第37回 東京実践塾春季合宿


宇城憲治塾長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、塾生112名が参加した。


コロナ禍の2年間、100名以上参加する合宿を続けながらもクラスターはゼロ。

「人生に自粛無し」の言葉どおり実践した宇城塾長は、


「今のところ、物質の最小単位は目に見えない素粒子で(細胞はその集合体ですが人間の場合、心との関係性は切り放せません)、その素粒子こそがエネルギーの根源です。それを自由にできるのが「気」です。その生きるエネルギー「気」を生み出すメソッドとプロセスをすでに宇城空手は構築しているのですが、生半可な気持ちでは到底入り口にもたどり着けないと思います。今、そしてこれから先の混沌とした厳しい現実が立ちはだかる中で、それを切り開き、希望を見いだす道はただ一つ「宇城空手」にあると思っています。」


と述べた。


参加した塾生にとって、あらためて宇城空手の厳しさと気のエネルギーを感じた充実した二日間となった。

宇城塾長による全体指導
宇城塾長による全体指導


稽古後の懇親会
稽古後の懇親会
集合写真
集合写真
 

感想文

 

■ T.K 会社員 茨木


今回も合宿を開催、参加させて頂き有難うございました。


 3年近く厳しい状況が続く中、当たり前のように毎月の稽古、年2回の合宿を

開催して頂き感謝します。コロナ禍の下、様々な催しが取りやめ、延期になるの

が当たり前の中、実践塾だけは変わることがなく通常と変わらぬ運営で心強く感

じますし、宇城先生の生き様が表れているように思います。


 今回初めて指導する立場に立たせて頂きました。以前所属していた空手で指導

していた時は、力みをとる(脱力、リラックス)、脇を締める、腰を落とす、呼

吸が大事と口では解ったように説明し、身体ではスピーディで力強い動きを見せ

て、指導していましたが単に体を動かして汗をかくエクソサイズ的な指導、練習

であったと思います。


 宇城空手の指導する立場に立たせて頂き、姿勢、呼吸、胸を開く、肚を据える、

眼線、力まない、居着かない、呼吸と動作の一致、筋力に頼らない瞬発力等の武

術空手の要素を言葉にして相手に理解してもらう、身体を用いて相手に伝える、

の難しさを新ためて感じましたし、自分の技術の拙さ、知識の曖昧さをあらため

て認識しました。


 1対1で相手を倒す、1対複数でも相手を制する、を追及することが空手、武

道の究極の目的と思い、そこを目指していた時期もありましたが、1対複数どこ

ろか数十人をコントロールする宇城先生の技、氣の働きを目のあたりにして相手

を倒すということではなく倒した相手にエネルギーを与え上の領域に入る(普段

かからない技がかかる)、相手を活かすことが空手としても武術としても目指す

べき境地だと思いました。


 指導することで空手が上手くなる、強くなるのは当然ですが人間的な進歩成長

につながる稽古や指導がしていければと思います。相手を倒せばいいという、相

手ありきの相対的な強さを求める空手を脱却し、今は真実・真理を追及し、絶対

的な自分を確立するための空手、自分や他者の進歩成長につながる空手を稽古で

きる有難さ、幸せを強く思います。


 これからもご指導の程をよろしくお願いいたします。


 

■ T.Y 自営業 埼玉


宇城憲治先生


 合宿での指導ありがとうございました。

 今年に入って怠けていた心に一気に喝が入る二日間でした。


 宇城先生からは「本気、真剣」ということを合宿の始まりからご指導いただき

体育館内の空気が張り詰め、館内がエネルギーに満ちていました。


 指導員のSさんにはここまで自分に癖があるのかというくらい、厳しく細か

く指導していただきました。出来るようになることを楽しみに、何年かけても身

に付けたいと改めて感じるとても心が充実した時間でした。


 二日間で足腰が立たぬほどの稽古量と今まで味わったことの無いような筋肉痛

でした。そこまで、自分を追い詰めることができたのは、宇城先生の気のエネル

ギーの賜福でしかありません。本当に心から感謝致します。


 合宿で身に付けたこのエネルギーを仕事に、日常生活に活かしたいと思います。

 二日間大変お世話になりありがとうございました。



 

