宇城塾長による、第2回野球塾が開催されました


2021年7月26日(月)、創心館 高槻道場にて、宇城憲治塾長による第2回野球塾が開催されました。

参加者は、教員24名、学生4名、生徒1名の29名。


予定2時間のところ、開始を30分早くから、また終了も30分延長と、3時間にわたる熱のこもった指導が行なわれました。



以下に受講感想文を紹介いたします。



<大阪産業大学 1回生 H・U>

今回も講演会に参加させていただき、ありがとうございました。

お話の中で印象に残ったのは相手と仲良くするという気持ちを持つ事で引き出される力が変わった所です。握手や肩を組む事で帯を引っ張る時の力が全く違うものになりました。


目に見えない力を感じて、人からの思いは相手に対して大きな影響を与えると分かったので、相手と対立するような気持ちにならないようにしたいと思いました。

また、人からの思いによって力が変化する体験をした事が実際に野球に生かせるなと感じました。試合前に円陣を組んで声を出したりするのではなく、握手や肩を組んだりする事で、自分たちの本来の力が出しやすい環境に近づけてより良いパフォーマンスにしたいと思いました。ありがとうございました。



<大阪産業大学 1回生 K・U>

先日は、勉強会を開いていただきありがとうございました。

宇城先生のお話を聞けたのが2回目ということもあり、私の中で話の内容を深く理解することができたと思います。


今回は実践を通して対立(勝ち負け)からは真の強さは生まれないということを教えていただきました。私なりに、この意味を考えてみると、自分を捨て去ることが大切なのだと思いました。自分を捨て、今に真剣に取り組むその中で相手を思いやる気持ちを持つ。このような積み重ねが強さになるのだと今回の勉強会で感じました。


自分を捨て去ることが、実は自分を生かすことに繋がり、また他者を活かすことになる。このことを忘れずこれからも実践を通して、成長していきたいと思います。そして自分自身に「深さ」を生み出していきたいと思います。ありがとうございました。



<大阪産業大学 1回生 R・Y>

先日、野球教室を受けさせて頂いて前回と同様に気が空間を支配するすごさを身にしみて感じさせられました。自分はこれまでずっと「勝ちたい」や「打ちたい」など様々な気持ちが前に前に出ていてそれが逆に自分にとって不利になっていることに気づかされ改めて自分の癖を直さないといけないと思いました。


これまで2回指導を受けさせて頂いて、練習中に色々試しながらしていてまだまだ自分の物にできていなくて、意識しないとできないことが多くてもっともっと追い求めていかないとダメだと今回の指導を受け感じました。表面上を理解したと思ってもそれは本当は全く理解できていないので、突き詰めてやったその先に何かが見えてくると思うので頭では考えず、無意識にできるようになれば今までの自分より格段とレベルアップした自分になれると思います。もっともっと宇城先生のご指導を受けたいです。本当に貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。



<大阪産業大学 3回生 K・N>

前回の野球教室では主に話を聞き、周りが実践していたのを見る機会が多く自分自身すごく学びにはなったのですが、宇城先生のレベルの高いお話に圧倒された場面があり、今回の野球教室を通して、自分自身の中にあった悩みや疑問がとても晴れた気持ちになり、自分が今まで考えてきた事と宇城先生のお話しされていた事を照らし合わせた時に、自分の考えの幅がまだまだ狭いと感じました。


自分一人が「がんばるぞ」という気持ちで取り組むのと周りが協力し合いながら取り組むのでは大きく違ってくる事を帯の綱引きを通してすごく伝わりました。そして力の伝え方、技術ではなく心で取り組むという事を、実践を通して、又自分の身で感じることができ、普通で教われない宇城先生から直接指導していただき、自分の成長に繋がる良い材料を得られました。この経験は私物化するのではなくチームの中でも伝えていこうと思います。



<大淀高等学校 2年生 T・S>

僕は今回の講習を受けさせてもらって、別に体が大きいとか小さいとか関係がないんだなと思いました。僕がいままでピッチャーで投げさせてもらっている時も体が大きいとかゴツいだけで変な力が入ってボール、ボールでフォアボールとかになっている記憶があるのでバッターの体が大きいから内気になるんじゃなくて、バッターが大きいとか小さいとか関係なく、今の自分のもっている最高のボールを投げたいと思いました。ありがとうございました。



<30代男性 奈良 高等学校>

宇城先生、第2回野球塾でのご講演有難うございました。また、素晴らしい環境をご提供頂き、普段以上に身が引き締まる思いで参加させて頂きました。

普段の教師塾でも仰っていますが、それ以上に自分の感覚が鈍ってしまっている(病気に陥っている)状態であることを認識させられました。


これだけ多くの機会で宇城先生にご指導頂いているのにも関わらず、未だに生徒にうつすことができていない現状にあり、まだまだ勉強が足りないと感じるのと同時に、物事の起源すら学習してこなかった自分に対して物足りなさを感じました。


最近の生徒はエネルギーが足りないと感じていましたが、子どもたちには大きなエネルギーがあるのにも関わらず、それを感じ取ることができないほど、自分自身にエネルギーがないのではないかと感じます。

それを子どもたちは感じていて、見透かされているのかと思います。この夏休みで学びを深め、新学期に向けて準備していきたいと思います。

本当に有難うございました。



<30代男性 京都 中学校>

宇城先生第二回野球塾開催誠にありがとうございました。コロナ禍で実施が厳しい中、高槻道場で学ぶ機会を作っていただきこの上ない感謝と身の引き締まる思いで参加させてもらいました。


