2025年9月淡路黒帯合宿レポート
- jht900
- 9月24日
- 読了時間: 18分
9月13日(土)・14日(日)の2日間、第11回淡路黒帯合宿が総本部道場にて開催された。
合宿は宇城館長の講話から始まった。館長は、日本が先進国から真っ先に途上国へ転落しかねない現状に強い危機感を示し、さまざまな資料を用いて警鐘を鳴らした。
続いて、宇城空手を通じて人間性を高め、人間力を発揮していくことの重要性を説き、実践を重視した指導が行われた。他では学ぶことのできない、唯一無二の貴重な教えの連続であった。
また、榎本師範、拓治師範からも指導があり、非常に濃密な内容でありながらも、あっという間に過ぎ去った充実の2日間であった。


初日の夜には懇親会が開かれ、宇城館長はものの見方や考え方について、塾生自らが変わるきっかけとなる厳しくも愛のある指導を行った。
変化することの重要性を説くそのメッセージとエネルギーは、道場での指導と同様に塾生一人ひとりの人生に大きな影響を与えるものであった。

2日間を通じて、今回の合宿は今後の一人稽古につながる非常に重要なものとなった。特に、宇城空手の根幹である「理合い」の大切さを、館長の講話と実践を交えて繰り返し学ぶことができた。
塾生一人ひとりが、明日からの変化を誓い、淡路総本部道場を後にした。

感想文
■Y.T 宇城 憲治 先生
このたびは本部道場でのご指導を賜り、本当にありがとうございました。あっという間の2日間でしたが、先生から学べるありがたさを深く噛み締めた2日間でした。心から感謝とお礼を申し上げます。
また今回ご指導くださった榎本師範、本当にありがとうございました。心から感謝とお礼を申し上げます。
今回の合宿でも多くのことを学ばせていただきましたが、とくに先生が「皆は答えを求めようとする。しかし課題を発見し、それを克服して次の課題を発見していくことが大事だ」とおっしゃったことが心に強く残っています。片手を掴ませてサンチンの呼吸で相手を倒す。倒せたらこれで終わりではなく
今度は腕の道着を掴ませて倒せるかという課題を立てる。そしてそれができると触れずに倒せるかという課題を立てる。このように次々と課題を立てては克服し、深めていくという学び方を、今回の合宿では深く学ばせていただきました。
世間では先生のパクリが多く、それは投げれるぞ、というのが目的となっており、答えを出してそれで終わり、となっているが、しかしそうではなく、大事なのはなぜ投げれたのか、その原理はどうなっているのか、さらに負荷をかければできるのか、などを追求することである、と先生がおっしゃったことも強く印象に残っています。
自分を振り返ると、答えを求めようとする傾向が強いことに気づかせていただきました。また、いまの自分の課題を明確に認識していないからこそ、日々の稽古ではその課題の克服に向かっていかず、漠然としたままの稽古となり、よって変化しない、ということにも気づかせていただきました。それは空手だけでなく、日常生活や仕事でもそうであり、ここから根本的に変えていかなければいけないことを学ばせていただきました。
今回の合宿では呼吸による調和について重点的にご指導をいただきました。相手の手に触れた状態から呼吸をし、相手を動かす稽古をしましたが、いかに自分が対立意識を強くもっているのかを痛感させられました。また、榎本師範が軽く手を握ってくれると、3人が1つになり、まったく力を使わずに相手を動かす体験もさせていただきました。その時に師範が「私、相手ではなく、1つにならなければいけない」とおっしゃったことも心に強く残っています。
さらに先生が、呼吸で事理一致をつくっていく、とおっしゃって、実際にそれを目の前で見せていただいたことも心に強く残っています。私の場合、呼吸で前に動かすという勝手な捉え方をしており、そのため矢印が自分には向かわず、外に向かっていたことに気づかせていただきました。またその際に先生が「皆は雑である」とおっしゃったことも心に強く残っており、もっと繊細かつ集中して呼吸と身体を一致させていかなければいけないことを学びました。また、オタク空手にならないように、先生がその静かな呼吸から一転して、しっ、しっ、しっと鋭い呼吸を我々に見せてくださいました。
