第38回 東京実践塾 秋季合宿
2022年11月5日、6日の二日間、宇城憲治館長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、塾生120名が参加した。また入国が緩和されたことにより、ニューヨーク・シアトル・ドイツの支部長・塾生も参加することができた。
指導の中で宇城館長は「政治も今の日本も、分断されてていて、全体が見えていない。すべて分断されたもの(ブロック)が積み上げられてつくられた家のようになっており、自然の一本の木のような全体がない。宇城空手は一本の木のような全体のあり方を教えている」と述べた。
3年ぶりに参加した海外支部メンバーを含め、塾生が一体となり、宇城館長の気のエネルギーを感じた充実した二日間となった。





感想文
■ ドイツ支部長 マイケル・ケーテ
宇城先生
今回の東京での先生の指導は、ベルリンで受けることができた指導よりも更に先生の空手への深みがあることに気が付きました。感じる、触れる、そして一緒に稽古をする事で得られた多々なる新しい発見が今までのZOOMミーティングの意味を示してくれました。
先生が居合道大会で使用なされた本物の刀を手にとらせていただき、何振りかさせていただいた時に宇城空手道の「シリアス(真剣さ)」を一層実感しました。この経験はこれからの稽古、日常生活と仕事上での姿勢を大きく変えてくれるでしょう。
日々の稽古はさらに熱心に、さらに真剣になっていきます。先生のエネルギーと真剣さは自分の心に響き、稽古と宇城空手を学ぶさらなるモチベーションになりました。
先生が根拠よく教えてくださり、自分たちに「変わる」機会を与えてくださったことに感謝しています。
■ シアトル支部 ジーナ・ドラックマン
宇城先生
3年ぶりに2022年秋の東京合宿に参加し、とても高揚した気持ちになりました。先生や実践塾の皆さんと日本で過ごすのは久しぶりのような気もしますし、つい昨日のような気もします。
先生が再び私たちに稽古をつける機会を与えてくださったことに、とても感謝しています。特に印象的だったのは、先生が「他人と自分を比較するな」と言われたことです。 これは、常に相対的なものよりも絶対的なものを求めること、自分の進歩が人より遅くても速くても落胆したり誇ったりしないこと、そして比較の基準は常に自分自身であることを忘れないこと、といった複数の意味を含んでいると私は考えています。この「絶対的なもの」が目標であることは、負けず嫌いの私にとってはタイムリーであり、また励みにもなります。
私は榎本師範のグループで参加し、師範の空手の変化に衝撃を受けました。 稽古相手としてTさんとペアを組みました。 パッサイの分解を中心に行いましたが、改めて分解の難しさを感じました。 先生からは、私の先が足りないからだとアドバイスをいただきましたが、これをどう変えればいいのか分かりません。明らかに、もっともっと型の稽古と分解の稽古が必要です。
今回の合宿と10月のベルリンセミナーでは、剣の型に重点が置かれました。 先生の真剣を持たせていただいた時、その感触に驚きました。 木刀とは重さの配分が違うとは聞いていましたが、柄にこんなに重みがあるとは思いもしませんでした。 刀を持つには、刀の下に潜らないといけないとすぐに感じました。 木刀の稽古の際はこの違いに注意して、型の稽古がどう変わるか見ていきたいと思います。
先生の指導を受けるたびに、自分の体が変わっていることを実感します。 今回は、自分の中心を前に押し出す癖が強く、本当の自分の中心を見つけるために「後ろに下がる」ことがどれだけ必要なのか何度も気づかされました。 それは目と関係があるような気がします。 稽古時間を増やし、この癖や他の癖を取り除くことを決意して帰国しました。
■ シアトル支部長 ジョシュ・ドラックマン
宇城先生
秋の東京合宿に参加させていただき、ありがとうございます。このような機会をいただけたことを光栄に思うと共に大変嬉しく思っています。
