2022 年 創心館 淡路幹部合宿レポート


2022年7月15日〜17日までの3日間、創心館総本部道場にて、幹部合宿が行なわれ、宇城憲治塾長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、各支部の代表が参加した。


意識領域と無意識領域の差、すなわち細胞レベルと頭で考えるスピード、エネルギーの違いを、セイサン・パッサイの型、また様々検証を通じて学ぶことができ、淡路本部道場ならではのレベルの高い稽古が行なわれた。


座学、実践稽古、懇親会を通じ宇城塾長から大きなエネルギーを受けることができた素晴らしい3日間の合宿となった。



全体での型稽古

■パッサイの型 体かわし突き

お互い組になってパッサイの「体かわし突き」を行い、中心がズレた瞬間に片方が手を挙げて指摘する稽古。 意識領域での型は、体を切り返した瞬間に相手とずれる。



パッサイの型



相手がずれた瞬間に手を挙げる

■セイサンの型 両手はずし

「両手はずし」を使い、相手の首を切りながら投げる稽古。

塾長が気を入れ、我々の細胞(無意識領域)に働きかけると、相手は刀で斬られたように感じ、鋭く投げることができる。



セイサンの型

両手はずし (セイサンの型)

両手はずしで相手の首を切る




寝た状態で「両手はずし」を行なうことでエネルギーが生まれ、足を引っ張っても動かないくらい重くなる。さらに相手が左手を掴み、右手で「両手はずし」を行うと簡単に投げることが出来る。



相手が左手をつかむ

両手はずしの型を右手でおこなう

エネルギーで相手を投げることができる



稽古後の懇親会


集合写真

 

参加者感想文

 

■K.H 東京 自営業


宇城先生


 この度は幹部合宿という貴重な機会を頂き誠にありがとうございました。

 普段の稽古より更に深く内面の重要性や無意識領域と意識領域の時間の速さ、次元の違い、そして型を自分の癖で崩さずきちんと型の通りにおこなうことで、身体がどのように変化するかということなど多くを学ばさせて頂きました。さらに意識領域と無意識領域とでは同じ自分でありながら、別次元であることを具体的に実際に目に見える形で次々に体感させていただきました。


 無意識領域に自分を置くことで無限の可能性が広がるが、無意識になろうとすること自体が意識世界であり、意識の行動では時間の早さのレベルが桁違いに遅いので決して無意識領域には入れないこと、意識の行動では相手との境目をグラデーション化することができず衝突が生じてしまう。では無意識の領域に近づく為にはどうしたら良いのか。まず健常者という自分の病気、行動や思考の癖という病いに向き合い、自分の真の姿に気付くことが何よりも先ず必要だということに改めて気付くことができました。


 最終日に左手を多人数に掴まれそれを右手のサンチン腕受けで崩すという検証では、自分でおこなったときはうまくいかず麻那さんに腕受けの補助をいただいたら上手くいきました。腕受けを直された時、自分の中でここを直されたと感じたところと違うところを麻那さんは指摘しました。先生のおっしゃる「見る力、受け取る力」と「目盛の細かさ」のレベルの違いとはこういうことかと改めて思いました。


 宇城空手は簡単に身に着けられるものではありません。ただ時間に任せて稽古をしていれば上達することはない。半端な覚悟では修行のとば口にすら立てません。この「見るちから」「受け取るちから」がなければ、せっかく先生から御指導を頂いたとしても、それを自分の身体に残すことができず自分では再現することができないのです。今の自分を翻って見つめれば自分の中の目盛が大雑把過ぎ自分の身体が、先生のご指導を受け取るだけの能力がないかあるいはその時の感覚を、頭で記憶しようとしていると思わざるを得ません。


 麻那さんが私と同じように多人数に腕を掴まれた状態を片手でのサンチン腕受けで崩した時、自分でも驚いたような顔したのが印象的でした。初めてやったけどできた、そんな表情でした。崩してやろうとかどうやればできるだろうかそうしたことを一切考えず「ただ腕受けをする」。


 それはいつも先生が我々に仰っている事です。「師を映す」という言葉そのままの姿でした。師を映すのだ、自分は先生を信じている、自分は真剣だ、そう思っていた自分が実はそれら全てが意識で頭で考えていたのだとはっきりと分かりました。