■ Y.I 画家 神奈川


宇城先生、春季合宿に参加させて下さり、誠にありがとうございました。


 合宿が終わってから、元気が満ち溢れているような、心地よい体感があり、一

週間以上経ちましたが、日常の些末な事にへこみすぎないようになり、大きなエ

ネルギーと繫がっている感覚で過ごせています。


 初日、稽古場に入ると拓治師範が大勢に囲まれ、様々な検証をなさっていてす

でにエネルギーが満ちているように感じられ、合宿の場に身をおける有り難さで

胸が一杯になりました。先生がいらっしゃると、いよいよ合宿が始まるぞという

緊張感が高まりさらに気持ちが引き締まりました。


 まず最初に先生が、居合の5番目の型を、御指導くださいました。形と順番を

追うだけでも精一杯でしたが、先生が、Iさんに厳しい言葉で御指導なさいま

した。先月の稽古の時から続いている御指導でした。Iさんは、絵を見に来て

下さったりお手紙を下さったりして自分は仲良くさせて頂いていると思っていま

した。


 今回御指導を伺って、それが表面的なことに過ぎず、自分はIさんに対して、

「不自由な事があるのは仕方がない、続けているだけでもすごい」と思っていた

事、それがどれだけ傲慢で、見下していたのか、先月の時点で自分は全く認識出

来ておりませんでした。


 先生の厳しく真剣に向き合い指導して下さる愛の深さは、自分の想像を遙かに

超えるものだと思ったときに、同時に、長い間自分は、絵画講座で学びに来て下

さった人に対して全く真剣に向き合っていない。と繫がって、特に理解や上達が

遅い人や、視力が悪い、手が不自由などの障害がある人に対して、仕方がない、

楽しんでもらえばいい、と思っていたのではないかと初めて思い至りました。そ

れはまさしく人間の可能性を信じていない。という事でした。


 絵は、命懸けというような厳しさはありませんが、真剣に向かえば日々の習慣

が一変したり、生きる喜びや自信を得、喜びにつながります。自分はそれを伝え

たくてやっていたはずです。そうやって過ぎていった年月や、ご縁のあった人達

の顔が浮かび悔やまれました。自分はなんて冷たい利己的な人間かと顔が上げら

れませんでした。


 班分けでは、Mさんの班に入れていただき、クーサンクー、パッサイ、セイ

サンの分解を細やかに丁寧に指導していただきました。覚え違いや癖も多く、何

十回に一回、この感じか、と思える時の言語化出来ない共通の体感を、繰り返し

稽古し、自分にしていかなければと思いました。


 先生の御指導では、形に対しての厳しさが全くない事、手刀の形をしっかり意

識する。掌の中心にエネルギーの溜まるところがある事。その実証を見せて下さ

り気の通る一点を探す、その感覚を切らさないようにして、動かす。手刀構えの重

要性を繰り返しお伝えくださいました。


 掌のエネルギーと、木刀を持って構えるときの意識が、繫がっていくように稽

古したいと思います。感じられた精妙な感覚をもっともっと太いものにしていか

なければ意味が無いですし、その感覚を太くしていって筆が使えるようになれば、

それは自分にとって未知の絵画世界である事は間違い無いと思います。


 今回の合宿では、稽古の始めに、「自分は人間の可能性を信じていなかった。

口ではそう言っていても本当には信じていなかったのだ」とはっきり気付かせて

いただきました。それは先生の深い愛の御指導に触れさせていただいたからです。


 稽古そのものの内容とは、ずれたことを長々述べてしまったかも知れませんが、

自分が、分かっている気になっている、やっている気になっている、という長年

の誤った認識に愕然とした事は、そのパラダイムに居続けるなら御指導を受ける

意味も絵画に取り組む意味も無い。と強く再認識した事でした。


 長年取り組んできた絵画の指導の根底に「愛」はあったかと問うてみれば「否」

