第34回 東京実践塾合宿 感想文




■ 千葉 自営業 K.N

 この度はこの状況の中、合宿という深い学びの場を提供してくださり誠にありがとうございました。  あらためて二日間に渡る、先生と寝食を共にする合宿というありえない経験をさせていただき、本当にありがとうございます。 そして初日の稽古のあの暑さの中で、誰も倒れることなく無事に終われたのは先生の気に包まれた稽古であったからこそであると感じております。重ね重ねありがとうございました。  今回の合宿では二日間を通して、とにかく食らいついていきたいと思いました。拓治師範の班にて指導をいただきましたが、毎回師範はさっき出来なかった事が稽古の中で出来るようになるという事を体現してくれています。しかもそのスピードがどんどん上がってきています。  自分たちはどのようにしていくのか、とても大きな課題です。突破口を見つける、何か少しでも一つでもその手掛かりになるための突破口を探せていないという事に危機感を感じています。  24時間稽古という言葉の意味が重く深く響き、日常に活かすなんて言う前に日常になっていなければ変われないのだと感じました。普段の日常をどう過ごしてきたのかが全て稽古で出ている。毎回自分の中の確認や検証の材料を持って臨まなければ、まるで毎回教わっては忘れているようなものです。出来なくても間違っていても検証の材料を必ず持って稽古に挑む事をより一層毎回の課題とし、日々の生活の中でも実践していきます。  その中で先生と繋がっていることをしっかりと自覚し、ぶつ切りにしないようにしていかなければいけない、その一つのわかりやすい手段の一つとして書籍を持ち歩く、目に見える場所に置くなどもあるのではないかと感じています。  身体が出来ることを教えてくれている感覚を今回も稽古の中で体感しました。それは本当にこんな世界があるのかと思わせられる感覚であり、まさに体感した人しかわからない世界です。その感覚を覚えこませる場所はわからない場所です。ですが確実にあり、それを引き出せないままいくのかも自分にあると思っています。あの時の自分で生きていきたいです。素直に鋭くやる事の難しさを非常に痛感いたしました。すぐに自分の中の我がでて邪魔をします。そんな中でも本当に歩みが遅すぎますが何かを感じられる稽古でした。  途中暑さで頭がボーっとしそうな時がありましたが、ちょうどその時に先生の突きを顎にもらいましたが、その直後まるでシューっとでもいう様に熱が引いていくような感覚とともに非常に頭がはっきりとクリアになりました。まるでヒーリングパンチやヒーリングキックとでもいうかのような感じです。過去にも何度も先生との稽古の中で体験していることですが、今回もあの熱の中で助けていただきました。その後はきついながらもやり通すことができました。  合宿では特に空手を指導いただきますが、空手をやればやるほど一人一人の人生が浮き出てくるように、自分の人生も浮き出てくるかのようです。先生の空手を稽古させていただけるというのはどういうことなのか?まさに自分が変わる世界が変わる空手であり、稽古であり、それをもっともっと実感するためには変わっていかなければいけない、変わりたいです。  上達していけばいくほど師の凄さがよりわかっていくと先生は仰います。本当に凄いで終わってしまったら意味がないという事がわかってきた気がします。先生の教えの深淵さを気づいていくには、今の位置に居つづけては限界があるのだと、変化した先でまた観えるものがあり、その連続が成長に繋がっていくのではないかと思っています。  大きな山を眺めているのではなく、登っていかなければ厳しさも感動もありません。しかし登ると決めたら覚悟が必要です。そんな中にいるのが宇城空手の黒帯であると思います。先生に出会えなかったら絶対にわからなかった、知りえなかった世界を一ミリでも近づいていくために、今後も精進していきたいと思います。  本当に貴重な時間をありがとうございました。  

