東京実践塾 感想文 2025年1月~ 2025年3月
- jht900
- 4月3日
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■K.H 埼玉 会社員
宇城先生、実践塾での御指導ありがとうございます。先日NHKの番組で戦争における兵士の負う心のキズによって心身にどれだけ障害を与えるかという番組を見て初めて知った戦争神経症という症状に驚きました。
若い頃に見たロバートデニーロのタクシードライバーという映画を見て戦争帰りの男が不眠症で夜専門のタクシードライバーになり犯罪が多発する地域で仕事をしている時、マフィアに騙され身体を売って生活していた少女を見つけ、武装して売春宿に乗り込みマフィアを皆殺しにし少女を助け出すという映画です。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)で不眠症や戦場と錯覚し事件を起こす実例があるという事は知っていましたが、これほどひどい状態になるとは驚きました。より強い兵士を戦場に送り込み戦いに勝利したい国家は兵士たちに敵を殺すことが任務であると叩き込み戦場に送り出しますが、戦場で待つのは死の恐怖と人の命を奪う罪悪感であり心を病む兵士が次々に現れ、国家と兵士の両者のせめぎあいはこの100年続いてきたそうです。
兵士の負う心のキズが初めて注目されたのは第1次世界大戦(1914~1918年)で1分間に500発発射できる機関銃や射程距離を伸ばし威力を増した砲弾を放つ大砲という大量殺戮兵器が登場したことで兵士たちは機関銃や砲弾から身を守りながら敵と戦うため地面に溝を掘り塹壕を作り、塹壕に身をひそめながら攻撃の応酬をする消耗戦の始まりだったそうです。
兵士たちは身動きのとれない塹壕の中で絶えず死の恐怖にさらされることになり、身体の震えが止まらなくなる症状の兵士が増え、心のキズを負った帰還兵に病室で軍医が爆弾だと叫ぶとベットの下に潜り込み自分が戦場にいるかのように錯覚する症状などこうした症状の兵士たちを戦争神経症と呼んだそうです。
兵力不足に悩む各国は外傷がないのに身体の震えが止まらない、身体の震えによって歩けない兵士を軍医たちは砲弾の衝撃で脳や脊髄がキズついたことが原因と考えシェルショック(砲弾病)と呼んでいましたが、その後の研究でシェルショックは心の問題に起因していると結論づけ、心因性歩行障害と呼ばれるようになり、やがて戦争によって引き起こされる心因性の障害を戦争神経症と呼ばれるようになったそうです。
しかし各国の軍医たちの中には戦争神経症の多くは仮病だと考え「そもそも戦う意思のない者が患う病」と位置づけ70V35㎃の電極を腰に押しつけ激痛のあまり前に進みだし、この魚雷攻撃と名づけられた電気ショック療法を続けていると普通に歩けるようになり再び兵士を戦場に送り返すことができるようになりこの魚雷攻撃治療は各国に広がっていきましたが、戦争神経症の本質を捉えなおそうとした人物が現れました。
オーストリアの精神医学者ジークムントフロイトという人です。心のキズ=トラウマをあつかう精神分析学を創始したフロイトは戦いたくても戦えないという心の葛藤、心の声に耳を傾ける必要があると指摘しました。戦争神経症の兵士は心の葛藤に悩んでおり、危険な軍務の要求から逃れたいという兵士の無意識的な性向が戦争神経症を引き起こす最も大きな原因であり自分の生命に対する不安、他人を殺せという命令に対する反発、上官の情け容赦ない人格否定に対する拒否感といったところが戦争逃亡的性向を生む最重要の情動源泉であったと結論づけました。
日中戦争(1937~1945年)が始まると日本軍にも戦争神経症を患う兵士が相次いだが日本軍はその存在を隠蔽しました。日本兵にとって勇敢に戦って戦死することが美徳とされていたからです。また激戦のさなかほとんどの仲間を失い、自分だけ生きて帰ってきた兵士がサバイバーズ・ギルド(生存者罪悪感)で精神分裂症、現在の統合失調症になった者が多かったそうです。当時の戦争神経症を患った日本兵たちは不当に恩給や兵役免除を受けるための仮病と疑われ国の補償としての恩給は貰えなかったそうです。
