2025年 第2回 関西教師塾が開催されました
- jht900
- 5月12日
- 読了時間: 63分
更新日:5月15日
2025年4月30日(水)、立命館宇治中学高等学校において第2回関西宇城教師塾が行われた。関西を中心に山口県、岐阜県から31名の教員などが集まり宇城塾長より教育の本質、在り方についてご指導をいただいた。
冒頭、トランプのマジックの映像を見せていただいた。マジックには、私たちの思い込みを利用したトリックがあり、その思い込みは全体の5%にすぎない私たちの意識、既存の知識であること。また、その5%にすぎない既存の知識で普段の教育を行っていることをご指導いただいた。
日本の財産は、人間性にありその人間性を受け継いでいくためには革新が必要であること。しかし、今の教育は5%にすぎない意識、知識を基にしたものであり革新的なものは何もなく、このままでは衰退していくのみであるということをご指導いただいた。
革新とは何か。それは自分のフィルターを取り除くことであり、意識では細胞に働きかけるエネルギー、無意識の世界への転換が必要であり、そのエネルギーの世界を様々な実証で体験させていただいた。
●力では立つことが出来ないが、気をかけていただくと立つことが出来る。
それは、力が弱いとされる女性でも関係がない。
●元に戻そうとするが、元に戻すことは出来ない。
宇城塾長の気、エネルギーは細胞に働きかけ、意識のスピードとは桁違いのため先をとられ意識では元に戻すことが出来ない。
●手を叩かれることに無意識に身体は恐れてしまう。身体の恐れ、不安は周りに伝わってしまう。教師も同じで無意識下での恐れ、不安、そして意識での強がりや教師という立場での指導は生徒に見透かされていることに気づかせていただいた。
無意識の恐れや不安が、宇城塾長に気を通されると消えることを、触れて感じ取る。
●既存の力は宇城塾長のエネルギーの前では関係がない。
●女性=力が弱いという関係は私たちの思い込みであり、既存の知識にはないエネルギーの世界は私たちが当たり前と考えていることが当たり前でないことを経験させていただいた。
●寄り添う心を持つことで、人間の潜在能力を発揮することが出来る。
(1)力では列を押すことができない
’(2)お腹が痛い人に寄り添うと列を押すことができる
(3)宇城塾長はそれを身体で行うことができる
●宇城塾長が気をかけたボールをキャッチすると、列が倒れ、さらにそのボールにはエネルギーがこめられているため意識でとることが出来ない。
●意識では動かない列も、宇城塾長が気をかけると部分が全体となり、塾生たちがひとつとなり考えることができないスピードで回ることができる。
また、エネルギーの通った身体はいとも簡単に人を投げ倒すことができる。
●2対1では、普通腕相撲では勝てないが、塾長が気を通すと、人数の理屈は通じない。
エネルギーは投げられた人も強くする。エネルギーの連鎖は無限に繋がる
新年度が始まり、新入生との出会いもあるこの時期に宇城塾長から教育としての本質を経験させていただいた。また、当日は生徒との関係に悩む3名の教員が体験塾生として参加された。宇城塾長からエネルギーをいただいた塾生たちは、新たな希望、決意を抱く貴重な2時間とすることが出来た。
参加者の感想
【京都 中学校 男性 40代】
今の教育の未来について様々な角度から先生に講義、実証を含めてありえない世界と日本人が忘れてはいけない、DNAに書き込まれた消せない、消してはいけない本当の宝物について気付かされると同時に、当たり前(電車の時間、義理人情、礼儀)が軽視され、この宝物が消えた時日本は終わると感じました。目に見えない信用、信頼が、無意識の当たり前がいかに強く凄いか、先生の講義や検証で当たり前の凄さ、強さを目にし、感じだからこそ今の日本は危険だということが察知できる。
その基を作っているのは教育です。学校の勝ち負けが成績そして良い学校に行くことそれが何よりも1番大切なものとしてしまっている。人間の本当の素晴らしさは何なのか、それを宇城先生は改めて我々に気付かせてくれている。残念ながら我々教師は今の世の中の間違った基準の中に洗脳されてしまって目の前の子どもたちに本当に何が正しく、大切なことかを信念を持って伝えられていない。当然教師自身がこの教育に未来はないと頭というより、身体で実感していると思われる。そこに自信があるはずがない。それを子どもは感じ取っている。今日の検証でもあった思いは本当は通じる。そしてその空気の中でいる人は心地よさを感じる。言葉での包み込まれるというような目先のハウツーやパフォーマンスとでは感じられない安心感がある。次元が違うとはまさにそのことで、その中でこそ子どもは安心して成長できる。今学校では特別支援学級に入級する生徒がすごい勢いで増えている。原因は子どもではなく大人やその環境空気だ。不安定や不安の電波を大人(教師)が出しそれを感じとり子どもがおかしくなっている。そういった子どもは被害者とも言える。資格で教えたり、立場で教えたりでは解決できない。
今日先生がやっておられた検証を見たり触れたりすればそのような子どもたちはきっと違う成長、変化をする。人間の凄さに感動するはずです。恐怖や不安、ノリやパフォーマンスでなく、その人の魅力や迫力そこから生まれるエネルギーこそが教育界の可能性であり、希望です。本日の学びを自分なりに追求していき、先生の世界に行けるように精進致します。今後とも御指導宜しくおねがい致します。
【奈良 高等学校 男性 40代】
昨日は、宇城教師塾においてご指導いただき誠にありがとうございました。昨日の講義を受け、教師が知る、教師だからこそ自覚しなければいけないことがあると何度も思いました。
それは、何よりも私たちが行っている教育の全ては知識優先の洗脳教育だということです。そして、その犠牲となっているのは子どもたちだということです。私たちが本当の教育を実践する一歩目は私たち自身がその過ちを認め、知ることだと思いました。
女性と男性が腕相撲をしました。女性が弱く、男性が強い。筋力の世界の常識です。しかし、そうではない、筋力ではない世界があります。エネルギー、調和の世界です。宇城先生は筋力の世界の常識にはないもの見せ、実践していただけます。なのに、私たち教員は筋力の世界の固定観念を捨てきれず、筋力、衝突、対立の世界で子どもたちを指導し、その世界が常識であると子どもたちに植え付け、潜在能力に蓋をさせています。
4月に入り、新入生と出会う季節です。新しい子どもたちと出会いますが、授業でも部活でも、子どもたちは大人、教員の言うことをフィルターなしに受け止めています。宇城先生のお話を聞き、子どもたちを見ると、子どものフィルターなしに受け止める姿勢がよく分かります。
そんな子どもたちに、自分の狭い知識と経験のみで語る。先ほども話した「女性=力が弱い」という感覚で指導する。その感覚、競争や衝突の世界観のみで指導した子どもは当然同じ感覚を持ちます。その教育の答えが今の日本の現状です。犠牲になるのは子どもたちだけではありません。希望に燃える若手教員が、知識優先、言葉優先の指導をすることで子ども、保護者と衝突し、休職、退職に追い込まれています。日本の国力が衰退するのが当然だと思いました。教師塾で学ぶ私たちは、既存の教育が過ちであることに気づかせてもらえます。教えていただくだけでなく、子どもたちに「筋力の世界」にはない「エネルギー」、「調和」の世界があることを伝える、実践し、その姿勢で現場の先生方の中心となっていかなくてはいけないと感じました。
手を叩かれそうになると身体が無意識に強がっているという実践がありました。そのことを言われた若い先生はきょとんとした顔をされていました。宇城先生もお話されたように、本人に「強がっている」という感覚はないのだと思いました。なぜなら、細胞がびびり無意識下で強がっているからです。私も同じ癖があると気づかせていただいているので、前に出た先生の信じられないような感覚がすごく分かりました。しかし、宇城先生が気を通したときの安心した表情、自身に満ちた眼への変化も分かりました。言われた本人は気づきません。無意識下で変化したことだからです。しかし実際に変化した事実があります。素直な身体をつくり、自分では気づけない自分に気づけるというのもこの宇城教師塾にしかないことだと思いました。だから自分自身が謙虚な姿勢で子どもたちや職場の人たちと接することが出来ています。自分が上手くいかなかった時に、相手(相対)ではなく、自分(絶対)に心の眼が向き、自分を磨く、もっと先をとれる自分になろうと思えるのは、自分に気づくという宇城先生の指導があるからです。
宇城先生の教えは対症療法ではなく、そうならない解決方法があります。対処療法のみで、根本的な解決のない教育現場で苦しむ生徒、そして教員の一助となることが宇城教師塾学ぶ私たちの責務です。自分自身が成長、深化しその一助となれるように精進致します。教師塾でのご指導誠にありがとうございました。
今後ともご指導よろしくお願い致します。
【奈良 高等学校 男性 20代】
本日は、お忙しい中、教師塾を開催していただきありがとうございました。宇城先生の厳しさと、全員に可能性があるということを改めてご指導いただき、活力をいただきました。