今回の講義の中で何より考えさせられたのは、オリンピックで活躍する10代。誰にも教えてもらってない。楽しんでプレーしている。細かいこと、テクニックで勝っているわけではない。そこにあるのは、その競技が何より好きであるということ。これに尽きる。その心をいかにして育てていくか。指導者の勉強とはそういったことが大部分を占めていると改めて感じました。大谷選手は統一体だから疲れるはないと先生も仰っていましたが、メジャーのあの過酷な日程で実際できているのは、大谷選手の心(統一体)があるからとしか説明がつきません。


技は心。様々な場面での対応、態度。敬遠されても味方の応援だけでなく、敵のファンからもブーイングが来る。これこそが魅力です。我々はそういったものをどうしても資質、能力で片付けてしまいますが、今日も先生が何度も見せていただいた、気や実践。何より思うのは映るという現実です。バーチャルではなく現実。その事実を知っているというだけで、我々は希望が持てます。

やはり大切なのは心。その中で包まれるからこそ力が生まれる。空気がヒットを打たせる。その根源にあるのは調和何よりも皆んな仲が良いということです。対立を生む競争、評価を捨てないと調和は生まれない。しかし、スポーツや今の学校の在り方は逆を行ってしまっている。大きなことはできないが、自分は変われる。そして周りが変わり、その周りも変わる。狭い狭い世界で生きる教員。この中の常識に頼っていても何も生まれません。


改めて今日宇城先生に何を学んでいるのかが再認識できました。自分にサボらず。自分に丁寧に、足元から気を配って実践していきます。

本日は貴重な時間をありがとうございました。



<40代男性 兵庫 高等学校>

昨日は野球塾でのご指導、誠にありがとうございました。

高槻道場で開催していただき、感謝と感動で身の引き締まる思いで参加させていただきました。この様な素晴らしい場所で行うことができ、玄関に入る前からエネルギーに満ち溢れていました。始めに先生から刀を見せていただきました。自分は実物の刀をこんなにも身近で見ることは初めてで圧倒されました。包丁とは訳が違います。これを腰につけることの覚悟、自分には無理だなと思いました。昔の人はこの様なものを身につけ生活していたのかと思うと一日一日の重みが違います。やはり昔の人は凄いです。しかし身近で見させていただいて多くのエネルギーを頂きました。


先生に言って頂いたように自分は「体育教員なのに体育の歴史を深く知りませんでした」

上辺の薄い部分しか知らなく、家に帰ってすぐに調べると、これは何も知らないと同じだなと思いました。本当に恥ずかしく生徒に申し訳なく思います。初心がわかっていなくどこからその真理を伝えられるのでしょうか。勉強不足もっと勉強していき深さを求めていきます。


四次元の世界で物事を考えている自分。試合も勝った負けたの対立の勝負になってしまっています。先生が見せて下さった五次元の世界。勝った負けたではなく調和の世界。お互いが高めあう試合。頭ではなく身体を作っていきます。自分が変われば学校も変わる、クラスも変わる、野球部も変わる、生徒も変わる。統一体。


自分は生徒に自分を隠さずにありのままの自分を見せることができていません。先日、先生にアドバイスを頂き、自分の発言、行動を意識して振り返っているとまさに、その通りでした。先生とは、野球部監督とはこうあるべきだと。「地位名誉肩書き」を潰さないようにかっこつけて、生徒と接している自分がいました。できない自分を見せるのが怖く、口ばっかりになっている自分。肩書きで偉そうに生徒と接している自分。全く自然体ではありませんでした。でも生徒は気付いていますよね。こんな自分に。自分を変えるのは勇気がいりますが今しかありません。子供たちのため。今この時がチャンスです。勉強勉強で自分を変えます。


「このメンバーならいつでも道場を使って良いよ」と先生に仰っていただき、先生の愛、想いがさらに伝わり涙が出そうになりました。この場にふさわしい人間になります。今後もご指導よろしくお願い致します。



<50代男性 兵庫 高等学校>

宇城先生、第2回宇城野球塾でのご指導ありがとうございました。また、高槻道場を使わせて頂き、本当にありがとうございました。この道場のありがたさを改めて身に染みて感じました。


今回も、気を通して頂いた時の100万点の身体に対し、それを引き出せないマイナスの自分を示していただきました。何となく無難に勤めていれば、給料がもらえ、生徒は卒業していく教員の甘さ。生徒の持っているものを引き出すどころか、埋めてしまう指導。今までの数々の失敗は取り戻せませんが、目の前の生徒の100万点の身体を壊さず、引き出す教育をあきらめず、求めて生きたいと思います。


前回同様、先生の最後の指導には唸らされました。先生は、話を聞く態度が悪く、講習に乗り気でない大学生に対し、きつい言葉で指導されました。あのまま大学生が帰っていれば、時間の無駄ということになりますが、先生はきっちりとフォローされ、最後は大学生も納得して帰ったように思います。次の日は、先生に教えていただいたことを実践し、するどい当たりを連発していたのではないでしょうか。振り返って、自分の指導であれば、きっとしばらくきまずい雰囲気になり、場合によってはそのまま関係が悪いままということも十分にあり得たと思います。人間関係に投げやりなところのある自分にとって、先生の気の使われ方は、一番学ぶべきところであると思います。


生まれる、生きている、生きる、そして、生かされている。自分は、生きているの段階から抜け出せていないように思います。生きる、そして、生かされている、に向かえるように行動したいと思います。



<30代男性 奈良 中学校>

宇城先生、この度は第2回野球塾を開催していただきありがとうございます。急な会場変更にかかわらず高槻道場を使わせていただき、先生の私たちに対する熱の大きさ、深さは私ごときでははかることはできません。だからこそ、自分を変えたい、そう思い先生へ恩返しをしたいと感じます。本当にありがとうございます。


