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東京実践塾 感想文 2024年4月~ 2024年7月

■ A.K 千葉 会社員

 

宇城先生、4月から7月にかけての実践塾での稽古、ご指導、どうもありがとうございました。先生に直接指導して頂くことの意味の大きさ、有り難さを強く感じた4か月でした。

 

 稽古でとくに印象に残ったことは、先生が複数の人を動かす際に、そのエネルギーが伝わるのを明確に感じたことです。

 

 7月の稽古では、6〜8人ほどで固定した長机を回転させる場面がありましたが、机に触れずに側で見ていた自分にも回転するエネルギーが伝わってきました。机が動き出すよりも早く体が動かされる(回転する)感じでした。

 

 これは机を前後左右に並行移動するときも同じで、机や机を持っている人に触れていなくとも体が中から動かされるのを感じました。

 

 同様に、6月の稽古でも10人ほどが縦に連なった列を先生が後ろに動かす場面がありましたが、この時も側で見ていてエネルギーが伝わるの感じました。この時は、先生が、①列の先頭の人の胸に触れて列全体を後ろに動かす、②先頭の人が横に水平に伸ばした手に触れて列を動かす(力学的には①より困難)、③触れずに列の横を歩くだけで列を動かす(力学的にはあり得ない)、という3つの段階を見せて頂きました。

 

 3つのいずれにおいても見ているこちらにエネルギーが伝わり、列と同じように体が動かされるのですが、③の触れずに動かした時が最も強く感じました。また、そのエネルギーに逆らえないことも印象的でした。

 

 先生はこのような実証を通じ、我々が理解しやすい形で宇城空手の可能性を示して下さっているのだと思います。たくさんの人を触れずに動かすという事実だけでも驚きですが、先生は、「日本の社会が劣化していくエネルギーのスピードは非常に速く、そのような劣化は最終的には戦争につながる」とも指摘しておられました。

 

 社会が急速に劣化する流れの中で、流されずに生き残れる可能性があるのは宇城空手だけだいうこと、そしてこのような時代において宇城空手を学び修行する意味と価値に早く気付くよう、我々に促しておられるのだと思いました。

 

 更にこの4か月ではいくつもの検証や体験をさせて頂くとともに、分解組手を直接指導して頂きました。どうもありがとうございました。特に分解組手の稽古では、これまで分からなかった型の深さについて学ぶ一方で、相手がいると一人稽古と同じようにはできないことに気付きました。

 

 また、その時できたと思っても、相手が変わるとできなくなることにも気付きました。相手を投げたいという欲や、失敗することに対する不安のようなものがあり、それが無意識のうちに動きに出るからだと思います。この欲や不安は本質的には同じものであり、結局は自分の技術に自信がないということだと思います。

 

 先生は指導の際に、「何もしない。何かしようとするから駄目になる」といつも仰っておられます。

 

 いつでもどこでも誰に対してでも変わらず同じこと、同じ型ができるようでなければ武術としては使い物にならず、稽古もそこに至るようなものでなければならないはずです。その意味でこれまでの自分の稽古は間違っていたと言えます。

 

 新たな気付きを基に稽古を見直し、やり直すことは、苦しいことではありますが、稽古をする上で目指す方向性が見えたことは嬉しいことでもあります。宇城空手を少しでも理解できるよう、引き続き精進致します。

 

 今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。


 

■Y.T 愛知 大学准教授

 

 このたびもご指導くださいまして、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。

 

 去る7月の稽古では先生よりたくさんのエネルギーをいただきました。6月から7月の実践塾まで7週間ほど空いており、日々の生活を送るなかでエネルギーがなくなっているのを実感していました。頭で頑張ろうと思っても行動に移せず悔しさと情けなさを感じる日々が続いていました。しかし7月の稽古で先生よりものすごいエネルギーをいただき、稽古終了後に自分自身がすごく活き活きしているのを実感しました。また同時に、なぜ日々の生活のなかでエネルギーが消耗してしまうのか、また消耗させずに維持するにはどうしたらよいのか、という課題をいただきました。

 

 4月から7月の稽古を通じて実感したことは、このエネルギーというものが何よりも重要であり、これをすべての土台に据えなければいけない、ということでした。7月の稽古では「何のために生きるのか?」という問いに対して無意識領域にエネルギーをインプットしてアウトプットとして変化することだ、と先生がおっしゃったことが、すーっと心に入ってきました。

