださり「列の終わりで止まらず、ずっと先まで行ったら動いたかもしれないよ。

風がだんだんと伝わってくるように、前へ前へ行ったら後から動きがついてきたかも」と言ってくださいました。

謙虚でなくなっていたあの時では、どこまで歩いても無理だったと思いますが、Sさんのお話には宇城先生の教えがあり、今までご指導いただいたあれこれが思い出されました。

気付きをいただいてありがたかったです。


また、気付きに関わってですが、今回の合宿では夕食の席や二次会の席で、宇城先生に繋がったきっかけ等をお聞きする機会に恵まれました。それも、先輩方に私から声をかけさせていただいて、なのです。

端に座って聞くばかりだったのに、自分の変わりようにびっくりしましたが皆さんにこやかに応じてくださり、話が弾みました。

耳の聞こえが今少しで迷ったのですが、やはり合宿に来て良かったと心底思いました。

お一人の方が、「宇城先生と私たちは繋がっている。宇城先生は一人ひとりと繋がる紐を握っている」とおっしゃいました。そうであれば、先生との紐をより太くするべく自分が精進すればよいわけです。

あ、また頭で考えてしまいました。でも、紐が繋がっていると思うと安心感があります。

ありがたいことです。

宇城先生の教えを日常に落とし込んで、自分のできることを一生懸命にしていきます。

これからもご指導をよろしくお願い申し上げます。

ありがとうございました。



●奈良 主婦 40代 女性 KM


この度の秋季合同合宿でのご指導をいただきまして誠にありがとうございました。


細胞で感じる 細胞に聞くとはどういうことか自分がどういう状態であるのかをじっくり向き合うことをさせていただいた2日間でした。


合宿でご指導いただき自分のあり方の問題、自分の課題、多くの気づきをいただき、あの実践、この実践から見えてくる自分のあり方を考えさせられることばかりです。

全てにおいてまずは自分が変わらないと何も変わるはずがないと感じました。

そして今のままでは周りの人間の身体にも伝わっているのだから自分をすぐにでも変えていかないとその淀んだ空気にどっぷりと浸ったままのような状態になってしまうから今を変えていくことが重要だと思いました。


お腹が痛い人に寄り添ってから列の横を歩く実践では、寄り添われたほうが歩いても同じく列が動いていきました。

寄り添った方も寄り添われた方もどちらもエネルギーがあるということを見せていただき自分のあり方が全てに影響することをしっかりと心においていこうと思いました。

寄り添って列の一番前の方を押す実践では、列は動いたものの押すときに少し衝突も感じました。

日常の自分のあり方が自分の欲、思い込み、見かけだけ、対立が勝った状態になっていないか、心から人に寄り添いができているのかということに向き合いさせていただきました。

そしてすぐに切り替えてしまう課題もこの実践で自分に気づきをいただきました。

自分が考えていた寄り添うや人のためには、本当の人が喜ぶことにはなっていなかったのではないかと考えるようになりました。


宇城先生がいつも「人が喜ぶことをする」とお話してくださいます。

そこでも自分の我欲が入ってしまっていたのではないか、頭で考えての行動になっていたのではないかと感じることが自分のあり方の中に見えてきます。

人が喜ぶことをするというのも心、真剣が土台にあるからこそ人が喜ぶことに繋がっていくのかと思います。

自分の欲、自分の思い、見かけだけ、頭で考えるが土台にあるようでは、それは真の寄り添い、人が喜ぶことにはならないのだと感じました。


心に残っている実践で2人になって手を繋ぎぐるぐる回ったあとに行われた実践があります。自分の後ろに人が肩を軽く持って10名くらいが列になりついてくるというものがありました。


私は列がついてきてるか一瞬不安になって後ろを確認したいという気持ちになりました。しかし自分の胸のあたりからそのまま進めと、そのまま前に行ったらいいということを感じ、振り返らずにそのまま身体の言う通りに任せて振り向かず進んでみました。

そしてある程度してから後ろを振り返ると列がついてきていました。

身体(細胞)は分かっているのに自分が不安(頭)になってしまいそうな状況から身体(細胞)が引っ張ってくれたようにも感じます。


そしてその後の呼吸があまりにもクリアで言葉では説明できない透き通っているクリアな中での呼吸ができました。

そのクリアを感じられたのは数分、数秒、どれくらいか分からないけれども、この2つの体験は初めての体験でした。


決して自分では気づけないことを宇城先生にご指導いただき自分がどういう状態であるか、本来の人間のエネルギー、皆が幸せになることを示し導いてくださっていることを改めて身体で感じさせていただいた2日間でした。

