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東京実践塾 感想文 2019年8月〜2019年12月

●沖縄 主婦 H.S 

令和元年審査会も無事終わる事ができ、ほっとしたのも束の間で、頂いた級の重さに身の引き締まる思いです。立ち止まる余裕も無く、茶帯に相応しい自分になる為日夜努力の始まりでもあります。身体が悲鳴を上げる時も度々ありましたが、前だけを見て歩んで来たように思います。


 宇城先生、師範、諸先輩からの厳しくも真剣な御指導の下、此処まで歩むことができたのだと思っております。


 審査会と引越しが重なり忙しい最中ではありましたが、年末まで集中力を切らすことなく駆け抜けて行ければと思っています。早めの対応を心掛け動くことが我が家の常となっております。


 12月実践塾での段審査の見学を通して学んだ事は、相手に入る事の難しさです。理合いと気合いについて説明して頂いて、初めて理合いという言葉がずーっと私の中で引っかかっています。消化不良です。理合いで入るとはどういう事なのかよくわかりません。事理一致を表すのではないかと漠然と想像するだけで、言葉としては知っていても何も解っておりません。型稽古を通して、日々の生活の中に感じ取っていくしかありません。事の起こりを制することにも繋がっていくのだと思っております。


 自然災害がとても多くなった今の日本の舵取りはあまりにもひどいと思います。最近地震が多いのも、とても気がかりで心配です。住む人の心が浮いて劣化していることが地震を引き起こしているのではないかと思えるくらいです。そのぐらい不自然な国になってしまったからこそ、地球は調和のある自然な状態に戻そうとします。


 稽古の中で全員が手を繋ぎ、一箇所が少し揺れただけでも全体に波及して大きなうねりとなる検証をしました。まさに今の日本です。日本はいろんな意味で変わらないと大変な事になります。


 真剣に生きるから幸せが作り出されていくことを教え示してくださる師がいることにこの上ない幸せを感じております。御指導ありがとうございました。  



●東京 会社員 K.M

 宇城先生、実践塾でも、ご指導の際に多くの実証を経験させて頂き、誠にありがとうございます。実践塾のお話しの時間に、先生頂いた心に響く多くの言葉は、大切に心に留めて、折に触れて思い返して過ごしております。


 実践塾に参加させて頂くようになり半年が過ぎましたが、その間ずっと、とても楽しく通わせて頂きました。時に苦しさもありましが、それさえも楽しさに感じられました。


 道塾の受講に加えて実践塾でのご指導も受けられるようになってから、ますます先生の偉大さや魅力を感じられるようになりましたが、それゆえ、宇城先生のことを言葉で表現するのがますます困難になってきたように感じられます。世界には、言葉で表現できるものもありますが、宇城先生の存在の大きさは、言葉で表せるものを遙かに超えている、と思うようになりました。ですので、拙文となることをお許し下さい。


 稽古には楽しく通わせていただきながらも、ナイファンチンの型がなかなか覚えられず、電車の中で繰り返しYOU TUBEを見たり、あちこちに型の本を持参して(北京出張にも持参しました)見たりしておりましたが、先日やっと流れだけは、一通りつかむことができ、時間がかかっただけに、とてもうれしく感じました。次からはもっと自分にあった覚え方を見つけ、流れをスムーズに覚えられるようになりたいと思います。


 私はこれまで、禅のスクールに入ったり、ボディワークをしてみたり、いろいろなことに取り組んでみましたが、私がずっと探していたのは、今、宇城先生から受けているようなご指導だったのだと、実践塾に通うようになってから、気づくことができました。宇城先生の元にたどりつくまでにずいぶん回り道をしましたが、これからは時間を無駄にすることなく、ご指導により変化しつづける人生にしたいと思います。


 道塾も実践塾も、受講している時以外の日常の過ごし方が重要であることを忘れることなく、心を涵養できるよう努めます。


 今年も、宇城先生にしかできないご指導を頂き、心より感謝申し上げます。

 本当にありがとうございました。  



●福島 自営業 T.T

 この度も貴重なご指導を賜りまして、誠に有難うございました。  また今年も一年間懇切丁寧にご指導いただき、またたくさんのエネルギーを注いで頂きまして、心より感謝御礼申し上げます。

