第38回 東京実践塾 秋季合宿


2022年11月5日、6日の二日間、宇城憲治館長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、塾生120名が参加した。また入国が緩和されたことにより、ニューヨーク・シアトル・ドイツの支部長・塾生も参加することができた。


指導の中で宇城館長は「政治も今の日本も、分断されてていて、全体が見えていない。すべて分断されたもの(ブロック)が積み上げられてつくられた家のようになっており、自然の一本の木のような全体がない。宇城空手は一本の木のような全体のあり方を教えている」と述べた。


3年ぶりに参加した海外支部メンバーを含め、塾生が一体となり、宇城館長の気のエネルギーを感じた充実した二日間となった。


宇城館長による全体指導

3年ぶりに参加する、海外支部長へ指導する宇城館長

全体での木刀稽古

稽古後の懇親会

集合写真

 

感想文

 

■ ドイツ支部長 マイケル・ケーテ


宇城先生

今回の東京での先生の指導は、ベルリンで受けることができた指導よりも更に先生の空手への深みがあることに気が付きました。感じる、触れる、そして一緒に稽古をする事で得られた多々なる新しい発見が今までのZOOMミーティングの意味を示してくれました。


先生が居合道大会で使用なされた本物の刀を手にとらせていただき、何振りかさせていただいた時に宇城空手道の「シリアス(真剣さ)」を一層実感しました。この経験はこれからの稽古、日常生活と仕事上での姿勢を大きく変えてくれるでしょう。


日々の稽古はさらに熱心に、さらに真剣になっていきます。先生のエネルギーと真剣さは自分の心に響き、稽古と宇城空手を学ぶさらなるモチベーションになりました。


先生が根拠よく教えてくださり、自分たちに「変わる」機会を与えてくださったことに感謝しています。

 

■ ニューヨーク支部長 マーク・エイブラムス


宇城先生

今回のセミナーでの経験を自分の中に定着させるために、この文章を書く前に時間が必要でした。宇城先生や先生の生徒の皆さんと一緒に稽古できたことは、私にとってとても意味のあることでした。この3年間このような接触がなかったことは、とても寂しいことでした。


幸いなことに近くに(車で1時間ほどの距離ですが)武道を嗜んでいる長年の友人がいます。コロナ禍が改善するにつれ、我々は定期的に集い、とても正直でオープンな雰囲気の中で取り組んでいる内容について共有するようになりました。


我々は最近、身体全体の動きを制御するために、中心から始まる背中を使うことの重要性を探求しています。今回のセミナーは私が探り始めている稽古の方向性が正しいものであることを再認識させてくれるものでした。宇城先生のご指導は、私の稽古の方向性に対するアプローチと理解がいかに浅はかであったかを深く教えてくれました。 現在、私は一日中どのような活動中でも、腕の動きを制御するために背中を使うことに集中するように努めています。もちろん意識しなくても身体が動いてくれるようになるには、まだまだ長い道のりですし、何度も背中を痛める経験があるかもしれません。個人的に驚いた発見は、背中のラインを上手に使えるようになると、肚からの動きがよりきれいに表現できるようになることです。


ベルリンで得たもう一つの大きな学びは、剣の持ち方についての先生の教えでした。 手から足までがつながり統一体を作るにはこの作業が重要な要素であると認識しました。 剣を持つ時だけでなく、この統一体を作るために、この身体感覚に多大な注意を払います。


ジョシュと私は、先生がアメリカのグループには統一感がないとおっしゃったことをとても真剣に受け止めています。我々は来年から(東と西で3000マイルの距離がありますが)定期的に一緒に稽古ができるよう調整を始めました。数年前から、周りの仲間が不愉快な思いをしないようにという気持ちで距離を取っていましたが、この考えは役に立っていないことが明らかになりました。我々はアメリカ支部の基盤をきちんと築き、強めるために前進していく所存です。

 

■ シアトル支部 ジーナ・ドラックマン


宇城先生

3年ぶりに2022年秋の東京合宿に参加し、とても高揚した気持ちになりました。先生や実践塾の皆さんと日本で過ごすのは久しぶりのような気もしますし、つい昨日のような気もします。


