東京実践塾 2020年1月~ 2020年7月 

●神奈川 会社員 M.N

 いつも大変素晴らしい実践塾の稽古に参加させて頂き、誠にありがとうござい ます。  実践塾の稽古を通し、またこの度発刊して頂いた「宇城空手」「型は美しく技 は心で」を拝読させて頂き、改めてたくさんの気づきを頂きました。10年以上 前、「武道の原点」を初めて読ませて頂いた時、宇城先生のご著書は他の武術家 や格闘家が書かれていた本とは全く違うと感じました。  筋力や知識を基礎として考えるスポーツ理論を根底から覆す、型、呼吸、瞬発 力、気の概念と、それらが全てひとつに集約し非可逆的にデジタルに成長してい く確立した稽古体系などを知り、本物の武術に巡り会えた事に大変感動致しまし た。  当時は宇城先生の伝えてくださる空手や教えを身につけるため、自分なりに懸 命に理解しようとし、理解しました。しかし、今振り返ると全て頭の知識で理解 していた事がよく分かります。当時の自分のレベルや稽古の積み重ねの浅さを思 えば、どう頑張っても頭で理解する事しかできなかったのは当然だったと思いま した。  宇城先生に初めてお会いし、実践塾に入塾させて頂いたのは私が18歳の時で した。現在は入塾した年齢のちょうど倍の36歳になりました。この度、「宇城 空手」「型は美しく技は心で」を読ませて頂き、本に書かれているひとつひとつ の内容が初めて目にする文章のように感じました。当然既刊されている宇城先生 のご著書の内容は頭に入っていて忘れていたわけではありません。  しかし、「宇城空手」「型は美しく技は心で」を読み進めていく過程で、本の 内容と、宇城先生の今まで話されてこられたお言葉、実践塾の稽古、自主稽古で の気づきなどが次々に繋がりました。本の各行、各章を読み終えるたびに、自分 の中で「なるほど」「そういう事か」「全然わかっていなかった」と何度も感嘆 致しました。  自分の18年間の稽古の中で少しずつ気づかせて頂いた、自分にとっての大発 見とも思える事柄全てが、18年前に拝読した宇城先生のご著書に核心的な言葉 で、理論的、体系的に書かれていました。過去の自分は何も分かっていなかった 事を知り、また、そう思っている現在の自分も何も分かっていないのだと思いま した。宇城先生の伝えてくださる教えや武術には限りない奥の深さがあり、一生 を通し真理に近づく事ができる道を自分が学ばせて頂いているのだと実感致しま した。  また、ある意味では、最初に頭で理解した事を忘れていたのはとても良かった のではないかと思いました。学び始めたときは何も分からない状態であり、頭で 理解する事しかできません。しかし、いつまでも頭で理解した延長線上で稽古を しても何も変わりません。宇城先生の仰る「言葉は補佐的なもので、口伝を体得 しないといけない」という言葉のとおりです。樽桶の法則のとおり、言葉や頭で 100理解しても、身体での理解が0であれば武術的な成長も0なのだと思いま す。しかし、身体での理解が1あれば、頭での100の理解の質は全く違ったも のになるのだと思いました。  頭で理解した事をなぜ忘れていたのかを改めて考えると、頭で理解していた事 が稽古において全く通用しなかったからだと思いました。そして、長い間、今は できなくても稽古を続けていればいずれ技ができると漠然と考えていたように思 います。しかし、1年ほど前から、このまま稽古を続けても一生技ができるよう にならない、根本的に自分がしている稽古は全て間違っているのではないかと考 えるようになりました。  また、仕事や実生活においても、今まで自分がやってきた事や価値観が全て無 駄だったように考え始め、自分の人生にとても絶望感を感じました。それからは、 後悔と現実逃避をしたくなる毎日が続きましたが、ある時、「自分は今まで何を してきたのだろうという自覚こそが変化であり成長である」という宇城先生のお 言葉を目にし、少しずつですが現実を直視していかなければいけないと思い直し ました。  実践塾の稽古において、今でも技ができませんが、自分の稽古における方向性 はかなり変わりました。また、仕事や実生活における考え方も変わり、今まで受 け入れられなかった価値観なども受け入れられるようになってきました。  これまで私は「絶望」という言葉は否定的な言葉で、「希望」という言葉は肯 定的な言葉だと思っていました。しかし、最近では絶望と希望は表裏一体で、挫 折するポイントと成長するポイントは同じであるように感じてきました。漠然と した中途半端な生き方や努力をしていると大きな挫折や絶望感は生まれません。  これまで積み上げた時間と労力が大きければ大きいほど、大きな挫折や絶望が 起きると思います。さらに、大きな挫折を体験しても、臭いものに蓋をして過去 の価値観を捨てる事ができなければ、結局は過去の価値観や栄光にしがみつき変 化できないと思います。反対に、傷口に自ら塩を塗るように現実を直視し、古い 価値観や望みを絶てれば、新しい希望を見出す事ができるように感じました。古 い殻を脱皮して捨てる事ができなかった蝉は死んでしまいます。まさに「守・破・ 離」の教えの通りだと思いました。  実践塾での稽古と「宇城空手」「型は美しく技は心で」を通し気づかせて頂い た事はとても書ききれませんが、共通して感じた大きな事は「我を無くす」「自 然」という事でした。