武道 2012年 5月 東京空手実践塾合宿感想文2012/06/10 

自らのうちにある可能性を追うこと    (神奈川 教師 56歳 K.N)
先日の合宿におきましてはひとかたならぬご教示に預かりました。深く感謝申し上げます。

ただ人は情けあれ 朝顔の花の上なる 露の世に (閑吟集)

瓦礫処理・・・遅々として進まぬ復興に宇城先生の已むに已まれぬ思いが伝わる稽古であり、また日本人
が培ってきた精神性の高さを再認識させられた稽古でありました。日本人は、人と人との関係を重視する傾向があることは、すでに多くの人々によって指摘されております。例えば日本語の文章では主語が省略され、その代わりに敬語など相互の関係を示す言葉が極度に発達してきたということや、また複数の人間の相互の共同によって創作する連歌や茶道といった特異な芸術が生まれたのも、人と人との交わりを重視する日本人独特の感性によるものと言われております。日本人が、人と人との交わりを重んじた背景には、人と人との温かなつながり、温めあう情けこそがただ、この世のよりどころであると言えないでしょうか。

冒頭の歌の解釈は、人の世は朝顔の花の露のように無情で悲しいものであるのだから、ただ、温かい心のいたわりが大切であるというものです。悲しいことですが、人と人との心をつなぐ情、あはれと言った日本人の感情は失われてしまったと感じざるを得ません。しかしこのようなことを感じ、気づくことが出来たのは宇城先生、麻子師範のご指導によるものであります。

私達は私達が日常の生活の中で人生や宇宙についてふと感ずること、思うことがどれだけの奥ゆきをもち、伝統の深さにつながるということを、ほとんど知らずに生きてきたのではないでしょうか。今、私達に求められているのは自分が現に感じていることを、無意識に心の底で感じていることをありのままに見つめ、これと伝統とのかかわりにおいて理解し、自らのうちにある可能性を追うこと。一人革命であると強く感じ入った次第です。今後も先生のご指摘を日々の生活に活かすべく精進しますので、今後ともご指導いただきたく存じます。
気候不順のおりからご自愛専一の程お祈り申し上げます。




透明になれば、隠れた自分が見えてくる    (東京 会社経営 48歳 K.H)
今回もとても貴重な時間を過ごす機会を与えてくださいましたことを心より感謝申し上げます。
合宿中はそれぞれ少人数に分けられ、きめ細やかで丁寧なご指導を2日間にわたり長時間継続的に受けられるという、普段の稽古では体験できない継続した時間を感じることができました。御指導を担当していただきました麻子師範と拓治師範代にもあらためて感謝いたします。ありがとうございました。

初日の稽古では密集した集団を崩す立ち位置の検証で、ただひたすら力づくで押しても人間の力の限界を超えたものを崩すことはできないこと、それを崩すには力でない「何か」が必要であること。そしてまず相手に向かうときの立ち位置が重要であること、さらには自分の左右の位置だけではなく集団からの距離の深遠も関係していて、そのポイントはただ一点しかなく、それはただ力をかけていく方向だけではないそれ以外の「何か」が大きく関っている、それを自分の中で感じ取ることができなければ、その一点を見つけることはできないのだということを教えていただきました。 そしてそのただ一点は型の中において、姿勢、手や足の位置でも全て一点しかないということも教えていただきました。稽古では、自分をどこまでも透明にかつ繊細にして型の繰り返しのなかでそれを見つけていく。そのことを常に心がけなければならないと思いました。

宇城先生の空手はただ空手を空手としてのみ稽古するのではなく、空手の稽古を通して得たものを実生活のなかに生かしていく、あるいは実社会の中で空手の稽古をしていくことを特徴としています。 この一点を見つけていくことは、社会の中で自分の立ち位置やあるいは常に変化していく環境の中で、的確に自分のいるべき位置や瞬間的に迷いなき行動をとれるようになることへと通じていくことを、先生は我々に見せてくれます。そしてその一点は真実でもあります。真実はつねにひとつ。宇城先生が常にそうであるように。合宿中の稽古では徹底して型の指導をしていただきました。その稽古を通じ、今までの自分の型に対する理解の浅さと甘さを改めて痛感いたしました。

