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2024年 東京実践塾 春季合宿 レポート


2024年4月27-28日の週末にかけて宇城憲治館長、榎本麻子師範、宇城拓治師範の指導により、【第41回 東京実践塾春季合宿】が千葉県で開催された。海外からシアトル支部、ニューヨーク支部からの参加もあり、総勢120名以上となった。


合宿開始にあたり宇城館長は、世界を取り巻く戦争の状態と、それに対し個人が持つ絆こそが重要であることを検証を通じて指導した。


宇城空手のニュートラル状態がもたらすエネルギー、表層意識ではない深層意識レベルで個々が繋がることでもたらすエネルギーこそが、権力者が最も望まないものであり、未来の世代に向けて希望をもたらすものであることを説いた。


稽古はグループに分かれて型・分解組手を行い、懇親会では宇城館長の指導、塾生同士の交流を通じ、館長の説く「二日間の稽古を通じ、よりエネルギーに満ちた状態で日常に生活に戻って欲しい」とのメッセージを参加者全員が体感できた合宿となった。


グループに分かれて型・分解組手の稽古を行う


集合写真



 

感想文

 

■Y.I 会社員 東京


宇城先生、榎本師範、拓治師範、東京実践塾の第四十一回春季合宿でのご指導ありがとうございました。年末に三段を頂いてから初の合宿となり、より先生から沢山のことを教えて頂き、大変すばらしいものとなりました。沢山のお話の中でも印象に残せたものを中心に感じたことを書かせていただきます。前半には、座学を通じその検証で感じたこと、後半は、班で別れて取り組んだ稽古についてとなります。

 

 宇城先生の座学の中では、現代武道・スポーツと武術の違いを明確に示し、深い洞察を与えていただきました。先生は、ウクライナとロシア、イスラエルとイラン、イスラエルとハマスなどの長期化している戦争を例に挙げ、和平への道を模索する以前に戦争を止めさせる必要性を説かれました。そのためには武術のエネルギーが必要だと述べ、根拠として、上泉信綱や柳生石舟斎などの無刀流の創設者たちが「戦わずして勝つ」ことを実践したことを説かれていました。

 

 同時に、先生は「先を取る」や「事の起こりを押さえる」という技および気のエネルギーには、相手の無意識に働きかけると説明がありました。そして気のエネルギーに関して、アインシュタインの相対性理論の公式 E=mc2と波動の式(フーリエ変換) E=hUと関連づけられていました。

 

 一方、現代武道・スポーツは試合という狭い世界で勝ち負けをつけることを主体としており、その結果、進化が停滞し、戦争を止める力がないと先生は指摘しました。スポーツの語源である「スポルト」は、古代ギリシャの貴族が奴隷同士を死ぬまで戦わせることから派生したものです。ゆえにスポーツも見聞きする報道は「すごさ」を中心にした作られた健全性であり、その本質は一般人がお金を払いやすくするためのビジネスであることを教えていただきました。

 

 これらの説明から、気のエネルギーを、相対性理論とフーリエ変換のそれぞれの式との共通点を説明でき、かつ、戦争を止める実践性を武術の中から見いだせているのは、世界でも宇城先生だけで、本当にすごいことを教わっていると思っています。

 

 また、スポーツ報道も、戦争に関わる国から出てくる報道を参照すると構造的にはプロパガンダに近しいと思います。スポーツに対して、マスコミから入ってくる情報には、益々私は関心がうすくなりました。一方で、各地で起きている戦争に関する報道への関心はより自分の中で高まっています。

 

 また、先生は自然の摂理として森の成長について説明しました。一本の木だけでは森にはならず、森の中の木々は根でつながり、助け合って成長します。人間の心が「根っこ」「葉」「枝」「幹」に当たり、寄り添う気持ちがあれば「森」を作れます。しかし、心がなければ木も森も枯れてしまい、砂漠化します。これはまさに戦争の象徴です。

 

 国家とは想像の共同体であり、歴史を動かすのは「国」ではなく常に「人」であるということを思い出しました。そして、戦争中の国家のトップに先生の気のエネルギーにぜひ触れて人間性を取り戻し、平和への道に切り替えてほしいと切に願います。