高槻道場に入ったとき、足裏から木の温もりを感じました。自宅の床も木ですが、木にコーティングを施工したものであり本物ではない。だから、自宅の床からは温もりを感じません。道場の床から得られた温もりこそが本物なのだと感じます。自然の凄さ、偉大さ、そこで生かされている私自身、、、本当にちっぽけなものです。そんな自分が偉そうに子供の前で自分の経験や人から聞いた話を語る、本当に恥ずかしいことです。


先生が始まる前におもむろに真剣を取り出し見せてくれました。人生で初めての真剣を目の当たりにしました。本物ですので、興奮しました。夢中で刃文を見ていました。しかし、軽く触れただけで、指が落ちることや鉄パイプまでもが簡単に切れてしまうことを聞き、興奮が恐怖へとなりました。江戸時代には無礼があれば、刀を抜けと言われる。その時点で死。今は無礼があっても、叱られる。すでに差が圧倒的だと感じます。「百聞は一見に如かず」まさにその一言に尽きます。


帯を引っ張り合う実践、体育座り=奴隷座り、気合を入れるは弱くなる、仲良くすれば強くなる。帯を引っ張る前にすでに勝敗がついていました。自分が正座をして帯を持ち引く、力を入れているわけではないが、勝手に相手がこちら側に引っ張られているように見えました。しかし、身体は熱かった。これが統一体なのか、本当に圧倒されました。


仰向けの相手の手を持ち、自分を投げようとしても投げれない、先生が気を通すと簡単に投げられました。私自身も続けて投げることができました。投げられているのに全く痛くなく、投げようと思わなくても勝手に投げている。これが「うつす」ということ、「守」ということ。ここからは先は自分次第、自分で工夫をする「破」、そして自立する「離」。


大谷選手は技術もすごいが、心の上に技術がある。ではどうすればその心が身につくのか、それは人柄である。今の自分の指導では、大谷選手のようなプレイヤーは生み出せない。自分の人柄がそれを表している。自分を変えること。自分が変わることで、周りを変えていくこと。まずは、自分をさらけ出すこと。きっと、それが自分を受け入れるということ。調和することだと思う。それもできないのに、周りを変えることはできない。


教師という年数を重ねれば重ねるほど、それができなくなっている。本当に情けなく、愚かです。先生に出会うたびに、落ち込みます。しかし、その度に気づかされます。時間が経つとまた、愚かな自分にもどってしまう。覚悟を持った気になっている。このままでは、5年後、10年後も同じです。今の置かれている環境、自分自身、謙虚に受け止め、そしてまた歩み出す。そして、走り出す。


先生には走っても走っても、追いつくことはできません。永遠にできません。でも、差は縮まらなくても、先生の背中をなんとか食らいついてでも追いかけさせてください。これからもご指導宜しくお願いします。本当にありがとうございました。



<30代男性 奈良 高等学校>

第2回野球塾につきまして、貴重な時間、場所、講義、実践、我々教員のために本当にありがとうございました。身をもって実践を体験できる場があることに感謝いたします。


我々教員が受けてきた教育と、今生徒たちにおこなっている教育の悪いところである、現場で生徒に対立させてしまっていることが良くないということが実践を通じて刺さるようにわかりました。仲良くすると調和でき、大きな力を発揮できる。しかし、対立しているとうまくいかないし、力が伝わらない。また、ゴミを拾ったり、挨拶したりなど、人間性の部分も大きく影響することも実践や講義の中で心に残っています。


「自分がやっていないことは生徒もやる(できる)はずがない」と先生がおっしゃったときに、いろいろ見直すところがあると思ったのが正直なところです。このままではいけないなと…

見直すとともに、自分にとって当たり前にしないといけないということもわかりました。


先生のお話を聞くと、現実を突きつけられ、自分がいかに無能であるかを痛感します。教員が子供に与える影響の責任の重さも含めて、しっかりと受け止めてこの先変わらないといけないと感じました。

「生きている」という自己中心的ではなく、「生かされている」という謙虚、感謝の心を当たり前にすることで、まずは、自分が変わる。そして、生徒に気づかせる。クラスの生徒たち、野球部の生徒たちが変わったと周囲にわかるように…


前回もお話いただきましたが、子供が自転車に乗れるようになるときの話で、頭ではなく、身体で、細胞で覚えて、体現できるようにしないといけないと…

「見せれば子供はわかる」

この言葉を胸に刻み子供たちの可能性を引き出せるよう日々前進します。

ご多忙の中、本当に貴重な2時間をありがとうございました。



<30代男性 京都 中学校>

宇城先生、この度は第二回野球塾にて学ばせて頂きありがとうございます。また、道場を会場として使わせて頂き、先生のお心遣いに感謝いたします。


今回は特に野球云々よりも教師としての心構えが何より大切であると深く自覚しました。野球を教える以前にやるべきことがたくさんあり、人財を育成していかねばならないと痛感しました。野球を教えるだけでは対立を生じさせることになりかねない、調和を教えていくことこそが本質であると思いました。


現在オリンピックが開催されていますが、その中で行われていることが次元の低いものであること、そしてそれに惑わされてはならないと感じました。

また、後ろから腕で押さえられた時に先生に気を通してもらうと簡単に抜けるにもかかわらず、自分で細くしようと頭で考えれば考えるほど締め付けられることには、自分が独りよがりになってはならないんだと強く感じました。