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  ■ 神奈川 会社員 M.N  

宇城先生。  この度は、大変素晴らしい東京実践塾合宿に参加させて頂き誠にありがとうございました。  今回の合宿において、私は榎本師範にご指導をして頂きました。稽古の始めに、榎本師範が私たちの型を見て「三段以上の人は、もう外面での型をやめないといけない。これからは呼吸や身体の中心ができていないと先には行けない」と仰いました。そして、身体の中心を学ぶため、パッサイの受けで二人を動かす検証から稽古を始めて頂きました。  榎本師範がパッサイの受けをすると、真っ直ぐ動く時も、横に動く時も同じで、全くブレず最初から最後まで相手の中心を捉えている様に感じました。また、中心の捉え方も、呼吸や瞬発力によって相手にどんどん入り込んでいくような内面的な捉え方で、私がしている外面的な動きとは全く異質のものでした。  その後で、改めて宇城先生と師範の動きを拝見させて頂くと、前に出る時、横に動く時、回転する時、全ての動きにおいて、相手の中心へ内面が常に入り込んでいく様に感じました。それに比べ私たちの組手は、外面で物理的に動いているだけであり、武術的視点から見れば、前にも横にも全く動けていないのだと思いました。  また、型においても、私たちは型の始めから終わりまで内面がずっとブレていることを師範からご指摘頂きました。最低でも、一つの型を最初から最後まで中心をブレずに行うことができなければ、組手において内面で相手に入っていくことなど到底不可能なことだと思いました。  私は最近の自主稽古において、目を真っ直ぐにして、目で身体を中心に引っ張っていくように心がけて型をしていました。それは、稽古において技をかける時、目や体の方向が相手の外にそれると全く技がかからないからでした。しかし、パッサイの検証において、自分なりの中心で相手を動かそうとしましたがビクともしませんでした。また、外面も外に逃げていることをご指摘頂きました。自主稽古では、体が外にそれない様、目や中心を意識して稽古をしているつもりでしたが、検証をすると、頭で描いていたことが全くできていないことがよく分かりました。  いくら頭で理解しても、いくら稽古をしても、検証をすれば一瞬で今の自分のレベルが分かる。実践塾での稽古で何百回、何千回と繰り返してきたことですが、この様な嘘偽りの無い稽古ができる場があり、私たちは本当に恵まれた環境で稽古をさせて頂いているのだと改めて実感しました。  そして、この様な稽古が可能なのは、師の存在があるからこそなのだと思いました。もし宇城先生がいらっしゃらなければ、私たちは技や検証の本質を理解していないため、外見上の型や検証方法が同じでも、稽古の方向性が相手を倒そうとする目先の欲にすぐに向かってしまいます。  稽古において、相手を倒すか倒せないかは重要なことではなく、どの様に相手に技をかけられたかが大切で、更にその技の先にある、無限の奥の深さに稽古の方向性が向いていることが重要なのだと思いました。倒すか倒さないを目的としていると、現代武術に多い、パクリやオタクの稽古になってしまい、本来の武術とは全く関係のない自己満足の方向へ行ってしまいます。宇城先生は、様々な検証を通し、私たちを技の本質に導いて下さいます。そして、技の本質から脱線しそうになると、すぐに元の道へ戻るように身体を通して諭してくださいます。  合宿の稽古において、内面の力についてとても印象に残ったのが、拳を脇にパッと入れ脇を締める稽古でした。宇城先生の仰るとおりに脇を締めると、一瞬で呼吸が踵に落ちました。そして、その感覚のまま分解組手をすると、驚くほど簡単に相手を投げることができました。また、拳を脇に挟んだまま腕受けを繰り返すと、何回やっても同じ箇所で腕受けが止まりました。宇城先生が常々仰る「腕受けの止まる箇所は一箇所しかない」という言葉の通りだと思いました。その後でいつも通りの自分の腕受けをしてみると、一回も同じ軌道や同じ箇所で腕受けをすることができませんでした。  型の稽古は外形の姿勢を直すことから始まりますが、外形の姿勢を型にはめ込むためには、最終的には内面の呼吸や締めがなければ不可能なのだと思いました。内面の変化が生まれれば、その内面が、型の正しい外面を導いてくれるのではないかと思いました。  これまでの稽古を通し、空手の技を身に付けるうえで内面の働きがいかに重要なのかを少しずつ気づかせて頂いてきました。しかし、今回の合宿での稽古を通し、内面の働きは重要どころのレベルではなく、技の本質そのものなのだと思いました。  宇城先生のご著書において「型と分解組手を通し内面の変化があり、そして型が形になる」とありました。また、座波先生との対談において「型を形に変えることが空手の最大の課題であり、それができるようになれば一応空手家や。何十年、空手を稽古してもそれができなかったら、空手家じゃない」ともありました。型を形にするという空手の最大の課題と、合宿の冒頭で榎本師範が仰ったお話は完全に一致していました。  結局のところ、内面が伴わず外面のみで稽古をしている私たちの技は、空手でも武術でもなく、素手の喧嘩にも使えないものなのだと思いました。ましてや、パクリやオタクの現代武術に見られるような、本質の無い、倒せるか倒せないかを目的とした練習では全く話にならないと思いました。  稽古において、宇城先生が「良いものは広がらない」と仰った意味が大変よくわかりました。外面の動きや知識で説明したものは、誰にでも理解できるのですぐに広まる。また、それらには確固とした本質が無いため、世の中に広めたり、商業的活動をするうえで制約がなく、いくらでも屁理屈でごまかすことができます。しかし、本質が無いがゆえに結局は流行り廃りを永遠に繰り返し、歴史的観点から見れば、始めから存在していなかった様なものになると思います。  反対に、本物の武術や、その本質である内面の働きを、人に理解させ広めることは容易なことではありません。武術の技は、本物の師から一触と口伝を通し学んでも、一生身に付けられない可能性が大いにあります。それどころか、武術の内面の働きが確かに存在していることさえ、本当の意味で気づくことは簡単なことではありません。  しかし、本物の技が、とてつもなく貴重な文化遺産であることは間違いありません。それが徐々に小範囲にでも、確実に広がっていけば、柳生家が徳川将軍家の兵法指南役になったことや、山岡鉄舟が明治天皇の侍従を勤められ、その後の日本文化に大きな影響を与えたように、最終的に世の中に与える影響は計り知れないと思いました。  