先生が再び私たちに稽古をつける機会を与えてくださったことに、とても感謝しています。特に印象的だったのは、先生が「他人と自分を比較するな」と言われたことです。 これは、常に相対的なものよりも絶対的なものを求めること、自分の進歩が人より遅くても速くても落胆したり誇ったりしないこと、そして比較の基準は常に自分自身であることを忘れないこと、といった複数の意味を含んでいると私は考えています。この「絶対的なもの」が目標であることは、負けず嫌いの私にとってはタイムリーであり、また励みにもなります。


私は榎本師範のグループで参加し、師範の空手の変化に衝撃を受けました。 稽古相手としてTさんとペアを組みました。 パッサイの分解を中心に行いましたが、改めて分解の難しさを感じました。 先生からは、私の先が足りないからだとアドバイスをいただきましたが、これをどう変えればいいのか分かりません。明らかに、もっともっと型の稽古と分解の稽古が必要です。


今回の合宿と10月のベルリンセミナーでは、剣の型に重点が置かれました。 先生の真剣を持たせていただいた時、その感触に驚きました。 木刀とは重さの配分が違うとは聞いていましたが、柄にこんなに重みがあるとは思いもしませんでした。 刀を持つには、刀の下に潜らないといけないとすぐに感じました。 木刀の稽古の際はこの違いに注意して、型の稽古がどう変わるか見ていきたいと思います。


先生の指導を受けるたびに、自分の体が変わっていることを実感します。 今回は、自分の中心を前に押し出す癖が強く、本当の自分の中心を見つけるために「後ろに下がる」ことがどれだけ必要なのか何度も気づかされました。 それは目と関係があるような気がします。 稽古時間を増やし、この癖や他の癖を取り除くことを決意して帰国しました。

 

■ シアトル支部長 ジョシュ・ドラックマン  


宇城先生

秋の東京合宿に参加させていただき、ありがとうございます。このような機会をいただけたことを光栄に思うと共に大変嬉しく思っています。


秋合宿から、私はいくつかの大きな学びと印象に残るものがありました。まず、3年近く日本での直接の稽古から離れていた自分たちにとって素晴らしい再会の場となりました。また皆と一緒にいることができ、素晴らしい気分でした。先生の歓迎の気持ちと優しさ、そして私たちが実践塾の家族の一員であることを感じさせてくれたことに、とても感謝しています。この所属感は私にとって、そして私たち全員(特に海外からの参加者)にとって、とても大切なものです。これは先生が「寄り添うこと」と「守ること」が宇城空手の基盤であるとご指導いただいている内容の不可欠な要素であり、証明であるように思います。


第二に、私たちが日本を離れてから3年の間に多くのことが変わりました。先生はZoomセッションで、日本での稽古がどれだけ進んでいるか、そしてそれが私たちにとってどれだけ驚くべきことかを示唆されていました。それでも私は自分が体験したことのレベルの高さにとても驚き、感動しました。もちろん自分よりはるか先に進んでいる人たちの進歩について判断するのは、ましてや宇城先生については無理な話です。しかし、今回見せていただいたもの、教えていただいたものには、全く違うレベルのものを感じました。本当に衝撃的で驚きました。


この3年間、Zoomセッションで豊かで深く、個人的な指導を受けられたことをとても感謝しています。しかし、3番目にはっきりしたのは、先生からさらに直で一触を体験することがいかに貴重であるかということです。これは私が稽古した有段者の方々にそれぞれ反映されていました。


最後に、ここ数年、そして今日までの自分の努力と進歩は非常に不十分であり、ほとんど足りていないことを痛感させられました。今後、自分の癖を改め、稽古や日常生活を変えていくために、やらなければならないことがたくさんあります。今の自分の身体や自分自身が、とても遅く、硬く、身動きが取れないと感じています。私はまるで、一流の音楽家がその弟子たちと交響曲を奏でている場にいあわせているような気分でした。それなのに、私は最も基本的な音符でさえほとんど組み立てられず、ましてや和音など流暢に演奏するどころか、音楽を追うための基礎すらできていないのです。自分は正しい姿勢で十分に稽古していない。特に支部長で三段をいただいている立場として痛感しました。


この合宿で学んだこと、吸収したことは、将来の変化のための基礎になると信じています。拓治師範のご指導のもと、クーサンクーとパッサイの型と分解に取り組み、師範と中島さんに様々な細かいご指導をいただいたことに感謝しています。特に両日の稽古相手である増田さんには、辛抱強く多くの重要なフィードバックをいただき、分解の多くの面で私の姿勢と実行の欠点がはっきりと分かるようにしていただきました。


