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2023年 春期 大阪実践塾合宿

2023年6月10日~11日の二日間、春期大阪実践塾合宿が滋賀県甲賀市で開催された。

宇城憲治館長、榎本師範、宇城拓治師範そして大阪実践塾生をはじめ東京、長野、三重、福岡の各支部から総勢50名の塾生が参加した。



■「真剣」が生み出すエネルギー

まずはじめに塾長は3人で1人の塾生の右腕を、机にしっかり抑えつけた状態から返す、腕相撲の検証を行った。当然塾生は返すことも、動かすこともできなかったが、塾長が塾生の左手でナイフの刃側を握らせた状態で腕相撲をさせると、雰囲気が一気に変わり、簡単に返すことが出来た。


我々が日常においていかに頭優先の行動をし、真剣さが欠けているかを認識する検証となった。

塾長は、真剣さがエネルギーを生み出すことを合宿の初めに示し、緊張感漂う稽古が開始された。



■ 型、分解稽古

全体での木刀稽古のあと、各班に分かれ、高段者が指導係と指導補佐を務め、型・分解組手を徹底して「やってみせる」指導を行った。指導する側も、「教えて学ぶ」ことが、新たな気づきとなり、また「やってみせる」という厳しさがあることで、教える側、教わる側共に真剣な状況で、妥協の無い稽古となった。


稽古後の懇親会では各班ごとに分かれ、指導者と班員が、稽古における型・分解組手の、より深い考察や武道談義を通じて信頼関係が構築された。


全体での木刀稽古


各班に分かれての稽古




■不安と怯え

二日目の稽古で塾長は、机を挟んで塾生と向き合い、ペットボトルの水を塾生の手に注ごうとした。

塾生は何も感じず、何の変化も起こっていないように思えたが、他の人達がこの塾生の肩に手をかけ連なると、何も感じていないはずの塾生の「不安」が、一気に伝わり、実際には「不安」が起こっていることが証明された。


次に塾長はナイフを持ち出し、塾生の手を刺す動作を行った。今度は刃物なので塾生は一瞬怯えたが、ペットボトルを使った検証の時と同様に全体にその雰囲気は伝わっていないように思われた。ところが全員が塾生の肩に手をかけ連なると、その「怯え」は一気に伝わり全体が揺らいだ。


塾生一人では全く見えない「不安と怯え」の状況を、具体的に見える形で実証した塾長は「これが現在の日本の状態である」と述べ、危機意識が希薄な我々をハッとさせた。







■ 宇城空手の意義

昨今の不安定な社会情勢、経済状況、政治への不信、気候変動など、様々な「不安と怯え」が私たちを取り巻く中で、先を見据え、希望ある未来を形づくる。そしてその担い手は子供であることを述べ、宇城空手の意義、そしてそれを次世代に伝えていく必要性を説いた。


「世界にとって最も愚かなことは、人が人を殺し合うという戦争です。武術は人を殺せる技ですが、その本質は自分を守ることにあります。自分を守るという心は、家族を守り、国を守り、世界を守る、ひいては戦争をしないという心につながります。宇城空手にはそのような心と身体をつくるエネルギーがあり、だからこそ世界に貢献ができ、発信ができると思っています。」


宇城塾長はこのように述べ、二日間の合宿を締め括った。



■ おわりに

激動の社会を生き抜くためには、現在日本がどのような状況なっているかを把握することが大前提であるが、塾長はそれを目に見える形で実証し、さらにその解決方法を具体的な実践を通じて指導された。

本来備わっている身体の潜在能力を再認識すると共に「人間性」「社会性」「経済性」を身につけた信頼される人間として、進歩成長するエネルギーを参加者全員が享受できた合宿となった。



大阪実践塾 水野克彦 




集合写真


 

感想文

 

■A.K 会社員 大阪

宇城先生、大阪合宿での大変貴重な御指導をありがとうございます。


合宿の冒頭で先生から真剣さについてのお話がございました。サンチンの型をするなら刃を握りながらやるくらいの真剣な心構えでないとエネルギーは生まれないということを、検証を見せていただきながら御指導いただきました。刃を握りながらの腕相撲で4人に押さえられても簡単に返してしまうことを目の当たりにし、今の自分に足りないことがはっきり認識できました。強く握れば手のひらが切れてしまう、それを手のひらが切れないギリギリの握りで刃を握る、しかも相手から握った刃を抜かれないくらい真剣に握るというお話をお聞きし、自分の稽古に対する姿勢や、仕事や日常での生き様の甘さを痛感し、まだまだ真剣や覚悟という言葉遊びをしているに過ぎない自分を情けなく思いました。