と認めるところから始め直さなくてはなりません。ここを自覚しなければ、自分

を変える事など出来ない。そうでなければ能動的にパラダイムを変えていくこと

など空論でしか無いと思いました。


 改めて、頭で認識しただけでなく、心と身体の学びで自分が進んで行かれるこ

とはなんと有り難い事かと思いました。教えていただいたように、型を正確に。

身についてしまっている癖を取っていく。木刀は新しく覚えるものだから、正し

く身につけて自分を作っていく。


 合宿に参加させていただき、未熟な自分ら夫婦の人生を支えて頂いている事へ

の感謝は言葉では言い表せません。懇親会の席で、温かいお声がけを頂いた事、

終生忘れません。


 人には弱さや障害などあるが、そんなものは小さい事。先生はそんなものを遙

かに凌ぐ巨大な可能性、エネルギーを伝えて下さっている。合宿に通底する、こ

の巨大過ぎる御指導を受け取れるような者になるべく、師の型を写し、くせを無

くし、「愛」を実践できるように日々進んで行きたいと思います。


 今後とも御指導をよろしくお願い申し上げます。


                       

 

■ F.S 会社員 埼玉


宇城先生、日頃よりのご指導、また今回も合同合宿を開催して頂き有難うござ

います。


 今回の指導者には、Mさんが先生よりご指名頂き、私たちの指導をして頂く

事となりました。今回の合宿もとても実りのあるものになり、普段の自分の稽古

を改めること、また気をつける事再認識させて頂きました。毎回ですが諸先輩方、

合宿の度に色々な方々より指導を受けられ、様々な先輩の視点に触れる事が出来

勉強になる2日間でした。


 今回のMさんの指導の我が班には、徹底的に「サンチン」「ナイファンチン」

をやる様にと先生のご指導もあり基本に帰ることができました。しかし型を通し

てみると、先生が当初から指摘されている注意点が自分自身ではとことん出来て

いない事に気付かされます。足幅、腰を落とす、力を抜く、肩をあげない、引き

手をしっかり引く、力を抜く、相手をしっかり見る。とても基本的な事ですが、

改めてやると、どこひとつ取っても出来ていない事を再認識し普段の自分の稽古

がとてもひとりよがりのものだと感じました。


 今回は姿勢もそうですが、目線と力を抜く事。引き手の重要性を感じました。

すでに型はそこにあるのに、それをしっかり写し取れていない自分に気付いたの

と同時に改めて型の力に驚きました。私は特に目線を付ける事。相手に入ること

は特に難しいと感じこれも普段お自分の稽古の中に落とし込んでやらなければな

らないと感じました。


 合同合宿の良いところは、その日のご指導いただいた先輩方に、稽古を通して

普段出来ないお話をしたり、指導の中でのお気持ちや注意点などいろいろその時

を通して直にお話しできる事が最大の勉強であると感じます。また初日1日の指

導者がその日の感想を述べるという事が、夕食の中でありました。


 他の空手では絶対にあり得ないですが、指導者の方が、指導される側を通して

自身も謙虚になり、新たな発見をしさらに自身が勉強するという、謙虚にならざ

る得ない瞬間があり、指導者の方々からも謙虚なお言葉が発せられていました。

この様なことは「宇城空手」でしかなり得ないことであり、上には上がいるし、

謙虚にならざるを得ないという事を勉強させて頂いていると感じます。


 楽しい中にも厳しさ、妥協の無い型が自分を進歩成長させると思いますが、そ

れを考えると自分自身にはまだまだ甘えがあると気づきます。普段より宇城先生

には、この世では体験できないものを見せて頂いており、人間の無限の可能性を

秘めているという事を嫌というほど経験させて頂いています。まだまだ自分自身

の無限の可能性を広げる様精進していきます。


 改めまして、今後ともご指導を宜しくお願いいたします。



 

                  

