武道 2012年 9月 東京空手実践塾合宿感想文2012/10/13 

身体は私、心は公  (神奈川 会社員 39歳 N.A)
今回も合宿に参加させて頂き、ありがとうございました。感想文を送付させて頂きます。
宇城先生が仰った言葉の中で大きく自分の中で響いたのが「真面目なだけでは駄目」という事でした。この言葉はこれまでの稽古で幾度と無く耳にする機会がありましたが、稽古中、麻子師範や拓治師範代の宇城先生に向ける真剣な眼差しを見た時、「真剣」、である事の何たるかを痛感。自分の中にその姿勢が欠けている事を思い知らされました。欠けていると言うより、「きっとまた次の学べる機会があるだろう」という師に対して甘えている事に気が付いたと言うべきかもしれません。麻子師範や拓治師範代の眼差しには、「今、この瞬間、そこでしか無いもの」、を何一つ見逃すまい、吸収しようという覚悟が感じられ、我が身を振り返った時、恥ずかしく感じたというのが正直な所です。

また今回の合宿では先生に何度か直接技をかけて頂く機会がありました。その中でも印象的だったのが、諸手で打たれた時の自分の身体の中で生じた渦の感触です。2つの渦がそれぞれ異なる動きをして、何とも表現し難い気持ちの悪さがあったのですが、先生が気を通すとその渦がすっと解消され暖かみだけが残りました。麻子師範にこの経験についてお話しをする機会があったのですが、「先生から技をかけて頂き、気を通して頂くという事はとんでもない量のエネルギーを頂く事で、元気になる」、という言葉と、「その過程で身体が死ぬような経験と生かされる経験を経る事で反応がどんどん早くなる」、というコメントがあり、膝を打つ思いでした。頭で考えても決して出来ない事を、身体を通した絶対的経験で学ばせて頂いているという事実に、改めて感動した次第です。「身体は私、心は公」という宇城先生のお言葉がありましたが、その奥深さも分かっていない事が分かったという段階です。

最後に先生が2人のお孫さんに対し、英語を学ぶ事を必修としているという話しを夕食の席でされた時、先生の視野の広さに驚かされました。私自身、子供の語学教育にはどのタイミングで始めさせるべきなのかまだ考え中ですが、お孫さんが大きくなった時、日本国内で就職していたとしても英語は必須であろうというスタンスには、背中を押して頂いた気持ちでした。と同時に「日本人として、使わないで済む未来を作りたい」、との言葉に先生の愛情の深さを実感した次第です。

最後になりましたが、改めて合宿という貴重な学びの機会を与えて頂き、ありがとうございました。これからもご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。




今変わらなければ明日も変わらない   (神奈川 会社員 33歳 D.K)
宇城先生の事理一致。動けない。何もできない。見えない力が働いている。
あの感覚は何なのか。人間には無限のエネルギーがある事を実感して希望が湧きました。

仕事で焦ります。上司の心無い言動にも腹立ちます。でも、そこで怒ってたら時間が止まる。
宇宙の時間から考えたら人生なんてわずかなので、小さいことに怒って時間を止めることを止めようと思いました。

まだまだ甘い人生です。これから先の人生は今の瞬間にあること。今変わらなければ明日も変わらない。
幻想からの脱却と横着を捨てる。伝統の型=歴史時間に学ぶ。常に実践を心がけて、ぶれない心を作っていきたい。

宇城先生合宿でのご指導ありがとうございました。




行動からの気づきによって意識と心が変わる  (千葉 柔道整復師 38歳 C.N)
宇城先生、今回も箱根での合宿という貴重な時間をいただきありがとうございます。
「稽古して出来るようにならない」というお言葉は特に心に残っています。最近は、知っていた言葉、聞いた事がある言葉は、ただそれだけで本当の意味を理解していなかった、もしくは深さによって言葉の内容は変わっていくんだ、と感じるようになりました。

