武道 2012年11月〜2013年1月 東京実践塾 感想文2013/02/21 

■調和の心を創り、学ぶ姿勢を養う   (東京 会社員 49歳 Y.U)
11月〜1月の実践塾においても、得難いご教示をいただきました。気を通してのご指導により、スクラムを組んだ人たちを簡単に押すことができ、心の発動を源とする統一体としての行動が調和を生み、大変大きな力を持つものであることを体感することができました。それは、衝突や抵抗は全くなく、繋がっている一体感を感じるものでした。

それとは対照的に、自分たちで同じことを行おうとすれば、たちまちに衝突が生まれ、スクラムを組んだ人たちからの圧力を感じ、全く押すことも引くこともできない自分がいます。そこには、相手を押したい、引っ張りたいという自己中心の考えが、意識の中で生まれ、それが電波として相手に直ちに伝わり、反発として自分に跳ね返るという、部分体での行動の結果がありました。この違いは真心を原点とした利他の行動と意識の中で変換された自己本位の行動であることを示していただきました。これは先生がお話しされた人間が本来持っている種の保存のための本能ともいうべき利他の心、他者を助け、協力して事を行うということを認識し、人間の存在に大きな希望を持つことができるものでした。

また、単に手を合わせる『祈り』という行動は、後ろから他者から押されても動くことはないほど、強さを伴っているものであるが、『金持ちになれますように』という自分に対する祈りだけでなく、『家族が幸せになりますように』といった周囲の幸せを祈るようなものでも、頭(意識下)での祈りは欲による動作(部分体)でしかなく、後ろから押されると簡単に崩れてしまうほど弱いものであるという実技を通して、手を合わせるという所作自体が、人間が本来持つ神や自然に対しての畏敬の念や、他者への愛から生まれた無意識下の動作(統一体)であり、それは内面(心)と外面(所作)が一致した尊いものであることを示していただきました。これに対して、欲による祈りは、いかに他者のための所作、祈りであっても、それは頭(意識)の中でのものでしかなく、自己本位の偽善であること、そして行動の源である『心』は無意識下にしか創ることができないということを学ばせていただきました。

今までの私の学ぶ姿勢を振り返ると、先生のお話や実技を通してのご教示を意識下(頭)で理解しようとしていたことに、思い当たることができました。先生のお話を耳で聞き、体感したことを頭の中で違ったものに変換しようとしている自分のレベルの低さと横着さを今更ながらに感じ、反省をしております。当然のことながら、先生の教えは、頭(意識下)では到底学べるものではなく、素直な心で映し、身体を通じて感じたものをそのまま受け取ることが、先生の教えを学ぶ姿勢として最初の一歩になるものと気づかせていただきました。そして、先生の教えを受け取るだけの力を養うためにも、教えを映す鏡である心を創っていくことが、何よりも重要なことだと強く思いました。

どのような場面でも年齢にふさわしい立ち居振る舞いが、できるように、自分の内面を見つめていくとともに、先生に学び、その実践、行動の源である『心』を創ることができるように、精進して参りたいと考えます。今後ともご指導の程賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。





■謙虚は心がけるものでなく気づくこと   (東京 会社経営 48歳 K.H)
常に変わらず心のこもった、そして厳しいながらも暖かい稽古をご指導いただきまして、誠にありがとうございます。
宇城先生の稽古は厳しくそしてとても心を踊らせられる稽古であり毎回が、私にとってこのうえなく楽しみな時間です。稽古を通じて自分がいかに何もできていないか、何も知らないか、気付くことができないか、そしていかに驕っているのかを、毎回知らしめて頂けます。普通の空手の道場では何かを身につけようと稽古しますが、宇城先生の稽古は今の自分の本当の姿を知る稽古です。稽古を通して今まで気が付かずに見過ごしていた本当の自分、あるいは薄々気付いていたが正面から向かい合うことや、無意識のうちに変化したくないという自分に目をつむってきたもうひとりの自分をまるで薄皮を剥ぐように顕にしていきます。

先生から直接ご指導いただく稽古中の時間は、気付きのきっかけをいただくところであり、日常をとおして仮面の下にあるエゴの殻をかぶった本当の自分の姿と、正面から向き合い直視する勇気を持ち、その鎧を自らの力で剥がしていき、真実の自分をさらけだす覚悟を身に着けていく時間だと思います。自分の弱さを知り、できないことを知り、何も知らないことを知る稽古です。それはイメージや観念的なものではなく空手を通して行われるのでごまかしがありません。できるかできないかという現実しかないのです。そして先生のご指導を受け、稽古の度にできない自分を知ることが新鮮であり、きちんとそのことを受けとめられるように自分に少しずつ変わっていくことが嬉しく思えるのです。

