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教師塾が開催されました

宇城道塾では、特別塾として教師を対象とした教師塾が年4回開催されています。

「教える、学ぶ」ではなく、「気づく、気づかせる」学び、すなわち自らが気づいて変化していくことを身体を通して学んでいます。




教える立場にある教師自身が、この教師塾の学びと実践を通し、自ら気づき、それぞれの教育現場や家庭、日常において変化してくきっかけとなっていることが、教師塾塾生の感想文から伝わってきます。


以下に感想を紹介いたします。



■大阪 中学高校教員 AT


なぜ目が見えないてんとう虫は、遠く離れた幼虫を見つけることができるのか。普段考えもしない視点から教師塾、実践講演会ともにスタートしました。これまでは自然界の植物は栄養やエネルギーを奪い合って生きていると思っていましたが、そうではないことが科学の発展により証明されてきました。光合成ができなくても、根っこでつながり、お互いを助け合える植物。困った時は SOSを発信し、天敵から身を守る術を持っている植物。同じように、そのSOSを察知し、植物と共生している動物。自然界には弱肉強食という仕組みがあるが、この仕組みもお互いを奪うためのものではなく自然界を守るためにあるものだと考えると、私たち人間は何とつながり何を守れているのだろうかと考えさせられました。


部分体の私達人間は競い合い、奪い合い、争い合うことをやめられず、お互いの可能性を潰しあっているように思えてなりません。そもそも、科学での証明自体が後追いで、科学が進歩していようがいまいが、何十億年も前から地球は自然のエネルギーでたくさんの生命を繋ぎ、育み、守ってきてくれています。自然体だから繋がれる。それは私たちが自然の中で生かされているからだということを痛感しています。相互に助け合い、生かし合いながら、自分だけという狭い視野ではなく、地球規模、宇宙規模で自分の生命の使い方をしている動植物のように、私たち人間も変化していかなければなりません。


宇城先生がおっしゃるように、分断でしか物事を捉えられていないから、謙虚になることができず、欲まみれの人生を歩んでしまいます。自分が良ければいい。自分の大切な人だけが幸せであればいい。そのためには平気で人を蹴落とし、困っている人がいても助けない社会になりつつあります。心の貧しさ。戦後、どれだけ苦しくても日本人としての誇りを大切に生きてくださった先人とは違い、経済力だけでなく心まで貧しくなりつつある現状は、この分断化を止めなければ益々進んでいくと感じています。自分も、大切な人も幸せにしたいのであれば、社会全体が、地球全体が幸せでなければなりません。そんな当たり前のことを忘れている人間の未来に希望はありません。教育とは、裏切らない人をつくるものだ。先生のお言葉が胸に刺さりました。植物のSOSに答えたてんとう虫のように、周りのSOSを感じとり、自然に動ける身体を取り戻せるような教育をつくり上げていくことが私たち教師塾生の使命です。


午後の実践講演会では、小さなお子さんや小学生にはできることが、中学生以上ではできなくなっていました。宇城先生に気を通していただくとできるのに、自分だけだとできない。まさに頭で考え、思考が停止し、身体が先になれていない証拠です。直感的におかしいと感じる。直感的に困っている人を助けられる。その直感すら失いつつある現代人。考えることをやめ、崩れ始めていく様子をただ見ているだけどころか、そのことに気づくこともできずに興味も持てない。まさに分断の真っ只中にいます。このままでいいわけがありません。子ども達は未来の希望です。にも関わらず、中学生から希望を奪っているのは悔しいかな私たち学校です。競争させ、不安を煽り、自信を奪う。未来に希望が持てない現状を与え、思考停止させているのは、私たち大人の責任なのです。


本来、人間が持つべき力を引き出すためには自分が変わる以外の方法はありません。宇城先生に気を通してもらった人が前に立つと、四つん這いになって大人数に両手両足を抑えられても前に進むことができました。できた人が前に立つと、次の人も、また次の人も前に進むことができました。前に立つリーダーにエネルギーがあるかどうかで、その集団のエネルギー量が大きく変わる。まさにその実践を目の当たりにし、結局は誰かのせいではなく自分次第なのだということがよくわかりました。教師塾の最後に、二人が肩を組み、いがみ合うと弱くなり、仲良くすると強くなるという実践の後、正しい姿勢で正座をしている人がいがみ合っている2人の下に座ると強くなるという実践を行いました。自分が正しく胸を張って今いる場所で実践できていれば、その場所全体を強くすることだってできる。組織の中でも自分次第で変えられることはあるのだと勇気をいただくことができました。