「24時間が稽古」「夜中にふと目が覚めて気がつくことがあり型をためしてみる」などこれだけ聞いたら、空手の練習をとにかくやらなければいけないんだと思った事もありましたが、それは違いました。「日常が実践、24時間が稽古」このお言葉を深く感じることのできる合宿であったと思います。毎日毎日がいいことばかりあるわけでなく、仕事においても多かれ少なかれ様々な出来事がおこる一方で、ある意味ではマンネリ化してしまう事もあります。それだけで過ごしていってしまうと、今というのは非常に薄っぺらく広がりようのない気がします。その日常の中にどうやって空手を、教えを落としこみ練りこんでいくのか、本当に練りこむというか、一体化していかなければバラバラになってしまう時間の方が多くなります。もちろんその人のレベルや質などもあると思いますが、時間を決めた稽古というのは日常には入り込んでいかないというか、スイッチを入れ替える作業が入ってしまうような気がします。それは準備体操や柔軟体操を、実戦の前にやるようなスイッチの入れ方に似ているかもしれません。

日常の中で起きるトラブルはスイッチを切っている状況のときほど起こっている気がして、そこからスイッチを入れてももう遅い、逆にスイッチが入っていればそのトラブルは起きなかったり、起きても即座に対応が出来ることがほとんどだという実感があります。トラブルに先をとられ入られたような感じです。そこから無理やり立て直そうとすると、衝突するためか解決するまでにとても疲れてしまいますし、その場は過ぎても根本的な、そのトラブルを呼び込まないようにするという解決には決してならないため、形は違っても同じような道をたどって新たな問題がおこります。

意識をして何かをやりだすと、意識している事で動けなくなり遅くなる時がありますが、それを先生がとても楽しいお話として教えてくれました。「大きいケーキと小さいケーキがあったら迷わず大きいケーキをとって、どうぞとすればいい」凄く深い話だと思いました。身体は大きい方を選ぶという選択を無意識にしているのではないでしょうか、心無い人が取れば、全部自分のものにしてしまいますし、これがケーキではなく資源や他のものに例えればいろんな事が考えられます。

こんな場面があれば自分では間違いなく手が止まってしまいます。大きいのを選んだら恥ずかしいかな、小さいのを選ぼうか、誰か先にとらないかななど、少し考えてもいくらでも迷う場面が想像出来ます。それにどちらを選ぼうが自分が欲しいという自己中心の行動です。そうではなく行動がまず起こらなければいけない、頭でごちゃごちゃ考えるのではなくまず動く。しかもそれは心があるため人に分け与える事ができます。意識ではやはり変われない、その場に応じて動く事はできない、無意識のレベルにするにはやはり行動なんだと思いました。行動は初めは意識や頭からの命令であっても、行動が練りこまれていく事で、その行動からの気づきによって意識も変わり心も変わっていくという事がやっと自分で体感として感じてきました。

自分の駄目というか出来ていない所は、必ず行動が伴っていません。迷いや選択に時間がかかりますが、後から考えれば打算的なことで小さなことです。そのいつも行動の起こりの遅い部分をもっとスピードを上げていく、継続していく中で行動からの気づきが出てくると思います。合宿に参加させていただき本当に先生の真心を感じています。

あれだけの人数しかも職業年齢も様々な方達が集まり、共に稽古し飲み語り合いをさせていただける、まさに調和の場を作ってくれているのは紛れもなく先生です。通常の自分の日常の中ではありえない事であり、本当に貴重な場であります。

先生と寝食を共にさせていただけるということもあってだと思いますが、普段の稽古よりも先生の雰囲気の中に入らせていただけるような感覚があります。稽古があり懇親会がありという中でも時間が途切れず一つに繋がっていて、どの場面でも厳しくも優しい雰囲気の中、まさにどの時間どの場面も稽古であると実感させていただきます。合宿を通じて先生の深さ大きさ真心を感じさせていただいていると感じ、本当に感謝いたします。





身体は心に、心は身体に深く影響されている  (神奈川 会社員 41歳 Y.E)
このたびの合宿ご指導、まことにありがとうございました。
事理一致の動き、宇宙の理の再現(あるいは宇宙の理の反転?)と、先生が見せてくださる人間のエネルギーをまざまざと見せていただきました。浮かびあがるのは、私たちは事理の不一致のなかで不一致の心身で生きているということ。自分の身体さえも、「思うようにならない」ということでした。互いの調和のなかで、上も下もなく、強者も弱者もなくという高いレベルの生命の在り方。「色即是空、空即是色」…「あるものはなく、ないものはある」
……般若心経が教えることそのものです。

先生がおっしゃった「空気を“できる”ように変えている」「こういうことを昔の人はできていたのではないか」ということ。般若心経の公案のような内容を、私はずっと、思考、思想によってひねり出された「理屈」だと感じていましたが、実はそうではなく実態であったのだとわかりました。