麻子師範に稽古中にいただいた、「折り紙をきちっと折るように型もきちっと行う」という言葉がとても印象に残りました。それ以降、今でもひとりで型を行うときに、必ず心がけております。今まで私は、ただ漠然と型を繰り返していただけでした。心のどこかに、今までの悪い習慣の残りでしょうか、回数を行えばいつしか量から質への転化が行われると甘く考えていた部分があったと思います。 自分では気付かない、今でもどこかに隠れた今までのものをまだ捨てきれていない自分が残っているのだと思います。そして稽古では毎回違った形で、そのことを繰り返し気付かせていただけます。

宇城先生からどんなに素晴らしい型をご指導いただいても、それをきちっと行わなければ何も身に付かないのです。素晴らしく飛ぶ紙飛行機の折り方を教わり、その通りの折り方をしたとしても、折り目を丸くしたり曲がって折っていたのでは絶対に飛びません。同じように、一生かかっても技として使える型にはならないのだと思います。自分では教わったとおりに動いている「つもり」でも、実際は真っ直ぐであるべき線を丸く動いていたり曲がって動いてることに、自分で気がつかないだけでした。 それは自分の感覚の物差しの目盛りが、まだまだ粗いということの証明です。

2日間の稽古を通して、本当に自分がまったく何もできていないことを痛切に感じるとともに、姿勢や動きを正していただき、さらに稽古に対する心構えをも指導いただいたことで、新たな感動と興奮を覚えとても濃厚で充実した時間をいただきました。一方で、この感動を思えば思うほど、私に先生の空手を学ぶ資格があるのかということに思いを到らずにいられません。世界でも稀なレベルにある宇城先生の空手に接し、さらには先生よりご指導をいただきながら、それを受けるだけのことを自分は普段から行っているのか?忙しくて時間がないのは、やらないことの言い訳。自分の生活のどこに空手をもってくるか。まず空手があり、残りの時間を調整して、仕事も他の用事も入れていけば効率的に仕事を捌く能力も身に付く。先生はかつて上場企業のトップにおられたとき、どんなに殺人的に忙しくても、空手をする時間は作っておられた。要は意思の問題であり、空いた時間に空手をしようと思うなら、まったく出来ないだろう。他方時間や回数で自己満足するならばそれもまた横着。空手にかける情熱。真剣になること。ただ回数や時間でなく覚悟を持って空手に真剣に集中すること。先生がおっしゃったことを、ひとつもおろそかにしない。先生が我々に向けていただく、情熱と覚悟を受け入れる心構えが私にできているか。先生の慈愛と気迫を受け止められるだけの覚悟が、私にはできているのか。そのことを思えば思うほど先生の前に立つ、さらには指導をしていただく資格が、私にはないと思わずにはいられません。私には先生の御顔を正面から見ることさえできません。

いつまでも変わらない自分。変えられないのは、まだまだ自分で本当に変えようとしていないからです。変わらないのは、まだ無意識にどこかで今までの自分を捨てられないでいるからです。だから変わらない、技もできない。自分は変えようと必死なのだと、自分で自分を誤魔化している。本当に透明になれば、隠れた自分が見えてくる。そうして、その事実に改めて正面から向き合い、正々堂々と捨てきって初めて師の心を映せる。真実はひとつです。型はそれを教えてくれる。今回の合宿でその事を教わりました。そして外へ広がると同時に、中心に向かって思考もどんどんと深くなっていくと、先生はそのご著書の中で仰っています。

そのことに気付かせていただいた今、心構えを新たにし、自分がどこまで空手をはじめ自分の周りのことに真剣になれるか、たったひとつの真実を見極める目を身につけていけるかを、心して覚悟を持ってこれからの稽古に望んでいく所存です。これからも何卒ご指導よろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。




