東京実践塾 2017年8月〜2017年11月


■東京 自営業 44歳 NK

宇城先生いつも貴重なご指導ありがとうございます。

毎回色々な角度から様々な分野の情報や考え方をお聞きする中で宇城空手は、人間の無限の可能性の領域を誕生させている、と思いました。今の科学や一般常識では答えが出ない帯が伸び縮みしたり、気で瞬時に周りの人を変えてしまったりと信じられない人が多い、そしてその常識に縛られ合わないものは排除したり、思考停止になっている。自分も人生の様々な分野で本当に小さな尺度から生きてると感じてしまいました。

空手の稽古の中で自分を発見して行く楽しみが何となく分かりかけてきた気がいたします。お話の中で殺人剣、活人剣の話もとても分かりやすく奥が深く生きるレベルがまるで違うと痛感いたします。

まだまだですが横着や執着を手放し日々努力が自信になるように稽古して行きたいと思います。

■福島 会社員 41歳 KU

 宇城先生、いつもご指導のほど誠にありがとうございます。  先生のご指導の内容がさらに加速されているのを最近の稽古で感じます。先生の気の力により体が軽くもなり重くもなり、その変化がさらにはっきりと感じられます。また、気を入れていただくと投げる前から相手を投げられるのを感じ、いかに技は後処理であるのかが体を通して分かります。  やる前から結果がわかっている。まさに次元の違う世界であると思います。今までも常にそのように感じさせていただいておりましたが、稽古の度にもっと早く感じる、もっと相手を軽く感じるなど、底がない、無限に先がある世界を改めて感じさせていただいております。  人はこの世に生を受け、同じように生きていても、生き様によって時間、空間がまったく違う世界に身を置くことになるということを先生にはご教授いただいているかと思います。次元の違う世界を感じさせていただき、その世界に立つため自分が何をやりたいのか、何をやらなければならないのか、その道を気づかせ真剣に歩ませてくださる、それが宇城空手にはあると思います。深遠な武道の一端を見せていただいているのかと思います。  先生がお話しくださった「人間は動物と違って環境に適応する力がある」というお言葉を実践し、どのような環境に適応するのか、先生が見せてくださっている次元の違う世界にむけて環境に適応する人間にならなければならないと思います。  どちらの世界で生きるのか、自分で決めるしかないと思います。どのように生きるのか、覚悟が本物かどうか常に技において検証し、できなければ自分に嘘をついているということを自覚し、日々精進していきたいと思います。  先生に感じさせていただいた厳しくも、すかっとした世界、嘘のない世界のスイッチを切らないよう生きていきたいと思います。  今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

■埼玉 会社員 56歳 KH

宇城先生、実践塾での御指導ありがとうございます。  先日の実践塾で宇城先生がおっしゃられた「子供はやって見せれば、迷うことなく素直に信じることですぐできるようになる。大人は病気だから素直に信じることができない。だから変われないんだ。師匠を信じろ」というお言葉に「はっ」としました。  私は病院の妻の身体の変化は、その日仕事でイライラしたり、嫌なことがあったり、つまらないことで心が動揺した時に妻の身体に変化が現れないものと思いましたが、それは大きな間違いだと気づかせていただきました。  私に妻の身体を手当てをする力などあるはずもなく、宇城先生が気を送って下さっているからこそ妻の曲がった状態で硬直していた右肘が柔らかくなり、自然に伸ばすことができるようになったり、両手の指も硬直せず健常者と変わらない柔らかさのままです。  また妻の手を握り声を掛けていると「にこっ」と歯を見せて笑顔を見せてくれるようになりました。病院の先生や看護師の方は身体機能全廃の患者さんでこんな変化が起きた人は見たことがないと言っておられます。  実践塾から病院に直行して、宇城先生からいただいた気を妻の手を握りしめ伝えていた時に、妻が「にこっ」と笑顔になった姿を見て看護師さんが「えー、うっそー」と目を白黒させて驚かれた時は私自身も笑顔になりました。  「信じる者は救われる」宇城先生がおっしゃられるこの言葉に?はありません。私のような未熟者は、日常でいろいろなことでイライラしたり心が動揺して泣いたり笑ったりするのは当たり前のことであり、どんな状況の時でも宇城先生の教えを絶対的なものとし守り信じきることが一番大事なことだと深く反省しました。  話は変わりますが、去年、私の会社の社長の娘さんが会社に入社されたのですが、不慣れなため現場の職長の方々に急な飛び込みの仕事の依頼に行くといつも後回しにされてしまい悩んでいたいた時、社長の娘さんに心をこめて一歩入って立礼をするということを教えてあげたところ、希望どおりに仕事を職長さんたちに進めてもらえるようになりましたと喜んでもらえました。  現場の職長の方々に話を聞いてみると、「ぱっと目を見られて深々と頭を下げられちゃうと、なんだかわからないけど断れなくなっちゃうんだよなあ」と不思議がっておられました。それから他の女性の方々も、社長の娘さんの心をこめた立礼を真似て立礼をするようになり、会社の中の雰囲気も少しずつ変わってきたように感じます。  「宇城先生を信じる者は救われる」宇城先生を信じきり、誇りを持てる空手を築いていきたいと思います。

