武道 2014年 5月 東京空手実践塾合宿感想文2014/06/20 

■自分を信じ、他人を尊び、何事にも真剣になる (東京 会社経営 48歳 K.H)
この度の合宿におきましても、とても貴重な経験と、自分を再び見つめなおす機会を与えてくださいましたことを感謝いたします。先生が合宿初日にエピソードとしてお話された、ワニと親しむ男とその行動を取材したカメラマンのエピソードを聞いたとき「信じる」という言葉の意味を改めて思いました。信じきることが自分を救う命がけの場面に遭遇していない甘さ。信じればできるし、できないならそれは無意識に信じていないからであろうと思います。

本当に自分を信じているのなら、今すぐ変化していなくてはならない、そして稽古を通じて技として「できる身体」になっていなければならないのではなかろうか。くちで、思考で「信じている」ということは簡単です。あるいは自分では心底そのように思っているのかもしれない。しかしそれは心からでなく「あたま」で「考えて」いるだけであり「こころ」と「からだ」は違うのかもしれない。

この世界はできるかできないか、どちらかしかないことを、稽古を通じてわれわれは知っています。できないことが、残念ながら信じていないことの証明ではなかろうか。そこに、今の自分の甘さがあるのだろうと思います。日常を真剣に生きることで自分を信じることもできる。そして真剣とは自分で思うのでなく、できるかできないかで検証する。そのことを強く思いました。

そして先生の稽古はあくまで空手を通じて自分を知り、とことん自分は何もできていないだということを知るための稽古です。傲慢にも自分が何かこれはできているのではないかと思った瞬間それはすぐに間違いだったことに気づくことになります。できていないことを認識する気付きに際限はない。ごう慢で横着な心のためにただそのことに気づかないだけなのです。救いはそのことに気づかせていただけるということです。そこから謙虚への一歩が歩めます。

合宿では、外からは見えない内面からの癖を直して頂きました。内面を見ることができ矯めることができる師匠は貴重であり、外面だけを直そうとするスポーツのコーチとの大きな差はここにあると思います。内面の癖は思考の癖、心の癖であり、内面からくる姿勢の癖は外形を直そうとすることでは直せない。

外面からは気づかない、内面の癖やゆがみを先生に直していただくのです。癖は自分でわからないから癖なのです。鏡に自分の姿を映しても外からは見えないので自分では気づくことができません。この内面の癖は自分の思考や心の動き、あるいは日常からくる癖です。その癖が型にも癖として表れてしまう。

自分でも気づかないないそうした内面の癖を直していただく、その力を持った師につくことができる機会を持つことは、非常な幸運と言わなければならないと思います。不思議なことは型の癖を先生に直していただくと、それが気づきとなり自分の思考や日常の癖に思いがおよび考え方や心の動きにも変化が自覚できることです。こうした先生の指導は本当に貴重なことだと思います。

出来ない事を知るためにひたすら稽古をするとは矛盾しているようだが、今までの自分を閉じ込めてた偏った思考から解放するのは、稽古を通じ身体脳による気付きでしか成されることはないと思います。今の出来ない自分を作りあげたのは自分であり、その責任は自分にある。その根底には癖という我ままと自分勝手を許す傲慢な自分が潜んでいるのです。

先生は仰います。「何も努力はいらない。ただ生まれながらに与えられた細胞レベルの力を出せば良いだけなのだ。しないのは自分なのだ」「努力はポーズ、真剣になることが大事なのだ」「我慢はムダ、本当に好きなら、真剣なら我慢にならない。」この言葉を聞くと自分は空手も仕事も本当は好きではないのだろうか、真剣に向かい合っていないのではないか。そう問いたださずにはいられません。自分が「できる身体」になった時初めて先生の言葉の意味が判るのではなかろうかと思います。そしてその時、自分を信じ、他人を尊び、何事にも真剣になれる自分がいると思います。

「落ち込む、ヘコむ、傷つく、全て本人次第。そうなったとしてもそれは自分の心がかってにそうしている。ヘコむことと謙虚になることは全く違う。ヘコむことは自分の勝手な感情であり横着からくるが、謙虚は先生の言葉による気付きからくる」麻子師範がおっしゃったこの言葉でも多くを気づかされました。