心の時間で生きる    (千葉 無職 65歳 M.T)
今回の合宿も普段の1人稽古のあり方や日常の過ごし方を振り返って、反省と課題を与えていただいた内容となりました。清らかな空気に囲まれ、かつ緊張に包まれた雰囲気の中で厳しい稽古ができたことで、日頃の心身の汚れがいつしか洗われました。気の弛み、湧き起こる怠惰を戒め、何事も真剣に取り組まなくてはいけないと自省しました。感謝致します。

前に伸ばした腕を上から叩かれると痛い。次に叩かれる時は手を引っ込める。あるいは身体がビクつき、後ろにのけぞる。叩かれても我慢しょうとすると余計に痛い。「痛いことに対して、鍛えることはできない。身体は正直である。身体が統一体になる、気が流れると腕を叩いた相手の手を反対に痛くすることができる。しかし、最終的には心の問題である。びびらない心をつくる。相手に入る自分をつくることである」いつも示していただいている実例ですが、「型(形)、呼吸、意識」で統一体をつくること、もちろん気を流す、気が流れる身体をつくることが第一ですが、同時に心をつくり、身体と心の一致を目指す大切さを改めて教えていただきました。逃げない身体、裏切らない心をつくることをめざす。帰宅後、『空手と気』を読み返して合宿で気づかなかったこと、気づかされたことを再確認しています。

サンチンの型では呼吸に合わせて突き、腕受け。呼吸は前に出すのではなく、下に落とす。さらに落とす。まずは型にはめる。ナイハンチンの型では諸手突きの型に決まった状態と決まらない状態を体験。決まっていると身体が安定して自由になり、距離に関係なく何でもできる感じとなる、心も居つかず、開放された感じになる。反対に決まっていないと身体は窮屈になり、心身とも固まった感じとなる。四股立ちの諸手突きから、自然の立ち方に戻る時に姿勢が崩れ、気が止まってしまう。しゃくっているとの指摘を受ける。一連の動作も一瞬気を抜くと居ついて崩れる厳しさと脆さを知りました。簡単な中にも難しさを体験しました。「自転車も乗ること自体が目的でない、その先がある。自転車に乗って自在に動く、可能性を広げることが目的にある。型稽古も同じである」「型稽古する中で身体と内面で対話する」まだまだ会話できるレベルに至っていません。型稽古の量の不足も痛感しました。変わるためにはさらに努力を重ねていこうと思います。

怒りをつとに感じる世の中になっています。生きなければならないエネルギーをいただきました。心を開き、過去の時間に生きるのではなく、未来の時間に生きる。物理的な時間ではなく、心の時間で生きる。できない自分を自覚して、できる自分をめざして努力する。気を送られると、できる自分がいます。自分に気が流れることはわかります。しかし、止めているのは自分です。まずはいつも気を流すことが肝心です。今回もできないことをたくさん学びました。型稽古を繰り返す中で、ありのままの現在の自分をみつめ、身体を通した内面の会話ができるように心がけていきたいと思います。




心を映し、全力を尽くす    (千葉 自営業 38歳 C.N)
宇城先生、今回も合宿という貴重な場を共有させていただきありがとうございました。
今回も遠くアメリカ、九州、熊本、大阪など、様々な場所から参加者がありました。そして、普段お会いすることの出来ない方々と一緒に稽古をすることが出来て、大変刺激になるとともに、遠方から参加される方の思いと、恵まれた環境にいる自分の中を考える機会になりました。

