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2025年6月 関東教師塾レポート

  • chiba
  • 5 日前
  • 読了時間: 40分

今年度、2回目の関東教師塾は6月28日(土)に埼玉大学教育学部附属特別支援学校で開催された。当日は東京、埼玉をはじめ仙台、山形から小・中・高・大、特別支援など様々な教育現場に身を置く教員14名が参加した。

まず、時間の矢が時間経過に沿って流れていく4次元的時空と今の中に過去も未来も存在する時間の進化としての5次元的時空の説明があり、すべては「今」の一瞬にあることをご指導いただいた。そして、今の常識や科学にないことを実践していくことは今を広げることとなり、今からの脱却となること、また昨今における教員の不祥事に関して、信用、信頼といった教育の根本にあるべきものを覆してしまう大きな問題であり、今後、教師である我々のあり方がさらに厳しく問われていくであろうことについても言及された。


パワーには対立と調和という2つの概念があり、対立は力対力の勝負になり衝突の世界となるのが今の常識である。

しかし、塾長は、調和の力を我々にわかるように示し、力とエネルギーの違いをご指導いただいた。衝突時には時間が止まっており、調和しているときは時間が動いていることも体感させていただいた。

対立では1人は3人には勝てない

調和により1人で3人を引くことができる


エネルギーは連鎖する


人はエネルギーが入ると、それまで出来ないことが出来るようになる。そしてそれはエネルギーとして連鎖していく。


人間は細胞に働きかけることが出来れば、瞬間に変化し、それまで出来なかったことが出来るようになる。


塾長に気を通されると突き出される机の不安感が消える


人生には「肉体が存在する物理的な世界」と「想像力や思考からなる抽象的な世界」の2つしかなく、後者の世界ではたった1%しか身体を使うことができない。どちらの世界で生きていくかで今後のありようが大きく変わってくるというご指導をいただいた。


大人数で抑えた長机を動かす塾長



またこうした実証が暗示ではないことの証明としての検証も行われた。

机を抑えるメンバーは塾長が気をかける方向がわからないようにする

抑えられた机は塾長の示す方向に動いてしまう



先を取ることの重要性を検証する。

拳で叩こうとすると危険を感じて手を引っ込める

塾長に先を取られて引こうと思っても手を引くことができない


今回の教師塾では、本当の力への気づき、古典力学から量子力学への気づきの重要性を体験することができた。また、教育の原点である信用、信頼の大切さを改めて見つめなおすことができた。そして、A地点、B地点、C地点のどの地点で気づくかによって未来が変わることもご指導いただいた。先が見えているからこそ、我々は今何をするべきなのかを自覚し、地に落ちつつある信用、信頼を取り戻すべく前に進んでいかなければならない。塾長のご指導を通して教員としての使命、責任に改めて気づくことができた。

講義の中で塾長が言われた、朝から生徒が「先生、今日は何をするの?」と門で待っているような魅力ある教師を目指していくことを誓い合い、参加者一同帰途についた。



受講感想文


【MI 60代 山形県 高校】

宇城先生、昨日のご指導ありがとうございました。ドイツでのご指導の後、疲れをモノとせずいつものように、熱くご指導いただき感謝です。

本日のご指導では、「学校の教員がいかに勉強不足か。日本の教育は大変な危機に直面している」と厳しく指摘をいただきました。しかし、同時に宇城先生に学んで変化・成長・進化(深化)していけるという希望をしっかりといただきました。本当にありがとうございます。


宇城先生が指摘されたように、日本の学校の教員は自分も含めて口先ばかりです。宇城先生のように「気」によって指導することなど全くできないのに、また、圧倒的な知識量とその深さによって、ほとんどすべての人に新しい気づきや希望、勇気を与えることなど全くできないのに、「教師然」「指導者然」としています。「教育全般にかかわる」ことについても、世界のことも日本のことも、あるいは江戸時代のことも明治時代のことも、自分から調べて学んでおらず、無知であることに気づいていません。日本の政治家は、本当にどうしようもないほどに腐敗していますが、教員の腐敗も半端ないです。本当に勉強不足です。


どうしてこんな国に、こんな悲惨な教育の状況に成り下がってしまったのかと思います。嘆きを通り越して、絶望しています。教育の現場に長く身を置いてきたからこそ見えてしまった腐敗・隠ぺい・誹謗中傷・裏切りには、本当にあきれてしまいます。「裏ではこんなことしていて、よく表では、生徒の前で人の生き方についてしゃべれるよな、こいつ!」となります。


今、多くの教育現場では、「若い先生がすぐ辞める」ことが問題になっていますが、これは中堅以上の教員の問題です。若い先生たちが初めて働く職場で、「自分もこんな先生のようになりたい」って憧れる中堅の先生たちと出会えていないのです。その中堅の先生によって生徒たちが劇的に変化するような場面を見せてもらっていないのです。

生徒たちを喜ばしたいっていう情熱を持って、自分の時間を大幅に削って取り組んで、よい結果(生徒の変化・成長)を出して楽しんでいる先生が近くにいないのです。むしろ逆に、「教員ってこんなものか…」って失望を覚えさせることが多いのです。


そういう教員は、「自分ができない」ことを見たくないので、自己変革が期待できそうな研修会には出ませんし、本も読みません。それに比べて、若い先生たちはまだ希望があります。毒されている程度が少なく、まだ修正が効きそうです。ただし、自分のお金を使って研修を重ねて成長していくという文化に慣れていません。

宇城先生の先生のお話の中に「ヨーロッパの方が日本に比べて、先生の教えを吸収し変化するスピードが速い、それだけ危機感がある。」という指摘がありましたが、本当にその通りなのだと思います。日本人にはまったく危機感が足りません。しかし、一方で危機感を感じていながらどうしていいか、何をしたらいいのか皆目見当がつかない、そんな人が多いと思います。だから、自分の世界に逃げ込んで、その世界の中で覇を競う、つまり、狭い世界のマウンティングに現を抜かしているのだと思います。