先生に「勝ち負け、優劣のない調和の世界」を体験させていただくようになり、般若心経は本当に「真理の教え」であったのだ、だからこそ、長く長く人々の口に唱えられるエネルギーがあるのだと思うようになりました。人間が今よりもっと自然のサイクルの輪のなかで生きていたころは、自然の理にのっとり、逆らうことなく暮らしていたのでしょう。

3.11大震災で、日本人は自然に対する畏怖の念を再認識したはずでした。しかし、それもたった1年過ぎただけで、ずいぶんと薄れてしまいました。私たちは努めて、「調子にのらない」「謙虚であれ」「生かされていることへの感謝」を、毎日の生活のなかで身に染み込ませていかなければならないと思います。自然とそうなるシステムが、ちょっと前の日本の暮らし方にはあったように思います。変えていいものと変えてはならないもの。捨てていいものと捨ててはならないもの。その区別なく「好き勝手」に振る舞わせてきたものこそ「欲」や「見得」、もっと言えば日本の場合「劣等感」が根付く教育だったのではないでしょうか。

今回も指導者という役をいただきました。今回は男性ばかりだったので、不安がありましたが進めているうちに、かつて自分ができなかったことがいつのまにかできるようになっているな、という発見と喜びがありました。続けること、積み重ねること、あきらめないこと。何よりも、途上にある自分を、その時の自分のレベルで見限ることの愚かさを、教えていただいたように思います。

「自分にはできない」と縮こまることこそが我であるのだということを、教わってきたことを他の方に伝えるという役目のなかで気づかせていただきました。指導中、一人、とても身体の硬い方がいました。「身体は心に、心は身体に深く影響されている」ということをその方に見ました。身体のように表情も固いな、と思っていましたが、稽古のなかでその方のぱっと鮮やかな表情が見られました。瞬間的に、「身体の硬さで、表情(心)も硬くなっているのかな」と感じました。

どちらが先にあるのかはわかりませんが、「心身の一致」のひとつの姿です。この方の場合、心の開放で身体を引っ張りあげることができるのではないかと、分解組手の投げの稽古のなかで「心をひらく」ということをくり返しました。それは今振り返ってみて思うことで、その時は単に「そうしたかった」だけですが…。その逆のケースもありました。
心が四角く区切られているような状態を、身体の柔らかさが助けて(隠して)いる方がいました。

人のことは自分のこと以上によく見える。前回の合宿で指導させていただくなかでも感じたことですが、得がたい貴重な機会をいただきました。ここで感じたことを、何かひとつでも日常に活かして参りたいと思います。ありがとうございました。





真剣な心なしに、一歩も進む事ができない世界  (神奈川 会社員 28歳 M.N)
宇城先生 今回も素晴らしい東京実践塾合宿に参加させて頂きありがとうございました。今回の合宿でも前回と同様に型の奥深さを合宿の稽古を通し教えていただきました。

グループごとの稽古では、麻子師範に自分が全く気付いていない型の認識の甘さを次々にご指摘いただきました。合宿で気づかせていただいた点を挙げたらきりがありませんが、その内のいくつかを感想文として書かせていただきたいと思います。

まず一つめが「肘、背中の締め」です。これは麻子師範、拓治師範代のお二人に共通してご指摘いただいた点ですが、お二人とも背中や肘の締め方が、私がもうこれ以上締められないという位まで締め、且つその上で力が抜け、体が偏らず、中心をつくり自然に型をされていました。自分が力を抜こうとやっていた型は、ただの腑抜けであると気づかせていただきました。また締めのない型は手足と体がばらばらになり、動作ひとつひとつがぶつぶつ切れている状態であることがわかりました。私は「型を漠然とやっている」ですが、麻子師範は「型に嵌める」という言葉がふさわしいと思いました。「なぜ技ができないのか」という考えが、稽古を開始してすぐ「技ができなくて当然」に変わりました。

二つめが、突きをはじめとして「動作が相手に突っ込んでしまっている」点です。麻子師範に私の突きは「腕を相手に投げるような」突っ込んでいる突きをしているとご指摘いただきました。自分では突っ込んで突きをしているとは全く思っていませんでしたが、突きをした後の腕はぐらぐらで体が浮いていました。次に普段より半歩ほど足を狭め、腕を突き切らない突きをすると驚く程体が安定しました。姿勢ができていないのに無意識に突きの威力を出そうとする結果、何もできていない事に気付きました。突き以外でも自分の動きはすべてが突っ込んで地に足がついていない動きだとわかりました。基本ができていないのに、宇城先生の動きを外面のみで表現しようとする自分の愚かさを感じました。くせがでるという事は自分の頭の中でしか理解していないのに、自分のレベル以上の事をやろうとするから、それが外面にでてしまうという事なのだと思いました。

