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2021年度 宇城教師塾 第2回開催 〈感想文紹介〉

去る2021年6月30日(水)、宇城憲治塾長による2021年度第2回教師塾が、ハートピア京都にて開催されました。


教師塾は、宇城道塾の塾生であり、教員である森島伸晃氏が、宇城先生の学びを一人でも多くの教師仲間と共有したいという願いで実現した塾で、年4回行なわれています。





以下に、教師塾に参加された塾生の方々の感想文を紹介します。


多くの子供たちに大きな影響を与える教師が、身体で学んで気づき、自らの進歩・成長に向かうことは、今の日本にとって大きな希望です。





< 30代 男性  京都  私立中学校・高等学校 >


昨日は、教師塾でのご指導ありがとうございました。「今」というその瞬間は二度と来ない。だからその一瞬一瞬に自分が何をすべきなのか。何をするのか。今回それに気づかせていただきました。横着をしてここまででいい。どうせ無理。などと頭で考え、勝手に自分で変な言い訳を並べて納得させていたように思います。そんなことをしてもアトム化した人間になるだけで、当然身体も腑抜けになるだけ・・・。どこかでわかっていてもそうなっていく自分。日本国民。そう感じた時、この先の未来が本当に怖くなりました。


そのような思いの中、教師塾でのご指導をいただき、3対3で帯を持ち引き合う検証では、マスクを外す。相手をみると強くなり、体育座り。気合いを入れると弱くなる。しかし、宇城先生が気を通すと。その域を超えて強くなる。「そこに答えはない。はるかに次元の違うところだ」とおっしゃるレベルを目の当たりに、気のどこまでも包み込む力に圧倒されました。これまでも身体を通して実践で指導してくださってきましたが、そこではない。もっと上があると常に先生は先を見せてくださいます。


私たち教師は本来そのように生徒に「先」を見せていかなくてはいけない存在なのにも関わらず、年齢と共に身体が退化し、口先ばかりで実践もない根性論だけで教育している。「剣道初段と7段から指導を受けるのは違うでしょ。」まさにその通りで、本質を教えることが全くできていないということに今の自分の力不足を痛感します。物質的な豊かさ。教育のICT化やグローバル化がいくら進もうが、そこに本質はないということ。人間としての尊さ。愛おしさ。畏敬の念。そこがあってこそであるということ。

「古」に立ち返る。

今回先生が頻繁におっしゃっていたことが今朝からずっと思い返されます。本当の「人間の強さと覚悟」とは、コロッセウムや戦国、江戸時代という生死がかかった生き方から出てくる言葉の重み。生き様。本当の意味での血の通った関係をつくれているのは、宇城先生の元で学ばせていただいている塾生の皆さんであるとこれまで以上に感じました。先生という太陽が常に照らし、見守り続けてくださることへの感謝を忘れることなく行動します。


これからの学校の在り方についてもご助言いただきました。ここ数年の人の集まりなど、少子化が進むこれからの時代からすると本当に一時的なものであり、今その選考の在り方について学校として真剣に議論することの大切さを教えていただきました。偏差値とは何か。何を基準に選考するのか。立命館宇治としての在り方を今こそ深く考えるタイミングだと強く感じました。引き続きご指導のほど何卒よろしくお願い致します。




< 30代 男性  奈良  公立高等学校 >


第2回の教師塾にてご指導いただき、ありがとうございました。いつもどんな状況でも新しい気づきの機会をいただけることに感謝申し上げます。


今回私の中に最も深く残ったのは、今変わること、変えることに時間をかけないということです。宇城先生はいつも瞬時に変え、それを体感させてくださいます。正座で上から押さえられた状態では立てない状況でも、気を通していただくとすぐに立てるようになりました。帯を引っ張り合う実証では、マスクの有無、相手を見るか否か、体育座り、正座での違いを瞬時に感じさせていただきました。


最近、私が関わる生徒の動きや姿勢に物足りなさを感じていましたが、それは私自身に問題があることに気づきました。剣闘士、武士、特攻隊のように、命が懸かった人のような覚悟は当然無く、生半可な向き合い方をしていました。自分自身に力もなく、見せることもせず、やろうともしない。典型的なダメな思考、姿勢から未だに抜け出せていなかった自分を恥ずかしく思います。