 

 これらが合宿中のメインテーマとしながら、気のエネルギーおよび無力化(ゼロ化とニュートラル化)に関して、思考だけにならないよう、身体を通した理解へ落とし込むため、沢山の体験を積ませていただきました。覚えていられないほど沢山あったのですが印象の残せた体験としては、次の5つの内容を挙げます。

 

1.木刀を三本まとめた所へ攻撃した結果

2.一センチでも前へ踏み出すことから得られるエネルギー

3.複数で先生を締め上げた結果

4.手や指を守る気のエネルギー

5.宇城先生を持ち上げた塾生に起きる現象

 

 1.木刀を三本まとめた所へ攻撃した結果

 Sさんが三本の木刀を束ねて胸に当てその上に打ち込む検証を行いました。その後ろには、十名ほどの塾生が縦に並んで支えていました。先生の指示に従い打ち込みとして、私は思い切って掌底と肘当てを行いました。しかし、打ち込んだ後の衝撃からくる痛みが強く、それ以上何かをする気にはなれませんでした。稽古の後、肘がずきずきと痛み、打った部分が青くなっていました。

 

 しかし、先生は掌底、肘当て、突きの一連の動作で、Sさんを含む十名ほどの塾生全員を一斉に後方へと押し退けました。さらに、私は先生から指示されて木刀の前に手を置き、先生の突きを手の平で受け止めました。その結果、私自身は痛さを感じませんでしたが、Sさんを始め十名ほど塾生たちは全員一斉に後退しました。同じ行為にも拘わらず激痛で顔をゆがめるだけ私と、先生は痛みも痒みも感じず後退させる力を出せることをふまえ、宇城空手の素晴らしさと深遠さを実感しました。

 

 2.一センチでも前へ踏み出すことから得られるエネルギー

 塾生の一人が四つん這いになり、その後ろにいる塾生がその人の帯を握りました。さらに、その握った塾生の後ろには三十名以上の塾生が並び、前方の人の帯を握りました。四つん這いになった塾生が前に進もうとしても、後ろの大勢がストッパーになっていたので進めませんでした。

 

 しかし、先生からの指示で、一センチ、あるいは二センチでも前に進むようにと言われました。その結果、四つん這いの塾生は少しずつ前に進み始め、後ろの塾生たちは徐々に前方へ引っ張られていきました。その勢いに後ろで帯を持っていた塾生全員はどうすることもできません。

 

 その後、四つん這いの塾生が立ち上がり、走り始めると、勢いが増幅し、三十名ほどの列の動きは、まるで龍を彷彿させます。走っている人の帯を掴んでいるだけでも大変ですが、中盤から後ろの塾生たちはそのエネルギーに耐えきれず、手を放してしまう人もいました。

 

 先生によりそのエネルギーが鎮められた後に交代となりました。私も新しい列に加わりました。四つん這いの塾生が前に進むにつれて、前方へ引っ張られる力が増し、帯を掴んでいることがやっとでした。その後、四つん這いの塾生が立ち上がり、走り始めると、私はそのエネルギーに対して何もできず、前にいる人の帯を放さないようにすることで精いっぱいとなり、あとは走らざるをえません。

 

 前回と同じく先生に鎮められた後、次の人たちと交代した時には、私は汗だくで呼吸も上がっていましたが、先生からこの列に参加していた塾生へエネルギーが注入されていたことを教えていただきました。列に未参加だった塾生に掴ませた後、その塾生を投げれました。

 

 この検証に参加したことで、結果を恐れて大きな一歩を踏み出すことに怯えるよりも、先生がおっしゃった通り、一センチでも二センチでも前に進むことが大切だと実感しました。それが身体からエネルギーを出し続ける要素で、日々少しずつでも前に進むことがいかに大切であるかを学びました。

 