この気構え、心構えが宇城空手を学ぶためには必要だという現実を先生から示していただき、宇城空手という武術を学ぶこととスポーツを学ぶことは全く違うということを改めて御指導いただきました。


私が実践塾で先生から学び始めて間もなく、先生から「忍」ということについてのお話がございました。自分の生き様に「忍」がなければならない、その生き様が自分を守り、相手に入るエネルギーになるというお話が先生からございました。今回の合宿で先生がお話になった刃を握りながらのサンチンは、まさに以前先生から御指導いただいた「忍」であり、型に「忍」を込めるということだと思いました。「武術は刃の上を歩くような稽古や生き様を重ねなければならない」というお話を先生からお聞きしたこともございます。先生の仕事時代のお話や稽古のお話をお聞きし、自分に足りないものが次から次へと出てきます。宇城空手の稽古でエネルギーを生み出すとはどういうことなのか、型に魂や生き様を込めるとはどういうことなのかを合宿での刃を握りながら型をやるというお話から考えさせられました。


自分を守る、周りを守る、幸せに導く、これらのことも言うのは簡単ですが、実践するには強いエネルギーが必要です。そのエネルギーを生み出すのが宇城空手であり、そのためにはどういう稽古でなければならないのか、どういう生き様でなければならないのかという、宇城空手を学んでいく上での本当に大事なことを合宿の始めに先生から御指導いただきました。塾生の誰もが先生のような技ができるようになりたいと思っているはずです。その先生の技の根源はこうしたらできるという古典力学的なハウツーではなく、量子力学的なエネルギーです。自分の身体にエネルギーがなければ技は永遠にできないです。今回の合宿でも先生から技に必要なのは古典力学ではなく量子力学だというお話がございましたが、先生の心の発動に目を向けて自分の身体で感じることの大切さを学ばせていただきました。


宇城空手を通じて、人間性・社会性・経済性を育てていくというお話も先生からございましたが、どれだけ強い思いと情熱で宇城空手に向き合えるかどうかだと思いました。先生のエネルギーを映し、感じることができれば、先生のエネルギーに導かれて人間性・社会性・経済性もしっかり身についてくるのだと思います。そのためにも型稽古で自分の癖を直し、身体を素直でクリアにしていくことを怠らず、一人稽古を重ねていきます。


今回の大阪合宿の班稽古では東京HさんとKさんに御指導いただきました。型での細かい指摘もいただき、本当に為になりました。特にクーサンクーでは引き手が甘くなるところと眼が弱くなるところがあるとの御指摘をいただきました。一人稽古で型をやる時にはカメラで自分の型の映像を撮り、自分で癖を映像で確認しながら稽古をしているのですが、引き手や眼は映像では気づきにくい所でしたので、型稽古では映像での確認だけでなく身体での気づきを大切にしなければならないと改めて感じました。引き手や眼をしっかりすると、自分の身体にどういう違いが出るのかということを感じながら稽古を重ねる必要があると思いました。私は引き手や眼をしっかりすると、身体にパッと電気がついて明るくなるような感覚がありました。


引き手が甘いと肩甲骨からの腕全体がボヤッとしている感覚になりますが、引き手をしっかりすると腕全体シャキッとし、上半身と下半身が繋がる感覚になり、眼はしっかりすると頭のてっぺんまでスッと芯が通る感覚になり身体が明るくなる感覚がありました。自分の身体で感じたことを手がかりとしながら型稽古を重ね、今回の合宿でHさん、Kさんから指摘していただいたことを身体に覚え込ませていきたいと思います。型稽古を通じて、身体で自分の癖や我欲に気づき直していく。頭でなく身体で素直に謙虚になり、エネルギーを育んでいく。そのエネルギーは自分だけでなく、周りも幸せに導く。こんな学びができるのは宇城空手だけです。