今回の教師塾では、問題は生徒にあるのではなく、大人・教師に問題があるとよく分かりました。教員という資格だけで、生徒たちに接するのではなく、生徒たちが知らないこと、レベルの高いこと、安心して自分の力をめきめきと伸ばしていける人だけが、教師として、成り立つのだと改めて分かりました。拳を振り上げて、手を叩く実践で、叩かれる先生の背中に触れているとき、叩かれる人が、不安だとその人だけでなく、後ろにいる全員が弱くなりました。逆に、その先生が気を通されると、拳を振り上げている人の方へ向かっていくのを感じました。前に立つ、教師で生徒、クラスがこんなに変わるんだと、自分の身体を通して感じさせていただき、改めて、教師としての責任と日々勉強をしないといけないと思いました。 最近の私は、現状維持で過ごしていたのだなと気づかせていただきました。技術者が転職して、前の会社の技術を他の会社に広めたとしても、そのときにはもっとレベルの高いことをしているから、問題ないという先生の話を聞いたときに、現状維持は退歩なり。と以前先生がおっしゃっていたのを思い出しました。普段の私は、現状維持は現状維持と、とてもレベルの低い感覚で過ごしているのだと思いました。
私のクラスに、自閉症の生徒がおり、世の中の常識や、正論、空気を読んで周りと同じことをすることが苦手な生徒がいます。その生徒の目を輝かす指導ができないから、生徒が細胞でおかしいと気づいていても、それを押さえ込んで、常識や正論で閉じ込めてしまうのだと思いました。私たちも教師塾に参加しているとき、自分たちの力で、何かをできることはありません。ただ、宇城先生にできる自分を感じさせていただいて、また頑張ろうとエネルギーをもらっています。そのような指導が教師がいる意味だと感じさせていただきました。事務仕事や授業など、少し勉強すれば誰でもできるような低いレベルでは、ダメだと感じました。100じゃなくても、1だけでも可能性があるとおっしゃっていただきました。1になるように、現状維持を捨て、勉強して、自分・生徒たちにかえってくるようにしたいです。
今回も温かいご指導ありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。
【奈良 高等学校 男性 30代】
本日は貴重な時間をありがとうございました。
現在、自身が勤めている現場では、後先を考えず、自分勝手な考えで目先のことを優先し、問題行動を起こして指導を受けている生徒がいます。本当に自分で考えることをせず友達に誘われたからという理由で自分でブレーキをかけることができず、指導を受けているケースがあります。学校の指導方針で、反省文などを書いていますが、何が悪かったのかさえ考えないレベルの生徒もいます。家庭でも親にかまってもらうことなく育ち、全く自分がないので本当に心配になります。こういった生徒が今の教育が作っている人間性を失った状態なのではないかと思いながら話を聞かせていただいていました。世界から見た日本の良いところは「人間性」と宇城先生がおっしゃっていましたが、これが失われつつある危機感を本当に感じました。その生徒を前にしても、教師塾当日まで自分ができていたことは、綺麗事や理屈を並べて話をするだけでした。(親への感謝の気持ちや人に迷惑をかけないなど)これも本人には響いてない感じがして、今までの教師塾で何を教わっていたのかと思うほど無力でした。教師塾の次の日は、過去の講演や教師塾でもやったことがある1+1=といって腕を上げて押し下げる身体は答えを知っているという実証と挨拶をきちんとすると身体が強くなることの実証を生徒にやってみました。実際に違いを体感できたようで、少し表情にも変化がみられました。帰りにはきちっと挨拶をして帰ってくれました。少し自信や希望を持ってくれていたら嬉しいですし、明日以降に期待したいと思います。
私自身は今年で採用されて11年目になります。宇城先生が教員になりたての頃の生徒たちの方がずっと同窓会に呼んでくれるというような話がありました。一生懸命情熱を注ぐからその情熱が引きつけるのだと。その通りだと思います。初任の頃の熱い気持ちを思い出して取り組まないといけないと思います。野球や教育で失敗しても命はかかっていませんが、生徒の人生はかかっているので、それなりの覚悟をもって取り組まないと無責任であると強く感じました。
ダーウィンの言葉「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもなく、唯一、生き残る者は変化できる者である。」自分も含めてですが、この言葉を職場の全職員に聞いてもらいたいくらいの感情になりました。宇城先生が我々を引っ張ってくださって変化のチャンスをいただいていますが、これが教員として生徒の前で示さないといけない姿であることを今回も痛感しました。時間が過ぎて1日をなんとか終えるような過ごし方では到底変化ができないので、自分の生活、リズム、スピードを見直し、できることから少しずつでも変化していきます。
教師塾の会場で全員にエネルギーが伝播するように、良いも悪いも生徒に伝播するということも自覚し、明日も生徒の前に出て行きたいと思います。
【京都 中高一貫 男性 40代】
先日は立命館宇治中学校高等学校で開催された教師塾でのご指導誠にありがとうございました。新年度を迎え、参加された先生方の中にも新たな環境や立場で、スタートをきって1か月のこのタイミングで宇城先生にご指導いただき、一度自分自身を冷静にみる意味でもすごく貴重な時間になったことでしょう。何より私自身が一番そのことを感じていました。学校経営など0から1を作ったり、これまでになかった判断基準を設定したりと、これまでと業務内容が大きく変わり、何を元に創り上げていくのか。学校としての方針は?根拠は?自分自身の信念は?と日々決断をしていかなければ前に進まない状況が続いています。そんな時にいつも「宇城先生ならどのように判断されるだろう。どのように行動されるだろう。どう考えるだろう」と頭に浮かんできます。それだけで考え方はブレずにこれていると思います。ただ、自分の実力不足でスピード感がないことは大きな課題だと、日々の実践業務の中において「できない自分」に気づかせてもらいました。だからこそ常に学び「変化」していかなければ追いついていかないと日々感じています。
そのような中で今回ご指導いただく中で、A地点、B地点、C地点どの地点で気づくかによって、未来が変わる。という図を説明いただきました。その図を見た時に今自分自身がしている決断がB地点とC地点の間になっていることを感じました。そう感じている時に宇城先生が「逆から考える」というお話をされました。本当に「先」が見えているからこそ、今何をすべきなのか。明確にわかるからこそ、どんどん前に突き進んでいける。ましてや先頭に立って集団を導いていく立場になればなるほどその「先」を全体に見せること周囲の行動はスムーズかつ無駄がない洗練された業務になっていき、いい循環になっていくことが創造出来ました。改めて、まだまだ自分が何も出来ないということを認識する一方で、宇城先生に「C地点のところで気づいたとしてもメモリを細かくさえすれば修正はいくらでも可能である」とおっしゃっていただきました。当然A地点で気づくことが望ましのですがC地点だからダメということではない。「それでもやる」という思考に切り替えて取り組むことの大切にまた1つ気づかせていただきました。
日本が置かれている教育状況からすると、受験勉強を通して、いい高校、いい大学、いい就職先にという傾向は変わりません。一方では2050年代には、日本の人口が1億人を切ると言われており、加えて高齢者の増加。義務教育を終えての高校進学、その先の大学進学というものの在り方が変化することは間違いありません。そこに変化して適応していかない、いけない学校は先日のニュースになった京都ノートルダム女子大学のように募集停止していかなくてはいけない学校がどんどん増えていき、集まる学校とそうでない学校の差が今よりまして差がハッキリしてくるでしょう。「知」は、身体を通してしか身につかない。いくら頭で考えても身につくものはなく、今の教育の在り方を抜本的に変えていかないと日本という国がなくなっていくことも…。「人間性が失われたら日本は終わる…」既に、毎日のように悲惨なニュースばかりを目にすることばかりで、日本が地に落ちている状況はほぼ終盤に差し掛かっているのだと私は危機感を募らせています。この状況は、テレビを眺めているだけでは何も変わりません。今自分自身が置かれた立場で何ができるのか真剣に考え、行動していくことでしか「変化」など起こるはずもありません。行動あるのみです。生徒たちは、いつでも素直です。ただ、生徒たちも段々身体が劣化していることは、前回の京都講演会をみていても学校での様子をみていても感じるところです。この実情をどのようにとらえるのか。保護者と教師が共に手をとり、見守り、時に厳しく指導することが大切で、その指導する教員がエネルギーに満ち溢れていなければなりません。本日も宇城先生のエネルギーをたくさんいただきました。これを現場で発揮していきます。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。
【三重 高等学校 男性 30代】
この度は教師塾での貴重な学びをいただき誠にありがとうございました。
言葉や知識だけではではなく細胞で感じることの実証や気が通った身体の強さを目の当たりにさせていただきたくさんの希望をいただけました。また怯えや恐れは頭よりも身体の細胞が先に感じることに気が付かせていただけました。
宇城先生に気を通していただくと目隠しをされ、拳を打たれてもびくともしない様、拝見させていただいているだけにも関わらず、怯えや恐怖に駆られている自分の身体に気が付かせていただけました。細胞からすべてを受け入れる。見ているだけの私にも恐れが伝播してきます。そして、宇城先生に気を通してもらった瞬間、見ている私の恐れも消えていきました。あの感覚は言語化することができません。身体で感じるものなのだと思います。私たちの身のまわりで起こる問題や課題は我や欲そのものです。