第2次世界大戦、ベトナム戦争では大量殺戮兵器の進歩により戦争神経症を患う兵士はさらに増大したそうです。ベトナム戦争の帰還兵の戦争の壮絶な訴えが実を結び1980年アメリカ精神医学会のマニュアルにPTSD(心的外傷後ストレス障害)という新たな病名が加えられました。戦争体験のような生死に関わる強い衝撃を受けると誰もが精神的障害を発症しうると初めて認められたそうです。
人間の究極の対立が戦争で虫けらのように人を殺す行為であり、人種 国境宗教 政治思想を超越し寄り添い手を取り助け合い人間同士の尊厳を尊重し、共存共栄し一体(心を開いた状態)となる世界を宇城先生は調和融合(心が透明になる)と教えて下さいました。人間は対立構図や損得構図(心が閉じた状態)の時は潜在能力に蓋がされ、人間本来の能力が発揮されず逆に弱くなってしまいます。
実戦塾で宇城先生がおっしゃられた「ゴリラは弱い者イジメはしない。猿は欲深いからダメだ。」というお言葉を思い出し現代人は偏差値教育によって昔ながらの日本人としての大事な教育が抜け落ち、テストの点数が良ければいい大学いい会社に入れ人生の勝ち組になれるという戦後アメリカの政治戦略によって戦時中にアメリカが脅威に思った愛国心や特攻精神や玉砕精神を持ち大国アメリカに刃向かう屈強な日本人を根絶やしにしアメリカに従順な奴隷日本人が育つ教育環境が完成しました。
その結果、自分さえ良ければすべて良しという人のことは考えないゴロツキのような日本人が増え、出世の為に会社や人の奴隷として生きることが日常化し、対立や損得という意識回路で生きるのが当たり前になり、それが心の悪癖となり戦前の日本人と戦後の日本人では似て非なる者になってしまいました。
戦後アメリカの政治戦略はアメリカに従順な奴隷日本人(日本人の猿化)が成功したのだと思います。日本の政治や経済や人と人の繋がりを見ても将来明るい兆しが全く見えない混迷の時代になってしまいました。
アメリカの戦争の交戦規定書には民間人は保護しなければならない。病院やモスクを標的にしてはならない。と厳しく定められています。敵を殺せというプレッシャーと民間人を殺すなというプレッシャーは相反する精神的な負荷として、兵士の心を破壊し大きな社会問題となっていました。
ニューヨークタイムズは2008年戦争による荒廃と題してアフガニスタンやイラクからの帰還兵のうち121人がアメリカで殺人事件を起こしたと名前と顔写真を公開しました。そのほとんどがPTSD患者であったと報じ国の責任を問う声が上がりました。アフガニスタンやイラクに派遣された兵士のうち戦闘での死者は7057人でその4倍以上にあたる3万人が自殺したそうです。
季刊道で宇城先生と霊長類学・人類学者の山極寿一先生の対談の中で宇城先生がニューヨークの空手セミナーでアメリカ軍の弟子がいたのですが、アフガンの戦闘で民家に踏み込む時にそこにいる人間がテロリストなのか民間人なのか、判断を誤れば銃で撃たれるし民間人を殺してしまったら軍法会議です。
「その当時、軍法会議で帰る人が増えていた。そういう状況の中で下士官だった弟子から相談があったんですね。それで僕は相手の銃の引き金を引くタイミングを押さえる方法を教え、その事によって瞬時の判断ができるようになったと、そのことでアメリカから民間人には与えられないような賞をアメリカ国家利益に寄与したということで逆星条旗の盾をいただきました。」(2009年10月)
というお話と繋がり、宇城先生が日本人は真剣さが足りない。学ぶ姿勢ができていない。勉強が足りないとお𠮟りを受けていたお言葉がよみがえり、現実にある戦争の背景を知った時、家で一人稽古をし実践塾で宇城先生に学び実践塾で仲間と対人稽古で技の検証をしているだけでは宇城先生の「先をとる」「戦わずして勝つ」といった究極の目標を目指すことになっていないと思いました。自分が平和ボケしていること自分の少ない引き出しで自分勝手な思い込みをしてしまうことの愚かさ浅はかさを深く反省しました。