頭で考えるよりも前に行動できる人になっていかねばならないと毎回学ばせて頂いております。

今後とも御指導よろしくお願い致します。



<20代男性 奈良 高等学校>

宇城先生の話を聞かせていただいて2つの事を大切にして教員として生活していきたいと思いました。


1つ目は、学校を変えるのでは無く自分が変われば自然と学校も変わるということです。今まで私は、「学校を変えよう、変えよう」と考えていました。しかし、そうでは無いということに野球塾で気づかせていただきました。そのため自分の能力、人間として何が足りていないかを常に考えながら自分をどんどん成長させていき、それが生徒の成長に繋がり、学校の成長に繋がっていくというようにしていきたいと思っています。


2つ目は、仲良くする、対立、衝突しないということです。

今まで、仲良くするということを少しは意識していましたが、学級を作るのに仲良くするということにあまり重きを置いていませんでした。しかし今回話を聞かせていただいて仲良くし衝突を避けることでパワーを発揮するということを体験を通じて感じる事ができました。


最後に、生徒を成長させるには、雰囲気というのもすごく大切になると思いました。宇城先生の雰囲気があり自分も教員としての雰囲気を作れるように成長したいです。



<30代男性 奈良 中学校>

宇城先生、先日の野球塾でのご指導ありがとうございました。参加された先生方、学生、生徒の皆さんにもこの場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。


5次元から物事を見て考える生き方。今の私はまだまだ成功と失敗と勝ちと負けと。低い次元の考え方が常に頭をよぎります。本年度から転勤し、橿原中学校に勤めさせて頂いております。先日、3年生の野球部の引退に立ち会ったこともまた、自分のズレを感じる要因になっていると思います。選手にも「勝ち負けではない」「最後までやってきたことをやり抜こう」とは伝えているものの、心のどこかで自分が試合に勝つことに囚われています。他校の結果を気にしたりすることもしばしばです。その横着さを生徒は感じ、焦りや力みとなって試合の中で出現する。本当に情けない。


頭ではわかっていてもいざという時に出現する。どうすれば良いのか。本当に悩んでいました。

「守破離」

自分の中でこれほどまでに視覚と記憶に残る落ち方がしたのは久しぶりでした。要するに自分自身の心がけが甘かった。単に物真似をしているだけで、徹底した守ができていなかった。ただそれだけだと思います。

守なくして破も離もなし。宇城先生と目が合う機会が何度かありましたが、その事を言われている気がしました。覚悟があるのかないのか。


今、心はスッキリしています。野球塾という志の集まる集団の中で気づかせていただけたことに感謝致します。

宇城先生、お忙しい中でのご指導ありがとうございました。また、この難しい社会情勢の中、高槻道場にあがらせていただき、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。



<30代男性 三重 高等学校>

宇城先生、この度も貴重なご指導をいただき誠にありがとうございます。また、事務局や関係の先生方、たくさんのご準備をいただき、誠にありがとうございます。私のような人間が高槻道場で宇城先生のご指導をいただけたことに心より感謝申し上げます。


凄まじい空間に居させていただき、背筋が伸びる経験をさせていただきました。宇城先生が未来ある子ども達を思い本気で私達にご指導いただき、厳しいお言葉から本当の優しさを感じさせていただきました。心を込めて生徒を見ることの大切さを教えていただきました。宇城先生のお話を聞かせていただいている最中、生徒の顔が浮かび自分の無力さを痛感します。目の前で起こる全てのことが自分に突き刺さります。出来る方が目の前におられると出来る自分がいます。させていただいている自分がいます。


この感覚は言葉にできません。仲の悪い生徒。攻撃的な生徒。周囲が見えず、口だけで行動に移せない生徒。彼らが力に頼る時、お互いに対立し、頭を使う時、衝突し遅い次元で生きています。それらは、彼らの目の前に立つ自分に原因があります。宇城先生に学ばせていただき、自分達の役目の重要さに気付くことができました。生徒のせいにする弱い自分に気付かせていただきました。自分が変わり、身体に問い、この生徒達が気付き変わるまで自分の中で工夫し殻を破り深めていきます。


大阪産業大学の学生さんや大淀高校の生徒さんのような目の輝きを、自分の目の前の生徒が取り戻せるように。宇城先生が仰る、4次元の「賛成、反対」のレベルから5次元のレベルへ。師を持たせていただき、自分の小さな枠を越えて周囲と共に本当に謙虚に成長していきたく思います。

自分の学校の生徒に対する自分の姿勢を見つめ直し、先ずは自分から。そして他へ。エネルギーの醸成と活用。宇城先生、この度もありがとうございました。今後とも何卒、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。



<30代男性 奈良 高等学校>

先日は野球塾でご指導いただき、ありがとうございました。宇城先生の道場でご指導いただいたこと大変感慨深く、また、あの場でしか感じることができないことがありました。


ご講義を始める前に、真剣を見せてくださいました。鞘から刀身を出された瞬間、なんとも言えない緊張感に包まれました。「腕に刃を落とすとストンと落ちる」この言葉を聞いてさらに緊張感が高まりました。今回、初めて真剣を間近で目の当たりにし、普段何気なく使っていた「真剣に」「懸命に」という言葉のもつ本当の意味をグッと身近に感じ、生半可な気持ちで使える言葉ではないことに気づきました。同時に、真剣がある時代、空間での緊張感は、私が身を置くところで漂う空気感とはほど遠く、いかに自分が平和ボケな生活を送っているのかを実感しました。


