第37回 東京実践塾春季合宿
宇城憲治塾長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、塾生112名が参加した。
コロナ禍の2年間、100名以上参加する合宿を続けながらもクラスターはゼロ。
「人生に自粛無し」の言葉どおり実践した宇城塾長は、
「今のところ、物質の最小単位は目に見えない素粒子で(細胞はその集合体ですが人間の場合、心との関係性は切り放せません)、その素粒子こそがエネルギーの根源です。それを自由にできるのが「気」です。その生きるエネルギー「気」を生み出すメソッドとプロセスをすでに宇城空手は構築しているのですが、生半可な気持ちでは到底入り口にもたどり着けないと思います。今、そしてこれから先の混沌とした厳しい現実が立ちはだかる中で、それを切り開き、希望を見いだす道はただ一つ「宇城空手」にあると思っています。」
と述べた。
参加した塾生にとって、あらためて宇城空手の厳しさと気のエネルギーを感じた充実した二日間となった。





感想文
■ T.K 会社員 茨木
今回も合宿を開催、参加させて頂き有難うございました。
3年近く厳しい状況が続く中、当たり前のように毎月の稽古、年2回の合宿を
開催して頂き感謝します。コロナ禍の下、様々な催しが取りやめ、延期になるの
が当たり前の中、実践塾だけは変わることがなく通常と変わらぬ運営で心強く感
じますし、宇城先生の生き様が表れているように思います。
今回初めて指導する立場に立たせて頂きました。以前所属していた空手で指導
していた時は、力みをとる(脱力、リラックス)、脇を締める、腰を落とす、呼
吸が大事と口では解ったように説明し、身体ではスピーディで力強い動きを見せ
て、指導していましたが単に体を動かして汗をかくエクソサイズ的な指導、練習
であったと思います。
宇城空手の指導する立場に立たせて頂き、姿勢、呼吸、胸を開く、肚を据える、
眼線、力まない、居着かない、呼吸と動作の一致、筋力に頼らない瞬発力等の武
術空手の要素を言葉にして相手に理解してもらう、身体を用いて相手に伝える、
の難しさを新ためて感じましたし、自分の技術の拙さ、知識の曖昧さをあらため
て認識しました。
1対1で相手を倒す、1対複数でも相手を制する、を追及することが空手、武
道の究極の目的と思い、そこを目指していた時期もありましたが、1対複数どこ
ろか数十人をコントロールする宇城先生の技、氣の働きを目のあたりにして相手
を倒すということではなく倒した相手にエネルギーを与え上の領域に入る(普段
かからない技がかかる)、相手を活かすことが空手としても武術としても目指す
べき境地だと思いました。
指導することで空手が上手くなる、強くなるのは当然ですが人間的な進歩成長
につながる稽古や指導がしていければと思います。相手を倒せばいいという、相
手ありきの相対的な強さを求める空手を脱却し、今は真実・真理を追及し、絶対
的な自分を確立するための空手、自分や他者の進歩成長につながる空手を稽古で
きる有難さ、幸せを強く思います。
これからもご指導の程をよろしくお願いいたします。
■ T.Y 自営業 埼玉
宇城憲治先生
合宿での指導ありがとうございました。
今年に入って怠けていた心に一気に喝が入る二日間でした。
宇城先生からは「本気、真剣」ということを合宿の始まりからご指導いただき
体育館内の空気が張り詰め、館内がエネルギーに満ちていました。
指導員のSさんにはここまで自分に癖があるのかというくらい、厳しく細か
く指導していただきました。出来るようになることを楽しみに、何年かけても身
に付けたいと改めて感じるとても心が充実した時間でした。
二日間で足腰が立たぬほどの稽古量と今まで味わったことの無いような筋肉痛
でした。そこまで、自分を追い詰めることができたのは、宇城先生の気のエネル
ギーの賜福でしかありません。本当に心から感謝致します。
合宿で身に付けたこのエネルギーを仕事に、日常生活に活かしたいと思います。
二日間大変お世話になりありがとうございました。
■ Y.I 画家 神奈川
宇城先生、春季合宿に参加させて下さり、誠にありがとうございました。
合宿が終わってから、元気が満ち溢れているような、心地よい体感があり、一
週間以上経ちましたが、日常の些末な事にへこみすぎないようになり、大きなエ
ネルギーと繫がっている感覚で過ごせています。
初日、稽古場に入ると拓治師範が大勢に囲まれ、様々な検証をなさっていてす