合宿の際に先生が披露された立命館高校の感想は素晴らしいと思いました。 宇城先生の講演から受ける気付きの大きさを直感的に直ぐに感じ取り、そのまま自分の将来の可能性へとダイレクトにつなげる柔軟性と、それをきちんと文章で表現する能力の高さには驚きました。先生の仰るように、とてもついこの前まで中学生だったとは思えないレベルです。

こうした生徒さんやその生徒を指導している先生がたが増えていくとするならば日本の将来も崩壊の速度が少しでも落ちていくと思います。子供は平等に教育を受ける権利があるとは思いますが、先生の仰る社会的格差がすでにこうしたことに表れていることを実感しました。

今回も今の自分では気づかぬ自分自身を少なからず気づかされ、変わらずとも変わるきっかけとなる芽をいただけたことをとても感謝いたします。
これからもご指導なにとぞよろしくお願い申しあげます。





■行動先ありきで日々実践 (東京 会社員 28歳 K.Y)
宇城先生、合宿では大変貴重なご指導ありがとうございました。まず今回の合宿では、先生に帯の緩みをご指摘頂きました。それは気のゆるみであり、日常の生活がゆるんでいることをご指摘いただいたのだと強く感じました。そして、黒帯になってまで帯の締め方すらわからない。黒帯になってできなければ、次はやめるしかない。という厳しいお言葉を頂きました。今の自分が中途半端な気持ちで稽古に参加していることを先生はご指摘されたのだと思います。

また、合宿のなかで、先生は物忘れのお話をされ、さっきまで何をやっていたか忘れたときは、元の場所に戻ればよい。というお話がありました。これを聞いた時に、私は自分が何のために空手をやっているのか。なぜ先生に学んでいるのか。その原点を忘れて、中途半端な気持ちで稽古に参加してしまっていたことに気づきました。この時に、先生のご著書に、迷ったら原点である型に戻ればよい。というお話があったことを思い出しました。何のために宇城先生に学び、何のために創心館空手を学ばせていただいているのか。 なぜいつまでも、先生にもっともっと心を開いていけないのか。そして、自分のつまらない小さな欲やプライドから抜け出せないのか。その一つの大きな理由に、空手を始めた「原点」を忘れていたからではないかと思いました。

私が空手を始めた原点は、自分を守り、家族を守れる人間になりたい。という想いからでした。なぜこのように想っていたのか、当時の私は漠然と考えていましたが、今思うと、自分を育ててくれた両親への感謝の気持ち、愛する家族を守りたいという気持ちがあったからだと思いました。 家族を守るためには、まず自分を守れる人間でなければならない。そして家族を守るとは、しっかり経済基盤を持ち、不安定な世の中で生き残れる実力を持った人間にならなければなりません。今の自分では、全くの実力不足、努力不足ですべてが足りません。

小さな、プライド、欲を捨てきれない自分。このような自分では、家族を守れる人間には一生なれない。本気でそのような人間になるためには、それを実現されていらっしゃる、宇城先生のものの見方、考え方を徹底して学び、家族を守ることのできる人間になりたい。そして、少しでも社会の役に立てる人間になりたい。このような決意を新たにし、初段・黒帯からが入門ということをもっと真剣に認識し、自分の人生の本当のスタートをきりたいと思います。今までの自分を捨て、実践、行動する人間になります。これまで何度も、変わりたいけど変われない。を繰りかえしてきました。それは、この原点を忘れ、ただ「変わる」ことだけにとらわれすぎていたからではないかと思いました。

結局、頭で考えた行動は続かないし、「変わろう」と思っているうちは、変われない。だから、変わろうと思うのではなく、行動することで気づいたら変わっているように、行動先ありきで日々実践していきます。

今回の合宿では、創心館空手を稽古させて頂く目的を、もう一度原点に立ち戻って、気づかせて頂いた本当に貴重な合宿になったと感じております。これからの人生、一から宇城先生のものの見方、考え方を学び、日常で実践していこうと決意を新たに致しました。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。





■真剣とは自然体の次元を上げていくこと (千葉 柔道整復師 38歳 C.N)
この度も貴重な場を与えていただきありがとうございます。 先生が話すのをやめられたお話がありましたが、内容は計り知ることは出来ませんが身の危険を感じる力がなければ、その怖ささえわからないのだと思います。逆に言えば身の危険を感じる力が広がっていけば、すぐに身に降りかかること以外も観えてくるのだなと思います。