宇城先生の中には、半端なく大きな危機感がおありですが、自分はまだまだその危機感を真剣に自分に映せていません。だから、自分をなかなか変えられないのだと思います。仙台道塾や教師塾、そのほかの勉強会で先生とご一緒させていただいている時のエネルギーと、日常生活の中でのエネルギーにはまだまだ大きな差があります。この日常を変えないと何ともなりません。

 

ところで、今回のご指導の中で、小学校教員による盗撮の問題をお話しされていました。「本当に日本の教育はダメになった。ここまで落ちぶれてしまったか。」と憤っておられました。その話を聞いていて、自分が教員になる前の、今から40年前のことを思い出しました。日本の小学校では、男性の教員は女子を、女性の教員は男子を、性的な対象として見ることがあるということです。(日本社会の病理の一つかもしれません)


自分が所属する研究室の大学4年生が、教育実習から戻ってきて、教授の前で実習の報告をした時のことです。報告が終わって、教室から教授がいなくなった後の彼らの会話を聞いて、愕然としました。

その会話の一部はこのようなものでした。実習の時に撮った写真を見せあいながら、


「いや~、こんなかわいい子がいてさあ~、なんかなついてくれたんだよね。」

「俺も、実習が終わりの日に、手紙くれた子がいてさ、けっこう、好みなんだよね。」

「もっと大きくなったら彼女にしたい。」

「身体も大きくって、とても小学生とは思えない感じの子もいたよ。なんか彼女、雰囲気あるんだよね~。すごい大人の感じだったよ。」

「私もさ~、けっこうイケメンな感じの男子がいて、気になった子がいたよ。」


などなどです。もっとひどい、わいせつとも言える、文章にするのがはばかられるほどの内容もありました。こんな連中が教員になっていくのかと思うと背筋が寒くなりました。彼らはその後、小学校や中学校に採用されて卒業していきました。


なぜ、40年前の会話を覚えているかというと、小学生を性的な対象として見ているその会話が、あまりに衝撃的だったからです。「こいつら腐ってんな~」と心からぞっとしました。「そんな目で小学生たちを見ているのか~。そして、そんなふうにして仲間内で口に出して語り合うのか~。」とひどく驚きつつ、気持ち悪かったです。


今回の教員が起こした盗撮事件は、ほんの氷山の一角です。もともとそういう癖(小児性愛)のあるごく少数の人が教員になってしまったとも言えますが、結果として、多くの小学生が、一生背負わなければならない大きな不幸を味わうことになります。ロリコンという言葉が一時期はやりましたが、多くの小学校の教員はこのようではないと思いたいです。

ひたすらに子供たちの成長のために自分の時間を削って、日夜努力を重ねている多くの教員がいます。そういう人たちによって、日本の教育は守られてきたと思います。しかし、実態としては「危ない教員」「人間がぶっ壊れている教員」は少なくない、と思います。「お前、なんで教員になったんだ?」と問いたくなる教員が多いのも事実です。


中学校の教員も推して知るべしです。高校ではセクシャル・ハラスメントが絶えません。モラルが崩壊していてとどまるところを知りません。これからAIがどんどん教育の世界に張り込んでくれば、宇城先生の言うように教員は自らの“人間性”で勝負するしかありません。しかし、その人間性が崩壊しています。その頃が、教育界全体でスルーされてしまい、自分事として捉えられていません。


こんな教育の世界であれば、今時、不登校の方が健全なのだと思います。エジソンのお母さんのエピソードには心が震えました。学校って、今も昔も、ホントにしょうもないなって思います。宇城先生が言われた「子どもの数は減っているのに障碍(がい)児が増えている。これは宇宙からのメッセージだ。教育の世界に変革を求めるメッセージだ。」という言葉を真摯に受け止めて、自分を変えていきたいです。

宇城先生のご指導は私たちの無意識のレベルに働きかけるものです。先生のご指導は、れは、私たちの癖、無意識にそうなってしまっている癖を見抜かれた上でのことです。どうして宇城先生は私たち一人ひとりの、そういう無意識をキャッチできるのかわかりませんが、先生のセンサーは本当に細かいのだと思います。私たちが自分では気づけない無意識レベルの課題に気づかそうとして、時には厳しく声をかけていただいていることが本当にありがたいです。他の塾生への先生のご指導が、まさに自分への強いメッセージでもあると感じます。


最後に、宇城先生の読書量は本当に半端ないです。自分とは全く桁が違います。やっぱりちゃんと勉強し続けていかないと、教員という仕事を続けてはいけないのだと思いました。教員こそが誰よりも必死で勉強しないと、生徒をどんどん不幸にしてしまいます。宇城先生のご指摘の通りです。にもかかわらず、忙しさを理由に、本当に勉強しない教員が多すぎます。たくさんのいろんな研修の機会を与えても、変化・成長のきっかけを与えても、ちっとも反応しない、反応が持続しない、そういう教員が多いです。宇城先生が持つ「絶対的な力や魅力」など全くない中で、完全に生徒を下に見てしまっています。宇城先生に対する塾生の態度が「宇城先生が来るのが待ち遠しい」であるのと対照的に、多くの高校では、「あっ、先生きた。ウザい。早く授業終わんないかな。」が普通ではないでしょうか。自分も例外ではありません。ですから「自分はどんな今を生きているんだろう、どんな過去に支えられて、どんな未来が用意されているのか」と思うと暗澹たる思いになります。しかし、今からがスタートだという希望も、宇城先生からいただきました。

本当にありがとうございました。これからもどうぞ、ご指導よろしくお願いいたします。

 


YM 60代 栃木県 高校

宇城先生、ご指導誠にありがとうございました。多くのことを学ぶことができました。

学校の堕落をとても感じました。また、教師はもっと勉強しなければならないと生徒も落ちていくことがひしひしと感じました。そして無から有を生み出すことが今後の教育を変えていくのに大切なことも理解しました。また、時間は、今しかないというお話を聞き、すぐに行動する大切さを改めて感じました。