まずは自分自身が今変わること、そこに時間をかけないことが私の課題です。できなくてもやろうとする。そんな姿勢で気概をもって向き合っていきます。


ご講義の終盤に体育座りのチームと正座のチームで帯を引っ張り合いました。

正座が当然強いはずが、宇城先生が気を通されると体育座りが圧倒しました。不可能だと思っていたことを可能にさせる。今の学校現場に必要な教師像をお示しくださったように思いました。自己肯定感が低い生徒、コロナや受験で不安を抱えた生徒が多いように感じます。そんな生徒に、できることを示す、瞬時に変わることを実感させることが生徒を安心させ、自信を持たせ、前へ向かう力となると思います。簡単なことではないかもしれません。しかし、今は、自分が変わる、生徒の不可能も可能に変えるという思いを強くしています。気に満ちた会場でそう思えるエネルギーをいただきました。ありがとうございます。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。




< 40代 男性  奈良  公立高等学校 >


先日は、教師塾にてご指導いただき誠にありがとうございました。

教師塾で、宇城先生の講義を拝聴していると、いつも自然と生徒の顔が頭に浮かんで来ます。先日の講義においても、講義を拝聴しながらいつも言い合いになる(教師が問題視する)生徒のこと、従順な(教師が問題視しない)生徒のことが思い浮かびました。


しかし、私たちが気づかなければいけないのは、今の学校現場では子どもたちを誤った物差しで評価し、子どもに自らは出来ない、人と比較すること、劣等感を植え付ける指導、教育をしているということです。本校は、中学時代に勉強が出来ない、しない、一般的に学力が低いと言われる生徒たちが集まる学校です。高校受験に向けて、学校、クラスで順位をつけ大体の子どもたちが「ここしか合格しないから」という理由で本校を受験し、入学しています。従って、子どもたちは常に「出来ない」ということが先に立つ傾向にあります。まさに、アトム化です。教師の力が無いゆえに、また教師の視野が狭いゆえの犠牲者が目の前の子どもたちです。私たちの日常の活動で、子どもたちを奴隷化させていることに気づかなくてはなりません。


宇城先生は私たちに情熱をもって伝えていただいています。今のままではだめだ。指先ではなく、掌の部分に気づくこと。目で見えるものに真実はないということ。子どもの可能性を引き出す方法がこの世界にあるという希望を身体、細胞を通じて教えていただきました。


宇城先生からは、学校教育の絶望を感じますが、同時に明るい希望を身体で感じます。何に気づき、どこを向いて走ればいいのか。宇城先生ご自身がその道標です。後は、自分次第です。子どもたちの前に立つ我々が出来る、映す、実践、それしかありません。


どうする。何をする。

先日も多くの問いを投げかけていただきました。日常の中で、宇城先生と繋がりながら、生きる。生ききる。この覚悟です。毎日、1分1秒が実践です。止まらず、切らず、生きていきます。

ご多忙な中、ご指導ありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願い致します。




< 30代 女性  奈良  公立高等学校 >


この度の教師塾もご多忙に関わらず、ご指導いただきまして、誠にありがとうございました。

前回から約2ヶ月の間に、職場において「コロナウィルスに学ぶ」機会がありました。身体の怯えが招く様々な衝突、問題、トラブル・・・。感染による症状より、多方面からの情報で錯乱し、振り回される現場、保身に執着した言動などを目の当たりにし、恐れるべきはウィルスではなく「怯えた身体」をもつ人であると痛感いたしました。宇城先生のご指導を受けてこそ、得られた感覚です。教師塾という場がない時期でも、宇城先生の教えに護られているようでした。「日々感謝」という言葉に事実が合わさりました。ありがとうございます。


今回も、宇城先生の「気」が見える形でお示しくださいました。目で見える以上に、細胞が受け止めているのか、実証をされている途中、急速に心拍数が上がっているのが分かりました。直接、宇城先生に触れていませんし、実証に参加した訳でもありませんが、そこに居るだけで・・・新鮮な感覚でした。


