第4回淡路黒帯合宿が開催されました

2021年8月28日、29日の二日間、創心館総本部道場にて第4回淡路黒帯合宿が行われた。 宇城憲治塾長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、各支部から黒帯の塾生が参加した。 「型」の深淵なる稽古、「真剣」を使っての稽古、さらには「礼に始まり礼に終わる」所作と「残心」の稽古、距離を離れた遠隔操作での実践まで、淡路本部道場ならではのレベルの高い稽古が行なわれ、宇城塾長から大きなエネルギーを受けることができた素晴らしい合宿となった。


第4回黒帯淡路合宿 集合写真
第4回淡路黒帯合宿 集合写真

創心館 淡路総本部道場

創心館 淡路総本部道場
創心館 淡路総本部道場

参加者感想文

■神奈川 会社員 N.S


宇城先生、この度は創心館本部道場での素晴らしい合宿に参加させて頂き誠にありがとうございました。


 初日は12時から17時までの5時間の稽古から始まり、懇親会、二次会、二日目の稽古と気づけば帰りの電車のなかといった具合にあっという間の二日間でした。それでいて一瞬一瞬が大変重厚で緊張感があり、濃密な時間を過ごさせていただきました。いつもの日常では決して経験することのできない、時間の流れ方や質がまるで違う特別な時間を体験させて頂きました。


 今回の合宿を通しまして、今のなかに未来が含まれていること、先を取ること、未来から今を見ること、などを今まで以上に深く学ばせていただいたように思います。


 稽古では、間(時間空間)、ゼロ化を具体的にご指導いただきました。今回、とくに「間」が私達に色々なことを教えてくれていることを感じました。目には見えませんが身体を通しての感知の世界でこの「間」というものが実際に行動へ移す前に、すでに「できる」、「できない」を教えてくれます。


 合宿冒頭に、うつ伏せで床に寝そべった人の背中に足をかけて乗る検証を行いました。通常、床に寝そべった相手の背中に乗ると乗られた側は息が詰まり苦しみます。しかし先生に気を通していただくと背中に乗っても何ともない状態へと変化しました。息が詰まることも苦しくなることもありません。


 次に仰向けに寝て胸のあたりに相手の足が来ている状態をとりました。立っている人は、寝ている人の胸に足は踏み付けず浮かせて乗せている状態です。寝ている人の身体には触れてもいないのに相手の気持ちはザワザワし嫌な気分となります。


 しかし先生に気を通してもらうと先程までのザワザワした嫌な気持ちが瞬時に消えました。その状態では、実際に乗っても強いですし、行動に移す前に身体は未来を予測し、実際に身体が感じた通りの結果となりました。気持ちがザワザワして嫌な感じがする時は実際に乗られたら痛いですし、先生の気が入った時は自然と怖さは消えるので実際に乗られても何ともありません。この違いは一体何なのか。


 私達は、目には見えないけれども電波を発しており、その電波が無意識に相手へと伝わります。間を通して目には見えないですが色々なやり取りがそこで行われているかのように自分が創り出している間によって事を起こす前に、すでに答えが出ていました。信頼があるか、ないかも身体はわかっており、そこに誤魔化しは通用しないことを実証を通して先生よりご指導いただきました。


 また、セイサンの分解組手を行った際に、攻撃側の突きを止めることができないでいました。それは「間」が全くできていないことを先生からご指摘いただきました。私達は分解組み手の際、目がキョロキョロと全く定まっておらず、それでは間はつくれない。


 分解組手から型に戻り、目の高さの一点を見たらそこから目を離してはいけないとご指導頂きました。それでも私達の見方は、目だけに居着いており、全細胞が応援してくれるような見方にはなっておらず、その後に先生の気を通して一点を見るという体験をさせて頂きました。一点を見てから、分解組手で相手に向き合うと従来の時より断然相手に入りやすいことも体感致しました。


 ナイファンチンの型でも、単に首を横に振り向いた時には間をつくれておらず、隙だらけとなっている。その時に、攻撃されたらボカっと拳を食らってしまいます。正面を向いてパッと一点を見てナイファンチンを構えている状態でもすでに首を横に向けることが準備できてないといけない。動作はその後。