実技の中でも、上から押さえられている人で、円の中の人だけ立てると気をかけると円の中の人だけが立て、眼鏡の人だけ立てると気をかけると眼鏡の人だけ立てました。また、机に気をかけると、信じられないのですが、机だけが気をかけられた方向に動き出していきました。物質にも気を入れることができることに改めて驚きを感じました。


生徒の前で、宇城先生のようにこのようなことができると、生徒は寄ってくる。多くのことを学び、実践していくことが大切だと思いました。登校時正門も前で教師も生徒を迎えて、生徒が教師に寄って来るようにならないと、学校は変わらない。本当にそのような学校になれば、生徒たちも能力を発揮することができる環境を作れるのではないかと思いました。


体が難病にかかり体力的に不安がありましたが、多くの方に支えられ終わることができました。いま、とても充実しております。がんばろうとするエネルギーをいただきました。現在休職して病気を治そうとしております。必ず回復したいという心にエネルギーをいただきました。

今回多くの方に支えられ参加できたことに感謝申し上げます。

宇城先生ご指導誠にありがとうございました。


 

【IH 30代 千葉県 社会福祉法人】

・生徒が先生を楽しみに待っている。「挨拶運動」じゃなしに。そういう先生であれば挨拶運動なんか要らない。

・AIが管理職に替わる。そこまでAIのレベルが高くなったら、必要な人間は『AIとコラボできる人』。

・政治は他国の言いなり。怯えていて外交なんてできない。

上記のお話など、今回の宇城先生のお話の中で「どんな大人に魅力があるのか」「どんな大人なら日本を良くしていけるのか」という事のヒントをいただきました。やはり先生のように、本当に護ることができ、怯えず、気付きを与えることのできる人が、子ども達の近くにいないといけない。子どもの成長に不必要な、大人達の間違った育ちの強要や子どもを弱くする教育に、いち早く気付き、気付いたものは無くしていかなければならないと思いました。そう思うと同時に、宇城先生にご指導いただける私は本当に救われており、自分に関わる子ども達にどんどん還元できるように自身を成長させなければと強く思いました。


世の教育者には、このように正しくご指導してくださる宇城先生のような指導者がいない事、また宇城先生に出会える機会がない事は、今の教育の世界においてもはや損失となっていると思いました。先生の教えが必要だと思える心、エネルギーがある人を1人でも多く連れて来たいとも思いました。我々大人達が、子ども達を知らず知らずのうちに弱くしてしまう。そのような危機感もありますが、それでも、先生にご指導いただき、精進できれば、エネルギーを強く待ち、調和や、真の平和への道が見えてくる。そのように感じた今回の教師塾でした。


実証の際は、恥ずかしくなるほどに自分の弱さが出てしまい、反省と悔しい気持ちが湧きましたが、懇親会の際に宇城先生に叱咤激励のお言葉をいただき、少しでも早く宇城先生を映せる自分に成長したいと思いました。名前を呼んでいただけた事も、とても嬉しかったです! これまで与えられた刷り込みに気付いて、不要なものは取り除けるようになりたいです。そして、子ども達には良い伝統を残し、正しい大人・教育者として人間性や心を育てたいです。それが子ども達に伝わるような在り方に成長していかなければと思いました。今回も様々な気付きをいただきました。ありがとうございました。また次回も何卒宜しくお願い致します。

 


【JS 50代 岩手県 高校】

今回宇城先生の「生徒が先生を迎えに来る学校」ということが心に響きました。実際に宇城先生は日本のみならず世界中どこに行っても歓迎されています。先生にはそれだけのものを与えて頂いていますし、その為にけた違いの努力をなさっています。私自身「生徒が迎えにくる」などと教員になってから考えたこともありませんでした。「勉強不足」も甚だしく、「勉強」の方向性すら間違っていたと思います。


6月15日の仙台道塾では「消費と生産」ということが今一つ理解できなかったのですが、孤立・分断は消費であると若干ではありますが、理解できました。特に、生徒に「できない」と烙印を押す教育はまさに消費以外何ものではないと思います。現在の勤務校ではその影響が生徒にはっきり出ており、自分を信じられず能力に蓋をしてしまっている子どもたちが多くいます。子どものもつエネルギーを消費どころかなくしています。それに対し「大丈夫ですか」と寄り添う心や調和は古典力学では考えられないエネルギーを生みます。


「皆さんはずっと今」ということもわずかではありますが理解できた気がします。これほど先生に気を体験させて頂いているにもかかわらず、私は古典力学や分断の世界から抜け出さず、そこから生まれる絶望の未来の妄想の中に生きています。

また先生の空手の取り組みの厳しさも本当に少しだと思いますが見ることができました。塾生の方が肩を押さえられ正座をしながら蹴りを受けることに対して、「甘い空手をしているからこうなる」とおっしゃいました。そもそもが通常のスポーツでは考えられないことですが、先生のもとで空手を学ぶということはけた違いの覚悟が必要だと感じました。


今回も教員としても人間としても自分の甘さを痛感しました。混迷の時代の中でも、自分は宇城先生にずっと希望を示して頂いて迷いながらも少しずつですが進んでいると自覚しています。本来であれば、生徒や後輩教員を引っ張っていかければならない年齢ですが、これができていないのは自分の勉強不足の何ものでもないと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

今回も貴重なことを多く学ぶことができました。この機会を与えて頂いた宇城先生、いろいろとご準備を頂いた皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

 

【KN 50代 東京都 大学】

宇城先生、6月の教師塾でのご指導有難うございました。

過去と未来の間に今があり、過去や未来も今の連続であるという内容は、もの主体の考え方が身についた頭ではなかなか理解できないことです。それ以前に、常に頭で理解しようとすることが、身体によって悟ることとは程遠いことです。百聞は一見に如かず、百閒は一触に如かず、また百触は一悟に如かずといった流れ自体を身体でものにすることが大切だと感じました。以前送っていただいたデカルトの「我思う故に我在り」といった、中学か高校のときに聞き知り、また偉い人の言葉と単純に記憶にとどめていたことが、対立と競争の流れの中で生まれたであろうことの重要性を知り、またそれを無意識のうちにでも教えていることの危うさを感じます。