 この数ヶ月の稽古におきましても、新たな気付きを与えて頂きました。と言いましても、今までもずっとずっと教えて頂いてることではあるのですが、その受け取り方が少しずつ変化しているのを感じております。先生は当初から一貫して同じことを仰っているのですが、自分の中でその意味するところが徐々に変化してるように思います。

 この数ヶ月の稽古でも、「力を抜く」ということが一番印象に残っています。先生が仰る「力を抜く」ということは、自分たちの今までの概念、あるいは今までの身体の感覚には無いものであることを感じました。今までの自分の中にある概念で「力を抜く」というこを解釈すると、それはイコール脱力になってしまいます。ところが、先生に気を通して頂き体感させて頂く感覚は、それとは全く違うものであると感じました。

 一例として、縦に連なった列を前から押すという稽古があり、呼吸や型が正しければ列を押すことができることを教えて頂きました。その際、所作をがさつにしてはダメで一つ一つ丁寧でなければならないこと、また、少しでも動き方が間違っていると列を押せないことを教えて頂きました。

 その時感じたことは、筋力的な力で押すことをもちろん、自分の気持ちの中にある力みや欲も消さなければならないということです。押してやろうとか倒してやろうという気持ちを持っただけで、押せる空気が消えてしまうことを感じました。

 そして、そのような稽古の後に自宅で型をしてみると、自分がする型は全ての動きが手先で突こう受けようとしているように感じました。そのような動きをすると、当然その部分に局所的に力が入りますが、それを抜くにはどうすれば良いのかを考えると、今まで先生に教えて頂いた姿勢の大切さや、きちんと型にはめ込むことの大切さを感じました。

 何年前か定かではないほど以前のお話ですが、先生から帯に短刀を挿すように言われ「型をする時は肚を出してその短刀がぶれないようにしなきゃいけない」と教えて頂いたことがあります。そうすることで、正しい姿勢や、その姿勢を通して力みや欲を消していくことを教えて頂いていたのではないかと感じました。そして、先生に教えて頂いたそれらのことを意識しながら型をしてみると、一つ一つの所作の間にある繋ぎも、全てが繋がっているように感じました。

 雑に動いてしまうとその部分だけの局所的な動作になってしまいますが、姿勢を崩さないように丁寧な所作を心がけると、繋ぎも含めて全ての動きに全体的な繋がりがあるように感じました。

 また12月の稽古では、技には理合がなければならないということを教えて頂きました。パッサイの分解において、先生の足を掴み連なった塾生を体交わしで崩すことを見せて頂きました。理合が無いと崩せないがそこに理合が加わると簡単に崩せるということを教えて頂きましたが、理合が無い状態というのは外面の筋力的な力だけの動作になっているように感じました。

 逆に、理合がある状態では、外面の動きよりも内面の動きが全体に作用しているように感じました。それは、正しい姿勢や力を一切使わない所作の中から出てくるものではないかと感じました。

 この数ヶ月の稽古においてもたくさんのエネルギーを注いで頂きました。目には見えないエネルギーですが、いつも稽古の中で様々な事例を通して目に見える形で教えて頂いているように、現実的で具体的なエネルギーを与えて頂き、自分の人生を全ての場面で支えて頂いていることを感じております。

 今年も一年間、元気で無事に過ごすことができたのも、宇城先生のご指導のお蔭です。仕事においても不思議と方方から仕事を頂くことが多く、先生のご指導のお蔭で仕事においても順調に過ごすことができております。自分には自覚できないところで、仕事においても良いご縁をいただいているように感じております。

 先生から注いで頂いているエネルギーを、もっともっと自分の中に残すことができるよう、空手においても仕事においても精進して参りたいと思います。

 今年も一年間ご指導をいただきまして、心より感謝御礼申し上げます。  来年もご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。



●会社員 東京 K.S

 いつもご指導ありがとうございます。

 11月の審査会もありがとうございました。審査会では自分のやってきたことを出そうとしましたがまだまだレベルの低さに反省ばかりです。年数が経てば経つほど宇城空手の奥深さを感じている日々です。合宿や日頃の稽古の合間で先輩方にもご指導いただくことでさらに深さを知ることに繋がっています。