特に衝撃を受けたものは、「細胞に護られている」実証でした。相手の体を両手で挟み、合掌をするように片側を押すと反対側の手がなくなる感覚になりました。挟まれる方になっても同じく「消えた」のです。一方、反対側は隙だらけで、押されるとすぐ倒れてしまいます。自分の身体の前後で、それを一度に体験し、不思議でした。また、何もない状態で左右に揺さぶると、頭は遅れて付いてきますが、気を通された身体は頭と一本になったように揺れ、相手を倒せる。部分体では弱く、統一体では強い。つまり、気が通っていない私たちの身体は、部分体で隙だらけだということです。逆に「消えた」方は、「ゼロ化」され、護られた。衝突が隙を生み、命取りになる。気の通った細胞は身体を護り、その細胞に働きかける「気」は何から生まれるのか。それもまた、刻み込まれたDNA(細胞)なのではないかと感じます。細胞一つの小さな「気」を増大・充満そして拡散するために、生き方や生き様があるのだと感じます。


宇城先生が振った水のペットボトルを持つだけで、大人数が動く。ボールが持てない程に重くなる。現段階の私では到底、考えが追いつきません。だからこそ、さらに学びを深めたいと火がつきます。深化と進化です。教師として、目の前の生徒に「やって見せられる」ものはあるのか。「引き出す教育」として私たちは何が出来るのか。マスクの有無や体育座りと正座で結果が変わる。「見たから未来が分かる」という学びを私たちには出来るのか。宇城先生に出会い、正直に知れば知るほど苦しいです。


宇城先生は、「30歳からは何を目指して学ぶのか。師匠をもち、目指すものがあれば、その後の生き方は格段に成長する。変わるなら劇的に、そこに時間をかけなくていい。」とご指導くださいました。今まさに30歳です。何に時間をかけ、どこにスピードと変化量を求めるのか。「衝突」にばかり苦しむ生徒とその親。自分が生きる場と時代=空間・時空と調和できる身体をつくることが急務であることは明確です。言葉・身体の両方でご指導くださる宇城先生の全てを身体に受け、行動の中、生き方に返します。この度も有り難うございました。

引き続き、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。




< 30代 女性  奈良  公立中学校 >

ご指導ありがとうございました。あっというまの二時間でした。

今回、剣闘士の話が一番印象に残っています。明日死ぬかもしれない毎日や、明日にはどちらかが死んでいるという日々の中での覚悟というのは、今の私の想像を優に超えるものだったのだと思います。私は、明日死んでもいいと思えるほど後悔なく日々を過ごせていません。それが、私の鈍さだと思います。「今」の瞬間を一生懸命過ごしている子どもたちは間であったり、気を機敏に感じ取ったりしているのですね。私は、「間抜け」になっているようです。「間」が抜けていたら、子どもとの信頼関係もできないですし、「エデュケーション」もできません。10年後にどんな自分になっているか想像するのが怖いです。けれど、怖がっていても何も進まないので、今の自分から変わりたいです。止まることなく、進んでいき、挑んでいきたいです。そして、10年後の自分を楽しみにできるようになりたいと思います。


今まで何度も教師塾に通わせていただきましたが、どこかでお客さんのような感覚があり、自分はできないんだろうな、と心のどこかで思っている部分がありました。機会をいただいて学ばせていただいているのに全く主体性がなかったですし、本気のつもりでしたが、本気でなかったのだと思います。本当に失礼だったと思います。すみませんでした。先日、そのことに気付かせていただく機会があり、今回の教師塾では少しでも宇城先生を映したいと思い参加させていただきました。まだまだですが、自分自身を変えていきたいと思います。ありがとうございました。




< 40代 男性  奈良  公立中学校 >


このようなコロナ禍の中、ご指導いただき、誠に有難うございました。いつもエネルギーを頂いて、帰路につくときが本当に心地良く、「明日も頑張ろう」と素直に感じることができ、本当に感謝の気持ちで一杯です。


