―― 守る・寄り添うの実現に向けて ――「戦わずして勝つ」を目指す宇城空手


 今世界情勢はものすごく厳しくなっています。時代に逆行したロシア、ウクライナ戦争では、大量虐殺が行なわれています。銃で撃てば相手が殺され、相手も撃ち返す。つまり互いの殺し合いが起こっています。


 アメリカでは銃による乱射事件が立て続けに起こっています。先日も小学校で乱射事件が起こり、多くの児童が犠牲になりました。多くの国民から銃規制強化の声があがりましたが、その一方で、前大統領は、その対策として教師に銃を持たせるべきだと主張しています。誰が考えてもおかしな理屈です。なぜそういう発言になるのか。

 その裏には、選挙で勝つためにライフル協会をうまく利用したいという思惑と、銃規制に反対したいライフル協会側の思惑があります。すなわち「我欲」です。結果、たくさんの児童や人が殺されるという悲劇が生まれています。


 そういう「我欲」を取り払うためには、もっと大きな視点で考え、行動する必要があります。まさに私たち人間の存在意義です。私たちはどこから生まれたのでしょうか。

 私たち人間は地球の創造物です。しかし今の人間社会は破滅に向かっているとしか言いようがありません。まさに今回のようにロシアという大国が起こした戦争の弊害は間接的にも全世界におよび、現実にたいへんな不幸が多くの人にもたらされています。一方で昨今の異常気象や自然災害、地震の発生など、これらもすべて人間がその要因をつくった結果です。


 私たち人間の「母なる地球」からしたら、こうした破壊に向かうような体たらくしていく人間をこの地球上に創造したつもりはないと思います。本来であれば、我々人間は、時代とともに進化していかなくてはならないはずです。進化とは私たち人間が森羅万象の下、共存共栄を伴って幸せになることです。過去に戦争を幾多も起こし、こと日本で言えば、原子爆弾を広島、長崎に落とされて何十万人という人が亡くなっているにも関わらず、また同じことが世界で繰り返されている。これは人間がいかに劣化したか、とくにトップに立つ人間の人格がいかに低下してしまったかの証です。この状況は今後、さらに加速していくのではないかと誰もが危惧するところではないかと思っています。


 そういう現状にあって、希望ある未来を形づくる具体的な実践方法があります。それは、日本の戦国時代から江戸時代に至るなかで、「戦わずして勝つ」という境地を生み出した「無刀流」のあり方です。


「無刀」というのは、刀を持たないということ。刀を持たずに、刀を持った人と戦って相手を制するということです。刀を持たずに相手を倒すということは、心で心を打つということ。まさしくこれが「戦わずして勝つ」の境地で、この本質が「気」というエネルギーです。


 この武器を持たずに相手を制するという具体的な術技は、今の時代に、また今からの時代にも活かすことができる術技であると考えています。


 そのためには「新しい芽」を育てることが大事です。子どもです。これからの子どもたちがどのような生き方、考え方をもって行動するからはとても大事なことです。それにはまず大人が変わらなければなりません。現状の主流となっている対立構図から調和構図にしていくことです。すなわち寄り添うという心です。それを大人も実践し変化しながら、子どもに受け継がせていくということです。まさに江戸時代の「戦わずして勝つ」という「無刀流」のあり方は、今の世界を希望ある未来に導く素晴らしい実践哲学であると思います。


 江戸時代の俳人、松尾芭蕉の有名な言葉に「不易流行」があります。「不易」とは、変わることのない不変の真理であり、「流行」とは時代の流れのなかで変わっていくという現実です。その現実の変化に合わせつつも、その根底には「永遠に変わらない真理」、すなわち「不変」を持つことが大切であると。それが「心」だということです。いかなる時代にあっても「人を幸せにする」という不変の哲学と実践です。しかし実践がなければただの精神論となります。


 その実践こそが争いや戦いではなく、「守る力」「守る技術」です。守るとはどういうことか。戦う相手がいて、相手が自分よりも強そうであれば、「怖い」と思い怯むかもしれません。しかし、もしあなたの横に大切な家族がいて、その家族がやられようとしていたら、その時は、技も恐れも関係ない。必死で守ろうとするはずです。それが「守る」ということです。ですから守るものを持っている人が強いということです。


 それが我を超越させ、我を超越した次元にあるのが「気」です。そういう「気」が先行し、そこに裏付けのある具体的な行動、すなわち「守る術技」がついていくことが大事なのです。相手を叩くのではなく、大事なものを守る技を身につけることです。言い換えれば、守るべき人、愛する人が多ければ多いほど強くなるということです。

 それが「戦わずして勝つ」という境地にいたるベストの道であり、また「気」をつかむベストの道です。それこそが宇城空手であるのです。


 宇城空手では、組手の攻防での極めは最後は必ず投げにかえて相手を制します。なぜなら刀ならば相手を斬ってしまうからです。ですから反撃の突きの極めとして突きを当てる代わりに相手を投げます。この時、相手を投げる技を持っている人の拳の威力は、実際ものすごくききます。この突きの威力を持ちながら、相手に突きを入れずに投げる。上達していくと投げられた人にも気が通り、その人はまた別の人を投げることができます。すなわち気が循環していくのです。そういう循環を創り育てていく、すなわち宇城空手は、それを身につけていく修行でもあるのです。


(2022年6月16日海外とのZoom講義より)





■攻撃に対しての反撃の極めを投げに変える