合宿での時間はあっという間に過ぎました。最後は疲れましたが、ドイツでのセミナーに続き、別レベルの稽古と経験を得られたことを嬉しく思います。


私が経験したことを完全に吸収し、消化するには、おそらく何週間もかかると思います。先生と直接触れ合い、このような素晴らしい深さの空手を体験できたことに感謝しています。これまで以上に謙虚になり刺激を受けました。今まで以上に自分自身を変え、成長させる決意をした次第です。

 

■ I.K  自営業 東京


宇城先生

 二日間の合宿でのご指導、誠にありがとうございました。


 いまだコロナ禍にあるなか、海外組5名を交え120名以上が一堂に会した今回の合宿は、まさに「宇城空手」の象徴でした。どんな時も、先生の下、強い絆でつながることができる組織だからこそ、また人と比べてどうかではなく、自身が少しでも学びたい、成長したいという、共通の思いがあるからこそ、対立、競争の組織とは全く違う雰囲気、エネルギーを発しているのだと改めて感じました。


 このような軍団の延長には、争いも裏切りもまして戦争もない。先生は海外も含めそういう人と人の正しいつながり方をもご指導くださいます。そしてその根源にあるのが、理屈抜きのやってみせる。これが宇城空手の厳しさであり、そこから逃げては、何一つ学べないと思いました。


 今回は拓治師範のクラスで稽古させていただき、クーサンクー、パッサイを中心とした分解組手をご指導いただきました。相手の攻撃をどうこう処理するのではなく、 まず自分を守る、そのことに集中するようにご指導いただきました。


 そこに集中すると、できてもできなくても関係なく、ただ守る、そこに気持ちがいくのがわかりました。これが「相手ではなく、自分」という、自分に集中する、ことなのかと、感じました。


 また、力や部分の手足ではなく、背中、全体を使うことに集中することを稽古しました。やっているつもりでも、無意識に身体が逃げていたり、背中が曲がってしまったり、力んだりなど、様々な癖や課題があることに気づかせていただきました。


 剣の稽古にしても、手のうち一つ、姿勢ひとつ、目線一つ、すべて空手の稽古に、ひいては自分の仕事、日常につながっていることを改めて感じました。そのようななかで先生が繰り返し稽古で言われた「分断と全体」のお話は、心に残りました。言葉はまさに、頭に分かった気にさせる分断の手段でもあると思いました。


 言葉先にありきで自分をごまかすことに慣れてしまうと、真実を見ることから自分が分断されかねないと気づかされました。身体で把握し身体で理解し、その上で自分の思いにしっくりくる言葉を選んで表現する、言葉にひっぱられないようにする、これは最低限でなければと思いました。


 たくさんの学び気づきをいただいた今回の合宿、誠にありがとうございました。引き続きご指導なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

■ Y.T  会社員 千葉


宇城先生今回もご指導いただきありがとうございました。


 合宿の始めに拓治師範から引き手の大切さを教えて頂きました。技になるかどうかは引き手がしっかり取れているかで決まる。その位置を自分で検証していく必要があると指導していただきました。引き手ひとつとっても自分があいまいな稽古をしてきたことを自覚いたしました。


 突きをしっかり伸ばしきることの大切さや構えた時の胸のライト等、身体で教えていただけたのは本当にありがたい経験になりました。その身体に近づく方法を工夫して探していかなければと思います。


 日常生活の中で、身体の小さな違和感に気づくことの大切さを教えて頂きました。指摘されるのでは無く自らで気付けなければ正すこともできず、自分の身体の歪み癖などを常に意識しなくては気づくこともできません。


 別のことを考えていたら形稽古が出来なくなるくらい身体の感度を高めていきたいと思います。拳の握りも何度も繰り返して正しい握りになるよう検証してまいります。


 宇城先生は指導される方に言葉で教え過ぎないようにと仰いました。言葉で伝えると受け手によって言葉の解釈が変わってしまいます。自分の知っている範囲でしか言葉の意味を理解できないから知ってるレベルで理解してしまうのだということが分かりました。できるようになった時、言葉の本当の意味が分かるのだと気付きました。