自分達は先生に警笛を鳴らしていただいているだけでなく、それこそ目の前で実践として全て見せていただいているという、通常では絶対に考えられない指導をいただいているという事を以前にも増して最近特に強く感じます。合宿の最初に先生から厳しいお言葉がありました。「チャラチャラした空手をするな」というお言葉に、自分の中の甘さが当てはまる思いでした。先生が稽古の時に自然に笑ってしまう場を作ってくれる時がありますが、和やかと気が抜けるのは違います。

先生の厳しさの中から来るというか緊張感のある、気が入った中での和やかな場というのは、本当に気持ちが良いです。しかし自分はちょっと油断すると自分の常識の中の真面目、がんばる、になってしまい、そこにこだわり作ってしまい自然体とはかけ離れてしまう感じがします。やはり徹底的に甘いのだと思います。自分の生きてきた範疇の解釈での稽古は結局チャラチャラしたものになってしまうと思いますので、自分の中には無い次元、わからなくても違う次元で稽古をしていきます。

真剣とは顔を強張らせることではなく、自然体の次元を上げていくことなのではないかと思っています。型や分解稽古をやっていると、いかに自分が部分で物を聞いているかや、部分で動いているかがわかります。一つ注意を受ければそこばかりで他がおろそかになり、バラバラと音が聞こえそうなほどです。

そんな中で何かが少しでも体感出来た時はものすごくうれしいし、力じゃない力とはこんな感じなのか、と今まで味わったことの無い感覚を得られます。本当に微々たる気づきでもこんな感じなのに、これが出来るようになっていったらどんな世界なんだろうと想像をすると、あらためて途方もない山の高さに気がつく思いです。

懇親会の席で麻子師範の仰った、その時その時で先生が例え同じ話をしたとしても、今日の話は今日しか聞くことは出来ない。というお話はとても印象に残っています。普段の日常を大事に過ごせていなければ、先生とお会いしたときの一分一秒を刻み込むことは出来ないのではないかと感じました。今日の教えを活かし日常で実践し、次に先生とお会いすることができればその上に積んでいくことになるのではないでしょうか。その時その時にしかない先生の教えを吸収する準備を普段の日常から行なっていこうと思います。今回も寝食を共にしていただく貴重な場を本当にありがとうございました。





■自分の中の枠をでるために全力で行う(神奈川 会社員 39歳 N.A)
いつもご指導頂き、ありがとうございます。今更ですが改めて実感したのは「出来ない自分」と「出来る自分」が共存していると言う事実です。この気付きに至る過程として先輩からご指導頂いた事、そして合宿後の懇親会の場で麻子師範の通訳をしている際に指摘された点がありました。

稽古中に先輩より何度か「硬い」との指摘を頂きました。それは腰だったり、手首だったり、全体像だったりしたのですが指導頂いても何が硬いのか自覚出来ない自分がいました。が、技の検証の過程で相手に対して座礼をきちんと行うと腰の辺りがじんわりと柔らかくなり、技がかかるようになりました。何故、座礼を行う事で柔らかさが出て来るのか、頭ではどれだけ考えても分かりません。ただ事実として何度やっても正座を行うと上手く行くと言う現象がありました。型を正しく行う事で身体に変化が生じる、この事実を素直に受け止めています。

合宿後の懇親会では麻子師範と同じテーブルに付かせて頂き、海外参加者のの通訳をさせて頂いたのですが、その際に、私の通訳は型や分解、自由組手のレベルではないかとの指摘を頂きました。自覚は無いのですが表情が違うとの事。その集中力で技をやれば出来るはずと言われ試してみた所、普通に掴まれて身動きが取れない状態でも誰かの話に通訳をするつもりで耳を傾けていると相手を簡単に崩せると言う現象がありました。これも何故について考えても答えはありません。ただこの事実を謙虚に受け止めるのみです。

関連して自分の中で腑に落ちたのがまとまった時間、通訳をやっていると相応の疲労感があると言う事実。麻子師範がきちんと集中して真剣に型を行えば最初の内は5回やる程度でも消耗すると言っていた内容と合致するように感じました。これがいわゆる集中力だとすれば確かに日頃はここまで継続して集中する事は希なので、技も出来ない訳です。逆に言えば座礼の型と同様、このような集中力と真剣さをもって型を行えば初めてその効果が出て来るのではと感じた瞬間でした。

