top of page

東京実践塾 感想文 2022年7月~ 2022年9月


 

■ N.T 会社役員 千葉


宇城先生、いつもご指導誠にありがとうございます。


 直近の実践塾ではありますが、先生から剣禅一如のお話がありました。人を殺傷する殺人剣から人を活かす活人剣への変化、戦国時代からの約260年続いた天下泰平へのパラダイムシフト、徳川家康から15代続いた将軍達は文化人でもあったとも聞きます。トップである将軍が和の心に重きを置いて庶民を引っ張っていったのではないかと想像しました。

 つまり殺人剣と活人剣は表裏一体ですが、剣を持つ人間によってどちらにも変わり得るものであり、先生が木刀や短刀を使っての検証で私達にお示しくださります。その木刀や短刀を握っている人間の心があって殺人にも活人にもなると言う事です。剣を使う技術だけ持ち合わせても無意味であり、また心だけを持ち合わせても剣は使えないと言う事です。良く耳にする心技体と言う言葉の意味においても、そのどれかだけが優れていても無駄であり、三つのバランスが全て揃って初めて物事が成せる、つまり統一体になると言う事だと思います。


 現代を戦国時代から天下泰平へ180度変化した時代に重ね合わせると、国民に信頼され、寄り添う心でトップに立っているリーダーは世界にどれだけいるのでしょうか。国民が言う事を聞かなければ苛立ち、我欲に任せた武力、暴力で治めようとする多くのリーダーたち。リーダーと言えるのでしょうか。これから世界はどうなっていってしまうのでしょうか、大変不安にもなりますが、私達の子供の世代、孫の世代の人達には寄り添う心を大切にし、幸せを感じ、希望が持てる未来になって欲しいと思います。


 ご指導頂いた稽古では、相手に片方の腕をつかまれて倒そうとしても倒せませんが、人差し指を出し蠟燭の炎を静かに吹く様に息を吐くと、簡単に腕を動かす事が出来、相手を倒すことが出来ました。相手の方も倒される直前に力が入らず、掴めなくなると感じたと話していただき、お互い感じた事を確認しながらの大変良い稽古をさせていただきました。他に息を下に吐きながらの検証、息をはっ、はっと身近く吐きながらの検証でも腕を動かすことが出来、ただ吸って吐く呼吸とは違う呼吸を実感いたしました。今無くして未来は有らずを心において精進していきたいと思います。


 今後ともご指導の程よろしくお願いいたします。

 

■ H.N 会社員 静岡


いつもご指導賜り、誠にありがとうございます。また、お忙しい中、感想文と

いう稽古のお時間までいただけること、重ねて感謝申し上げます。


 前回稽古の時、先生から「脳ではなく皆さんの身体と直接会話しているのだ」とご指導いただきました。その言葉がずっと頭から離れずにいます。自分の身体ではあるのですが、日常のあらゆる場面で脳が主体であり脳の命令で動くことに何ら違和感がなく従って声を発しない、発することができない状態にあります。命令に従うのが当たり前の身体があるということは、奴隷根性が板について更に深く、深く根を張っているということであり、恐ろしさを感じます。

 脳が自分勝手に作り出す小さな尺度、相対の価値観での好き嫌い、良し悪し等を基準として偽りの受容、調和からくる拒否、反発等から緊張、強張り、力みを強要されている身体があることは何と悲しいことかと思いますが、これも脳で考えてしまいます。

 身体、細胞が脳から解放され自由になる感覚は、先生の気によるご指導により覚えてはいます。覚えてはいますが再現することができません。脳の命令は強く身体を縛り付けています。毎日の型稽古も欠かさず行ってはいるものの気が付くと脳によるただの動作になっています。やはり先生がおっしゃる通り、全く何もわかっておらず、脳による解釈に支配され続けているのが現実です。

 ここから脱却するためには生き方そのもの、すべてを変えなければならない、けれども、その変え方がわからない。稽古を、日々の日常を「ただひたすらに」とやっているつもりでもつもりでやっている。「心あり」を常として生きているつもりでもやはりつもりで生きている自分に腹が立ちますし情けなくなります。ですが、それでも自分の中に先生がいてくださることで希望は消えず這いずってでも前へ進もうとする自分がいます。先生のおかげで諦めはなくなりました。


 できない自分と日々向き合いながら、試行錯誤しながらではありますが、自分を変えようと生きています。感想文を書くたびに同じことを思うのですが、先生の歩まれた道を自分も外れることなく歩んでいく所存です。