■千葉 公務員 44歳 AK

 この数ヶ月、先生には一触の指導の機会を多く作って頂きました。  先生の指導は先生の気によってできる自分を体験するのが大きな特徴ですが、入門して数年間はその意味が解りませんでした。今はその意味とありがたさを感じることができます。  先生は一触の指導の中で常に次の課題を示して下さっていると思います。そして空手を通して人生の全てを教えて下さっていると感じます。さらにその指導は今の私個人だけでなく、次の世代、その次の世代の未来に大きな影響を与える大切なものです。それが先生の稽古だと思います。  そのような次元の指導を頂く以上、受け手側には責任があります。たとえ自分には無理だとしても全力でそれを目指し続ける責任。先生の言葉をお借りすれば「師を 写す」努力だと思います。  そのように考えると習う側の自分はあまりに無責任でした。11月の審査で昇段された方の審査を見てそう感じました。今は自分と彼らの違いをよく見てその差を埋めることが次の課題だと思っています。  また、先生は時々稽古の中で「子供はできる、すぐに写る。大人はできない。せめて子供を邪魔しないように」というようなことを仰っています。初めは冗談と思っていましたが、最近は冗談ではなく子供の邪魔をしないように自分には何ができるのかと考えるようになりました。  空手を学ぶ目的が変わったのだと思います。先生の空手に出会えた奇跡に感謝し、ご指導頂けるありがたさと責任を自覚し、我と欲を捨てる稽古を日常から丁寧に重ねていきたいと思います。

■神奈川 会社員 40歳 IH

宇城先生、いつもご指導ありがとうございます。  ここ最近の稽古の中で、やっと実感としてわかってきたことに、頭で考えたことは、「虚」であってなんのエネルギーも持たないということです。先生がおっしゃるように、意識では身体に対して、なんの変化も起こせないということだと思います。  ただゴミを拾うだけで、身体が強くなること。それが「実」であり、逆に意識して、身体を強くしようとゴミを拾うとその意識(欲)によって逆に弱くなる。空手の技も同じで、相手を投げようとすると投げがかからない、突きを効かせようとすると逆に効かない。意識(欲)は衝突、対立しかもたらさないということがわかりました。  先生の空手にはすべての答えがあるとおっしゃっていましたが、まさにそのとおりだと思います。先生の空手は無意識下の領域にあり、自分の欲を自覚し、その欲を無くしていく稽古を通じて、無意識を浄化し「真心」を発動できるようにする。  先生の空手の稽古を通じて上達することで、自分を守れるようになり、自信が生まれ、日常のなかで自然と相手と調和することができ、いい方向へと物事を変化させることができるようになるのだと思います。  先生の稽古に出るだけで心が清浄になり(稽古後の自分の瞳が透明になります)、免疫機能が上がるのか、周囲が風邪を引いていても、私は平気だったりします。先生の次元にまでは至れないにしても、少しでもいい方向へ物事を動かせるような人間になれたら、と思います。  また、先生の空手においての本当の意味での上達とは、ここにこそあると思います。稽古でお話のあった、脳細胞の1立方センチメートルの中にニューロンの数が銀河系くらい凝縮されている事実には驚愕するとともに、人間という素晴らしい存在として生かされている現実に感謝して、希望を持って生きていこうと思います。  毎回の稽古で、死んだような心身の私に、粘り強く「気」というとんでもないエネルギーを与え続けていただいて、最近は長年の常識というマインドコントロールから解放されてきた気がします。それは、私が成長したのではなく、先生がどんどんエネルギーを増して、その凄まじいエネルギーで無理矢理解放されてきたんだと思います。  先生の凄さに甘えずに、私も、もっともっと努力しなければ!と思います。  今後とも、ご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。