麻子師範がマーク氏(ニューヨーク支部長)への説明の中で自分の中の枠と、自分で自分に限界を設けていると言う話があったのですが、上述の型と集中力の気付きがそこにも重なりました。自分で自分自身にブレーキをかけながら何故、出来ないのだろう、出来なくても仕方が無いのだろうかと思っていた自分がいた訳ですが、その原因も自分にあったと言うシンプルな気付きです。言うは易し、行うは難しと言う点を重々承知の上で言えば、出来る自分は既にいる訳ですから、その自分が出て来やすいように稽古をする事が一つの道なのかと感じた次第です。その為にも宇城先生が言われたように「全力で行う」と言う事が重要となるのかもしれません。引き続き精進致します。最後になりますが合宿と言う貴重な気付きの場に参加する機会を頂き、ありがとうございました。よろしくお願い致します。





■環境の変化にきづく (東京 看護師 32歳 K.S)
今回、合宿に参加させていただき、ありがとうございます。合宿とは直接関係ありませんが、最近の自分の身の周りの変化について書かせていただこうと思います。

自分は宇城先生のおっしゃるように、人の3倍仕事をするということを目標に日々を過ごしてします。ですがそれは途方もない目標であり、今は人の3倍どころか人並み程度もままならないのが現状です。 ところがつい先日職場で悔しい出来事があり、それをきっかけにこれまで以上に真剣に命懸けで仕事に打ち込もうと決意したことがありました。自分は読書が好きですが、今年一年はそれも必要最小限と決め、仕事に没入することにしました。すると不思議なことに、そう決意した頃からなぜか周囲の人に好かれるようになりました。さらに不思議なのは、自分がそういう決意をしたということを知っている人間から好かれるのならまだ分かりますが、今年入職してきたばかりの新人、つまり自分がどういう人間で何を考えて仕事をしているかなど全く知るはずのない人が自分のことを慕ってくれるという奇妙なことが起きています。しかも一人だけでなく、複数名が同時にです。過去にも慕ってくれる人がいたことはありますが、ここまで顕著な例は今までの人生で初めてです。このことは、宇城先生が教えて下さっていることを実践しようとした結果だと自分では思っています。

 また別の変化についてですが、自分は今の職場で働き出してから4年目になりますが、これまでの3年間で職場の雰囲気が非常に良くなりました。決して自分が良くしていると言うつもりはないのですが、事実として良くなっています。 これは同期の友人も同じことを感じているようです。自分が今の職場に入職してきた頃は、職場の雰囲気が非常に硬く、ギスギスしている感じがありました。そのこともあってか離職率が非常に高く、毎年全体の3分の1が辞めるという状況でした。ですが今は以前と比べると雰囲気がだいぶ柔らかくなり、職場全体が明るくなったように感じます。それは、以前自分の部署にいた先輩が久しぶりに職場に顔を出された際「雰囲気良くなったね」と言っていたことからも分かります。辞める人もかなり減りました。原因はいろいろあるとは思いますが、こういった変化も毎回の稽古で宇城先生に学び、気を頂いていることと無関係とは思えません。

自分はこれまで、宇城先生に学ぶことで仕事が劇的にできるようになったり、周りからの評価が急激に上がるといったことを心の奥底で期待していたように思います。ところが、現実はそう簡単にはいかず、なかなか周囲から認めてもらえない状況が続いていたため歯がゆい思いをしていました。ですが改めて振り返ってみると自分の気付かなかったところで、自分も周囲も、実は良い方向に大きく変化しているのではないかということに気付かされました。それは上に書いた通りです。そしてそれにより改めて宇城先生の空手の奥の深さを思い知らされた気がします。





以下は海外からの参加者の感想文です。




■ジョシュ・ドラックマン(シアトル支部長)
先週の合宿で、宇城先生から直接ご指導頂けるグループに配属された事について深く感謝します。非常に得難い経験でした。我々がクーサンクーが出来ない事に対し先生が見せてくれた呼吸を落とすと言う指導と合わせて、先生の型と周りの空気を変えると言う事がとても自分にとって意味を持ちました。黒帯の女性とペアを組ませて頂いたのも素晴らしい機会でした。先生が何故彼女を私の稽古相手に選んだのか分かる気がします。彼女は様々な点で私の対極にある存在です。自分が悪い癖と硬さが常にあるのに対し、彼女の動きは純粋でリラックスしており自然です。この違いは実に鮮明で自分がどのように上達すべきなのか方向性を示してくれました。先生は彼女が宇城空手しか学んだ事が無く、悪い癖を引きずっていないと言う事を指摘されました。この点は自分が痛感する事です。これはどのように自分の癖を直していくかと言う事だけでなく、過去の自分をどのように捨て去るか、新しい事を素直に学べるよう自分自身が邪魔にならないようにすると言う事だと理解しています。彼女と稽古をする過程でこれらの点が非常に鮮明になりました。