 道場を残すのでは無く宇城空手を残すという言葉に身が引き締まる思いがしました。宇城空手を学ぶ者として真剣に取り組まなければいけないと感じました。


 組み手は相手にエネルギーを与え、自分がエネルギーを受け取るつもりで臨めば調和しやすいということを知りました。ものごとを断片で考えず全体で捉えることで繋がり広がります。宇城空手の奥の深さを知ることができた合宿となりました。


 これからもご指導いただけますよう何卒よろしくお願いいたします。

 

■ T.H  会社員 東京


宇城先生、この度は合宿を開催頂きありがとうございました。今回の合宿は人数も多く外国の方も参加されており、今までで1番くらい活気とエネルギーに溢れているように感じました。アメリカやドイツの方達が真剣に稽古に取り組む姿を拝見し、メディアを通してではなく、実際に体験する事で世界に広がっていくエネルギーの素晴らしさを感じました。


 他民族で争う戦争のような悲惨な事がある一方で、同じ目標に対して一緒に稽古が出来る事はとても貴重で幸せだと思います。人間には争い殺し合う心も助け合う調和の心も備わっているので、文化を学ぶ事は本当に大切だと感じました。宇城先生の空手を通して、持って生まれた調和の心を自分の中に見出して育てていきたいと思いました。


 また、稽古前に居合の型を見せて頂きました。抜き身の日本刀を間近で見たのは初めてだったので、身がすくんでしまいました。締めが甘いと指が飛んでしまうと仰るのが、生々しく想像出来る迫力がありました。日本刀を日常から帯刀し、手足のように扱う武士の方達はどれほど肚が座っていたのか。物凄い領域だっただろうと想像出来ます。現代で蔓延するような姑息な思いや誤魔化しなどは出てこないのではないかと感じます。その肚で事に当たれば、あらゆる分野で素晴らしい成果を得られ、周りに良い影響を与えるのだろうと思いました。


 日本刀の迫力に触れ、調和というのはまずはこの怖さ、厳しさがあるという事だと感じました。稽古の際も刀を扱う心持ちで行う必要が有り、真面目に稽古する事と真剣に稽古する事の違いのヒントを戴けたと思います。


 班に分かれての稽古では主にクーサンクー、パッサイ、セイサンの分解組手を行い、基本的な立ち方等を修正して頂きました。稽古や懇親会で交流する中で皆さんが宇城先生の空手を日常の真ん中に置いて過ごしている事を知れて、元気を戴けました。合宿中はあっという間でしたが、終わった後にはずいぶん長く過ごしていた感覚が有りました。普段味わえない密度の濃い2日間を過ごさせて頂きました。

改めてこの度はご指導どうもありがとうございました。

 

■ Y.F 自営業  静岡


宇城先生、この度も御指導の程、誠にありがとうございました。


 毎回合宿はそうですが、この度の合宿は、自分にとって今までで一番の合宿になりました。今回の合宿に参加し、何が自分の中でそうなったのか、分かりません。しかし、今回の合宿での稽古を通し、何かが自分の中で繋がり、そのような事が自分の中で起こったのだと思います。


 サンチンの時に、先生から「背中の力を使っていない」という事を、これ以上にないくらいの御指導で気づかせて頂きました。形はある程度整ってきても、そのエネルギーがどこからくるのか。言い換えれば、魂が入っていない、中心が無いという事だと思いました。四つん這いの人に仰向けに深めに寝ると、背中から腰にかけて確かに意識がいき、サンチンの腕受けが強くなりました。これも腰、すなわち中心の力、という事だと思いました。


 クオーク、素粒子のお話で、空気も、物質も、人間も最小単位は同じというお言葉がありましたが、その素粒子を集めて密度を濃くしたりすると重くなり、また分散させると軽くなったりするのではと思いました。ペットボトルを使った事象も、まさにそのものの事だと思いました。その集めたり、散らしたりする力が気であり、心ではと思いました。それを強く発揮するには、身体を透明化させるのが大事だと。我欲を取り去り、自然体、統一体になれば、心の発動を妨害するものが無く、その威力が増すのではと思いました。