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■ 福島 会社員 H.O  この度は、コロナ禍の中、合宿を開催いただき誠にありがとうございました。  宇城先生と、各般にわたり調整いただいた幹部の方々に心より感謝いたします。  この合宿はこの夏一番の暑い(熱い)日となりました。班に分かれて稽古が始まると、暑さも忘れ稽古に集中し、止めどなく流れる汗も、ただのお湯のように感じていました。そんな時、宇城先生が我々の班にお越しになり、タオルを拳に巻いた顎突きがいかに効くかという検証を行いました。私も先生の突きをいただきましたが、打たれた顎ではなく、後頭部に衝撃が走り、一発でダウンしました。首はむち打ちのようになりましたが、急に頭がはっきりし、そこからは気持ちが楽しくなって、暑い中を最後まで集中して稽古することができました。  懇親会で話を聞いたところ、あの時間帯に宇城先生は各班を回り、顎突きの検証をされていたと知りました。これは、我々が熱中症になるか、暑さで集中力が切れるかの危険な間に、宇城先生が気合を入れられたのだと感じました。  稽古においては、「突っ込まない」「衝突しない」「相手に合わせる」ということを学びました。そのためには正しい姿勢と形(身体)、そしてなにより内面(心)が重要だと感じました。外面で突っ込んでいなくとも、内面で突っ込んでいる、衝突している。それは一見正しい形のように見えても、何かがずれていて技に変化しない。更には、相手に合わせない自分中心の受けでは、相手の中心を捉えられない、崩すことができないと感じました。  宇城先生の気は、我々の身体や心のずれに関係なく、全てを包み込み、空間的な調和を生み出すことで、奇跡的な達人の技を我々に体験させていただけます。身体や心のわずかなずれで技に変化しないという事実を知ることにより、先生の気がどんなに次元の高いものなのかを再認識いたしました。  懇親会宿泊は残念ながら3か所に分かれましたが、共に稽古を行うことで二日間ずっと一緒に過ごしていたかのような一体感がありました。これも宇城先生という中心があって、塾生の心が時空を超えて繋がっているからだと思いました。  合宿が終わり、翌日出勤した時、合宿の素晴らしい時空との差異に愕然としました。我々が生きる現実は、正も負も、強も弱も、心も欲も混沌として存在している世界であることを改めて目の当たりにし、悲しい気持ちになりましたが、この現実の中で、自身の次元を変化させることで、衝突することなく調和をもって生産的に行動し、周囲の人を一人でも多く幸せにすることが、宇城空手の実践なのだと強く思いました。  自分の人生に、宇城先生という師と、多くの仲間たちにいていただけることが本当に心強いです。これからも社会は悪化の一途をたどると思いますが、皆様の存在を拠り所とし、足を地につけて強く生きてまいります。  今後ともご指導をよろしくお願いいたします。  


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