自分中心が周囲に及ぼす影響、及ぼす気、これが怯えの伝播を呼び、対立や孤立につがっているのではないかと思います。よい気も悪い気も、伝わるスピードは時速300kmです。自分の身体次第で瞬時に伝わります。外側にばかり気を取られてしまう自分、自分に意識を向けることができない自分です。誰かの意見に左右され、物事を判断して決めてしまう。その先で上手くいかないと自分ではなく何かのせいにして外側に意識を向けてしまいます。この習慣から自分の軸が育たないため、心が揺れ、誰かに頼り、誰かに依存して心が脆くなっています。
「誰の人生で、誰のために生きるのか、どんな自分を生きたいのか。」「自分は本当にこれでいいのか、本当にこうしたいのか」心の深い部分に意識を向け、自分の心を見つめる。そこに目を向けて生きる。宇城先生に気を通していただき出来る自分です。出来る身体を何度も経験させていただき、それを経験するたびに、我が入り、元に戻る自分です。頭や理屈では答えは絶対に出てきません。将来の日本を背負って立つ子どもたちに関わらせていただいている身である自分がこのような人間である以上、子ども達も同じようになってしまいます。宇城先生が自らの生き様、ご指導でお示しくださっています。気づいたら変化していたと思えるような身体に。今後とも、ご指導のほど何卒、よろしくお願い申し上げます。最後になりますが、事務局の先生方をはじめ、会場のご準備等、場を整えていただき誠にありがとうございました。感謝申し上げます。
【奈良 中学校 男性 30代】
お忙しい時間の中、教師塾にて私たちに気づきをいただきありがとうございます。
学校の事情で遅れて参加させていただきましたが、会場に一礼をした瞬間から温かい雰囲気に包まれていました。宇城先生のお話を途中から聞かせていただき、「先の先を取る」ことの重要性を教えていただきました。実戦のの中で、一人が相手の掌を叩く内容でした。普段通りであれば痛いと思うのですが、宇城先生が事前に気を通されると叩かれた方には痛みはなく、逆に叩いた方が痛みを感じることがありました。私自身は不思議に考えておりましたが、宇城先生がなぜ?と問いを下さったときも頭で考えていること、頭で考えることより体験することや思いの方が速度のちがいに気づかされました。
また、「思いやり」の力の大きさに再度学ぶことができました。大勢の人がい一列に並び、私がその列を力一杯押しますがびくとも動きません。ですが、近くに体調の悪い人がいて、その方に「大丈夫ですか?」と寄り添い、列を押すとじんわりじんわり列に力が加わり後方へ移動してもらうことができました。このことより、思いやりの強さは、私たちが思って言う以上おのエネルギーがあることを再確認しました。
私は、中学校で学級担任を持たせていただいています。彼らとの関わりの中で、「仲良くする」、「思いやり」をキーワードに掲げていますが、まだまだ言葉だけの指導になっているので、今後は、宇城先生に教えていただいた実践を子どもたちと実践し、よりよく進化していこうと思います。いつも私たちに教えと気づきをいただきありがとうございまいた。
【山口 中学校 男性 30代】
宇城憲治先生、この度も大変貴重なご指導を賜り、誠にありがとうございました。
この度の教師塾でも、様々な検証をとおして人間が持つ潜在力を感じさせていただき、ありがとうございました。検証を見ているだけでは、事実を認識するのに自分の解釈が入ってしまいますが、身体を通しての体験は事実をそのまま認識することができます。子供たちは本来身体で全てを感じているのに、それを大人や社会が頭で考えるように仕向けているのだなとご講義を拝聴していて思いました。また頭で考えれば考えるほど、自分の世界やものの見方、考え方に固執し、目の前にあることもそのまま見たり、感じたりすることができなくなるのではないかとも思いました。体験するにしても、自分の解釈ですべて捉えようとする横着さをもっていては全てが曇ってしまうかと思います。このように自分自身が学び気付くことができるのも、宇城先生が導いてくださるからこそであり、大変有り難く貴重なことであると感じると同時に、心より感謝申し上げます。ただの体験ではなく、「気」による事象の体験は、いつも感じることですが、塾後自然と自分の中で何かが変わっていっているように思います。このような感覚と変化、成長を子供達にも体験してほしいといつも思います。
この度の検証もどれもが非常に印象に残るものばかりでした。その中でも全員で輪になり回る検証では、気を通された瞬間に全てが一体となり、回るスピードや勢いも桁違いのものでした。この一体となった感覚がとても心地よく、このような雰囲気の中で子供たちを育てたいと思いました。手に止まった鳥が飛び立たなかったのもこのような心地よさを味わっていたからかなと塾後思い返しながら感じました。また、机に置いた手の甲を打つ検証では、打つ前にビビっているのが打つ側からもはっきりとわかりました。常日頃の自分の姿と重なりました。何もしなければビビってしまいますが、先生が気を通された瞬間、雰囲気が一変し、叩いても全くビビらなくなっていました。同時に相手の手は強くなり、痛みも感じておりませんでした。これが守るということであり、子供たちをどちらの雰囲気で育てたいかは一目瞭然でした。
私たちの中には残念ながらフィルターが幾重にも存在し、子供の頃のように透明になることは叶いません。このフィルターを取りたいと願っても取る手段は通常ありませんが、私達は宇城先生の「気」による実証を体験させていただくことで、体験すればするほど、そのフィルターを透明にしていただいているように思います。それと同時に自分の中が確実に変わっていっているように思います。このような成長や変化、希望を大人になっても感じられることはこの上ない幸せなことであるかと思いますし、教師である私達は、普段の生活の中で子供たちにこのような思いをさせていくことが大切かと思いました。
「今の社会の状況は、これまでの教育の結果である。」という、この事実や反省を踏まえて、今の教育活動は行われておりません。本質はずっと同じことを繰り返しており、進歩がありません。先生からご指導をいただく度、それを強く感じます。このような状況では先生が仰るように劣化は加速していく一方かと思います。先生が各界の第一人者の方々からお話を伺いたいと熱望されるのも本来であれば、その方々の感覚や行動が先生のなされていることを目にした時に起こる通常の反応なのだと思いました。宇城先生が私達に体験させていただいていることが一気に教育現場に広がり、そして子どもたちを守っていくのが社会のあるべき姿、形であるかと思います。しかし、現実はまだまだ立ち遅れています。未来の日本人が見たら何と愚かだった・・・と感じるかと思います。しかし、このような状況下だからこそ、私達塾生一人ひとりがしっかりと信念を持ち続け、先生のエネルギーを子供達に少しでも伝えることが必要ですし、自分自身もっともっと勉強が必須だと感じました。
先生に御礼とご報告なのですが、昨年11月の教師塾での検証で「相手と目線を同じにする」をご指導いただきました。生徒の中を机間巡視するように歩いて行うといいと先生に仰っていただき、それから毎日自分の担任クラスや授業で実践をしました。昨年11月の教師塾で先生が「教師塾に来ているからこそ、圧倒的な差をつける」と仰られたのがとても印象に残っていたのですが、先生にご指導していただいたことを実践し続けた結果、クラスの雰囲気が全く変わりました。生徒の様子は落ち着いたものになり、他者を思いやるような言動が随所に見られるようになりました。また担当しているクラス全ての授業においても雰囲気が大きく変わりました。本当に驚きました。興味深かったのは、子供たちの一年間をとおしての内面の成長がとても大きくなっていた点でした。私の力では絶対にできないぐらいの様々な変化があり、子ども達は良い顔をして日々を過ごし、何かあるとパッと動けるようになっていました。子ども達が人として成長していく様は本当に素晴らしく、先生のご指導の御蔭で毎日希望を持って子供たちと接することができています。また子ども達の役に立ていると感じられてとても嬉しく思っています。本当にありがとうございます。
先生が塾後「人間にはすごい潜在力がある。だから頑張ってね」と私たち塾生に声をかけていただいたことがとても大きなエネルギーと希望になっています。だからこそ、もっともっと謙虚に、そして自分を磨き、子供たちの邪魔をせずに、子ども達が健やかに成長できるように自然と寄り添える大人となれるよう、先生からご指導いただいたことを実践してまいります。まだまだ自分自身の未熟さや課題はたくさんありますが、心は希望に満ちています。宇城先生、これからも何卒貴重なご指導、ご鞭撻のほどを賜りますよう、心よりよろしくお願い申し上げます。この度も本当にありがとうございました。
【奈良 高等学校 女性 30代】
勉強の勝ち負け、スポーツの勝ち負け、競技武道の勝ち負け、この3分野の勝ち負けの仕組みであらゆる物事との衝突の身体にさせられている。学校が現場でも痛感します。偏差値で分けられる勝ち負け、ルールの中での判定による勝ち負け、生死に関わらない勝ち負け・・・。それらの勝ち負けに翻弄され、常に比較、競争にさらされ、得られるものと失うもののアンバランスさに気づいていない(見ようとしない)大人が大勢います。3つある勝ちのうちの「戦わずして勝つ」には「事の起こりを押さえる」と先生は話されます。その実証で腕相撲やスクラムを押さえたり倒したり、「力」のとらえ方を目の前で見ることができるのは宇城先生に学ぶ私たちだけです。やはり何度体験しても圧巻で、宇城先生に触れられたり、前に立たれたりするだけで衝突が消えて「ゼロ化」されていることが、周囲から見ているだけでもわかります。「やってみせてあげないと」と、教師の根幹部分を私たちに伝えてくださいます。宇城先生の「気」は、波紋のように中心から全方位へ広がり、さらに貫通します。それが、何回見ても、感じても感動します。時空を超えて4次元・5次元の世界まで広がり、今も過去も未来も守ってくださっていることに、教師塾への参加回数が重なるごとに感じます。