そして三つめに「型の動きをつなげていく」という事です。今回の合宿で、自分は型のひとつひとつの動きが全くできていないことがわかり、腕受け一つ、足を進めるのを一つとってみても部分体で動作にくせがあるとわかりました。宇城先生の型は、すべての動きで相手に入ることができ、周りの空気が一瞬で変わります。そして型のひとつひとつの動きが一つの型として止まる事なく流れていき、とんでもないエネルギーを感じます。これは途方もない事だとあらためて感じ、今まで自分はまともに空手の型をした事が一度もないのだと気付きました。

麻子師範に稽古をつけていだだいた後、あらためて宇城先生の動きを見させて頂くと、ほんの一瞬の動きにさえ数え切れない程の型の動作の積み重ねを感じました。まるで芸術家や職人が膨大な工程を重ね生み出した作品の様だと思いました。本当に先生の動きは言葉に表せない程に重厚で爆発力のある動きに見え、私の様なレベルの者では一体何が起こっているのか全くわかりません。今回の合宿を通し武術の稽古は、真剣な心でなければ一歩も進む事ができない世界であり、その上で考えられないほど高い山を登っていく事なのだと思いました。





知らないことの大きさ・深さを知る  (東京 会社経営 48歳 K.H)
合宿という貴重な体験をさせていただく機会を与えてくださったこと改めて感謝させていただきます。ありがとうございました。また直接2日間を通してご指導くださいました麻子師範、拓治師範代に置かれましても感謝申し上げます。ありがとうございました。

2日間の連続した稽古を通じ、普段なかなか経験することのない濃密な時間はとても大きな収穫です。またマーク夫妻、ジョッシュ夫妻の海外からの参加者の意識の高さは、我々のように国内にいて宇城先生と接する機会の多いものにとって意識の違いをはっきりと感じさせるものであり、自分と照らし合わせ改めて自分の甘さを思わざるを得ません。彼らの真摯な姿を忘れることなく日々の我が稽古と日常に活かしていけたらと思います。

宇城先生のご指導とおかげ様を持ちまして今回の合宿もとても充実した2日間となりました。また、麻子師範のご指導によりいままで見えていなかったものが一瞬とはいえほんの少しだけ見えたことがとても大きな収穫となりました。宇城先生が手本を示される前に麻子師範から「ここを見ろ」と指導頂き、先生が手本を示された後、「な、そやろ。」と言われた時に、今までの自分にはまったく目に入らなかったものが、ほんの少しでも見えたときの感動と、驚きは今まで経験したことのないものでした。と同時に師範のレベルの高さと改めて宇城先生の凄さを確信させられました。そしてその日の稽古のテーマである「型の意味」「型に自分をはめ込む」ということを、いかに自分がまったく分かっていなかったか。ただ外側だけを、かたちだけを型通りに動くのではなく、大事なことは中身をも型にはめ込むのだと。外側だけでなく中身も自分勝手に動いてはならない、自由に動かすことは横着なのだと知りました。さらにはそれに気付くことなくそれで良しとしていた自分、そのことに気付かなかった自分はまったくの横着であったと知らされました。

自分勝手な動きを捨て去り、外側も内側もきちんと型にはめ込む為には、外見に捕らわれていたのでは永遠にできることはない。どこまでも自分の我を捨て去り、素直にそして謙虚になることでしか自分の中に先生を映すことはできない。先生の心を自分に映さない限り型を、技をできるようになることはない。自分で素直になっているつもり、謙虚であるつもり、それは
本当の素直と謙虚ではなくあくまでも自分勝手な「つもり」でありました。それは真剣さを忘れた横着に他ならずそんな心と曇った目では、たとえ目の前で先生が尊いものを見せてくださっていたとしても、まったく見えず知ることができないのは当たり前です。