秋合宿から、私はいくつかの大きな学びと印象に残るものがありました。まず、3年近く日本での直接の稽古から離れていた自分たちにとって素晴らしい再会の場となりました。また皆と一緒にいることができ、素晴らしい気分でした。先生の歓迎の気持ちと優しさ、そして私たちが実践塾の家族の一員であることを感じさせてくれたことに、とても感謝しています。この所属感は私にとって、そして私たち全員(特に海外からの参加者)にとって、とても大切なものです。これは先生が「寄り添うこと」と「守ること」が宇城空手の基盤であるとご指導いただいている内容の不可欠な要素であり、証明であるように思います。
第二に、私たちが日本を離れてから3年の間に多くのことが変わりました。先生はZoomセッションで、日本での稽古がどれだけ進んでいるか、そしてそれが私たちにとってどれだけ驚くべきことかを示唆されていました。それでも私は自分が体験したことのレベルの高さにとても驚き、感動しました。もちろん自分よりはるか先に進んでいる人たちの進歩について判断するのは、ましてや宇城先生については無理な話です。しかし、今回見せていただいたもの、教えていただいたものには、全く違うレベルのものを感じました。本当に衝撃的で驚きました。
この3年間、Zoomセッションで豊かで深く、個人的な指導を受けられたことをとても感謝しています。しかし、3番目にはっきりしたのは、先生からさらに直で一触を体験することがいかに貴重であるかということです。これは私が稽古した有段者の方々にそれぞれ反映されていました。
最後に、ここ数年、そして今日までの自分の努力と進歩は非常に不十分であり、ほとんど足りていないことを痛感させられました。今後、自分の癖を改め、稽古や日常生活を変えていくために、やらなければならないことがたくさんあります。今の自分の身体や自分自身が、とても遅く、硬く、身動きが取れないと感じています。私はまるで、一流の音楽家がその弟子たちと交響曲を奏でている場にいあわせているような気分でした。それなのに、私は最も基本的な音符でさえほとんど組み立てられず、ましてや和音など流暢に演奏するどころか、音楽を追うための基礎すらできていないのです。自分は正しい姿勢で十分に稽古していない。特に支部長で三段をいただいている立場として痛感しました。
この合宿で学んだこと、吸収したことは、将来の変化のための基礎になると信じています。拓治師範のご指導のもと、クーサンクーとパッサイの型と分解に取り組み、師範と中島さんに様々な細かいご指導をいただいたことに感謝しています。特に両日の稽古相手である増田さんには、辛抱強く多くの重要なフィードバックをいただき、分解の多くの面で私の姿勢と実行の欠点がはっきりと分かるようにしていただきました。
合宿での時間はあっという間に過ぎました。最後は疲れましたが、ドイツでのセミナーに続き、別レベルの稽古と経験を得られたことを嬉しく思います。
私が経験したことを完全に吸収し、消化するには、おそらく何週間もかかると思います。先生と直接触れ合い、このような素晴らしい深さの空手を体験できたことに感謝しています。これまで以上に謙虚になり刺激を受けました。今まで以上に自分自身を変え、成長させる決意をした次第です。
■ I.K 自営業 東京
宇城先生
二日間の合宿でのご指導、誠にありがとうございました。
いまだコロナ禍にあるなか、海外組5名を交え120名以上が一堂に会した今回の合宿は、まさに「宇城空手」の象徴でした。どんな時も、先生の下、強い絆でつながることができる組織だからこそ、また人と比べてどうかではなく、自身が少しでも学びたい、成長したいという、共通の思いがあるからこそ、対立、競争の組織とは全く違う雰囲気、エネルギーを発しているのだと改めて感じました。
このような軍団の延長には、争いも裏切りもまして戦争もない。先生は海外も含めそういう人と人の正しいつながり方をもご指導くださいます。そしてその根源にあるのが、理屈抜きのやってみせる。これが宇城空手の厳しさであり、そこから逃げては、何一つ学べないと思いました。
