武道 2012年 第三期(7-10月) 東京実践塾 感想文2012/11/05 

■調和するために欲を捨てる   (千葉 44歳 自営業 A.S) 
いつも御指導ありがとうございます。最近、自分自身を振り返り気付いたことを書きます。自分は、知らないことに遭遇すると、本を読んだりインターネットで調べたりして、それについての知識を得ようとする傾向があります。誰しも、そういったところがあるとは思うのですが、客観的に見て、そこに費やす度合が大きいように感じています。そういった性格が頭脳中心の、部分体の自分を作っていると思います。

そこで最近では、知識を詰め込んで分かろうとするやり方を捨てようとしてきました。しかし、新たに、知らないことに遭遇すると、それについての知識を身につけたいという欲が湧いてきます。この欲の源が何処にあるのかを考えました。知識を修得することで、より完璧な自分になりたい、他人よりも優れた存在になりたい、他人から凄いと思われたい。そういった欲があるようです。

ここで、自分の「突き」にも思いが及びました。よく先輩から、「当てにいっている」、「力が入っている」等、言われます。その根底にも、無意識ではあるのですが、上述の件と同様の欲があると気付きました。つまり、相手をやっつけて優位性を示したい。優位性を感じて、自分が満足したいという欲です。実践塾で学んでいることは、これらとは逆のことです。

このような欲があると、相手との衝突を起こし、調和できない。調和する方向に向かっていなければ、いつまでたっても、できるようにはなりません。また、そもそも、他人より少しばかり知識があるから偉いと考えることも、レベルの低いことです。人から凄いと思われたいとか、優位性を感じたいというのも、何とも小さな自己満足です。これらの尺度は相対的なものなので、追い求めている限り、切りがありません。日常生活における自身の内面を観察しますと、残念なことですが、常に、このような欲が生じているようです。こういった欲を捨てていけるよう、自分の中に湧いてくる感情を常にチェックしていこうと今は考えております。





■身体に嘘はつけない   (神奈川 42歳 教師 H.N)
不安な気持ちがあるのに「不安がない」と思って手を挙げると、どうにもならないくらい弱くなりました。身体に嘘をつくことはできない、自分をごまかすとかえって損をする、不安を抱えているときはそれをごまかさずにいた方がまだましであるということが、この検証によってはっきりしました。

先生がよくおっしゃっている「瞑想しても意味がないぞ。」ということも、これととても関係のあることだと思いました。また、今回の実践塾においてメリケンサックの組手を体験させていただきましたが、素手の組手とは比較にならないくらい、早い段階での決断を求められるということがよく分かりました。怖さを感じて身動きが取れなくなるのも、結局は自分自身の行動、決断が遅すぎることから来ているのではないかと感じました。





■強くならなければ、言葉が嘘になる   (東京 43歳 会社員 K.M)
いつも稽古にて宇城先生のご指導を受けさせていただきありがとうございます。稽古を通して、また、稽古の後の日常生活において気づいたことが二つあります。一つは、稽古はすべて日常の中にあり、その延長に空手があること。もう一つは、心と体は一体であり、強い肉体とが無ければ、いくら口で絶対逃げないと話していても、肉体に強いエネルギーが正常に流れていなければ、自分を裏切る結果となるということです。

まず、一つ目の日常の過ごし方の大切さですが、宇城先生は常々24時間が稽古であると話されています。しかし、その意味を理解していたかと言えば、理解できておりませんでした。起きた時、食事の時、歩いている時、ドアを開ける時き、その全ては稽古に通じている。今現在でも、24時間の意味はきっと一部しか理解出来ていないのだと思っています。型が出来ない、では、姿勢から見直し、姿勢が出来ていなければ、正座から見直し、一つ一つ前に振り返り、戻っていけば日常すべてを見直すことなります。だから、結果24時間すべてが稽古となるのだと気がつきました。少しでも、気づきが増えるように、直すべき課題に気がつけるように取り組んで参ります。

