武道 東京実践塾 感想文 2014年10月〜2014年12月2015/01/18 

■調和することで生じる大きなエネルギー(東京 会社員 50歳 Y.U)
10〜12月の実践塾においても、得難いご教示をいただきました。
  毎回、調和することによって、常識では考えられない力を生み出すことを私たちに示していただいています。一度に5人を相手にする腕相撲、それもご自身の腕を台の上に置き、5人が上から押さえつける圧倒的に不利な状態で相手全員を崩し、倒していく実技は、無力化して制するだけでなく、調和することで生じたエネルギーが大きな波動となって相手に作用していくものでした。何もない空間にエネルギーを自在に生み出される先生のご指導は、私たち自身が持っている他者、周囲と調和する能力を気づかせていただき、そのことを日常に活かしていくことで各々の人生を豊かにできるように導いていただいております。

  さらに調和とは真逆の衝突は、自分だけでなく家族、周囲の人たちの力を弱め、悪影響を与えてしまうことも実技を通して示していただきました。先生の腕を押さえる5人のうちの一人が、負けまいと思ってさらに力を込める、そうすると両サイドにいる人の力は弱まり、第三者が動かそうと引っ張れば簡単に崩れてしまいます。負けまいとする欲、自己中心の思考が周囲との衝突を生むことを如実に表していました。そしてその負けまいとする人に私自身の日常をだぶらせ、自己中心に行動をしている自分をあらためて認識することができました。衝突する思考や行動から脱却し、周囲と調和する自分へ変わりたいと強く思います。

  結果が出ない努力は、意味がないと先生は言われます。一部上場会社の経営者、技術者として常に結果を残され、同時に武術修行を通じて侍の生き方を体現されてきた先生にしか、その意味する本質を伝えることはできない言葉だと思います。毎回の稽古の検証の中で、自分たちではどのように工夫し、再現しようとしてもできない現実と、先生の気のご指導により不可が可能になることの両方を体験でき、できるか、できないかしかない厳しい武術修行の一端を通して、この言葉の意味を自分の日常に置き換えて考える機会をいただいていることに心より感謝い
たします。

  おかげさまで、今年も一年間、家族ともども、元気に日々を過ごすことができました。御礼申し上げます。衝突ではなく調和を生む、統一体での思考、行動を実践できるように師を映す心を創っていきたいと思います。 今後とも、ご指導の程、賜りますようよろしくお願い申し上げます。





■自分自身と戦うという事の意味(千葉 柔道整復師 39歳 C.N)
今年も一年間のご指導をいただきありがとうございました。
 そして先日の昇級昇段審査では、昇段という結果をいただきまして真にありがとうございました。黒帯という重さ責任を感じ気後れしてしまいますが、先生からお許しをいただいたからには、「相応しい人間になれ」ということだと受け取り精進をしていく覚悟です。その過程を隠すことなくつくることなく曝け出していきます。

黒帯までに自分の癖を捨てていく、と先生は仰っていましたが、情けない限りですが、まだまだ捨てきれていないというのが現状であると思います。しかし、随分と曇っていたものが晴れて見通しが明るくなったように感じています。その分自分に強く根付いている癖に、気がつくことが出来るようになってきました。自分はまだまだです。と言うのも責任を逃れるための自分の癖のような気がします。そう言っていればまだ時間が稼げるというような打算がどこかにあるのかも知れません。本当の意味で「まだまだです」と仰る方々はその時点でも十分に結果を出していて、人の何倍も先に進んでいます。

 そう考えれば、自分は体裁のレベルでしか物を言えていません。それはこの期に及んで自分の小ささであり我の強さがあるからこそです。今までの自分、過去の自分、自分自身と戦うという事の意味が少しだけ解りかけて来た気がしますが、こんなにも厳しいものかと思っています。自分に負けていることにも気がつけない時があるというより、ずっと気がついてこなかったと思います。