今回は拓治師範のクラスで稽古させていただき、クーサンクー、パッサイを中心とした分解組手をご指導いただきました。相手の攻撃をどうこう処理するのではなく、 まず自分を守る、そのことに集中するようにご指導いただきました。
そこに集中すると、できてもできなくても関係なく、ただ守る、そこに気持ちがいくのがわかりました。これが「相手ではなく、自分」という、自分に集中する、ことなのかと、感じました。
また、力や部分の手足ではなく、背中、全体を使うことに集中することを稽古しました。やっているつもりでも、無意識に身体が逃げていたり、背中が曲がってしまったり、力んだりなど、様々な癖や課題があることに気づかせていただきました。
剣の稽古にしても、手のうち一つ、姿勢ひとつ、目線一つ、すべて空手の稽古に、ひいては自分の仕事、日常につながっていることを改めて感じました。そのようななかで先生が繰り返し稽古で言われた「分断と全体」のお話は、心に残りました。言葉はまさに、頭に分かった気にさせる分断の手段でもあると思いました。
言葉先にありきで自分をごまかすことに慣れてしまうと、真実を見ることから自分が分断されかねないと気づかされました。身体で把握し身体で理解し、その上で自分の思いにしっくりくる言葉を選んで表現する、言葉にひっぱられないようにする、これは最低限でなければと思いました。
たくさんの学び気づきをいただいた今回の合宿、誠にありがとうございました。引き続きご指導なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
■ Y.T 会社員 千葉
宇城先生今回もご指導いただきありがとうございました。
合宿の始めに拓治師範から引き手の大切さを教えて頂きました。技になるかどうかは引き手がしっかり取れているかで決まる。その位置を自分で検証していく必要があると指導していただきました。引き手ひとつとっても自分があいまいな稽古をしてきたことを自覚いたしました。
突きをしっかり伸ばしきることの大切さや構えた時の胸のライト等、身体で教えていただけたのは本当にありがたい経験になりました。その身体に近づく方法を工夫して探していかなければと思います。
日常生活の中で、身体の小さな違和感に気づくことの大切さを教えて頂きました。指摘されるのでは無く自らで気付けなければ正すこともできず、自分の身体の歪み癖などを常に意識しなくては気づくこともできません。
別のことを考えていたら形稽古が出来なくなるくらい身体の感度を高めていきたいと思います。拳の握りも何度も繰り返して正しい握りになるよう検証してまいります。
宇城先生は指導される方に言葉で教え過ぎないようにと仰いました。言葉で伝えると受け手によって言葉の解釈が変わってしまいます。自分の知っている範囲でしか言葉の意味を理解できないから知ってるレベルで理解してしまうのだということが分かりました。できるようになった時、言葉の本当の意味が分かるのだと気付きました。
道場を残すのでは無く宇城空手を残すという言葉に身が引き締まる思いがしました。宇城空手を学ぶ者として真剣に取り組まなければいけないと感じました。
組み手は相手にエネルギーを与え、自分がエネルギーを受け取るつもりで臨めば調和しやすいということを知りました。ものごとを断片で考えず全体で捉えることで繋がり広がります。宇城空手の奥の深さを知ることができた合宿となりました。
これからもご指導いただけますよう何卒よろしくお願いいたします。
■ T.H 会社員 東京
宇城先生、この度は合宿を開催頂きありがとうございました。今回の合宿は人数も多く外国の方も参加されており、今までで1番くらい活気とエネルギーに溢れているように感じました。アメリカやドイツの方達が真剣に稽古に取り組む姿を拝見し、メディアを通してではなく、実際に体験する事で世界に広がっていくエネルギーの素晴らしさを感じました。
他民族で争う戦争のような悲惨な事がある一方で、同じ目標に対して一緒に稽古が出来る事はとても貴重で幸せだと思います。人間には争い殺し合う心も助け合う調和の心も備わっているので、文化を学ぶ事は本当に大切だと感じました。宇城先生の空手を通して、持って生まれた調和の心を自分の中に見出して育てていきたいと思いました。