 そして宇城空手はまさにその身体を創り自らの心の力、エネルギーを発揮する事のできる身体を型、特にサンチンで創るのだと。型で練られて創られた身体はその心の発動によるエネルギーが相手や周りに直に伝わり、先生のような事が可能になるのではと思いました。それはまさに先生も言われていますが、心こそが五次元時空と繋がる鍵なのだと思いました。それに宇城空手の型により我欲の無い身体が出来れば、世間一般で言うところの奇跡のような事や、不可能な事が、可能になるのではと思いました。そこに、宇城空手の型の引き出す、人間の心が持つ、無限の可能性を感じる事となり、心が震えました。


 世の中にはよく、心の繋がりだとか、心の力、というような言葉をよく聞きますが、それも頭でしかなく、身体を統一体、ゼロ化した上でのものではない、そのような身体を伴った修行を経ていない為、また自らの我欲を取り去っていない為、その力は限定的になり、大きな力を発揮する事はできないのだと。だからそのようなエネルギーは弱く、現状を変化させたり、問題の本質を変える事はできないのだと。そのように思いました。


 そういう意味でも宇城空手の修行を通す事により、そのようなエネルギーを発揮する事のできる身体、自分になる事ができるのだと。そのお姿を先生は自分達に見せて下さっているのだと。そのように思いました。


 サンチンの開手と拳の場合の違いを御指導頂いた時に、確かに拳から開手にすると肩や特に肚の辺りが緩むのが分かりました。それだけ拳だと身体に力が入っている、という事だと思いました。「拳で開手と同じようにできなければならない」これほどまでに細密な指導など、他には絶対に無いと思います。そのような事を御指導頂ける、そのような師に出会え、学ぶ事の有難さを、先のサンチンの背中、の時も含め、感じました。


 グループに分かれての稽古では拓治師範に御指導頂きました。ここでも拓治師範から背中が大事、という事をお聞きし、自分の中でこの合宿での大きな課題となりました。


 2日目の稽古でパッサイの分解組手をしている時に、仙骨を入れ背中を落として、分解を行うと、上段受けなどは全く力が要らない事を身体を通して感じる事ができました。その際にも絶対に背中を落とす、仙骨を入れるのを切ってはならないというのも感じました。まさに自分。自分の心の中心が自分の身体の中心にあるかどうか。それがブレると自分のその姿勢が崩れると、相手が元気になり、自分の上段受けと衝突します。この時に、姿勢、背中の力(中心)が強くなればなるほど、腕には力が要らない、という感覚を感じる事ができ、今までは動くとすぐにその姿勢が崩れて、浮いてしまっていたなと思いました。


 そしてその後の諸手上げ受け鉄槌諸手突き、でも諸手上げ受けの際には背中の意識を切らない、むしろそちらが大事。だから姿勢。そして二に目。相手が突いてくる瞬間に、目を相手に向ける、自分の感覚としては自分の内面、心をパッと相手に向ける、ような、また身体を動かさないで諸手上げ受けの動作をする、というような感覚をすると、相手が浮いて、二の手が出ない、という事がありました。


 また拓治師範に分解の攻撃側として、突く際も、引き手をしっかりと引いて胸からライトを相手に向ける、と言われ、相手側がそうすると間合いが詰まり、受ける前に相手が入ってくる、こちらの動作が間に合わないで入られる、という事があり、これも「相手に入る」の感覚の一端なのではと思いました。


 剣の切り返しでも切り返す瞬間に相手にパッと自分の内面を、胸からライトを向けるとそのまま相手は変化できずに打ってきて、その横から入れるのではと思いました。剣の握りも御指導頂き、掌で剣を挟むように上から添える。手の中心の気が出る所はあけておく。そのように振ると確かに脇が締まり、これをサンチンにも、この感覚を引き出してサンチンを稽古しなければならないと思いました。


 先生も稽古時に言われておりますが、そのような感覚を自分の中で繋げていかなければならない。それをする、しない、できる、できないはまさに自分次第で、まさに武術、宇城空手の学び、修行は「自分」という事だと思います。


 中国の敦煌のお話がありましたが、風神雷神が描かれていてそれはギリシャにも同じようなものがあるというお話。また金澤翔子さんの風神雷神の書など、やはり昔の人間はそのようなもの、目に見えない力を受け取る力があったのだと思います。金澤翔子さんはその純粋な魂でその力を受け取り、敦煌ではそのような人間がいた、という事ではと思います。このような力は今の日本人にはほぼ皆無であり、そのような五次元の世界、レベルを学べるのは、この宇城空手でしかないと思います。そこで得た、研ぎ澄まされた感覚、それにより、人類の歴史上にてかつてあった、レベルの高い人物の残した事柄、そしてその世界を知り、感じ取る事が出来ます。