 本当は何のために空手をしているのかと自分自身に問いかけることが多々ありました。先生に学びたい、触れたいという想いだけで学んで良いのか、先生は一番我々に何を望んでいるのか。

 その解がまずは自分自身のため。合気道の五月女先生のお言葉が非常に心に残っています。「宇城先生は空手とか武道とかのカテゴリーの人ではない。人間の持つ可能性を教えてくださっている」宇城空手を通じて、稽古を通じて出来なかったことが出来るようになる。道場で終わらせずに空手や稽古で学んだことを日常で活かしていく。スポーツにはできないが武道は日常に活きると学びました。

 日常が変わり周りの人が変わっていく。人生が好転していく。一人革命につながっていく。その根源が空手であり先生の学びでありいただくエネルギーであると感じています。先生にいただいたお言葉「進歩成長とは変化することである。変化するとは深さを知ることである。深さを知るとは謙虚になることである」日本人皆がこの言葉通りの生き方を実践できればどんなに素晴らしい国になるかと思い募りました。先ずは自分自身が実戦行動していく。ここに尽きると思います。

 次に次世代の子供たちのため。先生のご指導をいただきますといかに小さな子供が持っている力がどれほど素晴らしいものであるか、本来の人間の力の根源を見させていただいているように思います。先日の実践塾でも5歳の子の組手の動画を見させていただきました。言葉にならないほど無駄がなく速く勢いのある組手でした。

 様々な分野で驚くほどの年齢の子供が大人以上の結果を出している事を目の当たりにすると色々な分野で行き詰まりが起きているように思います。しかも年々そのスピードが増しているようにも感じます。次世代のために、大人が子供の邪魔をせずに子供が持つ力を発揮できるような環境を作ることが大人の役目であると思いました。

 先生は誰よりも未来を見据えており誰よりも過去を身体を通して感じています。その時間の幅、広さに感銘致しますが、何よりその深さが圧倒的であると感じます。知識レベルの薄っぺらな幅でなく我々が想像もできないくらいの深さのレベルでの幅です。どのような専門家でも適うはずもありません。圧倒的な深さと今の広がりと過去と未来という時間の広がり。あまりの偉大さに恐縮致しますが、そのような師に学ぶことができる幸せに感謝しかありません。

 今年1年間ありがとうございました。  来年も引き続きご指導のほどよろしくお願い致します。



●神奈川 自営業T.K

宇城先生、今回も稽古の参加ならびに本年も東京での稽古を続けて下さりありがとうございました。

 12月の稽古にて列を組んだ私たちに対して、先生がランダムな場所から道着の袖を軽くつまみ、エネルギーを伝えることで列になっている全員を動かすという検証が印象に残っています。

 今秋は大型の台風の接近に伴い、私の家の近くの一級河川の氾濫の注意喚起がテレビでもなされたことがありました。そのため、台風当日は塾生の方々からもご心配を頂き大変ありがたかったのですが、川の危険水域等をライブカメラで確認しつつ念のため高台の避難所にも一時行きましたが、報道されているほどのことは感じていませんでした。

 結果、予想外のところに大きな被害が出るということになりました。油断やのんびり構えるということはなりませんし、台風の進路予想も事実ではありますが、何か見た目だけでは判断出来ない力というのも作用しているのではないのかな?と言う印象を持ちました。

 今回の稽古で先生の見た目は軽く触れるような力でも大きなエネルギーを生み出していることに、その時の印象を思い出した次第です。現代ではそのようなエネルギーを図る尺度もありませんし、災害における被害の予想も確実ではありません。が、稽古にてそういったエネルギーの入力がどのようなものであるかを体感出来ています。それを身体に染み込ませて帰路に着き、日々に活かしていかなくてはという思いをあらためてすると同時に、実践塾の稽古は単なる空手の稽古ではなく、生きて行く術を色々な角度から身体を通じて学べてる場であることもあらためて実感しました。

 もう検証に対しそのエネルギーに驚き、その存在を知ったことに嬉しさを感じて終わるのではなく、それが何を意味し、どう活かしていくのかということに繋げて行かなくてはならないということも思った次第です。