先生の稽古は単なる空手の稽古ではなく、空手の稽古を通して人生の指針を学ぶ稽古だと思います。稽古を通じて気付いたことは全て即日常に、人生に活かせていけます。だから空手と日常は別物ではなくイコールなのだと先生に諭されました。今まで出会った先生方でこうした指導をしてくれた方はなく、また先生ご自身で真似できない位高いレベルでそれを実践されてきた方にお会いしたのは初めてでした。我々がとても伺い知る知ることのできない高みにいる先生ですが、稽古で指導くださるときは我々の高さまで降りてきてくれます。しかし、まるで蜃気楼のように或いは山脈のように例えほんの少しでも知れば途端に、その先の無限の広がりを知らされずにはいられないのです。こんなに密度の濃い貴重な時間を体験させて頂いていることに本当に感謝いたします。そうした感謝の気持ちが自然と湧くのも、先生の前では今までの自分にはなかった真の謙虚な気持ちからそうさせるのだと思います。

しかし残念なことに、まだまだ自分への甘えから日常では謙虚になることを忘れ、つい我を出しハッとすることもあり先生のご指導が活かされていないと自覚します。だから先生が仰るように本当の稽古は道場ではなく、日常で行うのだという教えがよくわかります。私は今まで謙虚であろうと心がけていました。しかし謙虚は心がけるものでなく自分が素直に透明になることによって、今まで気付かなかったことに気付くことで違う世界が開け、知れば知るほどさらなる奥が見えてくることで、自然と謙虚にならざるをえないのです。謙虚を心がけるは頭での思考であり、その裏には何かを分かろう、身に付けようという「欲」が隠れています。

心がけるは無意識には繋がらず今を生きることにならないのです。席を譲ろうではなく気付けばすでに譲っていたでなくてはならない。全てをそぎおとし素直な自分、謙虚な自分になること。先生は稽古を通して色々なかたちで事あるごとに、そのことを指導してくれていたのでした。謙虚も気付きの度合いにより深さがあると思います。謙虚になることができれば自ずと感謝の気持ちが起こる。それができたことへの感謝に繋がります。

人はなかなか自分の弱い部分に正面から向き合おうとはしません。 素直になろう、謙虚になろうと思っても心のどこかで、それを恐れ抵抗しようとするもうひとりの自分がいます。先生の稽古を受けているとそのことがよく分かります。自分がやってきたことを変えたくない、してきたことに執着があるひとは、新しい出会いには恵まれないといいます。自分が変わらないのは、無意識の自分が変わることを恐れプロテクトしているからです。このプロテクトにはいろんなプロテクトがあります。外見を着飾る、筋トレをして体を大きくしたり、刺青をしたり、あるいは拳にタコをつくりこれ見よがしにつよそうに振舞う、社会的地位や名誉を鼻にかけたり、大会での優勝を心の支えにするのも、形こそ違え自分の心の弱さをプロテクトしているのです。

強さとは何か。人を叩く技術に長けていることが強いのではなく、自分の心のプロテクトを剥ぎ取っていき自分がどんなに弱い人間であるか、ということに正面から立ち向かっていくことのほうが本当に強いのではないかと思います。他人に対してどうこうの相対的強さではなく、本当の強さとは自分の弱さを自分で誤魔化すことなく素直に認める勇気と言えると思います。

本当の強さを知ったひとは謙虚にならざるをえません。そして先生が機会あるごとに我々に諭してくださるように、我々はあくまでも宇宙や自然といったものにより生かされていると知ればさらに自ずから謙虚にならざるをえないのです。先生は稽古を通して、実際に目で見せ体で感じさせていつもそのことを示してくれています。それを素直に自分のものとするかできないかは、全て受け手である我々の問題です。受け取ることのできない私はまるで電波は常に空間に飛び交っているのに、それを拾うことのできない性能の悪いチューナーの様です。