また、稽古前に居合の型を見せて頂きました。抜き身の日本刀を間近で見たのは初めてだったので、身がすくんでしまいました。締めが甘いと指が飛んでしまうと仰るのが、生々しく想像出来る迫力がありました。日本刀を日常から帯刀し、手足のように扱う武士の方達はどれほど肚が座っていたのか。物凄い領域だっただろうと想像出来ます。現代で蔓延するような姑息な思いや誤魔化しなどは出てこないのではないかと感じます。その肚で事に当たれば、あらゆる分野で素晴らしい成果を得られ、周りに良い影響を与えるのだろうと思いました。
日本刀の迫力に触れ、調和というのはまずはこの怖さ、厳しさがあるという事だと感じました。稽古の際も刀を扱う心持ちで行う必要が有り、真面目に稽古する事と真剣に稽古する事の違いのヒントを戴けたと思います。
班に分かれての稽古では主にクーサンクー、パッサイ、セイサンの分解組手を行い、基本的な立ち方等を修正して頂きました。稽古や懇親会で交流する中で皆さんが宇城先生の空手を日常の真ん中に置いて過ごしている事を知れて、元気を戴けました。合宿中はあっという間でしたが、終わった後にはずいぶん長く過ごしていた感覚が有りました。普段味わえない密度の濃い2日間を過ごさせて頂きました。
改めてこの度はご指導どうもありがとうございました。
■ Y.F 自営業 静岡
宇城先生、この度も御指導の程、誠にありがとうございました。
毎回合宿はそうですが、この度の合宿は、自分にとって今までで一番の合宿になりました。今回の合宿に参加し、何が自分の中でそうなったのか、分かりません。しかし、今回の合宿での稽古を通し、何かが自分の中で繋がり、そのような事が自分の中で起こったのだと思います。
サンチンの時に、先生から「背中の力を使っていない」という事を、これ以上にないくらいの御指導で気づかせて頂きました。形はある程度整ってきても、そのエネルギーがどこからくるのか。言い換えれば、魂が入っていない、中心が無いという事だと思いました。四つん這いの人に仰向けに深めに寝ると、背中から腰にかけて確かに意識がいき、サンチンの腕受けが強くなりました。これも腰、すなわち中心の力、という事だと思いました。
クオーク、素粒子のお話で、空気も、物質も、人間も最小単位は同じというお言葉がありましたが、その素粒子を集めて密度を濃くしたりすると重くなり、また分散させると軽くなったりするのではと思いました。ペットボトルを使った事象も、まさにそのものの事だと思いました。その集めたり、散らしたりする力が気であり、心ではと思いました。それを強く発揮するには、身体を透明化させるのが大事だと。我欲を取り去り、自然体、統一体になれば、心の発動を妨害するものが無く、その威力が増すのではと思いました。
そして宇城空手はまさにその身体を創り自らの心の力、エネルギーを発揮する事のできる身体を型、特にサンチンで創るのだと。型で練られて創られた身体はその心の発動によるエネルギーが相手や周りに直に伝わり、先生のような事が可能になるのではと思いました。それはまさに先生も言われていますが、心こそが五次元時空と繋がる鍵なのだと思いました。それに宇城空手の型により我欲の無い身体が出来れば、世間一般で言うところの奇跡のような事や、不可能な事が、可能になるのではと思いました。そこに、宇城空手の型の引き出す、人間の心が持つ、無限の可能性を感じる事となり、心が震えました。
世の中にはよく、心の繋がりだとか、心の力、というような言葉をよく聞きますが、それも頭でしかなく、身体を統一体、ゼロ化した上でのものではない、そのような身体を伴った修行を経ていない為、また自らの我欲を取り去っていない為、その力は限定的になり、大きな力を発揮する事はできないのだと。だからそのようなエネルギーは弱く、現状を変化させたり、問題の本質を変える事はできないのだと。そのように思いました。
そういう意味でも宇城空手の修行を通す事により、そのようなエネルギーを発揮する事のできる身体、自分になる事ができるのだと。そのお姿を