今回、剣闘士のお話をしてくださって、生きるか死ぬかの中で行われる会話、立ち振る舞いを考えていました。私は、社会科の教員ですので、剣闘士のことは何度か生徒にも話をしますが、その時どんな話をしていたかなんてことは想像もしませんでした。よく宇城先生は、「物語を作って話をするといい」と教えていただいていましたが、この剣闘士の話を子どもたちにすれば、どんな風に考えるのか、どんな想像をするのか、すごく楽しくなりました。これが先生のおっしゃられる「エデュケーティング」だと思いました。内から引き出す、本来持っている力を引き出すことができれば、子どもたちは成長していくんだと感じました。ぜひ、子どもたちの前でそんな話をすれば、子どもたちの輝きが増すのかと思います。


生きるか死ぬかの世界の中には本当に純粋な技術、文化があり、人間が本来持っている力を生み出すことができ、平和を作るエネルギーがそこにはあるんだなと感じました。私自身も子どもと関わらせていただいている立場です。少しでも子どもたちの成長の手助けをしたい、心ある生徒を育てたいと思い、勤務させて頂いている学校で自分が変わらないと、子どもたちも変わらないと思い、多くのことを指導させて頂いています。私にはまだまだ実力がなく、子どもたちを惹き付けるだけの力がないなと痛感していました。この先どうすれば、いいのか。どのように指導していけばいいのか。本当に独りよがりで、分かっていたところなんですが、少し生意気になっていたのだと思います。宇城先生が私たちに教えて下さるように、愛情を持って、時には厳しく、でも光を照らしてくださるように子どもたちを導いていける力をつけたいと思いました。


相手の胸に両手を当てて、片方の手で押されると、反対の手で当たっている胸の感覚が消えてしまう実践をさせて頂いたのですが、この感覚はすごく怖いなと思いました。宇城先生は消えている方に刀で刺されて気づかないという話をされていましたが、人間の体は本当に素直なんだと思いました。気を入れて頂くと、両方感じることができました。気が入ると、敏感に感じることができるのは、自分の体を守ることができたのではないかと思いました。


人間の身体の素晴らしさを、実践を通じて教えていただき、誠に有難うございました。私はまだまだ力不足ですが、生きるか死ぬかの真剣さを身につけるように努力をしていきたいと思いました。いつも本当に生きるエネルギーを頂いています。有難うございます。

これからも引き続き、ご指導、何卒宜しくお願い致します。



< 30代 男性  京都  私立中学校・高等学校 >

まずは、このような時勢の中で、教師塾を開催していただいたこと、宇城先生、事務局の皆様、感謝申し上げます。また、当日は、校務上の理由で遅参する形になりまして、大変失礼いたしました。

この数日というものの、学校校務に追われ、合わせて、担当クラスの度重なる問題もあり、それに対応する日々でございました。その中で、やはり生徒は、大人を「見ている」ということと、だからこそ、「魅力でひきつけなければならない」ということを宇城先生のお話を伺って痛感いたしました。背中で示す、行動で示すということを常々意識しながらも、やはり、問題が起こってから、自分の行動の一つ一つ振り返ると、自分の負の部分に蓋をしてしまっていたことに気づきます。教員として、中堅の年代に差し掛かり、求められることも多くなりましたが、その中で、自分が「できる」と認識していることと「できない」と認識していることがあり、その切り分けを自分の中で完結し、「できない」ことには見切りをつけている自分がおりました。ある意味「逃げ」に徹底している部分があったように思いますが、そこに「向き合う」ことが必要だと感じております。


教師塾の中で、印象的であったのは、宇城先生がこの人生の中で、最高到達点を目指されているとう趣旨の発言があったことです。私自身、この数年、「生」と「死」という部分に触れる機会があり、それについて深く考えるようになってきました。その中で、自分がどのように生きるのか、生きているのが理想なのか、というような部分も隙あるごとに考えております。何か、その人生の中で、どんどん降下をしていくということが一般的な考えであると思いますが、その中で、人生の中で、最高到達点に向かっていることを伺い、度肝を抜かれました。


教師塾での宇城先生からお教えをいただく時間は、私自身の心の在り方、姿勢の在り方を見つめなおす時間にさせていただいております。

ありがとうございます。





この他の感想はこちらでお読みいただけます。[2021年 京都宇城教師塾 第2回感想文




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