武道 2014年1月〜3月 東京実践塾 感想文2014/04/09 

■一つ一つ心に留めながら(東京 会社員 45歳 Y.G)
いつも実践塾の稽古に参加させて頂き、誠にありがとうございます。

最近の稽古の中では、2月の大雪の中での稽古が、とても印象に残っております。歴史的大雪にも関わらず、多くの方々が参加され、実践塾に参加される方々の稽古に対する姿勢というものを改めて感じました。また、宇城先生からもその皆さんの姿勢に対して、いつも以上に熱のこもった指導をして頂き、心より感謝しております。

最近、先生の仰る「古典物理学と量子論」の違いについても、量子論についてはよく分らない部分も多々ありますが、「今の世の中は古典物理学だけを信じている。しかし、それは思い込みであり、私達がマインドコントロールされている」ということについては実感しております。 先生に、鉄柱が実際に伸びたり、縮んだり、回転したするということを目の当たりさせていただき、本当に自分達の信じている世界が小さなものということを感じております。

稽古に参加する度に、どんどん進化をしていく稽古内容について行くのも必死ですが、それが私自身を進歩させてくれると信じております。内容は進化をしても、空手の稽古においては型や一つ一つの動作を正確に行い、深めていくことがその進歩について行く唯一の方法だと思います。

型において、腕の位置、肘をしっかり延ばすといったシンプルなことが、無限の力を生み出すためは不可欠ということも感じております。毎回、稽古で習ったことや注意されたこと一つ一つ心に留めながら、稽古や日常生活送り、精進したいと思います。
今後とも、ご指導の程、宜しくお願い致します。





■学ぶ側の自分の心次第(東京 会社員 39歳 K.A)
宇城先生、いつも真剣なご指導ありがとうございます。

先生のご指導を受け、最近特に思うのは真剣になって、情熱を持って生きなければ良い人生は送れないのではないかということです。
2月の稽古では大雪に見舞われ、私もいつもより早く家を出て稽古に向かいましたが、他の稽古生の方々も同じように雪や水たまりの中、会場に向かわれていました。その時道すがら話をいろいろとする中で感じましたのは、自分もそうでしたし、他の方も同じだと思いますが、不思議と寒い、冷たいとか、嫌だといったマイナスの感情はなく、先生の稽古が楽しみだという気持ちしかありませんでした。そして、稽古では先生や参加された稽古生の皆さんと一体感のようなものが感じられ、非常に充実感があったのが印象的でした。

修行というのは苦しい、つらいという面ももちろんあると思いますが、それよりも充実感や楽しい、うれしいといった気持ちが上回ると、ものすごく自分に返ってくるなと思いました。

寒い冬にも敢えて行う稽古というのは、上記の他にもいろんな意味・意義があると思いますが、しかし一方でそれは稽古の一面にしかすぎず、どの季節だろうと結局は学ぶ側の自分の心次第だと思います。やはり、稽古に対する情熱・思いが重要です。これは空手のみならず、仕事や人生に対する向き合い方も同じことだと思います。

これからも先生の教えから受けた「気づき」を日常に活かすべく、真剣な思いや情熱を持って人生を生きていきたいと思います。





■自分を信じることとは(千葉 柔道整復師 38歳 C.N)
今年もご指導ありがとうございます。
あっという間の3月で、月日が経つのは早いなと感じています。

毎月先生からN先輩の近況をお聞きするたびに、先生の温かさ厳しさ、人間 の凄さを感じると共に、部分体となっている自分達の怖さ、マインドコントロールされていることへの気づきを感じます。そして心あり、心を開く、ということの凄さというか凄まじさを教えていただいていると思います。

先月の実践塾の際に、職場に復帰するというお話をうかがった時には衝撃を受けました。医者からは「良くて車椅子」と言われていた方が職場に復帰できる、本人やご家族の喜びは計り知れないものだとおもいます。超多忙を極めるスケジュールの中、治療に行かれている先生の姿を見て感動するのですが、先生ご自身は自然体でやられていることなんだろうと思っています。それは特攻隊の浜園さんが言われたように「火の中から お母さん助けて」という声が聞こえれば火の中に入っていくといわれるように、先生にとっては自然な行動なのだと思います。