■ N.S 会社員 神奈川


宇城憲治先生

 この度は貴重な合宿でのご指導誠にありがとうございました。


 今回、宇城先生のもとで学ばせていただいている武術空手は現代のスポーツ空

手とは全く次元が違い、沖縄空手のような伝統空手の延長線上にもなく不易流行

の最先端の空手を学んでいるのだということをあらためて教えていただきました。


 しかし、そんな最先端の空手を学ばせて頂いているのにも関わらず自分がいか

に過去に引き摺られているかを今回の合宿を通して気づかされました。各班ごと

に別れ稽古を行い、先輩からご指導いただくなか型と分解組手を中心に二日間指

導を受けました。


 なかでも分解組手での自分の動きは、いまだに相手の攻撃を先生の空手に出会

う前のスポーツ的な動きで対処しようとしている自分がいることを痛感致しまし

た。相手が突いて来たら単に腕受けをして止めようとしている自分。本当に部分

体であると感じました。それでは何回やっても何年やっても二の手を封じること

はできないのに今までと同じ考え、動作を行なっている自分がいます。過去に引

き摺られスポーツの延長線上で思考し、動作を行っている自分です。


 分解組手は自分を守り、相手の本質的な勢いを止めるものでなくてはならない

かと思います。単に突いてきた腕を弾いている腕受け…それさえもとても中途半

端なものです。今回、合宿で行った分解組手を通して自分を守った気になってい

る動作や思考の癖を痛感致しました。


 二挙動の動作をいくら早くしても相手の勢いは止まらず、一挙動、ワンの動作

で相手を止めなくてはいけない、相手の二の手を封じなくてはなりません。私の

場合、精神論になりがちで頭でわかったつもりとなるが実際にそこへ近づくよう

な動作、行動になっておりませんでした。言われたことと動作を一致させていく

こと。


 また、先生の空手では「相手の拳をナイフだと思え」と教えを受けていますが、

実際に分解組手で相手の突きを本気でナイフだと捉え、腕受けを行っているかが

問われました。相手の二の手もナイフであるからこそ封じないことには自分を守

れません。相手の拳はナイフだと教えられているのに、そのように捉えられない

のは自分の甘さから来ていると思います。


 今回の合宿でも、木刀で剣の型を学ばせていただき、木刀を真剣のように扱え

ないのは自分の甘さから来ていると痛感致しました。木刀を木刀としてしか扱え

ない自分。それだけ身体がボケていること。真剣だったら本当に木刀を同じよう

に扱うのか。自分の取り組む姿勢は自分の心構えにあるのだと思いました。自分

の心がそのまま所作や形として身体に表れる。すべては自分の甘さ、愚痴や言い

訳も自分の甘さ。真剣として捉えられないのも自分の甘さ。自分が本気になるか、

ならないかだと痛感致しました。


 本気で考えているのであれば分解組手で相手の突きに対し、ニュートラルで構

えているあり方も自然と変わってくるように思います。日常のあり方も変わって

くるのかと思います。見た目は、一生懸命やっているように見えても動作が「相

手が突いて来たら、受ける」という動きになっていれば一生懸命やっているフリ

であり、目には見えませんが心のあり方、心構えも本気でないことがわかるのだ

と思います。自分の思いを持って稽古しなければ何時間稽古しても変わらない。

相手ではなく、自分。相手は関係なく、相手の前に自分の本気度、真剣さを問わ

なくてはならないのだとあらためて痛感致しました。


 懇親会の二次会では、腕相撲で宇城先生一人に対して塾生が大勢で何人も覆い

かぶさった状態で挑むものの先生には絶対敵いません。先生は、腕相撲も今の常

識では絶対あり得ないことが可能になることを理屈抜きの誰もがわかる形で人間

には無限の可能性があることを示してくださいます。今の常識では到底考えすら

及ばない、はるかに次元の高い世界があることを常に実践で実証してくださいま

す。


 先生には誰も敵わない。その幸せというか先生が見せてくださる姿がなにより

の希望であり、先生の姿、希望に近づく気迫が自分自身になくてはならないこと

を教えてくださいました。


 合宿では、榎本師範、拓治師範からも惜しみなく技をかけてくださり、新たに

活力を与えていただきました。


 宇城先生の武術空手を学ぶ上で、過去に引き摺れている自分を根本的に見直し、

不易流行の最先端の空手を学んでいるという認識をあらためて持ち事理一致の稽

古に励んで参りたいと思います。稽古も「ごっこ」ではなく、真剣に近づくため