動物は自然と調和することで生きており、人間も相手を思いやり、お互いに調和することでエネルギーが産まれてくることは、赤ちゃんや子供たちを観れば納得のいくことですが、それでは大人が都合悪いので意識や知識が大切だといった教育を行ってきたように思います。その発想からすれば、自身が他と違っているといった意識を持つことが自分の存在となるのですが、もともとそのような違いを意識する必要もなく、また調和を身体で感じ取ることのできる赤ちゃんや子供達には意味のない言葉です。このような考え方ができるようになったことは、先生のエネルギーを実際に感じさせていただいているからで、それをもっと素直に感じ取り、身体に刻んでいける子供達の発達の邪魔をせず、自分の生き方で正しい方向を示すことが教師としても役割だと感じました。

 


【YO 40代 埼玉県 特別支援学校】

この度は教師塾でのご指導、ありがとうございました。今回の教師塾を受けて一番強く感じたことは「子ども達が安心できる空間を作りたい」というものでした。数人が押す長机の前に立った時、頭の中では「ぶつけられることはないだろう」と思っているのに、どうしようもなく不安になりました。この感覚も不思議な感じだったのですが、頭では大丈夫だろうと思っているのに体が拒否をしている感覚でした。意識している部分がいかに役に立っていないかを感じました。この体が拒否をして逃げたいような不安な感覚が、宇城先生から気を通していただいた瞬間にその感覚が全くなくなりました。それが守られている、安心できている状態だと聞き、子ども達に対してこんな感覚を与えられるようになりたい。子ども達が安心して過ごせるような空間を作れるようになりたい、と強く感じました。今年度から立場が変わり、教室ではなく職員室にいることも多くなりました。そんな中、職員室まで「一緒に行くよ」と誘いに来てくれる子がいます。昨年から私に色々な気付きを与えてくれる子です。この子が安心して過ごせるようにしたい、と強く感じました。


しかしまた、意識が邪魔をする、というのも体感させていただきました。気をお通されて足の間に立った相手を倒された後、まだ「相手を押さえよう」という意識をもってしまいました。そうすると相手との間に反発が起きるのを感じました。意識で相手を押さえようと思ってしまえばエネルギーではなく力になって試合、そこに対立が起きてしまう。私はまだ頭で考えてしまうので、意識的に相手と一体になるためには、やはり相手を思いやる行動なのだろうと感じました。

今回の教師塾の中で思ったのは、「人は一人では生きていけない」のではなく「人は、人と生きた方が強く、幸せであれる」のではないか、ということでした。相手を思いやり、寄り添うことで体が強くなる、という実践や、人とつながることで力を発揮できるような実践を多く体験してきて、そのように感じました。

この度も、充実した濃厚な学びの時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

 


【HN 50代 神奈川 小学校】

先日の教師塾では、ドイツより帰国されて日も浅いにもかかわらずご指導いただきまして、ありがとうございました。今年度は、6年生を担任しています。この学年は3年生の時に一度担任をしています。前に教えてから3年たっているわけですが、小学生の3年間というのは大人のそれと全く違い、成長の度合いが非常に大きく、本当に大きくなったなということを感じたのが、4月の出会いでした。


この3ヶ月間は最上級生となった子どもたちとどう向き合うかを自問自答する毎日で、自分の力不足からくる焦りと緊張の日々をすごしています。クラスに昨年度は持病のために欠席日数の多かった児童がいます。4月当初は、週に1日2日登校しては、欠席。また登校できた日も、1時間目が終わると、体調が悪くなって早退するということが続きました。家庭の話では、医師からは体調はだいぶ良くなっているので、不調は精神的なものが大きいと言われていることを聞いていました。登校できた日は、声をかけ続けるようにしたところ、GW明け頃から少しずつ学校で過ごす時間が長くなってきて、5月末の運動会には何とかフル参加できました。


6月初めの修学旅行(2泊3日)は楽しかったのか、最終日に体調を崩してしまったものの、しっかりと参加できていました。これらのことに自信をつけたのか、6月は欠席日数も少なく登校できました。この児童のほかにも、前学年でほとんど登校できず6年生になって1日も登校できていない子、学習面での不安から、不登校になりかけている子がいます。学校に通うこと通えることが、必ずしも正しいこと良いことではないと思います。その上で一人ひとりの子供の人生にとってどのように接していくのがよいのかを、これからも自問自答しながら、せめて寄り添えるようにしていきたいと思います。


今回の教師塾の実践の中で、3対1で引っ張り合うものがありました。1人で3人を引っ張る役を体験させていただきました。通常の力では当然、3人に勝つことはできません。ですが、先生にエネルギー変換をしていただくと、はじめは通常の力で引っ張っていて、徐々に相手の方に引かれてしまっていたのが、ある時点から急に腕が伸びたようになって、そこから逆にこちらに引くことができるようになりました。この時の引く感じは、はじめは均衡がとれるようになって、そのあとは加速度的に引けそうな感覚でした。また力で衝突しながら引くと、呼吸が止まる感じがあるのですが、この時は何というか相手が引いている力を感じながらも余裕を持って持ちこたえることができました。このようなエネルギーを子供は元々持っているものだと思います。


それを引き出させるには、日々接している大人(教師)の方にそれだけのエネルギーが必要だと思いました。全員で目をつぶってテーブルを持っているところに先生が気をかけると、先生が事前に空中で手を動かしたのと同じ方向(それもジグザグな多方向に向かって)にテーブルが動き出しました。圧倒的で想像を絶する現象でした。これもまさにエネルギーのなせることだと感じました。ここまでのエネルギーを発揮できなくても、少しでも調和のエネルギーを発揮できるよう、精進して参りたいともいます。今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

 