ではどのようにして自分自身が強い身体となっていくのか。まさに稽古照今です。学ではなく術。そのためには、日々の鍛錬が欠かせないということを重く受け止め、行動に変えるしかありません。宇城先生がとてつもないスピードで学びを深め、日々検証され、実践に変えていかれています。それに比べて自分には覚悟が足りないのです。ゼロか1か、2進法で生きる。やるかやらないか。まずはこの実践から始めていきます。そして何よりも、心を抜きにした断片的な学びではなく、事理一致につながる学びを提供できるように、真剣に考え、行動に変えていきます。


実践講演会では、初めは控えめだった中高生が、時間が経つにつれ前のめりになり、最後は本当に生き生きとした笑顔で実践をおこなっていました。場の空気は調和し、そこにいる全ての人が笑顔に変わっていく。まさに教育のあるべき姿でした。宇城先生の実践講演会は、言葉だけではなく、そこに真実が存在しています。嘘のない世界。まさに自然界と同じで、調和した空間がそこに生まれ、その場にいる人みんなが元気になっていけるのだと感じました。すべての人が幸せに生きられる世界の実現に向けて、教師塾生として、宇城先生に恥じない生き方をしていきたい。私自身が変化することでしか変えられないものがある。私も自然界の一部であり、私には果たすべき役割があるということにも気づくことができました。


宇城先生と出会い、私は自分の使命をいただくことができました。教育というかけがえのない場に関わらせていただけていることの幸せを、日々感じることができています。自分はまだまだだ。そう思うことばかりですが、そのような気づきを与えてくださるのも、宇城先生や宇城先生が繋いでくださる方の生き様を見させて頂いているからです。本当に感謝しかありません。今、この時代に生かされていることに感謝をし、全体性で今という時代を捉え、今自分にできることが何なのか、向き合い続けていきます。先生に気を通していただくとこれまで以上に身体の中心から全身に向かって熱くなっていくのがわかりました。身体がというよりは細胞が熱くなっている、そのような感覚でした。


ここ数ヶ月、首の痛みに悩まされてきましたが、先生に気を通していただくと痛みが引いていきました。何かいらないエネルギーが自分の中に存在するのだと実感しました。細胞から変化する。うまく言葉にはできませんが、身体は答えを知っています。感覚、空気感、目に見えないものを大切にできる自分でいられるように、対立ではなく調和。分断ではなく全体性を大切に、日々精進してまいります。いつもご指導いただき、本当にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。



●京都 中学高校教員 TN


昨日は、教師塾、京都実践講演会でのご指導、誠にありがとうございました。

コロナウィルスの影響から日本の政治判断への不信。社会情勢の急激な変化。そして自分自身の生活へのダメージ。正直自分に火の粉が降りかかることのイメージがこれまでなかった国民が、自分自身が自立・自立しなければと思うような風潮になってきているタイミングにおいて、どう動いたらいいのかわからい。見通しが立たない現状でもがいているというのが実情だと思います。その中で、希望ある未来を示してくれる宇城先生の講演会につながった方がたくさんいたのではないかと推測します。『これしかない!』昨日の講演、身体を通した実践でそう感じたことでしょう。


最初に、ヤナギを食べる虫とテントウムシについての話。また同様にアカマツをマツハバチの幼虫に食べられるとシジュウカラを呼ぶ。目に見えない信号が出され、それをキャッチする。それも広い広い世界の中でそれが自然と行われている。更には、落葉樹と常緑樹の関係。菌糸を通じて、お互いに助け合う関係の映像と説明を聞かせていただくことで自然界がいかにして命をつないできたのかを知り、衝撃を受けました。これは最新の研究でわかったことかもしれませんが、ずーっと昔から当たり前にこのようなことがあったということ。ただただ私たちが知らなかったということ。


では、人間界に目を向けるとどうでしょう。戦争、受験勉強、競争社会など、困っている相手がいれば助ける。仲良くなる。どころかむしろ見放す。蹴落とす。というような関係となっています。当然目に見えない SOS の信号はキャッチすることは出来ず、自殺者がどんどん増えていくことも改めて納得させられました。年間 2 万人。出生率は年間 80 万人程度となっている今の日本。この数字から私たちはどう受け止めるべきなのか。