稽古を通して、いかに自分が出来ていないかはっきりと自覚できました。でも、落ち込む気持ちではなく、逆にすっきりとした気持ちでした。稽古では、その場で出来る為に稽古しているわけでは無く、はっきりと出来ないんだといううことを知るという価値ある経験をしていると気がつきました。また、その場だけの稽古で、出来るようになろうという横着な自分に気がつきました。出来る訳がありません。24時間を稽古して、それできっかけが掴めるかさえ分からない程、奥の深い世界だと感じています。

もう一つは、裏切らない自分を作るということです。その場でいくら「自分は絶対逃げません」と思っていたとしても、いざ、窮地に陥ったり体調を極端に崩し弱っていたら、その言葉どおりに行動できるのだろうか。どんな時でも、自分を裏切らずに行動するためには、強くなければならいんだと思います。その為に、空手があると思っています。強くならなければ、言葉が嘘になる。そう思っています。
まずは、日常を見直し、24時間を稽古とすることが一歩だと取り組んで参ります。まだ全く何も出来ていないことに気がつけて良かったと思います。私は何もできていません。だからこそ、空手の前の日常を見直し、大切にして参ります。これからもご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。





■何事も行動・実践なくしては何もわからない   (東京 38歳 会社員 A.K)
宇城先生、実践塾での貴重な御指導、いつもありがとうございます。私は先生の御指導を受けさせていただく様になり、自分自身がこの世に生を受けた意味は何なのかという事を考えるようになりました。意味のない生命の誕生はないと思いますし、私にも何らかの意味があってこの世に生を受けたのだと思います。

正直に申しますと、今の私には全く自分の役割と言いますか、自分自身の生の意味は分かりません。いろいろ考えた時もありましたが結局はわかりませんでした。今をしっかりと生きる事、仕事を人の三倍・四倍とやる事など宇城先生に今まで教えていただいた事を日々の日常生活の中で実践していく過程で自分自身の生の意味も役割も身体で分かってくるのかなと思っております。

やはり何事も行動・実践なくしては何もわからないのだと思いました。自分自身の生の意味や役割に気づきましたら、またそれに向かって邁進していきたいと思います。そのためにも今やるべき事は仕事、そして日常生活をさらにしっかりさせる事です。宇城先生という人生の師にお会いし、貴重な教えを受けている事、実践塾で素晴らしい方々との御縁をいただいた事、これらの出来事への感謝の心を忘れず、先生の教えを実践・行動していきます。

先日も私の両親から『お前は変わった。十年前と比べると本当に変わったと思う。素晴らしい先生、そして仲間の方々にお会いしてるんだね。』と言われました。さらに両親に、先生に喜んでいただくためにも今日より明日、明日より明後日という様に変わっていきます。
宇城先生、今後ともよろしくお願いいたします。





■本物の空手を学べる幸せ   (東京 40歳 整体師 M.S)
10月の先生のお話の中に、天動説と地動説、またそれに伴う支配者層の我欲による誘導というものがありました。大変興味深く感じました。今この時点において正しいとされる科学的事象も、未来では全く逆転してしまっているケースもあると思います。ピラミッドの底辺にいる世間の人は与えられた知識や情報を鵜呑みにしています。この事について今までは別段意識することもありませんでした。

私は幸いにも先生にお会いすることにより、現在まだ解明されていない「気」が確実に存在するという事実を目の当たりにし、意識が変わりました。実践塾では当たり前の光景も他者から見ると不思議なもの、非科学的なものとされます。世間の人は自身の自己正当化、自己弁護の為に、今まで信じてきたことをすんなり手放したりはしないのでしょう。やはり身体を通して実体験することが大切だと思いました。気の通った人になれば、物事の成否も自然に理解できるようになるということで、それは大変修行の励みになっています。