 そういった動作と従来の動きを繰り返し行った事によって自身がいかに無駄な動きが多いか、間がつくれていないのに好き勝手動いていたかを感じていきました。無駄な動きが多い、隙だらけの動き(頭の命令の動き)は武術の世界では、とても危険な行為であるにも関わらず、その事にすら気づいていない自分がおりました。裏を返すとそれは己の身体との会話が全く出来ていない証拠でもあると痛感致しました。


 また二日目に、先生が日本刀の凄さを見せてくださいました。緊張感ある稽古が、なお一層緊張感を増して多少の水が入ったペットボトルを先生が刀で斬りました。先生は、切れたペットボトルをさらに斬っていきましたが、通常の人がおこなえば叩く形となり、ペットボトルに刀が弾かれてしまいます。しかし先生は、小さくなったペットボトルもいとも簡単に斬っておられました。


 「複数でがっしり腰を掴んだ列」と「刀の切っ先を向けた相手」と対峙する検証が強烈な印象として残りました。私は列の先頭で構え、相手は刀の切っ先を向けて私に近づいてきます。徐々に相手が近づいてこられると身体の全細胞が後ろへ下がることを応援してくれるかのようにストッパーをもろともせず後ろへと下がっていくことができました。通常では、いくら頑張っても後ろに下がることはまず不可能です。


 今度は、刀を持った相手が刀の柄頭を向けて近づいてきた時は、頑張って下がるときと同様に下がることはできません。その状態で今度は、宇城先生と対峙し、先生が刀の柄頭を向けてこられたときは塾生が刀の切っ先を向けて近づいてくるのと同じように後ろへと下がっていくことができました。


 また、先生の場合は刀を持たずとも先生がこちらをパッと見た時には、後ろへと下がらずにはいられませんでした。言葉では決して伝えることの出来ない先生の気迫、迫力にただただ圧倒されました。先生に近づけない、強引に挑んでいけば間違いなく殺される世界。細胞が後ろへと下がらざるおえませんでした。


 宇城先生のような圧倒的な気迫、迫力なくして柳生石舟斎や山岡鉄舟が到達されたという「戦わずして勝つ」世界の再現はあり得ないのだと痛感致しました。


 また二次会では、フェイスタイムを通じて遠隔で先生が気を通しての稽古をしてくださいました。日中に道場でおこなったペットボトルが膨らんだり、気によって身体が強くなったり弱くなったりと、先生がその場にいらっしゃるかのように同じ変化が起こりました。


 海外の塾生がZOOmなどのテレビ電話で稽古されているお話は聞いておりましたが、実際に距離を関係しない「気」のエネルギーを目の当たりにし驚きとあらためて気の凄さを感じた次第でございます。


 淡路島の本部道場にいても、今自宅を思い浮かべたらパッとそこに飛ぶことができる。その時、身体は一種のゼロ化となっていると先生は話されていました。今回の合宿では、ゼロ化を身体で認識させていただく稽古を様々な検証を通してご指導いただきました。礼の時の感謝や宇城空手の型、一点をパッと見てそこから目を外さないことなど日常からゼロ化を創っていけるように稽古して参りたいと思います。まず、ゼロ化を創ることが重要であり、そこから技につなげていくこと。


 稽古中、「永遠に続く階段は一つしかない」と先生は話されました。その階段の一歩目を「今」踏み出しているかが大切なのだと感じました。今回の合宿を終えて、人生で幸せになることも同じだと思いました。幸せになる一歩を今、踏み出しているかが大切だと思います。


 また、ワーストを考えること。先生のこのお考えが大変心に残りました。先生が企業の製品開発や会社経営のトップとして考えられていた姿勢。私達の未来の展望は、大概「〇〇になりたい」や「なれたら良いな」などと考えがちですが、これでは先を取ることができません。常に最悪を想定して考えるからこそ、今やらなくてはいけないことが見えてくる。先を取ることができる、未来が見えるからこそ今、手が打てる。


 日本でもコロナウイルスが流行り始めた当初から先生はでかい病棟を作っておくことが重要であると空手の稽古の時に話されていたことを覚えています。それが今ないからこそコロナの重傷者等に対しても手遅れとなっている。