合宿では先生に指名を受けた黒帯の先輩方から指導を受けましたが、その姿から学ぶことが多くあったように思います。黒帯の先輩方は、宇城先生という絶対な方の下で指導を行わなければいけない、そのプレッシャーというのは相当なものなのではないかと感じます。もし、自分がその立場だったらと考えました。なぜ、自分が選ばれたのか? 黒帯としてメンツをたもたなければいけない。出来ないものをどう教えればいいのか。もっと稽古をしておけばよかったなど様々な言い訳が思い浮かびそうです。そんな中、先輩達を見て思うのは「現状できる全力を尽くす」ということです。それは、日常にとてもつながっていると感じました。たとえその場で出来なかったとしても、そこに近づくために日々どのように過ごしているか、先生からの教えをどれだけキャッチし実践しているか、どのような思いで生活しているかが指導に出ると思います。どれだけ型などをたくさん稽古したとしても、もし日常の心の中で変化行動が伴っていなければ、現状できる全力を尽くすということは意味が違ってしまうと思うのです。その心が芽生えていれば、現状の自分をさらけだし相手に何か響く形で届くのではないかと思いました。心道流の黒帯を腰に巻くということの重さ、責任、覚悟、出来るか出来ないか、そしてそこに至る過程が本当に大事であると思います。

懇親会の席でマークさんが声をつまらせながらお話をしてくれたときに、先生への純粋な想い、感謝の心が本当にまっすぐに伝わってきて、日本人以上の透明さに感動をしました。その後の先生の、ジョークを交えたお話の時の場はまた凄かったです。初めてではなかったはずの話なのに、自分でもなぜこんなに自然に楽しんでしまい笑ってしまうのか、そしてその笑いの質がとてもとても心地よく何かが癒されていくようでもありました。先生からマークさん達への元気のプレゼントにも感じましたし、とにかく本当に楽しい時間でした。拓治師範代と先生の腕相撲では、親子のあり方を学ばせていただいたというのか、なぜかとても懐かしくも感じ自分の親父を少し思いだしもしました。そしてうらやましいなとも感じました。それは、先生が何より楽しそうというか、うれしそうなのが印象的で、こんな風に恩返しができたらきっと幸せなんだろうなと思い、師範代の見えない場所での努力の凄さ、背中をみせていただいたと思います。

今回の合宿で私の中に残ったのは、「心」でした。先生の心は塾生全員の心に響き、受け取る側が素直であれば、必ず気がめぐるように自分の心の何かが揺さぶり起こされます。その時にすぐに気がつかない場合でも、何日後、数週間後、数ヵ月後、突然パッと気がつくこともあります。麻子師範や拓治師範代からは、心を映すということをいつも教えられていると思います。マークさんやジョシュさん達からは、先生から受け取った心を次までにどれだけ大きく伸ばしていくか、自分に留めていられるかを教わっていると思っています。今後とも宜しくお願いいたします。




止心をいさめ放心を説く    (東京 運送業 41歳 F.T)
今回も貴重な学びの場である合宿への参加をお許しいただき、ありがとうございます。 宇城空手を、同じ志の仲間たちと集中して学べる時間を持つことに心底幸せを感じました。合宿が終わり一日が経過していても、目をつむるとまだ身体がゆらーりゆらーりと揺れていました。身体の中の水がダプンダプンと、ずーっとゆっくり揺れているようでした。一列に並んだ人間をロープのように振り回す検証は、やっていただいた時もそうですが、終わってからの感覚もジェットコースターそのものでした。それを生身で体育館という板の間で、なおかつ誰もケガさせずできてしまうなんて、普通ならば到底信じられない話だと思います。「気」というものがやらせと言っている方々には、ぜひこの検証を再現してもらいたいと思います。いくら全員で打ち合わせしたところで、あのような現象を再現できるわけがありません。

合宿後、参加された方と話して一致した意見は、とにかく身体が重い、ひたすら眠くなってしまうということでした。これはふと思ったのですが、パソコンなどは重いデータをダウンロードした時に動作が重くなります。つまり、我々の身体脳も通常のセミナー以上に膨大な情報を入れていただいたことによるのではないでしょうか。なおかつ、それは我々が心の回線を開いていないとまったく入ってこない。先生は、それを「心を開く」とおっしゃっているのではないでしょうか。