私事ですが、このたび新しい命を授かりました。様々な実証で「妊婦が一番強い」と先生が話されていたのですが、どこかで自分ではない妊婦さんで見られたらと思っていました。ですが、どう塾と教師塾と学びの場を増やして1年が経った今年に入り、妊婦になって自分で実証したい。体験したい。教師塾でも皆さんと共有したいという気持ちが強くなりました。正直、不妊治療になるかもしれないと覚悟した矢先に妊娠がわかりました。現状から変わりたい。と身体が感じたと信じています。さらに妊娠初期につわりが一切なく、健やかに過ごせたことも赤ちゃんとの「衝突」のない身体になるよう、宇城先生に護っていただいたと私は信じています。
信じて実践することが、突破口です。目に見えていること、社会に出ている情報を信じるのではありません。愛情すなわち「気」がもたらす事実を信じることが突破口です。
教師塾の翌日に顧問をしているソフトボール部員に、他人に寄り添うと力が発揮できることや、衝突による力(筋力パワー)と調和の力(地面や空間のパワー)の違いをやってみせた時の目の色の変わり方・輝き方は忘れられません。本当のことを求めている顔だと思いました。教師の立場の私たちは責任重大です。お給料をもらいながら実践で試せる、生徒の変化が見られるじゃいないか。その言葉が印象的でした。私たち教師は、生徒からも保護者からも社会からもいただいているものが大きいと思います。勘違いして天狗になるなんてとんでもない。日々、変化を求めていかなければなりません。危機感をもち、同じ気持ちの先生方とともに学べる機会は本当に貴重です。どう、教師として生きるか。自分自身が人の親となっていく課程でしっかり試して、実践していきます。
宇城先生、この度もありがとうございました。今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。
【大阪 男性 60代】
「伝統とは、変化すること」。伝統を大切にする、伝統を守るとは、自身が進化し、成長することだというお話がありました。まさに(伝統を)守るとは、現状維持ではなく変化することにある。これは教育現場でも同じことが言えるのではないかと感じます。まずは現場の教師が変わる。その変わるとは自身が日々勉強すること、それは即ち日常を通しての実践にある。止まっている時間はない、各自が危機感を持つ必要があり、そこがないと現状に振り回され、流されている自分に気づくことすらできなくなっていく。
諸外国から、日本はその「人間性」を評価されているということを聞き、本来大切にしていくべきこと(中心)からかけ離れていっている世の中、それが毎日のように報道される出来事や事件が物語っており、すでに手遅れになっている現実。それはすべて次世代の子どもたちに影響していく(すでに影響が出ている)。学校現場、家庭環境、大人・親の考え方、あり方、生き方などすべてに出ている。それはまさに日本人の在り方を問われているともいえる。そこに気づく場がないという現実にすら気づく必要がある。だから教師塾を通して現状に気づき、自身を変えていく。今回様々な実践を通して、今を無難に過ごせばいいという安易な考え方では未来への希望がどんどん無くなっていく子どもたちが増えていくこととも真剣に向き合う必要がある。
「先を取る」とは、単に思うだけではなく、真剣に行動、実践に移すことにある。そこがないと気づいた時には手遅れとなりすべてが後付けになる。後付けとは単なる言い訳に過ぎず、何の解決にはならない。
また自身の感性を磨く場がどんどん失われていっているように感じますし、それは日本の良さ、日本人としてのあり方が失われていることに繋がっている原因でもある。言葉で説明するのではなく、自身が身を以て示す必要がある。子どもたちは、すべて見抜いている。どういった大人、教師に子どもたちは魅力を感じ、心を開き、付いていくのか。それは大人、教師の姿勢、実践、生き方にある。
周りの評価、肩書き、目先の結果だけで生きていると、どんどん浅いところで生きているだけに他ならない。それでも普通に生活ができ、仕事ができるという現状(甘え)。果たしてそこに本質を見出すことはできているのか、深さを身につけることができているのか、まさにスポーツにはそれがないということを常々宇城先生が言われる。その原因は「深さ」を教えない教育にあるといえる。それは事実、真実を自分の都合で判断し、その本質を掴むことができていないことにすら気づけていないという現実がある。
またスポーツには「術」がない、生産性がなくなっていることは否定できませんし、勝ち負けだけの評価になっている。本質を追求せず、目先の勝ち負けだけを争っているだけに他ならない。
スポーツと競技武道と「武術」とは違う。それはルールに基づいてやっているスポーツや競技では人は育たなくなってきているということであり、宇城先生が常々仰る「始め」「止め」「判定」では勝ち負けだけで人間性や人としてのあり方を身体を通して身につけていくことができない。単なる目に見えるところでの判断、評価になり、目に見えないところに真の深さがあることにすら気づいていない。だから、不安、怯えが増え、そこから逃れようとする弱い人間になっていく。そしてすぐに筋トレに走り、簡単に体を鍛えるといった上辺だけの変化を求め、本当に大切にしていかなければいない日本の歴史、伝統や文化の本質から離れていっている現状がある。野球のバット(魚雷バット)の話の中で、「剣は太くしたり細くしたりは一切ない」というお話がすごく腑に落ちました。スポーツでは道具を改良して使いやすくするが、剣は自身の身体と調和(一体)させるために稽古を繰り返し行う。すべては心身が中心であり、道具に左右されない身体(中心)を持つことが大切であるということを理屈抜きで身体で掴んでいく。
それは即ち人間性を磨き、高めていくのが教育であるということであり、今の教育、スポーツではそこがない。そういったことを身を以て示せる教師(指導者)がいなくなってきている現状があり、まさに今の教育は、点数が高ければ評価され、そこに未来ある子どもたちは希望を見出すことが果たしてできるのだろうかと思う。
またそれは、すべてを受け容れ、気づき、気づかせる力が身になっていくであろうか。教育現場に居る一人ひとりがそういった教育(子どもたちの未来)に対しての責任感が薄れているように思います。
今を大切にするとは、その場しのぎではなく、宇城先生が仰っておられた「先から今を見る」ということが必要になってくる。その根底にはエネルギーがあり、細胞に働きかける気が必要なのである。
今回も様々な実践を通して気づかせていただいた。実践を通して自らの変化に気づき、目の前で起こる事実を受け容れる捉われのない身体。答えは探すものではなく、その瞬間に出るものである。それは即ち細胞が活性化されているということに他ならない。まさに「できる」という自分を知ることが如何に大切であるかを実証を通して身を以て体感する時間でもありましたし、実証を通して一人ひとりが変化していく表情、姿勢がすごく印象的でした。
日々の教育現場で教師が生き生きと子どもたちと接し、共に学ぶ姿勢を高めていく中に、寄り添う中での優しさ、厳しさが生み出される。厳しさとは何か?優しさとは?を考えた時に、優しさは厳しさであり、厳しさの中に優しさであると言える。その中心には深い愛がある。今回様々な実践、実証を見せていただく中で、善し悪しではなく、目の前にある事実とどう向き合い、身体でどう受け止めるかにあるということに気づくことができました。
今回の実証の中では特に、子どもにはフィルターはないが、大人には思い込み、常識、我欲というフィルターがあり、それが知識として邪魔をしていることが実証を通して改めて強く感じることができました。
今回の季刊「どう」の宇城先生と工藤清敏氏の対談の中で、榎本麻子師範が「子どもにはフィルターがなく大人よりも先が見えている」と話されていました。また身体の95%は自動操縦で、気はその自動操縦に働きかけ活性化するということを実践、実証を通して示していただいた。特に、机の上に置いた手を打たれると思うだけで身体は反応する(不安、怯え)、それがその人の体に手を触れているとはっきりと分かるが、宇城先生が気を通すと不安や怯えが消え全く身体はビビることはなく、逆に叩いた人の方の手に痛みが出る。こういったあり得ない事実、言葉では説明できないことにこそ深さがあり、疑いのない真実がある。それを言葉で説明したり、頭で理解しようとすることで思考が止まり、益々頭で考える方向に向かっていく。意識ではなく、如何に細胞に働きかけるかによっても身体はまったく違ってくる。
そして、何よりも大切なことは「信頼」にあるということを実証を通して示していただきました。それは教育の場でもっとも大切なことであると気づかせていただきましたし、そこがないから学校現場でもイジメや不登校、自殺がなくならず、逆に年々増加していっているのだと感じます。
また実証の中での「腕相撲」では、常識的には女性は男性は勝てない(女性の方が力が弱い)という思い込みがありましたが、気を通していただくと簡単に覆ってしまう。常識、思い込み、噂、誤魔化し、見せかけ、肩書き・・・そういったことに流されている自分自身は先を取ることができないし、エネルギーが下がっているということを実証していただいた。こういったことを子どもたちの前で実証すると一気に子どもたちも変わっていくと思いますし、今回のように我々大人でも場のエネルギーがすごく変わっていくのを感じました。子どもたちであれば、もっと変化は早いと改めて思います。