【KI 60代 東京都 高校】

今回も真心のご指導に心より感謝申し上げます。

「朝正門に生徒たちが迎えに来るような教師になりなさい。」

心に響きました。教育というものの本質だと思いました。

朝正門に教師である自分を迎えに来ている生徒たち。想像しただけでも何物にも代えられない幸せを感じます。そんな光景が毎朝学校の正門で見られたら、間違いなく学校は別次元に変わります。

「前回めっちゃ面白かったよ。今日は何やるの。どういうこと勉強するの。こういうこと学びたい。」生徒たちの声が聞こえ、その輝くまなざしに応えようとする自分の姿が浮かんできてしまいました。

宇城先生と同じように、今の常識や科学にないことの実践を教室で展開し、子どもたちのやる気、その気を引き出せれば、必ず実現すると思いました。

 

4次元から5次元へと広がる「今」。「無から有」の純粋体験の「今」。この「今」の異次元的時間の広がりが、未知を開拓し、未来を切り拓く。

宇城先生による気のエネルギー体験は、「無から有」の純粋体験です。体験を重ねる毎に、人間の中に潜む可能性や創造性に気づきます。これほど濃厚に、創造的時間を体験できる場は、世界中探してもないと感謝しております。

 

気づきが早ければ早い人ほど、早く目覚め「生へ」と上昇する。遅い人は「死へ」下降しているときに気づくこともある。その時は下降を止めることはできない。

「今だけ、金だけ、自分だけ」のグローバリストは、3欲にぴたりと時間を止められています。従って気づきはなく、「死へ」下降していく人たちです。今の日本はこの下降に飲み込まれています。

 この下降を止められるのは、女性に向かって突っ込んでくる数名の男性が抱えた机を、瞬時に止められる宇城先生の気のエネルギーしかありません。

 

3年のことですが、前女子トイレで盗撮されたという生徒の相談を受け、すぐに指導部と犯人を取り押さえたことがあります。犯人は人相と時間帯から直ぐに外部講師と分かりました。年少者への性犯罪者は繰り返すので、復職できないように刑事事件にしてもらいました。

教室でスカートの中に手を入れてくる男子がいる。担任はやめさせるといったが被害が広がっている、と私に被害を訴えてきました。

校長と担任は、被害者の女子生徒たちを必ず守るから、加害者の男子生徒を残して指導する、と主張し、残すことになりました。親だって守れないことがある。被害に遭った女子と一緒に生活させることは、女子の心を更にきずつけることになるから、転校を視野に入れた自主退学を親に伝えることを提案しましたが、聞いてもらえませんでした。

指導部から母親に概要を伝えるやいなや、ご迷惑をおかけ致しました。被害者の女子の元に息子を置いておくことはできません。退学させます。と謝罪を繰り返し去って行ったと指導部の教員が伝えてきました。

 この手の事件が日々起きているのですが、抜本的な解決はなされず、対症療法的に日々が過ぎています。

守ることは、愛すること。子どもをちゃんと守れないのは、大人の都合を押しつけているからだと思っています。

私たちは真心で寄り添い、子どもたちを守ることをすれば、先生の気のエネルギーに近づけることを学んでいます。私に、いてくれるだけで助かると言ってくれる周囲に諦めずに働きかけ、一緒に現状を変えていきます。

 

遊んでいる子どもたちの姿と双眼鏡に映った小鳥たちを見るのが好きです。我を忘れます。「無から有」の純粋体験の「今」を共有しているからだと、今頃になって理解できました。人が創造的に生きることというのは、人として生きる上で重要なことだと思います。

今回は「今を生きる」という大切なことを学びました。

 ありがとうございました。

 


【KM 50代 長野県 養護学校】

宇城先生、本当にお忙しいところご指導をいただきまして誠にありがとうございました。ここ数週間の教師の不祥事に、教育現場の仲間として情けない思いと、失った信用、信頼の重さを感じています。こんなことは言い訳にもできないのですが、こうした事件は私たちも含め、今から脱却できない教師の行き詰まりを感じさせます。形は違えど、私たちにも起こりうる問題だと感じています。これらの信用、信頼を取り戻すには並大抵の努力ではできないことだと思っています。しかし、信用、信頼という原点がなければ教育は成り立ちません。なんとか取り戻す努力を怠らないようにしていかなければなりません。


ここ数年の自分のテーマとして「子供が明日も来たい教室」があります。私事ではありますが、同じ学校ではありますが信濃学園という県が設置した福祉型障害児入所施設に隣接した分校に異動になりました。様々な事情で保護者が手におえなくなったお子さんが長野県中から預けられる施設です。分室に通う生徒は小学生しかいませんが、ほとんどのお子さんが自分の思い通りにならないと他害(他者への暴力、物の破壊など)を行うという行動障害をもっています。県内では重い行動障害をもつ強度行動障害者への対応をポジティブ行動支援という形で推進しています。基本的な考え方は、①環境調整でその人に会った環境を作る。例えば音が気になる場合には音を遮断してあげるなど。②罰でなく望ましい行動をするとそれが報われる仕組みを作り、望ましくない行動は無視し、望ましい行動にご褒美を与えるということです。理念には共感できます。しかし、実際にどう行われるかというと、個室において本人が自分一人でできる課題(作業)を与え、できたらご褒美(強化子)としてお菓子を与えるのです。これを常に行い続け、行動障害を起こす時間を作らないようにしていくというものです。誰が支援してもいいようにと教師はマニュアル化されたものを機械的に指示していくだけです。


自分は、先生が説かれる心ありの教育と乖離しているように感じてしまい、違和感しかありません。自分が担任した児童も家庭環境も障害も複雑で、結果として指示に従わない、他害を行ってしまうという特性があります。4月に出会い5月初めには自分の指示には従ってくれるようになりました。しかし、行動支援のチーム会では自分の指導はずいぶんと叩かれました。まず児童に対する圧が強いということ、マニュアル通りの指導がされていないということです。さらに一人の職員の言うことしか聞けないのはだめだということでした。先生のご指導を受けていると自分の圧が力=衝突によるものであり、この点は大いに反省すべき点だと思いました。しかし、子供ができたときに『「よくできました」と淡々と伝える』というマニュアルが正しいのか疑問に感じます。人の迷惑になるようなあきらかに間違った行動は無視するだけという指導で子供が変わるのか自分にはわかりません。