 3.複数で先生を締め上げた結果

 パイプ椅子に座った先生に対し、私を含む四名の塾生が先生の襟を両手で握り全力で締め上げようと試みました。しかし、先生はニコニコした表情のままで、私たちは力を入れているのに、先生には締めが効かないようでした。先生からはもっと締め上げろと指示されるので、ここぞとばかりに力を入れ続けると、私たちの下半身が沈み始め、私も含め四名の塾生は自分たちの意志とは関係なくしゃがみ込ながら後ろに倒れてしまいました。

 

 先生の気のエネルギーに触れているにも拘わらず、筋力的な力をより出してしまったことにより石のように固められてしまったのだと認識しました。次に先生の指示で拓司師範が先生と交代となり椅子に座りました。さすがの師範でも、四名による締め上げで壁へ押し付けられてしまいました。また師範から先生へ交代すると上述の状態を再現されました。

 

 気のエネルギーと無力化を同時に体験し、自分の意志ではどうにもならない状況になりました。塾生の数を四名以上に増やしても、結果的には全員が後方に投げ飛ばされてしまいました。

 

 4.手や指を守る気のエネルギー

 先生が片手でピースサインを作り、人差し指と中指を開閉した後、生徒がその間にクリアフォルダを挟みました。しかし、そのフォルダを取ろうとしても取れずまた、先生の閉じた指を両手で広げようとしても全くダメでした。先生はそのまま閉じた指の先端で、塾生の胸に差し込むと、痛みに耐えきれず突かれた塾生は後方へ倒れこみました。「これが本当の貫手だ。指立て伏せや砂利を突いて鍛えた貫手は役に立たない」と先生はおっしゃっていました。

 

 それらを見たあと、私達は同じことをしました。私はAさんとペアになり、自分で人差し指と中指を閉じて力を入れてみました。しかし、Aさんは簡単に私の指を分離できました。また、Aさんの胸を突いても何の影響もありませんでした。しかし、先生から気を通してもらうと、自分の番では指が離れなくなり、Aさんの力をもってしても離せませんでした。そのまま、Aさんの胸を突くと、彼は非常に痛がりました。

 

 それからAさんの手刀を両手で挟みました。私が力を込めても、Aさんは簡単に手を抜きました。逆に、私の手刀をAさんが挟んでも、同様に簡単に抜けました。しかし、気のエネルギーを通してもらうと、軽く合掌しているだけなのに、手を抜けず、力が吸い取られているような感じがしました。気のエネルギーがかかっている間は守られている状態であると同時に心身共に強さが増し、さらに、攻撃しようという意志がでてこない故に、目に映っているはずの受け手側ですら感知が全くできなくなるのだと思いました。

 

 5.宇城先生を持ち上げた塾生に起きる現象

 六人がかりで先生および塾生一人を持ち上げたことは当たり前の事象ですが、驚くべきは、持ち上げられたまま先生が気を流した後の状況です。先生の重さに耐えられなくなった六人全員が床に転がってしまったのです。これは、この気のエネルギーが来る一つの事象であり、重さを出すだけでなく一人でも大勢でも関係なく、無力化できます。相対性理論の公式 E=mc2からすると、重さが増したことで物質が変化しただけなく、c2が表す光の速度なので、光の速度に相当する何か(先を取れている状態)に触れると人間は無力化されるのかもしれないと思いました。

 

 以上が、気のエネルギーと無力化からテーマに沿った検証稽古の内容で印象を残せた内容になります。

 

 最後に、班分けで行った稽古の感想について書きます。稽古では、HさんとKさんのチームに参加し、五つの型とクーサンクー、パッサイを中心にした分解組手に取り組みました。その際、周回されていた先生が私たちのチームに立ち寄り、パッサイの支え腕受けからの投げを直接見せてくださいました。

 

 先生は支え腕受けの技をかけながら、「(攻撃側の突きに対して)自分の腕をベアリングのように回す」とアドバイスをくれました。先生がスローモーションで支え腕受けされたので注目すると、相手の腕に触れるか触れないかの微妙な間隔を保ちつつ、右の前腕を非常に丁寧に滑らせて回転していることがわかりました。その結果、塾生の突きをした右腕が柔らかくなり、体も自然に曲がり、気がついた時には投げられていたように見えました。先生の支え腕受けからの投げは他の技と同様に、塾生とは全く別次元でした。これらの経験から、型や分解組手が、少しでも先生のレベルに近づくことの重要性を改めて感じました。