■東京 会社員 49歳 SY

宇城先生、8月から11月のご指導ありがとうございました。  この期間、毎週のように稽古に参加させていただく週が重なり、久しぶりに集中的に稽古をつけていただく時期であり、貴重な機会であったと思っております。色々なご指導の内容があり、感慨深いことも多々あったのですが、私としては、先生に手をとっていただき、三戦の腕受けの部分を誘導していただいた時のご指導が、非常に印象に残っております。  先生から2度ほど、三戦の腕受けの際に、手を持っていただき「このようになる」、「相手の力を吸い込むにはこのようにする必要がある」と仰られ、誘導していただいたときに、非常に衝撃を受けました。ご指導内容は、単純な腕受けの動作で、はたから見たら、手を持っていただき、単純に腕を回しているだけでしょうが、自分としては「人間は、鍛錬の仕方で、ここまでの境地になれるのか」と、驚きと感動がありました。  つたない文章、表現力で、言葉に表せる自信がありませんが、先生に手を持って誘導していただいたときには、自分の体が消えているというか、透き通ったように感じるというか、今まで自分が人生の中で全く経験したことの無い状態、感覚を感じました。このような経験というかこのような境地を、実際に体験できたのは初めてで、驚きというか、ショックでありました。世の中に、「感動に震える」という言葉がありますが、あのときの経験が、正にその言葉が言い表してい ると思います。  この境地を感じてみると、書聖と呼ばれる王羲之の書を見たときの感動を思い出します。友人である書家の影響から、臨書などに興味をもっており、昔の中国の書家を偶に見たりするのですが、王羲之の書を見たときに、「一体どうやって書いたのか?さっぱり分からない。人が書を書くレベルとして、こういう深い境地があるのか」と、非常に感動した覚えがあります。王羲之の書は、多くの古今東西の書家がお手本にするくらい有名ですが、その筆跡は、確かに人が書いたものであるが、到底真似できない境地をかもし出しており、書の深さを感じ、古代の人の優れた芸事に感動をしました。  今回の先生のご指導による前述の腕受けは、それを遥かに超えているもので、「人はここまでの深い境地・レベルになるのか」ということと、「こういう境地を先生は拙い私に、直接的に経験を共有していただけるのか」という点で、あまりの深さに、あの経験・境地が頭から離れられなくなりました。  先生が、ご指導で見せていただく相対的な技も、このような境地になっているから、相手を難なく制することが出来るのも、至極当然のことであると思います。また、その内面を惜しみもなくご指導していただけるのには、本当に頭が下がる思いであります。武道のような無形のものは、書とは違い、「形に残せない」という点から、今回のご指導がなければ、死ぬまでの一生経験しないことだったかもしれないと思うと、感謝しきれません。  以前から「自分が修行しているのは、単純な武道という枠を超えた存在である」と認識していましたが、今回の経験をさせていただくことにより、より一層その思いは強くなりました。このような境地から、先生の仰る活人剣の流れが導けるのであり、単に相対的な強さを誇示する殺人刀では、たどりつけない境地であると思います。  一方で、「先生が垣間見せてくれた、この境地に、自分はたどり着けるのか?」という不安もあります。ご指導後、一人で稽古した際に、三戦の腕受け部分が、経験したものとあまりのギャップがあり、「あの境地は、どうすれば近づくことが可能なのか?」と、悩むことがよくあります。  稽古の翌日は、あまりの差に愕然として、途中で三戦が出来なくなってしまいました。ただ、体が覚えている限りの間には、なるべく近づけるようにしたいと思い、拙いながら稽古を続けたい思っております。  毎日の稽古で、「差が開きすぎている」という事実を見ると、「あの境地の入り口まで、たどり着けることがあるのか?」という絶望感を持ってしまう部分もあります。だた、先生が、ご指導していただいた「こういう境地もある」という、まだ自分には朧げで、見えてない高い世界を経験させていただいことは、言葉に言い尽くせないくらいに、非常に感謝しております。  今後もご指導、ご鞭撻よろしくお願いいたします。

■埼玉 柔道整復師 43歳 CN

 このたびもご指導をいただきまして、本当にありがとうございました。

 8月から11月までの稽古のなかで一番印象に残っておりますのは、先生がみ んなに気を入れていただいた状態で、2人一組になって何度も何度も自由に技を かけあうという稽古をしたことです。8月に初めてその稽古を最後のほうで行な いましたが、まず先生に気を入れていただき相手を投げ、その投げられた相手が そのまま寝た状態で投げ返し、そのまま二人が寝た状態でぐるぐる投げ合ったあ と、お互いに立って自由に何度も技をかけあいました。

 いまでも覚えているのは、2人とも気が途切れなかったことです。ずっと流れ るような感じで、相手に倒されてもすぐに立ち上がって技をかけ、相手も同じよ うに倒されてもすぐに立ち上がって技をかけあうという感じでした。1時間近く もそれを続け、すごく疲れているのですが、ここで気持ちを変えると気が止まっ てしまうと思い、その状態をずっと維持してかけあいました。相手にもそういう 雰囲気があり、お互いに今日の稽古でやった技や、課題にしている技を何度も自 由にかけあうことができました。

 たとえば、午前中の稽古で胸ぐらを掴まれた状態で、そのまま左手を上から相 手の腕の内側に入れ、そのまま下に倒すという検証をさせていただきましたが、 何度やってもまったくできませんでした。それを自由に技をかけあう稽古のなか で試して確認することができました。