さらに2日目には、背中より下に呼吸を通すように、という先生のご指導があり、私が自分勝手にイメージでやっていると、先生がスピリチュアルでは駄目だとご指導くださいました。そして榎本師範が私の背中に手を触れて下に呼吸を通してくださると、手をまったく動かしていないのに列が勝手に動き出しました。自分勝手な解釈でやった時と師範にやっていただいた時の感覚がまったく異なっており、いかに先生の教えを自分勝手に捉えていたのかがよくわかり、深く反省しました。また同時に、下に呼吸が通ったときの状態を体験させていただきましたので、この感覚をたよりに一人稽古に励みます。
今回の合宿では師範より、夕食の際のお話も含めて、三本移動がいかに大事なのかについてご指導をいただきました。突きや受けの際に前傾姿勢になっていること、とくに下段払いの際にそうなりやすいこと、追い突きの際に手からではなく腰からいってそのあと突きを出すこと、受け手に意識がいって引き手がおろそかになっていること、したがってどこか1つにでも遊びがあったら駄目である、ということをご指導くださいました。また、師範が私に追い突きを何度もしてくださり、腰から入っていくことの重要さを一触を通じて身体で学ばせていただきました。
さらに脇の締めということで、実際に師範の脇に手を入れて一触させていただきましたが、ぎゅっと締めているわけでもないのに抜くことができませんでした。また師範の脇腹を触らせていただきましたが、ぎゅっと脇腹が締まり、さらに下の方に落ち、我々も下に崩されました。その際に師範が「これが脇の締めや」とおっしゃり、脇の締めと脇腹の締めが関係していることをご指導くださいました。
7月の師範の特別稽古会でサンチンから自由組手の稽古をした際、「サンチンをすると脇が締まる」とおっしゃっていたことと今回の師範の指導がつながり、脇を締めるということの理解をより深めることができました。
また、三本移動組手や天の型の分解組手のほかに、セイサンの型分解を重点的に師範よりご指導いただきました。最初の腕受け・突きに関しては、三本移動の時と同様に、受け手だけに意識がいって引手が活きていないこと、また突きの手が縮こまっていることをご指導くださいました。その際に師範が私の突きを直してくださり、肘と肩をもっと伸ばすこと、そうすると腰が入ること、そして腰が柔らかくないと肘が伸びないことをご指導くださいました。
また、掌底受け・掌底打ちに関しては三角をつくってまっすぐに入ること、下段払い・関節蹴りについては横にいくのではなくまっすぐに入ること、そしてあご突き・裏拳に関しては皆、右手に変な動きが入っているので型どおりあご突きをすること、そして左手は守りながら手首をしっかりと立て、肘も入れるように、とご指導をいただきました。また両手外し・肘打ちに関しては、手のあげ方から肘の返し方まで詳しくご指導いただき、「外しは自分がどこに力が入っているのかを確認するのによい」とご指導いただきました。また最後の貫手・蹴りに関しては、師範との一触を通じて貫手の際に空間を変化させないと駄目だということをご指導いただきました。
今回の合宿では師範と何度も一触をさせていただき、私が突きにいっても師範がくっと入ると、途中でロックがかかって手が前に出ず体も固まったり、さらに師範がもっときつく入ると、そもそも一歩も前に出られず動けないという状態を何度も体験させていただき、身体で学ばせていただきました。そして今回の稽古では何度も師範が「使えなければ意味がない。使える方向に稽古しなければ駄目だ」とおっしゃったことも心に強く残っており、これまでのような漠然とした一人稽古ではなく、課題を克服していく稽古に本当に変えていかなければいけないことを痛感しました。
2日間の合宿では、先生がひも一本で大勢を動かしたり、電線のように並んで一番奥のグループを次々と倒したりするなどして、今の常識では考えられないことをたくさん我々に体験させていただきました。また、ホワイトボードに書いてくださったことも含めて、マクロからミクロまであらゆるお話しをしてくださいました。
イーロンマスクが火星に目を向けているのとは異なり先生は地球を良くすることを考えていること、またそのためにはものすごく大きな視点からものを見なければいけないというお話しが、心に強く残っています。我々は毎回先生よりそうしたものすごく大きな視点からのお話しを聞いているはずですが、先生の思いや考えをちゃんと理解して聞いていたのかと、深く反省させられました。