謙虚であること、生かされている、守られているという感謝の気持ちを忘れずに学ばせていただきたいと思います。

宇城先生、今後とも御指導をよろしくお願いいたします。


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■K.I 教師 東京


宇城先生

 合宿での御指導ありがとうございました。内面を見つめる新たな稽古へ導いて戴き感謝申し上げます。

 不安と怯えという、二つの負のエネルギーは、見えないけれども人に伝播し、身体を硬くし、心を閉じさせる。怯えは他殺に向かわせ、不安は自殺へと人を向かわせる。そして、不安は消すことは出来ない。ならば受け入れ折り合いをつけながら身体の中心に向かい、その深さを知ることで、心身の解放へと向かうことも出来る。とお話を伺っていて、「深さを知るとは謙虚になるということである。」と先生の言葉が蘇りました。宇城先生が気を通すと、ペットボトルから流れ落ちる水からも、突きつけられたナイフからも、不安や怯えは消えました。負のエネルギーを正に変えてしまいました。 謙虚にひたすら謙虚に稽古修行しなければならない。言動は「0、1」でと自分に言い聞かせました。


 実際にナイフの刃を握ると、真剣を持つた時と同じように身体が変わり、生死を賭けた必死のエネルギーが生まれ、それが身を守るエネルギーとなることが分かりました。実感するしかないもので、一度その感触から腕相撲で勝てたとしても、次に勝てる保証は何もなく、稽古によってその感触を身体に落とし込み、日常化するしかないと知りました。 宇城先生はナイフや剣を持たなくても、刃を握ることはなくても、絶えずエネルギーを創出し、素手で触れずに刀と同じように切ることが出来きます。これは驚きしかありません。いくら稽古しても今の私には辿り着けそうにありませんが、目指します。


 世の中の回転がおかしいなら、それとは逆の回転をさせるしかない。高偏差値の大学に入ることが目標の教育が、子どもたちから未来を奪っているのだとしたら、そこに向かわず、身体の技術で自立し、生活を築いて生き抜いていくことに向かう教育に逆回転させなければならない。と危うい日本の現状を「回転」で集約し、「逆回転」の改善策を提示されました。身体の術技の究極にあるのは、宇宙の誕生と関わる回転エネルギーを宿す宇城空手だけです。全てはそこに向かわなければいけないものだと思います。


 真っ直ぐ正面から堂々と入っていくことを型と組手のテーマに指導しました。指導していて思いましたのは、外からいろいろ言ってもなかなか修正できないので、結局は自分の身体を尺度に変えなければならない、ということでした。先生と小川三夫さんの対談で人を育てておけばいい、ずーっと頭の中に去来していました。寸尺にみられるように日本人は自分の身体を物差しにして物づくりの基準にしている。とかつて宇城先生から教わったことが蘇りました。角度じゃないんだ、センチじゃないんだ。と指導を受けたとき、自分の身体が感じることを基準にしなさい、ということだったのだと初めて気づきました。角度やセンチは外からの基準、外の地球が基準で、内なる地球の基準が日本人の身体を基準にした生き方だと気づきました。

 

 パッサイの支え腕からの投げに入る瞬間なにが起こっているのかを、先生がゆっくり相手とつながって引き寄せるのをみた瞬間、これはやってみて自分の感覚で気づくしかないと思いました。中心に引き込まれ回転して倒れているように見えました。どう伝えて良いか分からず、引き手を工夫して姿勢を真っ直ぐにして引き手でやって見せました。力を使っていないことを見てもらうためにゆっくり所作をしてみました。かえって技がかかったように感じ、驚きました。やってみせる指導しか伝えられないのだから、深さを追求しないと宇城空手の指導は出来ないと思いました。

最後の稽古で宇城先生からたくさんの気を戴き、また元気に過ごしております。最後の30分は、宇城先生の愛情だと感じました。いつも暖かく守って戴き心より感謝申し上げます。 今後とも御指導の程よろしくお願い申し上げます。


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■K.H 自営業 東京


宇城先生

この度は大阪合宿参加という貴重な機会を頂くとともに別次元と言えるご指導ありがとうございました。今回も含めて毎回稽古に参加するたびに考えられないような貴重な経験をさせていただいております。名刺を使用した検証では目に見えずとも持っている人を投げることを可能にするエネルギーの存在を感じることができました。わずかでも力による作用では紙の名刺は簡単によれて変形するはずですが全くその気配はありませんでした。


同じ名刺を使っているのにエネルギーを入れられたものとそうでないものは明らかに違いました。以前にも本を使用した検証で宇城先生のご著書とその他の本とでは内包するエネルギーが全く違い現実として先生のご著書を持つと重くなり簡単に列を押したり多人数を倒したりといった普段の自分ではできないようなことができます。