 また、7月の稽古で課題となっていたナイファンチンの両手突きやパッサイの 回し取りなども試し、他の様々な技も試したりして、本当に身体にその感覚を何 度も何度も刻み込ませていただきました。途中、周りをみると、自由組手で技を かけあっている人達がいたので、さっそく2人でそれを試し、まずは前に出した 手を動かさない状態で相手の攻撃をさばき、次いで手を下げた状態で相手の攻撃 をすかし、最後にその手を下げた状態から先生がいつもやってみせてくださる首 への手刀、膝蹴り、投げという技までさせていただき、次から次へと技をかけた りかけられたりする稽古をさせていただきました。

 その稽古の後、これを踏まえて研究するようにと先生が言われましたが、みん な頭で考えながら研究するようになり、それでもう一度先生が気を入れてくださ り、考えないで技をかけあう稽古をさせていただきました。最後の1時間あまり がその稽古でしたが、技をかけあっているときはもちろんですが、終わったあと もすごく心身ともに活性化しており、次の日の朝にサンチンをやったときにもそ の感覚が残っており、逆にこれまでのサンチンが止まったものであったことがわ かりました。また、そのときの感覚や流れを大事にしながら型と技の稽古をする ようになってきました。

 9月の稽古でも最後のほうで同じような稽古をさせていただき、さらに11月 の稽古では、まずうつ伏せで寝た相手の背中に両拳をあて、先生に気を入れてい ただいたあと、そのままふくろはぎに移行して指で押し、さらに仰向けに寝て、 相手の股を両足でぐっーと開き、それからお互いに立って技を自由にかけあいま した。  午後の稽古で課題となっていた技を中心にかけあいましたが、たとえばナイフ ァンチンの分解で、相手の突きを両手でさっと取り、そのまま投げるという技や、 腕受けから投げや外側から腕受けしてそのまま相手の手を極めたまま投げるとい う技を何度も繰り返しやらせていただきました。

 その後、寝た状態で技をかけあうようにという先生のご指導があり、寝た状態 でかけあいました。途中、相手の気がとまり、技がかからなくなりましたが、私 がまだ気の入った状態が続いているような感じがしたので、午後の稽古でやった 相手の親指の下の方を握って倒すという技をかけたところ、相手がまた活き返り、 再び技をかけあいました。  また私も途中で気が切れてしまいましたが、相手が技をかけて気を入れ直して くれて、お互い継続して続けることができました。8月や9月は気が切れないよ うにと思いながらやり続けましたが、今回は一度切れてももう1人に気が入って いれば、それを復活させることができるということにも気づかせていただきまし た。  その稽古の途中で下澤先輩と蛇田先輩の組手を先生がみんなにみせ、まず構え た状態から下澤先輩が突き、それを蛇田先輩がばっと入って技を決めるのをみま した。その後、自由組手に移行し、最初の一本目はその流れのなかでばっと技を きめましたが、二本目になるとかからなくなりました。その時に先生が、ここが 難しい、二本目以降も継続してできるようにすることが大事、しかしここまでで きていると後輩の励みになる、とおっしゃったことが、先輩方の技とともに強く 印象に残っています。

 もう1つ、8月から11月の稽古で心に残っていることは、呼吸を止めないよ うにという先生の教えです。たとえば、仰向けに寝た人が足をつかまれ、それを 投げようとしても投げられず、そのときに胸をおさえると苦しくなるという検証 を通じて、呼吸を止めないことの大事さを教わりました。

 また、ナイファンチンの下段払い、横突きの際に呼吸が止まることや、サンチ ンでも呼吸を止めないようにやることが大事であることを教わりました。またそ のサンチンの呼吸も息を吸ったり吐いたりする呼吸が大事ではなく、気を入れ込 んで気を出していくという感じでやることを教わりました。

 またその際、気を入れ込んだり出したりするときには、空間そのものを入れ込 んだり出したりするということを先生はおっしゃいました。この空間を入れたり 出したりというのはまったく想像がつきませんが、自己解釈すると必ず間違うこ とも先生から教わっておりますので、このような感覚のことを先生はおっしゃっ ていたんだな、と後でわかるように稽古に励みたいと思います。

 また、4カ月にわたる稽古では、先生が型や型の中の技、技の入り方を詳しく ご指導くださったことが心に残っております。たとえば、ナイファンチンは瞬発 力だから仙骨をしっかり入れて行なうことが大事であり、足の払いあげの際にも、 その後の腕受けや内腕受けの際にも、キレよく行なうことが大事であることを教 わりました。

 またパッサイのかわし突きも何度も何度もご指導くださいました。とくに腕受 けの際の肘の入れ方や、腕受けで相手に中に入っていくことを何度もご指導いた だいたことが心に残っております。合宿の感想文でもそれを試行錯誤しながらや っていることを書きましたが、10月の稽古前に腕受けを試してみると、まった くできておらず、しかも腕受けがものすごく小さくなっていることも指摘され、 完全に頭で考えて稽古していたことがわかりました。