全てはエネルギーにある。宇城先生が通される気には、物質を粒子と粒子に変える力が存在し、それが繋がることで手の上に置かれたボールが重くなる、物質の重さを変えることができる。それは即ち人を変えることができるということであり、自身への気づきでもある。人を変えるとは、自分を知り、本来あるべき自分に気づき、日々変化していく中で「進化(深化)・成長」していくことであると感じております。
今回の教師塾の中では、実証を通して今の自分に気づき、教育への深さを学ぶ機会をいただきました。日常を通して、自身を変え、深めていくというテーマをいただきました。
まずは自身を変えるべく、行動、実践の中で日々精進して参ります。今回の教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。
【奈良 中学校 女性 30代】
ご指導ありがとうございました。
宇城先生に、新しいことをしているかというお言葉をいただいたとき、私は、今、全く出来ていないなと思っていました。忙しさや、出来ない理由を考えて、現状維持になっていたと思います。以前、現状維持は退化であると教えていただきました。
二進法で進めておらず、女性だからとか、上から言われたからとか、言い訳をして、結局やっていませんでした。宇城先生は、そんな私でも気付けるよう実践を体験させてくださったのだと思います。体験させていただいたとき、うまく言えないのですが、安心感があって、力がみなぎるような、内側から元気が広がるような感覚になりました。気で満ちるというのは、こんな感じなのかなと思いました。そして、本来は特別なことではなくて、私たち全員が持っている力だと教えていただき、私もちょっとでも気を使えるようになりたいと思いました。けれど、大人になって、染み付いてしまった考え方はなかなか取れず、まだまだ常識に縛られてしまっていたり、頭のどこかで出来ないと思ったりしてしまいます。なので、素直さを忘れず、心に余裕を持って、愛情や思いやりを持ってまた、今日から進んでいきます。未来のために、今、がんばります。
ありがとうございました。
【兵庫 高等学校 男性 50代】
宇城先生、教師塾でのご指導ありがとうございました。
宇城先生からは、いつも「今」が未来につながっており、今を変えないといけないことを教えていただいています。そして、進歩・成長した未来から遡って「今」を変えることにはエネルギーが必要であり、もっと勉強しなければならないことを教えていただきました。また、「今」にないものを生み出し、生徒たちに示すことが教育に携わる者には必要なことを教えていただきました。
兵庫県もいよいよ来年の秋から中学校での部活動の地域移行が進んでいきます。これまで中学校では勉強(調査書)と部活動で生徒をコントロールしてきたと思いますが、いよいよその片方がなくなります。地域での活動自体もいろいろな問題が頻発することが考えられますが、それよりも教師が生徒との関係をうまくつくっていけるかを危惧しています。部活動の地域移行は、教師の働き方改革から進められようとしているものであり、生徒たちのことを考えたものではありません。きっと、いろいろなものが破壊されると思います。高校でも従来の指導が成り立たなくなっていくことが予想されます。よい未来を想像できずにいますが、こんなときこそ、宇城先生の教えを生かすときであると思います。
宇城先生は、今世界に必要なのは、日本人の「人間力」であるとおっしゃいました。日々感じるのは、その「人間力」の低下です。受験勉強ではなく、「人間力」を伸ばす教育を目指していきたいと思います。
【大阪 中学校 男性 60代】
宇城先生。先日はいろいろとご多忙の中、今年度第2回教師塾でのご指導を賜り、誠に有り難うございました。
ご講義の冒頭に“勝ちと負け”について考察して頂きました。
宇城先生の仰る通り、「勉強」で考えたときの“勝ち”とは、「成績がよい」や「(俗に言われる偏差値の高い)いい学校へ進学する」等を思い浮かべてしまいます。そのたった1種類の“ものさし”しか持たない為、ついついそういった目で生徒を見てしまいますし、テストで高得点を取る生徒を「頭の良い生徒」と評してしまいがちです。しかし、机上のペーパーテストでいくら高得点を取ったとしても、果たしてそれが「真に賢い」ことなのか…と問われると、そうではないことは自明であるのに、学校現場では「成績が良い者が優秀である」という“常識”があるように思います。そうではないことを、私自身も自分が初めて教育実習に行ったとき、人間の生徒が相手でなかなかうまくはいかず、「今まで自分は何を“勉強”してきたんだろうか!自分の“血となり、肉となり”…となっていないものでは、全然役には立たない」と感じ、机上のペーパーテスト対策の勉強で成績が優秀であっても、そのまま実社会で優秀であるわけではない…ということを感じていました。そして、宇城先生が仰る「(宇城先生が展開されている“気”の指導の受け入れ度が)“偏差値”の高い者ほどダメだ(感度が鈍い)」という事実は、未知のことに対する素直さという「人生」や「気」という面からの“ものさし”で見みると、全く違った様相が浮かび上がってくるということで、戦後行われてきた受験を目的とした“教育”が、その人に本来備わっている“人間力”に蓋をし、マイナスの働きをしていることに気づかせて頂きました。
また、そのような教育現場で、先輩の教員の中には、「勉強が得意ではない生徒に対しては、また別の面、例えばスポーツの部活動で努力させ“進路先”を勝ち取らせる」ことに力を入れておられる方もいらっしゃいました。たった1種類の“ものさし”ではなく、複数の面から見ていくというのは有効だと思っていましたが、今、宇城先生にご指導を賜る中で、現在の(限られたルールの中での)“勝利至上主義”であるスポーツの弊害を示して頂いているので、結局、「勉強」においての“勝ち負け”と同じことだったのだ…と思います。
さて、今回のご講義でも(「正座から立ち上がる」から始まり)いくつもの実証・実践を見せて頂きました。
そして、そのときどきに宇城先生が「わかるやろ(感じ取れるだろ)」と仰ると、“気”(エネルギー)を入れて頂いた方々がうなずかれるので、それぞれの方が何かを感じ取っておられるのだということが分かります。
私も何度か正座から立ち上がる体験をさせて頂きましたが、今、思い返してみるに宇城先生から“気”を入れて頂くと、上から押さえている人との衝突がなくなるように思いました。
しかし、また別の実証、一方の方が座って目の前のテーブルの天板上に左手を差し出して座り、向かいに座ったもう一方の方が拳を振り挙げたあと、容赦なく振り下ろして机の天板を叩くという実証では、左手を差し出していた方の背中を触らせて頂いていたのですが、その方の“びびり”を、私は感じ取れませんでした。他の方々はうなずかれている方も多かったので、書籍『宇城空手の真髄と継承(一) 共に未来へー親愛なる塾生たちへー』に記されていた「受け取る側の目盛りの荒さの違い」ということを感じました。
あと、初めて私は見せて頂き、静かに驚いた実証が…。
両脇を2人の方に支えられた方の右膝から下を、宇城先生が手にした短い竹刀で「スパッ」と切ると、支える方々が真ん中に立っている方を支えきれなくなったことです。あらかじめ宇城先生が「膝下を竹刀で切った動作をすると支えきれなる」と仰ったわけではないので、支えておられたお二方は“重さ”を実際に感じて支えきれなくなったことが分かります。また、その続きで示された竹刀で切られた自分の足を求めて移動されたのもビックリしました。
随分以前にどこかの何かで聞いた話し…「交通事故などに遭遇し足を切断された方が、失くなってそこには無いはずなのに、失くした自分の足の痛みを感じる」…という話しを思い出しました。人間の体は、目に見える「肉体(エーテル体)」以外にも「幽体(アストラル体)」、「霊体(メンタル体)」、「神(コザール体)」が多重に重なっていると、聞いたことがあります。宇城先生は目に見える「肉体」ではなく、その目には見えない「幽体」か何かが見え、そしてそれを切る“技”を持ち合わせておられるのだと思いました。
余談ですが、途中ご紹介頂いた「学会」でのご発表も興味があります。見せて頂いたタイムテーブル。最初に天外伺朗氏(季刊『道』で宇城先生との巻頭対談のお相手だったので、この方の依頼でこの学会に参加されることになったのだろうか…などと邪推してしまいます(笑))、次に宇城先生、最後に矢山利彦氏のお名前がありました。この矢山氏は西洋医学の医師ですが、患者の治療の為に中国の「気功」も取り入れられ、30年数前から“気”に関する著書も多数発表されている方です。ただ、私なりの感想ですが、中国の「気功」の“気”と、宇城先生の“気”とは、何となく違う気がして(今回、初めて宇城先生と矢山氏が会われるのなら)、矢山氏がどのような反応をされるのかが興味深いです。
さて、今回のご講義でも心に残るお言葉がありました。
・「一生懸命なだけではダメだ。」
・「“知”の入り口は“身体”である。」
・「時間は直線的に流れるのではなく、真ん中にある“今”から同心円状に拡がる。」などです。いずれもが、今の私は分かっていませんが、心に残るお言葉でした。
最後に…。
“気”を入れて頂き相手を投げると、次にその投げられた人が投げた人を投げ、また、投げられた人を投げた人を投げ…と循環して、そこに“勝ち負け”はない調和・融合の世界が生まれます。一つ疑問として残ったのが、途中で示して頂いた実証です。縦に一列に並んだ数人の方々が宇城先生に崩されたあと(3回程、“気”を入れて頂いた状態となったあと)、列に加わらずに見ていた人がそれぞれの(“気”を入れて頂いた)方の手首を持つと、簡単に投げられていました。しかし、そのあと交代して投げられた人が投げた人を投げようとしても投げられませんでした。この違いとは何なのか?