新しい事を学ぼうとする過程で様々な癖が邪魔をし、ほとんどの点で自分がゼロ以下であるように感じました。パッサイでの自分の引き手の弱さ、手刀受けで出て来てしまうスポーツ空手の古い癖、ナイファンチンでのぶれや硬さ、これらを先生に厳しくご指摘、ご指導頂きました。先生からは自分がゼロ以下に感じられると言う事は、それ自体に未来への希望と上達へのポテンシャルがあるとご説明頂きました。これらの言葉に大変勇気付けられました。

また合宿後の懇親会で、麻子師範に色々と質問、合宿での学びをより理解出来るようにと参加させていただいた海外組と自分を麻子師範と同じテーブルに座らせて頂き、ありがとうございます。麻子師範からは呼吸を落とす事、相手に入る、型の最中に接点を失わない事などについてとても深く示唆に富んだ答えを頂きました。ずれていない事、ぶれていない事などです。様々な話題の中には、我々の目標すべき事は型を真剣に行い、稽古の量では無く質を追求する事が重要であると言うお話しもありました。麻子師範からは合わせて注意を頂きました。師範の答えと指導は宇城先生の空手をより深く理解する為の手助けになるかもしれないと同時に、そのように回答を提供すると言う事自体が宇城先生が我々に指し示そうとしている事を見えなくさせる危険性を秘めていると言う事です。これは非常に深く大切な注意事項として留めておきたいと思います。

また海外参加者の女性2名がが黒帯を授与されるの見てとても心動かされました。宇城先生の教えと空手が彼女達に及ぼした様々なポジティブな効果を目にする事はとても幸せでした。これらの経験は宇城先生から学べると言う幸運を改めて実感させる事でもあります。宇城空手以外のどんな武道からもこのような経験が得られるとは思えません。今後ともご指導よろしくお願い致します。





■マーク・エイブラムス (ニューヨーク支部長)
私は、2002年の合気エキスポにて初めて先生にお会いした時に、これから先生にずっと先生から学び続けたいと思いました。エキスポが終わった後にはコロラド合宿に先生を追いかけ、その後に先生をご招待させていただいて、ニューヨークセミナーを開催する事が出来たのは非常に幸運な事でした。そして、先生と先生の教えに接する事によって、私の先生にずっとついていきたいという思いはどんどん深くなっていきました。しかし、年に2度の週末でしか先生に学べないというのは、とても苛立たしい思いでした。それは先生から学んだ事を稽古しても、本当に小さなステップでしか成長する事が出来ないというのが分かっていたからです。東京合宿に年に2回参加できるという事は私の先生の教えに触れる機会を倍にしてくれ、私の成長をもう少し早くしてくれました。ですが、まだ遅い成長に対する苛立ちから、私は先生の教えを確実な物とする為に、麻子師範、もしくは拓治師範代から学ぶ機会を先生に乞うたのでした。

麻子師範のアメリカ指導を許可していただいた時、私は歓喜に包まれました。麻子師範のご指導は非常に正確で真っすぐであって、私たちの心に届きました。そして、先生の教えを学ぶ為に必要な情報をいただいたと感じました。麻子師範が7月末にご指導に来ていただく事で、学ぶ機会が、合計、年に6回に増えました。そしてこの様に学ぶ回数が増える事によって、私たちが先生の教えをより深く学ぶ事が出来、私たちが心より欲していた本当の学びのプロセスを、ようやく始める事が出来ると信じています。