 今回、生と死のなかで創造された武術の時間は次元が違うことをあらためて感じた合宿となりました。私は今まで全部が欲で動いていたように思います。お金や肩書きや人気を求めていました。「生きている」という自分中心のあり方から、この宇宙に「生かされている」という考え方、あり方になっていきたいと思います。欲で動く時、時間は止まってしまいます。自分が変わらない原因、うまくいかない原因はすべて自分にありました。


 宇宙時間を持つ先生の「気」は私達がこの宇宙に「生かされている」ことに気づかせてくださるものなのだと思います。今一度、この合宿を機に一から自己を見直し、この宇宙に「生かされている」ことに立ち返り、先生の空手である宇城空手を土台に生きていきたいと思います。


 自分に厳しさを持ち、謙虚になって自分の欲と戦い、自分に克つよう精進して参りたいと思います。そして先生の空手を変えずに正しくつないでいける人間へとなっていきたいと思います。


 この度は、貴重なご指導を誠にありがとうございました。

 今後とも宜しくお願い申し上げます。

東京 自営業 E.S


先日は、淡路黒帯合宿に参加させていただき誠にありがとうございました。  合宿ではセロ化する状態を認識し、いかにその状態を再現できるかを学びました。その為の方法を、挨拶から遠隔操作まで様々なアイデアで、丁寧なご指導をしていただいたことにあらためて感謝申し上げます。同時に普段の稽古において、いかに工夫が足りていないかを痛感いたしました。  我々が宿泊している施設と先生がいらっしゃる道場(ゲストハウス)にて、フェイスタイムを使用した遠隔を実践していただきましたが、道場で気をいれていただいたゼロ化の状態と全く同じように技をかけることが出来、「空間」の意味が「距離」ではないことを証明していただきました。スマホのモニターがあるが故に、結果をその場で認識しましたが、モニターがなくても「思い」は距離に関係なく伝わっている、人間(じんかん)の意味の深さを学びました。  セロ化が訪れた時は、一瞬にして雰囲気が変わり、対立が消え全てが調和します。型→分解→複数での検証→遠隔という、ミクロからより大きなマクロ的なスケールまで二日間で体験できたことは大変勉強になり、繊細さと大胆さを兼ね備えたゼロ化は、全てを包み込む力があることがわかりました。コロナ禍という厳しい状態において、忘れがちな包容力の源泉を学び、実践に活かすヒントをいただきました。  「人生に自粛無し」という心強いメッセージをいただいたとおり、現在のような状況だからこそ、宇城空手を学ぶものとしていかに工夫し行動、実践していくかが問われていると思います。その為のエネルギーをいただける場として、コロナ禍にも関わらず、今回の淡路黒帯合宿を開催していただけましたことを御礼申し上げます。  今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。

神奈川 自営業 T.K 宇城先生、この度は淡路島本部道場にて黒帯合宿の開催とご指導をいただきありがとうございました。  懇親会にて、先生に「気」をかけて頂くことで自分の脇に挟んだペットボトルを隣の方が抜こうとしても抜けない。私がペットボトルを持ち上げようとしても持ち上げられないなど、気をかけることでの変化を体感させていただきました。  数時間後、二次会の場では先生はいらっしゃらないためスマートフォンにて遠隔で、懇親会で行ったことと同じことをしていただきました。体感させていただき身体にて感じたことは、距離が離れても時間差が生まれるわけでもなく、全く同じことが身体に起きるということでした。どのような物質が、どれほどのスピードで飛んできているのかは知る由もないのですが、はっきりしていることは、それをキャッチできる身体を持っているということです。 先生の「自ら閉ざしている」と仰ることの意味をあらためて感じた次第です。  そして、今回の合宿にて遠隔での変化を体感させて頂くことで、最も印象に残ったことは、海外にて余命を宣告された方が、先生の遠隔治療を受けて笑顔になっている写真でした。動画ではないのでどのように身体が変化したのかは分かりませんでしたが、あの笑顔の写真が変化を充分に物語っています。量子力学における理論や現象の発見は貴重であり、尊いものではありますが、人を笑顔へと変化させることに勝るものはないのではとも思います。実践が出来ることの凄さ、大切さを感じました。  先生は遠隔での実践を可能にするために修行されたわけではなく、途切れることのない身体の動きから生まれる相手との調和を目指すという日々の積み重ねの中から見出されたことだと思います。今回の合宿でも全部が繋がるように、積み重なるようにご指導を頂いたのに、一つを習うと直前に習ったことすら置いていってしまうことを最後まで行ってしまいました。  その場、その場を「真面目」にしているだけで「真剣」さがないのです。先生は「真剣」の積み重ねにより相手と調和し繋がることを可能とし、その結果距離が離れても相手と繋がることを可能とされています。それは相手を支配するのではなく包み込むエネルギーです。そして距離に関係なく相手を笑顔にもさせるエネルギーです。まさに「正のエネルギー」であり、本来人間が生み出すべきエネルギーです。負のエネルギーばかりを生み出している現代の人類にとって、正しき方向へ導く唯一のエネルギーかと思います。それは現在猛威を振るっているコロナウィルスに対しても然りです。  今回の合宿においてもワクチンでは遠く及ばない免疫や抗体を作っていただきました。今後の日常にも活かしていきたく思っております。 今回も大変貴重な経験をありがとうございました。