些末なことにこだわってしまい、本質を全然見られていないと思いますが、引き続きご指導の程宜しくお願い致します。
有り難うございました。
【奈良 中学校 男性 20代】
この度は教師塾でのご指導誠にありがとうございました。
教師塾の中で先生が、日本人の良さである高い人間性、それが失われつつあるとお話してくださいました。実際にそれを感じた場面がありました。
部活動で他の中学校にお邪魔していたときに、何人かの部員が小さな声でしたが、通りかかった人に挨拶をしていました。その通りかかった人から「挨拶するなんてすごい。普通、今の子は誰にも挨拶しませんよ。」という言葉をいただきました。私は部員の様子を見ていて「もう少しきちんと挨拶してほしいな」と思っていたところだったので、それを「すごい」と言われ驚きましたが、それ以上に誰も挨拶しないことが普通になっていることに衝撃を受けました。
今の中学校現場では、「きちんと挨拶をする」ということでさえ失われつつあると気づかされました。「普通」のレベルがどんどん落ちています。宇城先生の仰っていたもう間に合わないところまで状況が悪化しているように感じました。このままどんどん悪化して廃れてしまうのか、少しでもブレーキをかけてマイナスから0へと向かうエネルギーを出していけるのか、今が分かれ道だと思います。しかし、今のままの自分ではそれを食い止めることは難しいです。
新年度になり、去年に引き続き学級担任をさせていただいています。また、学年のスタッフは私以外の全員が移動となったため、昨年度とはまた違った新しい体制でのスタートとなりました。昨年度から学年に携わっているのは私だけなので、自分の中では「自分が何とかしなければ」と頑張っているつもりになっていました。しかし、実際には、やせ我慢の状態でした。その状況に怯え、居着いているだけでした。それを今回の教師塾での実践で気づかせていただきました。
頭では「こうだ」と思っていても身体はきちんとわかっており、完全に怯えていました。もう少しで身体までボケてしまうところでした。本当に先生に悪くなっていく自分を「食い止めていただいた」と強く感じました。自分自身悪い状態にあったからなのか、様々な実践をしてくださる中で、「良いとき」と「悪いとき」の身体の感覚を以前よりも明確に感じました。この身体で感じた感覚を大事にしていきます。周りの人に寄り添い、一緒に前へと進んでいきます。
生徒の人間としての力や、日本人本来の力を取り戻すために、自分自身をもっと高めていけるよう精進します。今回もたくさんの気づきをいただき本当にありがとうございました。今後もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。
【奈良 中学校 男性 40代】
本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございます。
初めに勝ちと負けのお話をしていただきました。教育の世界でも、スポーツの世界でも勝ちは結局結果でしかないんだなと思いました。勝てば官軍、負ければ賊軍と言わんばかり、教育の勝ちは良い成績、良い高校、良い大学、賃金の高い会社が成功者とされ、心を問われるようなことは全く無いのです。私は野球を子どもたちに指導させていただいていますが、あるチームが優勝してしまうとその指導法が正しいとか間違っているとかの議論はされずに、あたかもそれが正論となってしまいます。気合を入れて試合に臨んだり、結果に対してガッツポーズをしたりということが当たり前になっています。もちろん、心がないわけではありませんが、相手のことは考えない行動になっていることが多いように思います。
伝統は革新をしていくことだと教えていただきましたが、先生の言葉で「進歩成長は変化すること」と教えていただいたのですが、教育とスポーツはなかなか変化が見られないように感じます。私自身、先生に教えていただいたお陰で、変化することに恐れなくなったような気がします。日々成長をしていくためには、新しい革新をしていく。毎年変わっていくことが子どもたちのためになるのだと思い、精進してまいりましたが、私自身まだまだ未熟でなかなか変われないことが多く、もっと素直にできれば、心を忘れずにできればと思うことが多く、反省の日々なのですが、少しずつでも、一歩一歩前に進んでいきたいと考えています。「戦わずして勝つのが上の勝ちなり」と教えていただき、私も引き続き、心の素晴らしさを教育やスポーツを通して、やっていきたいと思いました。
私自身、どうしても頭で考えるクセが抜けず、心で寄り添い、心でとらえることができればと思うのですが、いつも反省ばかりです。私自身に実力があれば、子どもたちも迷わずに進んでいけるのではないかと思いますが、戦わずに勝つ、寄り添い、絆を深めることができれば、私自身にも実力がついてくるような気がします。
私の学校の子どもたちを見ていると、寄り添いや絆の深さというものがすごく足りないような気がします。愛情が足りないことで虚勢を張ってしまう生徒、すごく怖がってしまう生徒が多く、共通点は人の愛情を感じることができない、人に対して感謝の気持が少ないことを感じます。先生のおっしゃるように気は愛情だということが生徒を見ていれば本当によく分かります。先生が気による指導をしていただいているように私自身も少しでもその実力があれば、子どもたちも人生を楽しんで生きていくことが出来るような気がします。少しでも心を込めて、丁寧に精進していきたいと思います。毎日、迷うことが多く、悩みもつきないですが、先生に合わせて頂くと本当に先に光を感じます。これが本当の指導、本当の教育だと思います。私も子どもたちに道に光を与えられるように引き続き努力していきたいと思います。今後もご指導のほど、宜しくお願い致します。
【奈良 高等学校 男性 20代】
この度はお忙しい中、貴重なお時間を頂戴し、ご指導いただき誠にありがとうございました。
私は昨年度まで、持ち上がりのクラスを3年間担任させていただきました。今年度からはまた新たな生徒たちを迎えることとなり、期待と同時に不安も抱えながら、新学期をスタートさせたところです。
AI技術が急速に進化する現代において、「記憶」だけでは太刀打ちできない時代が到来しています。だからこそ、今後は「人としての魅力」や「人間力」がますます必要になるという宇城先生のお話は、非常に心に響きました。先生が提示してくださった画像や言葉から、指導者として「口で伝えるだけでなく、実際にやって見せる」「先を示す」「常に学び続ける」という姿勢の大切さを改めて学ばせていただきました。
中でも特に印象に残っているのは、「腹痛でうずくまっている人に寄り添うことで、その人の潜在能力が開花する」という場面です。日々の学校生活では、生徒が予想外の行動をとることが多々あります。そのたびに、自分の未熟さゆえに対立してしまい、寄り添って導くことができなかったと感じる場面がありました。今回の講義を通して、寄り添い、理解する姿勢の重要性を痛感しました。たとえ指導力に自信が持てない場面があったとしても、生徒一人ひとりの可能性を信じて、寄り添い向き合っていくことをこれまで以上に大切にしていきたいと強く思いました。
また、今年度も引き続き野球部の顧問を務めさせていただくことになりました。宇城先生のお話の中で、「頭を使って野球をする」という意識の領域での行動では遅すぎる、無意識の領域での行動こそが必要であるというお話がありました。春の大会では、普段は何気なく処理できている打球を、ある選手が処理できなかった場面がありました。これは、頭が先に働き、身体で感じることができなかったためではないかと、先生のお話を聞いて強く感じました。
野球指導の中では、「もっと頭を使え」と指導しがちですが、それでは本質的な成長にはつながらないと今回改めて感じました。これからは、身体が先に動き、自然に反応できるような指導を目指して、私自身も努力していきたいと思います。そして、生徒たちの明るい未来を作るために全力を尽くしていきたいと思います。今回も貴重なご指導を本当にありがとうございました。
今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。
【兵庫 高等学校 男性 40代】
この度の教師塾でのご指導、ありがとうございました。常識を覆す実証を示していただき、まだまだ隠れている可能性に希望を感じることができました。エネルギー、愛情、誰にでもあるものが原動力であるからこそ、自分次第でいくらでも変わっていけます。横着せず、「死ぬ時が最高」という生き方を追い求めたいと強く感じました。また、そういった姿を自ら示し、生徒に気づかせることこそが教師の役割です。「日本の財産は人間性」であることを教えていただきましたが、世界から称賛される誠実さや勤勉さは、それを発信できる大人が多かったのではないかと思います。生徒が身近に触れる大人の姿が映り、伝わっていき、未来が変わる。のんびりしている時間はありませんが、先を見据えて長期の視点で取り組んでいきます。
昨年度までは学級担任を務めていましたが、今年度から生徒指導部長として学校全体を考えないといけない立場になりました。まだ1ヶ月ですが、些細な衝突が度々あり、これまで自分が「部分」で物事を捉えていたことに気付かされる毎日です。勤務校は、教師の考えた常識、学校でしか通用しない常識を正しいと思う先生の割合が多いと感じています。そのため、指示待ちする生徒が多く、本来の力を発揮できていないのが現状です。これを何とか変えていきたいと思っています。いろんな考えや思い、立場があるなかで、「調和・融合」へと進んでいくためには、次元を上げていかないといけないと教えていただきました。教師塾で教えていただいたことが身についているのか、頭ではなく身体で理解できているのかを試されています。難しいことが多いですが、自分にとっては大きなチャンスです。自分の行動で学びを広げていきます。今後ともご指導の程、よろしくお願いします。
【京都 高等学校 男性 20代】
宇城憲治先生が主宰される「教師塾」に参加し、教育の本質と、人間としての在り方について深く考えさせられる、非常に貴重な時間を過ごしました。机上の理論やテクニックではなく、「人間の可能性」を体現する宇城先生の言葉と実演は、教育に携わる者としての覚悟と責任を問い直すものでした。日々の授業準備や指導に追われる中で、いつの間にか「教えること」に意識が偏り、「どう生きるか」「どう向き合うか」という大切な視点が置き去りにされていたことに気づかされたのです。