できるはずの自分が脳による思考の癖により自分本来持っているエネルギーが失われた状態を先生のご著書のエネルギーが解放してくれるのだと思います。

同時にこの先生により送られているエネルギーは空気として自分を守ってくれています。多くの塾生の生命に関わるような場面でも無傷でいられたのは偶然でなく紛れもない事実として証明されています。日常でも稽古でも恐れ怯えて疑い自分の器の中で思考し判断するのではなく自然体で先生の空気の中に身を任せることが大切なことだと感じました。


稽古では宇城空手の型により錬られた身体の凄さを今回も体験することができました。通常では考えられないような先生の身体と技の数々をわが身を通じて感じ、どれほど宇城空手の型が武術して高次元のものであるか、そして自分の問題の答えが全てこの中に内包されているがゆえによほどに心を込めて稽古しなくてはならないということに改めて目を見開かされました。


今回は指導ということでしたがその思いを持って稽古に臨むと自分の発する他者への言葉は全て自分自身への言葉でした。

型の通りに動けば技はかかるようにできているのにどうして型と違った動きをしてしまうのだろうか。理に叶う場所は一箇所しかない、それを何度も繰り返し自分で見つけるしかない。それはいつも先生や師範から言われている、まさに自身への言葉です。型や分解でいかに自分がひとつひとつを曖昧にしているかがとてもよく分かりました。

そして稽古中の検証で大勢が持った机の上に手を置いた状態から机を動かすという検証ではSさんのお嬢さんができて私はなぜできないのか。


日常や稽古のやり方を含めて今自分の居る立ち位置、思考を先生が「逆回転」と表現されたようにまるっきり別の場所へと変化させなければ自分の中の洗脳は解けず宇城空手を学ぶことはできないと思います。刃物の刃の方を手の中に握っての多人数を相手にした腕相撲では先生が「この検証をさせることができる人と危なくてさせることのできない人がいる」とおっしゃいました。果たして自分はどちら側の人間だろうかと自分に問いかけています。


「武術は刃を持ってしなければならない。柄を持ち相手に刃を向けるのは自分が怯え恐れている証拠だ」とも。明らかに自分は相手に刃を向けています。

それは対立を生み護身とは逆のベクトルでありそれが世界で常となっている紛争や戦争となっています。今まで気付くことのなかった自分の中の怯え、恐れに気付かせて頂き、さらに宇城空手を稽古している自分は先生の空気に常に守られておりその空気の中に素直に溶け込めば何も怯え恐れることはないのだということが今回の合宿に参加させて頂いたことの大きな意味のひとつとなりました。


稽古後の懇親会では仕事への取り組む自分の姿勢を省みる貴重なお話をお聞かせくださいました。先生が技術者として、一部上場企業のトップとしていかにして仕事に取り組んできたかのお話は実際の経験からの言葉であり、決して他では聞くことのできない貴重なお話です。大企業のトップでありながら高い視点の「鳥の目」だけでなく現場に寄り添った微細なところまで目が届く「虫の目」を同時に持つ。そこにはトップとしての先見と企業としてどうあらねばならないかというブレることのない真実の言葉があります。


先生の言葉はたとえ冗談に聞こえてもそこには決して聞き逃してならない深い内容が含まれています。楽しく和やかな席上で眉間に皺を寄せて先生のお話を聞くことは無粋でもありますが楽しい雰囲気に流されせっかくの含蓄のある深い話を聞き逃していることはとても残念なことでありまさに自分はそうであるなと自省の念がしきりです。

場の雰囲気を壊さぬよう自然体で先生のお話を聞きつつその中に含まれていることから少しでも多く気付き学べるよう心掛けたいと思います。多くのことを学ぶことができた今回の大阪合宿ですが何より大切なことは宇城空手の稽古を通してこの先さらに混迷を増していく世界で滅亡を前にした日本をどう生きていくか、子供や孫の代に何を残せるのかということを先生は御指導されているのだということです。


そのお言葉は平和ボケした日本と理不尽な世界への怒りと我々弟子への慈愛に満ちた言葉でした。この末法の世と言える世界を救うことができるのは宇城空手しかないと確信いたします。世界でも唯一の存在である宇城空手を修行するにおいては今の自分を残して中途半端な状態で身につけられるような次元のものではなく徹底して自分の癖を削ぎ落とし透明な自分に近づくことに日々真剣に取り組まなければならないと、気持ちを新たにした次第です。