東京 会社員 N.Y 宇城先生、今回も本当に素晴らしい淡路本部道場での貴重な合宿に参加させてくださり、ありがとうございました。  今回の合宿では、先生のおっしゃった「現状維持は退歩である」という言葉が心に響きました。それは、今の自分が現状維持になっていると感じた為です。空手も日常も変化できていない。ゼロ化の検証では頭が働き、意識を消すことができませんでした。「常に何かを考えているから遅い」というご指摘を頂きましたが、日常から行動ではなく、頭で考えすぎていると感じました。今回の稽古から、自分の日常や仕事において考えすぎて行動が遅い癖を改めて痛感致しました。常に考える前に行動することを意識してスピードを上げていきます。  また、セイサンの型では、一点に集中する事をご指導頂きました。目で照準を合わせる。そして前に出る事が大切であること。そのようにする事で、頭の意識が消えました。さらに、礼の仕方についてのご指導では、目で前をしっかり観た状態で頭を下げる、そこに感謝をのせると、肩と背中を押さえられても起き上がることができました。これらの稽古から、身体のゼロ化、無意識化した状態とはどのような状態なのかを体感させて頂きました。この感覚を忘れないように繰り返し一人稽古をしていきます。  また、拓治師範からは、サンチン、ナイファンチンをご指導頂きました。サンチンでは、肩が上がっているというご指摘や、ナイファンチンの肘打ちはそのまま行うことをご指導頂きました。拓治師範に肩甲骨を落とした状態に修正いただくと、意識が消え、衝突も消えました。正しい型にはめることで、自然に無意識化した身体になることを感じました。  また、今回の合宿はコロナ禍という事もあり、先生がゲストハウスから私たちの宿泊しているホテルの部屋とリモートでつないでくださいました。そこで、気の遠隔の実証を見せてくださいました。ホテルにいる塾生のペットボトルを先生がスマートフォン越しに気をかけると、ペットボトルの強度が変わり、つかめなくなっていました。また、先生がペットボトルの水を回転させる動作を行い、それをホテルにいる塾生が同じことをする。その回転のかかったペットボトルを別の塾生が持った瞬間エネルギーで回転がかかり倒されました。私も後ろで倒れないように支えましたが、全く支える事ができず簡単に倒されました。  道場で示していただいた事と全く同じ事が、先生がそこにいらっしゃらなくてもできる事実。この実証から、常々先生がおっしゃる、気に距離と時間は関係なく、離れていても、エネルギーが瞬時に伝播している事を体験させて頂きました。  今回の合宿でも、本当にたくさんの課題を頂く事ができました。さっそく一人稽古、日常で稽古をしていきます。そして、改めてこのような素晴らしい合宿に参加させて頂けていることに感謝しております。  宇城先生、榎本師範、拓治師範、本当にありがとうございます。  引き続きご指導よろしくお願い致します。