 何かを言い訳して理由を探しておけば、負けていることにも気がつかなくて済みます。しかしきっと潜在的に自分自身に負けている自分を、気づかないように騙している事にどこかで気がついているから、自分を信じることが出来ないのだと思います。

 自分は昔から「自分のことは信じている」と思っていました。それでそれなりに進めていると思ってきたとおもいますが、臆病な自分や妥協する事を正当化し出来たつもりでやったつもりで、自分を騙していた部分が絶対にあると今は確信できます。先生の指導をいただけている現在は、その部分が嫌というほど浮き彫りになってきている感じです。その自分に打ち勝つことが自分にとって大きな変革というか癖を捨てきっていくことに繋がると思います。

 稽古のときに体感させていただく、出来る自分と出来ない自分。間違いなく両方が自分であり、まさに今まで通りの自分の姿と本当の自分の姿を選んでいるのも自分であるのだと思います。現状はどうしたら良いのか解らないのではなく、こうするべきというのが出てきているにもかかわらず、出来ない自分の選択にしたがっている時があります。

 宇城先生はとてつもなく厳しく、どこまでも深い愛で私達を包んでくれています。理屈ではなく絶対的に感じるのです。それでも自分の殻を破らず変化を拒むのは師を裏切るようなものです。先生に辿り着けた自分を本当に信じられるように行動実践するのは自分です。全て見せて体感させていただき、同じ空間雰囲気の中に過ごす時間をいただき、何よりも先生と同じ時代に生かされている事が本当の意味で奇跡だと気づくことが出来れば、もっと変化していくのだと思います。今年は一つの大きな節目となりました。本当にありがとうございました。これからもご指導宜しくお願いいたします。





■師の生き様を学ぶ(東京 会社員 29歳 H.F)        
宇城先生、今年一年ありがとうございました。
 今年一年、今まで以上に先生に学ぶ機会をいただきありがとうございました。先生の生き様や物事への取り組み方を学べば学ぶほど、今までの自分の日々の過ごし方の甘さを痛感させていただきました。またそれと同時に以前に教えて頂いたことでも、また新たな気づきがあり、自分の理解の浅さに気づかせていただきました。

 その中でも「実際に型から技を再現している師に習うことの大切さ」の意味を今まで全く理解していなかったことに気がつきました。今までは、実際に再現された技を目の前で見ることができるということのありがたさ、本物の技に触れることのありがたさだけしか見えていませんでした。

 しかし、今では本当に見て学ぶべきは、その先生が今までどのように生きてきて、そしてその結果として今の先生があるということなのだと改めて気づかせていただきました。まさにいま目の前に遥かな高みにいる先生から学べる、話を聞くことができる、そうした場にいることができるありがたさと、その場で学ぶことの責任にもっと早く気づくべきだったのだと思います。

 「実際に型から技を再現している師に習うことの大切さ」というのは、空手の技だけではなく、仕事への取り組み方、日常の過ごし方、自分との戦い方、そうした生き方そのものを学ぶ機会を頂いていることになのだと思います。

 だから、道場に限らず師に身近に接して学ぶことが大事なのだと感じました。実戦ではその人の生き様が重さになって出てくる、寝転がってテレビを見ていても、立ち上がる途中でも、いついかなる時でも相手を投げれる強さがある、そうした検証の中で今までもずっと教えて頂いてきたのだと思います。

 それが大学の頃から教えて頂いていた「生き様を学んで欲しい」という言葉そのものであり、今になってようやくその言葉の深さと重さに少しずつ気づき始めました。先生に習うことの出来るありがたさと責任、この二つを常に意識して、これからも学んでいきたいと思います。あらためまして今年一年間、ありがとうございました。また来年も引き続き宜しくお願い致します。

                    


■視野を広げ、調和・融合につなげる (千葉 無職 66歳 M.T)
父母から生まれ、地球に生かされ、地球に還る。とはいうものの、死者を見送るのは辛いものです。一方いずれ自分も死は避けられません。とりわけ年齢をとると明日は我が身と考えてしまいます。しかし、考えても詮無いことであり、生き様は即ち死に様と心得て、お迎えが来るまで今現在をしっかり生き、後悔なく、恥じない真剣な生き方をしなければならないと思います。