 いまは、実践塾の稽古の際に得た感覚を大事にし、またその感覚が切れないよ うに注意し、もし切れそうになってもUKアーカイブなどで映像を何度もみて、 先生のお姿や稽古のときの雰囲気などをもう一度呼び戻し、頭で考えないで稽古 するように気をつけています。

 また、先生が稽古のなかでご紹介くださったエドワード・ルトワックの本や記 事、未来の年表、戦ふ日本刀などを読み、先生がどのように本を読まれているの か、またどの箇所になぜ注目したのかを考えながら、勉強しております。

 そして、10月の実践塾ではNHKこころの時代に出演した脳外科医の話しを されましたが、11月の実践塾ではその話しも組み込んで3つの話しを全部統合 してわれわれにご指導くださいました。それに限らず、北朝鮮の問題から宇宙の 問題まで、何から何まですべて関連させてお話くださり、そのすべてを統合させ る思考のあり方も含めて、様々なことを学ばせていただいております。  先生がいつもおっしゃるように、身体が統一体になっていれば思考も統一体に なる、ということをいつも思い返し、何よりも身体を大事にして日々の稽古に取 り組んでいます。

 もう1つ強く印象に残っていることは、ちょっと仕事などで事がうまく進んだ としても、それで喜ぶな、というお話でした。それは、みんなのまわりが止まっ ているのだから当たり前、ということでした。私も人間関係がどんどん良くなり 広がっており、そこから仕事の依頼などもどんどん入ってきて、そのレベルで喜 んでおりました。でも先生の一言ではっとさせられ、宇城空手を学ぶものはそん なレベルで喜んだりするのではなく、もっともっと上のレベルで闘ったり、連携 することを目指さなければいけない、ということに気づかせていただきました。

 ここ最近の実践塾の午前の稽古では、いつも先生が様々なお話しや実例を示し ながら、いのちを根底に置いてやらないと宇城空手は学べない、ということを何 度も厳しくご指導くださっています。その先生の思いや心を頭ではなく、自分の 心で映していけるように日々の稽古に取り組んでまいります。

 宇城先生、今年1年間、本当にありがとうございました。心からお礼を申し上 げます。12月の稽古および来年の稽古も何卒ご指導くださいますよう、よろし くお願い申し上げます。

■千葉 柔道整復師 43歳 CN

 この度も貴重な稽古に参加させていただきありがとうございました。  8月の稽古の冒頭で先生が、金澤翔子ちゃんの書の話をしてくださいました。奥が深いという言葉で表すには、あまりに物足りなく、言葉では表せないような何かを受けました。字を一つ見るだけでも、こんなにも深遠な世界があるのか、心を感じる、相手と一体化するような調和がなければ絶対にわかりようのない話だとおもいます。 いう事だけは、はっきり体感させていただきました。  誰に話しても信じてもらえるような事ではないと思いますが、先生は常にその考えられないようなレベルでの事象を実践してくれています。その世界が確かに存在していることを知っている事、その上その世界に行く事ができる可能性はあるという事、本当に人間の素晴らしさ凄さを示していただいているとおもいます。  今回の稽古で、以前先生の著書の中に書かれていた、親父と師匠の葬式が重なったら、自分は師匠の葬式にでる。といった話がありましたが、この話はどういう意味なのか自分にはずっとわかりませんでした。それがなぜか今回の稽古の後の帰り道でふと凄く腑に落ちました。  親子の絆というのは切っても切れないものがある。どんなにひどい親だとしても、その子供にとっては親であり、殺したところで切れる訳ではないとおもいます。しかし、他人というのは違い、ましてや師匠となったら、本当の最後の最後まで教えをいただき、添い遂げてこそ信じるということなのかも知れないと感じることができました。そして、そのような境地では、必然的に重なってしまうなんて事はなくなるのかもしれないともおもいます。  なぜ、突然この話が急に自分の中に出てきたのかは、よくわからないのですが、先生という存在の大きさを稽古の中だけでなく、実際の日常の中で感じることがどんどん大きくなっているような気がします。何か本当に大きく厳しい愛に包まれている事を日々実感させていただいています。自分も心に正直に生きて行きたいと思います。  この数ヶ月の稽古では、先生が気を入れた状態にしてくれ、そのまま自分達で切れないように組手をしていくような稽古が何度かありました。その時に感じたのは、時間を忘れるということでした。自分が体現できない世界を体験しているせいなのか、疲れないでどんどんと、この状態をどうにか身体に残そうという気持ちで稽古を続ける事が出来ました。この時の自分は何も考えていませんでした。  しかし、何度か繰り返しているうちに少し、こうしようとか余計な考えが頭をよぎります。すると技もかからなくなりました。その時に先生が、みんなすぐ研究をしだす。それは意味ないと仰られ、はっ、と思いました。  せっかく統一体にしていただいているにも関わらず、自分の思考や意識を入れてしまい壊してしまう。なぜ、そのまま任せるようにしないのか、いかに自分達の意識というのが実を伴っていないかを実感しました。  人間として生きるという事はどういう事なのか、生かされ、一度しかない自分の人生を生きるという事の有り難みに、本当に気づく事が出来るのかを空手を通し、気づかせていただける、この異次元の稽古の場を本当に感謝します。  今、自分達の生かされているこの世界は、本当に運の良いことに全く違う次元の先生を、自分達と同じ空間に存在させてくれています。本当なら話す事や触る事も叶わないような次元の人なのだと、最近理解出来るようになってきました。  しかし先生はそれを良しとせず、自分達の前に立ち、何も変わらず接して導いてくれています。本当に感謝していますが、言葉ではなく実を伴って感謝に変えていかなければ意味がないのだと感じています。  一年間ご指導いただき本当にありがとうございました。  とにかく少しでも先生の世界に近づけるように精進いたします。  今後ともご指導を宜しくお願いいたします。