 

 先生の技の解説以外では、クーサンクーの分解組手において、大きな課題が二つ見つかりました。「掛け取り蹴り」と「諸手腕受け諸手突き」です。前者では、攻撃側への蹴り上げる欲求が強すぎて、上下に揺れが生じ、蹴りを出す際に反りが入り姿勢が崩れるという問題がありました。後者では、諸手腕受けの後の腰を落とす動作に意識が集中しすぎて、突きを出す際に、姿勢が前のめりになるという問題がありました。どちらの問題も、欲求が強すぎて、技の丁寧さが欠けていました。

 

 その後、二人組で回転をしているところに先生から気のエネルギーを注入していただくと、その変化は明らかでした。思考を手放し、技が自然に連続して出るようになりました。筋力に頼らず、姿勢を保ちつつ、型の動きを丁寧に出すことを意識しました。その結果、二人組の稽古が終わるまでの間、気が入った状態を維持できました。これは、宇城空手の理念である「事理一致」なのだと思いました。この経験は、私たちが日々の練習で何を意識すべきか、そしてどのように自己を高めていくべきかを教えてくれていると思いました。

 

 木剣も含む基本と型、分解組手に関して、できないことばかりで一センチすら前進することもままならない私ですが、一センチという一歩がダメでも、一ミリという一歩でもエネルギーが出ることを忘れずに、それを持続できるよう日々一人稽古に取り組んでいく所存です。そして三段の何に恥じぬよう一人革命を胸に刻みながら日常生活の中で実践していきます。今後ともご指導並びにご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。


 

■M.N 会社員 神奈川


宇城先生。

 

 この度も大変素晴らしい稽古合宿に参加させていただき誠にありがとうございました。

 

 二日間の合宿において、私たちの常識を遥かに超えた様々な検証を体験させていただき圧倒的スケールのお話を数多く聞かせていただきました。そして、宇城先生の本物の武術組手を間近に拝見させていただき、合宿に参加させていただいている自分の幸運を改めて感じました。

 

 宇城先生の検証とお話を踏まえ、榎本師範からご指導をいただいたグループごとの稽古では、自分一人ではとうてい気づけないたくさんの深い気付きをいただきました。

 

 いつも感じさせていただくことですが、実践塾の稽古合宿は、回を重ねる度に、学びと仲間との絆がどんどん深まっていきます。武術の枠にとうてい収まらないとてつもない体験とお話しを経験し、仲間と切磋琢磨し稽古できる素晴らしい環境を与えて下さる宇城先生に改めて感謝申し上げます。

 

 合宿を終え普段の生活に戻り、周りの人や環境と接する度に、「宇城空手は他と全く違う。本当に凄い。」と、合宿での体験や感覚を何度も思い出しました。宇城空手に感じさせていただく、違いや凄さを言葉で表現することは容易ではありませんが、あらゆるものと明確に次元が違うと心の底から感じます。

 

 その中で、先日、夜中にパッと感じたことがありました。それは、「スポーツなどの現代人の思考や行動は0.5秒以上に働きかけるが、宇城空手は0.5秒以下に働きかける」ということでした。このことは、ベンジャミン・リベット氏の実験を例に、宇城先生から何度も聞かせていただいていたことでしたが、初めて自分なりに腑に落ちるところがありました。

 

 合宿において「5%以下の意識と95%の無意識、深層意識」のお話がありました。0.5秒以上の世界は意識領域、0.5秒以下の世界は無意識、深層意識領域なのだと思いました。

 

 筋力トレーニングは意識領域を強化する代表例です。スポーツにおけるスピードの概念も、0.5秒にいかに近づけるのかをトレーニングしているのだと思いました。一方、本物の武術の稽古は、始めから0.5秒以下の世界の中にあり、さらにその奥の深さを追求していくものです。

 