通常であれば、リハビリの専門家が職業としてリハビリをしています。しかし先生はリハビリの先生でも医者でもありませんが、「専門家」という肩書きをもった方達が考えられないような次元の違う結果を出されています。現在の分野では決して当てはめることの出来ない、違う次元があるということを、常に先生は体現してくれています。医療の世界が本気で取り組んでくれるようになったら、医療は全く違うものになっていくのではないでしょうか。というよりは、何かの枠の中にとらわれていくのをやめることが大事なのかも知れません。

正座をしながら先生のお話を聞いていたときに、足を崩しなさいといわれました。そして、侍になれば足のシビレはおきないと仰られたのがとても印象に残っています。正座でシビレがこないように稽古するのはスポーツの発想と一緒です。侍になれ! というのは今までの生き方は捨て、侍として生きる覚悟をもちなさいと言われたように感じます。

先生が仰る正座の仕方などの所作を変えるという事は生活が変わっていきます。「24時間が稽古」というのは、生き方を変えることになっていくと理解しています。侍になれ、という言葉をいつも念頭に置いておきたいと思います。

常識では考えられない事を毎回体感させていただきますが、それでも古典物理学が染み付いた身体の癖は中々抜けていきません。何かの指標としている基準が捨てきれないという感じでしょうか。しかし身体に任せるというか、本当に身体任せにするというような感覚は以前よりもはっきりしています。

四つん這いの状態に、次々と人がかかってくる実践の時の気持ちよさは忘れられません。まさに身体が勝手に反応しているため不安もなく、自分を信じているという事を実感させていただきました。自信というのは過去に何かが出来た実績が作るものではないと確信しました。世の中の全ての物事を経験するのは無理ですが、どんな状況であっても、文字通り自分を信じていければ自信を持って過ごせると思います。

気を通して頂きながら、垣間見せていただける次元の違う世界、しかし同時に誰でも出来ることが出来なくなっていると仰います。
もっともっと自分を信じようと思います。妥協案や、いつも通りに逃げようとする頭よりも、恥をかいても失敗しても、自分を信じる道を歩もうと思います。





■自分の変化は、周囲が教えてくれる(東京 教師 45歳 H.S)
日常の中で空手を生かすにはと考え続けています。

先生の教えはハッと思わせていただけることが多く、常に肝に銘じておきたい お言葉や実践的なことがあります。しかし未熟な私は目の前にあることに執着し、 せっかくの先生の教えを日常に反映させてゆくことが上手くできません。

やはり先生の教えのレベルは高く、また深いと痛感しました。言葉として捕ら えるのは比較的簡単ではありますが、こと実践となると大変難しいと思います。 何か一つでも出来ないかと考え続けた結果として、「一日一膳」をすることに決 めました。何でもいいから社会的にいいことをする。どんな稚拙なことでも一日 一膳。これなら私にもできるだろうと思い、実践してみましたが、これが少しも 簡単ではありませんでした。席を譲る、ゴミを拾うなどは自分だけなので行いや すいですが、常に遭遇するできごとではありません。また、ゴミ捨て場の清掃な ども、近所のお年寄りの方などが日中に済ませて綺麗にしてあるなど、私が考え られることは他の方が先に行われていることが多いのです。

ここで思い出したのが、先生がよく言われているスピードです。何を行うにも 身体のスピードが遅いと実施することが難しかったり、成果に繋がらないのだと いうことも、一日一膳の経験から理解できました。

何か実践すると同時に身体のスピードをあげる。この両立が大切なのではない かと思いました。スピードは日常の姿勢や所作を正しく行い、実践してゆく。 どのように変わったかは自分では解りませんでしたが、最近では家族が自ら玄関の靴を揃えたり、周囲の整理整頓を行うようになってきました。

自分の変化の度合いは、周囲が教えてくれる。よく解りました。まだ変化はごく小さなものですが、これからも続けていきます。
これからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。




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