■埼玉 教師 38歳 TS

 今回の審査では、初段を授与していただきありがとうございます。

 襟が正される思いです。黒帯としての自覚を持ち、道場と日常生活においてこれまで以上に真剣に取り組んでいきたいと思います。

 宇城先生が「眠っている潜在能力を起こすのではなく、回路を作る」ということを仰っていましたが、これまで私は先生の気によって自分の潜在能力を働かせていただくことを待っていたように思います。そうではなく、先生のお姿を映しつつ、回路を作っていく努力をしていかないといけないと思いました。

 意識では間違って解釈したり、癖が邪魔したりすると思います。心を開いて、先生を映し、無意識の領域が変化して「できる」回路を作っていく稽古をしていきたいと思います。

 宇城先生には、激痛のあった肩を治していただきましたこと、心より感謝申し上げます。触れていただく場所は1ミリたりともずれる事なくそこしかないというピンポイントの場所でした。自分でも特定できない奥の方からくる痛みだったので、先生の指先の正確さにとても驚きました。「3・2・1」の掛け声の後、押していただくとそれまであった塊が一気に解消されるような感じがし、痛みもなくなっていました。

 以前、テレビでビッグバンのイメージ映像を見た事がありますが、そのことを思い出しました。宇城先生の気は宇宙の始まりとされるビッグバンと同じ力があるのではないかと感じました。

 「また痛くなったらいつでも言って」と声を掛けられた時は涙が出るほど嬉しかったです。世界でも類を見ない偉大な先生が、一塾生に気軽にそのような事を言って下さることに感激しました。

 初心に戻ってこれから頑張ります。ありがとうございました。

■千葉 会社員 50歳 ST

 先生が木刀を振り下ろして、二人で支える杖が重くなる検証を拝見しました。木刀を振り下ろす瞬間、先生周辺の空間がグワンと広がったように感じました。日を変えて何度か拝見する度に同じ様に感じています。先生の重さで空間が歪んでいるのか、重力波のような波動なのか、いずれにせよ何らかのエネルギーで杖が3人で支えきれ無いほど重くなる事実を見の前で何度も見せて頂きました。

 この場に居ない方に話しても信じて貰えない。目の当たりにしても従来の常識に捕らわれている殆どの人が、疑心に終わってしまうと思います。道塾の中級半ばまで、私も似たような物でした。迷いが残っていたせいか、先生に気を入れられても検証が出来ない事があった事を憶えています。

 今に至っては、私の常識は以前とは全く別の物になっています。先生に気を入れられれば、一瞬の迷いもなく有り得ないような事が出来ていると思います。武道の原点を切掛けに、セミナーで先生に始めて御目に掛かり、今は幸運にも道塾と実践塾の両方で学ばせて頂いています。知れば知るほど、先生の凄さの計り知れなさが良く分かって参りました。

 小学生のお孫さんが、メリケンサックをつけた大人を相手に全く臆する事もなく、通常の腕受けと変わらない、相手に影響されない分解の見本を見せて頂きました。サンチンも、後から大人に腰を下げられてもビクともせず、そして力みも見受けられない。直心と伺いました。子供に出来て大人に出来ない直な心。大人になった私には、取り戻せない物なのだと思います。けれど、先生に学ばせて頂いて、我が子達の直心は壊さず育てられたように思っております。

 相手の突きに合わせて手刀で崩す稽古で、先生は押し方向の手刀だけで軽く倒されているように見受けられましたが、「手刀の前に引手があり、引き押しの動作を極限まで小さくしている」と解説頂来ました。翌月に御指導頂けた背刀の入る稽古にても、相撲の立合いのように互いのタイミングを合わせて、ドンと衝突するのではなく、相手の打ち気を吸い取る様にずらして入られる所を分かりやすく見せて頂きました。惜しげもなく色々な事を見せて頂き感謝しております。