実践塾で宇城先生がお話しされたことを勉強し背景を深く知ったうえで、もう一度宇城先生がお話されたことを自分の中で検証しなければ宇城先生のお心の真意を知ることはできないし、それが深さを知るということだと思いました。
宇城先生がいつもおっしゃられる「情報の真偽や物事の背景を勉強しなければダメだ。」というお言葉の重さを深く感じました。残された人生、怠ることなく高みを目指し修業していきたいと思います。
■T.S 東京 自営業
宇城先生
いつもご指導いただき、誠にありがとうございます。
宇城空手の学びには、自分を外の世界へと「広げる」ことと自分の内面へ「深く」入ることの両面があり、そのバランスが保たれることで、個としての人生においても、人類が辿る時代のどの局面においても対応できる「道」となることを、学ばせていただいてまいりました。
貨幣経済が始まり、お金が最も重要な価値観を持つようになり、ある特定の人々が輪転機を回す力を持つ社会の中では、たとえ奴隷のような立場であろうとも、そこを生き抜く力が必要不可欠です。先生はそれを「経済的安定」という言葉で表現され、どのように生きていくかという問いに対し、究極の技である「戦わずして勝つ」という実証を数々見せてくださいました。その教えを指標とし、30年間にわたる低成長(デフレ)の中で戦い、生き抜くことができました。
戦時中のような貧困や被災といった、目に見える形での苦難はなくとも、この30年を生きてきた就職氷河期世代は、経済的に安定せず、同じ努力をしてきたにもかかわらず、高度成長期を支えた世代と比較され、「自己責任」という言葉のもとで評価されてきました。その結果、鬱や自殺といった精神的な側面で過酷な状況に追い込まれる人々が増え、世代間の給与格差にもその影響が色濃く表れています。
本来ならば、これからの社会を担うべきエネルギーは、そうした環境によって完全に失われてしまいました。私もその世代の一人でしたが、言い訳することなく、世界に向けて行動し続けることができたのは、ひとえに宇城空手の教えにより、自らをオープンにし、調和・融合を学び続けられたからこそであり、深く感謝しております。
一方で、コロナ以降、世界の動きは一気に変化し、多くの人々が今一度自分自身を見つめ直す機会を与えられる時期となりました。先生は自分の内面へ深く入る学びを、量子力学の空手という形で示し、人間の持つ潜在能力を引き出す道を指導してくださいました。特に昨年開催された宇城杯を拝見し、改めて感じたことは、子どもは大人から学ぶのではなく、自ら学ぶ力を持っているということです。
大人は常に他人や社会などの外部から情報を得ることで学ぼうとし、自分自身の内なる力、つまり潜在能力から学ぶという発想が欠如しています。先日の稽古では、机の上で拳を打たれても骨折することがないという驚愕の検証が行われましたが、これまで拝見した数々の信じがたい実証のたびに、先生が誰から学ばれているかの答えを見せていただきました。
常識が通用する時代では、解答を外から学べますが、これからの時代はそう簡単にはいかないようです。そのため、ますます自らの潜在能力に気づき、変化することで答えを導き出す力、すなわち宇城空手を学ぶ力量が問われるように思います。
現在、世界は混乱の渦中にあります。既得権益者とそれに連なる新聞やテレビなどのメディアが、最後の悪あがきを見せる中で、世の中はますます騒がしくなっています。しかし、こうした動きに惑わされることなく、自らの潜在能力に気づき、それを活かして未来を築くための準備を進めることこそが、今の時代において最も重要であると考えます。
これからも、先生のご指導を指針としながら、時代の変化に適応し、真の意味での「道」を歩んでまいりたいと思います。
■A.K 千葉 公務員
宇城先生、この3ヶ月間の稽古、ご指導、どうもありがとうございました。
多くを学ばせて頂きましたが、最も印象的だったのは2月と3月に行った検証でした。この検証は2人が机を挟んで椅子に座り、一方が机の上に手を置き、もう一方が机(手を置いた近く)を拳槌で強く叩くと、その怯えと不安がその場にいる全ての人に伝わるというものでした。