榎本師範がよく「宇城空手とその他」ということをおっしゃいますが、それを私は武道のレベルで捉えていたところがあり、「あらゆるものと宇城空手」という捉え方がまだできていなかったことに反省させられました。だから先生があらゆることに関してすでに答えを見せてくださっているのにもかかわらず、他に答えを求める場面もあったりして、軸がふらふらしていたことにも気づかせていただきました。また、冒頭で述べましたように、答えを求めるのではなく課題を発見してそれを克服していき、先生の示してくださる答えに近づく方向に集中していかなければいけない、ということにも気づかせていただきました。
夕食の際にKさんがおっしゃったように、先生は太陽のように我々ひとりひとりの成長を見守っていること、またKさんが変化したことをあの場で見せていただいたこと、そして師範の正面に座らせていただき師範の真剣な生き様を直に学ばせていただいたことなども含めて、この2日間の合宿はすべてが学びの場であることを実感させていただく合宿でした。
宇城先生、このたびも厳しくご指導くださいまして、本当にありがとうございました。改めて心から感謝とお礼を申し上げます。また榎本師範、このたびは大事なことをたくさんご指導くださいまして、本当にありがとうございました。心から感謝とお礼を申し上げます。また拓治師範、いつもご指導いただき、本当にありがとうございます。そして奥様、いろいろとお心づかいをいただきまして、本当にありがとうございました。
今回の合宿を踏まえ、より稽古に励んでまいります。
宇城先生、引き続きご指導を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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■Y.U
宇城先生、この度の黒帯合宿でのご指導に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。また、榎本師範、拓治師範からも非常に多くの気づきと学びをいただきました。改めて深く御礼申し上げます。
冒頭の紐・糸を用いて、しっかりと立ち連なった人の列を動かすという検証では、これでもかというくらいに、「力ではない」、エネルギーの世界を見せつけられたように思いました。徹底的に、「力」ではない衝突しない調和・融合の世界に切り替わらねばならないということを身体の奥底に刻印のごとく刻む必要があることを強く感じました。
そうした中で今回の稽古を通じて、自分が常に恐ろしいくらいに「力」による動き、思考に無意識に侵されていることも同時に感じました。その状況にある限りは先生の仰る「奴隷」の世界から抜け出ることはできないのだということも同時に気づかされました。
また、この切り替えは頭脳で行うことはできないことも改めて強く理解いたしました。頭脳から身体脳への切り替えこそが絶対条件であり、その道筋として型をはじめとした稽古を、心を込めて丁寧に丁寧に積み重ねなければならないと理解しました。
グループに分かれての稽古では、榎本師範から本当に丁寧で極めて適切にまさに「そこ」というご指導をいただき、とても多くの気づきをいただきました。まず、突きひとつできていないということ。「前に突くのではなく、肘を伸ばす」ということすらまともにできていませんでした。しかし肘を伸ばし、突くのではない、ということで瞬時に身体が変化し、頭の命令によるものとは異なる瞬発を実感するとともに、身体に芯ができるような感覚を受けました。
また、常にそれは「使えるか?」という問いをもって望まねばならないというご指摘からは、ほんの小さな一つ一つの所作にも真剣という心がなければならない、とこれも改めて強く受け止めました。「刃物を研ぐように」という例えをいただきましたが、如何に丁寧さ正確さそして真剣さに欠けているかということをいやというほど感じました。
なぜ武士が刀を差していたのか?という先生のお話、そして榎本師範からいただいたご指導から、研ぎ澄ました刃を心に抱きつつも、それを抜かずに今に立ち向かってゆく姿勢、生き方というものがなければ、ぼんやりといつまでも奴隷として生きてゆくしかないのだ、ということ改めて気づかされた所存です。
本合宿で、先生の一つ一つの動きには、周囲のすべてを包含するような包容力と、一方で鋭くピンポイントにフォーカスする集中力が一つなってあることをとても強く感じました。調和・融合の世界では、一般常識では矛盾すると考えられることが共存する奥深さ、素晴らしさ、圧倒的な次元の違いを感じました。