教師塾では、宇城先生による武道の実演を通じて、「調和の力」「信頼のエネルギー」が実際に人を動かす力であることを目の当たりにしました。言葉で説くのではなく、身体を通して示される真理は圧倒的な説得力を持ち、参加者一人ひとりが「見えないもの」の大切さを実感していたように感じます。中でも印象的だったのは、先生が力を一切使わずに相手を制した場面。そこには「勝ち負け」ではなく、「相手を尊重する心」がありました。
また、「気づく力」についての話も非常に印象的でした。子どもの変化、教室の空気、同僚の疲労、そうした「見えないサイン」に気づけるかどうかは、教師としての感性にかかっています。そしてその感性は、知識や技術ではなく、日々の在り方と心の持ちようから育まれるのだと、宇城先生の姿勢から学びました。
「教える前に、自らが学び、整い、成長し続けること」。それが教師にとって何より大切であると実感しました。教師塾の学びは、子どもに向き合う姿勢を根本から問い直し、「人としての成長が、教師としての成長に直結する」ことを教えてくれました。
教師塾終了後、私はこれまで以上に、子どもたちの声に耳を澄ませ、自分自身の立ち居振る舞いや言動を見つめ直すようになりました。教師という立場でありながら、「教える」以上に「学ぶ者」でありたいと、心から思えるようになったのは、この教師塾での出会いと体験のおかげです。
宇城先生の教えは、教育という枠を超えて、「どう生きるか」という根源的な問いを私たちに投げかけてくれます。この貴重な学びを、これからの教育現場に少しずつでも還元していきたいと思います。ありがとうございました。
【奈良 高等学校 男性 20代】
この度は、ご指導ありがとうございました。
日々、生徒たちから色んな訴えがあります。眠たいとか疲れたとか、お腹すいたとか、友達と喧嘩したとか。色々な訴えをしてくれる生徒もいますが、その訴えをずっと内に秘めてなかなか外に出そうとしない生徒もいます。そういった生徒こそ、我慢できなくなったときに外に出す方法として、暴言や喫煙などの問題行動をとったり、不登校になったりすることが多いように思います。
そのような生徒の姿をよくよく思い返すと、必ず教室で暗い表情をしていたり、集中力に欠けていたりとサインを出しています。しかし、そのときの私はそのサインを見てはいますが、声を掛けずに流してしまっていたことがあります。そのとき声を掛けていれば、生徒の気持ちが爆発することもなかったのかもしれません。そこで声を掛けることこそ、まさに「事の起こりを押さえる」ことだと思います。
新年度が始まってから新しいクラスになり、不安定になっている生徒が多くいます。声掛けができている生徒たちは去年よりも落ち着いて学校生活を過ごし、声掛けをあまりできていない生徒は問題行動をとってしまっています。自分一人の心遣いで生徒たちが変わることにやりがいを感じるとともに、その責任の重さを痛感しています。
生徒たちは入学後、マウントの取り合いから始まります。ケンカや腕力が強ければいいという考え方です。それ故トラブルも頻発します。弱い自分を見せたくないから、より強く見せたくて虚勢を張って無理をしています。そんな生徒の話を聞いていくと、暴言や暴力がいけないことは全員分かっています。しかしそれ以外の解決方法が分からず、トラブルになってしまうのだと言います。
教師も同じだと思いました。舐められないように高圧的な態度をとる。舐められないように厳しく注意する。心が伴っていない教育をよくしてしまいます。教師を目指したとき、そのような教育をしたいと思っている教師はいないはずです。しかし初心を忘れ、愛を忘れ、心を忘れて教師を続けてしまっている人がたくさんいます。その虚勢を張った仮面を外し、素顔で向き合うと、生徒たちの表情や話を聞く態度は一変します。まさに生徒は、自分を映す鏡です。心を込めて生徒と接すると、生徒たちは分かってくれます。
教師塾が終わると、次の日生徒に会うのが楽しみになります。まさに希望をもてています。生徒たちも希望をもって明るい未来に向かえるよう、私たち教師が心を尽くしていきたいと思います。この度は、ありがとうございました。
【京都 中高一貫 男性 40代】
今年度も教師のための学びの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。今回の宇城先生のお話とエネルギーを通して、教育に対する期待と危機感を感じ取ることができました。今、世界を見てもAIやロボットなどの進化に加えて、トランプ政権に始まる様々な混沌とした不安定な時代にあることは、子どもたちから見ても明らかな状況です。この状況に対して、私たちが大人という視点で考えている以上に、子どもたちは子どもたちの視点で、私たちにはない先の取り方をしているのではないかと思いました。また、私たちよりも子どもたちの方が感じ取る力が優れていて、私たちには想像できない発想や戦略を考えてくれるのかもしれないと思うようになりました。だからこそ今回私が強く感じた事は、子どもたちの邪魔をしないこと、あるいは、子どもたちよりも長く生きていることのメリットを活かしていかなければいけないのではないかと思いました。その1つが、子どもたちをホンモノとつなぐということです。私の学校では、授業や校外プログラムにおいてそれを大事にしていますが、例えばクラブにおいても宇城先生とつながってもらうなど、とにかく多くの情報を子供たちが見聞きし、体感できるような機会を増やしていかなければならないと思いました。今回改めてそう感じたのは、やはり書籍や動画ではなく、宇城先生を目の前で観ることや、宇城先生がしていただく検証を実際に身体で感じることが子どもたちの心を明るくするのではないかと私自身が実感、再確認することができたからです。
また、言葉以上に、その発するエネルギーを感じてもらいたいと思いました。世界や日本を取り巻く環境は良いとは言えず、もちろんその中にある教育を取り巻く環境は、このままではうまくいかないという事は誰もが気づいていることであると思っています。働き方改革や、クラブのあり方などにおいて、諦めの先にあるのは、私利私欲の自分勝手な解釈です。小さな視野で見れば、ライフワークバランスに象徴されるように、個人的にはメリットがありますし、今だけを考えれば幸せだと思う部分も大きいかもしれませんが、もっと大きな視野で見たときに、人類にとって大きな幸せを私たちは失っていくのではないかと危機感を感じています。しかし、今回の教師塾を通して、まだこうして宇城先生が見離すことなく、私たち教師に指導をしてくださり、教育に光を照らそうとしてくださっていることは、希望があることなのではないかと思いました。指導していただける貴重な機会を得ている責任感と、自覚を高め、日々の行動を改めて行きたいと思います。
【京都 中高一貫 男性 50代】
2025年度がスタートして間もない4月に、幸運にも宇城先生のご指導を仰ぎながら新しいスタートが切れたことに、まずは感謝申し上げます。また、使用教室の調整をはじめ、いつも準備を整えてくださる事務局や実践塾の皆様、立命館宇治中学校・高等学校の先生方にも、改めて御礼申し上げます。
さて、今回の教師塾では、宇城先生の「生徒たちは見抜いている」というお言葉が、深く突き刺さりました。教師として生徒に相対しながら、「自信のない自分」、「覚悟が定まっていない自分」、「勉強不足で迷いだらけの自分」、「力不足をごまかそうとしている自分」など、挙げればキリがないぐらいに「ホンモノではない教師(自分)」がいる事に、改めて気付かされました。また、修行不足の自分に生徒たちが気付いていることにも、改めて危機感を感じました。しかしながら、なかなか出口を見つけられないでいるのが現状です。
過去にとある勉強会で、「心技体、最も充実し始めるのが50代」というお話を伺った事がありました。その当時、私はまだ40代に入ったばかりで、「そうなのか・・・あと10年もすれば、自分にも充実期が訪れるのか・・・」と、軽く受け取っていた記憶があります。また、陸上競技の名伯楽の先生から「50歳になって初めて気付いた事もある。それから指導が面白くなり始めた」というお話も伺った事があり、やはりその時も、「時が訪れれば、やがて自分も迷いのない一人前になれる」と、根拠のない自信が何故だか芽生えたことを、今でも鮮明に覚えています。しかし、その勘違いこそが、自分にとって大きな過ちでした。思い返せば、自分の至らぬ点を謙虚に自覚し、必死に学ぼうとしていた過去の自分のほうが、今の自分よりも遥かに人間力があったように感じられます(ただ単に、今よりはマシだったというだけのことです)。どこで、どう道を間違えたのか・・・。反省してもあとの祭りですが、気付かないまま定年退職を迎えるのではなく、現職の間に目を覚ましていただけたことに感謝しつつ、今度こそ本気の自分革命に取り組むべく覚悟を決めたいと思います。お会いする度に、そのような気付きを与えてくださる宇城先生の存在の有難さに、いくら感謝しても感謝しきれません。
取り留めのない反省や弱音ばかりを書いてしまいましたが、自分自身、いまとても前向きで元気に仕事に取り組めています。それと言いますのも、深い反省とそれに伴う落ち込みを味わいながらも、そこから立ち直るための勇気と希望を、宇城教師塾という場が与えてくれるからです。宇城先生が示してくださる解決のヒントや目の前で実演してくださる人間の変容ぶり、そして、共に学ぶ先生方の謙虚さ・明るさが、何ものにも代え難いパワーを心身に漲らせてくれます。これこそが、私のやる気の源になっています。まだまだ未熟者ではありますが、このままでは終わりたくない。このまま終わってはいけない。こんな素晴らしい先生方と、少しでも明るい日本・未来を創るために、微力ながら自分も貢献したい。そのためにここで学び続けたい。そのような気持ちに満ち溢れている今、まだ何とかなりそうな気がしています。そのような心境でいますので、宇城先生にはこれからもご指導を賜りたく、改めてお願いさせていただく次第です。また、共に学ばせていただく先生方、事務局の皆様にも、今後ともお力添えを賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