 神経系において、交感神経、副交感神経という自律神経がありますが、医学教育や一般的なイメージでも交感神経と副交感神経は拮抗した半々の役割的なことが常識となっています。心臓においては見た目では8割が交感神経で占められています。しかし、心筋の細胞における作動物質は副交感神経由来のものがほぼ全域に渡っているとのことです。見た目の交感神経が占めている様は危機的状況における作りであって、平常時はほぼ副交感神経が担っているということであり、他の部位においてもほぼ副交感神経の作用が主となっており、自律神経の基幹的役割となっているとのことです。

 常識を覆す話ではありますし例え話のレベルではありますが、先生の空手を習えている自分としては納得のいく話です。衝突や力みや興奮状態では技はかかりません。基幹以外の交感神経を使いアドレナリンを放出するばかりでは長く身体が持つはずもありません。また、基幹である副交感神経の作用がしっかりしているからこそ緊急時の交感神経が有効に働くのかもしれません。

 先生の空手は生きるメカニズムと同じようになっている。にもかかわらず自分たちは基幹以外の交感神経で力を使おうとし、かえって疲弊している。先生から診れば不思議であり、病気にしか見えないと思います。

 医療機関は原因が解らないと、「自律神経失調症」と診断し薬を処方します。患者さん側もその言葉を聞いて納得をしています。ですが、先生から診れば私たち全員が自律神経失調症と診断できるのではと思います。そして本当の原因からの治療は先生の空手しかないように思います。

 先生のスピードは神経系のスピードでは遅く、当てはまらない話ではあります。また、単に知っただけのことを単純に奥深いものへと当てはめるのもよろしくないことです。ですが常識を覆す話でも、稽古に参加できているおかげで聞いて納得するのではなく、身体で納得できるのです。この先も様々なことで今までの常識からひっくり返る事象があるかと思いますが、実践できる先生より体感させていただけることで過去の常識に縛られることなく受け入れることが出来ます。

 次の時代を生きていく上で大変重要な要素となることです。  来年も身体を通して学ばせていただきたくお願い申し上げます。



●埼玉 教師 T.S


10月と11月の実践塾では、両手を体の前で合わせ、上に向かわせ、大きく円を描くように回す動作を数回やると相手を投げることができるという経験をさせていただきました。1人稽古を進めていくうえで大きな参考になりました。姿勢がよくなることで呼吸がしやすくなり、自分の中の感覚が研ぎ澄まされていくように感じました。この動作に加えて息を吐くときに自分の腰、足に息を降ろしていくようにすると統一体になっていく感じがしました。

 まだまだ相手を倒そうとしたり、相手の動きに影響を受けたりしてしまいますが、自分の状態が整っていれば相手は関係ないということがよく分かりました。宇城先生が自分の在り方が大切だということを常々仰っていますが、そのことを肝に銘じて日々の稽古をていねいに取り組んでいきたいと思いました。

 12月の実践塾では、ピッチャー役になり、バッター役の宇城先生に対してボールを放るという役割をやらせていただきました。崩した構えの先生に対してはボールを投げ込むことができましたが、サンチンの構えからバッティングの構えをされると一瞬にして空気が変わるのを感じました。そして、いざ投げ込もうとすると先生に入られ、動けなくなる瞬間がありました。私は、自分の動きが止められた時の先生の「目」が忘れられません。桁違いの凄みがありました。体験を通して一瞬で私達が目指すべき所を教わりました。ありがとうございました。

 芸術、スポーツ等様々な事柄に対して、遺伝子の役割が大きく関わってくることは常識となりつつあります。遺伝的に適した領域、種目を選び、そこに力を注ぐことが成功の秘訣であるということも言われています。しかし、どんなに技能面で優れた業績を残したとしても、そのことと「幸せ」はイコールではありません。

 宇城先生がご指導してくださっているのは、私たち一人一人が、その人なりの「幸せ」を掴むために必要なことです。人種、信条、持って産まれた能力等、置かれた状況は違っても、幸せになる機会は誰もが与えられています。その機会を生かすには宇城先生の教えを実践することが最善の道だと考えます。私は先生の教えを素直に実践し、もっともっと幸せになりたいと思っています。また家族や友人、周りの人達にも先生に繋がってもらい、皆で幸せになりたいと思っています。

 来年は、先生に繋がる人が1人でも多く出てくるよう行動していきたいと思います。その為に一番大切なのは自分が変わり続けることだと考えます。

 1年間、御指導いただきありがとうございました。  



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