宇城先生のご著書にあるように、「我」とは「競争、衝突、 筋力、意識」であり、これらを手放す事により、「自然」の力である「調和、呼 吸、瞬発力、無意識」などに少しずつ気づく事ができるのだと思いました。そし て、武術の型は自然に生まれる力を前提に生み出されていて、「競争、衝突、筋 力、意識」である現代スポーツにおいて型は不要、もしくは「競争、衝突、筋力、 意識」に適合するよう改変、形骸化されてしまうのは当然の事なのだと思いまし た。  自然という言葉を調べてみると、老子の「自然は、自ら然りと読み、万物があ るがままの姿で存在することが最も大切である」という言葉が出てきました。 宇城先生の仰る「人間は生まれながらに完成形」というお言葉のとおりだと思い ました。  以前の稽古において宇城先生は「相手の隙に勝手に手が動き攻撃が入る」と仰 られておりました。ご著書に記述のあった、山岡鉄舟の「自分のからだをすべて 敵にまかせてしまうのだ」や座波先生の「空手をやっている人の喧嘩は、自分が 先に動くんじゃない、相手の動きに合わせて動いとる」というお話も、我を無く し自然体で動ける技でなければ、本当の武術ではない事を教えてくださいました。  先日、台湾民主化を導いた李登輝元総統が亡くなられたニュースを見ました。 李登輝元総統は、日本人以上に日本人らしい方だと言われ、ご自身の原点のひと つが武士道から学んだ無私だと知りました。そして、昔の日本人を知っている台 湾の方から見ると、今の日本人から学ぶ事は少なくなってきていると感じる方が 増えているそうです。  改めて、昔の日本の歴史や時代を切り開いてきた先人の方々を振り返ると「我 を無くす」「自然」という事が共通していたように感じました。その時、かつて 西郷隆盛が山岡鉄舟を評した「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末 に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」という言葉 を思い出しました。この言葉は、幕末から現在にいたるまで、日本の内外を問わ ず活躍し、世界中から尊敬された日本人の共通する特徴なのではないかと思いま した。  反対に、今の日本の社会や政財界、庶民の多くが、金、地位、名誉などの欲や、 命の不安や恐怖により、間違った社会システムに隷属させられているように感じ ます。しかし逆に考えれば、金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人を隷属さ せる事はできないのだと思いました。かつての日本には、そのような始末に困る 人がたくさん居られたのだと思いました。  最近、NHKの「100分de名著 ブッダ 最期のことば」という動画で、原始 仏教について知る機会がありました。興味が湧いたので、中村元氏と佐々木閑氏 の本を何冊か読んでみました。私は、仏教に上座部仏教、大乗仏教、原始仏教な どの種類があることも知りませんでした。その中で「八正道」の概念を見た時、 空手の稽古と同じだと思いました。八正道の事は昔から知っていたのですが、正 しいという意味が漠然としていて、その時はピンときませんでした。  しかし、動画の中で、八正道の「正」の反対は「自我」とあり、すぐに実践塾 での稽古を思い出しました。宇城先生に気を流して頂いた時は、体が自然に動き 相手を倒すことができますが、我を出し力を入れた瞬間に調和が消え相手と衝突 します。八正道における「正」と「自我」の構造と、空手における「自然の力」 「我の力」の構造は同じなのだと思いました。動画では、自我を無くす行動の大 切さを言葉で説明するだけでしたが、実践塾の稽古を通し、自我の無い行動も、 頭でなく身体で行動できて初めて本当の意味で実生活に生かせるのだと思いまし た。  宇城先生がよく例に出される、人に席を譲る行為も、「頭で意識して席を譲る 行動」と「自然と無意識に席を譲っていた行動」では大きな差があり、後者の席 を譲る行動でなければ空手の技に繋がる身体にならないと思いました。  これまでの実践塾での稽古を通し、我を無くす事の大切さを気づかせて頂きま した。そして、我を無くした無私という観点でものを見ると、様々なものが一つ に統一されていくように感じました。無私の行動ができる人間が多くなればなる ほど、かつての日本人が世界で活躍したように、世界がより幸福で平和な時代に 近づいていくことができると思いました。  しかし、いざ自分が我の無い行動をしようと努めても、頭で我を無くそうとす る行為自体が我を強くしているように思いました。本当に我を捨てられた時の行 動は、無意識で自然な行動になっているはずであり、それは身体を通してでしか 身に付けることができないのだと思いました。  宇城先生の伝えてくださる武術や教えは、身体を通し私たちに我を捨てる事を 気づかせてくださいます。いまだに私はほとんどの行動を頭から考えて行ってい ます。空手の稽古だけでなく、仕事や実生活においても、頭でなく身体から行動 できるよう自分を変えていきたいと思います。

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