スケートボードで金メダルを獲った13歳は大人に教わっていない。大人が子どもを潰すことは往々にしてある。教育も然り。教師としてこの事実に対して真剣に立ち向かわなければなりません。教育に携わる大人が子どもを潰してしまう可能性を孕んでいるどころか、強いはずの子どもを弱い部分体にしてしまっていることをまず自覚しなければなりませんし、深さを知ることも私にとっての課題です。上辺だけ、流行だけを見てわかった気になる、その部分だけ教えてしまっていることがよくあることに今回気づかせていただきました。物事、事象、人物の起源、成り立ち、本質を見にいこうという姿勢なしに、生徒に信頼されることも生徒を正しく導くこともできません。


自分の弱さ、甘さに気づかせていただいたのと同時に、それらに向き合おうという勇気をいただきました。精進して参ります。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。



<30代女性 奈良 高等学校>

第2回宇城野球塾を開催いただき、ありがとうございました。今回からの参加になりましたが、高槻道場での開催とお聞きし、大変貴重な機会をいただけたこと、宇城先生へ感謝の気持ちは堪えません。エネルギーと深い愛情を感じるとともに、子どもと接する教員・指導者が学び実践することが急務であるという危機を感じずにはいられませんでした。


教師塾生としてお世話になっておりますが、場・人が異なり、部屋の構造・置かれている物、全てで空間が成り立っている感覚は、初めてのものでした。何もかもが全く違う状況の中で厳しくも愛情のあるお言葉をいただきました。お持ちの日本刀を腰に差して、「真剣」「手の内」を示されました。「真剣さが足りない」とのお言葉に、自分は「真剣」=「覚悟」がない、もしくは生きることに「覚悟」が必要だという概念すら持たずに生きているのだと気づきました。直近の自身か招いている結果のこともあり、「ボケた」身体だからだと猛省しました。


日本刀は正しい姿勢と服装で正しく差さないと、剣を抜けない。そういう仕組み・理があるということに触れました。そのような道理で成り立っていた時代からすると、スポーツで一喜一憂し、学校教育での競争で成り立つ現代は、本来の身体の敏感さや優秀さは、奥深くに潜り込んでいってしまっていることがよく分かりました。


先生の問いに恥ずかしくも即答できませんでした。現代の日本の体育では、スポーツ(気分転換)との違いをつけているようで切り離せていません。「体育授業のスポーツ化」をうたう世の中です。自分自身も何の疑いも持たずに、体育授業を受け、大学で何の実践力も身に付けないままに体育教員の免許を取得し、生徒の前にいます。

正座と体育座りで強さは変わります。思いを込めて見つめた方が強くなります。そこで、手をたたいて応援した方が弱くなった事実は、衝撃的でした。じっと見つめることと拍手をすることは似た意味を持つと思い込んでいました。3次元に留まった物の見方・考え方の象徴だと思います。「このままでは…」と分かった今から何をするのか。起源に戻り考えること、本来の事の起こりの根拠を示すことを実践していくことだと考えます。スポーツで誰もが強い精神力と身体を習得し、良い国民が育つと思い込んでいる世間で生きていく一方で、目の前の生徒・保護者・同僚・家族のために実践を重ねていきます。


本会も頭では到底追いつけない、身体のスピードを目の当たりにしました。このような新しい感覚を持てる場は、他にはありません。野球の動作のみに留まらず、自分なりに広げてつなげて、実践させていただきます。

宇城先生、この度もエネルギー溢れるご指導をいただき、誠にありがとうございました。



<30代男性  京都 中学校・高等学校>

先日は、宇城先生の高槻道場を使用させていただいての野球塾でご指導いただきありがとうございました。あの場の空気は、凛としたものがあり、自然と背筋が伸び、場が整ういい緊張感がありました。また初めに先生が日本刀を抜き見せていただき時は、たったあれだけの仕草にも関わらず、空気が変わり、生き死にがかかるということがどのようなものなのか。刃先がこちらに向いた時、息を呑むような感覚になりました。


前回の野球塾で「1に眼。2に姿勢。3に瞬発力」とご指導いただき、この1か月取り組んできました。今こうして1か月を振り返ると、ご指導いただいたことで周囲との接し方は変わりました。相手がというよりは、自分自身の心持ちがです。どのように表現していいのかわかりませんが、挨拶1つとっても「先」に。自ら。このようなことは当たり前のことですが、今までとは違うレベルでの実践はやってきました。この「出来た」ということのレベルは「出来た」ということにもならないレベルかもしれません。しかし、大切なことは宇城先生から教えていただいたことを実践していく。そして何より「自分が変わっていく」ということが1番大切だと思います。当然、まだ何も出来ていない自分です。いきなりジャンプアップするようなことはありません。小さな実践でも積み重ねていく。そして学び続ける。この繰り返しでしかなく。先生がいつも「死ぬ時が最高」とおっしゃられているように絶えまぬ努力は、死ぬまで続いていくということなのでしょう。


そして今回ご指導いただく中において一番感じたことは「自分が変わる。」ということについて、前回よりもその深さに気づかせていただいたことでした。そこには「自分が変わる」ということは、圧倒的なスピードが必要で、変わろうとして変わるのではない。ましてや他人を変えることなど出来るわけもないのに相手が変わらないことに指摘しているようではいけないと気づかせていただきました。相手が変わらないということは、そもそも自分自身が何も変わっていないということの裏返しでもあるということ。すぐに周囲にベクトルを向けてしまいがちになってしまっていますが、そうではないと。まず、その現状を受け入れる。そして動く。これを何度も跳ね返されてもチャレンジしていくということの大切さ。チャレンジする上での準備の重要性。そして自分の立ち位置。全てが足りていないことそれを受けいれることからしかスタートしないのだと思いました。「心法の元」いかに統一体であるのか。人間性こそが野球だけでなく生きていく上でいかされていくものであり、それが出来ていれば自ずと結果はついていき、自然と周囲も変わっていくのだと。