この度の気づき、今までの気づき、これからの気づき、すべてが繋がる生き方になっていくよう日常で自分に向き合い修行を続けて参ります。


宇城先生のもと全国の塾生の方々と2日間共に学ばせていただくこの時間はどこにもない本当にかけがえのないものであります。

合宿でのご指導をいただきまして誠にありがとうございました。

合宿の終わりが始まりの気持ちでおります。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。



●大阪 介護福祉 60代 男性 HN


宇城先生本当に沢山のエネルギーを頂きありがとうございました。

何をするにもエネルギーが無ければ前に進まない、後退している位の思いです。

身体が若返った感じがします。本当にこのまま子供時代に帰りたいです。

でたらめな政治で先の見えない自分さえ良ければしか考えていない閣僚で、自分のことは自分で切り開いていくしかない。

目の前で起こっていることは事実で、細胞が伸びたり、縮んだり、細くなったり、太くなったり自由自在に細胞を扱え、それを自分で感じることが出来とてもうれしくなりました。知識は要らないとは分かっていても頭で考えてしまう自分、完全に洗脳されています。スポーツ組織の中ではどうしようもない、誰かのお金儲けの世界しかない。又今迄のラジオ体操は身体を破壊していることもよく分かりました。

衝突することで弱くなり、調和することで強くなることも身体で感じることも出来、この感触は、やはり合宿でしか感じることが出来ないと思います。一番偉大なのはやはり寄り添う思い、席を譲っている自分ですね。これからも、心がけていきます。

心地良い筋肉痛で一日、一日回復に向かっています。ありがとうございました。

これからもご指導宜しくお願い致します。



●岡山 販売業 50代 男性 TS


宇城先生 今回も愛のあるご指導誠にありがとうございました。

今回は、初めて2次会から2日目終日参加させて頂き、今までにない充実感を感じることが出来ました。

1日の中で空気が変わり、空間が変わり、心が調和し清らかになる感覚を時が経つごとにものすごく感じました。


そして最後には、言葉での表現が難しいですがこの空間、仲間と一体化し、全体に気が流れ、細胞が“出来る“と認識していたようになってました。

これがスピリチュアルでなく目に見えない実証なんだと強く思いました。

今後、日常から深い呼吸を継続し、寄り添い、愛を持って実践し自身が関わることで自然に実証に繋がり、気づき気づかせ伝えられるよう日々精進致します。



●大阪 歯科衛生士 50代 女性 HN


2日間の道塾合宿でのご指導をありがとうございました。

今回の合宿では、楽しかった時間とともに、自分がいかに対立しているかを何度も体感し、深く考えさせられた貴重な学びの場となりました。

表題の「なぜ、私たちは進展しながら、自滅に向かっているのか」という問いかけ、子供にできて(調和力)、大人にできない(対立力)現実。

本当に深いテーマで、自分では気づいていない対立構造にあることを自覚させていただきました。

初日の講義では、列になった人を力ではなく調和力で押すというものでした。

普通に押せばもちろん対立し、人数の多い列が動くはずはありません。

そのことは押さなくても分かりますが、いざ手を伸ばすと「押そう」という意識が働き、明らかに手のひらに摩擦が生じます。

一番後ろの人に焦点を合わせると調和して押せるという検証でしたが、なかなかうまくできませんでした。

その時は何でできないのだろう?という「できる」「できない」に意識が働いてしまいました。

しかし、そのことにこだわってしまうと、調和の原点である自分をゼロ化することが出来ません。

できないことよりも、出来ることに向かうステップが大切なのだと思えたことが、今回の合宿での一番の学びでした。

次に、横を向いてから押すという検証では、顔は横を向いていても、列の方に意識が向いてしまい押せませんでした。

しかし、しっかり意識も視線も横に向けると対立が消え、少しだけ押すことが出来ました。

また、背中を向け、完全に対立を消してから、振り返って押すと、さらに簡単に押すことが出来ました。

この3つの検証から、人と向き合った時、自分では全く気づきませんが、もうすでに対立が生じているということが分かりました。

宇城先生の下で、何年も学ばせていただいているにもかかわらず、上辺だけの学びをしているために、いつまでたっても対立構造が取れないのだと思いいたりました。

この無意識は日常ではもっと顕著に出ているのだと思うと、自分を変えることの難しさを実感しました。

同じような検証を2日目もさせていただきました。

今度は、お腹が痛いとうずくまっている人に寄り添うと、寄り添った人も、寄り添われた人もエネルギーを得て、対立が消えて、列を押すことが出来るというものでした。今までも何度か同じ検証をさせていただいておりますが、この寄り添う時に、ただ「大丈夫ですか?」と検証のための声掛けや、両手を添えずに言葉でだけで「大丈夫ですか?」と声掛けした場合は、心が伴わず、列を押すことはできませんでした。