に根底を変えなくてはならないと痛感致しました。今、変わらなくてはならない

と感じます。


 私は先生の空手を通して謙虚になり、変わって参りたいと思います。絶対存在

の師、先生がいてくださるからこそ変化し、変容していく生き方が可能になるの

だと思っております。


 今後、先生のお孫さんの時代となったとき「気」の時代が訪れる。20年後、30

年後にそうした時代が必ず訪れる。最先端の先生の空手は、その未来が来ること

を「今」に見せてくださり、実践で実証しくださいます。


 先生がいつも仰る「困っている人がいる」、「大丈夫ですか」と寄り添うこと。

思いやりや寄り添うことが大切となる未来。自分さえ…では生き残っていけない。

真面目だけでも生き残れない。稽古も日常も真剣さが土台になければ結局は「い

ざ」という時に、裏切る自分、逃げる自分では生き残れないことを学んでおりま

す。


 先生は、上手い下手は二の次だと私達に伝えてくださいます。自分がいつ本気

になるか、真剣になるかが先。自分の本気度、真剣さを問いかけた分解組手へ向

かわず、いつまでスポーツの延長線上(ごっこ)で行うのか、日常も本気に、真

剣に捉えられないのは自分の甘さからきていることを自覚致します。


 先生の空手を土台に、未来に向け「今」何をなさなくてはならないのかを問い

かけて参りたいと思います。今のままのあり方で良いのか。自分はなぜ宇城空手

を学んでいるのか。常に問いかけて参ります。


 宇城先生、榎本師範、拓治師範、この度も貴重な合宿でのご指導誠にありがと

うございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。


 

■ Y.T 会社員 東京


今こうして空手を通して調和を学べることは、当たり前のことじゃない。

宇城先生と出会い、そして先生がいてくださること、諸先輩方がサポートしてくださること、家族が理解し支えてくるれること、この身体が調和を掴もうと動いてくれること、日々自身の稽古ができること、掘り下げて行けば、今こうして生きていられること、何ひとつ当たり前のことなんてない。頭ではもう分かりきっていると思っていたことが、何ひとつ実践できていなかったと思い知り、気づかせていただけた合宿でした。


 それは、全てにおいてまずは「自分ありき」という結局何をやっても自己中心的に生きてしまっていたということ。先生が額に汗をかきながら、引き手の大切さなど手の内さえも全身全霊で丁寧に指導してくださる。それを私は、「成長したい」という欲が先行している自分中心の受け止め方をしている。先輩のご指導に対しても同じ。入浴、食事の時間さえも、周りに気を向けているようでいて、自分、自分、自分。


 思い返せば、日常の中で人と会話をしている時でさえ、自分の中で考えを巡らせたり次は何を話そうかと思ってしまっている。更にはスマホを見ながらなんて時もある。相手の話を聞くという状況においてもやっぱり自分なのだ。うずくまっている人に、「大丈夫ですか」と寄り添えばエネルギーが流れる。


 もう答えは出ている。理屈じゃない。「真剣さ」とは何か。我を、欲を自分で消すことはできない。だからこそ相手に向かう。まず相手と向かい、認め、受け入れる。相手ありき。ここに一切嘘はつけない。相手を認め受け入れるから、自分を受け入れて認めてもらえる。相手があってこその自分だったのだ。それは自然があっての自分、地球があっての自分、宇宙があっての自分と同じ。生かされているということ。「謙虚になる」というのは、結果の状態。なろうとしてなれるものじゃないんだ。


 今回、合宿初参加でしたが、先生、諸先輩方と寝食を共にさせていただく機会をいただけたからこその気づきでした。合宿の凄さに感動しています。そして、どんなに自分の至らなさに打ちのめされても、希望しかありません。それは、たとえこの道がどんなに底なしの深さで、果てしなく高い山で、霧がかかって先が見えていなくとも、歩むべき道の足元を先生が絶えず照らしてくださっているからです。迷いはありません。

 先生、合宿でのご指導ありがとうございました。合宿を終えた今、家族との接し方から実践し既に変化を感じています。これからもよろしくお願いいたします。


 

■ K.S 会社員 東京


合宿稽古を開催いただき、また参加させていただきありがとうございました。今回も非常に中身の濃い時間をいただきました。クラスターも起きずにこれだけの規模での合宿が開催できることにあらためて感謝いたします。