先生の動きは本当に感動し驚きます。私達がどうやっても動かないところが躍動的に動いているのと同時に絶対に動いてはならないところは全く動かない、それだけでなく外側は動いていない様に見えていながら、その内部はとても大きなエネルギーとともに、もの凄いスピードで動いていることを充分に感じさせられるものでした。師範に「ここを見ろ」とご指導いただいて、初めて垣間見れた世界です。しかし先生は何年間も私の前で見せてくださっていたことなのです。どうして目のあたりにしながら今まで全く見えなかったのか、自分は何を見てきたのか、何を稽古してきたのか本当に情けなくなりました。

そして今回のこの経験を通して、今自分が知っていることにあぐらをかいて生きていることは横着であり、自分の人生にとって大きなマイナスであり、限られた時間の損失であると思いました。そうならないためには先生が日頃の稽古でいつも仰っていられるように、常に心の窓を外に向けて開け広げ、常に謙虚であらねば目の前にあることでさえも、自分の目には映らないことを改めて確信しました。いままで自分が見えなかったものを見える様になること、知らなかったことを知ること、そのためには常に真剣になること。真剣になろうと思うことと常に真剣であることは違う。

先生が仰るように、我々は油断し日常で色んなことをつい舐めて掛かってしまいます。なれた仕事などはなおさらです。しかしどんな小さなことでも真剣であること。まず頭で考えるのではなく心で思いそして実践することが人生の大きな意味であり、そして力となり、その積み重ねが自分を変えていくのだと改めて感じました。物事に真剣に対する為には横着な心を捨て去り、できないという事実、知らないという事実に真正面から向かい合うためには心から謙虚になることが必要です。

先生は先日の稽古で「ヒッグス粒子」の発見を例にとり、知ることがそのほかの「知らないことの大きさ・深さ」を知ることとなり、知らないことに謙虚に向かい合うことがさらに知ることへの糸口になる。大切なことは、知らないということを謙虚に受け止めることだということをご指導してくださいました。そのことを今回まさに「体感」しました。
その意味で今回の合宿での体験はまさに知らなかったこと、そして先生や師範方のご指導を素直な気持ちで受けとめる事ができたなら、ほんの少しとはいえ、ちょっとしたきっかけで今まで見えなかったものが見えること、そのことをはっきりと体験できた貴重な瞬間でした。
この経験により、自分にとって大変意味深く空手に日常に、さらには人生にとっても、心がけを新たに再スタートしたいと思います。日頃の感謝をこめまして、ご指導本当にありがとうございます。そしてこれからもどうかよろしくお願い申し上げます。





我や欲が一切消えた状態を学ぶ  (東京 会社員 27歳 K.Y)
今回も素晴らしい合宿に参加させて頂き、ありがとうございました。今回の合宿での稽古を通して、最も心に残ったことが2つあります。
一つは、サンチンをする時に先生にご指摘いただいた『何もしない』ということ。そして、もう一つは『空手の怖さ』ということです。まず、『何もしない』とは、サンチンの型の検証で、引いた腕を前に出す際にご指摘を頂きました。サンチンで引いた腕を、もう一人が手のひらで私の拳を押さえ、拳が前に出ないようストッパーをするという検証の時です。この時、私は拳を前に出そうとすると、ぶつかりながら前に出るという感じになってしまっておりました。その時、先生から反対側の腕の形を少し修正頂いたところ、スーッと全身の力が抜け、身体が透明になりました。そして、先生は『何もしない』とおっしゃられたので、そのまま『何もしない』状態で拳を前に出すとストッパーとの衝突は全く無く、空気全体が前に出る感じで拳は前に出すことができました。この時の、『何もしない』という状態が、我や欲が一切消えた状態、すなわち調和した状態なのだと感じました。今まで、私は、すぐに何かをやろうとすると、我や欲が消えずに『やろう』とする気持ちが前に出てしまいます。このような我の出ている状態では、仕事にしても、日常にしても、最終的にはどこかで息詰まり、衝突を生むのだと感じました。だから、この何もしない状態、ニュートラルな状態で行動ができるようになるためには、日々のサンチンの一人稽古を通して、身体から我と欲を引っ込めていけるよう稽古をしていきます。