このことは、普段は寄り添う気持ちを大切にしよう!と思っていても、実際には作業としてやっていることがあるということに気づきかせていただきました。

次に、寄り添った人、寄り添われた人が列の横を通っただけで、列が倒れていくという検証がありました。

私はこの検証では、列を動かすことが出来ませんでした。

これこそ、自分の我がでていて、寄り添っていただいた気持ちを受け止め切れていなかったのではないかと反省しています。

寄り添ってもらった時の心がほっとする、温かくなく感覚があるのに、いざ立ち上がって動き出すと、感謝の気持ちも忘れて自分が出でいるのだと思いました。

検証を通して、「自滅に向かっている」自分を知ることが出来ました。

日常生活で、自分のことばかり考えているのではないか?

他人を思いやる気持ちが足りないのではないか?

今の自分を良しとしているのではないか?

いろんな思いが溢れだし、自分で自分のことを何も分かっていないことに気づかせていただきました。このように自分自身に向き合う機会を得ることが出来ましたことは本当に貴重な体験です。ありがとうございました。

合宿の醍醐味は、40人50人の大人が悲鳴を上げたり、息を切らしたりして、子供のようにワクワクできることです。

普段は眠っているエネルギーを開花したような状態でした。

宇城先生という太陽を中心に、塾生全員が惑星のように先生の重力に惹きつけられながらエネルギーを満たしていただきました。

子供にできて、大人にできないことの大きな違いの一つは持っているエネルギーです。

私たちは、細胞を眠らせてしまっていて、本来持っている力を封じ込めていることを、合宿では体験させていただきました。

植物は二酸化炭素を吸収して酸素を産出しますが、私たちは酸素を取り込んで消費して二酸化炭素を出すだけだとお話がありました。

消費するだけでは疲れてしまいますが、細胞を活性化し、エネルギーを生産できるよう、日常生活を改め、学びを深めて参ります。

まだまだ、変化できないでおりますが、今回の合宿で得た気づきを実践していきます。

本当に貴重なご指導をありがとうございました。

引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。



●大阪 大学教員 60代 男性 TM


宇城先生、2日間の秋季道塾合宿でのご指導、誠にありがとうございました。

「エネルギーは細胞が働きかける」「知識ではなく細胞で・・・」。

2日間のすべてが気づきであり、学びの深さを改めて感じる時間となりました。

今回は講義、実践の時間だけではなく、寝食を共にさせていただく中で、日常を通してエネルギーの大きさ、本質、真剣とは、、、。今後の自身のあり方を見つめ直す機会にもなりました。

私自身、今回が初めての合宿参加でしたが、全国からこれまでも参加されておられる塾生の方々との時間を共有させていただけることもすごく楽しみにしておりました。


2日間の実践を通して、また懇親会の時間の中にも普段は気づけない、見過ごしている、経験できないエキスが詰まっておりその一体感に無限のエネルギーを感じました。

また普段の道塾だけでは感じることができない宇城先生の気(エネルギー)を改めて身体を通して、また全国の塾生の方々からも感じることができましたことは何物にも代えがたいものでした。そして今回の合宿の2日間はまったく時間が止まることがありませんでした、それはエネルギーが途切れることがないという新たな気づきでもありました。

まさに「24時間が実践、稽古」であり、勉強の場であるという事を実感することができ、疲れを感じる時間がないくらい大きなエネルギーを共有させていただく体験、経験ができました。

「疲れている時はエネルギーが下がっている」という先生のお言葉にもありますように、子どもたちを見ていますと疲れを知らないという言葉が当てはまりますし、大人との差を感じずにはいられません。


今回の合宿では、ずっとエネルギーが湧き上がっているのを感じましたし、それが時間と共に深まり、統一体、調和融合、そしてエネルギーが入った人はそのエネルギーが周りにも連鎖していく。それは競争、勝ち負けではない世界であり、お互いが笑顔になる。それは真剣さからくるものでもあり、宇城先生がそれを引き出し、そしてお互いを引き出し合っている空気感に包まれておりました。