今回の合宿でも実感したことは、自分たちは先生の空手の教えを受けることのありがたみをやはりまったくわかっていない、ということでした。合宿へ向かう道中、富士山が地元の人だけが知るような小山の向こうにチラッと見えた時に、同乗されている方から「こうして並んでみると富士山も大きく見えませんね」と言われました。自分も「そう言われたらそうだな」と思ったのですが、これが妙に心にひっかかり、まさにこれと同じように我々も結局そんな低い視点でしか先生を捉えられていないのではないかと考えました。地元の人しか知らない山は富士山と比べられるなんてとんでもなく迷惑な話で、合気道の先生が宇城先生へ居合道の先生をすごい人と紹介され、蓋をあけたら宇城先生の教えを受けられていた方だったという話のようなものだと思います。低い視点でしか見えていないので、先生の大きさを捉えられず横着さが出てしまう。先生からお叱りを受けた時は、それを素直に受け止められていなかったと思います。聞いてみると、少なからず同じような反応の感じもありました。ですが今になってわかることは、本当に「怒られている時が華」なのだなということです。自分に迫る「まさか」に気づかずボーッとしている。それが先生には見えていらっしゃる。お叱りを受けることは、「ボーッとしていたらただのピンチ。今こそが変わるチャンスだ」とご助言いただいているようなものでないでしょうか。そこに気づかないことは、自分でも本当にもったいないことだと思います。「止心をいさめ放心を説く」とは、まさにこのことだと思いました。

"できる"ということがわかったら(止心)、すぐに次の"できない"に向かわなければならない(放心)。ここにまた、修行の厳しさを実感させていただきました。低い視点が少しだけ上がり気づくことは、結局目指す山の底知れない大きさです。今の自分を変えられなければ、いくらできたと言ってもしょせんCランクのできた、で終わりだと思います。止まったが最後、修行は常に崖っぷちだと思いました。それは上級者になるほど厳しくなるのが、宇城空手が他の武道と決定的に違うところです。「できなければクビ!」と言われている師範、師範代はもっと厳しい状況ではないでしょうか。レベルの低い我々から見ても、お二人の成長は凄まじいものがあります。

合宿の最後に、先生と師範代の組手を見せていただきましたが、これぞ最高の親子関係だと思いました。子を持つ親にとって、これ以上の希望はありません。パワーが主体の空手ではこうはいきません。エネルギーが根源にあるからこそ先生はまだまだ前に進まれ、師範・師範代もその道を追い求められる。私もつたない成長ですが先生へ心を開き止心になることなく一歩一歩前へ進みたいと思います。これからも厳しいご指導のほどよろしくお願いいたします。




以下、海外からの参加者した支部長の感想文です。


瞬間を生きながら、型の稽古をする    マーク・エイブレムス(ニューヨーク支部長)
今回の日本への旅は本当に素晴らしかったです。淡路島の道場にて、先生と先生のご家族に、私と妻にあのような優しさで親切にあふれたおもてなしをしていただくとは、思いもよりませんでした。素晴らしい一日にしていただき、心の底より感謝しております。

今回は、私の心の深い部分が浮き出た時間となりました。今年はたくさんの出来事により、人生に対し考え直させられ、そして4月に、先生はその事を私の運転の変化を通して気づかれました。最近、私はいかにこの瞬間を生き、そしてその瞬間を通して私という存在を広げなければいけないか、ということをどんどん自覚し始めています。この変化は自己の型の稽古において顕著に出てきており、そしてわたしは真にその瞬間を生きながら、型の稽古をすることの素晴らしさを認識し始めています。

今回の合宿において、麻子師範に稽古をつけていただいたのは本当に光栄でした。師範は型のあらゆる箇所において、いかに正しい姿勢で正しい動きをすることが重要かということを語っておられました。そしてそうする事ができると強さ、地球との繋がり、そして同時に自由自在を得られることを、細かく実際にやって見せてくれました。そこにたどり着くプロセスにおいて、いかにそれぞれの動作、瞬間を自覚し、認知して初めて「正しい場所」にたどり着けるのです。麻子師範は、どのような動きにおいても地球との繋がりを常に深めていかなければいけない、ということも話しておられました。そして私は瞬間においての型との繋がりが、合宿の終わりには改善された実感がありました。