そうした世界に少しで近づくためにも、とにかく型、そして一つ一つの所作に心を込めて真剣に積み重ね、日常に落とし込んでゆくことを胸に、これからも日々稽古してゆきたく思います。
どうぞ、今後ともご指導のほど、何卒宜しくお願い致します。
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■T.M
宇城先生 淡路合宿、御指導ありがとうございます。
足を踏み入れる前から特別な雰囲気で身が引き締まり武道に集中できる環境を整えてくださり感謝しかありません。
改めて感じたのは、人間性を土台にする空手であること。自分は常に対立、衝突を起こしており、まずは対立をゼロに近づけることが肝要であり、型と分解組手を通してゼロ化を目指すこと。
講義で人は破壊の方向に行っている矛盾、エネルギーを消耗してしまっている現実。素粒子でも莫大なエネルギーがあり、先生は気というエネルギーで人の潜在能力、可能性を実証を持って示していただきました。自分の小さな世界で物事を考えていてはダメであり、頭を切り替えて行かないとエネルギーの世界へシフトしないと歳をとると限界が来てしまいます。エネルギーの世界におられる先生は常に変化していて圧倒的でした。
まずは対立をなくしゼロ化に持っていくこと、稽古では、相手に触れゼロにして押す検証で、押せれないと意識、頭に切り替わり、難しいです、相手の先を内面で先に捉えると、相手が気にならなくなり、また、自分の後方を先に捉えても相手をゼロにでき、先を取るとは、内面の速さが重要であること。
グループに分かれて榎本師範に指導して頂きました。三本移動、天の型の分解では間が取れない、後手でした。内面が全くできてないと。師範の突きと蹴りがゼロ化していて全く質が自分とは違いました。
セイサンの型も稽古不足で分解組手で真直ぐ入れずバラバラでした。師範の指導を受けると基本の大切さが如何に大切か少し分かってきました。型を理解して稽古しなければ全く稽古にならないと、普段、雑に物事見てしっまっているなと感じました。
答えではなく課題を見つけること、これも自分にとっては課題です。東京実戦塾の方々の学ぶ姿勢、行動力、自分に足りない行動が全くできてないなと反省です。
最後に先生という太陽の存在があってこのような場所で自分にはない世界を見せていただきありがたいです、先生ご家族でおもてなししていただきありがとございました。
頂いたエネルギーを少しでも日常に活かすべく精進していきたいと思います。
特別稽古有難うございました。
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■K.S
宇城先生、2日間にわたる黒帯合宿でのご指導ありがとうございました。何度足を踏み入れても聖地である淡路本部道場は身が引き締まります。先生の異次元のご指導を本部道場でいただけたこと、大変光栄に思う次第です。
1日目の冒頭に見せていただきましたイーロン・マスク氏がコメントしたとされている人間性についての動画はインパクトがありました。また2日目の冒頭には、子供合宿で使用するコロラド合気道での先生の動画を拝見しました。大好きな動画で何度も見ている動画ですが、本部道場での視聴は格別でした。その中にも人間性を失った人類は終わりだというメッセージがありました。20年も前の動画ですがその時から人間性が重要であることを先生は伝え続けていただいています。
今の世の中や社会を見渡し、痛いほどその実感が湧いてきます。しかし先生からもお言葉がありましたが、宗教やスピリチュアル系においては必要性を唱えるものの実態とはかけ離れており、あくまで精神論で終わり。先生のご指導が全く他と違うのは、なぜ人間性が必要かということを身体を通じて実践でご指導くださるからです。ありがたいことに本合宿でもさまざまな実践を身体で体験しました。
考えるな感じろ。3人の列の先頭の人に触れ呼吸で列を押すという実践を行った際です。呼吸を落とす、接点を消すなど意識している際に先生から考えるな、感じてできるというのが中から湧いてくると仰っていただきました。1日目の始めに行った際はできなかったのですが、稽古終わりにはさまざまな実践を行っていたこともあり、始めのときより感じることができ押すことができました。