 

 また、戦争、他殺、自殺、病気、災害などによってもたらされる死というものと、他力であり無意識領域レベルにある生というものについてのお話が深く心に残っており、我々は「生かさせているんだ」ということに改めて気づかせていただきました。同時に、戦争などによる死がたった5%の意識領域でもたらされるものであり、この意識領域から無意識領域に転換することがいかに重要なのか、今回の先生の講話と実証によって改めて学ばせていただきました。

 

 また、あらゆる攻撃を防御すること、しかも一撃必殺のエネルギーを秘めて防御することが大事、というお話が深く心に残っています。これまでは空手の組手レベルで理解しているところがありましたが、先生が「あらゆる」攻撃とおっしゃったことや、それには議論での攻撃も含まれる、というお話を聞き、一気に視野が広くなると同時に、仕事との結びつきも出てきて理解がより深まりました。

 

 また、体を横に振ったりジャンプしながら計算しようとしても、全然考えることができませんでしたが、宇城式ジャンプをすると計算ができるという検証をし、改めて身体と思考の関係や統一体の大事さに気づかせていただきました。

 

 また7月の稽古では木刀を真剣に変えるということで、先生がそれを何度も詳しく見せてくださいました。とくに居合の4本の型をやって触れずに列を動かす

のを間近で見せていただき、感動するとともに、それが目に焼きついています。また気を入れていただき、我々にもそれを体験させていただきました。腰から木刀を抜かれたときや、首を斬られたときに、本当に一瞬あっと斬られた感じになりました。普通では絶対に体験できないことを体験させていただいたことと、我々が目指すべき道をみせていただいたことに、深く感謝いたします。

 

 また7月の稽古では、先生が先頭の者の指先をぱちっとすると、先生が思った人だけが動くというのを見せてくださったり、ぱちっとされた先頭の者がある人を思うとその人だけが動きだすのを見せていただきました。また稽古の最後のほうでは先生が椅子に座り、木刀を腿に置き、それを二人が引き取ろうとしても取れないばかりか、二人に触れていた全員が動かされるのを実際に体験させていただき、エネルギーこそが何よりも大事であるというのを何度も何度も見せていただきました。本当に常識では考えられない世界があることをいつも体験させていただいているばかりか、そのエネルギーの世界にいつも導いてくださり、本当にありがとうございます。

 

 5月の稽古ではとくに拳の握りについてご指導いただいたことが、心に強く残っています。ちゃんと握るからこそその手を開いてもエネルギーが残り、手が強くなることや、さらに指一本にしてもそれが強いのはこの握りのエネルギーがあるからだ、ということを様々な技を何度も見せていただきながらご指導いただきました。その際に先生が「拳をしっかり握ることを皆に教えたが、皆自分の尺度で考えてしまい、教え通りにやっていない」とご指摘されましたが、まさに自分にもあてはまると思い、強く反省しました。

 

 そして、拳の握りだけを部分的にやっても駄目で、型を通してやらないといけないことや、その型を毎日やると徐々に練り上げられていくことをご指導いただきました。また、先生が拳の握りで真ん中に空間をつくり、そこに指を入れても抜けなくなるという技も見せていただき、いかに拳の握りが重要なのかを教えていただきました。またその時に先生の指を間近で見せていただきましたが、第一関節のところが盛り上がってタコのようになっており、拳の握りをしっかりと稽古していけばこのように盛り上がってくる、ということを説明され、どこを注意して握っていけばよいのかをご指導くださいました。さらにこの拳の握りをしっかりと稽古していけば、脇の締めもできてくるとおっしゃったので、いかにすべてが連動しているのかを教えていただきました。

 

 また、サンチンをやっている先生の腹の部分を触らせていただきましたが、板のように平行になっており、また固くなっているのを一触を通じて学ばせていただきました。また肩も触らせていただきましたが、先生が下に落としているわけではないのに自分の体が下にどんどん落ちていきました。

 

 このように間近でみせていただいたり、一触をさせていただいたりしながら、拳の握りや腹の状態や肩の落とし方などを学ばせていただきました。こうした大きな課題をいただきましたので、日々の稽古ではこれらを意識してやるよう心がけています。