 自分が合宿後に感じていた宇城空手の他との次元の違いは、スポーツの0.5秒以上の世界と、武術の0.5秒以下の世界の違いであり、スポーツと武術では、努力している領域が全く違うのだと思いました。0.5秒以上のスポーツの世界でいくら努力しても、0.5秒の壁を超えることは不可能であり、むしろ0.5秒以上のトレーニングは結果的に0.5秒の壁を強化するのだと思いました。

 

 スポーツ的な意識領域の努力の先に、武術の無意識、深層意識領域があるのではなく、始めから出発点が全く違うのだと思いました。宇城先生の仰る「量から質ではなく、最初から質」というお言葉のとおりです。 0.5秒以下の無意識、深層意識の中にあるのが、宇城先生の伝えて下さる「気」や「心」の世界です。

 

 「本来、日本人は気や心を最も大切にしていた」と、宇城先生が合宿でお話しされておりました。無意識、深層意識の中にこそ、人や世の中など、全てを変えていく力があることを、昔の日本人は気づいていたのだと思いました。そして、気づいていただけではなく、その実体が確かにあったことを稽古を通し改めて実感しました。「「気」や「心」がつく言葉が日本語にたくさん残されているのは、その実体が昔の日本にあったから」という宇城先生のお言葉が何よりの証拠です。

 

 アーノルド・J・トインビー博士の民族滅亡の三原則のひとつに「すべての価値をお金や物質で捉え、心の価値を見失った民族は滅びる」があります。かつての日本の歴史のレベルの高さと、今の日本の衰退を見ると、たしかにそのとおりであると思いました。今の日本には「気」や「心」の実体は消滅してしまい、言葉だけが残っているように感じました。言葉として「気」や「心」が残っていても、これらは「感情」「欲」「思考」「脳」などと全てが混同されてしまっています。

 

 日本の衰退が止まらない今、「大和魂」「侍魂」の復活を唱える方が多くなってきたように感じますが、もう一度「心の価値」を取り戻そうとしてもそれは不可能であり、全く実現できていないのが現実です。それは、「気」や「心」が無意識、深層意識の中にあるため、顕在意識でしか思考のできなくなった私たちが「気」や「心」と言っても、5%以下の精神論などでしか処理できないからだと思いました。

 

 しかし、通常では絶対に不可能である、5%の世界から95%の世界に入れる唯一の方法があります。それは、95%の世界を体現されている「師」につくことです。そのことを合宿での稽古を通し深く認識しました。顕在意識でしか考えられない人がいくら努力しても、自分が認識できない領域に到達することは不可能です。

 

 気」と「心」の中にある、本物の武術修行のスタート地点が、本物の師匠との出会いなのだと思いました。しかし、たとえスタート地点に立てても、そこから前に進むのは容易ではありません。これまでの自分の稽古を振り返ってみても、前に進むどころか何度も後ろに下がってきた自分の過去を感じます。

 

 しかし、「師」は、弟子が後ろへ下がったり、本質から外れる度に、深い愛情と忍耐力で再びスタート地点に戻して下さいます。合宿での稽古を思い返してみても、宇城先生の様々なお話、検証、型稽古、日常のあり方、行動を通し、私たちが95%の世界に気づくためにあらゆる方法で導いて下さっていたことを改めて感じました。

 

 大村先生のご著書にあったアインシュタインの言葉である、「日本の高い精神性が世界を救う」は本当にそのとおりであると感じました。しかし、この度の稽古合宿を通し、日本の高い精神性は、単なる精神論ではなく、実体が備わってこそ初めて現実に活かせるものなのだと思いました。

 

 そして、実体の備わった「事理一致」の日本精神を唯一学ぶことができるのが宇城空手なのだと強く感じました。


 

■K.H 自営業 東京


宇城先生

 

 このたびは東京合宿に参加する機会をいただき誠にありがとうございました。

 

 先生と寝食を共にし、普段聞けないようなお話を聞くことができる機会を得ると言う事は貴重な経験です。今回も、高い次元のご指導と懇親会での貴重なお話を伺うことができ、学びの多い時間を過ごすことができました。

 

 稽古では拓治師範の指導補助ということで師範のご指導の様子やどのようなポイントを指摘されるのかなど数多く勉強になりました。

 