そして、もう一つの『空手の怖さ』は先生に脇腹を軽く突かれた直後に、ものすごい回転がかかり、自分の両脇をまるで生き物でもいるかのようにものすごい勢いでぐるぐる回っておりました。初めは小さい回転でしたが、徐々に回転が大きくなり、気持ちが悪くなってきた頃に先生に、気で解いて頂きました。その時、先生が、「空手の怖さが分かったやろ」と一言おっしゃられました。その時、私は、自分はまだ宇城先生の空手の本当の怖さや凄さに全く気付いてないのだと感じました。今まで、先生の空手は当ったら間違えなく死んでしまう。信じられないくらいものすごいエネルギーがあるというのは様々な検証や技で体感させて頂いておりましたが、それでも私の中のどこかで空手の技に対して、まだまだ甘い見方があったのだと反省致しました。それは、私自身が甘いから、その本当の厳しさ・怖さが見えていないのだと感じました。空手の技の厳しさも、己に対する厳しさが無ければ、出てこないし、見えないのだと思いました。だからこそ、実践の場である日常で、もっともっと自分に対する厳しさを持って日々生活していきます。

また、最近日常の場面で、実践塾で自然に学んでいることの多さを良く感じます。例えば、仕事において、営業をしている中での取引先への気遣い、お酒の席でのちょっとした気遣いなど、以前の私では、絶対に気づいていない、できていなかっただろうということを自然とやっている自分に気づく時があります。もちろん、そんなことは、当たり前にできるのが普通なのですが、以前の私では、それすらできず何もせずにただ座っているだけだったのではないかと感じることがあります。これは、合宿をはじめ、先生とのお酒の席にご一緒させて頂くなどの機会を与えて頂いているおかげです。だからこそ、24時間すべてが修行。どんな場面でも、今までのできなかった自分をできるように変えていく。その変化の方向性を常に宇城先生が示し、導いてくださっているのだと、改めて感じました。いつもご指導くださり、本当にありがとうございます。





未知の95%に気づくように心がける  マーク・エイブラムス (ニューヨーク支部長)
人生において、変化自体は問題ではなく、変化に対してどのように対応するかというのが問題だと思います。今年は私の人生において大きな変化が訪れました。私はこの数年間に人生に対する問いかけが、いかに取るに足らないものかというのを学びました。そしてその問いかけというのは、先生に合宿中お話しいただいた5%に値するものであり、私たちがどのように自己の人生を捉えたいかといった、ゆがんだ考えを映していると思います。何よりも大事なのは、人生が私たちに問いかける質問に対して、オープンに理解していくことです。そしてこれが、宇城先生がお話された95%を表すのだと思います。私達が人生のこの95%の領域における気付きを高めるには、この重要な教えを行動に移し、この世の中と深く繋がる内面の感覚を磨くことだと思います。

今年から、私は宇城先生や他の人たちに対して質問するのをやめました。そして精一杯人生を体験し、私を手招いてくれている未知の95%に少しでも気づくように心がけています。 そして先生の技を、その経験が私の内面に響くように慎重に観察しています。そして私の人生の他の場面においても、私がどの様な方向に向かっているのかが分かるように、行動しています。
私は自分の内面の著しい変化に気づいています。先生が私の運転の変化に気づかれたように、私は少し落ち着きがでてきたと思います。人生のいろいろな方面においてもっと平和に受け入れられるようになりました。この夏、ある人が私に私闘を挑んできたのですが、彼の罵りに対しアグレッシブに対応するのではなく、洞察に満ち、共感を持たせる言葉によって相手に入った結果、彼の敵対心は取り除かれ、彼は私に対してアグレッシブな態度を取れないようになりました。私は家族や友人との時間に対して、よりいっそう感謝の念が出てきました。このような事を正確に言葉にするのは私にとってまだ早いのですが、こういったパターンは人生からの問いかけとして現れ始めています。

型稽古において、まだまだ深さや理解が足りませんが、自分との融和を感じ始めました。そしてこの変化は私が分解組手を行うときに顕著に現れています。 合宿においては参加者の方々のレベルの高さにとても謙虚な思いにさせられました。先生、麻子師範、拓治師範代に素晴らしいご指導をしていただいていることに、深く感謝を申し上げます。合宿においては自己稽古のための重要な手がかりやアイディアをいただきました。そしてこの事は先生がおっしゃっている95%の領域に私がもっと開かれるように導いてくれると希望をもっています。 結局、変化は私の言動にも少し現れますが、それ以上に反映され、私が宇城先生が導いてくれている方向へ進んでいるかをどうかの判断材料を与えてくれると思います。これにて今回の感想文を終わらせていただき、言葉だけではなく、更なる真心を込めた厳しい稽古へ戻らせていただきます。私の人生からの意味深い問いかけに対する、意識の高まりが現れることを望みます。心より