意識が働くのは稽古不足ともご指摘いただいたことを肝に銘じ、日頃から真剣に一人稽古をしていかなければ、この先ずっと今と変わらないのではとも感じました。答えを求めるのではなく自ら課題を見出し、その課題に向き合っていく。経済と同じで稽古修行も循環が大切であることを教わりました。
ホワイトボードに先生が書かれた目に見えない95%とのお言葉。本来大切なことは無意識下でもある目に見えない95%に秘められている。先生は先ほどの3人の列を紐や糸でも列を崩されていました。今の常識では絶対にあり得ないことですが、事実として目撃していますし、体感もしています。私は少し離れたところに糸を持って立つだけで対立し、相手にもそのことが伝わっていました。本来人間は調和の身体を持って生まれてきているにも関わらず対立構造の身体になっているという事実。
2日目の稽古時、拓治師範の娘さんの沙耶香さんは何もせずに3人の列を投げていました。小さなお子さんは皆できるという事実を鑑みると、大人になる過程で対立構造の身体になったのだと今まで以上に感じました。スポーツや受験勉強といった子供たちに与えるさまざまな悪影響なことが対立構造の身体を作ってしまう。無意識下ですのでエントロピーの法則と同じように一度対立構造の身体になってしまうと二度と調和の身体に戻らないこともまた事実。
そのような人間が多い世の中であるから、嘘や虚構だらけになり、争いや戦争がなくならないのだとすべてが繋がったように感じます。だから今調和の身体を持っている子供たちにこそ未来の希望が秘められているとの先生のお心を今まで以上に感じることができました。
世界中が混沌としている中、調和の真髄を教えてくださる宇城空手しかこの世の中を好転させるものはない。心底感じた次第です。 相手と向き合っているときだけでなく、死ぬ気で襲いかかってきた相手と対しても、調和の身体を維持し続ける。並大抵の努力では到底辿り着けない境地ですが何度も先生に実践で見せていただいています。
できるかできないかではなく、一心にその道をひたすら追いかける、そうすることが人生を切り拓くエネルギーになるのだとこの合宿中に何度も感じました。そのような想いにさせていただける絶対の師がいてくださり、学びの場があること、そしてその場で学べているありがたさ。当たり前ではなく感謝してもしきれません。
「人生を土台にして仕事や日常がある。スポーツなどはまさに遊びであり、気分転換でやればいい」先生からご指導いただく宇城空手は人生を教えてくださっている。仕事や人間関係が好転するためとか何かの上達のために先生に学ぶのではなく、宇城空手を学ぶのではない。人生の土台であり人間の根幹を教えてくださっているから、結果的には何をやっても変化し、好転していく。だからこそ国籍や年齢、性別、職業関係なく皆さんが集まるのだと思います。その学びの順番を絶対に間違ってはならない。そう感じました。
ソニーの井深さんやホンダの本田宗一郎さんは晩年目に見えない世界に着目し足を踏み入れています。アインシュタインやニコラテスラも同じだと思います。しかし一人の人生の時間では実証することや解明することなどは到底不可能なほど目に見えない世界は壮大な世界だと思います。
そのような中で先生は最高峰の武術の世界や技術者として世にないものを生み出してこられた背景などが重なり、誰もが到達したことがない境地にまで辿り着くどころか私たちにまで見える化し体験させていただいています。時代を代表する稀有な経営者や天才科学者をもってしても触れる程度の世界にです。
先生の弟子である私たちがもっと真剣になって向き合っていかなければならないと、この合宿で強く感じました。榎本師範と懇親会でお話しさせていただいたことや拓治師範に個別指導いただいたことがよりそのように感じることに繋がったのだと思います。両師範の根底には先生のご指導があり、そのことを実践されている両師範のお姿は未来の希望でしかありません。
先生にご指導いただいた翌日には毎回身体にエネルギーを感じますが、淡路本部道場でのあとはより一層強く感じます。24時間365日が稽古という教えを実践すべく、日常や仕事に励みたいと思います。
大変貴重な合宿でのご指導をありがとうございました。


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