益々『希望が見えない日本』が加速していく今の現状を打破していくためには、教育に関わるものとして、学校教育を通じ、仲間を大切にすること。学ぶことを好きになることを徹底して取り組んでいかなくてはいけないと感じました。


先生が昨日①言い訳をしないこと②二進法でやることと繰り返しお話して下さいました。2 人組で腕を掴みひっくり返す検証では、頭で考えると手がひっくり返すことができません。表と裏。0と1の間にある時間のスピードを上げることで簡単に腕をひっくり返すことができました。身体先にありきです。


他には、両腕を押さえられてのスクワット。しゃがんだ時に相手に抑えられると上がることができませんが、下がった時は上がっているという内面のスピードが上がるとスッと上がり、何回も相手に抑えられることなくできることができました。抑える側も上がるタイミングに入っていくと今度は逆に抑えることができる。お互いにそうしてやることが本当の意味での稽古。鍛錬であるということに気づかせていただきました。


前で実践している中学生は、一度できると何回もできる。小さい子どもが腕相撲で大人を倒す。やはり子どもは「すごい!」と。せめて大人が邪魔をしてはいけないと。身体を通して「できた」経験は、ずっと残り、自ら挑戦していく意欲に変化していきます。子どもたちの様子からそれを目の当たりにしました。


毎回感じることですが、人間には、本来素晴らしい力がある。それが退化していっている。本来の能力を発揮するためにも身体も思考も素直になることで自分が変化する。それを楽しむことでエネルギーが周りにも伝わり、希望が出てくる。こうした教えをいただけることに感謝し、引き続き学びを深め、行動していきます。



●奈良 高校教員 RM


「私たちが知らないだけの真実」は自然界には数多存在しています。私たちの想像をはるかに超えるほどです。教師塾終了後、人間は他の生物と比べて、何の力があるのだろうか。私は一体、何が出来る=実践し結果を残すことができるのだろうか。とシンプルな疑問が生まれました。その解答は・・・何もありません。何も見つけ出せない(気づけない)のです。欲を出し、我を通してきた人間とその社会の仕組みの中では、当然かもしれません。


宇城先生がお話に挙げられた自然界では、異種・同種関わらず共生関係がありました。持ちつ持たれつ、お互い様。互いの特性・特徴を活かし、長くとも短くとも関係なく、日々生命をつなぎ、子孫を残す。そこには、自殺も他殺も不登校も精神疾患もありません。


厳しい自然界ですから、厳しい生存競争があると思っていました。というよりも、それしかないと思っていました。真実は、植物は土の中で根と菌糸で繋がり、土の上で他種の生物と繋がっていました。その「術」をもっていたのです。


当然、鍛え上げられたわけではなく、ただ自然体に仕組みが生まれ、共生を始める。その仕組みを人間が文明を築く前から、ずっと守り続けている。もちろん、急激な環境の変化で絶滅する危機はありますが、生き残るために「変化」し、次の環境(時代)を生きる。それは競争ではなく、淘汰です。植物に脳はありません。昆虫や鳥やその他哺乳動物などは植物を食べたり、住処にしたり、道具にしたりしますが、植物はじっと動きません。ただ太陽に向かい、悪い空気を取り込み浄化して戻し、根を伸ばして周囲と調和しています。身体(幹・根・枝葉)でそうしているのか、と気づきました。統一体だから強いのか。私にとって、「自然体」「統一体」は、例えば樹木であること。が一番しっくりときました。


言い訳をせず、愛情をもって寄り添い、スピードを止めないことが他者を護り、活かし、強くし、強くなれる。と前半での気づきを後半に様々な実証で体験しました。自分ではできないのですが・・・。自分が知らないだけの真実があることが分かれば、謙虚な姿勢になるのが自然です。それでも衝突を繰り返す人がいることもまた事実です。子どもができて大人ができないこと、目に見えないエネルギーで世界は溢れていること。それに触れられるだけで、人生のベクトルは変容していくと思います。