神奈川 自営業 T.I 宇城先生  今回の淡路合宿での御指導をいただきまして、ありがとうございました。  いつもの実践塾での御指導からさらに一段濃い内容の御指導をいただき、理解や復習もなかなかおいついておりませんが、思い直し、辿り直して教えていただいた事を少しでも身につけるようにして参りたいと思います。  初日に班分けで御指導いただいた拓治師範には、肩と背中の落とし方の足り無さを御指導いただき、基本の出来ていないところを気づかせていただきました。またサンチンや基本の引き手を、弓で狙うように「入りながら」引いていくことも御指導いただき、肘の引き方、力を抜いて落としていくことも改めて御指導いただきました。足りていない基本の理解を深めていただきました。  その後の先生の御指導では、セイサンの型から一点を見てずらさない事を御指導いただきました。  眼球自体は一点を見ているようでも、突きを出したり、掴まれている腕を動かそうとすると、途端に目の集中が引っ込んでしまいます。空手で「目」といわれるのは身体の集中としての「目」であって、単なる意識の「視界」ではないことを実感させていただきました。その集中を保ったまま型の動作や投げをしようとすると、動かそうという意識が身体の集中を切ってしまい、自由に動けないこと もわかりました。  目の集中も通常の状態から集中するよりも、横に一度向けて内面で正面を指してから入り直すと集中しやすい事も御指導いただきました。まだまだ向いた時の視線と集中を一致させることにブレがあると思います。  ナイファンチンの型の始まりにもありますが、この視線の集中の切替の速さが「入る」事の速さ、時間を変えていく事に繋がっていくのかと思います。  寝ている状態から足を引っ張られる状態の御指導では、引っ張る相手より向こうに入ることで引っ張れないように重くする事が出来、そのまま切り替えなければ相手を投げられる、蹴りも効く事を御指導いただきました。  相手より先に入って行くことは相手より早い時間に身を置くことで、その状態では重力が働くようになり技も効くようになるという事なのだろうかと思います。意識や筋肉では年を取ったら出来ない様な空手ではない、次元の違う技の短所だろうと思います。  そして改めて正しい「礼」を詳細に御指導いただきました。正しい所作と目、感謝の心の状態が一つとなり、入れる在り方になるのが礼なのだと思いました。正しい礼が出来た状態で内面から方向を変えると速く向くことができ、そこから意識を切り替えなければ投げもかかるようになる。一番基本的な礼がとても多くの重要な要素があり、それがまだまだ出来ていない、またもっと丁寧に深めていくべきものでした。  最後に先生は一連の稽古を「人間を改造する、変身するようなもの」と結ばれておりましたが、そのような人の大きな改革になるものの根元が「礼」にあり、そこから技が繫がっていくことを詳細に体験させていただいた貴重な合宿でありました。改めて今回の合宿で、このような素晴らしい御指導をいただことに感謝申し上げます。  今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

東京 大学教授 K.N 宇城先生、淡路道場でのご指導有難うございました。今回は懇親会が短く、そこで先生から直接お話を伺う機会を逃してしまいましたが、幸いにして2次会でのFace Timeによる気のご指導に立ち会うことができました。  もちろん、海外に対していつも先生が行っていることを聞いてはいましたし、離れた場所からも気が瞬時に送られることは何度も体験していましたが、実際に通信機器を使って気が送られ、それも非常に微細な状況まで実践できる場に居合わせたことは貴重な体験でした。  スマートフォンのカメラは実際に行っている人を写していましたが、先生自身は彼らには見えていないので、彼らが先生の顔を観ることによって何か影響を受けたことではありませんでした。また、ペットボトルに対する操作の指示も、彼らは先生から直接受けたわけではないので、そういった間接的な状況を排除して、気が直接、距離を超えて作用したことがわかります。  気はレベルの非常に高いもので、我々は先生のお蔭で体験できるのですが、道場での稽古では、まず自分の進むべき方向を示していただきました。一日目はゼロ化で、少しは実践できたのですが、ほんのわずかの油断ですぐに元の自分に戻ってしまいます。その理由は自分自身の欲と、それを無意識に出すことの習慣によるものだと思っていました。  しかし、二日目に先生に指摘していただいた“横着”ということ言葉が、その習慣を変えようとしないで、いつもそのままに放置していたことを気づかせていただきました。一人で型を行っているときに目が泳いでいることが分かっているのですが、それを正しい方向に向けようとする心構えが持てないでいることの横着さもあります。とても大きな課題をいただいたことで、この言葉を常に忘れず上達を目指して稽古に励んでまいります。