「〈知〉の入り口を〈身体〉にする」 ― 小林信也 道塾見学記 ―
- chiba
- 1 日前
- 読了時間: 6分
この日は今年の東京道塾Aクラス最終回。
開講に先立って、宇城先生がワールドシリーズの話をされていた。MVPに輝いた山本由伸投手の連投と、それを可能にした「筋力を使わない投げ方」について。山本投手は筋力トレーニングをしない、それが話題になっている。道塾で学ぶ塾生にとっては驚く話ではないが、スポーツ界の常識と違う生き方を自信を持って貫き、しかも最高の舞台で成果を示した。今回の活躍で、プロ入り当初から山本を指導・支援してきた矢田修トレーナーがメディアで注目を浴びている。矢田さんは、ビジョントレーナーの田村知則さんが主宰していた大阪・江坂の宇城塾や宇城先生のセミナーで何度か一緒に学ばせてもらった。当時から独自の発想で治療やトレーニング指導をされていると聞いていたが、宇城先生から受けた指導が山本投手のサポートにも反映しているのではないだろうか。
講義では最初に「抗がん剤治療」の話をされた。
抗がん剤を注射すると、がん細胞だけでなく体全体の健康な細胞も弱らせてしまう。だから髪が抜けるなどの副作用が生じる。本来なら、もっと根本的な治療を採用すべきだ。
宇城先生は、「抗がん剤でなく、〈エネルギーの注射〉を打ったらどうやろう」と言い、一人の塾生を立たせ、その右腕を二人の男性にガッチリと抑えるよう指示した。抑えられた塾生はどうにも腕を動かせない。その状態で、注射をするような感じで宇城先生が塾生の左腕に指を立て、「エネルギーの注射」と言った。気の入った塾生は途端に活力に満ち、右腕をわずかに動かしただけで抑えていた二人を簡単に倒してしまった。いつも体験している「エネルギーは伝播する」の真理のとおり、倒れた二人にもエネルギーが伝わり、倒れてはいるが強くなっている。宇城先生は別の一人を指名し、脚を宙に上げたまま転んでいる塾生の脚を床に下ろすよう言った。ところが、上から押しても脚は頑丈に浮いたまま下がらない。筋力とは違う本質的な力が足に籠っているという証拠だ。しかも、「筋肉を触ってごらん」と言われ、倒れている人のふくらはぎに触れると、筋肉はゆるゆると揺れ、まったく硬直していないことが周りから見てもわかった。
「エネルギーの注射」でがっちりと支え合う集団が崩れ落ちる
〈エネルギーの注射〉によって、一般的に自覚されている体の反応とは全く別の反応が体の中で起こっていることを目の前で実感させてもらった。
「ただし、エネルギーの注射はないんです」と言った後、先生は笑った。「タダやから」と。
それはジョークにくるんだ言葉だが、現代社会の病弊を鋭く突く指摘でもある。現代の病気の多くは、医者や病院、製薬会社のために作り出されているようにも思われる。医師会、政界も絡んで、病院や医師たちが患者第一でなく、製薬会社との共同ビジネスの繁栄を共に貪っていると指摘されて久しい。しかしその構図は政官財一体の利権構造に守られて変わる気配がない。
もし気で病気を癒やし、未然に予防できるようになれば、医薬品ビジネスは衰退する。だから、対価にならないエネルギーの注射に製薬会社は興味を示さないというカラクリだ。
さらに、なぜエネルギーの注射が「人を変えるのか」について、ベンジャミン・リベット博士が著書『マインド・タイム』で示した図を白板に書きながら話してくださった。
「例えば車の運転中に危険を察知してブレーキを踏む。ブレーキを踏むのは約0.2秒後だが、頭がそれを理解するのは0.5秒後。つまり頭の命令では間に合わないんです」、そして続けた。
「気は、100万分の1秒に働きかけます。だから先に入れる。先の先が取れる」
そう言って、先に入った時の対人関係の変化を見せてくれた。
腕相撲で、通常の力勝負の時はお互いに力をぶつけ合う形になるが、宇城先生が気で100万分の1秒のところで相手を制すると、相手は虚を突かれたようにキョトンとするばかりでまったくなす術なくやられてしまう。宇城先生自身でなく、先生が誰かに気を入れても同じことが起こるのは道塾で繰り返し実践しているとおりだ。
「頭の時間では、人間の持っている能力の1%しか使えない。身体時間は95%活かせる。だから、〈知〉の入り口を〈身体〉にすることです」
身体とは細胞という意味。
「人を動かしているのは〈自分〉じゃないんです。〈細胞〉です。我々は宇宙に生かされている」
他にも、「地場を変える」「先を取って大切な人を守る」「全体体(統一体)が生み出す次元の違う力」など、いくつかの実践を通して体験させてくださった。
終盤、宇城先生の言葉が身体に響いた。
「悩みも全部、頭が作っているんや。無意識にこそ本質がある。心臓もそうやし、〈無意識領域〉が先なんや。寄り添う、感謝する、意識ではわからない」
腕を掴む4人を、動かすことはできない

宇城先生が気を通すと、一瞬にして4人を動かすことができる
前回の道塾から今回までの間に、宇城先生の〈気〉に関する著作とともに、10年ほど前、宇城先生が紹介してくださったブルース・リプトン博士の著書『思考のすごい力』『思考のパワー』を読み直した。『思考のパワー』に次の記述がある。
《聖書に書かれた祈りについての二つ目の教えは、「答えに囲まれる」である。つまり、生理学的にも感情的にもその望みがすでに叶ったかのよう体験するという意味だ。これもまた、仏教僧やネイティブ・アメリカンのシャーマンが心の中ですでに望みが叶ってそこに「ある」かのような状態をつくり出すと言っていたのと同じだ。現代の物理学者もフィールドがどう影響するかという表現を使っているが、祈りとそれを実現することに対して同じ見解を持っている。》
《私たちの心こそ、まわりに向けて感情という情報を拡散し、発散する発電所のようなものなのだ。》
宇城先生は気の実践によって、この記述をさらに明快に実証し、塾生全員に体感させてくださっている。
この日の道塾で、これまで言葉上の理解にとどまっていた大切な指針が、実感を伴って自覚できた手応えがあった。「謙虚になる」「感謝する」「〈できる〉を先に見てする」、それこそが自分にできる圧倒的な手がかりではないか。それを言葉の理解にとどめず、心に強く持つこと、日々実践すること。
宇城先生が笑いながら言われた。
「どうしたら〈気〉が使えるようになりますかとよく聞かれるけど、簡単なことや。気を遣いなさい」
冗句のようだが、気づかずに通り過ぎていた盲点というのか、宇城先生の気とは次元が違うにしても、「気を遣うこと」なら、日常いくらでもできる。それが打算や機嫌取りだと〈忖度〉になるが、心ですれば身体の行動につながって行くのではないだろうか。
小林信也
(2025.11.11受講)












コメント