今回の教師塾で自分が抱いた違和感に確信が持てた気がします。チームとして動いているので、この指導は違うと訴えたところで対立を生むだけです。身体で感じたことを信じて行動に移していきます。そしてチーム全体の意識が少しでも本来の教育のあり方に変化できるように行動で示していきます。さらに信用、信頼の回復、そして生徒が「先生!」と門の前で迎えてくれるような魅力ある教師、学校づくりを目指して、今を広げ、今からの脱却ができるように私自身が精進してまいります。

教師塾でのご指導誠にありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いいたします。


 

【YK 30代 埼玉県 特別支援学校】

今回も貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

毎回、はっとさせられる言葉をいただけますが、今回、何度か研修に参加している中で、先生がふとした時に仰っていた言葉——「教員の仕事は、子どもたちの目を輝かせることだ」——が特に心に残りました。

私は教員として、子どもたちに「できることを増やしたい」という思いから、つい指導や支援に力が入りすぎてしまうことがあります。もちろん、それがうまくかみ合う時もありますが、活動が子どもにとって難しかったり、興味が持ちにくかったりすると、私自身も焦りを感じ、子どもにとっても重たい時間になってしまうことがありました。


そのような場面を思い返すと、子どもたちの「目の輝き」が消えていたことに気づきます。できないことに向き合わせようとする前に、「この子が輝ける瞬間はどこにあるのか」「今、目を向けるべきはどこか」を、私自身が見誤っていたのだと反省しています。

先生のお言葉をうかがって、改めて、私が向き合うべきは「課題」ではなく「子ども」であり、「伸ばすこと」よりもまず「光らせること」なのだと気づかされました。

これからも、目の前の子どもたちの目が輝く瞬間を見逃さず、大切にできるような関わりを続けていきたいと思います。

 


【AS 60代 埼玉県 中学校】

宇城先生、ドイツから帰国したばかりということで大変お疲れの中、関東教師塾でのご指導大変ありがとうございました。少人数で宇城先生のお話と体験をさせていだける貴重な機会に感謝いたします。

宇城先生が今回の教師塾でも初めに仰っていたように、教師の不祥事のニュースが毎日聞こえてきて、本当に腹立たしく怒りを覚えると同時に悲しくなります。特に盗撮やわいせつ行為などは、保護者や子どもたちの心に傷跡を残すだけでなく、教員や学校全体にとって拭えきれないほどの不信感となる犯罪行為であり、教育の信用を取り戻すことはほぼ不可能な状態です。現場にいる身として感じるのは、特に大規模な学校には一般常識が欠如している教員も一定数存在しており、基本的なあいさつができないばかりか、家から車で来て靴を履き替えず1日校舎内で過ごしてそのまま帰っていくなど、社会人としてあり得ないことをする者もいて、とても子どもたちの前に立って指導などできないような教員も存在します。


また、一見真面目そうではあっても、裏や陰で何をやっているのかわからないような怪しい教員がいるのも事実です。管理職が指導しても一向に変化がないか、表面上だけ変化したように見せる者もいて、学校全体の信用を崩壊させています。そういう教員に限って管理職が強く指導するとパワハラだと騒ぎ立てる。特に公立の学校では、教員は公務員という立場に守られているため、それを悪用して権利を主張する。教員のなり手がいない状況も合わせて教育委員会としても手の打ちようがない状態だと思います。よく隠蔽体質と言われますが、隠蔽せざるを得ない状況、つまり世間や保護者や子どもに本当のことを言ってしまうと教育が成り立たなくなってしまうという様な状況になっているとさえ思えます。一方、ほとんどの教員は熱心に取り組んでいると感じていますが、日々保護者の対応に苦慮し、疲弊している状況もあります。モンスターペアレンツまではいかなくても学校に批判的であったり、自分の子ども中心の親が多く、子どもの喧嘩に親が出てくるような状態の保護者が増加しています。保護者やその前の世代の学校教育の影響がジワジワと現れていると思われます。トラブルにならないようにと、過剰なほど家庭に配慮したり、遠慮したりしている場面が見られ、真面目な教員ほど疲れ切っているのが現状です。打開策がない状態では本当に日本の教育、特に学校教育が崩壊するのではないかと感じます。


冒頭に時間の広がりについてお話されましたが、今の中に過去も現在も存在しておりその進化として時空を5次元的に捉えていくこと、現在の科学や常識にないこと、今にないことを実践していくことの重要性についてご指導いただきました。先日、中学校のある教室の学級文庫の中に、日野原重明先生のいのちのおはなしという絵本がありました。その中でいのちは誰もが持っている時間であると話されていましたが、まさに時間について考えることは命いついて考えることに繋がると思います。今は感じた瞬間に通り過ぎて過去となり、感じようとする瞬間が未来ではないかと理解しましたが、さらに時間を5次元的に捉えていくことの意味についてはもっと深く考えていかなければ理解できない状態です。また、力による対立は客観的な時間であるため衝突を生むが、エネルギーでは主観的な時間であるため調和となることについて、体験を通して教えていただきましたが、ここにも時間が関係していることがわかりました。

先生の講義を受け、お話を伺う度に自分の勉強不足をひしひしと感じます。宇城先生が何度も言われていた通り、今日は何をするのか生徒が目を輝かせて聞いてくる、自分から進んであいさつをしてくるような存在になれるよう、そんな学校に少しでも近づけるよう、自分自身の身体脳を鍛えていきたいと思います。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。

 