 同じ塾生の方を自分の指導と師範が指導した場合、さらには先生が巡っていらしてその方を指導された場合の、その指導の深さと的確さ、次元の違いを体験し自分は全く勉強が足りず理解していないと深く感じた次第です。

 

 また、自分が口にする塾生の方々へのアドバイスの全てが我が身への「果たして自分は自分が言うようにできているのか」という問いかけと確認の連続です。普段のひとり稽古では無意識にながしている部分をきめ細かく確認できたことはとても学びとなりました。

 

 そして師範と並んで型をおこなうことができたこともとても貴重な経験でした。師範の型に合わせることを心がけることで自分の型の瞬発の無さと繋ぎ部分の雑さを理解できました。

 

 分解組手ではその先に自由組手を見据え実際に「使える」技であることへ繋がる過程を踏んでいるかということがいかに大切かを知ることができました。師範の組手指導を間近で拝見することが自分の遅さや勢いの無さを自覚することへと繋がりました。拓治師範の補助をすることでこうしたことを少しでも多く学びなさいという先生のお心に改めて感謝いたします。

 

 今回の稽古と先生のご指導、そして先生との組手を体験、拝見して組手は瞬発、勢い、気迫が絶対に必要であると改めて感じました。それはエネルギーの発動であり、突っ込んでいるのと違います。突っ込む事は早く当てようと言う我欲と恐れの表れであります。その瞬発は武術としての理合を含んだ正しい稽古からしか生まれずそれを可能とするのは宇城空手のみと確信しております。

 

 今回の合宿稽古前に机を複数人に持たせてら容赦なく突っ込ませ、先生がそれを止めるという検証を見せてくださいました。以前の稽古で私は実際に机を持たせて頂きましたが先生に向かって突っ込む間もなく身体が凍りつき動けないばかりか離そうにも机から手が離れませんでした。

 

 先生曰く手が離れないのは無意識のうちに恐れがあるからだと。この経験から今の自分は日常で何を恐れているのだろうかと我が心に問いかけてみました。

 

 自分が何に恐れているのか、無意識に恐れているものは何かと言うことを自分で自身を見つめ直して、それを正面から受け止めることが、自分のこれからの人生にとっても大切なことだと思います。

 

 そして身体の癖を直すのは宇城空手の型でしか直せません。しかもただ無目的に回数を繰り返しても、そこに進化、深化はなく先生がおっしゃるように常に工夫が絶対に必要だと感じます。次におこなう型が今おこなった形よりも、少しでも変化し深化していく、その繰り返しであるように心掛け、工夫して稽古を続けたいと思います。

 

 そして合宿後の懇親会への道すがら榎本師範にお話しを伺った時、「交差立ちの稽古を納得がいかないので繰り返したことで身体を痛めた。しかしそのおかげで先生から指導を受けることができた」ということをお聞きして自分の稽古がいかになまぬるいかを改めて知りました。

 

 たとえ身体を痛めたとしても、とことん稽古をつきつめるぐらいでないと宇城空手を身につけることはできず、先生のご指導一つはそれぐらい貴重で価値のあるものだということを師範の言葉から気付かせて頂きました。

 

 自分は、先生のご指導を受けるだけの真剣さを持って稽古に臨んでいるか、と師範に問いかけられているようで、それを思い身の引き締まる思いでした。

 

 機会あるごとに人生を導いて頂ける宇城先生という稀有な師匠を持つことができたことへの感謝致します。そしてそのことを忘れることなく生涯を通して宇城空手を続ける所存でございますので引き続きのご指導をよろしくお願い申し上げます。

 

 ありがとうございました。


 

■T.T 自営業 福島

 

 この度も春季合宿を開催頂きご指導を賜りまして、誠にありがとうございました。

 

 二日間に渡る宇城先生のご指導の下、先輩方や塾生の仲間、久しぶりに会う他支部や海外からの仲間と一緒に汗を流しお酒を酌み交わし、途切れの無い時間の中でたくさんのエネルギーを注いで頂きました。こうしていつもたくさんのエネルギーを注いで頂くことで、日々の人生を歩めているものと思います。心より感謝申し上げます。

 