今回のご指導の中でもう1つ私の中で先生からご指導いただく中で「気」は賛成も反対もなく全てを包み込むものであるということ。「生まれる」「生きている」「生きる」「生かされる」どんな状態でも愛情深く寄り添っていく。お互いに助け合う。この生き様しか世界がよくなる方法はありません。

今回多くの塾生を道場に向かい入れてご指導いただきました宇城先生の心遣いに心から感謝申し上げます。



<30代女性 奈良 中学校>

お忙しい中、ご指導ありがとうございました。あっというまに時間が過ぎていきました。

新チームとなり、なぜバスケットボールを教えているのか、と考えたときに、私には理由がうまく言葉にできませんでした。思いはあるのですが、バラバラというか一つにまとまっていないように思っていました。おそらく、今まで「勝」や「負」だけで考えてしまっていたこともあり、頭の中だけで考えていたり、つながりなくその場の思い付きで目標を定めていたりしたのだと思います。まだまだ部分体です。今回の野球塾に参加させていただいて、「心」がなければいけないんだと思いました。お年寄りを大切にしたり、人と仲良くしたりする心を、子どもたちに伝えていきたいと思いました。


実践でしていただいた内臓が落ちる感覚は、とても不思議でした。抜けようとすればするほどきつく絞められていたのに、宇城先生が気を通してくださると、簡単に抜けることができました。本来の私の体には、こんな力が眠っているのだとか改めて感じました。エネルギーをいただき、また一日一日頑張ろうと思いました。

有難うございました。



<40代男性 奈良 中学校>

今回は高槻道場を使わせていただき、誠に有難う御座いました。ピリッとした雰囲気の中でもすごく心地よくて、初めて行かせていただいたのですが、初めてではないような感じを受けました。今回は少し遅れての参加になってしまい、申し訳ありませんでした。


「生かされている」という神秘的な感覚が理解できれば、「生きる」という自立的な行動に変わってくることを教えて頂いたのですが、子どもたちに何を教えていたんだろう、何をさせていたんだろうと考え直さないといけないことを考えながら、話を聞かせてもらっていました。私自身、野球の素晴らしさはチームで行うことに素晴らしさがあると思っています。チームや相手チームと野球を行うこと、相手を敵ではなく、野球を通じて成長をさせてもらう仲間である事、相手のプレーを讃えることで絆や感謝が芽生えていくと教えて頂きました。そのことが子どもたちに生きる力を与えていくことを教えてきましたが、宇城先生がおっしゃっていた4次元の「勝つ、負ける」の対立から子どもたちはなかなか抜け出せずに、チームが困っている時に助けてほしいと言っても、自分の責任になるから嫌だと拒否をされてしまいました。本当に何を教えていたんだろうと考えさせられる場面でした。


私事で申し訳ないのですが、今回の宇城先生のお話はいつも以上に考えてさせられることが多かったです。私が実力をつけなければいけないなと思いました。本当に勉強して、実践していかなければいけないなと思いました。今回の野球塾で宇城先生からこれからやっていくこと、今まで通り引き続きやっていくことを分かりやすく、説明して頂き、「頑張れ」と背中を押された気がします。本当にエネルギーを頂いたように思います。これからも宇城先生に教えて頂いた対立がない5次元の世界に入れる野球を考えて、実践していきたいと思います。

今後もご指導のほど、何卒宜しくお願い致します。



<60代男性 大阪 大学>

「第2回・宇城野球塾」では、ご指導をいただき誠にありがとうございました。また今回は、大阪産業大学室内練習場が使用できない中、高槻道場をご使用させていただき、心より御礼申し上げます。


高槻道場に足を踏み入れた瞬間、そこには普段決して感じることができない空気感があり、私の中で、気がつけば、普段練習場で感じているのとはまったく違う時空に包み込まれておりました。

開会の前に、江戸時代などの歴史ある刀を拝見させていただきました。その18時30分からの30分間がすごく中身の濃い有難い時間でもありました。私自身、これまで目にしたことがない刀から深い輝き(エネルギー)を感じ、宇城先生が腰に刀を差され、鞘から刀を抜かれ、そして鞘に納められた時の空気の変化にこれまで経験したことのない深い歴史を感じました。そこには今も昔もない、歴史を学ぶとはこういう事なのだとお示しいただいた気がしました。


また宇城先生がその刀を構えられた時、日本の歴史の深さ、迫力を感じました。まさに刀というよりも時代がそこに降りてきたようなそんな空気感に包まれました。今回は「始まり」という捉われもなくすでに始まっておりました。始まりも終わりもない。まさに止まっている時間はない。止めているのは自分自身である。まさに時間も、空間も、歴史もすべては繋がっている。また「真剣」を持たれた宇城先生から、途轍もないエネルギーを感じました。宇城先生の気のエネルギーと刀を通しての時代を超えたエネルギーが重なり合っているのを感じる時間でもありました。


説明を聞きながら刀を拝見させていただいたのですが、まさに説明を超えた歴史を感じさせていただきました。そして「真剣」とは?という問いかけをされているような気がいたしました。言葉では説明できないものこそが「真剣」であると。普段は何かあるごとに説明をし、人を理解させようとする癖があります。まさに現代人の病気だと感じます。癖はどこからくるのか、癖はいつ、どのように身についてしまったのか、その病気はどうやって治すのか。これも原因は頭(教育)だと感じます。今回も宇城先生から気を通していただき、「気」はまさに道場そのものであるように感じました。この空気感は、本学の練習場や体育館といった施設にはないものであり、言葉では表現できないどこか包み込まれている空間でもあり、厳しさの中に温さを感じました。今回、自分は果たして日頃どういった生き方をしているのか?人間とは、自分とは、ということを自身の中で自問自答しておりました。