この度は、本当にありがとうございました。
【奈良 教育研究所 男性 30代】
先日の教師塾において、ご指導賜り、誠にありがとうございました。
今回も新たな気付きをいただく機会となりました。特に、「先を取るとは、大もとを抑えること」というお言葉が深く心に残っております。
書店に並ぶ本やインターネット上の記事や動画には、いわゆるハウツーを示すものが年々増えてきているように感じます。社会でウケがいいのは、物事の本質を捉えようとするものより、即効性のある小手先の特効薬という現実を改めて思い知らされます。この「即効性」への志向は生徒に限らず、私たち教師自身の中にもあるのではないでしょうか。しかし、そうした状態では「先を取る」ことはできませんし、仮に意識して行動しても、それはもはや「先」ではなくなってしまうのだと痛感しました。
宇城先生はあらゆる種目の選手を指導されていますが、その中身は、指先ではなく、掌の世界です。世の中の出来事やあらゆる書籍をよく紹介いただきますが、それらを通して根底に何があるのか、底流に何が流れているのか、事の本質は何かを教えていただいています。あらゆるものの大もとを抑え続けていらっしゃる先生は、先を取れる身体が築かれているのだと感じました。
表面的なものに囚われたり、上辺だけを繕っていては、決して先を取ることはできません。内面の怯えは隠しきれないどころか、周囲にも伝わることも実証していただき、実感をもって理解しました。ハウツーが溢れるこの社会において、本質を捉えようとする思考の癖を身に付けることが、先を取れる身体への道なのではないかと感じています。教育に携わる者として、その身体をつくることが急務だと感じます。
日々の生活の中で、その道を歩み行き、先を取れる身体に近づきたいと思います。今後ともご指導賜りますようお願いいたします。
【兵庫 高等学校 男性 20代】
宇城先生。この度の教師塾におけるご指導、本当にありがとうございました。
私は今回初めて参加させていただきましたが、宇城先生の御講義、実演にただだだ圧倒されるばかりでした。目に見えないエネルギー。私の浅慮では到底知覚し得ないものが、確かにそこにはあったこの感動は、教員である私が生徒に対して伝えなければならないものであると感じました。そして、このエネルギーを伝えること(伝えようとすること)ができてこそ、真の意味での生徒指導ができるのではないかと考えました。
今回のご講義で宇城先生が警鐘を鳴らされていた、急速に進化を続けるAIなどの科学技術と、それと相反するように停滞する日本社会について、この荒波の中で生きていく子どもたちのために、今教員である私がするべきことは、伝統を守りるために正しく変化していくことで、彼らが先を制し、「上の勝ち」を手にする状態に戻すことだと考えました。そのための方法論は、今の私にできることはただ唯一、愛情をもって真摯に生徒と接することです。今回の講義で得たこの知見を忘れず、精進して参ります。
改めまして、ご指導いただきましてありがとうございました。
【三重 一般企業 男性 30代】
年度が変わり新しい環境に身を置く状況での参加となりました。宇城先生をはじめ塾生の皆様の寛大なお心があってこの場に立ち合わせていただけることに感謝いたします。
教育が今後の日本社会を構築していく上で重要となってくるのかということを再認識させていただきました。この4月より教育現場を離れることにはなりましたが、大学卒業後12年間の教員人生をふりかえると年々学生の様子が変化してきていることを実感していました。これも核家族が進む中で家庭における教育環境の変化や学校と家庭のパワーバランスが変化してしまう世の中の風潮の変化に教員が対応しきれていないことが要因ではないかと思われます。
そのような状況を打破するためには教師塾での学びを通して教員側が影響力を身につけるしかないように思います。この環境で学び気づいたことをできるだけ多くの先生方に知っていただけるように情報を伝えて回ることが私の使命だと感じておりますので共に学べる仲間を増やせるように行動していきたいと思います。
【京都 中高一貫 女性 40代】
宇城先生、教師塾でのご指導、ありがとうございました。新年度が始まり1ヶ月が過ぎたこのタイミングで教師塾を開催していただけることに心から感謝いたします。
教育とは何か。教師塾で宇城先生は私たち教師に対し、常に問いかけて下さっていると感じています。目の前にいる生徒や保護者と向き合う中で、自分の雑で粗い目盛りしかないものさしでしか物事を判断できていない私に対して、宇城先生は0.00…01刻みの目盛りで見る次元を示して下さっています。教育とは生徒たちにエネルギーを与える場でなければならない。それに対して今の学校はどうなのか…これまで以上に深く自分自身に突き刺さる時間でした。
腕相撲の実戦では、男性にできないことが先生に気を通していただくと女性にもできるということを検証してくださいました。女性や子どもは弱く、男性は強い。私たちの中にある無意識の思い込みが崩れる瞬間です。先生に気を通していただくとできるという事実がそこにあるということが本当に大きな希望となります。それと同時に、自分が女だからと無意識で逃げていた部分から逃げてはいけないとも気づかせていただきました。人間である以上、性別や年齢関係なく素晴らしい力を持っている。そのことを先生は実証して下さっています。そう考えると、私たち教師は目の前の子どもに対し、いらない思い込みをたくさん植え付けてしまっているように感じます。いかに可能性があるのか。そのことに気づかせてあげること。その上で、子ども自身が自分の可能性を信じ行動できるようにサポートをすることが教育です。そのためには、私たち大人が自分自身が持つ可能性を信じ、学び、変化を恐れずに実践を続けていくしかありません。自分の経験の中でしか判断できておらず、自分が正しいと思い込み生徒と接することがいかに危険か。そのことに気づけることで、自ずと謙虚にならざるを得なくなります。常にこれでいいのかという不安が自分を襲いますが、その度に宇城先生を心に置き、宇城先生ならどうされるだろうと考えることで、小さな視点を少しでも広げようとできることが本当にありがたいです。
今の延長に未来がある。今がすでに手遅れの段階に入っているかもしれないという教育現場において、宇城先生は逆から見ることを教えてくださいました。未来から今を見た時、今何ができるのか。この視点を持って今何をすべきか判断することが大事であると教えていただきました。まさにこの未来の視点こそが宇城先生が何十年も前から示して下さっている次元であるにも関わらず、自分の次元の低さ故、わかったつもりになっていたことに気づかせていただいています。今の延長ではダメだ。今自分が実践していることの延長上に、希望ある未来はない。本気でそう感じました。未来を変えるためには革新がなければならない。小さな変化の積み重ねでは手遅れになる。強くそう感じました。戦後、アメリカにより腑抜けにされた日本の教育をどう変化させられるのか。日本人が持つ人間性こそが最後の希望であるという宇城先生のお言葉に一筋の希望が見えました。今という1つの点から時間を広げていく感覚を持つ。一方方向だけでなく、過去・現在・未来という時間の幅をどう調和し広げ深めていけるのか。ただ一生懸命やっているだけでは意味がないということがよくわかりました。宇城先生に気を通していただき、自分ができたとなるまで身体の変化に気づけない程に感度が落ちてしまっていることがいかに危険なのか。人間の身体は自動操縦なのにも関わらず、その自動操縦を止め、頭で身体を動かそうとしてしまっていることがいかに危険なのか。待ったなしの状況になっていることは昨今起きているさまざまなニュースからもよくわかります。自分さえ良ければいい。今よければ未来のことなど考えなくてもいい。かつて日本人が大切にしてきた公の精神が消え去った時、日本という国がどうなるのか。そうなってからでは2600年以上続いた日本を守ることはできないということがよくわかりました。
江戸時代、鎖国をしていたにも関わらず識字率は7割〜9割あり、欧米人が日本に来た際になぜ女、子どもまでもが字を読めるのかと驚愕をしたと言われている日本。欧米では女性や子どもは字を読める必要がないと言われていた時代に、みんなが字を学び本を読み、必要性ではなく人生を豊かに生きるために学ぶ楽しさに触れていた江戸時代。当時日本の教育レベルは世界トップレベルだったと言われています。自分の快楽を追求するために学ぶのではなく、国を良くするため、大切な人を守るために学んでいた当時の日本のように、今の学校現場も大きな変革を行わなければ、日本の最大の武器である「人間性」を守ることができないと感じました。
いかに教育が大切か。エネルギーが通れば、2人組でお互いを投げ続けられたように、全員で輪になって回転できたように、エネルギーの連鎖が起こります。そうやってできる身体に気づき、自分の可能性を信じられるようになることで希望が生まれ、身体にエネルギーが流れていきます。そんな場所に学校がなっていければ、学校に行くのが楽しいなり、いじめや不登校といった問題は当たり前のようになくなっていくのだと感じました。周りと比べる、人と比べて自分から逃げるために相手を責める。そんな悪循環を生む場所が学校ではありません。ダメなものはダメと言わなければならない。宇城先生に仰っていただいたように、学校がエンターテイメントに走り、生徒や保護者のご機嫌取りになってしまっては絶対にいけません。腑抜けを生み出す場に学校をしないためにも、自分が変化し、相手に安心を与えられる存在にならなければ革新は起こせません。宇城先生が常に進化、変化、成長を遂げ私に希望を与えてくださるように、まずは教師である自分が変革を起こすに相応しい自分に変化する以外に道はありません。行き着く先は自分。自分の弱さと向き合い、自分に集中し、自分が真剣に学び、自分の命をかけて教育と向き合う。その覚悟を持って進んでいきます。先をとるとは事の起こりをおさえること。何か起きてから防ぐことは不可能であるということを宇城先生に身体を通して気づかせていただきました。まだ間に合うのか。焦りと不安はありますが、間に合うかどうかではなく間に合わせることが私たち塾生の役割だと信じています。自分にできることに真剣に取り組みます。宇城先生、今後とも厳しくご指導頂きますようよろしくお願いいたします。
Comments