 今回、初日の稽古が始まる前に、拓治師範からたくさんの技を体感させて頂きました。拓治師範にお会いするのは数ヶ月に一度ですが、いつもお会いする度に益々進化されていることを感じます。師範に突いてくるように言われ、今の自分の精一杯の思いで突かせて頂きましたが、自分の突き終わりを感じるよりも前に、自分には知覚できない程の速さと勢いで入られ、無力化され投げられてしまいました。

 

 また、師範が左右に掲げた両腕を複数人で掴ませて頂きましたが、師範が姿勢を整え呼吸を通されると、しっかりと手ごたえを感じていたはずの両腕の掴みどころが無くなり、目に見えないエネルギーで制され、こちらが勝手に沈み崩されてしまいました。そして、拓治師範に技をかけて頂いたことで、自分の身体が目を覚ますような感覚があり、それだけのエネルギーを与えて頂いたのだと感じました。

 

 いつも宇城先生からたくさんの技を通して体感させて頂いておりますが、宇城空手の技は自分自身を守れるだけでなく、自分に刃を向け攻撃してきた相手さえも活かしてしまう活人剣です。つまり、そこにあるのは無から有を生み出す創造のエネルギーだと思います。そして、そのエネルギーがどこまでも伝播することも何度も体感させて頂いております。自分を守り、相手も守り、周りの人も守る。

 

 それも具体的な攻撃からだけではなく、コロナ禍で示して頂いたように病気や事故からも守って頂けるエネルギーです。このような莫大なエネルギーを生み出す宇城空手を学ぶ意義を、次の検証を通して諭して頂いたように感じました。

 

 稽古の初めに体感させて頂いた机を使った検証です。机を複数人で持ちカウントに合わせて先生に向かって突き出すというもので、自分も先頭で机を持たせて頂きました。塾生の「ワン、ツー、スリー」のカウントに合わせて精一杯の勢いで突き出しましたが、突き出そうとした瞬間、先生に入られると身体が止まり頭の命令が一切効かず、全く身動きが取れなくなってしまいました。

 

 そして、先生からは「これが今の日本の姿だ。進むこともできないが手を緩めることも出来ない。それは手を緩めたら下がって崩れてしまうから。その不安と怯えがあるから緩めることもできない。」ということを教えて頂きました。日本の現状という広く大きな視点を、机での検証という自分たちに見える視点に落とし込んで、しかも身体で体感させて頂きました。

 

 少々話が逸れますが、先日アフリカの子供たちが有名歌手の曲とダンスをコミカルに踊っている動画をネットで見ました。映っている子供たちの服装や周りの建物などの風景から、経済的には貧しいであろうことが想像されましたが、踊っている子供たちの表情に悲壮感は一切無く、溢れる笑顔でダンスを楽しんでおり、一言で言えば幸せに見えました。一方で、着る服も家も食べ物も、物質的には恵まれているはずの日本ですが、以前塾講師をしていた際、笑顔が無く覇気の無い表情の子供を見ることも少なくありませんでした。

 

 この机での検証を通して、欺瞞と虚構に満ちた今の日本、全てが後手に周り時間が止まってしまっている日本、その中で無意識の中に不安と怯えと依存を抱え身動きが出来なくなっている私たち、そのエネルギーを失った大人たちの背中を見て育つ国の宝であるはずの子供たちの現状、そういった様々なことを見せて頂いたように感じました。

 

 合宿の冒頭、講話の中で、なんのために宇城空手をやるのかとの問いかけがありました。今までも幾度となく先生や師範から問いかけられたことですが、その度に自分の中で出てくる答えにどこか納得できない、何か足りないような思いがありました。この先もその自分への問いかけは続いていくものと思いますが、宇城空手には、先の机の検証で教えて頂いた山積する諸問題に対する答えが、全て包含されているのだと思います。

 

 その根底にあるのは、寄り添う心であり絆のエネルギーだと思いますが、それも頭や精神論ではなく、具体的に身体を通して身に付けることができる道が宇城空手ではないかと感じました。欺瞞と虚構、矛盾に満ちた世の中に対する憂いと怒り、その中で洗脳されてしまった私たちへの愛情と激励、そういった先生の思いの結晶が宇城空手だと思います。