9月の合宿から早1月半ほど経ちました。あの体験は僕にとってとても貴重で、技の一人稽古においても練習の方向性に迷わず、以前よりも集中できるようになりました。それと共に身体の調子もよくなってきました。型をやり終えた後が、疲労感というより充実感が残る気がしています。また前よりも少しは胸が開くようになったのか、肩が柔かくなった気がします。仕事中も身体がわずかに身軽になったようで、無理して姿勢を正すことが減り、大変喜んでいます。改めて本物の空手を学べることに幸せを感じました。





■かけがえのない指針   (神奈川 会社員 41歳 Y.E)
いつもご指導いただきまして、まことにありがとうございます。夏から秋にかけて、通常の稽古だけでなく合宿(さらに道塾合宿)でもご指導いただきましたが相変わらず、毎回毎回「できない」を徹底的に知らされました。それは「空手」ではなく、もっと人として根本的なことのように思います。

 心が開かれていない
 調和がない
 まっすぐに見ていない
 地球に立っていない
 呼吸ができていない・・・・

並べて文字を見ているだけで元気がなくなりますが、これが自分の現状です。心も身体も分断された状態であっても、とりあえず生体として機能しているのでこうして知らされなければ自分が「死んでいる」状態であるとは一生わからなかったと思います。

植物ならば、地球(土)から切り離されたらほどなく本当の死を迎えますが、人間は移動して生活できるために、地球から離れ、命綱が切れていても生命としては維持しつづけられます。しかしそれでは「命をまっとうしている」とは言えません。人間としての、ほんとうの幸福とはどういうことか、それを自分自身が得るため、ひいては誰かの幸福のために動くことの大切さ……先生に「できない」を示されると同時に、未知なる95%が私たちの日常にどれだけ影響しているかを身に染み込ませていただいています。

「できない」だらけであっても、95%を軸にもたせていただいたことの強さをとくに家庭、子供たちとの関わりで感じています。一回きり、やり直しもリセットもきかない人生です。せめて今から先を悔やむことなくまっとうしていきたいと思います。かけがえのない指針をいただいていることに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。





■謙虚に自分の実力を受け入れ、行動・実践する   (東京 会社員 27歳 K.Y)
私は、先生が常々大切だとおっしゃられる経済基盤とは、単に会社に勤め安定した収入を得る事であると思っておりました。しかし、厳しい時代の中において、本当の経済基盤を持つということは、「どこに行っても通用する実力を自分に持つことである」と先生に教えて頂きました。これを聞いたとき、改めて自分の考えの浅さと、先生のおっしゃられるお言葉の深さを感じました。だから、本当に自分に実力をつける働き方をしなければならないし、結局はそれが一番会社の為にもなるのではないかと思いました。それが、先生のおっしゃられるタイムカードで仕事をするな。人の3倍働けということなのだと感じました。今自分が置かれた立場において、例え会社がなくなろうとも、生きていけるだけの実力を持てるよう、自分にもっともっと実力をつけていきます。

また、前回の実践塾で心に残ったことがあります。それは、変わりたいけど変われない人と変わる人の差は何かということです。先生は、その差は「命がかかっているかどうか。」とおっしゃられました。例えば、病気になれば否が応でも変わらざるを得ない状況になる。それは命がかかっているから。つまり、命をかけて日々生きているかどうか。真面目ではだめで、真剣になる。そして必死にならなければ変われないということだと思いました。まさに、変わりたいけど変われない人とは、私のことを言われていると感じました。 私には、必死さがまだまだ足りず、頭ばかりで考えているから変われないのだと思いました。だから、すべてにおいて、もっともっと必死になって全力で行動していきます。

最近身体は答えを知っていて、誤魔化しているのは自分の頭であるということを仕事をしていて感じることがあります。これは、以前実践塾で、棒を思いきり蹴るということに対して、本気で蹴れば足が折れ、蹴れないことが分かっているのに蹴ろうとする。この横着さをご指導いただきましたが、日常においても、それと同じようなことをやっているのだと実感致しました。だから、どこかで不安があったり、何か落ち着かないときは、先に今のレベルではできない。ということを身体は知っていて、教えてくれるのではないかと思いました。逆に、できるときは何も考えず、スッとやっている。心が先行し動いている。そのように動けるためには、やはりもっともっと謙虚に、今の自分の実力を素直に受け入れ、行動・実践していきます。