自分の間違いを自分で見つけ自分で修正するために、いかにこの様なことが大事かという事を語っておられました。個人の成長において、この様な自己管理というのは非常に重要であります。そして、麻子師範は自己がしっかりと責任をもって自己の間違いを見つけ直すことが、先生と弟子との時間が無駄にならないことにつながると強調されました。このポイントは、私の心に深く響き、私のとる行動に更なる自己の自覚と責任を身につけるために努力しなければいけないと思いました。

今回は私が更に深く、そして更に真剣にフォーカスしはじめた五つの型と、それぞれの基本分解組手において、たくさんの間違いのご指摘と、素晴らしいご指導をいただきました。そして、これらのご指導はこれから後、私が努力していかなければいけない方向を示してくれ、型稽古によって更に自己の大いなる成長が訪れるのが楽しみとなりました。




人生が更に意味深くなる    ジョシュ・ドラックマン(シアトル支部長)
先週の日本での滞在は、いろいろなレベルにおいて、本当に特別で意味深い時間でした。今回は初めて先生の淡路島の道場を訪問させていただきましたが、とにかく道場の細部までの最高級の材質へのこだわりには感嘆しました。今までこの様な道場はまったく見たことがありません。そして同時に私の名前を実際に名札掛けの中に見つけたときには愕然とし、嬉しいながらも恐縮いたしました。そして、とても名誉な事ながらも、重大な責任があるという事も自覚しました。そして最高の基準と深さをもった宇城空手を象徴する場に、こんなしっかりとした形で私を繋げてくれてた先生の心の広さに感謝します。そしてこの基準を心に刻み、日常を通した日々の生活と空手の稽古に励みます。そして、今回は妻を初めてこのような旅に連れて行きましたが、この素晴らしい一週間を共に過ごす事ができ、私たちの絆も更に深まりました。私たち夫婦は共に先生の空手を学ばせていただいていますが、こんな素晴らしい経験を共有することができ、本当に感謝しております。

合宿においては、型と分解の中身についての更なる発見をした様に感じます。いろいろな意味でまだまだ出来ていませんが、自分の成長の可能性のための、まったく新しい稽古の方向を発見した瞬間が何度もありました。そしてこれからの更なる努力と稽古をすれば、今回見せていただいたような型と分解が、いつか出来るようになるであろう、という自信を得ることが出来ました。私にとっては型と分解を整理し、そして理解していくことが鍵だと思います。

今回は私のグループのリーダーの麻子師範からの間違いの指摘、ご指導はもちろんのこと、それ以外にもたくさんの生徒の方々が本当に優しく面倒を見てくださり、たくさんの修正、そして気付きがあり、非常に実りの多い時間でした。そしてなにより、先生からのご指導は非常に大きく、これからその意味をかみ締めながら取り込んでいきます。今回は初めて型を外面だけではなく、実際の感覚として内面から捉えることが出来始めた実感があります。実感には心が躍り、これから更に発展させていきたいと思います。さらに一に目、二に姿勢、三に瞬発力という教えがただの言葉ではなく、実際に自分の感情や感覚となった事でした。理解が出来たとは言いませんが、リアルに自分の感覚となり、自己の内面を型と分解を通して更に発展させていけるという実感がありました。そして、自分の癖を直し、型と分解をしっかりする事によって、宇城空手の理解が更に深まるだけでなく、私の人生が更に良く、豊に、意味深くなることがわかりました。

先生が個々の生徒の必要に応じてグループわけをされていたのには感嘆しました。私の場合は、型と分解を直すことに焦点を置いていただき本当に助かりました。先生の思いやりと優しさをこのようなことからも感じられ、とても心に染みる学びとなりました。そして先生が8月にシアトルに来られる時にはまたひとつ成長できるように、合宿で学び、経験したことを日々の稽古によって吸収していくつもりです。

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