【TI 50代 秋田県 高校

今回の教師塾で特に印象に残ったことばが「先生の仕事は生徒の目を輝かせること」「教育とは進化を見せること」ということばです。目が輝くとき、人間は幸せで生き生きしているときでいろいろな能力が高まるときだと思います。そういう状態をつくりだすように導くことが教師の役割なのだと思います。できない状態からできる状態になることは、進化だと思いますが、それを見ると自然と興味を持ち、自分もやりたい、自分もできるようになりたいと素直に思うから、そうなるように自ら取り組むようになる。自分で学び工夫するようになる。教師はそれをサポートすれば良いのだと思いました。


日本は、今様々な分野で外国資本に進出され、水源地が買収されたり、郵便局で外国資本の保険が売られていたりする。大学のランキングでも日本の大学は世界の中では上位に入っていない。そのような状態であるが、日本の強みは何か。それは人間力であるというお話がありました。電車の時間の正確性、落とし物が見つかる誠実さ、清掃が行き届いたトイレなどが、現在も日本の潜在力を表しており、外国人も感嘆したり魅力を感じている。教育もこの人間力を磨き、高める営みであるべきだと思いました。宇城先生は、不登校や障害のある方の能力を認めていらっしゃいます。例えば、障害者の描く絵は、誰もまねできないすごさ、素晴らしさを持っている。正に感動をそのまま表現することができている。それを西田幾多郎の純粋経験ということばで説明されました。引きこもりの方の部屋の角に一輪挿しを置く。それが心を動かし、部屋を出てやがて社会の中で活動できるようになるというお話も印象的でした。


日本の政治が堕落しているのは、結局は政治家を選挙で選んだのは国民だから、庶民が勉強していないからというお話がありました。外国資本が進出している日本の現状や二酸化炭素のみによる温暖化の嘘などは勉強しないと分かりません。読書や体験、留学など行動することで学ばなければならない。宇城先生が読まれているご本を紹介くださったり、留学している子供さんのお話を聞かせていただきました。教師は一番勉強しなければいけない職業なのに、一番勉強していないとご指摘なさいました。


立っている塾生に向かって3人で持ったテーブルを勢いよく押す検証がありました。通常テーブルを押す気配があれば、立っている方はよけようとします。立っている方に宇城先生が気をかけると、その方は安心した気持ちになり、テーブルを持った3人は押せなくなりました。そのとき立っている方と3人の間に親子のような押せない関係性ができるのだと説明いただきました。懇親会で仙台道塾のWさんのお話がありました。Wさんは国会議員で多忙であるのに、10年間仙台道塾で宇城先生をお迎えし、会場までタクシーで送られている。その行動が宇城先生がWさんを信頼する源なのだということでした。


また、他の塾生からは、子供や生徒を田植えに連れて行ったとき、最初は嫌がっていた子供や生徒が親や先生が楽しそうに裸足で田んぼに入っていると、放っておいても自分で田んぼに入ってきたというお話を伺いました。教師自身が楽しい姿、輝く姿を見せることは、子供や生徒が輝くことにつながると思いました。今学校では教師が門で生徒を迎えるところが多いが、逆に生徒が先生に会いたいと待ち構えている学校ならば、楽しいに違いないし、いじめ問題も起こらないだろうというお話は全くそうだと思いました。宇城先生は世界中で歓迎され、喜ばれる仲間がいらっしゃる本当の師の姿を示されています。それは師として喜びのある人生だと思いました。そしてそれはその師が生徒が求めるものを身につけて体現でき、示すことができるから、魅力があり、求められるということであり、そのために一に勉強、二に勉強と教えていただきました。


最初外国で先生を迎えるときにTシャツで迎えていた生徒もきちんとした服装で迎えるべきことを教えると、次からスーツで迎えてくれるようになり、他の空手団体とは別格な雰囲気となったというお話も伺いました。きちんと指導すべき所を的確に指導できることが教師には必要で疎かにできないと思いました。宇城先生、いろいろなことを開示して指導いただきありがとうございます。私たちも師に対して心を明らかにしてご指導を仰ぎたいと存じます。また、子供たちに対しても心を明らかにして向き合いたいと思いました。このような機会、場を企画し提供していただいた関根さんはじめ、教師塾の皆様、会場の埼玉大学教育学部付属特別支援学校に感謝申し上げます。

 


【YO 30代 神奈川県 小学校

今回、お誘いいただき、初めて教師塾に参加させていただきました。こどもと接する立場である、私たちに向けたピンポイントの講話や体験から、多くのことを考え、学ぶ時間となりました。こどものもっている力、大人がなくしてしまった力、今回、より間近で体験させていただきました。そして、「常に学んでいかなくてはいけない」とくり返しおっしゃっていた先生のお話が改めて心に残りました。恥ずかしいことですが、私はまだまだ学びも考えも足りず、先生のお話されていることのほんの少しも理解したとはいえないと思っています。それでも、今目の前にいるこどもたち、これから出会うこどもたちのために、少しでも前に進んでいきたいと思います。本当に、ありがとうございました。

 


【TS 40代 埼玉県 特別支援学校】

先日の教師塾では熱いご指導をいただき、ありがとうございました。

先生にご指導をいただく中で、終始一貫感じたのは、先生のほとばしる「情熱」です。

以前、UKアカデミーで西田幾多郎に関する資料を送っていただきましたが、西田幾多郎の「純粋経験」とは、「物事を判断したり、名前を付けたりする前のありのままの体験」であり、そこには「人生を豊かにするヒントがたくさん詰まっている」と言います。


先生のお姿に接し、私が感じた先生の「情熱」はまさに純粋経験と言えるものです。私も先生のような「情熱」をもって日々子ども達に向き合っていきたいと思いました。

先生からご指摘いただいた通り、学校が楽しみで通っている子が何人いるのか、大いに反省させられました。ほとんどの子が義務で通っているように思えてなりません。本当に学校に来るのが楽しかったら、「生徒が門で教員のことを待っている」状態になるはずだからです。


先生が海外へ行かれると、どんな時間でも塾生は先生の到着を空港で待っているといいます。それだけ、先生のご指導を楽しみしているということです。学校でそのような姿を見ることはまずありません。これでは、不登校や自殺は増えるに決まっています。