でにエネルギーが満ちているように感じられ、合宿の場に身をおける有り難さで
胸が一杯になりました。先生がいらっしゃると、いよいよ合宿が始まるぞという
緊張感が高まりさらに気持ちが引き締まりました。
まず最初に先生が、居合の5番目の型を、御指導くださいました。形と順番を
追うだけでも精一杯でしたが、先生が、Iさんに厳しい言葉で御指導なさいま
した。先月の稽古の時から続いている御指導でした。Iさんは、絵を見に来て
下さったりお手紙を下さったりして自分は仲良くさせて頂いていると思っていま
した。
今回御指導を伺って、それが表面的なことに過ぎず、自分はIさんに対して、
「不自由な事があるのは仕方がない、続けているだけでもすごい」と思っていた
事、それがどれだけ傲慢で、見下していたのか、先月の時点で自分は全く認識出
来ておりませんでした。
先生の厳しく真剣に向き合い指導して下さる愛の深さは、自分の想像を遙かに
超えるものだと思ったときに、同時に、長い間自分は、絵画講座で学びに来て下
さった人に対して全く真剣に向き合っていない。と繫がって、特に理解や上達が
遅い人や、視力が悪い、手が不自由などの障害がある人に対して、仕方がない、
楽しんでもらえばいい、と思っていたのではないかと初めて思い至りました。そ
れはまさしく人間の可能性を信じていない。という事でした。
絵は、命懸けというような厳しさはありませんが、真剣に向かえば日々の習慣
が一変したり、生きる喜びや自信を得、喜びにつながります。自分はそれを伝え
たくてやっていたはずです。そうやって過ぎていった年月や、ご縁のあった人達
の顔が浮かび悔やまれました。自分はなんて冷たい利己的な人間かと顔が上げら
れませんでした。
班分けでは、Mさんの班に入れていただき、クーサンクー、パッサイ、セイ
サンの分解を細やかに丁寧に指導していただきました。覚え違いや癖も多く、何
十回に一回、この感じか、と思える時の言語化出来ない共通の体感を、繰り返し
稽古し、自分にしていかなければと思いました。
先生の御指導では、形に対しての厳しさが全くない事、手刀の形をしっかり意
識する。掌の中心にエネルギーの溜まるところがある事。その実証を見せて下さ
り気の通る一点を探す、その感覚を切らさないようにして、動かす。手刀構えの重
要性を繰り返しお伝えくださいました。
掌のエネルギーと、木刀を持って構えるときの意識が、繫がっていくように稽
古したいと思います。感じられた精妙な感覚をもっともっと太いものにしていか
なければ意味が無いですし、その感覚を太くしていって筆が使えるようになれば、
それは自分にとって未知の絵画世界である事は間違い無いと思います。
今回の合宿では、稽古の始めに、「自分は人間の可能性を信じていなかった。
口ではそう言っていても本当には信じていなかったのだ」とはっきり気付かせて
いただきました。それは先生の深い愛の御指導に触れさせていただいたからです。
稽古そのものの内容とは、ずれたことを長々述べてしまったかも知れませんが、
自分が、分かっている気になっている、やっている気になっている、という長年
の誤った認識に愕然とした事は、そのパラダイムに居続けるなら御指導を受ける
意味も絵画に取り組む意味も無い。と強く再認識した事でした。
長年取り組んできた絵画の指導の根底に「愛」はあったかと問うてみれば「否」
と認めるところから始め直さなくてはなりません。ここを自覚しなければ、自分
を変える事など出来ない。そうでなければ能動的にパラダイムを変えていくこと
など空論でしか無いと思いました。
改めて、頭で認識しただけでなく、心と身体の学びで自分が進んで行かれるこ
とはなんと有り難い事かと思いました。教えていただいたように、型を正確に。
身についてしまっている癖を取っていく。木刀は新しく覚えるものだから、正し
く身につけて自分を作っていく。
合宿に参加させていただき、未熟な自分ら夫婦の人生を支えて頂いている事へ
の感謝は言葉では言い表せません。懇親会の席で、温かいお声がけを頂いた事、
終生忘れません。
人には弱さや障害などあるが、そんなものは小さい事。先生はそんなものを遙
かに凌ぐ巨大な可能性、エネルギーを伝えて下さっている。合宿に通底する、こ
の巨大過ぎる御指導を受け取れるような者になるべく、師の型を写し、くせを無
くし、「愛」を実践できるように日々進んで行きたいと思います。
今後とも御指導をよろしくお願い申し上げます。