〜をしようと考えることは理屈です。考える前に行動する、気がついたら結果としてそうしていた、としなければ先生が仰ることは理解できないだろうと思います。なかなか先生のご指導を我が物とできないでいますが、頭で考えることで身に付けるではなく心で感じ、体で考えるを実践し、日常の稽古で少しでも多くのことを先生から我が心に映していけたらと思います。これからもご指導よろしくお願いいたします。





■師から賜る「知・仁・勇」   (神奈川 会社員 71歳 K.I)
毎日の生活の中で自己確立の難しさを日々感じていますが、実践塾での教えを実践することにより、僅かずつでも確かなものにしていきます。 論語に「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」 と有りますが、師から賜る指導の中にこの「知・仁・勇」全てが含まれているからです。しかし、この学びを生かせる人に成る事は難しい。知識が有るから判断を間違えないという保証はなく、勇気の大切さは分かっていながら、生活のかかった職場の中で孤立覚悟で正義を貫くのは簡単ではなく、学んだことをどこまで日常の生活の中に生かすか、其れは自身の心に有り、ひたすら心を練り、型を練り、その中で自己を見つめ他者への尊敬と真剣な稽古を行うことで互いを高め合う、「他尊自信」の心で乗り越えて行きたいと念じています。

 社会の相対の中で相対を超え、絶対世界で心を練り自身の弱さ、傲慢を知りそれらを捨て去り、自らの心田を豊かのものとして心の安定を得て、他人の事を優しく包み込むような愛情を持って見守れるだけのゆとりと尊敬の礼を尽くせる、「知・仁・勇」を心がけ自己確立を目指します。心の雑草を取り、溌剌颯爽とした一年とするべく今年の一歩を踏み出していきます。  





■初段からが入門、今変わる時   (東京 会社員 27歳 K.Y) 
宇城憲治先生、いつもご指導下さり、本当にありがとうございます。また、この度初段に昇段させて頂き、ありがとうございます。初段を頂き、黒帯の重み、責任、そして先生が常々おっしゃられる、「初段からが入門である。」というお言葉が強く心に響いております。今変わる時なのだと感じております。私は、宇城先生のご指導のおかげで、いかに自分が自己中心で、謙虚さがなく、横着であるかに気づかせて頂きました。そして、すぐに周りに影響されたり、自分の実力も分からず、できないのにやろうとする横着さを、稽古を通して繰り返しご指導いただいております。まだまだ謙虚さが足りず、すぐに横着になってしまう自分がいますが、それは私のこれまでの甘ったれた生き方がまだまだ変われていないからなのだと反省しております。なので、すぐ調子にのってしまう自分に対して、「調子にのるな。」という先生のお言葉を常に自分に言い聞かせ、もっともっとすべてのことに謙虚になります。また、他人に対しても思いやりが足りないので、もっともっと思いやりを持った人間になれるよう、先生から学んでいることを日常の中で実践していきます。

また、先生への御礼の会では、先生との本当に貴重で幸せな時間を過ごさせて頂きました。私たちが先生をおもてなしさせて頂くにもかかわらず、先生が一番私たちに暖かいお心遣いをしてくださりました。先生から溢れる本物の愛で場の雰囲気が満たされ、幸せな気持ちでいっぱいになりました。その後、数日経ちましたが、今でも幸せな気持ちです。このような先生の愛を感じるとともに、私自身の日々の横着さや、調子に乗っていたことに改めて気づかせて頂き、その横着な自分が恥ずかしくなりました。なので、今の自分を反省し、もっともっと先生の心・行動を自分に映して行きたいと気持ちを新たにしました。また、先生はすぐお店の方などにも声をかけられ、パッと入られておりました。それにより、場の雰囲気が一瞬にして良い雰囲気になりました。これが社交性であり、人間関係なのだと教えて頂きました。先生は、常々、道場だけの稽古ではうまくならないとおっしゃられます。まさに、このような道場を離れたところでの先生の立ち居振る舞い、会話、雰囲気、すべてがとても大切な稽古であると感じました。これからも、もっともっと謙虚に、心を開き先生の教えを映していきます。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。





■人間は、無限の可能性を持っている   (東京 会社役員 50歳 T.K)
武術の世界は、生と死のなかから生まれ、そこに身を置く「心」と「覚悟」が必要な事。そこに至る修行である事を教わりました。登れば登る程、とてつもなく高く、追い求めれば求める程、果てしなく深い世界を前に、自分はあまりにも怠惰で愚かで、真剣さや覚悟が足りていませんでした。