そして2日間を通して、何よりも師に対する一人ひとりの真剣な眼差し(心のあり方)が印象的でした。

これが真の教育に必要であると改めて感じます。だからこそ先生は実践、日常を通して「常に勉強」と仰っているのだと思います。


そして休憩の時間も、気づくと先生の周りには塾生が集まっており、後ろから見ていましても師を中心に大きな渦になっているような空気感がありました。

日常を通して止まることなく、すべてが実践であり、これまでの合宿の写真や感想文だけでは感じることができなかった空気感を自身の細胞を通して感じる時間でもありました。

「現代人は家畜、奴隷状態である」。まさに時代と共にどんどんそういった人間が増える、世の中全体がそうなっている。先生は何年も前からそこに警笛を鳴らしておられたことを今回の合宿の二日間を通して改めて感じましたし、それを私自身がまだまだキャッチできていないのだとも感じました。

そして例え何があっても先生の気にかかるとすべて吹っ飛びます。それは理屈ではない、目に見えないところに本質があるということだと思います。

また一人ひとりのエネルギーが一つになっていく大きなうねりを感じながら、最初はそのスピードの付いていくのが精いっぱいでありましたが、時間と共に自身とも真剣に向き合う時間に変わっていきました。

まさに「心あり」「実践ありき」であり、頭で考えているうちは細胞には働き掛けない、頭で考える時間がないくらいのスピードで実証、検証をしていただき、そこにエネルギーが入ると身体が変化し軽くなる。

列になり、そこに一旦エネルギーが入り動き出すと止まらなくなり、エネルギー循環が加速していく。

そのスピードは普通ではあり得ない速さであり、そこに逆らうと手が離れたり、転んだり、怪我をするはずですが、まったくそういった事がない。むしろそこに素直に身を委ねると心地よく対立することなく加速していき、そのエネルギーは身体全体に刻み込まれていく感覚がありました。

対立せず、信頼して身を任せることで力みもなく、迷い、不安、頭で考える時間がなくなり、止まった時には全身にエネルギーが行き渡る感覚がありました。


強い筋肉とは柔らかさにある。これも実証の中で明確でした。硬い筋肉は壊れてケガに繋がる。現代スポーツの「鍛える」ということが如何に危険な方向に向かっているのかということも証明されました。

そこに気づかずに指導している現代のスポーツ界。選手生命は年齢で片づけている次元の低さ。

宇城空手は年齢を重ねるほど深さに繋がります。それも先生が生き様、生き方として実証していただいております。

今回の合宿では、様々な実証を通して多くの気づきがありましたし、これまでに感じることがないエネルギー量の中で広く、深く自分を知る機会となりました。

そして、全国の道塾生との交流を通して、宇城先生が常に中心に居ていただけることがありがたく、大きな刺激、揺るがないエネルギー、宇城空手しかないことを改めて感じる経験をさせていただきました。

そして真剣に宇城先生から学ぼうとされている方々が集う合宿すべてが深い実践、自己との向き合う時間であることも確信することができました。

合宿という環境の中、塾生一人ひとりが心を開き、お互いが引き出し合い、捉われが取り除かれていく感覚がありました。

これも師の存在、宇城先生が居ていただけるからに他なりません。

言葉ではなく、止まることなく身体を通して様々な経験、実証をしていただき帰りの道中も、何とも言えないエネルギーが途切れることも消えることはありませんでした。

「優れた判断力は、頭で考えるのではなく、目に見えないところをどう感じるか」にあると感じます。

「考えるより感じろ」まさにそういったことを再確認できる時間でした。


先生のお話の中で将棋の藤井聡太氏のお話がありました。「将棋以外でどうか?」ということでしたが、これは様々なプロスポーツ選手でも同じことが言えると思います。

先生はエンジニア(仕事)、空手、居合いと様々な分野で活躍されております。まさに偏りがない、捉われがない、すべてを受け容れ、寄り添っていただけるからこそ我々も宇城空手を学ぶことができます。そこに甘えることなく、それが一人革命、稽古照今であり、人間性を磨くとは自身で気づき、前に進む道こそが自分を信じる「自信」となっていくのだと今回の合宿を通して感じました。

宇城先生はじめ、道塾事務局のみなさん、全国の塾生の方々に感謝、御礼申し上げますと共に、ここからが私自身の新たな始まりの一歩だという気持ちが更に強くなる2日間の合宿でもありました。

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