 

 自分自身の進歩成長のためだけではなく、身近な周りの人たちや次の世代、未来のためにも、今ご指導頂いている自分たちが今以上に精進しなければならないのだと改めて感じました。

 

 この度も貴重な合宿という場でご指導頂きまして、誠にありがとうございました。今後ともご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


 

■K.S 会社員 神奈川


 宇城先生、この度は合宿を開催いただき、参加させていただきありがとうございました。回を重ねるごとに内容の濃さと学びの深さを感じ、今回も2日間があっという間に終わりました。

 

 冒頭には先生から「型でニュートラルを、分解組手でゼロ化を」とのお話がありました。無力化等の言葉であればどうしても私たちの先入観が入ってしまうためあえてカタカナを使われていることも教わりました。ニュートラル、ゼロ化という技術。「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。踏み込みいればここは極楽なり」深層意識の怖さは意識では絶対に解くことができない。いくら頭で命令しても同じこと。身体に「できる」があれば自然と怖さは消えていく。それが技術だと、先生から教わりました。

 

 調和の世界の絶対条件でもあるニュートラルとゼロ化。日常でも仕事でも国同士でも調和の世界が広がればどれほど素晴らしい世界になるのだろうと考えずにはいられません。調和(平和)の世界を導くのは日本しかない。そのことはアインシュタインの言葉からも感じます。そしてその最高峰におられるのが先生であり宇城空手であり、その教えを乞うていると考えるとさらに身が引き締まる思いであります。

 

 人生をかけてニュートラル、ゼロ化を学ぶ。そしてそのことを様々な日常で実践し深め広げていく。今回の合宿ではそのことをより強くより明確に感じました。

 

 拓治師範から合宿稽古前にご指導いただきました。すべてを受け入れる。その前に「入る」があれば受け入れることができる。言葉だけではなく実践を交えて教えていただきましたので、より理解が深まり今でも身体に残っています。

 

 またグループに分かれての稽古では組手で、Iさんに指導いただきました。分解組手では何度となく入れていないことをご指摘いただきました。ニュートラルがあれば「入る」ことができる。組手で「入る」ことができなければゼロ化に繋がることはない。そのように感じました。

 

 分解組手を行っている時に、先生からパッサイの回し取りをご指導いただきました。先生に突いた腕を取られた際、折れるのではないかと思うほどの身体の強さでした。私が行ったときは肩が前に出ているとご指導いただきました。まだ意識が働き、身体の癖として残っていますので、何度やってもうまくいきませんでしたが、今後の一人稽古において大きなヒントをいただいたように思います。

 

 合宿後の一人稽古の型では今までにないほどのヒントを得たように、見違えるような感覚を得たと感じています。またその後の先生の背中をつまもうとしてもつまむことができなかった感覚は鮮明に残っています。型で鍛えるとそのような身体になると先生は仰っていました。教えていただいた回し取りからくる脇の締まりが先生の背中の状態になる一つのヒントではないかとも感じました。

 

 懇親会ではFさんと日本の農業の未来について、Kさんとは道塾の今後と未来について語り合うことができました。3次会では榎本師範とお酒を飲むことができ、たくさんのエネルギーをいただきました。榎本師範のいつまでも明るいエネルギーに今回も感動を覚え、多くの学びをいただきました。

 

 夜遅くまでこんなにたくさんのエネルギーをいただく酒席は他では経験がありません。それほど多くのエネルギーで満たされているのだと思い、参加できることに大変感謝しております。

 

 また合宿後の懇親会にも初めて参加させていただきましたが、美味しい料理とお酒に加え、何より先生のお話を伺う機会に恵まれ大変ありがたい限りです。

 

 合宿に参加できることは当たり前ではないと思いながらも、合宿があるおかげで日頃の稽古の励みにもなります。毎月の実践塾にも繋がっているように感じます。

 

 この合宿で学んだことをさらなる進歩・成長に繋げて参ります。

  この度は合宿でのご指導ありがとうございました。

 

 

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