今までの合宿では、私は黒帯でありながら、自分の出来なさ加減を思い知らされる経験ばかりでしたが、今回の合宿はそれ以外の事を感じる事ができました。今回私は、先生がご指導されたグループにいた事を非常に嬉しく思いました。型を行う時に呼吸によって自分を地球に深く繋げる教えは、非常に印象に残りました。今回は型の動きを覚えるのに追われる事無く、私は自分の動きを先生の教えに繋げる事が出来はじめたと思います。そして、一カ所において気が流れている事を感じる事が出来たのは本当に素晴らしい気持ちでした。更には、後ろから肩を下に押してもらいながら基本を行う稽古方法は非常に素晴らしく、この稽古方法は毎日行っています。この稽古は私の体と地球の?がりが何時切れているかを感じさせてくれています。そしてそれ以外にも相手に自分の動きを映してもらい、自分の間違いを指摘する稽古方法も日々取り組んでいます。このように自分の間違いが分かると、それを修正し始める事が出来ると思います。一つ一つ自分の間違いに気づき直す事が私の将来の成長に対する希望となっています。

そして、この合宿は私たちが偉大な師から学ぶ為に払う犠牲がなぜ大事かという事を思い出す事が出来た機会でした。人は、一つや二つの事に対して秀でている事もあります。ですが、人生の全てにおいて導いてくれる師はそのような事とは比べ物になりません。そしてその偉大さはお子様にも映り、お二人さえも、私たちにとってかけがえの無い先生となりました。そして合宿にいらした沢山の先輩方も真摯な態度と深い学びを映しておられ、私たちを先生から学ぶ為に導いてくださっています。

2002年にお会いした時には、私の今の状況はまったく想像もつきませんでした。先生と先生のお子様達に最初のエキスポでお会いできたおかげで、私の人生は良い方向へ変わり、地球の住民としての私の成長を促してくださっています。これからも私は先生の教えを学ぶ為に、もっと稽古に取り組み続けます。だいたいの人間は、退職というのは死期が近づいたサインと捉えて恐れます。しかし私は先生から学ぶ事が出来るお陰で、この時期を私の成長の機会だと捉える事ができているので、これからが非常に楽しみです。私はこの様な学ぶ機会を与えていただき、先生には感謝してもしきれません。そして、この貴重な機会に見合うだけの成長をする事を望んでいます。

麻子師範の私たちに対する気遣いには本当に感動しました。合宿後の夕食においての彼女のオープンで正直なコミュニケーションは、先生から学ぶ姿勢をさらに深く教えていただきました。それ以外にも、東京支部の方々に合宿参加をさせていただいている恩は非常に深い物となりました。またいつかその恩を皆さんが北米のセミナーに来られた際にお返しできたらと思っています。

深い感謝の念と共に





■ジーナ・ドラックマン (シアトル支部)
今回の2014年の東京合宿において、 私は先生に初段を与えていただいて驚きました。そして私は今まで感じた事が無かった程感動しました。毎回先生にお会いする度に私たちはもっと深いレベルでの学びを頂いていると思います。そしてその学びというのは、いままで私たちの周りに常に存在していたけれども、今までの日常的な意識では見たり感じたりする事が出来なかった事を、感じる事が出来る様になった感じです。これは感覚で感じる事なので、いったいどのように説明したら良いかが分かりませんが、これから、先生のお導きによってこの事をもっと深く学ぶ事を楽しみにしています。

そしてこの合宿においては、一番最初の生徒のグループの振り分けの時から、先生の心遣いに心を打たれました。私は麻子師範のグループに入れていただいた事を非常に光栄に感じました。そしてパートナーの女性は常に私に稽古方法の理解を助けてくれて、非常に嬉しかったです。

この時に教えていただいたのはパッサイを使って相手に入る方法でした。中でも蹴りの攻撃を受ける時にはいくら私が入ろうと工夫をしても私は常に蹴られてしまいましたが、これは私が外面の動きに偏っていて、相手の無力化の仕方が分かっていないのと、入る事に対して常に遅れているという事の現れでした。

夕食後に麻子師範にこの事を尋ねた所、私はパッサイとセーサンの型の稽古が足りていない事を教えていただきました。これから更に努力をして無意識に動ける様に全ての型の稽古を積むつもりです。そして今回の合宿にてN氏(病気により、医者から生涯車椅子と言われながらも塾長の指導により回復中)が稽古をしている姿を見られて非常に嬉しかったです。彼の勇気と決意は私たちの全員の目指すべき姿だと思います。

先生と先生の教えに対して深まる感情は、私の稽古に対するアプローチを変えてくれました。今までは型の稽古をしなければいけないという感じでしたが、今は成長するための型の稽古が楽しく、毎日稽古をしたいと思う様になりました。



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