 

 その他にも、サンチンの用意の姿勢から内八の字立ちとなり、そこからサンチン立ちに移行するまでの一連の動作について、詳しくご指導をいただきました。まず内八の字立ちに行く際に、拳をぐっーとしっかりと握ることと、最後にぴたっとはめることを教わりました。それから両手の交差を先にやり、しかも交差を深くし、それから足をしっかりと半円を描いて出すことや、その際に腰を落としながらやることを教わりました。そしてそれがちゃんとニュートラルになっているのかを、二人一組になって検証する稽古もさせていただきました。この時の先生のご指導が心に強く残っており、日々の一人稽古ではそこを意識してするよう心がけています。

 

 また4月の稽古でも、サンチンについて詳しくご指導いただきました。まず両手を交差させる際には深くするよう教わりましたが、それをどの高さでやればいいのかをしっかりと研究しなければいけないと教わりました。また肩から回すようにと指導を受け、さらに脇の締めについても片手を脇に入れて、そこから肘を曲げて検証させていただきました。また先生の上腕の後ろ側の部分を触らせていただきましたが、普通では固くならないところがぐわっと盛り上がって固くなっているのを体験させていただきました。このような状態になると技はかかるし、突きの威力も出るとご指導されると同時に、これは脇の締めからくるものだと説明してくださいました。この一触での経験を手掛かりにして、先生から教わったことを普段の一人稽古で意識するよう心がけています。

 

 4月の稽古で一番印象に残っていることは、1ミリでも前に出ると変わる、というご指導でした。私が四つん這いになり、後ろに十数人が列をつくり、前に進む検証をしましたが、当然まったく動きませんでした。しかし先生が1ミリ手を前に持っていく、そして反対の手を1ミリ前に持っていく、これを繰り返すようにとご指導され、実際にその通りにやってみると、まったく抵抗を感じずに自分だけが悠々と四つん這いで歩くことができました。相手を引っ張ろうという意識を出さず、ただひたすら一歩前、一歩前に手を出すことだけに集中してやるとでき、自分でこれだけの人数を動かしていたのかと驚くとともに、ものすごく感動しました。そして時間の感覚にしても、一歩前、一歩前とそれだけに集中しますので、「今、今、今」と今がずっと連続している感じになりました。この体験をさせていただき、いろいろな気づきがあり、これを日々の稽古や日常生活に活かすよう心がけています。

 

 4月の稽古では、この四つん這いの検証以外にも、先生が様々な検証を見せてくださり、この一歩前に出ることの大事さを教えてくださいました。一歩前に出るとエネルギーが出てくることや、一歩前、一歩前とやることによって事の起こりを感じさせなくなることも、ご指導いただきました。また稽古終了後に会場を後にする際にも、一歩前に出ること、それでもだめなら相手をずらすこと、それでもだめなら胸に手を当てること、の3つで日常は大丈夫だ、とおっしゃったことも、心に強く残っています。

 

 実際、仕事の会議の場を実践の場と考えてやってみると、いつもは会議が苦手で緊張していたのですが、今回は一歩前に出て部屋に入ると、何の緊張もなく、堂々と会議に参加することができ、長年苦手であったものを一瞬にして克服することができました。実践塾ではものすごいレベルのことをやっているので日常が変わるのは当たり前、と先生がよくおっしゃっていますが、それを本当に噛み締めた出来事でした。

 

 宇城先生、このたびもご指導くださり、本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。日々の稽古、日々の生活のなかで師の存在を常に忘れずに、修行に励みます。

 

 引き続きご指導を賜りますよう、心からお願い申し上げます。


 

■N.S 東京 会社員


宇城先生、いつも貴重なご指導をありがとうございます。

 

 「模造刀や模造銃では駄目、真剣での稽古に意味がある。」先生がそうおっしゃった時、普段の一人稽古の甘さを痛感しました。今の私の稽古の内容では何年重ねても意味がない。形や重さを再現しただけのものではなく、当たると本当に人を殺傷してしまう武器を用いての稽古、それぐらいの緊張感をもった稽古でなければならないと感じました。

 

 そして、私達は常に生かされているという事実。寝ても覚めても心臓はいつも休むことなく動き続けていること等、こういったことを「当たり前」と思い込んでしまっていることが、感謝の気持ちを忘れさせてしまうのだと思います。