 宇城空手の修行の道の始まりに立つには、とことん自分の本当の姿を見つめ直し自分が隠したいと思っている醜い自分の姿をさらけ出して素になることで、初めて今までの洗脳状態とも言える身体や思考の癖という病いから抜け出すことができるのだと思います。それ無しには真の謙虚さは生まれず「師を映す」ことはできず、先生のご指導を受ける資格もありません。


 榎本師範、拓治師範そして麻那さん創太君それぞれの検証を拝見して、学びの深さが目盛の多さに繋がり目盛を多くするためには先ず自分を捨てて身体で学ぶこと、ただ師を映すことでしか宇城空手を身に付けることはできないと改めて強く感じました。


 今回の合宿を通して更に強く確信したこの気持ちを常に忘れることなく、日々の稽古に向き合っていきたく存じます。次回ご指導頂けますこと心よりお待ちしております。御指導よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。


 

■T.K 東京 自営業


宇城先生、榎本師範、拓治師範


 淡路島創心館総本部道場での幹部合宿では、大変お世話になりまして有難うご

ざいました。今回は、2日目午前中までの稽古となってしまいましたが、武術・武芸を修練する姿勢や心構えなど、「天狗芸術論」や「驢鞍橋談話」なども引用されながら説いて頂いたお話や、また新しい木刀の型のご指導も、幹部合宿としての高度なご指導を体験する事が出来ました。


 先生が木刀を構えられて、剣先を相手が持った状態で、心を先に向けて横を向くだけで相手は無力化されました。また、しのぎを削る防御の姿勢から、斬り込んでくる相手に入るという検証でも、剣先を持った相手は無力化され、木刀を自在に動かす事が出来ました。それだけでなく複数の人が掴んだ木刀を先生は軽く触れただけで全員が無力化されました。


 この「残心」、「入る」という武術究極の技に何度も触れる事が出来ました。その時の感覚としては、心地良い波動の様な力が自分に働いて来て、そのエネルギーは小さく微弱な様でも抗う事が出来ないエネルギーで、力で抵抗しようとすると逆に大きなエネルギーとして跳ね返って来たり、先生が瞬発力を使われると、全員が真下にドスンと落とされてしまう様な感覚を覚えました。これからもこの感覚を身体に染み込ませていきたいです。


 天狗芸術論を改めて読み、まずは技が出来ていないとはじまらないという事を知り、技は気によって修練するという、生き生きとし活動して停滞せず剛健なものを内部に持ち続けていく事。技を自分の心と身体に合致させて技の道理を引き出していく事。技が習熟するに従ってはじめて気と技が融合し、技本来の原理が現れていく事。それが自分の心にうたがいも無くなった時にはじめて事理一致が起こり、自由無碍の境地に到達するという事。それらの事を自分の稽古に当てはめていき、そしてそれ等の段階を経てはじめて「残心」や「入る」の技が見えてくるのだと思います。


 武術、武芸を修練していくという事は、そのような段階を踏んでいくという事だと再認識し、また稽古に取り組んでいきたいです。どうかこれからもご指導の程、宜しくお願いいたします。


 この度は有難うございました。



 

■N.Y 三重 自営業


淡路本部道場での稽古、ご指導を賜り誠にありがとうございます。また合宿に参加させていただいた事に感謝申し上げます。座学、実技を含め三日間本部道場での稽古はより緊張し、自然と神経が研ぎ澄まされていきます。 座学においての意識領域から無意識領域の差、その違いがより深く腑に落ちました。自分がいかに五感を頼りに知識から全て答えを出し、体裁を気にし、都合よく世間にあわせ自分を守ろうとしています。意識の行動は体裁を保つため見栄を張り、自我、我欲が強く、弱みを見せない様に心を閉じていることが良く分かります。


 空手の実技検証で顕著に表れます。対立の反対は調和であることを認識するものの自己中心では絶対に無理です。無意識領域の細胞に働きかけるその次元時空は目に見えない領域です。それを見えるようにし実証されている時に先生に触れさせていただくことで自分の意志で動くことが出来ず、感覚はあるが力の入れ方を忘れたかのような感覚です。五感で分からない表現できないのが無意識の領域になっているのだと思いました。する方もされる方も同じでありそれが調和の世界であり具体的には相手と繋がり相手の行動と同じ行動になります。自分の厭らしさが消えるかのようです。