アルジェリアでは多くの人達がテロにより非業の死を遂げました。亡くなっている人達がいる中で、今自分は生きているという事を思い起こし、生かされている命をもっと真剣に燃やさなければと思います。先生の「悩んでいる暇は無い」という言葉を思い出しました。そして「小宇宙である人間は、無限の可能性を持っている」という先生の教えは、自分にも出来るんだという希望を持つ事が出来ました。先生によって自分は変化している。自分を信じていこう。という気持ちにつながりました。

これからも武術に対する謙虚さと生かされている事への感謝、そして自分を信じる事で、一人革命を目指したいと思います。どうか今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。





■理屈ではなく、身体を通して理解する   (東京 公務員 30歳 K.I)
「型は美しく 技は心で」の教えを受けて 今月の実践塾では、昨年以上に氣の力を感じとることができました。
 真の自信はどういう状態かを体感でき、「戦わずに勝つ」ありかたへ近づきたいと実感しています。 全員でサンチンをやるとき、腕の位置を修正いただきありがとうございました。 そのときの様子を目に焼きつけ、身体に刷り込んでいきます。 虎口などの検証でも、身体はうそをつかないことを改めて痛感しました。 形の正確さのみならず、脱力や心の込め方が具体的にどうすればいいか、の課題が私に残ります。

5つある型のうち、最も基本であるサンチンができていない事実を知りました。そこから、普段の生活や型の練習を見直すきっかけを得れました。心を込めて過ごさないと、その時間が無になるばかりでなく、下手をすればマイナスになります。0点〜100点という評価法に慣れていた私には、戒めるべきことと振りかえれました。逆にいえば、上限のない可能性が開かれていることもお聞きしました。仮に100点をとれたとしても、1,000点、10,000点という領域があること。「今」この瞬間を、心一杯に過ごしながら、たえずフィードバックしていきます。 「画竜点睛」という、中国のことわざが私は好きです。ここでの教えや気づきを、ひとつひとつ確かに身につけて一連の流れにしていくこと。やがてはすべてがつながるように前進の励みにします。仮に退歩したとしても、「受け」の効用をイメージし次の一手に備えたいです。日常生活でも希望ある変化があります。私は、周囲との衝突を心で感じることがあります。

私自身、我を張る部分がまだまだ残っているのだと思います。長い間悩んでいましたが、とらえ方が最近変わりました。心身の呼吸や、目前の課題に集中する気持ち良さを深く知ること。競争意識を薄れさせ、自分の能力を引き出すことに集中すること。サンチンの型で、脱力のありがたみを体感できること。今までにできないと思ったことができた瞬間。 先が見えないときも、方向性だけ明確にすれば道が開かれること。 マイナスの自分を見るのは辛い中、少しずつよくなっていくプロセスを感じています。先生の教えや意識の高い先輩方から、よりよい日々をすごすヒントをいただいています。理屈ではなく、身体を通して理解できるように意識しながら、日常の質を深めることで、今までの自分の枠を超えることが励みになります。自分の好きな点も、不器用で納得のいかない点も見つめながら。どうもありがとうございました。 今後もご指導をよろしくお願いいたします。





■心のままに行動し、善き行動のために心を磨く   (神奈川 会社員 41歳 Y.E)
いつもご指導をいただきまして、まことにありがとうございます。 ここ最近は自分の内面――姿勢的な内側のゆがみ、心のゆがみが意識にのぼり、気がつくごとに修正をしています。分解組手でさえ逃げたがる自分が、型をするときにも表われていることに気づきました。

先生がおっしゃった、「技ができる感覚をサンチンなどの型に入れ込んでいく」の意味が自分のなかでつながったように思います。これはイコール日常でもあると思います。 型で気づいた自分の心の姿勢の問題を、型で修正し、組手・日常でも修正する…このように互いにフィードバックがかけられるようになれ ば、また新たに見えるものがあるのではないか、という期待ができました。「できない」なりに、稽古が楽しくなりました。 11月の昇級・昇段審査は、皆さんの稽古をじっくり見学する機会でした。その人と接して、あるいはその人の感想文を通して感じることと、型・組手から感じることとの違いがありました。その一致が見られたときに 美しいと感じられるのだと、先生はおっしゃいました。