■先天的な細胞の力の可能性   (埼玉 自営業 39歳 K.T)
はじめに貴重なご指導して戴いた宇城師範に感謝いたします。検証を行なうと、ふたつの事が同時に行えない、出来ないことがよくわかります。そして気を流して頂くと本当は出来る自分が存在することを先生に体験させて頂いています。頭では駄目だと知りつつも検証をやる段になると「やろう」となり「力を入れずに」「意図せずに」と方法に頭がとらわれてしまいます。

日々の生活でも同じで「やろう」として方法を考えて実行という遅さで状況の先へ入れず、あちらを立てればこちらが立たずの状態に追われます。子供は押せと言われれば素直に押すだけにみえます。それに比べ自分はどう押すかどういう結果を作りたいかにとらわれて、わざわざ出来ないようにしている自分がいます。先生に気を通して貰うと周りの空気を先に澄みきらせて頂いてその空気のお陰で技が出来る
ような感覚にもなります。なにかあったときにどう対応するかは日々の行動で後天的に作ってきたものです。その後天的に作ってきた自分が先天的な細胞の力の可能性をつぶしているように思います。

検証の最中に「上手くいかないと焦りつつ取り組むようなことが生活の中であるな」と思っている時に先生に「なにもするな」とアドバイスを頂き心に響きました。出来なくさせているのは自分であり、出来ない自分と出来る自分に出会わせて頂いたと思います。稽古の時に先生に見せて頂いた型が強く記憶に残っています。自分が言葉で表現してよいことではありませんが本当に感動して書いてしまいますお許し下さい。

こんなに丁寧に人の身体は動くものなのかと思いました。片足に重心が多く乗っても両足に乗っても全く変わらないことが途切れない動きのなかでおこなわれる。まわりの空気さえ途切れがなく濃密になった気がしました。日常の当たり前にしてきた行動と思考を変えるのは簡単ではないではありませんが、先生の型を見た感動を胸に自分も今より少しでも丁寧に物事にあたり周りに気を配り出来る人間になろうと思います。お忙しい中ご指導をして戴いた宇城師範に感謝します。これからもご指導ご鞭撻のほど宜しく御願い致します。





■95%の未知の世界で感じ取る力   (神奈川 会社員 45歳 Y.A)
5%と95%の中での理解、判断というお話、ご説明をいただきましたが、私は先生のおっしゃる通り5%の中の1%にも満たないところで物事を見聞きし、判断していることを、今までの仕事、私生活を振り返り情けなくなるほど感じております。

しかし、私の身体は95%のところで感じ取っているところもわずかですがあったと思います。身体が95%のところで感じ取ったものを、私の頭は5%の中のさらに1%で対応していたため、感じ取ることができず、理解せず無視していたことが多々あったと感じています。この事から、過去の体調不良を思い起こすと、身体からのサインを頭が理解できず無視していたため、頭と身体と心にズレが生じ起こったものも多くあったように思います。

先生のご指導により、私の身体・細胞は以前よりは95%のところで感じ取る力がついてきていると思いますので、頭を95%の中に置き身体からのサインを見逃すことなくキャッチし行動に移し『事理一致』を心掛け、さらに身体・細胞を活性化させられるよう努めます。





■深は新なり   (埼玉 会社員 44歳 M.H)
先日、NHKで「メイドイン・ジャパン逆襲のシナリオ」という放送がありました。その中で東レが、レーヨンという繊維素材を起点に、炭素繊維や水処理分離膜等の先端材料を40年から50年という期間もの研究・技術開発によって創出し、事業を拡大してきたことが紹介されていました。そこで東レの技術者が言っていた「深は新なり」という言葉がとても印象に残りました。これは、一つのことを深く掘り下げていくと新しい発見・発明が出てくるという考えだそうです。