 更に、アーカイブにて先生の貴重な映像を拝見させて頂ける様になって非常に嬉しいです。後方で良く見取れなかった御指導の様子も、カメラの最適位置で拝見させて頂ける事、その場に居たからこそ思いだせる稽古の雰囲気も相まって最強の自主稽古資料になっています。アーカイブだからこそネットに繋がれば、場所を選ばず拝見できます。現代の利点も生かせて大変有り難いです。

 11月の審査にて3級を頂きました。ありがとうございます。今の自分と級が一致する事が大切と伺いました。審査の後になって、突きや受けも全てに力みがあったと気付き、まだまだ頂いた級に一致していないと反省致しました。力みは型の流れを切り、我や癖がでる事に繋がる様に思います。自理一致を目指し、まだまだ残っている癖を取り除くように精進致します。

 今年も貴重な学びの場に参加させて頂きありがとうございました。

 今後もご指導頂けますようお願い致します。

■埼玉 会社員 41歳 FS

 宇城先生、日々のご指導有難うご御座います。

 日々の稽古の中であり得ない力を見せて頂いております。特に私自身の仕事にもここで大きな変化が見られ、その方向性や自分が置かれた立場など日々変化しております。

 先生が検証を我々に実践してくださる中で、10数名の塾生が前後に肩を抑えて列になり、それを宇城先生が押して崩すというものがあります。その10数名が、気持ちで同じ方向を向いてい要れば、そのまま同じ方向で崩される結果となります。しかしながらその中の1名でもほかの事を考えていると、その’気’の力がほかの事を考えている1名に集中し、’気’に身を任せている前後からの方に挟まれ潰されるというとても危険な状況ななるという検証をさせて頂いました。

 私の会社も、社会が変化していく中で大変大きな岐路に立たされています。新事業も始まり、日々変化を余儀なくされています。自分自身もその変化の中、私のやれるべき事は何なのか?何ができるのか?と思い動いていますが、社として同じ方向に向けているのか?自分自身だけ違う事を考え、あの検証で体験した様に挟まれるような人間になっていないのか?考えさせられます。

 進歩成長しなければ、それは後退している事。その謙虚な中に自分を置いているのか、疑問が出るところがあります。年を重ね素直でない自分が出る時があります。先生の仰るように進歩成長は謙虚になる事とあります。昔なら謙虚になれていた自分が、譲れないと意地を張り、人の言葉に素直になれないことを反省しこれからを送っていなかければ、この先の仕事すら大変になると思います。

 ご指導頂いている謙虚さを忘れずに大きな変化の中に身を置き、自分自身では何ができるのか?言い訳のない場所にしっかりと身を置き、日々を送って行きたと思います。

 自分自身の甘えがありますが、それでも道しるべを示してくださる、宇城先生に感謝しながら、これからも厳しい指導を宜しくお願い致します。

■千葉 アニメーション演出 45歳 HS

 宇城先生

 ご指導いただきありがとうございます。 2017年8,9,10,11月感想文を書かせていただきます。

 本年も11月審査を受けさせていただきありがとうございました。目標であり、励みになります。講評や懇親会で、初段昇段したみなさんの取り組んできた気持ち、それを受け止められる先生の気持ちがとても心に残りました。いつか自分も、という気持ちでいっぱいです。

 昨年、初めて審査会に参加させていただいたことを今でも思い出します。私は組手に強い苦手意識を持ってしまい、相手に突っ込んでしまうこととぶつかってしまう事を本当に反省点として一年間持っていました。なぜなのか?

 空手に取り組む姿勢の問題なのか、日頃の日常生活の問題なのか。毎日、本当に悩みました。このままでは相手にも迷惑をかけてしまう。そんな時に、ひとつ指針になってくれたものが正座でした。すぐパッと使えないから「誤座」だとご指摘いただいたレベルですが、先生に今年初めにご指導いただいた「正座」は今のレベルの自分には大きな気づきをいくつも頂きました。

 本当に固かった腰が痛みを忘れ日々続けていくと徐々に柔らかくなっていき、仙骨の入れ方を正座と腰に差した木剣短刀が自然と教えてくれました。さらに続けていくと、ある日上半身の姿勢が自然と変わっていくことに気づきました。これは自分でも本当に大きな驚きで、サンチンの型に落とし込んでみますと、それまで動くたびにフワフワ揺らいでいたものが不思議と落ち着く感覚を感じました。

 それからは毎日の一人稽古がとても楽しく時間を忘れてしました。もうフワフワ、グラグラしたくない、どっしりとした自分でいたいという気持ちが改めて沸いてきました。

 そして正座は、先生が以前「やせ我慢するのではなく、でも続け、見つめていくことで何かが変わっていく」とお話しいただいたように日々、続け向き合うことで、ある日変わっていくことに気づかせていただきました。今年、ここに気づかせていただいたことに本当に感動しています。