 今回の班に分かれての稽古をM先輩に指導いただきました。教えて学ぶという目的で抜擢されたと先生は仰っていました。懇親会の席でも一人ずつ指導された方がお話された内容は自身の反省の弁でした。教える側がこれほど反省するという会というのは見たことがありません。しかも表面的ではなく心からの言葉であることは指導の場や懇親会の席でも感じることでした。いかに謙虚になることが大切であるか。普段と違った側面から先輩方の姿を見て勉強になりました。


 班稽古ではサンチンを徹底的に学びました。先生からサンチンは一切妥協せず癖を正すようにとの言葉をいただきました。立つことすらまともに出来ていないというのが感想です。正しい姿勢でないと先生のご指導や気のエネルギーが入ってこない。何もできていない自分に対し先生の圧倒的な存在を感じました。学べば学ぶほど先生との距離を感じ、段階の多さ、数に打ちのめされます。今回はその思いがより大きくなりました。しかし先生から到達することはできないがそこに近づこうとすることが大切であるとの言葉もいただきました。大変ありがたい言葉であり勇気をいただいた瞬間でした。


 人と比較するのではなく自身が変わること。今回の合宿でも何度も感じました。私の癖はすぐに人と比較したがること。誰ができている、できていない等を模索するより自身がどう変わるのか。とことん自分と向き合っていく。日頃の仕事でも同じだと思いました。先生に良く思われたい、良い結果を出して喜んでもらいたいなど結局は自分が我欲で満ちていることを合宿中に幾度となく感じました。


 大切なことは寄り添う心や調和の力。身体を通した鍛練を積み重ねるしかないと思いました。その最たるものが宇城空手だということをできない中でもあらためて合宿稽古にて感じました。How toではなくto be。どうしたらできるかではなく師の心を映すこと。まだまだ頭で考える癖が抜けませんが人間の持っている本来の力を開花させるべく日頃の一人稽古に励みます。


 貴重な合宿稽古の機会をありがとうございました。

 引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。


 

K.Y 会社員 東京


 宇城先生、この度も素晴らしい合宿に参加させてくださり、ありがとうございました。


 今回の合宿では、特に目の大切さを改めて実感致しました。先生から、体かわしの時にズレている事をご指摘いただきました。しかし、自分の意識でズレないようにすると動けなくなりました。そこで、先生からズレない為に、「目を真っ直ぐ突き刺せ」とご指導いただきました。


 ご指導頂いた通りに目を真っ直ぐ突き刺すようにすると、軸がズレずに体かわしの動きができました。また、この時は意識も居着いていませんでした。この目で突き刺し続け、変えないようにするというご指導から、改めて目が大切なのだと実感致しました。型は本当に繊細であり、その型を行う身体を磨いて行く為には、一回一回の型稽古をものすごく集中しながら、繊細に行わなければならないと、さらなる深さに気づかせて頂きました。


 また、型から出る力を使うことを先生からご指導頂きました。型通りに分解組み手をすると、筋力的な力は一切使わずに相手が崩れます。しかし、少しでも、自分の意識や我が入ったり、相手を意識した瞬間から、型通りにはいかなくなります。そこを突破する為には、日常含め一人稽古で徹底して型稽古を行い、自然に身体が型通りに動けるように修行しなければならないと感じております。


 また、合宿の後半では、先生にエネルギーを通していただき、胸ぐらをつかまれたら腕を使わず相手を投げるという事を行いました。この時の感覚は、すーっと空気と一体化し、ただ自分の身体を素直に空気と一緒に回転させるだけでした。


 これが先生がおっしゃる、グラデーション、溶け込んで境目がない世界の一端なのだと感動致しました。投げようという意識も起こらない、相手はいるが、どんなに強くつかまれても意識はそこにいかず、柔らかい空気に全体が包まれている感じでした。この感覚がとても大切なのだと感じました。この感覚を大切にしていきます。


 今、これだけ世の中が厳しく、閉塞感がある中、そこをブレずに真っ直ぐ進む方法は、宇城先生の教えであり、宇城空手しかないと思っております。その教えを日常で実践し、少しでも自分を変化させていけるよう、日々稽古していきます。


 今後ともご指導よろしくお願い致します。


 