 細胞レベルの時空の中では嘘やはったりは無く対立構造は消えています。現代の意識領域からの対立構造から世界情勢や落ち込んでいる日本、人間力の低下が伺えられるのは明らかであります。この仕組まれた世界からの脱却は無意識の領域に入らなければ先に進めないと思いました。私自身も経験から自分の意志ではどうにもならない事態において、初めて太陽、空気や水、自然、いつでもある当たり前の物にいかに自分が生かされているか分かった瞬間感謝しかなかった経験があります。また他人から寄り添って頂いた時に生きるエネルギーを感じ、それも感謝しかなかったです。ただ身体が治癒されてくるとその本来の感謝を忘れてしまう。その心の薄情さが私の問題です。


 先生の細胞に働きかけ、無意識の領域を次世代の子供たちに繋げる教育、武術を通して世界を駆け抜ける勢いに深く感銘を受けます。その先端で学んでいる私たち塾生は自分の為だけの私的稽古ではだめです。少しでも先生に近づく様次世代に学ぶ姿勢を繋げる公的稽古に臨まなければならないと思いました。先生の剣、空手の稽古から何を学び、何を直し何に活かすのか、意識領域からの脱却に向けての稽古に鍛え直すべく更に真剣に取り組む所存です。


 合宿稽古、誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。



 

■R.F 大阪 会社員


 宇城先生


この度幹部合宿を開催して頂き誠に有難うございます。異次元であり奥深い世界のご指導有難うございます。今回稽古の始めに居合の秘伝の型 雲竜の型をご指導していただきました。初めて拝見させていただきました型ですが、型の意味として2人連れで歩いているところを気配がおかしい事に先に察知して、3歩目で踏み出すところを止まり右斜めに斬りつけ左斜めに上段斬りを行い、正面から相手が斬りつけるところを鎬で受け止め左脇構えにとり、そこから腰の回転により1回転の胴斬りを行い、上段斬りそして後方に回転し上段斬りをした後、納刀を行うものです、秘伝の型といえる重要なものがいくつもあると感じました。


 まず相手の気配を察知できなければならない事 察知できたうえで斬る事が出来る事 そして胴斬りも手で斬るのではなく 腰の回転で斬れる事、後方で斬る時も、眼と心身が一致しなければならない事 凄く難しい型ではないかと思います。先生が模範を示されると全てが完璧でした、実際に型と技が使える事が重要である事を教えて頂き有難うございました。


 空手の稽古について セイサンとパッサイの指導をして頂きました。セイサン・パッサイの型について 腰が折れている 腰が折れている原因は足幅が広いからだ、各技自体が小さい、ただ動作をしているだけ 胸足腰が突っ張っている、下段蹴りもできていない、型を作りすぎている、しゃくっているとご指摘いただきました。型の上手、下手ではない。一所懸命やっているつもりだが型ではないとご指導頂きました。癖は自分で気づいてとらなければならないが、気づかないし気付く事ができない、何故なのかその原因も教えて頂きました。


 自分の眼にフィルターが掛かっているからだと 色眼鏡で物事をみている またそれは思い込みが強い癖だと、自分は強い癖があると、それが大きな病気だと指導頂きました。フィルターとはプライドや見栄、欲であると、それを捨て去らなければならないと、自己のフィルターで見る事をやめ欲と癖を捨て去るよう方向に近づけれるよう心がけます、本質的なご指導有難うございました。


 この2日間の合宿で 先生の 眼に見えないエネルギーの気がどれだけ偉大か教えていただきました。間がしまる事と間抜けである事は雲泥の差である事を身をもって理解させていただきました、気によって間がしまる事により信じられない事象が現れます、先生の成されている事は全ての人間力の飛躍と次元の向上で素晴らしいエネルギーの変化です。


 自分は間抜けです、間が抜けており 理解がまったくできておりませんでした。今回の合宿で何も学んでいなかった事が全て現れました、また上手、下手ではなく自分の進んでいる方向が 型ではない全くの逆方向、真下に進んでいた事を教えて頂きました、有難うございました。


 今回の合宿の御指導 先生の言葉を 能く考え 今後の稽古の方向性を正しい方向性にとるようさせていただきます、ご指導誠に有難うございました。