学校が楽しいと思われること、この先生に教わりたいと思われること、そうならないと不登校や自殺の問題は解決しません。その為に、私達がすることは1に勉強、2に勉強・・・しかありません。

その勉強についても、感じたことがあります。


先生の勉強の仕方は帰納法であり、最初に「できる」「できた」という事実から出発します。よって、勉強も事実を裏付ける方向になります。

一方、私達の勉強は演繹法です。「できる」為に頭に知識を詰め込みます。

先生の幾多の検証が示してくださるように、知識でできるようになることは100パーセントありません。

先生は私達に「できる」「できた」経験をたくさんさせてくださります。今回も数人が押してくる机を女性が止める、複数の人に抑えられても正座の状態から立ち上がってしまうといった、あり得ないようなことをたくさんやらせてくださりました。そのできることを出発点に勉強をしていかなければ、何も変わらないと感じました。


自転車の乗る為には、「こけることを繰り返すしかない」という先生のお話に納得はしていたものの、自分がやっていることはいつまでたっても「筋トレをしたり解説書を読んだりして」自転車に乗ろうとしていたことに気付かされました。

頭や知識ではなにも変わらない。悪化するだけだということを肝に銘じ、今後は取り組んでいきます。


先日、生徒の変容を感じたことがありました。

今年から高等部に入学してきたN君は中学校で不登校を経験し、学校や教師に対し強い不信感をもっています。入学してからも「早く帰らせろ」「死ね」「殺すぞ」といった暴言を吐き続けていました。

そんなN君が、ある日、他の生徒が廊下に垂らした弁当の汁をせっせと拭いてくれたことがありました。私は感動し、すかさず「ありがとう」と伝えました。凄く嬉しかったので、皆の前でもN君の行為を伝えました。すると次の日から私が廊下を拭いていると「手伝いましょうか?」と声を掛けてくれるようになりました。それだけでなく休み時間に書いた絵を「あげます」と持ってきてくれたりして、関係性が変わったことを感じます。


以前、先生から、靴を揃えていた子どもを心から褒めたら、ずっと靴を揃えるようになったということを聞いたことがあります。そのことが強く私の心に残っていました。私自身、何の打算もなくN君の行為に感謝できたのは、それがあったのだと思います。

子ども達はこちらの「心」を感じます。頭で考える方法よりも、真心を大切にして子ども達と接していきたいと思いました。


お話の中で過去、現在、未来についての説明がありましたが、以前とは違った感想をもちました。これまでは、現在の在り方が未来を決めるという理解でしたが、今は未来の目的を明確にもつことで、現在が変わってくるという風にも思うようになりました。

先生は、三世代先の幸せを念頭に置き行動されています。長期、中期、短期とそれぞれの時期に成すべきことを明確にされ、今やるべきことを実践されているように思います。次元は違いますが、私達も未来の目的を明確にすることで、現在がより充実してくるように感じました。


フランクルが伝えてくれるように、「戦後にパン屋を再開したい」「ピアノの演奏で人々を癒したい」等、生きる目的が明確だった人はアウシュビッツという過酷な収容所を生き延びて出てくることができました。一方、「生き延びる」こと自体が目的だった人は死んでしまったという事実があります。

未来の目的を明確にして、今を精一杯やっていきたいと思いました。

過密なスケジュールの中、ご指導いただき本当にありがとうございました。


 

【NF 50代 東京都 高校】

いつもご指導賜り誠にありがとうございます。

第4回関東教師塾のご指導を賜り誠に有難うございました。

物理的な世界と未知の世界からクリエイティブな実践を教育現場で必要とされていることを冒頭でご指導いただき、身体を通して検証を重ねていきました。

部分体の状態では居着いた状態になり、先生の気の空間に入ると守られている安心感と行動が先に出る統一体を体感いたしました。


子供がワクワクする楽しく明るい希望のある空間にするには、本日、心身を通して気づかせて頂いた大きい目に見えない力で空間を広げていくほかないと感じました。

私の勤める学校では、あまり良い環境とはいい辛い状況下にあり、何か良い改善策はないかと考えておりましたが、状況はあまり変わらず、それに伴い、私自身の心身の疲れは重なるばかりでした。ですが、小学校一年生の自閉症児からの願いを叶える事に端を発して明るい空間が広がるようになり、教職員の言動も穏やかに、そして、明るくなっているように感じることがありました。

その児童の願いとは、給食の際に食べたスイカの種を蒔いてお腹いっぱいスイカを食べたい。という事でした。


「Fさん、何とかして!」と通りすがりに頼まれましたので、育苗ポッドで一緒に種まき。トトロの発芽のシーンを思わせるように、そのクラスの子供たちは芽が出ますようにと、育苗ポッドの種に、毎日、話しかけていました。

すると、5日後には発芽。そして、1ヶ月を過ぎた現在は立派な苗に育って、感動の輪が広がっております。その子達との合言葉は、「スイカ元気?」「今日も大きくなったよ!」です。


これまでの教師塾で、

目に見えないものへ畏敬の念を有すること。

 無形から創造すること。

 楽しく明るく希望のある子供たちの未来を広げること。

 教師自体が勉強し変化成長すること。

等、実践を通してご指導いただいたことから、

子供たちの願いを受け止めることができ、共同作業を通して、私自身の心身が洗われたように思います。子供に教わる、気付かされるとは、このようなことだったのかと気付かされました。

 

行動先にありき。算段は何も生み出さない。しかし、真逆のことが罷り通っている社会だからこそ、宇城先生の御心を映し実践することが必要だと切に思います。

 

大きな力が私の実践を後押しして頂いていると感じる1週間でした。宇城先生の御心が守って頂いている、そして、正しい行動は、子どもや地球そのものが答えを導いてくれていると感じました。先生から身体を通して気のご指導いただいているからこそ感じることだと思います。

ありがとうございました。

子供達の未来のため、日々精進して参ります。

今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。



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