今というすべての時間が稽古となる  ジョッシュ・ドラックマン(シアトル支部長)
今回の箱根合宿は2009年より参加してきた合宿の中で最も有意義な合宿でした。
今回の合宿参加にあたっては、自分の殻を破り、過去形から抜け出し、そして更なるスピードと感度を身につけたい、と強く願っていました。そして私は先生がこの強い思いを理解していただいていると信じ、そのおかげでこれから先の自己発見の道を照らしてくれるであろう、大切な教えと経験を持ち帰ることが出来ました。

まず、懇親会において先生から、明日のことを考えず、心を開けて今現在を大切にし、精一杯、周りと交流をするように、と指導をいただきました。そしてこのご指導は私が現在形になり、今という時間を濃くする手段となりました。先生のご指導のおかげで、次の日の事を心配せず出来るだけ遅く起きていた結果、参加者の方々と本当に素晴らしい交流が出来、またいろいろとレッスンも頂く事ができました。先生は、合宿というのは「稽古の時間」と「稽古以外の時間」と分けるのではなく、全体として捉えなければいけないとおっしゃられ、そのお陰で私は先生がお話される時や、技をご披露される時はいつにおいても全てが稽古で、雰囲気の変化を触れる機会だと捉えることが出来るようになりました。このような捉え方は私の今までの、「稽古は道場で」、「交流は稽古の時間外で」といった感覚とは大きく異なります。日本に行った時に実際どれくらいの空手の稽古をするのかをよく聞かれ、いままではそれに対して答えるのがとても困難でした。しかし、私達は浴衣姿であろうが、スーツ姿であろうが、道着姿であろうが常に空手を学んでいるというのが答えで、そして今回、そのことをより深く理解する事ができました。

もしかすると今回の合宿で学んだ大切なご指導は、もっとも正しい空手の学び方なのかもしれません。正しい学び方を知るというのは、本当に重要な事だと思ってます。さらに、空手の型や分解の学びを掘り下げるのは 、幅を広げるよりも大事だという事も学びました。先生は私達に決められた分解の中で得意なもの、もしくは学びたいものを選ぶように勧められました。そして沢山の事を間違えたり、理解のないまま行っている私ですが、今回、パッサイの分解、サンチン、そしてナイファンチンの型を集中して取り組むことができたため、私の理解を整理することができ、将来の稽古においてどのように焦点を合わせれば良いかを示していただいたと思います。これからは、全ての事をやろうというような心配をせず、少ない事を掘り下げていくつもりです。

合宿の前までは一体どこからどのように自分からエネルギーを出し、どこまで深く地球に自分のエネルギーを集中して送るかという事を自問していました。しかし、合宿でいただいた深い教えのおかげで、私は地球から離れることのできない一部で、気は私の中から出て、そして私を通り抜けているという事を心から感じ、その認識と感知を得ることが出来ました。今までは、このことについて誤認していたと思いますが、これからは、この新しい気持ちを型と稽古に取り込み進んでいくつもりです。

今回は先生と一緒にいさせていただいて、アメリカにおいての経験よりも、先生の更なる途方もない深さと力をはっきりと感じました。私は日本人以外の弟子が先生の近くにいさせていただくのを許していただいて、このようなことを経験する機会をいただいている事を光栄に思い、かしこまる思いです。麻子師範と拓治師範代からもたくさんの学びをいただきました。特にサンチン、ナイファンチン、とそしてパッサイの型と分解において、私の悪い姿勢の癖を直していただき、さらに呼吸と気の流れを常につくっておく重要性を教えていただきました。
それ以外には、先生の「事理一致」の説明は本当に素晴らしく、心を動かされました。私は、空手と気というものが信じられないほど深く、そして理解できていない95%のうち、我々は本当に僅かしか使えていないという真実を思い知らされました。一般に哲学というのは問いかけることから始まると言います。 そしてこの言葉は先生が空手の稽古において具現されていて、空手に本当に当てはまると思います。先生は現代のソクラテスのように私達の潜在能力をすべて目 覚めさせようとしている存在だと感じています。

この2、3日によって私は自分が本当に変わったのを感じています。そしてこれから先、今回たくさん学んだ事の中身を研究し続け、そこからの発見と学びを楽しみにしています。先生という師を持つことが出来、このような素晴らしい学びと成長の機会を与えていただいていることにとても感謝しています。

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