机に手を置いた人の体に触れていると、相手が机を叩こうとしただけで叩く前に不安による変化が発生する(ビビる)のが伝わりました。体の中が後ろに逃げようとするような感覚でした。これが先生の仰る細胞の変化なのではないかと感じました。
また、不思議なことに、机に手を置く人が目隠し(叩くのが見えない状態)をしても同様にビビるのが伝わりました。
この検証から、見えなくとも危機を感じると体が変化すること、その変化を第3者が感知できること、変化と感知のスピードが非常に早いということを知りました。もし刃物やハンマーで検証すれば、そのスピードはより早いのではないでしょうか。
このような体の変化は我々が自覚しないだけで日常的に起こるものであり、同様に自覚しないだけで人の変化を感知しているのだと思います。
しかし、先生が気をかけるとその変化は発生しなくなりました。机を叩こうとしてもビビる感じは発生せず、実際に手を打っても打たれた側に変化はありませんでした(逆に打った側はかなり痛そうでした)。
なぜこうのような変化が発生するのか、先生が人を変化させることができるのか全く分かりませんが、叩かれても大丈夫だという確信が持てたからビビらなくなったのだと思います。気合いや根性ではこうはなりませんし、覚悟とも違うように思います。見方を変えれば、理屈ではありますが、打たれても大丈夫だという確信がないからビビるのであり、防ぐとか守るなどの具体的な対応に自信があれば変化はないのではないかと思います。
目の前の危機に臨んで体が変化しないのは武術の究極だと思います。また、人をそのように変化させる次元の高さは想像を絶します。まさに頂点だと思います。どのような修行が人をそのような次元に到達させるのか想像もつきませんが、先生の気によって体験させてただいた不安、怯えのない状態を手がかりに稽古、修行を重ねたいと思います。
実技においては型と分解組手の指導を通じ、できていない部分を細かく指摘して頂くとともに、より高いレベルを示して頂いきました。先生のこれらの指導はほぼ全てが一言、一触、一度の見本によって示されるものであり、指導とはどういうものかを教えて頂きました。
また、型の癖を指摘して頂いたことで、体の違和感や痛みを感じていた箇所が気にならなくなりました。先生の指導の中に含まれる要素の多様さに驚くとともに、自分が分かっていないだけで本当はより多くのことが含まれているのであろうことを感じました。
先日の3月の稽古では他の人への指導を体験させて頂き、自分ができないことは指導できないこと、そのような指導では人はできるようにならないことを学ばせて頂きました。
この3ヶ月の稽古を通じて多くを学ばせて頂くとともに、今後の目標、指針を示して頂きました。どうもありがとうございました。
講義では様々な事象を例に我々が現代社会の中でいかに奴隷化しているのか、また、その理由が我々自信が社会に無関心であること、真剣に学ばないことにあることを教えて頂きました。我々が学ばないことが人間のエネルギーを減衰させ、社会の格差を広げ、奴隷化した人間を増やすことに繋がっていることを学びました。
先生の様々な教えは、我々が今この時代を生きていくために必要なことを示して下さっています。先生は時代の先を見越し、我々に奴隷にならない生き方とは何かを示して下さっているのだと思います。
現在の日本社会は冗談ではなく国家から自分と家族を守らなければならない時代になっているように感じます。そのような時代において奴隷化しない生き方をすることは、何よりも次世代を守るために大切なことであり、だからこそ一人一人が真剣に学ばなければならないのだと思います。
先生に学んでいなければ自分が奴隷化していること自体に気付かなかったと思います。どうもありがとうございます。
1月の稽古の際、先生は今年の方針として「受けて立つ」と示されました。師の示した方針を肝に銘じ、何事も受けて立つ気概を持って今後の修行に臨んで行きます。

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