 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、その歴史からまさにそれを自分自身が体験、経験してきたかのようにその事を感じ取る事が、宇城空手の五次元を修行する事により、できるようになるのだと思います。それにより、今現在にある様々な問題に対処していく事ができるようになるのではと思います。宇城空手の修行を通し、有史以来人類が繰り返してきた過ちを、その歴史を身体を通して感じ、未然に防ぐことができるようになるのではないかという希望を、自分はそこに見る事ができました。


 今回、「昔の喧嘩」という事で、鎧武者の写真を見せて頂きましたが、自分などはその外見しか、目で見て感じ取っておらず、先生はその当時の空気、雰囲気、その武者の心まで感じ取って、お話されたのではと思いました。


 このような本当に、様々な、深く、高く、そして中心に向かい、外に広がる世界など、他には無く、少なくとも自分の人生の中で出会った事は、ありません。宇城空手の修行を積み、人間の可能性、己の可能性を無限に引き出す事が、結果として、周りとの調和、そしてそれを広げる事となり、それがまた事実上の平和な世界を生み出すのだと思います。そこには希望を感じます。それは自分自身の人生に対してもそうですし、この今、混迷へと向かう人類世界に対してもです。宇城空手の修行を通し、自らの可能性を引き出す事が、世界の平和へも繋がっているのだと。それを身体を通し、感じる事が出来ます。


 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの言葉がありますが、自分にはまさに宇城空手の修行こそが、その「武士道」であり「死ぬことと見つけたり」であります。それには「中心」を強くするには「忠心」を強くする事だと感じます。それ自体が、自らの「我」を取る事になります。常に師の心に自分の心を合わせる。これも、学ぶには何も武術でなくとも何事も当然の事だと思いますが、今の時代はそれがあまりにも薄れてきてしまっています。結果、そのような次元の高い学び、世界が無くなってしまっているのだと思います。しかしそれは裏を返せばそれだけ次元の高い世界、それを指導できる人間が、いなくなってしまっているからだと思います。そういった意味でも、そのような時代に宇城先生に出会い、宇城空手を学べる事の有難さ、その時間の尊さを感じます。


 自分はもっと真剣に宇城空手を愛せねばならぬと思います。愛は没我的だからであり、そして自分の心の中心にあるものだからです。先生の気の御指導を受ける中で宇宙の中心、エネルギーが愛であると感じるようになってきました。


 先生の御指導、それは厳しさもあり、またそれ自体が愛であり、没我的です。人に良い顔ばかりする人は自分がその人に良く見られたい、嫌われたくないだけで、その人の真の成長を望む心ではありません。自分が厳しい事を言って、その人に嫌われようがその人の事を想い、その人の一番変わらなければならない所を指導する。まさに師としての愛だと。またそれが、その師の愛が、分からなければ弟子ではないと思います。


 または自らが成長し、その人を変えられるだけの実力を持つ事だと思います。先生は一に勉強、二に勉強、三にも勉強、のお姿でその事も実践されております。今回もお話の中で先生の資料を見せて頂きましたが、その情報量の多さに目が点になりました。そしてその内容が非常に気になりました。


 修行不足の為、間違う事も後悔する事も、あると思いますが、それを恐れたりする時間も実力も無いという事。後悔は根底には自らの我欲、自分は出来るという自らも気づく事の出来ていない傲慢さが隠されています。だからこそ「謙虚」しかないのだと。それが本当の謙虚さであり、前へ進む為の鍵であると。その謙虚さと心を持って前に進む事が大事なのだと思います。


 これからも沢山の過ちを犯す事になると思います。その度に師に道を修正してもらう。真剣に謙虚に進んだ上で間違ったのであれば、それは自分が足らなったのだという事を自覚し、変化成長していくしかないと思います。以前よりも、座波先生も言われているように、もつれた糸が少しずつほぐれて

いっているように感じます。それは身体での悟りと、先生のお言葉の一致が少しずつですが、感じられるようになってきたからです。


 宇城空手の無限の可能性に増々魅了されてきていると感じます。これからもその気持ちを、もっと強く感じ、持つ事の出来るように更なる精進を重ねます。


 引き続き御指導、御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。