C,N 自営業 千葉


 この度も寝食を共に過ごさせていただける合宿を開催していただき、誠に有難うございます。振り返ってみても、コロナ禍においても変わらず合宿が開催され続けたのは世の中の一般常識では考えられないことであり、先生の気に包まれるているからこそであります。本当に有難うございます。


 今回の合宿の冒頭で先生が仰られた、「絶対に変わる」という言葉が何回も何回も何回も聞いているにも関わらず、なぜかとても突き刺さりました。そして、「教えて学ぶ」と言われた言葉にもとても響きました。


 世の中がどんどんと厳しい方向に向かっていく中で、変わりたい、どうしたいというような緩さでは時代にどんどん流されていってしまうと思いました。変わると変わりたいには大きな壁があり、そこで得られるものも微々たるものであっても、それは後に大きな違いを産むのではないか、という感覚を実感しました。指導をしてくださる先輩方を見て、もし自分がする側に立つことになったらと考えたら本当に恐ろしいとさえ思ってしまいました。


 しかし、指導される側という勝手な甘さが絶対的に染み付いている表れだとも気づきました。出来る出来ないの話だけではなく、この宇城空手にどう向き合っているかの生き方の問題というのでしょうか、その日々の積み重ねの結果が空手に出る、そして空手で気づき軌道修正をしていただく、自分達も黒帯をいただいている身としていつそのような機会を頂いたとしても、その時の自分の出来ることをやり切れるように、日々の日常を積み重ねていかなければいけないと、あらためて強く感じました。


 今回は3人の先輩方に指導をいただきました。何かに気づいている自分がいますが、それをどうしたら再現できるのか、どこを変えたら良いのかそれがとにかくわからない、わからないの連続でした。先輩に見せていただく、受けさせていただく、直していただく、本当に何かがわかるようでわからない、出来ないことを本当に叩きつけられます。


 そんな中でも、結果ばかりを答えを出そう出そうとしている自分を見ました。投げたら出来た、というような短絡的な思考が病的に根付いている、そんなことを教わっているわけでもなければ指導されてもいません。自分は何に気がつき、どう変えていった結果そこにたどり着くのか、上手く言葉には出来ませんがそんな事を感じました。


 そしてわからない、という事を素直に自分の中で言えたことで見えたものがあったように思いました。わかったつもりや誤魔化しの裏には自信のなさがありました。それが余計に曇らせていたというのか、自分に対しての誤魔化しを外せたような気がします。先生が途中に仰った「間の話」「握り」「引き手でエネルギーを作る」そのお話全てから「間」という事の解釈や理解が以前より違って受け取れたように思います。


 いかに自分の欲や我を引っ込めっていくか、そこを我慢というのか自制というのかどうエネルギーに変えていくのか、なぜ癖をとっていくのかなどが繋がって、型や分解においてどのようにしていくのかのヒントを受け取れたように思います。全然違うのかもしれませんがやるしかありません。


 今回の合宿を通じて、今まで以上に空手が好きになったのは間違いない事実です。厳しい事がよりわかり本当に厳しいのですが好きです。楽しいという言葉はまだまだ使えませんが、楽しいと言えるようになりたいです。何が出来たわけではないのですが、何かを持って帰れたとは思います。


 合宿後からの仕事や日常において稽古に変えれるものが見えてきたのが実感としてあるので、それも切らさずに次の稽古に向かっていきたいと思います。


 合宿では稽古、懇親会を通して多くの塾生の方々と交流をさせていただき、ありとあらゆる職業の方立場の方がいる中で、本当に多様な視点から気づきを得られる場でもあります。自分では気がつけない視点からの気づき、それだけ多くの気づきのチャンスをいただき、また稽古に生かしていきたいと思います。


 塾生の誰の心の中にも先生がいると思いますが、その先生をどんどん大きくしていくというのでしょうか、自分ではなく心の中の先生を出していくような感覚が結果として心を開いていくという事にもつながるように感じています。


 人生を豊かに一生かけて山を登らせていただけるのも、先生という大きすぎる存在があってのことです。本当に、同じ時代に出逢わせていただいていることを感謝します。いつもご指導有難うございます。


 毎回毎回ではあるのですが、絶対に変わるという事を胸に宇城空手を生涯かけて精進していきたいと思います。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。