とにかく「言い訳をせず」「二進法」で邁進していく所存でございますので引き続きのご指導よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。


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■N.Y 自営業 三重

 合宿での貴重な稽古ご指導賜り、誠に有難うございました。

不安と怯え、この見えないものを身体にとおして検証し、見た目は平然としながら中身は不安と怯えを感じ、気によって守られた時の安心感は全然違いました。現在の日本は明らかに沈んでいく状態であり、先が見えなく不安は隠せません。そして身近な日常に置いても、経済的に落ち込んでいても本当は不安でありながら根拠のない自信にて何とかなるだろうですまし、手を打つことをしない、先をみることが出来ないか若しくは怯えから逃げている。周りの危うい状態を対岸の火をみている様です。生産性の無い生き方から脱却できない自分はまだまだ分かっていない。自分を見直さなければならないです。


実技により見えない伝播が他人も不安にさせ、負のエネルギーを出し、言葉や言い訳でごまかす自分がいることがよく分かりました。ナイフの刃を握り違う手で他人を崩すは守りながら相手に入る内面の作用を伝播して共有させて頂きました。また実技で最後は手、足を使わず念、想いで動かす事を経験させて頂きました。自然体でありそれが理合いと感じます。その理合いがなければ何も守ることはできないと実感しました。宇城空手しいては三戦が守ってくれる、身を助ける意味が結びついてきました。いつも何のために、何をすればいいのかを考えてきましたが全部自分をよく見せたい、人の為と唱えながらも自己中心の狭い中、創造の無い世界にいて勘違いしていました。

実証、検証の後にはいつも我々自身が出来るスイッチを先生が促しエネルギーを与え実現させてもらいます。どれだけ持続させ、切れる時は何が邪魔するかを見ると自分勝手に動く、頭での行動に変わった瞬間理がなくなり調和が無くなります。いかに理合い、調和が時空を超え先生の教え深さに繋がるのかを改めて尊い学び、世界であり、これからの時代又次世代には必要不可欠であり、かけがえのない価値だと痛感しました。

 今回の合宿は合宿全体の雰囲気が今までより熱意が上がって諸先輩方もレベルが向上しているなと感じました。宇城先生、榎本師範、拓治師範にご指導いただき、そして諸先輩方と共に稽古し、同じ時間を共有し触れたことに感謝いたします。


刃を握る拳での稽古はまだ自分はできませんが、自分の拳には先生と繋がった希望の光を握り、潰さない、拳の隙間からこぼれ落ちない様その覚悟もって修練、創心館のごとく創造、心を磨くだけです。それには型、基本の大切であり身体を通して深さを学ぶ所存です。

これからもご指導宜しくお願い致します。



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■A.S 学生  鹿児島


宇城先生、合宿に参加させてくださってありがとうございました。そして、たくさんのことを教えてくださったり、検証をさせてくださったりしてありがとうございました。


 私が一番印象に残っているのは、検証をさせていただいたことです。正直に言って、 「気」ってすごいなぁと改めて思いました。1回目はできなかったけど、2回目以降は先生に気を入れてもらってから、できるようになって、しかも、机に触れずに突きを横でしたら、机をもった方達が動いたのが驚きました。もし、次に検証をさせて頂く機会があれば、その時には、1回目からできるように稽古を頑張ります。


 名刺の検証をさせていただいたときに、私がすっと取られてしまったときに、稽古が足りないと思いました。その時に、「拳の握りが甘い」と具体的なご指導をしていただきありがとうございました。その後、強く握ったら、「そのくらいでいい」とご指導いただいた時に、結構拳の握りが甘かったことに気づかせていただいて、今までの稽古の時の握りも甘かったのだと実感することができました。また、セイサンは、「脇が甘い」とのご指導を受けたので脇を締められるように稽古を頑張ります。クーサンクー、パッサイは「癖がない」と言ってくださったことがとても嬉しかったです。

Iさん、組手をしてもらった方、型や分解組手を教えてくださり、ありがとうございました。特にIさんには、感謝しています。班の時にはもちろん、休憩時間に習ったことを復習していた時に自分の休憩時間を削ってまで、私に教えてくださってありがとうございました。

 榎本師範にも久しぶりにお会いすることができてとても嬉しかったです。また、いつの日かお会いできることを楽しみにして稽古をします。

宇城先生、榎本師範、拓治師範、ありがとうございました。これからも稽古を頑張ります。

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