松下幸之助さんの話がありましたが、まさに「物づくりより、人づくり」であるという言葉を思い出しました。物をつくる前に人をつくるという松下幸之助さんの言葉と重なりました。これは人(心)が育てば物づくりに繋がっていくということ。裏も表もない、まさに表裏一体という言葉が示すように、すべてはひとつであり、自分次第である。どういった生き方をするのか、人間はその人の人間性に引き付けられる。それがその人の持つ魅力である。魅力は作ろうとしてできるものではない。すべてをさらけ出す、捉われがない生き方(素直)が魅力となって周りを引き付けるのである。アーカイブの中の宇城先生の言葉に『子供の柔らかさ、素直な心』というのがありました。

「子供の動きは自然体で柔らかい。柔らかいから瞬発力がある。自然体で作った動きではないから美しい。大人の動きは筋力の動き。力強さはあっても、柔らかさがない。大人は頭の知識を増やすが、頭の柔軟さを失っていく。子供の柔らかさと自然体の動き、そして素直な心は、参考になる」。。。


子供から教わることは非常に多い。大人は体が大きい、だからエネルギーがある。これはまったく逆であり、子供の計り知れないエネルギーこそが真のエネルギーであると感じる。それは細胞にあり、素直さにあり、本来ある人間の根源がそこにあるように感じる。自分も元々はそうであったように。身体の大小ではないのがエネルギーである。エネルギーとは、どういったことをいうのか。力ではなく、力量でもない、だとしたら人間としての生きる力なのか。それは本来あるものであり、今を生きる自分自身はどんどんそれを失っているように感じる。人間だけではなく、すべてにエネルギーがあるということを今回時代を超えた「真剣」から気づかせていただいた。刀から発せられるものがエネルギーだとしたら、宇城先生が手にするとそのエネルギーが無限に広がる。握り方ひとつで握るという感覚から一体(ひとつ)に変わる。まさに統一体がそこにある。刀は人を切る、人を傷つける、人に勝つためにあるのではなく、自身のエネルギーを引き出すものであるのだと。


その場に行くと、その人といると、その空間に身を置くと、それを手にすると、すべてはひとつである。そこには対立はない、ただ調和だけが捉われを捨て去り、すべてを包み込む、そして皆が笑顔になる。しかも心からの。

今回、2人組の実践の中で感じたことは、勝敗はない、ただあるのはお互いを引き出す。それを気を通して立証していただける、不思議という次元ではない、本来ある自分に戻していただいている。まさに気づく、気づかせるがここにあると感じる。まだまだ頭が邪魔をする自分が居る。頭が邪魔をするとは癖が抜けきれない自分が在るということである。そこに理屈抜きで気づかせていただける。こだわっているうちは頭である。こだわりがなくなった時「真剣」になるのか、素直であればこだわりがなくなるのか。子どもは真剣になろうとしているのだろうか。子どもの空手の映像の中では、実に自然体であり、柔らかい、途切れない、捉われがない、そして子供であるが実に美しい。内面から発せられる魅力、エネルギーが細胞を通して深まり広がっていく。スポーツは、如何に理屈、頭、後付け(結果)だけであるかが分かる。子どもにはそれがない、その次元ではない、素直さこそが柔らかさを生み、真の強さ(優しさ)を生むことを実証していただいた。統一体は疲れない。部分体は自分の細胞を切り離し、エネルギーを低下させていっているように感じる。実践を通して、自分で掴むしかない。その肚があるかどうか。どんどん差をつける。その差とは、自分の中の変化、成長にある。


そして、ただ野球塾で学ぶだけでは自分を変えることは出来ない。教師塾、野球塾が重なり合い、引き出し合いう中に見出せることがあるとしたら、それは「心」であり「技」であり「実践」に尽きる。自分が変化するとは、変化しようとするのではなく、止まることなく変化し続ける自分であり続けること。それは頭ではなく日常を通しての実践にある。ゴミを拾う、掃除をする、靴を揃える、率先して挨拶をする、席をゆずる、、、これは教えることではなく、教師(大人)が身をもって実践し、それが子供に映っていくのである。何を見せるかではなく、何を映すか、それこそが真の実践であり、自分を変えるということに繋がると気づかせていただきました。ありがとうございました。



<40代男性 奈良 高等学校>

先日は、宇城野球塾においてご指導下さり誠にありがとうございました。コロナ渦の中、先生ご自身の道場で指導を受けさせていただいたことに、先生の懐の深さ、広さに感謝の気持ちでいっぱいです。また、同時に宇城先生に学ぶ者への期待、使命を感じ身が引き締まる想いです。


指導いただく宇城先生の姿はまさに鬼気迫るお姿でした。そこには、先生に学ぶ我々の未熟さ、本質に気づくことのない庶民への怒り、そのしわよせが子どもたちへ向いていることへの怒り、怒りからこみ上げる凄まじいほどのエネルギーを感じました。


野球、スポーツはどこまでいけども「気晴らし」である。しかし、そんな野球を批判、反対するのではなく、深めていくことで「野球道」に変えていかなければいけない。深めていくことの出来る唯一の方向性を明示していただいています。「対立」から「調和」へ。野球を通じ、身体の素晴らしさを子どもたちが気づく、そのためには我々が宇城先生の教えを身体で理解しなくてはなりません。身体で理解するとは、私にはまだ分かりません。ただ、宇城先生の指導の直後には、何か高揚した気持ちで職場に行く自分がいます。身体は分かっているようです。また、宇城先生の指導を受けることで自分の身体が「ゼロ」に戻っていきます。内なる眼は何を観て、身体がどこに向かっているのか。自分は何なのかを気づかせていただきます。この度の指導の中でも、高校野球連盟の役員の仕事に眼が行き、教室に通う生徒のことを疎かにしている自分に気づかせていただきました。