 今後もご指導の程、宜しくお願い致します。

 

■ H.O 自営業 東京


 毎回深い御指導頂きまして有難う御座います。

身体の絶対性という言葉を教えて頂いた時、全ての時代を超えて続いている普遍性のある真理だと感じました。

 人間が言葉で嘘をついたとしても、身体は嘘をつかない、細胞も嘘をつかない。身体は刻々と自分を活かし、周りを活かすためにいつでも調和して働いているはずです。そうでなければ一瞬ですら生命を存続させることができないはずです。

 実践塾では細胞レベルでエネルギーを通じて学ばせて頂く事で、言葉の次元では表現できない何かを身体で学ばせて頂いています。


 実践塾の後は、理論ではなく不思議と自然に心に余裕が生まれていて、弱い人や、例えば身体的に不自由な人などに自然に意識が行き、寄り添う気持ちが出てきます。エネルギーが溢れてくると自然に人と寄り添い、仲良くするという心が発動するのではないかと思いました。

 だからこそ一人稽古を通じて、自分のエネルギーを高めて本来持っていたはずの真心が自然に湧き出てくるような自分を作り上げていく必要があると思います。

 実践塾に入塾させて頂いてまもなくの時は、型の外形を意識するのに精一杯で型稽古をした後は身体的に疲れてしまうという事がありましたが、最近は疲れている時程、型稽古をするとエネルギーが湧いてきてすっきりする実感があります。

 エネルギーが湧いてくるというより、おそらく自分の我でエネルギーの通り道に蓋をしてしまっていて、型を通じて僅かながらでも蓋が開いて本来もらえるはずのエネルギーが循環し始めるからではないかと感じました。


 ある時、宇城先生の左側の道着の襟を両手で思いっきりつかませて頂きました。そして、その後ろに数人が腰をつかんで縦に並び動かないように押さえて頂きました。そして、右側の襟も同じように複数人でがっちりとつかんで固めた状態になりました。通常であれば複数人でがっちりつかまれた側は、全く動くことができませんが、宇城先生の場合は、一瞬で全員同時に崩してしまわれます。

 私は一番前でこの現象を体験させて頂いた時、先生が腕を動かされる数秒前に、すでに自分の中に入れられていて、腕を動かされる前に勝負がついているのが明確に実感できました。

 すでに自分の身体全身が硬直していて何も出来ない状態になっているのです。その状態になると、自分の意志で身体を動かすことができなくなっていますので、先生は、どのようにでも自由自在に動かすことができます。

 その時は、言葉では表現できない程のとんでもないエネルギーが渦巻いているのを感じます。高圧電流に感電すると身体が硬直しますが、種類は違うと思いますが同じように全く身動きが取れない状態になります。そして、その直後、自分の身体が密になり重く強く身体が変化しています。

 ある時は、私が一番前で後ろ側を複数人数でがっちり後ろから組んで押さえて頂き、前から相手一人が対峙した状態で、相手に押し込んでもらいました。当然、通常の常識的な力に頼った方法では、1対複数人では後ろに押し込むことはできません。

 ところが、相手一人と、私の間にある程度の距離をとり、しっくりくる「間」をとるようにすると、相手一人で複数人を押し込むことができるようになります。

ですが、このしっくりくる「間」を私が相手に伝えようとしますが、最初はっきりとは分かりませんでした。ぼんやりなんとなくという感覚でした。

 ですが、黒帯の先輩のみ私の後ろに大人数で組んで頂いた時は、不思議と相手とのしっくりくる「間」がクリアに見える体験をさせて頂きました。「見える」というより「感じる」という感覚に近いかもしれません。宇城先生は、いつも瞬時に相手を見抜き、明確に指導されます。まさにはっきりと相手の状態、今後の未来が見えていらっしゃるということを疑似体験させて頂きました。

 宇城先生は体験させて頂いたものよりおそらく何百倍以上もはっきりと感じて見えていらっしゃると思います。

 だからこそ、今のままでは未来はない、謙虚でなくてはならない、「どうやったらできますか?」と質問しているようでは永遠に変われない、ということを繰り返し教えてくださっています。なぜなら「今」という一瞬にすでに未来の答えが現れているからです。今、対立構造で生きているということは、未来においても対立から生じる結果しか生まれません。

 だからこそ、たった今、謙虚な心で、たった今、寄り添う心が出ている自分でいられているかどうかが大切です。そして、エネルギーがあれば、相手のことが見え、器が広がって、相手に寄り添う心や真心、感謝の心が自然にでてくる。これは決して頭で考えて寄り添ったり、感謝するのではなく、自然に無意識領域から湧き出てくる心であることを感じます。