 また9月、先生から腹を抜かず上半身の力を抜きながら相手を軽く倒せる感覚をご指導いただきましたが、その時の感覚がとても不思議で、そしてできた自分にとても感動してしまいました。今までできなかったことが素直にできた自分に感動してしまいました。

 思い返せば、入門させていただいた初日に「立っている時、正座している時、苦しいくらい胸を張る姿勢で」というご指導をいただきましたが、今思うと、もしかしたらここにも繋がっていたのではと感じました。そして、数年経った今、やっとそれに気づいたのか、と。先生は一番最初からご指摘されていたのに自分はそれに気づかなかったのでは。

 9月10月では「頭にあるモヤモヤを消していけるように」「ミニブッダになるように我欲を捨てられるよう」とお話いただきました。これからは姿勢だけでなく、「余計なもの」を消していけるような型を目標にしたいです。なぜ、余計なものが生まれるのか、と向き合えるような姿勢を作れるよう進みたいです。

 今年一年は、気づきと反省とが多く入り混じった年でした。身体で知れば知るほど、そうだったのかと感動を覚えると同時に、逆にわからないことが増えていく気がしています。しかし、向き合うことで何かに気づける機会があることを感じました。それを型を通して先生から教えていただいていると改めて感じました。

 先生、ご指導ご指摘いただきありがとうございました。

■東京 大学教授 45歳 KN

 特に、合宿の後の実践塾ではパッサイの型の体かわし突きをご指導いただき本当にありがたく思っております。ここまで丁寧に稽古をつけていただいているので、さすがにできるようにならなければいけないのですが、相変わらずぐずぐずとしております。  江戸時代の剣の稽古ならば、師が見せること自体が伝授に繋がったはずですが、何度も見せていただき、また具体的に親身な指導を受けているにもかかわらず、全くできるようにならないということが情けない限りで、人間力のなさを実感しております。  しかし、子供はできるのですから、産まれながらにその力がなかったわけではなく、どこかで間違ってなくしてしまったのでしょう。そう考えるとやはり教育の問題が大きいのではないかと感じ、現在曲がりなりにも教育に携わる者として、改めてその重大さを考えさせられます。先生がいつも言われるように、教育は人間に備わっている何かを引き出し、育てていくものであるべきですが、振り返ってみるとこちらが勝手に決めつけた目標を押し付け、それに合わないものを排除してきたように感じます。  引き出すのであれば、その結果は予測できるものではなく、時に突飛なものが出てきても当然なのですが、あらかじめ回答を用意して、それを教えている以上そのような答えを受け入れることができません。指導者としての教師が、そのような固定的な事柄しか受け入れられないので、指導を受けた人間の多くがそれにならってしまい、自分たちのような人間になっているのだと感じました。  それでも、今は実際に考えられないようなことを実践されている師がいるので、そこに希望を見出しながら稽古を続けていきたいと思っております。

■神奈川 会社員 53歳 YU

 8月〜11月の実践塾においても、大変得難いご教示をいただきました。  竹刀、木刀で自由に打ってくる相手に対して、小太刀で対処する実技において、先生は、思い切り打ち込んでくる竹刀より先に小太刀で相手の小手を打たれます。何度やっても竹刀は空を打つのみで、先生は難なく相手の間合いに入り、相手を制することを示されました。  通常では、目の前の相手が持つ竹刀や木刀に圧倒され、恐怖心により相手の間合いに入るどころではなく、後方に下がるしかありませんが、先生は、相手の動きがスローモーションのように見えるから、先に相手の間合いに入り、制ずることができるとお話しされます。  このことは、単に相手の動きが見えるだけではなく、その動きに対処する過程を含めて、小手を打っている結果が見えておられるからできる事だと理解しております。相手が打ってくる今という瞬間に先(未来)を見ることができるからこそ実証できるものあり、見の目ではなく観の目で見ることが必要である旨の先生の教えの深 さを感じることができました。  日常においても、先(未来)が見えれば、備えとしての様々な行動を取ることができ、困難な状況から無難な結果へ導くことができるものであり、このことを目に見える形でご指導いただけることに心より感謝いたします。  各人に開発されるような潜在的な能力は持っていないが、先生にお示しいただく調和を生む統一体での行動を取っていくための、回路を身体の中に作っていくことは可能であり、それこそが大切なことだと何度もお話しいただきました。  身体の中に回路を作るには、先生の空手の基本や型を身に着けることでしかないと考えております。そのためには、先生が示される ことを映すしかなく、毎回の実践塾で学び、感じたことを持ち帰り、日々の一人稽古を通して少しで近づけるように精進しなけばならないと強く思っております。  衝突を生む意識での行動ではなく、周囲との調和を生む無意識下での行動、すなわち、心に従った行動がとれるように努めてまいります。  今後とも、ご指導の程、賜りますようお願いいたします。

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