私たちは心を身体に表わすことすら、困難となっている。「技は心の発動」と知っていても、できなければ意味がありません。心のままに行動する、善き行動のために心を磨く… 宇城空手はその訓練であるのだと、改めて(やっと)腑に落ちました。先生は「できるようになれ」とは おっしゃいません。「誰かを幸せにし、自分もまた幸せであれ」ということを皆に求めておられます。自分を守り、相手も守る(それどころか強くする)気と調和の力を見るとき、地球社会全体の希望を感じます。人類としての新しいエネルギー 時代を予感します。 かつて地球上において、その時存在していた生命体(嫌気性生物)にとって、「酸素」が有害なものであったといいます。しかし、光合成をおこない酸素を放出する生物が生まれエネルギー変換の効率の良さから光合成する生物が大繁殖し、地球上は酸素を利用する生物にとってかわられた。

生命が存在する環境、仕組みおいて、それまでの当たり前が、間逆に転回することがあった。これと同じように、先生が体現される気 は、人類全体の爆発的進化をもたらすものではないかと感じています。 5%のさらに0.1%の「知」のなかで知識を軸に生きるよりも、感じることを軸に生きたい。しかし、感じるままに、ひいては細胞のままに生きることができなくなっている。

アルジェリアのテロで日本企業が標的にされたのは、もう日本は守る、大切にするに値しない国と見なされたからではないでしょうか。世界から愛され、尊敬された文化をもつ日本人は、その文化の喪失とともに敬愛も失ったのでしょう。崩れはじめた崖を止めることは容易ではありません。しかし、 崩壊を食い止める道はあるのだと、私たちは示していただいています。先生が見せてくださる調和力をもって、10人でも100人でも動かしてしまう事実。延々と受け継がれしつけられてきた所作や形で強くなること=地球とつな がること=自然を味方につけること。…気づけよ、幸せへの道を歩めよと、はるか未来から今を見る先生からすれば、もどかしさや虚しさ で一杯なのではないでしょうか。それでも、諭してくださる。殻を破り一人ひとりが幸せになり、周りを幸せにし、地域を、国を、世界をと、希望が膨らみます。

 思いは膨らむ一方ですが、まずは足元からです。器を大きくしていくことで0.2秒を示す長さが変わっていく同心円図はとても納得がいきました。人間としての成長がなければ、稽古での成長もない。両輪であり、表裏であり、ひとつである。これからも常に問いかけて参りたいと思います。ありがとうございました。





■果てしない道を一歩ずつ   (東京 会社員 34歳 D.T)
宇城先生、いつも大きなご指導ありがとうございます。
まず実践塾で学ぶことを許可していただきまして誠にありがとうございます。以前から道塾で学ばせていただいておりましたが、数年ぶりに道着に袖を通すことができ、とてもうれしく思っております。今回は実践塾での最初の感想文になります。まず宇城先生には、以前から道塾で学ばせていただいておりましたので、実践塾での最も大きな変化は、学んでいる他の生徒の方々だと感じました。道塾の上級の方々も大変尊敬できる方が多くいらっしゃいますが、実践塾は輪をかけてみなさんの真剣かつ本気な思いがビシビシと伝わってきて、大変刺激を受けております。私も今回実践塾生の一員となることができ、みなさんに恥ずかしくないように精進したいと思います。

今回はじめて道着を着用するということで、どのような道着を使用すればよいのか考えていた関係で、宇城先生とみなさんの使用しているものを観察しておりました。先生の道着は本当によく手入れされていて、袖や裾の長さも適切で、真っ白でアイロンをかけたてのような印象を受けました。よく見ていると熟練者になるほど、道着の手入れが行き届いており、白帯の方ほどよれたものを着ているように見えました。道着ひとつとっても宇城先生の思いが映しだされているのだと、感銘を受けました。

また先日は直接サンチンの指導をしていただけて非常に感慨深い思いでした。宇城先生の著書やDVDで学ぶようになってから10年近くがたっております。いつか宇城先生にサンチンを指導していただける日を夢に見ておりました。そして指導していただき自分の中でサンチンが全然別のものになったような感覚になっております。今まで積み上げてきたものがリセットされて、また1から取り組んでいるような状態になっておりますが、恐らく、こういったことを繰り返していく中で上達していくのだと思います。太陽を見上げ目指しているような、果てしない道ですが、一歩ずつ確実に歩んでいければと思います。私なりに誠心誠意やる覚悟でおりますので、今後ともご指導よろしくお願いいたします。


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