宇城教師塾に参加させていただき、4年が過ぎました。正直に申し上げて、宇城先生という方に学んでいる現状に満足していました。浅はかで単純だったこれまでとは異なり、少し年数を重ねてきた頃に傲慢さ、横着さ、自己中心的思考が浮き彫りになってきていました。「THE教師」です。先生のご自身の「気」の正体についての探求心や学びの深化の過程を目の当たりにし、次元が違うことを再確認いたしました。現状維持では困る。とのメッセージだと感じております。本当に幸せです。


日本人であるだけで、先生が話される言語がタイムラグなく分かるだけで、全世界から羨望の眼差しで見られるでしょう。宇城先生は「あぁ、そうか。そうか。」と、ちょうど私たちの手の届くところに「種」を置いていかれます。拾って渡す、拾って取り込む。拾うだけではなく、次の動作が無ければ時間が止まってしまいます。つまり、成長がとまってしまう。怯え・恐怖心があると行動できなくなることも実証済みです。


既に私たちは「病気」です。病気の反対は健康ではなく「救い」。戦後の様々な改革、教育の支配、政治家の腐敗によって、病気になる他ない時代の中で、先生は「救い」を体現されています。自分の中にある潜在的エネルギーの開花を目指し、変化・進化・深化=実践を重ねます。

宇城先生、この度もご多忙の中、ありがとうございました。今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。



●岐阜 高校教員 KK


今年度最初の教師塾および実践講習会でのご指導ありがとうございました。

教師塾では、私たち教師に対する宇城先生の想いやご期待を、そして実践講習会では子どもたちが私たちの未来への希望であることを痛切に感じる機会となりました。


私たちが気というものを理屈で理解しようとするクセが抜けないのにもかかわらず、それでも宇城先生のおっしゃることがなんとか「わかる」ことができるのは、先生による身体の実証を通したご指導があるからです。常識では考えられない実証は、私たちがそれを身体で知る唯一の方法です。体験しなければ分からない。


一方で、体験させていただいただけで分かった気になり、すぐに現場で活かそうとする横着さもまた私たちにあります。実際私もそうでしたし、今もその誘惑にかられることがたくさんあります。ですが今はそれ以上に私自身が変わること、私自身が身体を練る修業を重ねること、そのために宇城先生の姿をなるべくそのまま私自身の身体に映すことが大切だと思っています。そのように考えてみると、自分自身の至らなさ、横着さがますます自覚できるようになるからです。


例えば心がまっすぐに整わないこと。宇城先生はじめ、あらゆる場面で人の話を一生懸命に聴いているつもりでも、気がつけば心と身体がその人から外れていることがよくあります。恥ずかしながら今回のご指導の最中でもそういう瞬間が度々ありました。


また例えば一歩踏み込めないこと。どれだけ心や頭で踏み込んでいこうとしても、身体の腰がひけてしまうことがよくあります。こればかりは、頭からの命令ではどうにもなりません。「月は映るともなく…」の例えで宇城先生は教えてくださいます。かつてはその意味がわ全く分かりませんでしたが、いまでは心がざわめき、月を映そうにも映せない自分である自覚がようやく持てます。一歩踏み込みさえすればいいのにそれができない。日常生活でもそんなことがたくさんあります。


そんななかで、言い訳をしたり理由をつけたりして誤魔化してきましたが、そうすることでさらに身体は弱くなります。だからこそ、宇城先生のおっしゃる二進法で行動していくことが大切だと思います。YESかNOか。それすらグズグズして決められない身体ではなく、良かれ悪しかれ瞬時に決断していく。そのスピードが私の大切な指針となりそうです。


近頃、私の子どもや生徒たちを観る感覚が変わってきました。子どもの行動や仕草から彼らを理解するのではなく、内面を観ようとしています。そうすることで私自身の言葉や行動が変わり、子どもたちも変わっていきます。先日も不登校の生徒の家に行き、なんのことはない取り留めもない会話をしただけなのに、なぜか翌日から生徒が学校へ来られるようになりました。理由はよくわかりませんが、彼のなかに何か変化ぎあったのだろうと思います。


こうしたことを重ねていくと、もしかすると私自身も子どもたちのために何かできる力があるのかもしれないという希望がわいてきます。どちらが先生でどちらが生徒か分からないです。しかし、逆にそのような見方をするからこそ、今回も宇城先生がされたような「甘えていてはいけない!」という厳しい指導ができるのではないかと感じています。

今年も1年弱くてダメな自分を認めつつ、それもひっくるめて前に進んでいこうと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。



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