 

 息をしていること、自身の両足でしっかりと地面に立つことが出来ていること、稽古を続けることが出来ていること等、日常の当たり前の一つ一つに感謝することが出来なければ本当の稽古にはならないと痛感いたしました。

 

 四つん這いになり、後ろから複数の人に帯を掴んでもらった状態で前に進もうとしてみる。しかし、全く前に進むことが出来ない。ですが、1ミリでいいから前に進んでみるように先生からご指示をいただき、本当に1ミリだけ前進するつもりでやってみると後ろから帯を引っ張っている人を気にすることなく動くことが出来ました。そして、1ミリの前進を繰り返すとどんどん前に進めることが出来ました。

 

 この“1ミリ”に一点集中すること。真剣を用いたかのような緊張感のある稽古と、日常の一つ一つに感謝をする稽古。こういったことに一点集中した時間の連続的な積み重ねが、自分にとっての一人稽古に足りていなかったと感じました。

 

 欲にとらわれて大きな成果を望むのではなく、目の前の一瞬一瞬を大切に、これからの稽古も頑張っていきたいと思います。

 

 今後ともご指導の程、よろしくお願い致します。


 

■D.S 東京 公務員


宇城先生、今期間も御指導ありがとうございました。

 

 6月の実践塾で段・級別にグループを作って稽古を行いました。最初はサンチンの型を行いましたが、左の突きの際に、脇が甘いと指摘を受けました。以前にも同じ指摘を受けたことは何度もあったので、また悪い癖がついてしまっていたかと、その点を注意してサンチンを行いました。

 

 その際、今まで感じることのできなかった左右の腕が繋がる感覚を覚えました。過去、同じ指摘を受けて直した際には感じなかった感覚です。はっとしながらサンチンを続けました。夫婦手とはこれかと思いました。今までも夫婦手を意識していましたが、それは不正解の夫婦手であったとはっきり理解できました。

 

 しかもその感覚を、基本の突きや型でも感じることができ、嬉しさのあまり自然と笑みがこぼれました。先生の教えを、今回は夫婦手ですが、今まで意識して実践していたつもりです。しかし今回、私の身体が私のちっぽけな意識に対して、そうじゃないぞとはっきり示してくれた。そう思いました。また、過去に同じ指摘を受けた際には感じることのできなかったことが、今回は感じられたという進歩。これほど感激することはありません。とても実りのある稽古でした。

 

 更に7月の稽古では、心を開くということ、また寄り添うということ、先生は指導してくださいました。このキーワードも、過去に先生から幾度も指導を受けたことはありました。しかし、今回はどちらもストンと心の奥底に浸透していきました。知識としては知っていたはずの事柄が、以前とは全く違うものかのように響きました。

 

 私が日常生活で実践している心を開くということ、そして寄り添うということ、それぞれが間違っているように感じられました。そして正解はずっと目の前にあったのに気づいていなかったかのように感じました。とても不思議な感覚を覚えました。

 

 また同月の稽古では、警察官である私とEさんに対し、これ以上ない特別な指導をしていただき感激しております。特に、怒り狂った相手に対して優しく触れて最終的には制圧してしまうという、まさに理想的なお手本を見せていただきました。本当に感謝しています。

 

 以上、今期の稽古の感想を述べさせていただきましたが、7月29日夜間の当番勤務、先月の実践塾のまさに翌日になりますが、今までの先生からの指導を大いに活用することができましたので、報告させていただきます。

 

 その日私はパトカー勤務でした。すると酔っ払いが交番内で酔っ払いが大声を出して暴れており、警察官が必死に押さえつけているという内容の応援要請が入りました。急いで現場の交番に向かうと、交番で両腕に和彫りの刺青を入れた男性が大声で叫んでおり、それを複数名で止めているという状況でした。

 

 以下の私の行動は、ほとんど無意識の動きであり、今までの先生の教えどおりの動きだったなと、後になって気づいた事柄です。私はその男性の真正面に立ち、虎口のように中心を制し、優しく力む相手の右腕に手を添えて下に降ろしました。そして大丈夫ですかと男性に寄り添うよう立ち、笑顔でこちらどうぞと椅子に座らせました。そうするとその男性は落ち着きを取り戻し、冷静に私たちに対して話を進め出しました。