この言葉を聞いた時、宇城先生が稽古において言われていることと重なりました。そして、毎日1時間サンチンの型の稽古をされている道塾生の話をされたことを思い出しました。自分がいかに、深さを追及する姿勢が欠けていたか、一人稽古が甘いかを知りました。稽古では、麻子師範、塾生、そして先生の型と比較で見せていただきましたが、型の重さ、気迫等歴然としていました。先生は「みんなのは、ふざけているように見える。真剣さが足りない」とおっしゃいましたが、その時は自分自身本当に恥ずかしくなりました。エクササイズとして、ただ繰り返しやっていたのでは、飽きてしまいますし、進歩もありません。一人稽古を続けること、その質を上げ、深さへ向かうことを今後の課題としていきます。

仕事では、「自分が変われば、まわりも変わる」という部分と「自分が変われていないので、まわりも変わらない」という部分を両方感じています。今後とも日常を起点とした修行を継続していきます。





■相対的ではなく、自分と対自する   (神奈川 会社員 28歳 M.N)
宇城先生 いつも大変素晴らしい稽古に参加させていただきありがとうございます。この三カ月の稽古を通し、普段の生活では得られないたくさんの気づきを改めて感じる事が出来ました。今回、特に感じたことは「自分と対自する」「自分と向き合う」という事です。

今まで自分が身を置いていたスポーツの世界は、相手との相対の世界で競うものなので、その時のコンディションや相手の出方、タイミングなどでどちらが勝つか確率的なところがありました。しかし、確率的な要素があるという事は、宇城先生のお言葉にある様に、「再現性がない」という事だと思います。そして再現性がないという事は、技を積み重ねていく事ができません。またスポーツは年 齢によってもレベルが変化し、積み上げたものがいずれは無くなってしまうとういう現実があります。

しかし武術の稽古は年齢とは関係なく「できる」「できない」の明確なレベルの違いがあり、さらに武術の技と自分の内面の成長は比例しています。統一体でない身体でいくら技をかけても、たまに技がかかるという事はありません。そして、自分の内面の変化がない限り技が
できる様にはなりません。その為、武術の世界では相手は関係なく、本当に自分自身と向き合わざる負えません。そして自分と向き合うことではじめて自分の「いいわけする心」や「横着な心」などの欲の部分が見えてきます。このように自分と向き合う場を与えられるという事は本当に幸せな事だと感じました。

今の日本は情報化社会と言われる様に、新しい情報、知識、テクニックをより早く、よりたくさん身につける事に重点が置かれている様に感じます。しかしそこには自分自身を成長させるという考えが抜け落ちていると思います。自分のレベルが上がらない以上は、宝石と石ころを見分ける事もできません。また外面的な情報や知識を身につけても自分の内面を成長させる事には繋がらないと思います。自分の内面を成長させる事により、初めて外面の環境が活きてくるのだと思います。うまく言葉では表現できませんが、空手の稽古における外面と内面の関係は、日常の生活にとても似ている部分があると思いました。

宇城先生のお話で印象に残っている一つが、スティーブ・ ジョブズ氏が製品を生み出す際にリサーチを一切しないというお話でした。これは宇城先生の教えられる空手の稽古と同じだと思いました。リサーチしてから製品を作るという事は、武術とは反対のスポーツ的な考え方です。スポーツの世界では相手を研究し対策を練るという事が常識です。しかし武術の稽古は徹底的に自分と向き合い、そこで何かを悟る事で昨日迄できなかった事ができる様になり、技をかける事ができるのだと思います。スティーブ・ジョブズ氏の様に徹底的に自分の仕事に没頭し情熱を注ぐことにより、周りの人々が驚愕する様な製品を作った事ととても似ていると思いました。
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