 そのためも徒に時を送ることなく、自分の時間を早め、行動が先にありきの実践です。できない自分とできる自分。気を通すとできる自分とできない自分の違いを感じて、いろいろなことを気づかされます。

 今回「視野を広げる」ことも再三再四先生から注意喚起を受けました。確かに視野が狭いと見える範囲が狭まる、内に閉じこもる、暗くなる、時間か遅くなる、衝突・対立につながります。反対に視野が広がると見える範囲が広がり、開放的になり、明るくなり、時間が早くなり、調和・融合につながっていきます。できない時は視野が狭くなっている状態にあり、日常生活でも同じ状態にあると思います。視野を広げることは外形から内面へ進む一つの一歩です。見る目から目と結びつく心へと広げていきたいと思います。

 両手を合わせてから相手の手をつかむと倒せる。胸のライトを意識すると倒せる。相手のライトに対してこちらのライトを消すと倒せる。身体に向ける意識ひとつで変わります。同じ動作でも心が伴っているかどうかによって結果が違ってきます。

 また、頭脳を使うのではなく、気を遣うと早く、頭脳の命令では遅い。子供は素直で、正直です。それに比べて大人になると欲が出て、目が曇り、ブレーキがかかっています。今の自分にとって何をやるにしても心がけが大切のように思います。さらには自分から心を広げて、ものごとを大きな視点で見ることだと思います。

 「考えなくさせている時代状況、奴隷にならない」とのお言葉もありました。自立すること、歴史・文化をいっそう学ぶことが自分の中心をつくることにつながるのではないかと思います。




■ 相手に入る為には自分に入る(神奈川 会社員 30歳 M.N)             
宇城先生、今年一年もたくさんの貴重な体験、お話の数々を頂き誠にありがとうございました。私は実践塾の稽古を通し、自分がまだまだ相対の世界で空手をやっている事が改めてわかりました。その事を一番実感するのが分解組手の時です。宇城先生に気を通して頂いた時は相手にまっすぐ入れ、自分の思った通りの技がかけられます。しかし自分の力で同じ事をやっても、相手と自分の間に大きな壁があるように全く相手に入る事ができません。

 そのような「できる自分」と「できない自分」の境界線は面白いほどはっきりと分かれています。できる自分の時はとても視野が広くなり、周りの空気と自分が一体となっている感覚で、相手の存在が全く気にならなくなります。それに比べ、できない自分の時は自分が空間の中に取り残されたような感覚になり、相手と相対している事を強く感じます。

 また、宇城先生に姿勢を直して頂いた時も、相手と自分の壁が無くなり簡単に技をかける事ができます。分解組手において相手に入るには、衝突の無い調和している状態を自分で作り出さないといけません。そして身体が正しい姿勢になると、驚くほど自然に自分と相手の壁が無くなります。

 それを踏まえ改めて自分の分解組手を振り返ると、正しい姿勢ができていない為、自分の意識が相手にいってしまっている事をとても感じます。相手を意識しているという事は、調和の世界からは程遠い状態です。私の稚拙な表現で言うと、相手に入る為には自分に入らないといけないと感じました。自分の身体を蔑ろにしているのに、他人に技をかけることなどは到底不可能な事だと思います。

 以前稽古の際に、麻子師範が「宇城先生は動いているようで身体が全く動いていない」と仰っていました。また子供も同じように身体が動いていないとも言われました。それを聞き、身体が動かないという事は、心と身体が一致しているということだと思いました。私たち大人は、子供のときには一致していた心と身体が、大人になる過程でいつのまにかバラバラになってしまっています。

 子供の時には出来ていた失ってしまった身体を取り戻すには、技ができるようになりたいという欲を捨て、宇城先生が伝えてくださる型を通し、徹底的に自分と向き合うしか無いと思いました 。

                       
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