 決して寄り添うエクササイズ、感謝するエクササイズではなく、自然に無意識に湧き出てくる心だと思います。目には見えないからこそ言語化することは至難の業ですが、実践塾で何度も体験させて頂く事で、とんでもないエネルギーが目の前に存在していることが明確に感じられます。

 宇城憲治先生は、相手との距離など関係なく一瞬で相手と調和し、相手が50人であろうが100人であろうが、むしろ人数が多ければ多いほど簡単に相手を調和の渦の中に入れてしまい、どうすることもできない状態にされます。

 そしてその渦の中にいる人全員がエネルギーに満たされ、その後、自らその調和を消さない限りは、統一体の状態で相手と調和でき容易に相手を投げたり、寄り添う心が自然に発動します。

 つまり私共は、常に自ら調和を崩し、孤立する方法しか細胞レベルで分かっていないという事です。今までの常識に捉われ、知識偏重で物事を判断してしまう癖からどうしても抜け出せていません。

 次元の違う何らかのエネルギーが存在している事は明らかです。私のようにどんなにエゴが強くても、一瞬で調和の世界に入ってしまえば、本来は自然にあったはずの真心が発動します。

 宇城先生から何度も何度もたくさんエネルギーを与え体験させてくださっているのに、全然成長しようとしない、心を開いて素直に向き合えない、エゴが取れない私をご覧になって歯がゆくて仕方がないと思います。


 決して先生に近づく事はできません。毎日先生とのエネルギーの差は開き先生は、はるか先を悠然と歩かれているのです。それでもそんな師にめぐり合わせて頂いたご縁に感謝して、ひたすら素直に一人稽古を通じて1ミリでも自分のエゴを取り、癖を取り、心を磨いていく事が大切です。

 はるか先を歩かれる先生の背中があるからこそ、希望を失わず、歩いて行く事ができます。普段小さく浅い思考をしている自分にまず気付ける事が何よりの宝となっています。宇城先生に出会わなければ、一生謙虚さに気が付くことはなかったと思います。器を広げる、気品、気位を持つ。頭で分かっているつもりでも実践にまでは落とし込めておりませんが、1ミリでも成長したいと思います。

 日本では地震が起こる事はすでに分かっています。原発もあります。「先」を取る事ができれば、今から何をしておくかが見えてきます。もし琵琶湖が汚染されてしまったら関西は全滅してしまいます。だからこそ「先」を取り、命に関わる大切な水を守れるような対策を今からすぐしておく。そんな深い思考とスピードある行動が必要です。


 日本の食料自給率は、30数%と言われており、国内のみの食料では2日程度ほどしか生き延びることができないと言われています。自分さえ良ければいいとい

う考えから、最低でも3世代先まで考えるような思考ができれば対策自体が変わってくるはずです。そのように言ってみても、言うのは簡単で、実際に自分が実生活で必要な行動ができているか?と言うと、全く出来ていません。

 行動ができるようになるためには、周りを巻き込んでいくような自信と、とんでもないエネルギーが根底に必要だと感じます。自分が変わる一人革命以外に方法はありません。そのような希望を宇城先生は空想ではなく、いつも実践を通じて明確に示してくださっています。


 答えは常に自分の中にあります。この日本に生まれて宇城先生とご縁を頂いた奇跡に胡坐をかかず、日々一瞬一瞬を大事にして、精進して参りたいと思います。

 実践塾と実践塾の間も、宇城憲治先生は私の心の中にいらっしゃり、毎日温かく厳しい御指導をしてくださっています。

 毎日謙虚さを失わない事、日々未熟であることを忘れない事、希望がある事、光を与えてくださり心から感謝しております。


 引き続き御指導、宜しくお願い致します。

 

■ T.K 自営業 神奈川


宇城先生、7月、8月の稽古並びに9月の稽古においては久しぶりの一日を通

しての稽古参加の再開をして頂きありがとうございました。朝に先生をお迎えして、稽古に参加し、お送りをして稽古を終える。という以前は当たり前だったことが久しぶりに出来て感慨深いものがありました。


 8月の午前参加の稽古を終えて帰宅した際に、以前より宇城先生の動画を観せていた息子より空手を習っている友達の話を聞きました。小学二年生となり周囲では段々と町道場に通う子が増えているようでした。いつかはどのような空手かを知るでしょうから、良い機会かなと思い競技空手の動画を幾つか観せました。