宇城先生はその生き様を私たちに映してくださいます。その姿を子どもたちに繋げていけるように精進致します。この度の御指導ありがとうございました。

今後の御指導もまたよろしくお願い致します。



<30代男性 京都 中学校・高等学校>

宇城野球塾において、高槻道場へ初めて行くことができました。まずは、貴重な機会を与えていただきありがとうございました。いつもの会議室やグラウンドでのものとは異なり、身が引き締まりました。


今回は、夏の大会で負けた後での野球塾となりました。大会以降、どうしてあげたらよかったのかと、頭の中で何度も考えていました。そんな中で、先生のお話や検証を通して、大人である私が邪魔していたのではないかと思いました。


オリンピックの初のスケートボード種目で最年少金メダリスト選手がでた話では誰に教わったわけでもなくできるようになっていることを、大谷選手の偉業の話では自然体だから成し遂げることができていることを知りました。検証においては、できるかできないかは、気持ちや気合ではないことを再確認することができました。それらを踏まえ振り返ると、私自身が最後の大会ということで、居ついていたこと、そしてその波動が子どもたちへうつっていたことが原因だったのではないかと思いました。大会直前に元気や気持ち、笑顔を強調するのではなく、より自然体でいるべきだったと思いました。また、その自然体な状態で大会を迎えられるような準備(集団,環境)を本来するべきであったと思いました。今回のこの野球塾のように、環境や空気が整えば、自然と身体は生きてくる、力は発揮されるのではないかと実感することができました。


新チームが始まりました。まずは自分が、リスタートできるよう行動していきたいと思うことができました。私にとってこれ以上ないタイミングで野球塾を受けることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。



<20代男性  大阪 中学校>

まず初めに、道場という聖地の空気感を味わうことができ、嬉しく思います。本気で学ぶ姿勢を持った人達が集まっている空間に、自分が存在しているという喜びを感じました。今、自分が存在している四次元という場所を越え、五次元に入ることが大切であることを学びました。また、試合に入る前の姿勢や考え方一つでパフォーマンスの発揮が変わることを肌で体感し、教育現場で実践していきたいと思いました。


教育は、「何を言うかではなく、誰が言うか」が大切であり、子どもたちに見せることで、より伝わりやすくなることがわかりました。知識を身につけ、自分の武器を身につけたいと感じました。

このような学ぶ機会を与えていただいた、宇城先生本当にありがとうございます。今後も向上心を持って職務に専念していきたいと思います。ありがとうございました。



<30代女性 奈良 中学校>

宇城先生、先日も、ご講義いただきありがとうございました。

今回の実践で、向かい合った2人が歪みあって押し合うときと信頼しあって押し合うときのエネルギーの差を明らかに感じました。また、実践の中で「信頼する力がたりない」とおっしゃっていたことが印象に残っています。


先生はよく、相手が何人であろうとそれをエネルギーに変えて実践されていますが、それも「信頼する力」ゆえであると思いました。同僚であれ、試合の相手であれ、子どもであれ…もっと相手の力を信頼する力、子どもの力を信じて見守れるだけの力=自分の芯を強くすることが、ゼロ化につながるのだということを学ばさせていただきました。


結局は相手ではなく、自分への覚悟の問題。手の内は、誰にも見せるものではなく、自分だけがわかっているもの。しっかり引き締めて精進します。今回も、エネルギーをわけていただきました。気づきと学びを、ありがとうございました。



<50代男性 奈良 高等学校>

野球塾でのご指導、誠にありがとうございました。高槻道場での学びは私ももちろんですが、皆さんにとりましても大変意義深いものがあったと思います。自覚できている以上のものが後からおいかけてきます。その瞬間にとらえられればいいですね。少し前に感じられれば自他を護れます。最高です。


道場の時空が醸し出す雰囲気・空気感。それに包まれ(調和融合地に身を置き)ながら、先生が創造され後から来る者のために「おもい」を形とされた、まさに先生の生き様から抱かれた想と念、先生の人間、いや、万物へのその愛の館で、そこにある全てと共に我々の細胞をも物凄いスピードで活性化させていただきました。


人と人との出会い、おもいやり、願い。これも素晴らしいですが、宇宙の想いや生かされているということの意味合いや真理は理解しようとするのではなく、また決してできるものでもない。人間の力。それは生かされている間に、活かされているという感触を細胞が感じることができる間に湧き出て溢れるエネルギーによって想像できるもの(~ではないだろうか。~かもしれない。)増幅していくもの。その証が統一体か。

生かされていることを感じられることが人間の力、人間の幸せ、やり甲斐、生き甲斐、真の感謝。日常、今、ここで、掴む。身体で。


何故、生まれたのか。何故、生み出されたのか。わからないことや知りたいという、あくなき追求、探究心は何故、そのようなことを思うのか。何故、そのようなことが浮かぶのかも、自分が自分のうちから湧き出てくるものも実は全ては、いい悪いではなく宇宙からのメッセージではないのか…。先生と時空人感を共有させていただく中でそんなことを思いました。ふと思う…。わからないものをわかりたいというおもい。それは横着か愛か? 一体、始まりは、どこからきているのか。


野球塾と教師塾。子供たちと先生方の進歩・成長、発見、気付きの絆。謙虚。

練り上げていくこと。確認し合うこと。共有、共感、響き合う中で。

みんなで前へ進めていきます。

ありがとうございます。



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