 

 その後、男性は交番外に出たのですが、また興奮したようで、自身の自転車を持ち上げて地面に叩きつけようとしました。そこで咄嗟に私はその男性を抱きしめて諭すことで、その自転車をゆっくり降ろさせることができました。酒が入っていたため支離滅裂な言動がその後もありましたが、最終的にはそれ以上暴れることもなく無事に帰路についてもらうことができました。

 

 その詳細を見ていた幹部からはお見事と感心されました。中心を捉えて間合いを制す、優しく接する、寄り添う、優しく促して相手を歩かせる、優しくハグする。これら全て先生から教わった事柄です。先生の教えが、活きて私の身体を動かして下さったおかげで、事故なく解決に至ったと感謝しております。

 

 私に警察官人生、今後とも様々な事象が起きると思いますが、先生の教えを中心に解決を目指していきます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


 

■T.K 千葉 自営業


宇城先生、4月より毎月の稽古をありがとうございました。

 

 7月の稽古冒頭にて「本質」ということで「生」と「死」について説明を頂きました。「生」は無意識で活動しており、宇宙の成り立ち、惑星の成り立ち、生命の成り立ちといったメカニズムが内包されているものであると思いました。対して「死」は意識して行うことが可能であり、それは5パーセントという非常に小さな枠組みに支配された世界です。その小さな枠組みの中で日々を過ごしてしまっていることになります。

 

 経絡の流れということは言葉として存在していますが、先生が実際に数人の列に流すことをされました。私の手を取り、私の身体を介してもその列に流れて行きました。また、惑星の経路の動きに対し「螺旋」ということで先生自らも螺旋で技を躱すことをされました。それはイメージして出来ることではなく、無意識の領域での惑星の動きと同調した動きのように思えました。

 

 私は経絡の図が体幹における鉛直状に流れている経絡以外は折れ線グラフのように走行していることに違和感があり、先生に学んでからは細胞に刺すということにも必要以上に行われていることには強い違和感を持つようになりました。先生のエネルギーの流れを体感した際に、ハッとしました。経絡を発見した先人は螺旋状の走行を伝えたのではないか。

 

 それを平面図に記したためあのような直線で残されたのではないかと。そして惑星が螺旋状に微妙に同じ経路を通らないように、経穴というのは日々同じ場所にはなく微妙なズレがあるのではないかとも思いました。それを平面図にしたことで覚えやすい知識優先となり、本筋からはズレたこととして伝わり、そこに「気」という言葉は使いながらもエネルギーは存在しないものとなっています。本物の伝承には実践が出来る「師」より知識ではなく身体を通しての学びしかないとあらためて実感した次第です。

 

 知識では人は救えない。資格でも人は救えない。人を救うのは人の心が伴った技術だということを強く感じました。この数ヶ月の稽古中に何度か先生が意識を取るということをされました。癌における過剰なエネルギーも取れるのでは、とも仰っていましたが、「死体」を解剖して膨大な知識を得る必要がある現代の医学ではそのような発想にはならないと思います。大変尊い世界ではありますが、どうしても癌に対しては侵襲が必要となるのが現状です。無意識と「生」の世界に繋がっている先生だからこその無侵襲という発想であり、人が向かうべき方向であると思います。

 

 これから、ますます少子高齢化となって参ります。縄文時代より現代までの間に人口の浮き沈みや停滞は何度もありました。その時代時代での事情も様々ではありますが、古代には今後の日本の人口分布のような時代があったと言います。そこを乗り越えて現在の日本があるということは、私達のDNAにもその時代のことが組み込まれていることになります。ですが、それを発現するには現代の教育、スポーツ、政治にはないということは明白です。無意識の世界だからです。

 

 その無意識の世界を発現できるのは宇城空手しかありません。この数ヶ月は、今まで以上に学んでいることのスケールの大きさ、自分の視野の小ささを実感しておりましたが、先月の稽古で「本質」ということから教えを頂けたことで何か今までの教えが繋がるような思いです。まだまだ部分で捉えていたということでもありますが、深さのある教えを頂けるのは財産です。

 

 宇城先生、いつも深さのあることを理解しやすいように工夫をして伝えて頂きありがとうございます。今後もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

 

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