 恥ずかしながら昔に自分が所属していた流派の動画も観せ、派手なKOシーンに憧れを抱いたらどうしよう・・という不安もありましたが、動画を見た瞬間に息子が言った言葉は「先生の空手と違って順番めちゃくちゃだよ! なんで自分を守らないで叩きあってるの?」という的を得た感想に驚きました。子供には本物がちゃんと伝わっていることに感動したと同時に安堵感や不安感を抱いた自分が恥ずかしくなるという複雑な思いでしたが、息子の言った「順番」という言葉に考えさせられました。


 8月の稽古では、多人数の列に自分が体当たりをしましたが、多人数の列を前にした時点で衝突する自分を作ってしまっていることにご指摘を頂き、先生に衝突する感覚を抜いて頂かないと列を押すことは出来ませんでした。先生の技を体感し、観て、学ぶ機会をずっと得て来ましたが、それ以前に先生が大切にされていること、伝えたいことをすっ飛ばして学んでいたのではないか?うわべだけを見るという浅い学び方をしていたのではないか?そんな自省の念に駆られての帰宅でしたので、息子の言った「順番」という言葉に考えさせられた次第です。

 先生の仰る「武術を学ぶ資格がない」とは自分を知り、捨てるべき染み付いているものと向き合い、捨てる努力をして行かない限り学ぶ資格は得られないのだと思いました。


 9月の稽古では先生の脇の締めを体感させていただきました。上腕の後面が通常の筋肉の膨張とは違う膨張をしており、「動きを見せていることで使い方に気付かないかな~」と仰られ、あらためて自分達は気付く稽古をつけていただいているのだと、どこかで教えてもらおうとしているところがまだまだ残っていることに気付かされました。ホワイトボードに何度も同じことを書かれている先生の思いをまだまだ解っていませんでした。これもまた「順番」をはき違えて先生の動きをただ見ていただけなのです。

 また、ボードに鎌倉時代から現代にいたるまでの時系列を説明していただきました。月の満ち影のように様々な浮き沈みがありながらもその時代時代に文化、文明、技術革新があり今に至っていますが、やはり先生の仰るように平和な時代が続いた江戸時代とそのバックボーンとなった「剣禅一如」の理念と実践が平和の答えであると思います。丸い地球のどこかで起こっていることは必ずどこかに巡り巡って影響を及ぼします。グローバリゼーションが進む現代においてはその影響のスピードは昔とは比べ物にならないスピードとなっているように思います。


 となると目指すべきは対立から調和なのは明白です。先生は昔を愛しむのではなく、世界の課題に明白な答えを出しています。江戸時代はその理念の継承と実践をしている武士が多くいました。先生が忍耐を受け入れながらもなぜ、日本で指導を続けているのかを理解して稽古に臨みたく思います。ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

 

■ T.H 会社員 東京

 

宇城先生、いつもご指導ありがとうございます。

 

 この度の稽古では身体の絶対性という事を強く仰っており、どういうものか考えさせられました。普段相手と調和する事が難しい自分でも、正しい型に導いて頂いたり、気を通して頂く事で調和する事が出来ました。という事は調和出来る身体を戴けているがその能力を邪魔している何かが自分の中にあるという事です。

 自分なりに考えて、物事をあるがままに見ずに自分なりに単純化して理解しようとしたり、腕力としての強さへの執着が抜けていない事に気付かせて頂きました。その考えが自分の空手を今のレベルに留めているのだと思います。

 

 また、出来た後にすぐに出来なくなるのは頭で覚えているからとのご指摘がございました。実際に先生の導きで技が出来た後に一度安心して途切れてしまいました。たとえ出来ても違う相手、より厳しい条件などでも出来るかの検証が必要だと教えて頂きました。技に「これで良い」という事は無いという考えと繋がるのだと思いました。まさに深化していく事だと思いました。

 身体や思考の癖を無くして、相手の無力化や調和の度合いを深めて行く方向に稽古が向かっていかなければならないと感じました。「みんなの癖がとれて個性が出てどんな花を咲かせるかを見たい」と仰って頂いた暖かいお言葉を真摯に受け止め、もっと稽古しなければならないと思いました。相手に寄り添い、周りを気に掛ける心を空手で養いたいと思いました。

 

 この度のご指導を普段の稽古に活かして少しずつでも変わっていけるよう積み重ねていきたいです。ご指導、どうもありがとうございます。


Comentarios